ロープで括られた前肢と鼻先が既に見えていた。
「ヨイショ!ヨーイショー!」
掛け声とともに、子は母牛の体内から引っ張り出された。
「はい、できたー!!」
どさっという音とともに藁が散らばった地面に落ちた子牛は、うっすらと目を開けていた。褐色の身体はびしょびしょに濡れ、下半身には白い羊膜が張り付いている。子牛は横たえたままぐったりとしていて、息をしているのかしていないのか、わからない。
畜産農家・上田義和さんは、子牛の鼻にかかった羊膜を取り除き、鼻孔にぐりぐりと手を入れた。呼吸を確保するためだ。子牛は虚ろな目をしている。上田さんが頭と体をゴシゴシふいてやると、子牛は頭を持ち上げ始めた。
「できた、できた!」(土佐町では生きものが産まれたことを「できた」という)
「もう大丈夫じゃ」
安堵した空気が広がった。
産まれた子牛の前肢の先は、きれいな黄色だった。
土佐あかうしの日本一の生産地、土佐町
土佐町は、土佐あかうしの日本一の生産地。土佐あかうしは土佐褐毛牛ともいわれ、高知県の山間部を中心に飼育されている褐色の毛色をした牛のことである。年間300~400頭しか出荷されていない貴重な品種で、赤身が美味しくあっさりした肉質で年々人気が高まっている。
土佐町にはかつて100軒ほどの畜産農家があったが、現在約30軒ほどに減少。各農家は日々、丹精込めて土佐あかうしを生産し続けている。
上田さんは、土佐あかうしの繁殖農家だ。繁殖農家は母牛を飼育し、交配させて子牛を産ませ、それを販売する農家のこと。現在、上田さんは14頭ほどの母牛を飼育している。
また、その子牛を購入して1~2年かけて飼育し、肉牛として出荷する農家は肥育農家と呼ばれる。
9ヶ月と10日
牛の妊娠期間は9ヶ月と10日といわれている。上田さんの牛舎には、人工授精した日から数えて9ヶ月と10日後の日付が黒板に書かれ、出産予定日がいつなのかすぐに分かるようになっている。
今回出産した母牛の名は、「153さち」。牛は、その牛の系統で名付けられることが多い。今回、子を産んだ母牛は、さちという系統の153頭目の牛だ。
産後、母牛と子牛は常に共に過ごし、子牛は母乳を飲んで育つ。子牛が生後2ヶ月半になると、母乳は朝晩だけになり、部屋が分けられて乳離れの準備が始まる。生後3ヶ月半頃、完全に母乳から離された子牛は、親と同じ餌を食べ始めるという。上田さんは、藁とカヤ(ススキ)、畔の草など、野生の草を与える。後からソルゴと呼ばれる高きびを加えるそうだ。餌は農家によって異なる。
母牛は、産後40~60日で再び発情を迎え、「種付け」と呼ばれる人工授精が行われる。母牛は、子を産むためにここにいる。
生きものとの日常
話は出産に戻る。
「153さち」は子牛を産み落とすと、すぐに立ち上がった。お尻からは鮮血の混じった羊膜がだらりとぶら下がっている。
母牛は子牛の全身をベロベロと舐め始めた。そうやって「ねぶって」、体を乾かすのだそうだ。母牛が子牛のお尻をねぶると、子牛が腰を浮かして立とうとするが、ぶるっと震えてひっくり返る。そしてまた、母牛はねぶり続ける。
子牛は、くの字に曲がった足を懸命に伸ばそうと繰り返していたが上手くいかない。しばらくすると疲れたのか、地面から上半身だけを起こしたまま、立とうとするのを止めてしまった。
上田さんは「仕事行くけ」と仕事に出かけていった。
上田さんにとって、土佐あかうしの出産は特別なことではなく日常なのだ。
無事に産まれる牛ばかりではない。今まで死産した牛もいるという。母牛が真夜中に産気付き、上田さんは子牛を引っ張り出そうとしたがうまくいかなかった。応援を頼もうにも真夜中では頼みにくい。早朝、知人が到着した時には、もう手遅れだったという。
「生きものじゃけ、うまくいかんこともある。大変よ」
上田さんはそう言っていた。
この日産まれた子牛は、夕方、立ち上がった。
肉になる
産まれた子牛は、およそ8ヶ月後、土佐町で開かれる牛の市(嶺北畜産市場)に出される。土佐あかうしを売買できる市はここだけなので、牛の市には県内外から多くの畜産農家が訪れる。
子牛は肥育農家の元で1~2年飼育され、肉になる。
子牛がメスの場合、繁殖農家に買われて子を産む牛として育てられる場合もあるそうだが、今回産まれた子牛はオス。オスは肉になる。
値段はその時々で変わるが、約40万〜60万円で売買されることが多い。
牛舎のそばに上田さんが半日がかりで刈った草が干されていた。柵30メートルほどに渡って隙間なく立てかけられていたが、この量で3日分。暑い夏に大量の草を刈り、この作業を日々継続するだけでも大変な労力がかかる。牛を育てるための餌代は、1頭当たり約40万円、他にも手入れや世話が必要になってくる。
「餌代が高いけ、なかなか大変よ。日に換算したら、仕事があればお弁当を下げて仕事に行く方がマシよ」
上田さんは畜産の他に、農業や土木の仕事をして生計を立てている。
「牛を市に出すのは、どうってことない。売らないと餌代もいるし、かわいそうだと思ってたらやれん」
かわいいだけじゃ済まない話だ。
10日ほど経ってから、もう一度子牛を見せてもらった。子牛はスクっと立ち上がり、元気よく母牛の乳房に吸い付いていた。この子牛が8ヶ月後、市に出される。
この子牛が育つ間にも、出産を控えた他の母牛が新たな子を産む。上田さんは産まれた牛を育て、市に出す。命の営み、育てる人の営みが繰り返されていく。
上田さんは70代。「同じ繁殖農家の友人が母牛を手放した。もうやめると。これでまた一軒、農家が減る。土佐町には若い世代の農家もいるが自分も70代、どこまで続けられるか…」
汗をかき、葛藤しながら、町の産業を支える人たちがここにいる。
上田義和 (中尾)