鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「 tupera」 毎日新聞大阪本社発行

先日、高知県立美術館で開催中の「ぼくとわたしとみんなのtupera tupera 絵本の世界展」に行ってきました。tupera tuperaさんの色とりどりの仕事の細やかさ、繊細さ、ユーモアに圧倒されました。

絵本「魚がすいすい」の一場面、雷雲から逃れるためにボートを必死に漕いでいる人たちの腕、水着姿のかわいい女の子に群がる色とりどりの魚たちのうろこ…。細かいひとつひとつが紙でできている。シルクスクリーンで印刷した紙も使っているそう。目の前の作品に向き合うtupera tuperaさんおふたりの背中が見えるようで、このひとつひとつの仕事をよくぞ積み重ねたなあ…と敬服する思いで眺めたのでした。

作品の前に立つと新しい発見がありとても面白くてずっと見ていたいほど。早く行こうよ、と子どもに腕を引っ張られ「もうちょっと!」と粘る。何度も響く「早くー」の声…。後ろ髪引かれる思いでその場所を離れるのでした。

会場にある「パンダ銭湯」の入り口に一歩足を踏み入れ、手ぬぐいを頭に乗せてお風呂に入ればもうパンダ銭湯の一員に。「おならしりとり」の歌は、会場を出たあと何度も「おならしりとりおならしりとり…」と頭の中で繰り返され、口ずさんでしまうのでした。

この本はこの展覧会の作品を掲載したカタログです。何度眺めても楽しい。ですが、本物は最高です!展覧会は3月8日まで開催です。ぜひ!

鳥山百合子

 

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伊勢喜さんはよく笑った。つられて私も笑った。

伊勢喜さんはぜんまいの帽子を退けるのがあまりにも速いので「速い!追いつけない」と言うと「追いつきや!」と笑い飛ばす。ちょっとしたことは軽やかに飛び越えられるような気持ちになる。伊勢喜さんはそんな笑顔の持ち主だった。

一緒に作業をしながらふと見上げると、満開の八重桜の花びらがはらはらと地面へ降りていった。あたりはとても静かで、桜の木の下に干されたぜんまいに花びらは重なっていくのだった。

 

帰り際、伊勢喜さんは私の手を包むように握って、言った。

「ありがとう。また来年も一緒にぜんまいの仕事、しましょうね」

その手のあまりの温かさに、私は涙がこぼれたのだった。

 

次の年、私はその約束を守らなかった。日々の出来事に追われて、私は伊勢喜さんのぜんまい山へ行かなかった。行けなかったのではなく行かなかったと言わないといけない。忙しさは理由にならない。気になりながらあれこれしているうちに、ぜんまいの季節は終わってしまった。

伊勢喜さんごめんなさい。

そう思いながら伝えもせず、会う機会もつくらなかった。

 

それからさらに一年が過ぎ、またぜんまいの季節を迎えた。約束を守らなかったことへの後ろめたさが何度も頭をよぎった。栗ノ木の道を走っていた時、自分の内側の何かが背中を押した。

今日行かなければ。

 

 

栗ノ木へ向かう道沿いを流れる川は2年前と同じように流れ、山道沿いの八重桜は2年前よりもぐんと大きくなっていた。それだけの時間が経ったのだ。それだけの時間をあけてしまった。

伊勢喜さんはいるだろうか。会って何と言ったらいいのだろうか。その答えが思い浮かばないうちに、一面に広がるゼンマイ畑が見えてきた。煙突からは煙が上がっている。2年前と同じ風景に入っていくことが不安だった。

 

伊勢喜さんはいるだろうか。会えたら、昨年来れなくてすみません、と言うんだ。そう心に決めて、煙の方へと向かった。

何人かの人が忙しそうに働いていた。伊勢喜さんを探す。あの人も、あの人も違う。探しても伊勢喜さんの顔は、そこになかった。

 

伊勢喜さんの娘さんがいたので聞いた。

「伊勢喜さんはいますか?」

娘さんは言った。

「お母さんはめったにここには来なくなった。体がしんどくなってね」

週に何日かは出かけたりしているものの、伊勢喜さんは体調が良くない日が多くなり家にいることが増え、酸素の吸入器をつけている時もあるという。

 

 

その日、娘さんを手伝いながら繰り返し考えた。

去年、私はなぜ行かなかったのだろう。

むしろに干されたぜんまいの間を行ったり来たりする伊勢喜さんの姿があるはずだった。ぜんまいを茹でる釜から上がる煙も、茹で上がったぜんまいの香りも何ら変わらずそこにあるのに、伊勢喜さんはいなかった。

私はどこかで、また次があると思っていた。でも行きたい時に行かないと、伝えたい時に伝えないと、その時がまた来るとは限らない。その時は待ってはくれない。たとえ小さくとも自分の内からの声に耳を傾け、次の一歩を踏み出したいと思う。

 

これからまた春が来る。

伊勢喜さんはどうしているだろうか。

会いに行って、ごめんなさいとちゃんと謝りたいと思う。

そしてまた四月の晴れた日に、一緒にぜんまいの仕事をすることができたならこんなにうれしいことはない。

 

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寒い冬を越え、枯れた草々の中に芽生えた小さな緑に気づくようになると、土佐町の山々では山菜が顔を出し始める。土佐町は日本で指折りのぜんまいの産地のひとつ。茶色のむくむくとした柔らかい毛を身にまとい、くるりとした頭をゆっくりと持ち上げてあっという間に背筋をピンと伸ばすぜんまいは、この地にようやく春が来たことを告げる。

 

2年前のこの日、私は伊勢喜さんと一緒にぜんまいをゆであげ、むしろの上にぜんまいを広げる作業をした。

初めて会った長野伊勢喜さんは、昨日も会っていたかのような笑顔で話をしてくれた。

伊勢喜さんは大正14年生まれ、この時92歳。笑った顔がとにかく可愛らしい人だった。小柄な体にしては伊勢喜さんの手は厚くゴツゴツとしていて、それは何十年も仕事を積み重ねて来た人の手だった。

体はあちこちに動き、さっきまでぜんまいを揉んでいたのに、次は干したぜんまいの色が変わったのを見計らってひっくり返している。そして、乾かしてカラカラになったぜんまいの固いところをひねっては手でちぎる。仕事をしている間はとにかくぼんやりとする隙間などはなく、あっちへ行ったりこっちへ行ったり見て回り、必要なところで必要なことをし、ひとつひとつの仕事を確実に重ねていった。不思議ことに、せっせと仕事をしながらも伊勢喜さんはゆったりとした空気を身に纏っているのだった。

「私はね、この家で生まれて小学校6年までしか学校へ行ってないけ。兄弟が大勢おって手がかかるけ、仕事せないかんということでそれからずっとお百姓。二年だけ挺身隊に行ったのよ。学校も出てないけ、どうせお嫁にいけんろうと思ってた」

伊勢喜さんのお子さんたちはこの場所から高校へ自転車で通ったそうだ。土の舗装されていない道で、まともに自転車に乗れるようなところはなかったという。

「牛を引いたり、田んぼをすいたり、人並みの人間じゃないわ。社会を知らんのよ」

 

 

山の斜面一面のぜんまいは全部伊勢喜さんが植えたのだそうだ。山に生えていたゼンマイを株ごと掘り起こし、大きな袋にいくつも入れて山から降りる。その重さ40キロ。それを何度も繰り返しては植え、この一面のぜんまい畑をつくった。

「ぜんまいで収入を作ろうと思って植えたのよ。でも歳がいったらいかん、ようせんけ」

座り込んでぜんまいの帽子をせっせと手で退けながら、伊勢喜さんは少し下を向いた。

「帽子を退けたら茹でて、干して、真っ赤になったら機械でもんで、また干して。そしたらきれいにに真っ赤になる。やっぱり経験してこそ。こうしたらこうなる、とか、えいぜんまいになる、とか研究しながらせないかんのよ」

 

 

 

茹で上がったぜんまいはつやつやと深い黄緑色に光り、あたり一面がぜんまいの香りで満ちる。私はこの香りが大好きで伊勢喜さんへ伝えると「匂いなんてするかね?私らはもう慣れたけね」と言うのだった。

それを太陽の光の元へ干すと赤くなる。なんとも不思議な自然の仕組み。山の暮らしには人間の考えなど及ばない営みが日々繰り返されている。

「茹で方がまずかったらぜんまいが黒うなる」、「干して赤くなってから揉まないと色が変になる」、そして「この作業をするのにいい期日というものがある」そうだ。

経験に裏付けされた知恵を山の人たちはその手の中に持っている。

(「四月の晴れた日に その3」に続く)

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あの日の手の感触は今でも覚えている。

しっかりとした厚みのある、温かい手。

「また来年も一緒にぜんまいの仕事、しましょうね」

そう言いながら手のひらで私の手を包んでくれた時、涙がこぼれた。

 

2年前の春のことだった。

土佐町の平石地区を車で走っていた時、ふと栗ノ木地区へ行ってみようと思いたった。平石と栗ノ木は隣同士なのだが、栗ノ木地区へは数年前に一度行ったきりだった。なぜこの日に行ってみようと思ったのかはわからない。今思えば、呼ばれていたのだと思う。

栗ノ木へ向かう道に伴走するように流れる水は浅く穏やかで、春の光が柔らかな若葉を照らしながら水面を輝かせる。小さな橋を渡り、車一台やっと通れるほどの山道を上っていきながら、こういった名のない脇道がこの地の風景を作っているのだなと感じる。

突然、満開の八重桜が目に飛び込んできた。それは山道のカーブ沿いに等間隔に植えられていて、上ってきた人を「よくきたね、いらっしゃい」と迎えてくれているかのようだった。山深いこの場所に誰かが桜を植えたのだ。それはこの山で暮らす人がいるという証であり、山の中で感じるちょっとした心細さを慰めてくれた。

 

立ち並ぶ杉の間から溢れる光が落ちる道。しっとりと苔蒸した道。

目の前に現れる道々は表情をくるくると変え、いつも新しい。

進んでいった先に広がる風景に思わず息を飲んだ。目の前の山一面、上から、下から広がるゼンマイ畑がそこにあった。

 

 

しばらく呆然としていたのだと思う。はっと我に返ると、ぜんまい畑の真ん中で見守っているかのように、一本の太い桜の木が枝を広げ、薄い桃色の花を咲かせて立っていることに気づいた。こんなに美しい春の風景を今まで見たことがなかった。

近くにある一軒の家は日を浴びて白く光り、その隣の小屋の煙突からはもくもくと白い煙が上がっていた。

人の気配がする。

私はこの場所で伊勢喜さんに会ったのだった。

 

(「四月の晴れた日に その2」に続く)

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「はたらく① 本屋」矢萩多聞文,吉田亮人写真 アムブックス

瀬戸内アートブックフェアで出展していた、装丁家矢萩多聞さんのブースで購入した一冊です。アートブックフェアに合わせて作ったというこの本は、手にするとぷーんとインクの匂いがしてきます。前日まで夜な夜な糸で綴り、一冊ずつ手で製本していたそうです。まさに「生まれたての本」という佇まいをした本でした。

大阪の本屋で働く「みのるさん」の1日を追ったこの本は、みのるさんが本を読みながら田んぼの脇道を通って、お店へ歩いて出勤するところから始まります。

なじみのお客さんが今日発売の雑誌を買いに来たり、女の子が買いに来た算数ドリルを一緒に探したり、お昼には近所のお店へ黒パンを買いに行くみのるさん。小学生の時からのお客さんと今一緒に働いていたり、12年間やっているけれどプレゼント包装はまだうまくできなかったり…。そして夜10時にお店のシャッターは閉まります。

こういったことはきっと誰にでもあって、身の回りに当たり前のようにあることかもしれません。でも、その当たり前のようなことが実は特別で、私たちの毎日は、目の前の人たちとの関係や何気ないものごとの重なりでできているんだと実感します。

世の中は、一人ひとりの人の存在で成り立っている。

そう思うと目の前の風景がまた違ったものに見えてくる気がするのです。

多聞さんの本を作ることへの愛情と熱が伝わってくるこの一冊。

「はたらく」シリーズ、次の号がとても楽しみです。

鳥山百合子

 

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メディアとお手紙

お便りの紹介

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「とさちょうものがたり」が始まってから、お手紙やはがき、メールなどで編集部へたくさんのお便りをいただいてきました。今まで届いたお便りはすべて大切に読ませていただいています。なかには文通のようにはがきでのやりとりが続いている方も。心を寄せてくださっている方がいるということは、私たち編集部にとって大きな励みとなっています。

この「メディアとお便り」のコーナーでは、今までいただいたお便りを少しずつ紹介していきたいと思います。

 

 

【京都府 和田浩之さん・美晴さんより】

いつも楽しくHP・ZINEを拝見させて頂いています。これからも土佐町の応援をさせて下さい。祖父母、父が存命であればもっと笑って拝見できるんですが、なつかしい思いが先行。でも本当に好きです。これからも頑張って下さい。

*和田さんのお祖父様とお父様は土佐町南川のご出身で、毎年7月に行われる南川百万遍祭りを含めてよく帰省されていたそうです。お祖父様もお父様も亡くなった今は帰省する回数も少なくなったとのことですが、先日お電話でお話した時には南川で作っている南川百万遍味噌の話で話が弾みました。故郷には、いつまでもその人にとっての大切な思い出が残されているのだと思います。

和田さんは以前からとさちょうものがたりを読んでくださっていて、2年前に「とさちょうものがたりZINE」が発行されるようになった時「定期購読をお願いすることは出来るでしょうか?心は土佐町に居続けたいので」とメールをくださいました。それがご縁で、毎号送らせて頂いています。
遠く京都から、土佐町やとさちょうものがたりに心を寄せてくださっている方がいる。そのことが本当に嬉しく、ありがたい気持ちでいっぱいです。

 

 

【東京都 公益財団法人 大宅壮一文庫 岡知幸さんより】

お世話になっております。大宅壮一文庫の岡です。
『とさちょうものがたりZINE』第4号、受領いたしました。お送り頂きありがとうございました。

今回もほんとうに素晴らしい内容で、ご提供頂けてたいへん嬉しいです。
窪内さんの文章も写真もとても味わい深く、手にされた方はきっと喜ばれると思います。大切に配布させて頂きます。
次号を作成なさる際は是非またよろしくお願い致します。

*ある日、東京にある「公益財団法人 大宅壮一文庫」の岡さんから「とさちょうものがたりZINEを送ってもらえるだろうか?」というお電話をいただきました。岡さんは「とさちょうものがたり」を読んでくださっていて、勤務先である大宅壮一文庫で「とさちょうものがたりZINE」を配布をしたいとのこと。それから毎号お送りさせていただき、文庫で配布してくださっています。ZINEをお送りすると、岡さんはいつも丁寧なお礼のメールを送ってくださいます。こういったひとつひとつのお返事や感想が、私たち編集部にとっての大きな原動力です。

 

私たちの手から旅立ったZINEが、また別の方の手によって、より多くの方の手元に届けてもらっていることに心から感謝しています。ありがとうございます!

 

 

 

 

 

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「かくしたのだあれ」 五味太郎 文化出版局

以前紹介した「たべたのだあれ」と同じように、何度も破れてはテープを貼り…を繰り返してきた本です。2枚目の写真にあるように「ぼうしかくしたのだあれ」という言葉のあとに「たくさんの鳥の中に明らかにぼうしをかぶっている鳥が一羽いる」という何ともわかりやすい仕組みになっています。

ワニの歯が歯ブラシに、たぬきの尻尾は靴下に…。五味さんのユーモアとアイディアには脱帽です。

本を受け取る人が笑顔になったり、ちょっと元気をもらったり、そんな本を作り続けている五味さんにいつかお会いできたらいいなあと思っています。もしお会いできたら、この本を手にした子どもたちがどんなに喜んでいたか、そして私自身が今も時々ページを開いては、懐かしい子どもたちの顔を思い出していることを伝えたいです。

鳥山百合子

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「とんとんとめてくださいな」 こいでたん文, こいでやすこ絵 福音館書店

お友達の赤ちゃんが初めての誕生日を迎えるという時、何度この本にお世話になったことでしょう。本屋さんでこの表紙を見つけたら、探していた人に会えたような気持ちで手にし、贈り物にしてくださいと包んでもらってきました。

三びきのうちの赤いスカーフを巻いたねずみが何とものんびりしたのんきな子で、他の二匹が不安そうにこれから開くドアを見つめているというのにずっとぐーぐー寝ていたり、家の主がごちそうしてくれる時にはちゃっかり膝に座ってシチューをいただき、みんなが安心して眠る時には自分だけ目が冴えて栗をコリコリかじっています。我が道をゆくその子に「ウンウン、そのままでいいぞ!」といつも思います。

こいでさんの描く絵には物語への愛情とそこで営まれてる丁寧な毎日が描かれていて、忙しくしていると忘れがちな大切なことを思い出させてくれます。鍋からあがる湯気や台所の野菜たち、棚に並べられた蜂蜜のびん…。一見何気ないものごとが、日々の暮らしに楽しみと体温を与えてくれているのだなとあらためて感じます。

私もできるところから。

今日もごはんを作りましょう。

鳥山百合子

 

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上田房子さん・上田覺さん

 

 

以下の文章は、2019年12月20日に発行したとさちょうものがたりZine05「土佐町のものさし」の巻末に、あとがきとして掲載したものです。

 

 

「上田のおじいちゃんのこと」 文:鳥山百合子

 

近所に住んでいた上田覺さんを私は「上田のおじいちゃん」と呼んでいた。

上田のおじいちゃんは昔、山師だっただけあって地下足袋を履き、いつも田畑や山の仕事をしていた。「これでしいたけの駒打ちをしなさいよ」としいたけの原木を軽トラでどっさり運び入れてくれたり、木にかけた梯子を軽やかに登っては高枝切り鋏で柿を落としてくれたものだった。山水が流れ込む庭の池にスイカを浮かべ、鯉に突つかれつつ冷えたスイカでスイカ割りをさせてくれた。小屋のストーブの上で作ったしし汁をお鍋いっぱい持たせてくれ、その隣ではアルミホイルに包まれたお芋が香ばしい湯気を立てながら黄金色に光っていた。

おじいちゃんはなめこをたくさん育てていた。収穫させてもらっていると「もっと取っていきなさい」と言う。「おじいちゃんのがなくなっちゃうから」と遠慮すると「なめこはぬめぬめしていて嫌いじゃ」と言う。「じゃあ何で作っているの?」と聞くと「ばあさんがなめこが好きだから」と話してくれた。

おじいちゃんの仕事の向こうには、いつも誰かの存在があった。

 

1年ほど前から「胸が苦しいんよ」と言うことが増え、体に酸素を入れるチューブを鼻から通し、玄関前の部屋に座ってテレビを見ていることが多くなっていた。それでも玄関の戸を開けるといつも笑って迎えてくれて、これまでと同じように私たちはおしゃべりをした。

 

私の息子とおじいちゃんはずいぶんと年の離れた仲の良い友達同士のようだった。学校から帰ってくるとランドセルを放り投げ、おじいちゃんの家に行って一緒にテレビの時代劇を見ることを息子は心底楽しみにしていた。そのまま夕ごはんをご馳走になって、おじいちゃんが軽トラックで家まで送ってきてくれたこともあった。

息子は筍を上手に掘ることができる。筍がどんな所に生えているか、筍にどんな角度で鍬を入れたらいいかを知っているのはおじいちゃんの背中をすぐ側で見ていたからだ。学校では学べない、生きるための術をおじいちゃんは教えてくれた。

ちょうど私の家から遠く正面におじいちゃんの家が見える。まだ幼かった息子がある夕暮れどきに「おじいちゃんちに灯りがついたねえ」とつぶやいた。そのことをおじいちゃんに伝えると「ああ、わしらも同じことを思ってる。鳥山さんちに灯りがついたなあ、って」。おじいちゃんはそう言ってくれたのだった。その言葉は長い間、私を支え続けてくれた。

 

 

2019年2月、おじいちゃんは亡くなった。おじいちゃんの家の玄関の戸に貼られた「忌中」という文字を見て私は泣き崩れた。棺に入ったおじいちゃんは話しかけたら笑ってくれそうだった。息子はおじいちゃんの枕元で「なんで、なんで」と肩を震わせて泣いた。子どもたちにとって身近な人の初めての死だった。

おじいちゃんはもういない。涙がこぼれて仕方なかった。

 

今年の夏、実家に帰省した時にマスカットを買った。それを手におばあちゃんを訪ねると、おばあちゃんは「まあまあ、ありがとう。いいものをいただいて。おじいさんに食べてもらおうねえ」と言っておじいちゃんの写真の横にそっと供えた。そして「おじいさん、鳥山さんが来てくれたよ。鳥山さん、鳥山さんっていつも言って、大好きだったでしょう。よかったねえ」と写真に向かってゆっくりと話しかけるのだった。

「こうやっておじいさんにいつも話しかけるの。きっと聞いてる、わかってると思うのよ」

おばあちゃんはそう言うのだった。

 

時々、おじいちゃんの気配を感じることがある。それはおじいちゃんが薪を割っていた田んぼの脇だったり、おじいちゃんの畑へ向かう道を歩く時だったりするのだが、おじいちゃんが確かに生きていたという証を私は確かに知っている。

自分のことが好きではなかった私が、もしかしたらこんな私でもいいのかもしれないと思えるようになったのはおじいちゃんの存在が大きい。

そのままでいい。比べなくていい。

いつもそのままの私を受け入れ、向き合ってくれた。おじいちゃんは私の根底を耕し直してくれた。縁もゆかりもないこの地に来た私にとって、おじいちゃんはこの地への扉であり、人生の荒波をいくつもくぐり抜けて来ただろう大先輩でもあった。

 

今年も干し柿を作る季節になった。おじいちゃんとおばあちゃんは毎年欠かさず干し柿を作っていた。おばあちゃんが渋柿の皮を剥き、干すための縄を綯うのだが、家の軒下に吊るすのはいつもおじいちゃんの役目だった。おじいちゃんがいない今年はどうするのだろう、と家の前を通るたびに思っていた。

つい先日、おじいちゃんの家に干し柿が吊るされていることに気づいた。それは今までと同じ風景のようでもあり、全く違うものにも見えた。そしてそれは自分でも驚くほど心が震えるような出来事だった。

「ああ、おばあちゃんは今年も干し柿を作ったのだ」

何度も繰り返し、そのことを思った。

 

 

人が亡くなっても季節は巡り、残されたものは一日一日を生きていく。代々繰り返されてきたこの営みはこれからも続き、私たちはいつもその大きな流れの中にいる。

おじいちゃんと時間を重ねることができたのはとても幸せなことだった。人によって何を幸せと感じるかはもちろん違うし言葉にするのも難しい。でも、そのおぼろげな輪郭はいつも自分のそばに、足元にあるのではないかという気がしている。

おじいちゃんはもういない。でもおじいちゃんはいつだって見てくれていると思っている。

 

とさちょうものがたり ZINE05 発行です!

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私の一冊

鳥山百合子

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「たべたのだあれ」 五味太郎 文化出版局

この本との付き合いはかれこれ約20年ほどになりますが(!!)、子どもたちが喜んでページをめくっていた姿をまるで昨日のことのように思い出します。

以前幼稚園で働いていた時に、本屋さんに行ってふと手に取ったこの本。子どもたちに読んであげたいなあと購入しました。

子どもたちがこの本をどんなに好きだったか、ページのしわくちゃ具合や幾つものテープのつぎはぎを見ていただけたらわかると思います。

「めだまやきたべたのだあれ」(2枚目の写真の通り!)
「ぶどうたべたのだあれ」(目がむらさき色のぶどうになっているネコ)
「ドーナツたべたのだあれ」(尾っぽが丸いドーナツになっている魚)

見たらすぐにわかってしまうのがうれしくて「これ!」と子どもたちは満面の笑みで指差していました。20年以上前のことなんて信じられないくらい、子どもたちの笑顔は鮮明です。

幼稚園の子どもたちが思う存分味わった後は、私の子どもたちがこの本を繰り返し開きました。同じように「これ!」と得意そうに教えてくれる顔が幼稚園の子どもたちの顔と重なって、たまらなく懐かしい気持ちになりました。

幼稚園で一緒に過ごした子どもたちは今、20代の若者になっています。この本を開いたら、どんな気持ちになるのかな?

鳥山百合子

 

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