2023年4月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

西野内小代

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「百人一首 百人の物語」 辻井咲子 水曜社

一首には一つの解釈があるのみとずっと思っていた。違う感じ方をしてもそれは私が間違っているのであって、正解を覚えなくては…と長年思っていた。

時々こんな作品がどうして長く世に残っているのかと不思議に思うこともある。この本に出会い、長い年月を経る過程において、解釈は変化していく場合もあることを理解した。

それならば、自己流に解釈してもいいのではないか、と気軽に接することができるようになった。

百人一首の選者である藤原定家は、政治的な思惑や世間の評判を気にして選んだ可能性も考えられるそうだ。表現や解釈は自由と感じることにより、固まっていた思考がほぐされていく思いがする。

この本は、それぞれの作者とその歌を詠んだ時の状況も含め、その歌の背景を簡明に解説してくれる。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「字はうつくしい」 井原奈津子 福音館書店

先日、土佐町小中学校で英語を教えているエヴァンさんと話す機会がありました。

「昨日の夜、部屋にこれが出たんだよ!」エヴァンさんが見せてくれたのはムカデの写真!

どうやって捕まえたらいいのか聞かれたので「火挟で挟んで、油を入れた瓶に突っ込む」と伝え、さらにムカデが出なくなるおまじないも教えました。

紙に「茶」という漢字を書き、上下逆さまにして壁に貼るという非科学的なおまじないです。(調べてみると「ムカデはお茶が嫌いで、「茶」の文字を逆さにして貼っておくとお茶がこぼれるから、そこにはムカデが入ってこない」という説があるそう)

「 Amazing!」とエヴァンさん。英語圏で生まれ育ったエヴァンさんにとって漢字はとても興味深く、面白く、美しいものとして見えるようです。そして「書き順や何通りもある読み方が難しいんだ」とも。

この本には手で書いた色々な種類の文字が出てきます。漢字、ひらがな、カタカナ…。同じ文字でも書いた人によって文字の佇まいが違います。文字を通してその人の人柄まで伝わってくるような。懐かしい人や大切な人に手紙を書きたくなってきます。

エヴァンさんも筆を持ち「茶」と書きました。実に味わい深い文字。きっと、もう二度とムカデは出なくなるはずです。

2つ並んだ「茶」の文字。アメリカで生まれ育ったエヴァンさんとここ土佐町で出会えた不思議とご縁を感じました。

 

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読んでほしい

春の音

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春、桜開く頃のこと。水路に水が流れる音が聞こえ始める。傍らの田んぼからカエルの鳴き声。遠くには鶯の鳴き方が。耳元では春風が通り過ぎていく。

これから田んぼの準備やぜんまいわらびイタドリなど山菜の収穫も。「せわしい、せわしい」という町の人たちの声が聞こえてきそうだ。

山の麓に咲く桜の花びらが流れていく。一枚、また一枚。

季節はめぐる。

 

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私の一冊

山門由佳

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「作家の猫」 平凡社

のっぴきならない事情で、居候していた猫を手放しました。その猫とは忘れもしない不思議な出逢いかたでした。

息子がクリスマスプレゼントに「猫がほしい」と話した30分後に、家の駐車場にその猫は現れました。息子もそれには驚き、サンタさんってほんまにおるんやなぁ!と大喜び。それから、その猫との暮らしがはじまりました。

その昔、実家で飼っていた猫達に何度となく痛い目に合わされた経験があり、猫を飼うことに対して正直あまり気が進みませんでした。突然現れたその猫に対しても【飼う】というより【居候している】といった一定の心の距離を保ちつつ暮らしていました。

先日。その猫を新しい飼い主に引き渡すとき、息子は当然渡したがらず必死の抵抗をしましたが、私はわりとあっさりとした気持ちで見送れました。それから10日ほど経ち、新天地で暮らすその猫の様子を見にいく機会があり、のびのびとした環境で幸せそうに暮らすその猫を抱いたとたん、えも言われぬ寂しさに襲われたのです。猫の新たな幸せを確認したと同時にもう本当にここへ戻ってこないこと、もう気軽に抱いたり、撫でたりできないということに遅ればせながら気づいてしまったのです。

そこからずーっと車内で猫の話をしつづけ、ケータイのカメラロールに写った猫の写真を見返しまくり、仕舞いにはすこしリアルなつくりで重みのある猫のぬいぐるみまでポチッていました。。。 ‥わたし、こんなに猫好きやったん。。。?

『猫には不思議な魅力がある。』 よく言われるその言葉どおり魔力にかかった人たちをたくさん見てきて、なにより自分の父は取り憑かれたかのように猫に執着し、今まで自分はその呪いにかからず済んでいたのに、猫を失って強烈に自分にもその言葉の意味を知る日が来てしまうとは、、、 その猫は天井裏を走っていたねずみを一掃し、子どもたちの遊び相手、孤独を慰め、息子が一人で留守番、トイレにいけるようになったのもその猫のおかげです。短い時間にたくさんのものをわれわれに与えてくれました。心より感謝です。

そしてまた大の苦手なねずみが現れないかとビクビクする私に戻り、家のそこかしこに確かに存在した痕跡と残像、在宅時間が長かった者どうしの二人だけの思い出に浸りながらいつかまた猫と暮らせる日を夢見て、ひざにポチった猫のぬいぐるみを乗せてページをめくるのです。

ありがとう、どんち。 さよなら、どんち。

 

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シコクバイカオウレンは2004年にバイカオウレンの変種(※へんしゅ)として発表されています。その際には四国に分布するものをすべて本種としていたようですが、その後四国山地の標高1000m以上の主に針葉樹林の林下に生えるもののみが本種であることが明らかにされました。

バイカオウレンとシコクバイカオウレンは花弁と花柱に微妙な形の違いがあるのですが、見分けが難しく私などではよく分かりません。

高知県にとっては期待感も格別な連続テレビ小説「らんまん」が、この4月からいよいよスタートしました。

第1週のサブタイトルは「バイカオウレン(梅花黄連)」

牧野富太郎博士がこよなく愛した花の一つであり、生家の裏山に咲いていたことから「博士の原風景」といわれています。

特徴のある葉っぱは牧野植物園のロゴマークにもなっています。

 

今回紹介するのは、標高1000m付近の山地に自生しているシコクバイカオウレンです。

「高知県レッドデータブック2022」では絶滅危惧種に指定されています。

高さ5~10㎝の花茎の先に1~1.5㎝径ほどの清楚な雰囲気の白い花を咲かせていましたが、個体数はそう多くありません。生息範囲もあまり広くはなさそうで、正に絶滅危惧種といった感じの生育状況でした。

それに引き替え牧野博士の故郷(佐川町)に咲くバイカオウレンの自生地には数十万株が群生するそうです。ここでは1~2月頃に咲き始め3月上旬には満開の時期を迎えるそうで、山の中に咲くシコクバイカオウレンより一ヶ月ほど早い花の展開になっています。

バイカオウレンは日本固有種。本州の福島県以南と四国に分布するそうです。

因みに花の形が梅に似ていることから梅花(バイカ)という名前がついたそうです。

 

※変種(へんしゅ):植物分類における階級の一つ。基本的には同類であるが、どこかがわずかに違っているようなもの。

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私の一冊

鳥山百合子

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「木はいいなあ」 ジャニス=メイ=ユードリイ著, マーク=シーモント絵,さいおんじさちこ訳 偕成社

「木はいいなあ」。木がそばにあるとどんなにいいか、この絵本は教えてくれます。

葉はそよ風の中で口笛を吹くし、枝にのぼると遠くの方が見える。りんごの木だったら、木にのぼってりんごを取るし、ブランコだってつけられる。こかげを作ってくれて、お弁当も食べられるし、家を守ってくれる。

山に囲まれた土佐町ではさまざまな木が見られます。杉やヒノキ(春は花粉でなかなか大変笑)桜や欅、コナラや桃やネムノキ…。花を咲かせ、山に色を加え、めぐる季節を教えてくれます。

あちこちに気持ちの良い散歩コースもあるし、少し標高の高いところに行って木々の間を歩いて深呼吸、これも最高です。頭のてっぺんからつま先まで、澄んだ空気が通り抜けていきます。

「木はいいなあ」。心から同感です。

 

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95年間のキヨ婆さんの思い出

95年間のキヨ婆さんの思い出 23

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

昔々お世話になりました。

高知市昭和町での生活が始まり、兄がいる間は弟のことは何も心配は無く学校に行けたのですが、まだ5才の弟のこと、両親は働きに行って誰もいない家に一人置くことも出来ませんでした。結局学校に連れて行くことになり、授業中は運動場の鉄棒の下の砂場で遊んでくれて、勉強が出来たのでした。

雨の日は廊下とか、教室の隅とかで遊んだり眠ったり、何とか勉強の邪魔にはならず、午前中の授業を済ませて帰れたのでしたが、たった一度迷惑を掛けた事がありました。

いつもの様に外で遊ばせていた時、教室へ子供の泣き声が聞こえて来て、あれは弟の声だと思っていると、給食のおばさんが廊下で手招きをしたのです。

出て行くと「弟さんがウンチをしたらしい」と小声で云ってくれました。行って見るとズボンもパンツも脱がずにウンチをして泣いていたのです。

「帰って着替えを取って来なさい、見ていてあげるから」と言ってくれて、「さあたいへん」。全速力で帰って着替えを持って行って、おばさんのお陰で着替えが出来たのです。こんな失敗一人だったらどうしたかと思うと、今だに忘れられません。

子供ながらに優しい人の気持ちが伝わって、95才になっても忘れらません。給食のおばさん、本当に有難うございました。

 

 

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笹のいえ

ミツバチ時間 小満

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続き

 

ミツバチたちの住処となっている巣箱には、いろいろな形状があるが、僕は重箱式と呼ばれるタイプにした。中の巣が大きくなるにつれて、重箱を追加していく。採蜜時には蜂へのストレスが少ないとも言われる。

図にすると、こんな感じ↓

 

/屋根\

―スノコ―

|重箱|

|重箱|

|巣門|

―床板―

[土台]

 

蜂が出入りするところが巣門。その下にある床板は引き出して外せるようになっていて、掃除がしやすい構造になっている。土台にはコンクリート升を使用。

巣箱の設置に際して、どこに据えるかが大切だ。朝日が当たりやすく、西日どきには日影になる場所。夏暑すぎず、冬寒すぎない。ミツバチたちにとってちょうどよい塩梅というのはどこだろう。群れを分けてくれた方は「ミツバチの気持ちになってみる」とおっしゃっていた。彼らの立場になって、少しでも暮らしやすいようにと工夫を試みる。床板のゴミを払ったり、周囲の草を刈ってみたり。ふと、僕がミツバチを飼っているのか、ミツバチが僕を働かせているのか分からなくなってくる。

蜂と言葉が交わせたら良いのにな、と子どもみたいに考える場面もしばしばだ。

 

まだ続く

 

写真:巣門の前に落ちていた花粉団子。ミツバチたちはお団子状の花粉を両後ろ足に付けて巣に持ち帰ることがあるが、なにかの拍子で落ちてしまったものだろう。よく見ると、団子によって微妙に色が異なる。訪れた花の種類が違うのだと思う。このお団子を奥さんがひょいと口に放り込んで、「全然味が無い!」って驚いてた。それを隣で見てた僕は、彼女の食いしん坊ぶりに驚いた。

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私の一冊

山門由佳

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「ニッポン 最高の手しごと」 テリー・エリス✕北村恵子  光文社

 土佐町で織物を織っている友人、上土井恵子ちゃんの作品を見せていただく機会がありました。

今まで織物を織っている友人に出会うのは初めて。タテ糸とヨコ糸を「経糸、緯糸」と表すことも初耳というくらい織物初心者の私にとって、彼女の織物の説明を聞き、交じり合う織り目の面白さにすっかり魅了されました。そこで私が発見したのは、織物の裏側にその作者の「素」の姿を感じられることでした。

実は煎餅も裏側に、いろんな情報が表れます。手焼きなのか、機械焼きなのか。職人がどのようにタネ(生地)を乗せたか、まで…。 表向きのよそゆきの顔から、裏側の「すっぴん」をみせてもらうことで、より一層その作品を身近に感じられます。

手織りならではの不均一な織り目と草木で染めた優しい色合い、紡ぎ糸ならでの太いところと細いところのある、決して機械にはだせないそのリズムに温かみと人間味を感じて愛おしくなります。それは人間の手でつくりだされた民藝や工芸のすべてにいえることだと思いますが、その歪さ(いびつさ)こそ人間そのものの姿であり、そこに心が宿り、美しさを感じます。

著者のテリー・エリスさんと北村恵子さんのお二人が日本各地のものづくり作家の工房を訪ねてゆく著書。作品の裏側にある物語を聞き、時代やその土地の文化やバックグラウンドを調べ、それが生み出される現場に足を運ぶことで、強い「存在感」を放つ本物を見分けるお二人のものを見る目、美しさのものさしには感銘を受けます。

 

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土佐町歴史再発見

③ 生活用具としての火縄銃

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② 天下泰平の世の火縄銃」の続き

 国境警備の番所に置かれたものの他、野中兼山が平時には直属の鉄砲足軽を山林伐採に当たらせていた記録があるから、そのことと関係があるのかもしれないが、それを差し引いても多すぎる。

 一つ考えられるのは、山に暮らす人々にとって、火縄銃を手離したくない切実な事情があったのではないかということだ。戦さはなくなっても、貴重な作物を喰い荒らし、時には村人を襲う害獣との戦いである。

 村々では、害獣駆除用の火縄銃を必要としていた。戦さ経験のある者が回りの村人たちに使用法を教え、本来武器であったはずの火縄銃を生活用具に転用していったのだ。こうした山に住む人々のしたたかさ、逞しさの前に、藩も火縄銃の所有を認めざるを得なかったのではないかと思う。(庄屋や藩の下役に銃と火薬、弾丸を別々に管理させるなどの厳しい取り決めはあっただろうが

 ところで、火縄銃は、故障して使えなくなると、銃身や機関部だけが外され、新しい部品と交換したうえで使用された。それを支えたのは、領内各地にいた鉄砲鍛冶である。戸時代の土佐には、中村・久礼・窪川・須崎・佐川・本山・片地・佐古・韮生・山北・白川・北川など、各地に火縄銃を造る職人がいた。そして、森郷にも「土州森住義頭」と銘を刻む鉄砲鍛冶がいた。彼の工房には、普段は野鍛冶をする下請け職人もいたはずだ。現在資料館にある古式銃を改造したのは、こうした職人末裔ではないだろうか。

 火縄銃は、命中精度が高かったものの、雨天時にはまるで使えないという致命的な欠陥があった。しかし、幕末に欧米から洋式銃が輸入されると、その先進的な構造に刺激を受け全国各地の鉄砲鍛冶により、火縄式から管打ち式への改造が試みられた。資料館にあるのは、まさにこの時期に改造された銃だったのである。

 銃の改造箇所をよく見ると、火縄ばさみを撃鉄に付け替え、火皿を金属で埋め、雷管を付ける細工がなされている。雨天時でも点火がスムーズに行なえるよう、ち主のために銃の性能高められているのだ。

 金次第で欧米式のライフル銃が買える時代になっても、式銃を使い続けた事実は、「モノ」や「道具」に対するこの地の人々の向き合い方を示しているような気がしてならない。 たとえ記録には無くても、先人たちの知恵と工夫がたくさんつまった「モノ」が目の前にある。「モノ」から地域の歴史を見ることの醍醐味を、ここの資料館は教えてくれる。

 民具資料館は、本当におもしろい

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