私の一冊

矢野ゆかり

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

大変遅くなりました!

「私の一冊」においてのレアキャラ、ゆかりです。

煮詰まっているうちにあれよあれよと日が過ぎ年を越え、まさか1月になるとは。びっくりです。私がグツグツに煮詰まっている間、色々なことがありました。オリンピックに新型コロナの第6波、米中関係悪化に米露関係の悪化、個人的には最近起きたトンガの海底火山の噴火と原因不明の潮位変動がありますね。新型コロナによって生活が一変したことは、もはや日常とかしていまが、特に新型コロナの変異株・オミクロン株の急激な拡大は目を見張るものがあります。まるで何かが人間に試練を課しているかのようにも思えます。人間が人間以外の生き物に、常に変化や災いをもたらす事=試練と考えれば、余り変わらないかもしれませんが

さて、前座は置きまして、ラストの7巻も後半です。

前回はナウシカがシュワの墓所へ向かうところで終わっていました。続きからです。

ナウシカは隠された庭からでてくると、蟲使い達と城爺に会います。蟲使い達はナウシカについて行くため、大事な蟲達を殺してまで着いてきたのでした。ナウシカはその覚悟と犠牲に涙を流しますが、蟲使い達は「泣かないで」と慰めます。意外かもしれませんが、私はこの些細なシーンが好きです。何故なら、使命の為に自分が尊く思うものを犠牲にする精神を持つ蟲使い達と、そのようなことをさせてしまうナウシカのカリスマ性にリアリティを感じるからです。

さて、ナウシカは姿の見えないオーマの姿を探します。オーマは先に墓所へ行き、事をなそうとしているのでした。ナウシカ達は急いで後を追います。その頃シュワの墓所では、トルメキアのヴ王が墓所へ攻撃を仕掛けていました。墓所の守りは硬く、犠牲は増えるばかり。そこへ巨神兵が現れます。オーマです。彼はヴ王へ戦闘中止を要請するものの、武力を持って墓所を鎮圧しようとするのでした。大きな被害を与えたものの、ほぼ相打ちのような形になり、彼は深い空堀の中に落ちてしまいます。

全ての武力を失い、道連れは道化師のみとなったヴ王の元に、墓所から使者が現れます。墓の主がヴ王と会うというのです。時を同じくして、エンジンを損傷し墓所の上に不時着したガンシップには、アスベルとミトがいました。ミトは重傷の様子ですが、「この墓は生きている」と極めて冷静な状況判断をします。ミトは死ぬ覚悟をし、アスベルを巨神兵がつけた傷口から内部に潜入させ、自分は残って墓へ追撃を加えるべく動いたのでした。

ヴ王が墓の主と会おうとしていたとき、ナウシカは墓所へたどり着きます。そして「王以外は入れない」という墓所の住民を一瞥で制し、堂々と墓所の主の元に向かいました。

墓所の主の元で、ヴ王とナウシカは出会います。墓所の主とは、全体に文字が浮きでた肉塊でした。墓所の住民達はここで、墓所の主に、夏至と冬至に浮き出てくる文字を解読するためにヒドラとなり、何百年も生きているのでした。

墓所の主はヴ王とナウシカにあるものを見せます。それは学者と思わしき人物達の群れが、語りかけて来るものでした。「君たちは長い浄化の時にいる」「いずれ清浄の地へいける」と言葉が投げかけられます。しかし、ナウシカはもう理解していました。その言葉がまやかしであることを。ナウシカは墓所の主の言葉を真っ向から否定し「真実を語れっ」と言います。

墓所の主は返します。「………どの真実をだね? あの時代どれほどの憎悪と絶望が世界をみたしていたかを想像してみたことがあるかな?」「有毒の大気 凶暴な太陽光 枯渇した大地 次々と生まれる新しい病気とおびただしい死」「ありとあらゆる宗教 ありとあらゆる正義 ありとあらゆる利害 調停のために神まで作ってしまった」と。

ここでひとつ。思いませんか?これって今の話?と。

『風の谷のナウシカ』を初めて読んだ時はあまり感じなかった事が、最近急に実感を増してきたように思えます。新型コロナが次々と変異し拡大しているのを見たからでしょうか。数年前のエボラ出血熱の流行も頭を過ります。(極域の永久凍土は今も溶け続けていますが、その中には何百何千もの未知なる菌が潜んでいると言います。熱帯雨林もそうです。)そして、宗教対立による戦いや国家間の関係悪化、移民問題。マイクロプラスチックやCO2による地球温暖化といった環境破壊。私達はこれからどのような世界に生きていくことになるのでしょうか

本編に戻ります。あと少しですのでお付き合い下さい。

墓所の主は「人類はわたしなしには亡びる」と言い、ナウシカは「それはこの星がきめること」と返し、命を光と呼ぶ墓所の主に「ちがう いのちは闇の中のまたたく光だ」と言い放ちます。ヴ王も「朕は墓守にはならんぞ お前には仕えん 自分の運命は自分で決める」と同調します。墓所の主は彼らを殺そうと攻撃しますが、ナウシカは瀕死のオーマを呼び、主を倒すのでした。オーマも同時に力尽き、ナウシカに看取られて死んでいくのでした。

さて、ここでもちょっと。私、ヴ王が好きなんです。クシャナの敵役として「毒蛇の中の毒蛇」と称される冷酷なヴ王ですが、物語の各所には彼が王たる所以が見られます。クシャナやナウシカとは違うカリスマ性を持っている人物なのです。それを証拠にヴ王は、もっと早くナウシカに会いたかったと言い、ナウシカを庇って死にます。もしも、もっと早くナウシカがヴ王と出会っていたら、トルメキアと土鬼の戦はなかったかも知れません。しかし、この戦がなければナウシカがこの世界の真実に気付くこともなかったと思えば、運命を感じさせるものがあります。そんな物語を作る宮崎駿に、計り知れぬ何か強い意志を感じたのでした。

そして、ナウシカの「いのちは闇の中のまたたく光だ」というセリフ、深い感銘を受けました。まず初めに、私が思い描いたのは、母親の体内で羊水に浮かぶ赤ちゃんのイメージ。さらに目を閉じても、チカチカと光る太陽の残影。夜中の街灯に蛍の光。まったき光がいのちなのではなく、清と濁があり、光と闇両方抱えるものこそいのちなのだという視点は的を得ていて、様々なことに共通するだろうと思います。また、またたいている、というのが、いのちの多様性や変化を表していて素敵だと思うのです。

墓所の主の死後、ナウシカ達は彼女を追ってきたクシャナや、チチクにで迎えられます。その光景は、焼けただれた大地が朝日に照らされ金色にひかり、ナウシカの衣服は墓所の血によって深い青にそめられ、蟲使い達が喜びの舞を踊っていました。「その者青き衣を纏いて金色の野に降り立つべし」と同じだと、チヤルカ達は涙を流していました。

そしてナウシカは言います。「生きねば。」と。

辛くても苦しくても、血を吐いても、生きねばと。

そしてこの出来事は、子々孫々と伝えられてゆくことが語られ物語は終わります。

私達は現代において様々な状況に置かれています。一個人として、家族や地域社会という単位で、職場で、SNS上でといった様々な側面を持ち、そして多種多様な生き方をし、自然とのかかわりも色々です。ナウシカの言う「生きねば。」は、自分が自分でいることに疲れた時、ふと原点に戻らせてくれる、そんな言葉です。結局、私達は生き物なので、生きることが最も尊く、かつ難しいことなのだと思います。

前を向いて生きる。辛くても。

そう思わせてくれる物語が、『風の谷のナウシカ』という物語なのではないでしょうか。

長い話でしたが、これで終わりになります。

少しでも『風の谷のナウシカ』の魅力が伝えられたら、幸いです。

コロナ禍の中で働く全ての人にエールを。

闘病中の方や後遺症に悩む人にエールを。

亡くなった方に弔いを。

それでは、また。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

この記事を書いた人

  • 娘に甘いが、娘の地雷をうっかり踏み抜いて今までの努力をパーにする、ニヤケ顔で優しい父と、働き者で骨と皮しかないが怒ると死ぬ程怖い、矢野家のスーパーブレイン、母との間に生まれる。地元の中高に通い、高知県立大学文化学部を卒業後、一時期高知市内で勤めていた。しかし、ストレスを閉じ込めていた圧力釜が、高圧に耐えきれず大破。アップダウンの激しい精神病と、お供にその他諸々の病になる。もちろん、実家に強制連行。やはり地元は居心地が良く、少しずつ病気の自分にも慣れ、今はぼちぼちお付き合い中。防災士、調理師、剣道4段、精神障害2級(笑)。好きな事はあらゆる物語を読むこと、生き物の飼育と観察、スマホゲーム。嫌いなことは、根拠の無い論説や理不尽な人、しょうもないテレビ(もはや拷問)。今は学校図書館にいます。どうぞよろしくお願いします。
娘に甘いが、娘の地雷をうっかり踏み抜いて今までの努力をパーにする、ニヤケ顔で優しい父と、働き者で骨と皮しかないが怒ると死ぬ程怖い、矢野家のスーパーブレイン、母との間に生まれる。地元の中高に通い、高知県立大学文化学部を卒業後、一時期高知市内で勤めていた。しかし、ストレスを閉じ込めていた圧力釜が、高圧に耐えきれず大破。アップダウンの激しい精神病と、お供にその他諸々の病になる。もちろん、実家に強制連行。やはり地元は居心地が良く、少しずつ病気の自分にも慣れ、今はぼちぼちお付き合い中。防災士、調理師、剣道4段、精神障害2級(笑)。好きな事はあらゆる物語を読むこと、生き物の飼育と観察、スマホゲーム。嫌いなことは、根拠の無い論説や理不尽な人、しょうもないテレビ(もはや拷問)。今は学校図書館にいます。どうぞよろしくお願いします。

写真

  • 石川拓也

    とさちょうものがたり編集長。写真家。90年代アジア・アフリカ・ヨーロッパなどを旅し、その後アメリカ・ニューヨークに住む。2002年に帰国、以来東京を拠点に雑誌や広告などの撮影を手がける。2016年8月より土佐町在住。ウェブサイト:http://ishikawatakuya.com/
とさちょうものがたり編集長。写真家。90年代アジア・アフリカ・ヨーロッパなどを旅し、その後アメリカ・ニューヨークに住む。2002年に帰国、以来東京を拠点に雑誌や広告などの撮影を手がける。2016年8月より土佐町在住。ウェブサイト:http://ishikawatakuya.com/

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です