とさちょうものがたり

くだらな土佐弁辞典

ほこる

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ほこる

【動詞】ほこりがたまっている

 

例:すごいほこっちゅうね。

意味:すごくほこりがたまっているね。

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4001プロジェクト

山中淳子 (田井)

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山中淳子さん、おん年84。昭和16年生まれ。

田井で生まれ育った淳子さんは、田井のことを最もよく知る方のひとり。

当時の田井の子供たちは田井小学校、田井中学校に通います。子どもが多い時代で、1クラスに35~40人ほどの人数がいたそうです。

その後は嶺北高校。田井のお家から自転車で通っていた、というところは現在の高校生と変わりませんね。

卒業後は女子専門学校で被服(縫製)を1年間勉強し、田井に今もある山吉屋でしばらく洋服を作る仕事をしていたそうです。

 

 

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14号ができました!

 

とさちょうものがたり ZINE14が完成しました。土佐町在住の方々には近日中に配布される予定です。

14号目は「土佐町の人々」(鳥山百合子)。

土佐町で暮らす5組の方々にお話を聞き、その暮らし方の一端を見せていただきました。

 

1, クロを積む

土佐町の田んぼのあちこちで見かける「クロ」。真夏に刈った草を積んでできている。

クロは昔から使われてきた肥料だが、時代の流れと共にクロを積む人は減っている。

長年、土佐町地蔵寺の田で、クロを積み続けてきた西村卓士さんと 田岡袈裟幸さん。

この場所の50年の変遷を知る、お二人の思いとは。

 

2, 南川のカジ蒸し

一年で最も寒い2月、土佐町の南川地区で行われているカジ蒸し。

木の甑(こしき)から立ち上る湯気のそばでカジの皮を剥ぐ風景は、土佐町の冬の風物詩。

北風が吹く中、カジを蒸し、カジの皮を剥ぐ。それが山の貴重な収入源だった。

担う人は高齢化、いつまで続けられるか分からない。南川のカジ蒸しの風景を、ここにちゃんと残しておきたい。

 

3, シシ肉をいただく

冬、猟犬と共に山に入り、見つけたイノシシの足跡を見極め、しとめたイノシシを自ら捌いて肉にする。山を駆け回っていたイノシシの肉は鮮やかな紅色で、瑞々しい。「命をいただく」とは?

土佐町栗木地区の猟師である近藤雅伸さんに、イノシシ猟について話を聞いた。

4, ハチミツを採る

ミツバチを飼い、ハチミツを採る。土佐町で昔から行われてきた営みだ。

土佐町上津川地区に住む高橋通世さん。お父さんもミツバチを飼っていたという。

ミツバチの声に耳を澄まし、必要なお世話をし、自然の営みを得る。

通世さんが教えてくれたミツバチの世界、自然との暮らしの意味とは。

 

5, お山のお母さん

標高500mの場所にある、土佐町溜井地区の和田農園。トマトを中心に野菜やお米を作っている。

訪ねれば食卓に並ぶ手作りの山の幸、旬のもの、山の恵みを活かし、作れるものは何でも作るお山のお母さん、和田計美さん。温暖化や急激な環境の変化が続く中、計美さんは今日も畑に立ち続ける。

 

とさちょうものがたりZINEは、いつも通り高知県や首都圏の施設や店舗などで配布されます。土佐町外には少し時間差で届きますので、ご希望の方はご確認の上、入手してください。

 

配布施設はこちら

 

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。
(2024年5月27日追記:潔さんは現在98歳。この連載を開始したのが95歳の時だったので、題名はそのままとしています。)

 

筍売り

昭和21年終戦の翌年、和田ケ谷での初めてのお正月を過ぎた四月。大雪降らず、母も熱も咳も出ず、家族にとっては何よりも安心でした。四月は筍の生える季節。住んでいる所の少し上に、広いハチク竹の竹藪があって、筍が生え初めても地主が来ないので、父が千円で全部買い取り、妹と交替で、毎日中島、田井、森方面へ売りに行ったのです。

負い子一杯十貫位、大きなおいしそうなのを選んで、売れる売れる。毎日行っても、塩漬けにするとか、干しておくとか私達の事情を知ってか、疲れを忘れる位、嬉しい毎日でした。

妹は体格が良くて、十貫位は平気でしたが、私はチビ、負けず嫌いで頑張ったのでした。後から後から生える筍、思いがけない金儲でした。

中島に、チョウさんという朝鮮人が狭い軒先で魚を売っていて、毎日変わった魚を買って帰り、皆を喜ばせるのが楽しみでした。

77年昔の事です。たった一人生き残って、申し訳無く思ったり、遠い昔の思い出に涙し懐しんでいます。人の情を有難く感じ始めた若い頃の思い出です。

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4001プロジェクト

伊藤千代野  (中島)

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大川村で生まれ育った伊藤千代野さん。15歳まで大川村の学校に通い、卒業後は岡山の織物工場で働いたそうです。時代は1960年頃。

6,7年岡山での暮らしをした後に、一度大川村に戻り、その後22歳で土佐町の方の元に嫁いできたそうです。

当初のお住まいは柚木。バスで中島の縫製工場に通い、縫い子としての仕事を17年続けました。

松島被服、タカラ繊維といった大きな工場が中島にあったそうで、70人もいる社員とともにスキー服の縫製などをされていました。

 

 

 

 

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美並恵子(三島)

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美並恵子さん、昭和8年生まれの92歳。

汗見川沿いの沢ケ内という集落で育った恵子さん、沢ケ内小学校を卒業とともに敗戦を迎えます。

その後は戦後体制の吉野中学校。7人兄弟の長女だった恵子さんは、卒業後は幼い妹弟のお姉さんとして家の仕事を切り盛りします。

田んぼ、山の仕事、炭焼き、お百姓のやることはなんでもやったそうです。

 

 

 

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4001プロジェクト

高橋康子(田井)

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田井の高橋康子さん、昭和17年生まれ。田井の商店「岡部」さんのお家に生まれた康子さん。

当時の田井の子どもたちと同様、田井小学校から田井中学校へ進みます。

そのまま嶺北高校を卒業した康子さんは、当時中島にあった「文化服装学院」という洋裁の学校へ。2年かけて洋裁の勉強。その後は田井の「山中百貨店」で洋裁の仕事をしていたそうです。

当時は既製品が現在のように溢れている状況ではなく、服を買うと言えば「山中百貨店」のようなお店に行き、採寸から始めて作ることが普通だったようです。

 

 

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くだらな土佐弁辞典

くらがる

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くらがる

【名詞】 群がる

 

例文:何ぞあっちゅうろうか えらい 人がくらがっちゅうが

意味:何かあったんだろうか たくさん 人が群がっている

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本年も大変お世話になりました

皆様。いつもとさちょうものがたりをご覧になっていただいてありがとうございます。

とさちょうものがたりは2024年の業務も無事完了し、2024年12月28日(土)より冬休みに入ります。

本年も土佐町内外問わず、たくさんの方々に大変お世話になりました。

とさちょうものがたりをいつも訪問いただいている皆様、記事を書いてくれている住民の方々。

様々な関わりを持っていただいているたくさんの方々のおかげで、とさちょうものがたりは今年もこうして温かな感情と共にに締め括ることができます。

今年は特に、とさちょうものがたりZINEの12号が「日本地域コンテンツ大賞」という名誉ある賞の「内閣府地方創生推進事務局⾧賞/自治体部門」の最優秀賞をいただくことができました。

これまで住民の方々と積み重ねてきたものごとが、ひとつの実りを迎えた瞬間でもありました。改めてお礼申し上げます。

日本〇〇賞・最優秀賞を受賞しました

 

再開は2025年1月6日(月)になります。皆様、良いお年をお迎えください。

とさちょうものがたり編集部

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ねき

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ねき

【名詞】 そば

 

例文:あの犬は噛みつくき ねきへいかれん

意味:あの犬は噛みつくから そばへいかない方がいい

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