(牛と共に生きる その2)
大失敗
高廣さんが30代後半、息子の規共さんが小学生だった時のこと。経験したことのない大失敗をした。
それまで、自分なりの自分の餌一本で土佐あかうしを育てていた。どのように育てているのか見せてほしいと見学に来る人もいた。そんな時、ある人から「これは発育がようなるき、ええぞ。やったらどうぜ」と声をかけられた。
「その一言で狂うた。それまではビタミンBの入った一番安い餌で、年間通じて決めた餌をあげて、仔牛が仕上がっていきよったのよ。その途中、使いよった餌に混ぜる添加物が手に入らなくなった時があった。その時に色々な工夫をしすぎてよね、それが失敗につながった」
牛が肉になった時「あれっ?」となった。肉質があからさまに変わっていた。
「やばいっすよ。恐怖よ、何が悪いんやと」
遡って考えた。時間は戻ってこない。基本からやり直す必要があった。
「餌やさんのいう通りにしよったらやり過ぎるがよ。やるのはしよいがですよ。けど引き算ができんでしょ、蓄積したものは引けないんですよ」
大打撃だった。育ててきた土佐あかうしの価格が年間を通じ、下落した。「めちゃくちゃ安い、餌代を払ったら何ちゃあなかったというやつよ」
育ち盛りの子どもや家族、牛たち。どうやって経営を生活をしていけばいいのか…。途方に暮れた。
「肥育牛には、この時期にこうしたらこうなるって、色々研究したいでしょ。もうちょっとええもんにしたいと思うでしょ。色々やってよね、つまらんことしたなと。分かってない時は良かったけど、半わかりになった時にくるがよ」
これ以上のことをやっちゃろう。色々なことに手を出しすぎてしまった。
「ほんまにこたえた。2年ばあは沈没しちょったけ」
その時、もうやめたいと思わなかったのだろうか?
「いや、やめられんでしょ。食うもんがぶらさがっちゅうきよね。食わさんと、牛たちは生きていけんき。自分は食えんでも食わさないけんきよ。やり始めた以上、後へひけんき」
規模を拡大している途中だったため、まだ助かった。もし今、同じ失敗をしたら家業は潰れる。大失敗の後も同業者と意見を交わし、試行錯誤しながら土佐あかうしを育てた。失敗した経験を振り返り「あそこが悪かった」と理解した。少しずつ、少しずつ「ここを直したらもうじき良くなるな」という体感が得られるようになった。良いと思える地点に戻るまで「めちゃくちゃ時間がかかった」という。
「一回失敗せんと分からんがよ。それを乗り越えた経験で、一つまた強くなるんじゃないかなと思うけんど。それがずっと続くような事はない。僕もええ経験したと思う。ああいうことは絶対せられんぞ、したらこうなるでって、人に話ができるし」
失敗したことも周囲の人と共有するんですねと言うと、「伝えるよ!自分が損したことはね。人を蹴っ飛ばす、落とすようなことはね、自分に返ってくる。自分はどう生きてきたかということになりますきよね。だから人にも嘘は言えん。本当のことしかよう言わんですよ」
「生きていかにゃいかんきね。共生せにゃいかんき、奴らと。全面的な愛情をもってよね、僕らが育てゆうけど、奴らに食わせてもらってるんやき。それだけよ」
高廣さんはそう言って豪快に笑った。当時はとても笑えなかっただろう。その声には失敗を自らの糧にして生き抜いてきた、揺るがない強さがあった。

糞問題
その後、高廣さんは土佐町の南川地区に土佐あかうしの放牧場をつくり、牛を増やしていった。
当然のことだが、牛は生き物。餌を食べれば糞をする。その糞の処理は、牛を育てる農家共通の頭の痛い問題だった。田畑に混ぜて処理することはとても労力がかかり、限られた耕地へ過剰に還元しすぎるのも良くない。当時、高廣さんは土佐町の肉用牛生産組合の組合長になっていた。肉牛や乳牛を育てる農家で話し合い、「糞を持ち込んで堆肥を作れる施設があればいいと思うが、どうじゃろう」と町役場の担当者に話をした。提案は認められ、町に堆肥センターができることになった。完成は2000(平成12)年。「堆肥センターがあることで、多頭化している農家さんは助かってる。センターがなかったら頭数を増やす事は無理だった。自分達で全部処理することは大変。この糞をどこに持っていこう、多頭化したらそれの繰り返しじゃないですか。安心して処理できるのは、サイクルとして一番大事なことですきね」
大きな悩みが解決し「僕らとしては最高です」。持ち込まれた糞は「たいひくん」という名の堆肥に生まれ変わって町内で販売され、多くの人たちに使われている。
黒牛を入れる
1965(昭和40)年から1985(昭和60)年頃にかけて、土佐あかうしは「おいしい牛」として、高値で取引されていた。しかし、1990(平成2)年、現在の牛枝肉取引規格による格付けが運用されるようになってから、サシの入り度合いが高いほど評価が高くなった。サシの入り具合によってA5~ C1の15等級があり、最高ランクはA5。それ以降、A5の和牛を目指して改良が進み、サシの入りやすい黒毛和牛がより高値で取引されるようになった。土佐あかうしは頭数が少ないため、改良が追いつかない。土佐あかうしの評価は「おいしい牛」から「サシの入りにくい牛」となり、価格は下がっていった。経営を維持するため黒毛和牛に転換する農家が増えた。一方、高齢化などで農家は減少し、土佐あかうしの頭数も減っていった。
「なぜうちに黒牛がおるのかというたら、そこなんですよ。息子が宮崎県の農業大学校へ行っている頃、土佐あかうしで生活ができないくらい、飼料も何もかも値上がってきて。がっつりあかうしの頭数も減り出した。この際やったら黒牛を入れていくべきかなと。そこそこええ系統の黒牛を入れて、経営してかないと面白くないぞ、と」。そこから土佐あかうしを飼育していた牛舎に黒牛も入れ始めた。現在、川井畜産の牛350頭のうち6割は土佐あかうし、4割が黒牛である。
(牛と共に生きる その4 に続く)



