2019年4月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「シロナガスクジラより大きいものっているの?」 ロバート・E・ウェルズ 評論社

地球上の生き物の中で一番大きいのはシロナガスクジラ、なのだそうです。

その事実を元に「シロナガスクジラが100匹入るビン」を積み上げたり、「エベレストを100個」重ねたりなど、私たちが想像できる(?)「でっかい」ものたちを使って、地球や宇宙がどんなに「でっかい」のか教えてくれます。

土佐町には「お話ボランティア」さんという人たちがいて、毎週水曜日の朝、小学校の各学年の教室に行って本を読む活動を続けています。

私もそのうちの一人なのですが、この絵本を今までに何度か読んだことがあります。高学年の子どもたちは「シロナガスクジラ」や「エベレスト」はもちろん、どうやら宇宙は想像がつかないほど広いらしいということもすでに知っているのですが、「太陽」や「赤い星アンタレス」や「銀河」の大きさを自分たちが知っているものと比べて考えると「わあ〜〜〜〜…」という顔に。想像が想像を超えていく、そんな表情になっていきます。

先日、ブラックホールの姿をとらえた写真が新聞の一面に大きく掲載されていましたが、広い宇宙の中にある地球という惑星に住んでいる私たち人間は、宇宙から見たらとても小さな存在なのでしょう。想像力を働かせ、空を抜け、地球を飛び出し、宇宙から今立っている場所を俯瞰的に見つめてみると、力んでいた肩の力がふわっと抜けるような、そんな気持ちになります。

宇宙は広い。その宇宙も自分が立っている地面とつながっているんだよ、ということを思い出させてくれる一冊です。

鳥山百合子

 

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この道でいいんだといつまでも確信がもてない道を通るのは、本当に久しぶりのことだった。道の右側を見下ろすと川、左側にはすぐ山が迫り、Uターンができない一本の山道。舗装されていない道はとにかくデコボコしていて、進むたびに車の底がガリガリ!とひどい音をたてる。水の溜まった轍に何度も突っ込み、右に左にぐらんぐらんと揺れる。

本当にたどり着けるのか…。
でも、とにかく行くしかない。
今日行きますね、と約束したのだから。

 

ガリガリいう音にいつのまにか慣れたころ、ふと思い出した。
「電線をたどって来たらいいきね」
確かそう言っていた。

運転席から見上げると、うっそうと立ち並ぶ杉林にまぎれるように一本の電柱が立ち、少し離れたところにまた一本立っていた。その間には一本の電線が通っている。

これだ!
この道でいいのかもしれない。

 

それから10分くらいたっただろうか。
遠くにそれらしき屋根が見えた時「あった!」と思わず声が出た。それまで薄暗い山の間の道を通って来たせいか、太陽に照らされてオレンジ色に光っているその屋根が眩しかった。
小さな橋を渡って、ここからは歩いて家に向かおうと車をとめた場所はじめじめとぬかるんでいる。イノシシが掘り荒らした跡があちらこちらにあって、つまずきながら歩く。吐く息は白くひんやりとしていて、深呼吸したくなるような澄んだ空気がそこにあった。

賀恒さんは、毎日この道のりを通っているのか…。
ひれ伏すような気持ちになりながら、屋根が見えた方へ向かって歩いた。

細い坂道を登っていくと、急に視界が拓けた。

ぐるりととり囲むように右も左も広大な斜面が続き、どこも綺麗に草が刈られている。立っている場所から360度見渡せるこの空間に、まるで空からスポットライトが当たっているかのよう。

あれはきっとゼンマイ畑なのだと思う。斜面の真ん中に小さなハゼが立ててあって、ほぼ乾きつつある小豆が干してある。畑には芽を出し、大きくなり始めた黄緑色の白菜や小さなチンゲンサイの苗が植えられていて、寒さや雨に負けないよう根元には藁がしいてある。

確かにここで暮らしている人がいる。

正面にある母家からラジオの音がする。そのラジオの音に私の足音が重なり、今までここにあっただろう静けさが急に人の気配を帯びたものに変わったのだと思う。台所で座っていた賀恒さんがもうこちらを向いていた。

賀恒さんは、いつものように笑顔で迎えてくれた。

ここは賀恒さんの芥川の家。

高峯神社の守り人 その2」に続く」

 

筒井賀恒 (東石原)

 

*賀恒さんに教えてもらった「高峯神社への道しるべ」についての記事です。

高峯神社への道 その1

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私の一冊

西野内小代

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「自分は自分 人は人」 和田秀樹 新講社

 

このタイトルを見た時、他人と協調することなく自分独自の世界で生きよう…、というやや後ろ向きの内容かな?と推理しながら購入しました。

しかし、全く逆でした。

争う事なく、慌てる事なく、協調して生活するうえでの注意点が満載です。

自分のペースを守る事によって、どのような突発的な事柄に遭遇しようとも動じないための準備を整えておく事ができる。

余裕を持つためには無理に人と歩調を合わせるのではなく、何事においても自分なりの早めのスタートが賢明である事。

攻撃的な反論等に対しては、十分な知識があれば軽く受け流す事も可能。

無駄な争いは避けられます。

その知識の源はやはり読書によって培われると述べられています。

西野内小代

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これは高峯神社の守り人、筒井賀恒さんと一緒に、高峯神社への道しるべを辿った記録です。
今日は地図上の「6」の場所にある石碑についてのお話です。

(「高峯神社への道 その5」はこちら

道をさらに進み、6つ目の道しるべへと向かう。

午前中の早い時間のこの道は、立ち並ぶ杉の間からこぼれてくる光に満ちていて、いつも本当に美しいと思う。

 

 

道の途中、いつも車をとめて深呼吸する場所がある。昔の人も同じだったんじゃないかなと思うと何だか楽しく、この地で暮らしを重ねてきた人たちの気配を感じる。

 

左手にコンクリートの壁が見えて来たらこれが目印。6つ目の道しるべは倒れるようになりながら、なんとかここに建っている。

石碑の横にある細い道があって、これが昔の道なのだと賀恒さんは教えてくれた。

2つ目の石碑がある石原から山を越えて、道はずっとここへ来ちゅう」

 

 

「従是 三宝山 十丁」

 

「これより 三宝山へ 十丁 相川谷中」

「さっきより近うなったぜ。十丁は600間(けん)。自分らは小学生の時、尺貫法を習ってるのよ」

高峯神社まであと1キロちょっと、というところだろうか。

 

 

 

この石碑の向かいには、下からあがって来る山道がある。この道を「尾根伝いに降りていったら西石原のしもへ着く」のだそうだ。

「道路ができて、道路しか通らんけんどね。昔の道がちゃんとあったんですね」と賀恒さん。

昔の人は、よくこの道のりを歩いたなあと思う。ひとつひとつの石碑をたどりながら自分に言い聞かせるように、あともう少し、もう少し、と遠い遠い高峯神社までの道を歩いていたのだろう。

 

 

 

(「高峯神社への道 その7」へと続く)

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私の一冊

石川拓也

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「FACTFULNESS」 ハンス・ロスリング著 日経BP社

これは誰にでもオススメの非常におもしろい本。久しぶりに貪るように読書しました。

著者のハンス・ロスリングはスウェーデンの医師であり公衆衛生学者です。

彼は世界の人々の「事実に対する根拠のない誤解」と戦うことに人生の多くの時間を費やしました。

ロスリング氏曰く、データを丁寧に見ていくことで、世界について事実ではないことが当たり前のように信じられている状況がわかる、とのこと。

そのためにロスリング氏はありとあらゆるところで世界についての質問を人々に投げかけていきます。例えば以下のようなもの。

◯質問 世界の1歳児で、なんらかの予防接種を受けている子供はどのくらいいる?
・A 20%
・B 50%
・C 80%

◯質問 いくらかでも電気が使える人は、世界にどのくらいいる?
・A 20%
・B 50%
・C 80%

答えはここでは書きませんが、ぜひ本書を開いてほしいと思います。ロスリング氏が投げかけるこういった質問に対する正解率は、回答者の学歴や職業に限らず、チンパンジーが回答するよりも低いのだ、と彼は言います。

つまり、世界について正しい知識を持っている人はとても少ない、ということ。

その傾向と原因、そして正しく世界を見る方法を、丁寧かつシンプルに詳述したのがこの本です。

月並みな言葉になりますが、目からウロコが落ちました。

今回の私のこの紹介で、どれほどこの本の魅力が伝わるか甚だ自信はないのですが、ぜひ読んでみてください、と言える一冊です。

 

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くだらな土佐弁辞典

かく

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かく

【動詞】 持つ

▼使用例:

「ちょっと、机かいて!」

(ちょっと、机持って!)

 

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私の一冊

藤田純子

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「どうぞのいす」 香山美子 作, 柿本幸造 絵 ひさかたチャイルド

小さないすを作って野原に置き「どうぞのいす」と書いたうさぎさん。

幸せそうにパンをほおばるリスたちや、手も口のまわりもべとべとにさせてはちみつを食べるきつねさん、など、登場する動物たちの表情の何と愛らしいこと。

そしてみんなのやさしい心がけがまわりまわってほっこり。

大人たちが忙しさにかまけて忘れがちな、他人を思いやる気持ちを呼びさましてくれる気がします。

藤田純子

 

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土佐町ポストカードプロジェクト

2019 Mar.

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土佐町小中学校

 

田井の自宅と、職場である土佐町役場の間に、土佐町小中学校がある。

この季節、車で通ると国道に面した一角に桜が花を咲かせ、春の到来を教えてくれる。

山間のこの町では、特に朝晩はまだまだ肌寒い日が続いているけれど、しつこい冬ももうすぐ終わるという実感にホッとする。寒いのツライですよね。

始業式までは春休みだから、朝から野球部がグラウンドで練習中。桜に近いところではまだまだ体の小さい子が球拾い。一年生かな?

4月になり後輩ができたら、今度は彼がグラウンドの中央に行くんだろう。後輩から先輩になる、そんな境目の一日。

 

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「いもさいばん」 きむらゆういち文, たじまゆきひこ絵 講談社

約3年前に出版されたこの本は、高知県香美市の小松さんという女性の詩を元に作られました。高知新聞に掲載されたその記事を見て、高知市にある星ヶ丘アートビレッジで開かれていた「いもさいばん」の展覧会へ行って買い求めた本です。

丹精込めて育てたいもを誰かが盗んだと、おじいさんは罠を仕掛けたり見張ったり。ある日、うりぼうがいもをせっせと運んでいるのを発見。

「わしの畑のいもじゃ!」と言うじいさんに

「わしの畑?そんなこと誰が決めたの?」
「この地面も山も川も空も、人間だけのもんじゃねえ。」

「雨降って太陽浴びて育ったはずや。雨や太陽も人間が作ったって言うのけ?」「人間が畑なんか作ってひとりじめするのが間違ってる」と動物たちも負けてはいません。

でも、たぬきが叫びます。

「でも、僕は、このじいさんがすごく頑張ってたのをずっと見てた。畑を耕したり、水をやったり。だからこんなに立派なおいもができたんじゃないか」

さて、どろぼうは人間か、動物か?

うーーーん、とみんな考え込む。

それでお話は終わり。

土佐町小学校でのお話ボランティアでこの本を読んだことがあります。どの学年の子どもたちも、うーーーん、という顔になるのが面白い。

私もその答え、まだわかりません。

鳥山百合子

 

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土佐町のものさし

【番外編】ブータン・GNHレポート No.3

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 土佐町の新しい指針を作る過程を追う「土佐町のものさし」、今回は【番外編】として、GNHの産みの親であるブータンのGNHの現状を、とさちょうものがたり編集長である石川がレポートします。

 

3.  インスティチュート・オブ・ウェルビーイング Institute of wellbeing

 

 良くあること学院

 

ウェルビーイング(wellbeing)という語は、日本語でぴったりな言葉を見つけるのがなかなか難しいのですが、「良くあること」「健康で安心な状態」を指します。

なので「福祉」や「幸福」と訳す場合もあるようです。

ここではあえて強引に「良くあること学院」とでも訳しましょうか。「いや、それムリ‥」というブータンからの声が聞こえてきそうです。やっぱりそのまま「インスティテュート・オブ・ウェルビーイング」でいきましょう。

 

 

 ミッション

インスティテュート・オブ・ウェルビーイングは、ブータンの首都ティンプーから車で40分ほどの、山間地帯にあります。

周囲は瓜二つと言えるほど土佐町の自然にそっくり。ブータンをもう少し水っぽくして苔っぽくしたら土佐町の風景になりそうです。

土佐町の風景に似ていませんか?

インスティテュート・オブ・ウェルビーイングは、ブータンの国策であるGNH(国民総幸福度)の思想に則って、青少年の育成に努めている機関です。

さらに具体的に言えば、薬物やアルコール依存に陥った青少年を更生させることがミッションの大きな部分を占めています。

そのため、ここに一定期間居住できる居住棟があり、私たちが訪問した日にも数十人の若者が共同生活を送っていました。この日はちょうど家族デーに当たり、遠方の家族がここに住む方々を訪れていた1日でした。

 

奥の建物が居住棟

 

 

 ダショー・ペマ・ティンレイ

 

ここの学院長は、写真にも写っているダショー・ペマ・ティンレイ氏。

「ダショー」というのはブータンにおける尊称で、国王から授与されるものです。「最高に優れた人」を意味します。なのでファースト・ネームではありません。イギリスでいうところの「ナイト」みたいなものでしょうか。

ペマ・ティンレイ氏はブータンの最高学府であるブータン王立大学の学長を務めていた人物で、退官したのち請われてインスティテュート・オブ・ウェルビーイングの学院長をされています。

ダショー・ペマ・ティンレイ氏

ちなみにティンレイ氏が着ているこの着物に似た民族衣装、男性は「ゴ」女性は「キラ」と呼ばれ、ブータンでは日常の普段着として町でもよく見かけます。

正確に言えば、よく見かけますというレベルではなく、ほぼ皆さん民族衣装を着て町を歩いてます。特にブータンの公務員は、就業中の民族衣装の着用を義務付けられているということです。

 

話を戻します。

インスティチュート・オブ・ウェルビーイングのミーティングルームで、ダショー・ペマ・ティンレイ氏にGNHについてお話を伺いました。

左:ダショー・ペマ・ティンレイ氏 右:京大東南アジア地域研究研究所・安藤和雄氏

 

 人間を理解する

以下はダショー・ペマ・ティンレイ氏のお話から。

GNH(国民総幸福度)の本質とは、言い換えれば「人間を理解する」ことです。

自己を見つめ、人間を理解し、より良い人間になること。より良い人間になろうとすること。それがより良い家族を作ることにつながります。そしてそれがより強いコミュニティーを作ることになり、それは国の繁栄と平和で安定した国際社会を作ることになるのです。

その全ての始まりは、一個人が、自分自身に対してリーダーシップを持つことから始まると考えます。

ブータンは仏教国だからGNHが可能なんだという指摘がありますが、それは誤りです。

実際にはどんな宗教であれ、宗教に関連がなかろうが、人間が生きていく上で「人間を理解する」ことは大変重要なことなのです。

 

先ほども書いたように、インスティテュート・オブ・ウェルビーイングの大きなミッションは、薬物やアルコール依存を患う若者たちの更正にあります。

現在ブータンでは、主に外国から入ってくる薬物に依存する若者の数が急増し、社会問題となっています。

インスティテュート・オブ・ウェルビーイングは、そういった問題を抱えた若者たちを一定期間ここで共同生活させ、運動や畑仕事を含む規則正しい生活を送ることによって薬物依存を断ち切り、再び社会に戻すことを活動の目的としています。

仏教国のブータンらしいのは、そこに「自己を見つめなおすため」の瞑想の時間があること。

これはGNHの目的とも深く関連することだと思うのですが、「自己を見つめなおす」「人間(=自己)を理解する」ということは、個人レベルから世界規模の視点まで含めた全ての基本である、というのがGNH・ブータン政府・仏教などに共通した姿勢であるでしょう。

そこに「仏教」はブータンの場合、とても大きな要素として機能しているのですが、この【「自己を見つめなおす」ということが全ての基本である】という考えは、仏教に限った話では決してないことですし、さらに言えばティンレイ氏の言葉にもあるように宗教に限ったことでもないと思います。

ブータンと違い、政教分離の原則のある日本では、施策の根本に宗教的な考え方を置くことはありません。

なので一つの具体的な施策が、「人間を理解する」という深い階層からスタートすることは、実はあまりないんじゃないかというのが、日本に育ち生きてきた個人として思うところです。

ただやはり、大小問わず全ての自治体や政府の目的には「人間のため」という根本があるはずで、だとすれば「人間を理解する」ということはそのスタート地点で実は必須なことなのではないでしょうか。

 

僕自身、個人的にも「人間を理解しているか」と問われれば、そんなに立派な答えを返せる自信があるわけでもないのですが、それでも可能な限り根本的なところから自己や自分の人生や仕事を問い続ける、ということはやっていきたいと考えています。

 

パロで出会った少年僧

 

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