鳥山百合子

メディアとお手紙

高知新聞 閑人調 20

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

 

やなせさん

香美市出身の漫画家、やなせたかしさんは「人間が一番うれしいことは何だろう?」と長い間考え続けていたそうだ。そして見つけた答えは「人は人を喜ばせることが一番うれしい」。自分の作品を見た人が喜んで笑ってくれるとうれしくてたまらない。笑い声を聞きたくて、喜んでくれるのがうれしくて、描き続けることができたという。

生活しているとさまざまな「うれしい」と出合う。例えば、自分の取り組んだ仕事を喜んでくれた人がいたり、子どもが「このおかず、おいしい!」と言ってくれたり。

相手が笑ってくれた、楽しんでくれた、喜んでくれた。その実感に励まされ、大きなエネルギーをもらいながら、私は今まで何とかやってくることができたのだと思う。

「人間が一番うれしいことは?」。

その問いの答えはどこか遠くにあるのではなく、きっといつも自分のそばにある。

目の前のあの人、この人、誰かを喜ばせることが巡り巡って自分の喜びになっていく。その循環はきっと世界共通。人間は、そういったことにうれしさや喜びを感じる生き物なのだと思う。

「人生は喜ばせごっこ」。

やなせさんの言葉はまさしく真理だと、今実感している。

(風)

 

2024年5月1日の高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

最近、高知県香美市出身の漫画家、やなせたかしさんの著書を読んでいます。

やなせたかしさんといえば、子どもたちに大人気、丸顔の正義の味方「アンパンマン」の作者というイメージが浮かぶ方も多いと思います。

アンパンマンは、やなせさんがが従軍し、空腹ほど辛いものはないという経験から生まれたキャラクターであることを知りました。いや、キャラクターというよりも、やなせさんの哲学そのものと言ったらいいでしょうか。

アンパンマンは、やなせさんが50歳の時に誕生。やなせさんはそれまで、代表作と言えるものがないという思いに苛まれていたといいます。そう知ってから、あちこちでにっこり笑っているアンパンマンの見え方が変わりました。

そのやなせさんが遺した言葉の一つが「人生は喜ばせごっこ」。やなせさんがご存命だったら「まさにその通りです!」とお伝えしたかったです。

 

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読んでほしい

ハクビシン

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先日、近所のおんちゃんと夕ごはんを食べた。
仕事の帰り道、偶然会って話していたら「今日ごはん食べに行ってもいいか?」と聞かれ、「どうぞ!」ということに。

おんちゃんは一旦家に帰り、お刺身やらおかずやらお酒やらを持ってきてくれた。美味しく食べ、楽しく飲みながら話していると「ハクビシン、食べたことあるか?」と聞かれた。

ハクビシンの噂は聞いていた。おんちゃんによると「肉の中で一番うまい」と言う。
「食べたことないです。めっちゃ食べたいです!」
おんちゃんは目を細め、「うんうん、今度すき焼きにして食おうや」と言ってくれた。

ここまでが、おんちゃんとの夕ごはん1日目のお話。

 

夕ごはん2日目

その2~3日後。
おんちゃんはハクビシンを持って現れた。
友達が捕らえてさばいたというハクビシンの肉を持ってきてくれた。鮮やかな紅色で、5mmから1cm位の脂身がある。おんちゃんはネギや豆腐、エノキや白菜やすき焼きのタレも持参。私はカセットコンロと鍋を用意しただけだった。

ぐつぐつ、ぐつぐつ。
満ちてくる甘辛い香り。野菜を煮、少ししてからハクビシンの肉を投入する。じっと様子を観察し、紅色が変わった瞬間を見計ってパクリ。

なんという歯ごたえ!コリコリしていて、噛めば噛むほど味が滲み出てくる。これはもう、これまで最高に美味しいと思っていたシシ肉を上回るかもしれない。もう、夢中になって食べた、食べた。

おんちゃんによると、ハクビシンは別名チョウセンネコというらしい。私は実物を見たことはないが、体長は40cm程、秋には好物の柿を食べにくるそうだ。
血抜きいかんによって上手くも不味くもなる。友達がどんなにさばくのが上手か、おんちゃんは熱く語ってくれた。

人生初のハクビシンは本当に美味しかった。おんちゃん、ありがとう。もう一度と言わず、何度でも食べたい。

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メディアとお手紙

高知新聞 閑人調 19

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

 

山の恵み

ゆでられたゼンマイが竹で編んだえびらに干され、家の軒先に並ぶ季節になった。コロコロ転がすようにもむと春の香りが広がる。干して、もんで。何度も繰り返すことでおいしいゼンマイになる。

ゼンマイは芽を出すとあっという間に伸びるので、天気の良い日は腰かごを身に着け、せっせと摘む。ぽきんという音が心地良い。

以前、近所のおばあちゃんと一緒にゼンマイを収穫したことがある。おばあちゃんは肥料の空袋にひもを付け、腰に縛り付けていた。「さあ行こか」と、足取り軽く斜面を登り、時には斜面を滑るように摘んで袋に入れる姿は、長年の経験を物語り、素晴らしく格好良かった。

先日、道端に車を止め電話で話していると窓をたたく人が。開けると、握っていたイタドリをぐいっと差し出し、口の動きだけ

「や、ろ、か?」

「あ、ありがとうございます!」

今年の初物を握らされた。

うんうんとうなずきながら歩き去っていくその人は、きっと散歩中にイタドリを見つけては摘んでいたのだろう。電話相手が「どうした?」と聞いてきた。

「イタドリ、もらった!」

いただいたイタドリは皮をはいで塩漬けし、数日後、油揚げと炒めて食べた。

これぞ山の恵み、春の味。

(風)

 

2024年4月15日の高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

4月に入って、たびたびお裾分けをいただく山菜について書きました。

春、田んぼ周辺や丘や道端で、山菜を収穫する人の姿をあちこちで見かけます。

山菜を見れば収穫せずにいられない。どうしたって血が騒ぐのは、人間は狩猟採集することで生きながらえてきた民族だからに違いありません。

コラムに書いた、腰に肥料袋を縛り付け、ゼンマイが育つ丘を軽やかに歩き回っていたおばあちゃんはもう亡くなりました。

おばあちゃんは亡くなりましたが、春はいつもそのおばあちゃんの姿を思い出させます。

春の山菜は山の恵み。その向こうに、いつも誰かの姿が見えてきます。

 

 

 

 

 

 

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読んでほしい

山菜ラッシュ

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連日、山の恵みをいただいている。

ワラビ、イタドリ、ゼンマイ、タケノコ、タラの芽…。都会では買わなければ食べられないものが、玄関先に置いてあったり、「持っていきや〜」と、どさっと手渡される。

先日、大量のワラビとイタドリをいただいた。なんとまあ!すぐに食べられる状態になっているではないか!

収穫した山菜を食べるためには下処理が必要である。以前、ワラビを下処理なしでかじったことがあるが、ものすごく苦い。下処理という仕事なしにはワラビをはじめとする山菜を食すことはできない。山菜によって下処理の方法が違うため、なかなかの大仕事。けれど不思議なことに、この手間ひまかかる仕事と向き合う時、春が来た実感を得る。

山菜たちは口裏を合わせたように収穫時期が重なるので、それぞれの処理が夜な夜な仕事になることもある。

だからなお一層、この日いただいた山菜のありがたさが心に沁みた。この量の山菜の処理にどれだけ時間がかかるのか、私には分かる。惜しげもなく手渡してくれた人の姿が何度も浮かんだ。

 

下処理について

写真手前がワラビ。ワラビは灰をかけて熱湯を注いでアクを抜く。この湯が熱すぎると、せっかくのワラビがドロドロになってしまうので要注意。今まで何回も湯加減を見誤り、涙を飲んだ。

写真奥は、高知県民だけが食べるというイタドリ。このままかじるとかなり酸っぱい。イタドリはまず皮をはぐことから始まる。皮が一度も切れることなく、する〜っとはげた時の爽快感はたまらない。皮をはいだイタドリは塩漬けしてアクを抜く。食す際には水に浸けて塩抜することで食べられる状態になる。

(注:それぞれが自分の極めた方法を持っています。これはあくまで私のやり方です)

 

これらの仕事をすっ飛ばし、すぐに食べられる山菜はありがたい以外の何者でもない。

ということで、連日、ワラビとイタドリを食べている。

初日はワラビの卵とじとイタドリの油炒め。二日目はワラビのきんぴら。三日目の今日は、イタドリと豚肉を炒めて食べようと思う。

どなたか、オススメのレシピがあればぜひ教えてください!

 

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メディアとお手紙

高知新聞 閑人調 18

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

 

ご縁

前回の当欄は、訪問中のブータンで書いた。そもそもなぜブータンを訪ねたかといえばー。

この貴重な機会は、土佐町と京都大学東南アジア地域研究研究所の長年の交流から生まれた。

「幸せの国」と呼ばれるブータン。物質的、経済的な豊かさの比較よりも「国民総幸福度」を尺度として掲げ、その理念に基づく国づくりを行なっていることで知られる。

ただ、日本同様に、農村部では過疎・高齢化などの問題が深刻化しており、同研究所はブータンの大学と連携し、地域づくりに携わる人材育成を支援している。互いに人的な交流を続け、ブータンの方が来日した際には、中山間地域にある私の職場にもたびたび来てくれていた。その際にはブータンの方に、国旗にも描かれている龍をTシャツに印刷する体験をしてもらっていた。

私の職場では、障害のある方がシルクスクリーンという手法で印刷したTシャツを販売し、売り上げの一部を賃金としてお支払いしている。うれしそうにTシャツを着るブータンの方を見て、世界はやっぱり広いということを思い出させてもらっていた。

この交流が今回のブータン訪問のお声がけをいただくきっかけになった。人生何が起こるかわからない。ご縁に感謝。

(風)

 

2024年3月29日の高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

前回に引き続き、ブータンについて。今回は、ブータンに行くことになったきっかけを書きました。

3月1日〜12日のブータン滞在中、以前土佐町でお会いした方に何人も再会しました。保健省の役人さんや大学の先生、京都大学が主催するJICA(国際協力機構)草の根技術協力事業に関わる現地の職員さん…。日本滞在中に編集部に来てくれて、シルクスクリーン体験をしてくれた人たちです。「また会えてうれしい!」と握手を交わせることは、本当に素晴らしいことです。

「(シルクスクリーンで印刷した)龍のTシャツ、今も着てるよ!」と話してくれる人も。

滞在中、私にもっと語学力があれば…と思うことも多々あり、英語は勉強し続けるべきと痛感しました。

ブータンの方が初めて土佐町に来たのは2011年だったと聞いています。土佐町とブータンのつながりが生まれたきっかけなどなど、ブータン滞在記として、これから書いていこうと思っています。

 

 

*前回の「閑人調」はこちら

高知新聞 閑人調 17

 

*国民総幸福度(GNH)による国の運営を進めているブータン。2019年、土佐町で幸福度調査を行うにあたり、ブータンの現状を学ぶため、とさちょうものがたり編集長の石川がブータンを訪れています。

 

【番外編】ブータン・GNHレポート No.5

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メディアとお手紙

高知新聞 閑人調 17

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

 

ブータン

ご縁があって、今ブータンにいる。長年、土佐町と交流のある京都大学が実施する国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業に同伴し、東部のタシガン県などの町や村を訪れた。

ブータンはヒマラヤ山脈の東に位置し、7千メートル級の山々が連なる。標高差が大きく、南は標高100メートルから、北は7500メートルにわたる。飛行機からブータンの最高峰ガンカー・プンスムが見えた。人類未登頂のその山は雲の上に浮かび、雪をまとう姿は荘厳だった、

降り立ったブータンの地は急峻な山の斜面に家々があり、一本の道がどこまでも続いている。男性は「ゴ」、女性は「キラ」と呼ばれる民族衣装を着ている人をよく見かける。

日本人とよく似た顔で、目が合うとはにかみながらほほ笑んでくれる。土佐町にも同じようなお顔をした人がいるなあと、とても親しみを感じた。

公用語はゾンカ語だが、日常的に使われる言語は地域によって異なり、文字を持たない地域もあるそう。小学校から授業は英語で行われ、子どもも大人も英語を話せる人が多い。

よく使うゾンカ語の単語は「カディンチェ」(ありがとう)「グズサンポーラ」(こんにちは)。

表記文字は難解で頭に全く入ってこない。

(風)

 

2024年3月11日、高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。3月1日〜12日まで滞在したブータンについて。

「土佐町からブータンへ行きたい人はいませんか?」

そう声をかけてくれたのは、京都大学東南アジア地域研究研究所の坂本龍太さん。坂本さんは土佐町で行われている高齢者フィールド医学(高齢者健診)に約10年前から携わっている医師で、ブータンの方が土佐町を訪れた際にはとさちょうものがたり編集部へ立ち寄ってくれ、シルクスクリーン印刷でTシャツを一緒に作ったりしていました。それがご縁でお声がけいただき、「行きたいです!」と手を挙げました。
 
ブータン農村部では過疎化や高齢化などの問題が深刻化しており、京都大学はブータン東部にある王立大学シェラブツェ校と連携し、地域づくりに関する人材育成を支援しています。
「農業」、「地域保健」、「文化(地域資源活用)」。この3つの分野から大学と地域、関係機関の活動や連携を支援し、ブータンと日本の学生や現場で働く人の交流や学び合いをしようという内容です。
日本各地で仕事をしている日本人がブータンを訪れ、交流することは今回が初めてとのこと。京都の宮津市から2名、岐阜県白川町から1名、土佐町から私(鳥山)ともう1名が参加しました。
 
滞在中、土佐町へフィールド医学の視察に来たことがあるという方や、一緒にTシャツを作った方と再会しました。ブータンと土佐町のご縁がつながっていることを感じました。

今後も、このご縁がつながっていくような取り組みができたらいいなと考えています。

 
 
 

*国民総幸福度(GNH)による国の運営を進めているブータン。2019年、土佐町で幸福度調査を行うにあたり、ブータンの現状を学ぶため、とさちょうものがたり編集長の石川がブータンを訪れています。

 

【番外編】ブータン・GNHレポート No.5

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メディアとお手紙

高知新聞 閑人調 15

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

シシ肉

猟師さんからシシ肉をいただいた。狩猟期間中、数人で山に入りイノシシを追い、銃で撃つ。血抜きしてさばいた肉は仲間と平等に分け、そのうちの一つを届けてくれたのだ。受け取った肉の塊はずしりと重い。

薄紅色の肉はみずみずしく、ところどころ白や黒のイノシシの毛がついている。

私はシシ肉が好きだ。臭いというイメージを持つ方もいるかもしれないが、そんなことはない。血抜きの方法やさばき方によって味は全く異なるというから、知り合いの猟師さんはこの道の達人だ。

薄く切って焼き、塩コショウしていただいた。シンプルだが一番おいしい食べ方だと思う。シシ肉は甘い。一口食べるたび、体の内側にエネルギーが注ぎ込まれる。今食べているのは昨日まで山を駆け回っていた命。人間は命をいただいて生きている。均等に切り売りされたものだけを食べていた時には得られない体感だ。「私は生かされている」。その体感が日常から切り離されれた時、人間は大切な何かを失うような気がする。

太古から繰り返されてきた生きるための営みが、この地では日常として存在している、猟をし、自ら育てた作物を食べて暮らす人を近くに感じるだけで、背筋がしゃんと伸びる。

(風)

 

2024年2月8日の高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

猟師さんからいただいたシシ肉について書きました。

切ったまま、塊のまま、イノシシの毛や血がついた、どさっと手渡される肉。ツヤツヤと光って、みずみずしい肉。さっきまで山で駆け回っていただろう肉。食べたらエネルギーが満ちる肉。シシ肉をいただくたび、人間はだれかの命をいただいて生きていることを強烈に感じます。猟師さんがいて、山に猪がいるからこそ得られる体感です。その体感を得られる環境は、実はなかなかないのかも…。

シシ肉はとてもおいしいので、いただいたら小躍りします。塩コショウして焼いて食べるのが最高ですが、野菜をたっぷり入れたシシ汁もおすすめです。

 

 

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前編

 

境内を歩く

境内へ出て、神社の周りを散策しました。写真左の大きな杉の木は、途中で三股に分かれています。「みんなのひいおじいちゃんやひいおばあちゃんが子どもの頃、股の間をくぐって遊んだんですよ」と宮元さん。

「へえー!3つが一本にまとまってるんや!」とか「だんだん長くなっていったんか!」と杉を見上げる子どもたち。

 

白髪神社の御神木。一度火事で焼けたけれど、また生えてきたそうです。樹齢約600年、今までに何度も落雷を受けながら、白髪神社の入り口に立ち続けています。

 

常夜燈を熱心に見ていた子も。「中にろうそくを入れて、火をつけて灯りにしていたんですよ」という宮元さんのお話に「へえーそうなんや」。微笑ましい光景です。

 

「冬の朝8時ごろ、参道の正面の山からお日様が昇ってきます。その時、お宮に光が当たってパッと光ります」と宮元さんが話すと、「そうなんや!建てようと決めた人がそういう場所に建てたんだ!」という子も。

ちなみに、滋賀県の白髭神社でも、朝日が昇る際、神社や鳥居に光が当たるそうです。ルーツである白髭神社と方角的に同じように作られているのだと思う、と宮元さんは話してくれました。

 

たくさんの質問

子どもたちから宮元さんへ、たくさんの質問が。

○「神様っていたんですか?」

→昔も今もいますよ

 

○御神木は最初から立っちょったんですか?

→御神木は神様が来てから生えてくるので、最初から生えていたと思いますよ

 

○「なんで火事になったんですか?」

→戦国時代に近くで戦いがあって、風が吹いて火が燃え広がったんです

 

○「あの箱(お賽銭箱)にはいくらくらいお金が入るんですか?」

→うーん、お正月の時は1万円よりもうちょっと入ります

などなど。

「神様は見えるんですか?」という質問も。

「見えないけど、神様はあちこちにいますよ。八百万の神(やおよろずのかみ)といって、日本には八百万の神様がいると言われています。いつもみんなのことを見守っていますよ」

 

質問の時間は終わり、もう帰る時間に。

子どもたちは何度も振り返りながら、学校へ帰って行きました。担任の蔭田先生は「普段は入ることのない本殿に入ったり、宮元さんのお話も聞けて、子どもたちにとってすごくいい経験になったと思います」と話してくれました。

かわいく、微笑ましい質問をたくさんする2年生の子どもたち。その姿を見ながら、子どもたちは今、自分にとって大切な人や大切な場所、大切な風景を心に宿す時間の中にいるのだと感じました。

「いいこともしんどいことも色んなことがあるけれど、お白髪さんはいつも、頑張ってね、とみんなを見てくれていますよ」と子どもたちに語りかけていた宮元さん。

子どもたちが自分の育った町を懐かしく思い出すとき、きっと、白髪神社のある風景も心に浮かぶことでしょう。

 

 

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土佐町小学校2年生の生活科の授業には「町たんけん」という単元があります。町内のスーパーや施設、商店などを訪れ、働く人の様子を見たり話を聞く活動です。事前に行きたい場所を話し合い、訪れる場所を決め、子どもたちは探検に出かけます。

2024年1月29日に行われた「町たんけん」。
子どもたちの中には、白髪神社に行ってみたいというグループがありました。担任の蔭田晴敬先生は「白髪神社の境内を散策し、由緒を聞きたい」と白髪神社宮司の宮元序定さんに相談すると、宮元さんはもちろん!と快諾。白髪神社は探検先の一つになりました。

宮司の宮元さんから、もしよかったら取材に来ませんかと編集部にご連絡をいただきました。常々「子どもは地域の宝です」と話していた宮元さん。学校や保護者の方の許可をいただき、取材させていただきました。

 

土佐町小学校2年生、白髪神社にやってきた

白髪神社と土佐町小学校は宮古野地区にあります。

左 大きな杉の木の元に白髪神社はある。右 四角の長い建物が土佐町小学校

近くには保育園もあり、子どもたちが保育園児の時には白髪神社周辺を散歩し、マラソン大会では神社の前の道を走ったり。子どもたちにとって白髪神社は、いつもそばにある馴染み深い場所です。

まずは本殿へ

先生と一緒に7人の子どもたちがやってきました。

挨拶をして、本殿の中へ。

脱いだ靴の先は、本殿へ向けて置きます。

 

本殿の中に入りキョロキョロしながら、どこか緊張した面持ちの子どもたち。宮元さんが太鼓をたたくと背筋がしゃんと伸びます。

 

白髪神社の由来

まずは白髪神社の神様にご挨拶。宮元さんは白髪神社の由来を話してくれました。

ここは白髪(しらがみ)神社といいます。「おしらがさん」とか「しらが」という人もいます。昔は白髪大明神と呼ばれていました。

滋賀県琵琶湖の北に滋賀県で一番古い神社、白鬚(しらひげ)神社があります。湖の中に赤い鳥居がある神社で、白髪神社の神様はこの白髭神社からきています。

昔、滋賀県に森近江守(もりおおみのかみ)という人がいました。その人は白髭神社から預かった宝物を持って、本山町汗見川の奥、冬の瀬という所にやってきました。そして冬の瀬の一本杉の元に、宝物をしずめました。

しばらくすると、宝物をしずめた所に白髪大明神のご神像が舞い降り、森近江守に「長磯村(現在の土佐町森地区)を開墾しなさい」と告げました。森近江守は長磯村を開墾し、森村を作りました。森村はここ宮古野地区から地蔵寺地区までをいいます。

そして、奥宮と呼ばれていた冬の瀬からこの場所を本宮と定め、白髪神社が建てられました」

「おしらがさんができてから、今年で1076年目です」

「え!1076歳っていうことか!すごーい!」と子どもたち。

「白髪神社の神様は天狗さんです。約7mくらいあって、鼻は1m。目は赤くて悪い神様を寄せ付けない、すごい力がありますよ」と宮元さん。

「でかっ!」

思ったことをすぐ言葉にできる子どもたちがとても素晴らしい。微笑ましいです。

 

(後編に続く)

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メディアとお手紙

高知新聞 閑人調  14

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

芋つぼ

近所のおばあちゃんの畑には芋つぼがある。畑の脇に立つ三角屋根の戸を開くと、大人2人が入るくらいの深い穴が現れる。そこは岩で囲まれ、厚く敷き詰められたもみ殻の中にサツマイモを入れておくと、冬の間も傷むことなく保存できる。

しゃがんで滑るように穴へ入る。足元はふかふか、もみ殻の中に手を入れると「ぬくいろう」とおばあちゃん。かき分けると大小さまざまな芋が出てくる。探すのに夢中で不意に立ち上がると、屋根に頭をぶつけるので要注意。ネズミがかじった芋もあるけれど、その部分は除けばよい。

さあ帰ろう、と芋の入ったカゴを抱え、見上げた入り口向こうの空はまぶしかった。

家に戻って山の水で芋を洗い、湯をゴンゴン沸かした大釜でゆでる。皮をはいで薄く切り、わらを敷いたえびらの上に並べる。わらのおかげで裏面にも風が通り早く乾く。日の当たる特等席に並んだ黄金色の芋たちは何だか誇らしげで、ずっと眺めていたかった。

これは7年前の出来事だが、昨日のことのように思い出せる。願わくばもう一度、おばあちゃんと芋つぼに入り、あったあったと言いながら芋を探したい。続くと思われた日々は戻ってこない。だからこそ今日という日が尊く、まぶしい。

 

2024年1月25日の高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

今回は「芋つぼ」について。芋つぼは、冬の間、サツマイモやカボチャ、里芋などの芋類が傷むことがないよう保存する場所のこと。記事掲載後「懐かしい」「家にもあったよ」という声が届きました。もしかしたら、今も現役で使っているよ、というお家はあまりないのかもしれません。近所のおばあちゃんの芋つぼに入らせてもらったことは貴重な経験でした。

2024年のスタートは地震や事故など心痛む出来事が続きました。朝を迎え、日常を過ごせることは決して当たり前ではないのだと痛感しています。

「続くと思われた日々は戻ってこない。だからこそ今日という日が尊く、まぶしい」。

このことを忘れないように、この記事を書きました。

 

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