先日お伝えした「かじ蒸し」の現場での一枚。
中央に鎮座するのが楮を蒸すための「甑(こしき)」。内部では楮の束が、このときも蒸され中です。
こうして蒸している間に、すでに蒸し終わった楮を皮剥します。和紙になるのはこの皮の方で、黄色の芯の部分は燃えやすいので焚付けなどに使われます。
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土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)
注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。
“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。
念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。
土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。 (敬称略・撮れたときに不定期更新)
「死んだかいぞく」 下田昌克 ポプラ社
とさちょうものがたりがスタート時からとてもお世話になっている絵描きの下田昌克さん。
とさちょうものがたりzineも、どんぐりやファーストなど障がい者支援施設と協働で行なっているシルクスクリーン事業も、下田さんの力なしでは実現しなかったことでしょう。
その下田さんが、新しい絵本を作りました。
その名も「死んだかいぞく」。
絵本だけど「死」。絵本だけど表紙が真っ黒でガイコツ。最初のページから、かいぞくが刺されて死ぬところから話は始まります。
帯にもあるように、この本のテーマは「死ぬとは?」。
死生観とは?命とは?肉体とは?生きるってどういうこと?
本当に大事なことは簡単な言葉で語られる。誰かが言っていたそんなことを思い出しました。
深海の青がとにかく妖しくきれいです。
「つなみ」 ジョイデブ & モエナ・チットロコル 三輪舎
日本人にはなかなかない、この絵のセンスと色使い。発行は三輪舎という日本の出版社ですが、大元のオリジナルはタラブックスというインドの出版社が作ったもの。
タラブックスは、インドの少数部族の画家さんたちと共にこうした絵本を数多く生み出している出版社です。
この一冊に限らず、タラブックスの本の多くはシルクスクリーンで印刷されたもの。
とさちょうものがたり編集部にとっても、シルクスクリーンに携わる者として、タラブックスは憧れと尊敬の会社です。
ただ素晴らしい本を作っているというだけではなく、作る過程、ビジネスとして成立させる過程が素晴らしい。
絵を描く少数部族のアーティストに対する深い尊敬と愛情を感じますし、印刷を担当する職人さんたちをとても大切に考えていることも伝わります。
一言で言えば、「良い絵本を作ってビジネスにする」というのはタラブックスにとっては表面的な目的で、もっと深いところには「みんなをハッピーにする」という大きな目的があることなのでしょう。
そのブレなさ、かっこいいです。気になった方はぜひ調べてみてください。
「新しい時代のお金の教科書」 山口揚平 ちくまプリマー新書
「そして将来お金はなくなる?!」
本質的な意味で「お金とはなんなのか?」を探る本。個人的には非常に勉強になったし、とてもおもしろかった一冊です。
お金とはなんなのか?
この疑問は「仕事とはなんなのか?」「社会とはなんなのか?」はたまた「人間とはなんなのか?」といった根源的な問いと同質のものですよね。
特に近現代の人間は、お金のために自分の人生から大部分の時間を割いて仕事にあてていると言っても間違いではないと思います。
ではその人生を費やして得る「お金」とは一体なんなのか?
実はその答えを明確に持っている人は意外と少ないのではないでしょうか?
この本はその問いに正面から取り組み、そしてお金という存在が今後どのように変化していくのか予想しています。
詳しくは本書を読んでみてほしいのですが、ひとつ印象に残った部分を挙げるとすれば、2枚目の写真に撮った「物語とつながりが切れる」という一文。
資本主義の限界、もしくは問題として巷間多く取り上げられるのは「格差の拡大」ですが、筆者はそれよりも大きな問題なのは「物語の毀損」であると言います。
本来、モノとはその所有者との間に物語を有している。例えば「おばあちゃんが昔着ていた着物」などというモノは、その所有者である人(この場合はお孫さんかな?)の視点で見れば他とかけがえのない一点モノであるわけですが、資本主義というものはその所有者が持つ物語をザクザクと切り裂いて貨幣価値に換算していく。
「おばあちゃんの形見」という物語は毀損され、「この着物は○○円だから価値がある」とか逆に「○○円だから価値がない」といった価値判断がなされる。
人間にとって、そういった個人の物語というのはとても重要な位置を占めるはずなのに、資本主義はそれをまるでブルドーザーかのように貨幣価値というものさしで真っ平らにしていく。
これが資本主義の1番の問題である、ということを著者である山口揚平さんは述べていて、そしてそれを読んだ僕は心からの同意をしたのでした。
資本主義の限界が盛んに取り沙汰され、次代の世の中の仕組みを多くの人が模索している昨今、貨幣価値にやられちゃいそうになっている「人間の物語」を人間の手に再び取り戻す、そんな視点から未来の世の中を想像してみるというのもおもしろい。そう思います。
先日ご紹介した7人の職人さんにはベンチを40個製作していただいたのですが、その大元となるモデルをひとつ作ってもらったのが左端の川田康富さん。
そのモデルとして完成したひとつが、この写真でご家族が腰かけているベンチです。
2018年の夏あたりからこのベンチのプロジェクトはスタートし、康富さんがモデルを完成したのが2019年3月。
そして2019年12月に前述の7人の職人さんが40個を製作、2020年1月現在は町のあちこちに設置中という段階です。
そのベンチにご家族4人で座って撮影させていただきました。
そういえば数年前に、佳宗くんと真靖くんの兄弟には、ポストカードの撮影で稲叢山に一緒に行ってもらったこともありました。
土佐町の木工職人さん・大工さん・内装屋さんの7人に集まってもらって撮影した一枚です。
この7人のチームに、とさちょうものがたりからあるものの製作を依頼させてもらいました。
それが前列の4人が座っている木製のベンチ。これを40個作っていただきました。
嶺北産の木材(杉とヒノキ)を使い、土佐町の職人さんたちが作ったこのベンチは、これから土佐町のあちこち40箇所に設置されます。詳細はまた別の記事にてご報告しますが、木の温もりが伝わる土佐町ベンチ、町内で見つけたらぜひ座ってみてくださいね。
職人さんたちの紹介というよりかはベンチの話になってしまいましたが、そのベンチ40個を作ってくれたのがこの写真の7人です。
「ミニミニマップ 世界」 監修・野村正七 昭文社
以前、ミシュランの東アフリカ地図を紹介したことがありました。
今回の「世界」は、その当時の同じ旅に、日本出発時からずっと肌身離さず持っていたものです。
ポケットに入る大きさなので、途中で重く感じることもなく、僕と共に世界を周り、今では自宅の本棚に収まっています。
世界地図なので当然ですが、町歩きなどで役立つものではなく、世界の位置関係を大掴みに理解するためのもの。
例えばインド滞在中に、この後はパキスタン方面か東アフリカ方面どっちに行こうかな?なんて考えてる最中にパラパラとめくってみたり。
例えば西アフリカを南下中に、どこまで行ったら引き返そう?モーリタニア?セネガル?とか考えながら眺めていたり、そんな見方をしていました。*実際にはガンビアまで南下した後Uターンしてモロッコまで戻りました。
現実では身体で地球の大きさを実感しながら、頭でそれが世界全体のどの位置なのかを理解する、そのためにずっと僕のボロボロの服装のポケットの中に入って一緒に旅をした地図です。