鳥山百合子

メディアとお手紙

高知新聞 閑人調 24

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

ご縁は続く

私が暮らす土佐町と青森県十和田市は姉妹都市で、1987年から、夏は土佐町を、冬は十和田市を子どもたちが交互に訪れ、交流を続けている。

この夏、十和田市の小学6年生の女の子が3泊4日の日程でわが家にホームステイをした。同学年の娘は到着の日を指折り数え、楽しみにしていた。

滞在中は、早明浦ダムでSUP(スタンドアップパドルボード)体験や川遊び、酒蔵桂月館を見学。夜は棚田を臨む道の上に寝転んで、天の川も見える星空を眺めた。

3日目は受け入れ家庭ごとに任されていて、相談して決めたのは吉野川でのラフティング!川で遊んだことがないという十和田市の子は、かなり高い岩の上から迷いなく飛び込んで「めっちゃ気持ちいい!」と笑顔。それまでの少しぎこちなかった感じが一気にほどけて、はじけた。

吉野川の流れに乗って泳ぎ、潜って急流を行き交うアユの姿を追いかけた。子どもたちが「もう一回!」と何度も潜る様子がほほえましい。

浅瀬に座って食べるお弁当とビスコッティ。冷たく清らかな水。頭上のトンビの声。きらりと輝くリバーグラス。「来てよかった」、その言葉がうれしい。

冬には娘が十和田市へ行く。ご縁は続く。

(風)

 

2024年8月29日、高知新聞に掲載されたコラム閑人調です。

土佐町と青森県十和田市は姉妹都市。1987年から、夏は十和田市から土佐町へ、冬は土佐町から十和田市へ子どもたちが交流親善使節団として訪れ、交流を続けています。

今回で第36回目とのこと、今年は5人の子どもたちが土佐町に来てくれました。

我が家には小学6年生の女の子が滞在。川で泳いだことがない子が岩から飛び込み、棚田の見える場所で寝転んで星を眺め「めっちゃきれい〜」と喜んでくれました。

一緒に過ごしながら、私自身も毎日過ごしている場所をあらためて眺める時間になりました。

受け入れにあたり、土佐町教育委員会の皆さんに大変お世話になりました。十和田市と土佐町の子どもたちや家族への連絡やサポート、本当に大変なことだと思います。36年間交流が続けられているのも支えてくださる方たちがいるからこそ。ありがとうございます。

冬には土佐町の子どもたちが十和田市へ訪れます。

再会できることはありがたく、素晴らしいことです。

 

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2024年3月1日〜3月11日、とさちょうものがたり編集部の鳥山が、長年、土佐町と交流のある京都大学(東南アジア地域研究研究所)が実施しているJICA草の根技術協力事業に同伴し、ブータンを訪れました。これはその滞在記です。

 

 

【ブータン滞在記 3月2日】

早朝に到着したパロ空港から車で移動し、パロの町を少し散策しました。

 

ここがパロの中心地。写真左、赤い看板を掲げている「Mountain Cafe」はできたばかりのお店で、ブータン国内で育てたカカオ豆を焙煎し、販売しています。ブータンは自国で生産しているものが少ないので、今後ブータンの有力な生産物になれるよう、力を入れているそうです。コーヒーはこのお店で味わうことができます。

 

左がカルチュン・ワンチュクさん 右から二人目が坂本龍太さん

 急峻な山々の間の道を車で移動し、首都ティンプーへ。
カルチュン・ワンチュクさんの友人の家に伺い、お昼ごはんをいただきました。
カルチュン・ワンチュクさん。
この方がいてくれたからこそ、ブータンと京都大学の友好的な関係が長年築けているのだと京都大学東南アジア地域研究研究所の坂本龍太さんが話してくれました。

 

坂本さんは、土佐町で行われている高齢者フィールド医学(高齢者健診)に約10年前から携わっている医師です。今年8月のフィールド医学でも土佐町を訪れ、町の高齢者の方の診察をしたり、お話を聞いたりしてくださっていました。
今回のブータン滞在は、この坂本さんが「土佐町から誰か、ブータンに行きませんか?」とお声がけしてくれたことがきっかけでした。(きっかけは語ると長くなるので、後述します!)

 

一緒にお昼ごはんを食べたブータン人の中には、2011年に土佐町へフィールド医学の視察に来たことがあるという方も。土佐町から来ました、と伝えると、「Ohhh!! TOSA TOWN!!」と両手を上げて迎えてくれました。
土佐町がブータンと繋がっていること、そして、ご縁を大切に紡いできた方たちの存在を感じました。

 

大根と豚の干し肉の炒め煮、干しいたけとキクラゲの入った炒め物。右上の「ダル」と呼ばれるお豆のスープも美味!
とにかく辛いブータン料理。滞在中、この「ダル」が幾度となく、私の胃袋を救ってくれました。

 

なみなみと注がれたアラ

アラはブータン東部でよく飲まれている蒸留酒。バターと卵が入ったアラを作ってくれたのですが、少し口にするだけで、クラッとするほど強烈!全部飲み干せず…。
飲み干すのが礼儀であったようなのですが…、本当にすみません!

 

(3月2日、まだまだ続く。)
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高知新聞 閑人調 23

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

 

銀の鈴

朝4時ごろだと思う。

日の出前、遠くから小さな鈴のような音が聞こえてくる。うつらうつらしながら、夢かな、と思う。が、遠かったその音は仲間を呼ぶように、響き合って、重なり合って、大きくなっていく。涼しげな高い音の響きは何だか心地よく、懐かしい。この音色を何かに例えるならば、銀の鈴、とぼんやりとした頭で思う。

まだ寝ていたいと思いながら鈴の音を聞いているうち、少しずつ目が覚めていく。

音の主はヒグラシ。鳴き声をよく「カナカナカナ」と表現される。早朝や夕方の涼しい時や曇って薄暗くなった時に鳴くそうだ。

布団でゴロゴロしているうちに、外はだんだん明るくなってくる。鈴の音は徐々に遠くなり、小さくなり、いつの間にか消える。音が消える瞬間に居合わせてみたいと思いながら、起きて朝ごはんを作り始めたりすると忘れてしまう。

うだるような日中は「ミーンミンミンミン」と鳴くミンミンゼミとバトンタッチ。ヒグラシはまた夕方に山の木々の間から、竹やぶから、銀の鈴の音を響かせる。「日を暮れさせるもの」としてその名がついたというヒグラシ。秋の季語である。暑さはしばらく続きそうだが、少しずつ秋に近づきつつある。

(風)

 

2024年8月12日、高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

夏の早朝聞こえてくる、ヒグラシの声について書きました。

うつらうつらしながら聞くあの声をどのような言葉にできるのか、長い間考えてきたのですが、今年やっと、しっくりくる言葉を見つけました。

「銀の鈴」。

金じゃありません、「銀」です。

早朝だけではなく、日が暮れる頃にも聞こえてきます。

まだまだ暑い日が続いていますが、その声はいっときの涼しさを運んできてくれます。

 

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高知新聞 閑人調 22

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

 

らっきょう

毎年6月に友人たちと行う「らっきょう仕事」をこよなく楽しみにしている。お山のお母さんに頼まれている恒例行事で、もう7、8年になる。

午前中はらっきょうの葉とひげ根を包丁でひたすら取る。らっきょうが少しずつかごに重ねっていく様子はなかなかいいものだ。

つーんとした香りが辺り一面に広がる中、仕事する手はもちろん、おしゃべりの口もせっせと動く。アカショウビンの鳴き声がこだまし、そばには山水の流れる音がする。

お楽しみは昼ご飯。お母さんが作ったちらしずしやゼンマイの炒め煮、タケノコ煮と切り干し大根、新タマネギの塩もみ、タマネギと芋の天ぷら。大皿にどーんと盛られて並ぶ。お母さんが朝4時から準備してくれた。

おなかいっぱいで閉じてしまいそうなまぶたを開き、午後の仕事に取りかかる。かごいっぱいのらっきょうを1粒ずつ、山水で洗い上げる。

行水できそうなほど大きなトロ箱に水をため、らっきょうを放り込む。しゃがんで1粒ずつ土を洗い落としていく。つるり、きらりとらっきょうは光る。

今年も無事に仕事を終えた。お母さんはその日の晩に塩漬けし、乳酸発酵させてから本漬けする。

(風)

 

2024年6月25日、高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

6月はらっきょうの季節。毎年恒例、土佐町溜井地区の和田農園さんを訪れての「らっきょう仕事」のことを書きました。

「らっきょう仕事」の前日、畑で育てたらっきょうを収穫し、お昼ごはんを作って待ち構えてくれているのが和田農園の計美さん。私のお山のお母さんです。

次の日「らっきょうは全部で10kg以上あった」「みんなに助けてもらって、ありがとう」と伝えてくれた計美さん。こちらこそありがとうございます!

来年の「らっきょう仕事」が待ち遠しいです。

 

 

 

 

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高知新聞 閑人調 21

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

 

五色の旗

今年3月に滞在したブータンでは青、白、赤、緑、黄色の5色の旗をあちこちで見かけた。公用語のゾンカ語で「ルンタ」と呼ばれる旗には経文が書かれており、寺院や山の中で、万国旗のように風に揺れていた。

ルンタは「風の馬」という意味で、経文と共に馬の絵が描かれている。各色には意味があり、青は空、白は雲、赤は火、緑は水、黄は土。これらは生きるために必要な五つの要素で、自分や家族の健康と幸せを願う祈りが込められていると知り、驚いた。土佐町にも5色の旗があるからだ。

毎年6月、土佐町の各地では伝統行事の虫送りが行われる。虫送りは稲に虫がつかないよう豊作を祈る行事で、5色の色紙をつなげて作った「五色の旗(ごしきのはた)」を竹に結びつけ、田のあぜに立てる地域がある。

「赤は太陽、黄は月、青は火、緑は水、黒は大地。この五つが調和し、豊かな実りを得られるようにという願いが込められているのですよ」。宮司さんがそう教えてくれた。

五色は、仏教において如来の精神や知恵を表すと聞いたことがある。旗を揺らす風の向こうに、ブータンと日本のつながりを感じた。その土地で生き、祈る人たちの姿が見えるようだった。

(風)

 

2024年6月5日の高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

毎年6月に土佐町で行われる伝統行事、虫送り。今年も町内各地で行われました。

太鼓や鐘の音が響く中、子どもや大人が「サイトウベットウサイノボリ イネノムシャ ニシイケ」と唱えながら地域の中を練り歩きました。

土佐町の宮古野地区では虫送りの際に、田んぼのあぜに「五色の旗」を立てます。五色にはそれぞれ意味があることを、白髪神社の第41代目の宮司である宮元千郷さんが教えてくれました。

その五色の旗ととてもよく似た旗をブータンで目にした時はとても驚きました。

遠く離れたブータンの地と、今自分が暮らす町がつながっている。その感覚はなんとも不思議でありながら、とても心地よいものでした。

 

土佐町の絵本ろいろい ④

虫送り

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メディアとお手紙

高知新聞 閑人調 20

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

 

やなせさん

香美市出身の漫画家、やなせたかしさんは「人間が一番うれしいことは何だろう?」と長い間考え続けていたそうだ。そして見つけた答えは「人は人を喜ばせることが一番うれしい」。自分の作品を見た人が喜んで笑ってくれるとうれしくてたまらない。笑い声を聞きたくて、喜んでくれるのがうれしくて、描き続けることができたという。

生活しているとさまざまな「うれしい」と出合う。例えば、自分の取り組んだ仕事を喜んでくれた人がいたり、子どもが「このおかず、おいしい!」と言ってくれたり。

相手が笑ってくれた、楽しんでくれた、喜んでくれた。その実感に励まされ、大きなエネルギーをもらいながら、私は今まで何とかやってくることができたのだと思う。

「人間が一番うれしいことは?」。

その問いの答えはどこか遠くにあるのではなく、きっといつも自分のそばにある。

目の前のあの人、この人、誰かを喜ばせることが巡り巡って自分の喜びになっていく。その循環はきっと世界共通。人間は、そういったことにうれしさや喜びを感じる生き物なのだと思う。

「人生は喜ばせごっこ」。

やなせさんの言葉はまさしく真理だと、今実感している。

(風)

 

2024年5月1日の高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

最近、高知県香美市出身の漫画家、やなせたかしさんの著書を読んでいます。

やなせたかしさんといえば、子どもたちに大人気、丸顔の正義の味方「アンパンマン」の作者というイメージが浮かぶ方も多いと思います。

アンパンマンは、やなせさんがが従軍し、空腹ほど辛いものはないという経験から生まれたキャラクターであることを知りました。いや、キャラクターというよりも、やなせさんの哲学そのものと言ったらいいでしょうか。

アンパンマンは、やなせさんが50歳の時に誕生。やなせさんはそれまで、代表作と言えるものがないという思いに苛まれていたといいます。そう知ってから、あちこちでにっこり笑っているアンパンマンの見え方が変わりました。

そのやなせさんが遺した言葉の一つが「人生は喜ばせごっこ」。やなせさんがご存命だったら「まさにその通りです!」とお伝えしたかったです。

 

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読んでほしい

ハクビシン

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先日、近所のおんちゃんと夕ごはんを食べた。
仕事の帰り道、偶然会って話していたら「今日ごはん食べに行ってもいいか?」と聞かれ、「どうぞ!」ということに。

おんちゃんは一旦家に帰り、お刺身やらおかずやらお酒やらを持ってきてくれた。美味しく食べ、楽しく飲みながら話していると「ハクビシン、食べたことあるか?」と聞かれた。

ハクビシンの噂は聞いていた。おんちゃんによると「肉の中で一番うまい」と言う。
「食べたことないです。めっちゃ食べたいです!」
おんちゃんは目を細め、「うんうん、今度すき焼きにして食おうや」と言ってくれた。

ここまでが、おんちゃんとの夕ごはん1日目のお話。

 

夕ごはん2日目

その2~3日後。
おんちゃんはハクビシンを持って現れた。
友達が捕らえてさばいたというハクビシンの肉を持ってきてくれた。鮮やかな紅色で、5mmから1cm位の脂身がある。おんちゃんはネギや豆腐、エノキや白菜やすき焼きのタレも持参。私はカセットコンロと鍋を用意しただけだった。

ぐつぐつ、ぐつぐつ。
満ちてくる甘辛い香り。野菜を煮、少ししてからハクビシンの肉を投入する。じっと様子を観察し、紅色が変わった瞬間を見計ってパクリ。

なんという歯ごたえ!コリコリしていて、噛めば噛むほど味が滲み出てくる。これはもう、これまで最高に美味しいと思っていたシシ肉を上回るかもしれない。もう、夢中になって食べた、食べた。

おんちゃんによると、ハクビシンは別名チョウセンネコというらしい。私は実物を見たことはないが、体長は40cm程、秋には好物の柿を食べにくるそうだ。
血抜きいかんによって上手くも不味くもなる。友達がどんなにさばくのが上手か、おんちゃんは熱く語ってくれた。

人生初のハクビシンは本当に美味しかった。おんちゃん、ありがとう。もう一度と言わず、何度でも食べたい。

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メディアとお手紙

高知新聞 閑人調 19

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

 

山の恵み

ゆでられたゼンマイが竹で編んだえびらに干され、家の軒先に並ぶ季節になった。コロコロ転がすようにもむと春の香りが広がる。干して、もんで。何度も繰り返すことでおいしいゼンマイになる。

ゼンマイは芽を出すとあっという間に伸びるので、天気の良い日は腰かごを身に着け、せっせと摘む。ぽきんという音が心地良い。

以前、近所のおばあちゃんと一緒にゼンマイを収穫したことがある。おばあちゃんは肥料の空袋にひもを付け、腰に縛り付けていた。「さあ行こか」と、足取り軽く斜面を登り、時には斜面を滑るように摘んで袋に入れる姿は、長年の経験を物語り、素晴らしく格好良かった。

先日、道端に車を止め電話で話していると窓をたたく人が。開けると、握っていたイタドリをぐいっと差し出し、口の動きだけ

「や、ろ、か?」

「あ、ありがとうございます!」

今年の初物を握らされた。

うんうんとうなずきながら歩き去っていくその人は、きっと散歩中にイタドリを見つけては摘んでいたのだろう。電話相手が「どうした?」と聞いてきた。

「イタドリ、もらった!」

いただいたイタドリは皮をはいで塩漬けし、数日後、油揚げと炒めて食べた。

これぞ山の恵み、春の味。

(風)

 

2024年4月15日の高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

4月に入って、たびたびお裾分けをいただく山菜について書きました。

春、田んぼ周辺や丘や道端で、山菜を収穫する人の姿をあちこちで見かけます。

山菜を見れば収穫せずにいられない。どうしたって血が騒ぐのは、人間は狩猟採集することで生きながらえてきた民族だからに違いありません。

コラムに書いた、腰に肥料袋を縛り付け、ゼンマイが育つ丘を軽やかに歩き回っていたおばあちゃんはもう亡くなりました。

おばあちゃんは亡くなりましたが、春はいつもそのおばあちゃんの姿を思い出させます。

春の山菜は山の恵み。その向こうに、いつも誰かの姿が見えてきます。

 

 

 

 

 

 

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読んでほしい

山菜ラッシュ

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連日、山の恵みをいただいている。

ワラビ、イタドリ、ゼンマイ、タケノコ、タラの芽…。都会では買わなければ食べられないものが、玄関先に置いてあったり、「持っていきや〜」と、どさっと手渡される。

先日、大量のワラビとイタドリをいただいた。なんとまあ!すぐに食べられる状態になっているではないか!

収穫した山菜を食べるためには下処理が必要である。以前、ワラビを下処理なしでかじったことがあるが、ものすごく苦い。下処理という仕事なしにはワラビをはじめとする山菜を食すことはできない。山菜によって下処理の方法が違うため、なかなかの大仕事。けれど不思議なことに、この手間ひまかかる仕事と向き合う時、春が来た実感を得る。

山菜たちは口裏を合わせたように収穫時期が重なるので、それぞれの処理が夜な夜な仕事になることもある。

だからなお一層、この日いただいた山菜のありがたさが心に沁みた。この量の山菜の処理にどれだけ時間がかかるのか、私には分かる。惜しげもなく手渡してくれた人の姿が何度も浮かんだ。

 

下処理について

写真手前がワラビ。ワラビは灰をかけて熱湯を注いでアクを抜く。この湯が熱すぎると、せっかくのワラビがドロドロになってしまうので要注意。今まで何回も湯加減を見誤り、涙を飲んだ。

写真奥は、高知県民だけが食べるというイタドリ。このままかじるとかなり酸っぱい。イタドリはまず皮をはぐことから始まる。皮が一度も切れることなく、する〜っとはげた時の爽快感はたまらない。皮をはいだイタドリは塩漬けしてアクを抜く。食す際には水に浸けて塩抜することで食べられる状態になる。

(注:それぞれが自分の極めた方法を持っています。これはあくまで私のやり方です)

 

これらの仕事をすっ飛ばし、すぐに食べられる山菜はありがたい以外の何者でもない。

ということで、連日、ワラビとイタドリを食べている。

初日はワラビの卵とじとイタドリの油炒め。二日目はワラビのきんぴら。三日目の今日は、イタドリと豚肉を炒めて食べようと思う。

どなたか、オススメのレシピがあればぜひ教えてください!

 

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メディアとお手紙

高知新聞 閑人調 18

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とさちょうものがたり編集部の鳥山が、2023年春より、高知新聞の「閑人調」というコラムに寄稿させていただいています。

このコラムには数人の執筆者がおり、月曜日から土曜日まで毎日掲載。月初めにその月の執筆者の氏名が掲載され、コラム自体には執筆者のペンネームが文章の最後に記されます。

鳥山のペンネームは「風」。月に2回ほど掲載されます。

 

ご縁

前回の当欄は、訪問中のブータンで書いた。そもそもなぜブータンを訪ねたかといえばー。

この貴重な機会は、土佐町と京都大学東南アジア地域研究研究所の長年の交流から生まれた。

「幸せの国」と呼ばれるブータン。物質的、経済的な豊かさの比較よりも「国民総幸福度」を尺度として掲げ、その理念に基づく国づくりを行なっていることで知られる。

ただ、日本同様に、農村部では過疎・高齢化などの問題が深刻化しており、同研究所はブータンの大学と連携し、地域づくりに携わる人材育成を支援している。互いに人的な交流を続け、ブータンの方が来日した際には、中山間地域にある私の職場にもたびたび来てくれていた。その際にはブータンの方に、国旗にも描かれている龍をTシャツに印刷する体験をしてもらっていた。

私の職場では、障害のある方がシルクスクリーンという手法で印刷したTシャツを販売し、売り上げの一部を賃金としてお支払いしている。うれしそうにTシャツを着るブータンの方を見て、世界はやっぱり広いということを思い出させてもらっていた。

この交流が今回のブータン訪問のお声がけをいただくきっかけになった。人生何が起こるかわからない。ご縁に感謝。

(風)

 

2024年3月29日の高知新聞に掲載されたコラム「閑人調」です。

前回に引き続き、ブータンについて。今回は、ブータンに行くことになったきっかけを書きました。

3月1日〜12日のブータン滞在中、以前土佐町でお会いした方に何人も再会しました。保健省の役人さんや大学の先生、京都大学が主催するJICA(国際協力機構)草の根技術協力事業に関わる現地の職員さん…。日本滞在中に編集部に来てくれて、シルクスクリーン体験をしてくれた人たちです。「また会えてうれしい!」と握手を交わせることは、本当に素晴らしいことです。

「(シルクスクリーンで印刷した)龍のTシャツ、今も着てるよ!」と話してくれる人も。

滞在中、私にもっと語学力があれば…と思うことも多々あり、英語は勉強し続けるべきと痛感しました。

ブータンの方が初めて土佐町に来たのは2011年だったと聞いています。土佐町とブータンのつながりが生まれたきっかけなどなど、ブータン滞在記として、これから書いていこうと思っています。

 

 

*前回の「閑人調」はこちら

高知新聞 閑人調 17

 

*国民総幸福度(GNH)による国の運営を進めているブータン。2019年、土佐町で幸福度調査を行うにあたり、ブータンの現状を学ぶため、とさちょうものがたり編集長の石川がブータンを訪れています。

 

【番外編】ブータン・GNHレポート No.5

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