鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「もりのひなまつり」 こいでやすこ 福音館書店

のねずみたちに「森のひな祭りをしたいからおひなさまを連れてきてほしい」と頼まれたねずみばあさんは、おひなさまを連れて森へ向かいます。

「はるかぜ ふけふけ ヤーポンポン
めをだせ はなさけ ヨーポンポン
きょうはもりのひなまつり
ピーヒャラ ピーヒャラ ピーヒャラ ポン」

こどもたちとこの絵本を読む時、森のひなまつりで歌われるこの歌を、私はなかなか良い感じに歌えます(笑)

そして、絵本のお話とはまた違ったところで、一冊の中のあちこちに散りばめられているこいでさんの“遊びごごろ”を探すのがいつも楽しみです。

ねずみがしているどんぐりの首飾りを、いつのまにかおひなさまが首に下げていたことに気付いた時の驚きといったら!

その首飾り、最後は誰が手にするでしょう? ぜひ探してみてください。

こういったところからもこいでさんという人のお人柄や、世の中を見つめる眼のあり方が感じられて、何だかとても親しみを覚えます。

鳥山百合子

 

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(「南川のカジ蒸し( 前編)」はこちら)

4時間ほど蒸し続けていたカジが、蒸しあがる時間になりました。

 

甑を上に持ち上げる

 

甑を引き上げている石田美智子さん

棒の反対の先には甑が繋がっています。上にいる人の声を聞きながら棒を左右に動かし、甑をちょうどいいところへ動かします。息がぴったり!

 

甑が持ち上がってきました!

 

蒸しあがったカジの束の上に置かれているものは、何でしょう?

 

おいも!ホカホカに蒸しあがっています。

昔からこれが楽しみの一つだったそうです。カジの皮をむいている時、甘いお芋のような匂いがすると思っていたのですが、その源はこのお芋だったのか?それともカジ自身の匂いだったのか?一体どちらなのでしょう。

 

 

蒸しあがったカジの束に水をかけ、冷ます

 

近くの湧き水を貯めた場所から水をどんどん汲んで来ては、カジにかけていく

 

蒸しあがったカジを横に倒して置き、釜鍋の中に水を加え、藁で編んだ“釜帽子”に棒を渡す。これがカジを置く台になる

 

次に蒸すカジが釜帽子の中に収まるよう、立てて置く

 

再び石田美智子さんが下へ降り、甑に繋がる棒を動かしてちょうどいいところを調節しながら、甑をカジへかぶせます。
「ええろ!こんなもんじゃ!」

 

甑と釜帽子の隙間を布でふさぐ

 

そして、また皮を剥ぎます。

冬の間にこの仕事を何度か繰り返し、乾かした皮を出荷することで収入にする。山にあるものを使い、工夫し、協力して生きてきた山の人たち。今、カジ蒸しの仕事がここにあるのも、この仕事を引き継いできた人たちが確かにここにいたからです。あと5年後、10年後、山のこの文化はどうなっていくのでしょうか。

 

 

作業中、軽トラックが何度か通り、カジ蒸しの仕事をしている人たちと話しては山へ向かって行きました。

しばらくして山から帰ってきたトラックの荷台に乗っていたのは、イノシシの子ども!

捕まえたイノシシを飼って大きく育て、売るのだそうです

 

こちらのトラックには大きなイノシシが乗っていました

 

山の人たちは自分たちの力で生きてきたのです。その軸足の強さは、机上や作られたコンクリートの上ではなく、土の上で培われてきたものです。土に根ざした南川の日常には、長い間この町を支え続けてきた、この町の暮らしの土台があるのではないでしょうか。その土台があるからこその「今」です。

これから私たちは何をどのように選び、暮らしをつくっていくのでしょうか。それを自らの内側に問うていきたいと思います。

 

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毎年2月上旬、土佐町南川地区では「カジ蒸し」が行われます。カジを蒸す木の甑から白い湯気が上がり、その元でカジの皮を剥ぐ人たち。その風景は土佐町の冬の風物詩と言ってよいでしょう。

「カジ」は楮とも言われ、紙の原料になるもの。畑や山に育つカジを切り出し、蒸しあげ、皮を剥ぎ、皮を乾かして出荷します。以前は土佐町のあちこちでカジ蒸しをしていたそうですが、今ではこの南川地区と石原地区の一部で行われているだけ。

2月8日、南川の皆さんが集まって作業をしていました。

 

甑のそばでおしゃべりをしながら蒸しあがったカジの皮をせっせと剥ぐ、川村豊子さんと水野和佐美さん

この日の午前中は、昨日の夜から甑で蒸し込んでいたカジの皮を剥ぐ作業をしていました。蒸しあがったカジの根元を握ってくるっと回すと、皮がつるりと剥がれるのでそのまま下へ引っ張って剥いでいきます。カジは冷たくなっていた手をじんわりと温めてくれます。

 

軽トラックにどっさり積まれているのは生のカジ。蒸す数日前に山や畑から刈り取っておく

カジは、乾燥しないよう蒸す直前に切るのだそうです。
「やっぱり1月、2月のうちやね。あれこれしよったらねえ、この時期しかできんきねえ」

今年はカジがあまり収穫できなかったとのこと。その原因はイノシシと猿。イノシシがカジをかじり、出てくる白い汁を吸ってカジが折れてしまう。猿はカジの枝の芽を食べる。
「イノシシにごちそうしたけ」
「動物と生活していかないかんけ、大変よ」
水野和佐美さんはそう言って笑うのでした。

「昔はカジ蒸しやってる人たくさんいたけ、親戚同士が集まってやってね。また親戚が蒸すときにはまた行ってね、お互いに皮を剥いでね」と豊子さん。豊子さんは土佐町の能地地区出身で、南川へお嫁に来たそうです。

昔は南川地区だけでも何軒もカジ蒸しをしている家があったそうですが、今はここだけ。

「昔は量もようけあって、3日も4日もはいだけんどね。安いというて、みんなもいでしもうた」

 

蒸しあがったカジは甑の側に積み重ね、冷めないように毛布をかけておく。甑のそばの地面はぽかぽかと温かい

 

カジの皮を剥ぐ山中順子さん。19歳の時に南川にお嫁に来たのだそう

「ここに来てからずっとやってる。舅さんらがやりよったけ。昔はどこにも甑があってね。甑は次々まわり回って順々にもろうてねえ。もうこんなのあまりないよ」
皮を剥ぎながら周りの人たちとのおしゃべりに花が咲きます。

 

子どもの頃からカジ蒸しの仕事を手伝っていたという石田勲さん

 

火の番をしながら皮を剥ぐ

焚き口近くは熱風で顔が近づけられないほど。近くの小屋から焚き物を運んでいた水野才一郎さんは、勲さんと同じく、子どもの頃から両親がしていたカジ蒸しを手伝っていたそうです。

「4時間は蒸さないかんのよ。それくらい蒸さんとね、きれいに剥げない」

 

甑の下には水の入った釜鍋が据えてあり、釜の水を“ごんごん”沸かすことで甑の中のカジを蒸します。甑の横の地面には穴が彫ってあり、それが煙突がわりになっています。

このかまどは、才一郎さんのお父さんが作ったものだそうです。
「かまどの石は、“がけ石”とわしらは呼ぶけんど、山で掘ったら出てくる石でできちゅう。火を焚いても割れんのよ」

河原の石は、火を焚いたら割れてしまうのだそうです。

 

皮を剥ぎ終わったカジは、つづらのつるで縛る

カジがらは乾燥させ、お風呂の焚付けなどに使います。とてもよく燃えるので山の暮らしでは重宝します。

「ツンツンとして(上下を揃えて)、干すがよ」と和佐美さん。

 

剥いだ皮。茶色の部分はポロポロと剥がれ落ちる。蒸したお芋のような匂いがする

 

剥いだ皮を束ねて元を縛る

 

稲をはぜ干しするように、皮を干す

下を流れる川から冷たい風が吹き上がり、皮を揺らします。乾かした皮は農協に出荷するそうですが「乾燥した皮が4貫(約16㎏)」ないと出荷ができないそうです。

「なかなかの量で。16㎏よりも入れめ(多めに)しとかないかん 」
和佐美さんはそう話していました。

 

 

お昼が近づき、もうすぐ甑の中のカジが蒸しあがるという頃、軽トラックに積んでいた生のカジを甑の近くに運んで積み上げます。

積み上げたカジを縛る。昔はつづらのつるで縛っていたそうですが、今は“電気の線”で縛っています

 

次に蒸すカジの準備ができました。午前中の作業はここまで

 

お昼ごはんを食べるため、皆さんいったん家に帰ります

 

(「南川のカジ蒸し 後編」へ続く)

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「大家さんと僕」 矢部太郎 新潮社

この本を読んだ時、初めて一人暮らしをしたアパートの大家さんのことを思い出しました。

大家さんは昔野球をやっていたという背の高いおじいさんと、ちょうどこの漫画の大家さんのようにメガネをかけた小柄で上品なおばあさんのご夫婦でした。

アパートは大家さんの家の敷地内にあり、大家さんの家と隣同士に建っていました。出かける時も帰ってきた時も大家さんの家の前を通らなければいけないのですが、その小道に面した大家さんの家の窓辺には厳格そうな顔をしたおじいさんが大抵机に向かって座っていて、私が通るたび、にこりともしないで手を振ってくれるのです。そのたびになぜか、ああ、ちゃんとしなければ…と思ったものでした。時が経つにつれて少しずつ仲良くなり、初めて笑顔を見せてくれた時はとても嬉しかったことをよく覚えています。

家賃の支払い方法は銀行振込ではなく、毎月月末、私の名前の入った通帳のような形の「領収證」を持って大家さんの家に家賃を払いに行きました。家賃を払うたび、おばあさんがいつもおまけを用意していてくれて「ちょっと待ってね〜」と奥の部屋へ戻り、ポッキーやおせんべいといったお菓子や「いただきものなのよ」と言って果物を手渡してくれるのでした。そして玄関先でおしゃべり。毎月一回のそれを楽しみに、私は大家さんの家のチャイムを鳴らしていました。あの時は気づいていませんでしたが、何気ないこのような出来事が、繰り返される毎日にそっと色を添えてくれていたのだと思います。

「大家さんと僕」は、ずっと忘れていた大家さんのことを思い出させてくれました。その大家さんの元で過ごした3年間は楽しくもあり寂しくもあり、自分自身を見つめる時間でもありました。通り過ぎていったあの日々は、間違いなく今の私に繋がっていると実感します。

今この時も、あと何年か経った時「ああ、このことと繋がっていたのか」とわかる時が来るのでしょう。その時が来るまで、今できることをひとつずつやっていこうと思います。

鳥山百合子

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「三猫俱楽部」 咪仔(ミー) 好猫工作室

2019年10月、瀬戸内アートブックフェアに出店した際に、隣にお店を出していた台湾のミーさんが自費出版した本です。鉛筆で描かれ、セリフは京都の友達が日本語に訳してくれたとのこと。

まっすぐな澄んだ目をした20代のミーさんが自分の作ったものを前に並べ、凛とした姿で座っていた様子は私の心に大きな影響を与えてくれました。猫が大好きな彼女が描く漫画やポストカード、パラパラ漫画。ポストカードには台湾のお茶や食べ物も描かれ、台湾を伝えたいという気持ちが伝わって来ました。ミーさんはスマホで台湾の名所の写真を見せてくれたり、私はつたない英語で「いたずらこねこ」という絵本を紹介したり、とても楽しい時間を過ごしました。

フェスティバルの後は福岡県で行われるというイベントに参加すると言っていたミーさん。

大きなリュックを担ぎフットワークは軽く、自分の作ったものを届ける旅をしている彼女から、いつのまにか忘れてしまっていた大切なことを思い出させてもらった気持ちがしました。

ミーさんどうしているかな?また会いたいです!

鳥山百合子

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「 tupera」 毎日新聞大阪本社発行

先日、高知県立美術館で開催中の「ぼくとわたしとみんなのtupera tupera 絵本の世界展」に行ってきました。tupera tuperaさんの色とりどりの仕事の細やかさ、繊細さ、ユーモアに圧倒されました。

絵本「魚がすいすい」の一場面、雷雲から逃れるためにボートを必死に漕いでいる人たちの腕、水着姿のかわいい女の子に群がる色とりどりの魚たちのうろこ…。細かいひとつひとつが紙でできている。シルクスクリーンで印刷した紙も使っているそう。目の前の作品に向き合うtupera tuperaさんおふたりの背中が見えるようで、このひとつひとつの仕事をよくぞ積み重ねたなあ…と敬服する思いで眺めたのでした。

作品の前に立つと新しい発見がありとても面白くてずっと見ていたいほど。早く行こうよ、と子どもに腕を引っ張られ「もうちょっと!」と粘る。何度も響く「早くー」の声…。後ろ髪引かれる思いでその場所を離れるのでした。

会場にある「パンダ銭湯」の入り口に一歩足を踏み入れ、手ぬぐいを頭に乗せてお風呂に入ればもうパンダ銭湯の一員に。「おならしりとり」の歌は、会場を出たあと何度も「おならしりとりおならしりとり…」と頭の中で繰り返され、口ずさんでしまうのでした。

この本はこの展覧会の作品を掲載したカタログです。何度眺めても楽しい。ですが、本物は最高です!展覧会は3月8日まで開催です。ぜひ!

鳥山百合子

 

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伊勢喜さんはよく笑った。つられて私も笑った。

伊勢喜さんはぜんまいの帽子を退けるのがあまりにも速いので「速い!追いつけない」と言うと「追いつきや!」と笑い飛ばす。ちょっとしたことは軽やかに飛び越えられるような気持ちになる。伊勢喜さんはそんな笑顔の持ち主だった。

一緒に作業をしながらふと見上げると、満開の八重桜の花びらがはらはらと地面へ降りていった。あたりはとても静かで、桜の木の下に干されたぜんまいに花びらは重なっていくのだった。

 

帰り際、伊勢喜さんは私の手を包むように握って、言った。

「ありがとう。また来年も一緒にぜんまいの仕事、しましょうね」

その手のあまりの温かさに、私は涙がこぼれたのだった。

 

次の年、私はその約束を守らなかった。日々の出来事に追われて、私は伊勢喜さんのぜんまい山へ行かなかった。行けなかったのではなく行かなかったと言わないといけない。忙しさは理由にならない。気になりながらあれこれしているうちに、ぜんまいの季節は終わってしまった。

伊勢喜さんごめんなさい。

そう思いながら伝えもせず、会う機会もつくらなかった。

 

それからさらに一年が過ぎ、またぜんまいの季節を迎えた。約束を守らなかったことへの後ろめたさが何度も頭をよぎった。栗ノ木の道を走っていた時、自分の内側の何かが背中を押した。

今日行かなければ。

 

 

栗ノ木へ向かう道沿いを流れる川は2年前と同じように流れ、山道沿いの八重桜は2年前よりもぐんと大きくなっていた。それだけの時間が経ったのだ。それだけの時間をあけてしまった。

伊勢喜さんはいるだろうか。会って何と言ったらいいのだろうか。その答えが思い浮かばないうちに、一面に広がるゼンマイ畑が見えてきた。煙突からは煙が上がっている。2年前と同じ風景に入っていくことが不安だった。

 

伊勢喜さんはいるだろうか。会えたら、昨年来れなくてすみません、と言うんだ。そう心に決めて、煙の方へと向かった。

何人かの人が忙しそうに働いていた。伊勢喜さんを探す。あの人も、あの人も違う。探しても伊勢喜さんの顔は、そこになかった。

 

伊勢喜さんの娘さんがいたので聞いた。

「伊勢喜さんはいますか?」

娘さんは言った。

「お母さんはめったにここには来なくなった。体がしんどくなってね」

週に何日かは出かけたりしているものの、伊勢喜さんは体調が良くない日が多くなり家にいることが増え、酸素の吸入器をつけている時もあるという。

 

 

その日、娘さんを手伝いながら繰り返し考えた。

去年、私はなぜ行かなかったのだろう。

むしろに干されたぜんまいの間を行ったり来たりする伊勢喜さんの姿があるはずだった。ぜんまいを茹でる釜から上がる煙も、茹で上がったぜんまいの香りも何ら変わらずそこにあるのに、伊勢喜さんはいなかった。

私はどこかで、また次があると思っていた。でも行きたい時に行かないと、伝えたい時に伝えないと、その時がまた来るとは限らない。その時は待ってはくれない。たとえ小さくとも自分の内からの声に耳を傾け、次の一歩を踏み出したいと思う。

 

これからまた春が来る。

伊勢喜さんはどうしているだろうか。

会いに行って、ごめんなさいとちゃんと謝りたいと思う。

そしてまた四月の晴れた日に、一緒にぜんまいの仕事をすることができたならこんなにうれしいことはない。

 

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寒い冬を越え、枯れた草々の中に芽生えた小さな緑に気づくようになると、土佐町の山々では山菜が顔を出し始める。土佐町は日本で指折りのぜんまいの産地のひとつ。茶色のむくむくとした柔らかい毛を身にまとい、くるりとした頭をゆっくりと持ち上げてあっという間に背筋をピンと伸ばすぜんまいは、この地にようやく春が来たことを告げる。

 

2年前のこの日、私は伊勢喜さんと一緒にぜんまいをゆであげ、むしろの上にぜんまいを広げる作業をした。

初めて会った長野伊勢喜さんは、昨日も会っていたかのような笑顔で話をしてくれた。

伊勢喜さんは大正14年生まれ、この時92歳。笑った顔がとにかく可愛らしい人だった。小柄な体にしては伊勢喜さんの手は厚くゴツゴツとしていて、それは何十年も仕事を積み重ねて来た人の手だった。

体はあちこちに動き、さっきまでぜんまいを揉んでいたのに、次は干したぜんまいの色が変わったのを見計らってひっくり返している。そして、乾かしてカラカラになったぜんまいの固いところをひねっては手でちぎる。仕事をしている間はとにかくぼんやりとする隙間などはなく、あっちへ行ったりこっちへ行ったり見て回り、必要なところで必要なことをし、ひとつひとつの仕事を確実に重ねていった。不思議ことに、せっせと仕事をしながらも伊勢喜さんはゆったりとした空気を身に纏っているのだった。

「私はね、この家で生まれて小学校6年までしか学校へ行ってないけ。兄弟が大勢おって手がかかるけ、仕事せないかんということでそれからずっとお百姓。二年だけ挺身隊に行ったのよ。学校も出てないけ、どうせお嫁にいけんろうと思ってた」

伊勢喜さんのお子さんたちはこの場所から高校へ自転車で通ったそうだ。土の舗装されていない道で、まともに自転車に乗れるようなところはなかったという。

「牛を引いたり、田んぼをすいたり、人並みの人間じゃないわ。社会を知らんのよ」

 

 

山の斜面一面のぜんまいは全部伊勢喜さんが植えたのだそうだ。山に生えていたゼンマイを株ごと掘り起こし、大きな袋にいくつも入れて山から降りる。その重さ40キロ。それを何度も繰り返しては植え、この一面のぜんまい畑をつくった。

「ぜんまいで収入を作ろうと思って植えたのよ。でも歳がいったらいかん、ようせんけ」

座り込んでぜんまいの帽子をせっせと手で退けながら、伊勢喜さんは少し下を向いた。

「帽子を退けたら茹でて、干して、真っ赤になったら機械でもんで、また干して。そしたらきれいにに真っ赤になる。やっぱり経験してこそ。こうしたらこうなる、とか、えいぜんまいになる、とか研究しながらせないかんのよ」

 

 

 

茹で上がったぜんまいはつやつやと深い黄緑色に光り、あたり一面がぜんまいの香りで満ちる。私はこの香りが大好きで伊勢喜さんへ伝えると「匂いなんてするかね?私らはもう慣れたけね」と言うのだった。

それを太陽の光の元へ干すと赤くなる。なんとも不思議な自然の仕組み。山の暮らしには人間の考えなど及ばない営みが日々繰り返されている。

「茹で方がまずかったらぜんまいが黒うなる」、「干して赤くなってから揉まないと色が変になる」、そして「この作業をするのにいい期日というものがある」そうだ。

経験に裏付けされた知恵を山の人たちはその手の中に持っている。

(「四月の晴れた日に その3」に続く)

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あの日の手の感触は今でも覚えている。

しっかりとした厚みのある、温かい手。

「また来年も一緒にぜんまいの仕事、しましょうね」

そう言いながら手のひらで私の手を包んでくれた時、涙がこぼれた。

 

2年前の春のことだった。

土佐町の平石地区を車で走っていた時、ふと栗ノ木地区へ行ってみようと思いたった。平石と栗ノ木は隣同士なのだが、栗ノ木地区へは数年前に一度行ったきりだった。なぜこの日に行ってみようと思ったのかはわからない。今思えば、呼ばれていたのだと思う。

栗ノ木へ向かう道に伴走するように流れる水は浅く穏やかで、春の光が柔らかな若葉を照らしながら水面を輝かせる。小さな橋を渡り、車一台やっと通れるほどの山道を上っていきながら、こういった名のない脇道がこの地の風景を作っているのだなと感じる。

突然、満開の八重桜が目に飛び込んできた。それは山道のカーブ沿いに等間隔に植えられていて、上ってきた人を「よくきたね、いらっしゃい」と迎えてくれているかのようだった。山深いこの場所に誰かが桜を植えたのだ。それはこの山で暮らす人がいるという証であり、山の中で感じるちょっとした心細さを慰めてくれた。

 

立ち並ぶ杉の間から溢れる光が落ちる道。しっとりと苔蒸した道。

目の前に現れる道々は表情をくるくると変え、いつも新しい。

進んでいった先に広がる風景に思わず息を飲んだ。目の前の山一面、上から、下から広がるゼンマイ畑がそこにあった。

 

 

しばらく呆然としていたのだと思う。はっと我に返ると、ぜんまい畑の真ん中で見守っているかのように、一本の太い桜の木が枝を広げ、薄い桃色の花を咲かせて立っていることに気づいた。こんなに美しい春の風景を今まで見たことがなかった。

近くにある一軒の家は日を浴びて白く光り、その隣の小屋の煙突からはもくもくと白い煙が上がっていた。

人の気配がする。

私はこの場所で伊勢喜さんに会ったのだった。

 

(「四月の晴れた日に その2」に続く)

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「はたらく① 本屋」矢萩多聞文,吉田亮人写真 アムブックス

瀬戸内アートブックフェアで出展していた、装丁家矢萩多聞さんのブースで購入した一冊です。アートブックフェアに合わせて作ったというこの本は、手にするとぷーんとインクの匂いがしてきます。前日まで夜な夜な糸で綴り、一冊ずつ手で製本していたそうです。まさに「生まれたての本」という佇まいをした本でした。

大阪の本屋で働く「みのるさん」の1日を追ったこの本は、みのるさんが本を読みながら田んぼの脇道を通って、お店へ歩いて出勤するところから始まります。

なじみのお客さんが今日発売の雑誌を買いに来たり、女の子が買いに来た算数ドリルを一緒に探したり、お昼には近所のお店へ黒パンを買いに行くみのるさん。小学生の時からのお客さんと今一緒に働いていたり、12年間やっているけれどプレゼント包装はまだうまくできなかったり…。そして夜10時にお店のシャッターは閉まります。

こういったことはきっと誰にでもあって、身の回りに当たり前のようにあることかもしれません。でも、その当たり前のようなことが実は特別で、私たちの毎日は、目の前の人たちとの関係や何気ないものごとの重なりでできているんだと実感します。

世の中は、一人ひとりの人の存在で成り立っている。

そう思うと目の前の風景がまた違ったものに見えてくる気がするのです。

多聞さんの本を作ることへの愛情と熱が伝わってくるこの一冊。

「はたらく」シリーズ、次の号がとても楽しみです。

鳥山百合子

 

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