2019年2月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

藤田英輔

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「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」 中島らも 集英社文庫

 

この本からは「酒の呑み方」を教わった。

今回読み直していて、エレキバンドを始めた頃のことを思い出した。50年前か。

TN君(土佐町在住)、HM君、MM君(共に高知市在住)と、僕の同級生4人で、中2の秋、家の前を流れる川のヤブの中へ。持ち物はホーキとダンボール箱いくつか。それが僕のバンド活動のスタート。

本物の楽器はTN君が持つアコギ1本のみ。自ずとG.Voでリーダー。そしてバンマスとなったTN君の指導で(1本だけのギターで初心者にコードから教えるのは大変なこと)中学校での「卒業生を送る会」への出演を目指し、およそ5ヶ月の練習!

本番には、当時高校生だったYS先輩(現バンドメンバー)らから借りた本格的な楽器(なんとドラムセット、エレキギター×2、ベースギター、アンプ、シールドピックまでも)を抱えデビュー!!

一年先輩の卒業生のバンドにHT君(現バンドメンバー)が居た。曲もできも忘れてしまったけれど(忘れたかった?)、G.VoのTN君が覆面姿でセンターで歌っていたのを覚えている。

若人よ!悩みを軽くしたけりゃ、この本を読んでみな。(読み方によっちゃあヤケドするぜよ)。

藤田英輔

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山峡のおぼろ

「人が死ぬるぞね」

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カラスがよく鳴く日に時々、子どもの頃によく聞いたことを思い出す。

特に朝、いつもより多くカラスが鳴くと、祖母が必ずといっていいほど、「今日は人が死ぬるぞね」と言った。

「どうして?」と聞くと、「昔からそう言う」と、信じ込んでいる口ぶりで答えた。

その“予言”は当たる日もあり、当たらぬ日もあったが、その日に誰かの訃報を聞いたりすると、カラスの鳴き声と関係があるのかなあと子ども心に思ったことだった。

 

祖母だけではなかった。カラスがよく鳴く日には道で会う人、主に中年以上の人から、「カラスが鳴くきに、今日は誰か死ぬるかもしれんねえ」という言葉が出た。そう言って、どこを見るというのでもなく、空を見上げる人が多かった。

日本中では、その日どこかで、誰かが死去しているだろうが、祖母たちが言うのは、もっと近くの狭い村内のことである。

そのためカラスが多く鳴いても、誰も死なない日が多い。そんな時には何も言わないが、時に村内で誰かが死んだりすると、「やっぱり。今日は朝から妙にカラスが鳴くと思いよった」と、納得したように言うのであった。自分も次第にそれに引きずり込まれて、カラスの鳴き声を聞くと、ひょっとして今日は誰かが、と思ったりしたものであった。

 

それも小学校の終わりぐらいまでで、中学生の頃はカラスの鳴き声と、人の死の結びつきは頭から消えていた。山村の人たちも時代と共に、カラスが鳴いても以前のようなことは言わなくなっていった。昭和20年の終戦が境目だったような気もする。

 

それでも今、カラスがやかましく鳴く時は、当時のことが浮かんでくる。

カラスの鳴き声と死の関連は、何か根拠があって言っていたのだろうかと思い、広辞苑で「烏」を引いてみた。

『スズメ目カラス属およびそれに近縁の鳥の総称』からはじまり、長い解説が続いている。その中に、『古来、熊野の神の使いとして知られ、また、その鳴き声は不吉なものとされる』とあるのを見て、“これだ”と思った。

カラスの鳴き声は不吉なものとされた、というのは、よほど昔からのことであろう。神の使いであれば、人の死も予見できると考えられたのだろう。

それがあちこちに伝わり、古い時代の信心深い人たちには、カラスが鳴けば不吉なことが起きると思われたのではないか、それが言い伝えられた。自分なりにそう思った。

物質文明全盛の現代から見れば、まことに他愛のないことだろうが、当時の人たちにはそれなりに、結構重いことだっただろう。

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私の一冊

鳥山百合子

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「ぐぎがさん、ふへほさん、おつきみですよ」 岸田衿子作, にしむらあつこ絵 福音館書店

この本の絵を描いているにしむらあつこさんは、昨年11月に土佐町に来てくれた絵本作家、西村繁男さんといまきみちさんのお子さんです。

ある日、大きくてずっしりと重い封筒がポストに入っていました。「誰からな?」と見てみると、いまきさんから!ご自身の絵本とあつこさんの絵本を一緒に送ってくださったのです。これはそのなかの一冊。

子どもたちも大好きで、寝る前に「読んで」とよく持ってきます。でも「ぐぎがさん」って、なんだかとっても言いにくくって、いつも「噛んで」しまいます。そのたびに「あ!また!」って、子どもたちはとても喜びます。

「ぐぎがさん」。といつかさらっと言えるようになりたいものです。

鳥山百合子

 

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ほのぼのと

門松は進化した

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年の瀬、子供の頃、藁を綯って作った祖父お手製の「しめ飾り」をお墓・玄関そして家のあちこちにある神棚にお供えしたものでした。

Uターンしてきた40年ぶりの土佐町の年末風景で一番驚いた事、それは門柱等に飾られた、竹をくりぬき縁起物の植物をきれいに生け込んだお正月飾りでした。

とても華やかで、門松もここまで進化したのか!と空白の時間を想いました。

 

Uターンして迎えた二回目のお正月、この「お正月飾り進化バージョン」に挑戦せんと決意。

夫が切り出してきた裏山の竹に、生けるスペースを3カ所くりぬいてもらい、体力勝負の第一段階クリア!

よりによって年末寒波到来の初日に材料集めに出発です。

裏山に分け入り、形のいいまるでカイトのように翼を広げた「おなが」(正式名称は「うらじろ」らしい)・野イチゴ状のジャンボな赤い実を一個だけ付けた正体不明の蔓状のかわいい植物そして根締めに使うつややかな緑色の葉っぱを採集。

庭の南天に心の中で「ゴメン!」と謝りつつ、エイヤッと切り離します。

お正月飾りには必須の松と千両は市販品を利用です。

寒風吹き荒ぶ中、玄関先に材料を広げ「いざ生けん!」、強風にさらわれていくシダと追いかけっこ…。でも気分は芸術家です。

 

出来栄えはどうあれ、完成した。

切り取ってきた生命は新たなきらめきをもって、わが家の玄関を清澄な空気で満たしてくれました。

 

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私の一冊

石川拓也

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「稼ぐまちが地方を変える」 木下斉 NHK出版新書

机上論ではなく経験者の行動の下に書かれた、とても説得力のある良書です。

「地域おこし」「地方創生」「地域再生」などなどのワードで昨今語られることの多い地方振興系の活動。あんまりこういったワードで括るのは好きではないんですが、日本全国で頑張っている人たちは多くいますよね。

書かれていることの多くが、目からウロコが落ちたり、自分の考え方と一緒だったり。箇条書きで少し紹介してみます。

   不動産オーナーたちが連携を組んで地域を良くする

地域再生や振興は、日本ではなぜか地域の役場や役所が担うべきものと認識されていますが、欧米では不動産オーナーがチームになって取り組むこととされています。地域全体が良くなっていくことで、オーナーたちが所有する物件の価値が上がる訳で、とても合理的な形だと思いました。

   本気の人間が2、3人集まれば物事は変わっていく

逆を言えば、口だけ調子の良いことを言う人間が100人集まっても、会議や宴会の繰り返しで終わってしまうということ。リスクを取り汗をかく人間が、3人でもいればそれでスタートはできる。

   小さく始めて大きく育てる

机上で壮大な事業を考えていても現実は何も進まないので、まず自分が(もしくは少人数の仲間が)できることを一歩ずつやっていく。小さくて正解、という考え方。

        評論家になってはいけない

著者は職業柄いろんな地方で講演を依頼されることも多いそうですが、いわゆる「良い話を聞きたい」という依頼は断っているそうです。地方の方々が本気で動こうとしているときに、一緒に汗をかいてやっていきましょうと手を取り合うための講演だけを受けているそうです。共感。

以上、これ以上ないくらい粗い抜粋、そして記憶力の低下から言葉遣いは正確でないかもしれませんが、「地域おこし」という場の、ある意味最前線にいる身としては、多くを気付かされると同時に勇気ももらえるような一冊でした。

 

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みんなのアルバム

校庭にて

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相川小学校にあった古いアルバムから1枚。

校庭でしょうか、みなさんの背後に二宮金次郎像が見えます。

先生方かな?と思いますが、どうでしょう。

年代や日付、どなたなのかはまったくわかりません!

心当たりのある方がいらっしゃったら、ぜひご一報くださいね。

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私の一冊

藤田純子

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「きまぐれロボット」 星新一 理論社

この本には、発明されたわくわくするようなロボットたちや、いくつもの便利な道具が出てくる。そして一つ一つの話のおしまいにはシュールな「オチ」がある。

「なるほど」であったり「ああそうか」であったり、苦笑いであったり…。

例えば、エヌ博士の作り上げた「なぞのロボット」。いつもどんな時も博士のそばにくっついているだけ。

お茶も運ばなければ、掃除もしない。口もきけないし、犬に吠えつかれても博士を守るどころか、逃げる博士について一緒に逃げるだけ。何の役にも立っていないように見える。

さて一日の終わり、夜になって眠る時間になると、博士に「さあ、頼むよ」と命令されるとちょっとの間仕事をする。机に向かってノートを広げる。

ここでロボットは何をするか…。日記をつけるのがめんどうくさくてならない博士の代わりに日記をつける。

これまでの成り行きが、ストンと納得がゆく。

星新一さんの柔らかい頭脳にまいってしまう。

藤田純子

 

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とさちょうものづくり

こうほう とさちょう

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またまた時間の経ったご報告になってしまいましたが、土佐町の広報「こうほう とさちょう」2018年12月号の表紙と裏表紙です。

「土佐町ポストカードプロジェクト」で撮影した2枚の写真、表紙は安吉にある三宝山高峯神社で12月の初頭に開催される神祭の際に、宮司の宮元千郷さんの後ろ姿を撮影させていただきました。

裏表紙はさめうらダム湖。ダム湖ならではの静謐な湖面を撮影しました。

もうすぐみなさまのお手元に届く頃です、という記事にするべきところ、みなさまのお手元にとっくに届いています、というタイミングになってしまいました。すみません!

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私の一冊

西野内小代

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「忍びの国」 和田竜 新潮文庫

 

映画化された「のぼうの城」の原作者が書いた面白忍法小説。「天正伊賀の乱」の史実に基づく歴史エンターテインメント。

ちょいちょい文献等を引用し、有り得ない技を使いこなす伊賀者の話が「あるかも!?」・・・と現実味を帯びてくる。

世代交代を意識するかつての一流忍者「木猿」、大好きな女性に翻弄される誰もが認める凄技の使い手「無門」、若者時代の石川五右衛門「文吾」。

劇画チックに陥りがちな忍法作品が、大人も楽しめる小説へと変化してくる。

西野内小代

 

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ぶどう園ミシマファーム

亡き父山中義雄の話③〜地域振興編〜

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こずえです。

 

前々回のお話の続き、故・父義雄のお話に戻ります。

 

話は上の航空写真のよりもさらに10年ほど前、昭和58年に遡ります。この時はまだ、ミシマファーム の周りは田んぼしか無かったんですよ。(写真は平成8年)

今、改めてこの写真を見てみるとたった20年という短い期間ですごく三島地区が変わったな、と実感します。

 

父はこんな何も無いところにミシマファーム の作業小屋を改装して地域の民芸品を販売する「直売所」を作りました。

もちろん、自分のぶどうを販売するのが当初の目的だったんでしょうけど。

「地域の自然を守りたい。地域の為に何かしたい。地域の人たちの作ったものを買いに来てくれるところを構えたい。そして地域の人たちが集える場所を作りたい。」

常々地域と自然のことを考えている人でした。

そんな思いからだったのでしょう。

その直売所には地域のいろんな人たちが今では珍しい品々を出品していました。

 

例えばほんの一例ですが

 

「手作りの木製花瓶」

 

 

「川魚を捕まえるための竹製の漁具」(「ブッタイ」といいます)

主に「ゴリ」といってこの地域の川に沢山いるハゼ科の魚を取る時の道具です。

とか

「藤葛(ふじかずら)で編んだ飾りや籠」

 

そして

↑ これ、何かわかります?

これは「正座用折り畳み椅子」です。

 

 

全て地域の人たちによる地域の素材を使った、まさに「ふるさと手づくりもの」です。今となっては作り手も減り、手に入らないようなものが他にも売られてました。

その当時の売れ残ったものなんかが、今でもうちの物置からちょくちょく出てきます。(写真のものがそうです)

 

地域の人たちが集い、お話したり、出品したり、ただお顔を見に来たり。たまに商品を買ったり。。

人と話をするのが大好きな父自身、とても楽しそうに皆さんとお話していたのを思い出します。

 

やがて母が直売所内でお食事処も始めたことも相まって様々な人が集うにぎやかな場所になりました。

 

そして平成に入り、「もっと地域に人を呼んでもっと地域が潤う事をしよう!」

 

という声が高まり、父と数名の同志、役場が筆頭になって土佐町にもっと大きい直売施設を作る計画が浮上しました。

 

当時、普及し始めた「道の駅」を土佐町に作る計画がスタートしました。

 

 

「道の駅土佐さめうら」の始まりです。

 

〜続く〜

 

 

 

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