鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「ナショナルストーリープロジェクト」 ポール・オースター編 柴田元幸訳 新潮文庫

「とさちょうものがたり」の連載のひとつ「土佐町ストーリーズ」が生まれたきっかけとなった本です。

アメリカの作家ポール・オースターがラジオ番組で募集した、アメリカで暮らす「普通の」人々の実話が綴られています。
私は特に「お祖母ちゃんの食器セット」「青空」というお話が好きです。

毎日の中にある「普通の」出来事が、実はあの時のあのこととつながっていたんだ、とはっとする時があります。
そのことに気づくのは、いつもあとからなのですが。

今日刻むだろう足跡も、これからの歩いていく道のりも、きっといつかこの先で、どこかで何かとつながっているのでしょう。

鳥山百合子

 

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山の手しごと

すいかとり(後編)

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(前編

 

ふと視線をあげると鶏小屋の屋根にからまる蔓に鈴なりのアケビがなっていた。まだ緑色で食べごろではないけど「秋には紫になるよ」とおじいちゃんは教えてくれた。

もう山の向こうに沈んだ太陽が山の稜線にオレンジ色の線を引いているのが見えた。そばにはしそ、生姜、リュウキュウ。これから実をつける秋豆が育っている。

おじいちゃんとおばあちゃんの足跡を感じる畑。ゆたかだなあと思う。

 

スイカ畑にはいくつもプラスチックのケースやカゴがひっくり返っている。トランプの神経衰弱みたいにこれはどうかな?と箱を開けていくと、中にスイカが入っている。
まだ小さいのもあるし、もう傷んでいるのもあるし、ちょうどいい大きさのもある。

「こうやっておかんとたぬきが食べにくるけ。」とおじいちゃん。
さっき食べたスイカもこのケースに守られながら、はち切れんばかりに育ったのだとわかった。

 

息子が畑に飛び込むように入って、ケースを返していく。

「おじいちゃん、これ、どうやろ?」

「ん〜。それはもうちょっとおいちょこうか。」

 

 

もう空の色が夕暮れへと変わり始めていた。杖をつきながら見守ってくれてるおじいちゃんはきっとこの日を楽しみにしていくれていたのだと思う。このおじいちゃんのまなざしをちゃんと覚えておきたいと思いながら私はそばにいた。

収穫した2つのスイカを息子と私で抱えて畑を降りる。
ずっしりと重い。きっとこのスイカも美味しいに決まってる。

 

スイカを抱えてまたおじいちゃんの家に戻った。

おじいちゃんは「池に入れちょいたらえい。これは清水やけ、よーく冷えるんよ」と言った。

 

池のそばまでスイカを抱えて行ってどうやって入れたらいいのかと迷ってると、「そのまま!ドボーン!」とおじいちゃんは笑った。

 ドボーーン!

スイカは音を立てて池の底の方まで沈んでから、くるくるくると回りながら浮かんできた。

 

 

2つとも池へ入れるとスイカのそばに鯉が寄ってくる。時々つついたり体を寄せたりしながらスイカを揺らす。
この鯉にも食べたスイカの皮をあげると、残っている赤いところを喜んで食べる。我先にひとつの皮に頭を寄せ押し合いへし合いしながら、口をパクパクさせてスイカに夢中になっている。

 

 

おじいちゃんは「こうやって冷やしといたらえい。また明日取りにおいでや」と言った。
お言葉に甘えてそうさせてもらうことにした。

そして最初に切ったスイカの半分をお土産にと持たせてくれた。

 

 

それから毎日のようにスイカを食べた。そのたびにこの日のことを思い出す。
「これ、おじいちゃんちのスイカ!」と言いながら子どもたちと頬張った。

今年、一度もスイカを買うことはなかった。

 

おじいちゃんは、またもう少ししたらきっと「スイカ取りにきや」って言ってくれるだろう。
また畑へ取りに行って、一緒にスイカを食べたいと思う。

続編に続く)

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山の手しごと

すいかとり(前編)

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8月下旬のある日、近所の上田覚さんが田んぼの脇で仕事をしていた。
親しみを込めていつも私は、上田のおじいちゃん、と呼んでいる。

挨拶すると「スイカ、もう少ししたらいい大きさになるき、取りにおいで」と言った。

「来週くらいがちょうどえいと思う」。

声をかけようと思ちょったき、よかった、と笑うおじいちゃん。

こういった出来事に今まで何度も救われて支えられてきたなあと思う。
来週の楽しみがまたひとつ増えた。

 

「来週」、おじいちゃんは電話をかけてきた。

「スイカ、取りに来や〜」

 

夕方子どもたちとおじいちゃんの家を訪ねると、玄関前の池では四角いプラスチックのケースに入った大きなスイカが池に冷やしてあった。無理やり入れたようにケースはパンパンではみ出しそうになっている。

その横を赤や白の鯉たちが泳いでいる風景がなんともいい。

 

 

おじいちゃんと一緒にケースを持ち上げて水からあげる。
ケースからなかなか出でこないスイカ。押したり引っ張ったりしてなんとか出す。
スイカの表面はつるりとひんやりして触ると手のひらにじんわりと冷たい。

おばあちゃんがまな板と包丁を持って来てくれた。
息子が切ろうとするけれど、なかなか刃が中身まで届かない。
見かねたおばあちゃんが「おばあちゃんが切っちゃお!」と交代してくれた。

 

「ザク、ザク、ザク、って音がしゆう」

ぱかっと開いたスイカは赤色だった。もう十分に育っていましたよ、待ってましたよ、と言っているみたいに中身が詰まっていて、もうはち切れんばかり。というよりももうはち切れていた。

 

ザック、ザック、ザック。

おばあちゃんが大胆に、大ぶりに切ってくれた。
「私らあが子どもん時は、こんなスイカはなかったけね。」とおばあちゃん。

 

ガブリ!!

かぶりつくと、めっちゃ甘い!
ポタポタと汁がたれてくる。
口の周りも手もスイカの汁でびちゃびちゃになる。
もう夕ごはんは入らないんじゃないかと思うほど食べた。

 

 

「さ、畑にもあるぞ〜。いこか!」

おじいちゃんと畑へ向かった。

おじいちゃんは肩で息をしながら畑への坂道を登っていく。途中で立ち止まって振り返り、私たちに「先行って」と言う。前はこんなことはなかった。おじいちゃんは春頃から少し体調を崩し、今は起き上がって少しずつ仕事ができるようになっていた。「胸が苦しいんよ」と小さな声で言った。

 

ホースを通って流れてくる山からのゆたかな水。その水を受け止めている桶から水は溢れ出し水路へと流れていく。受け止められて、流れて、またきっといつか戻ってくるのだ。

 

畑にある鶏小屋へ行き、さっき食べたスイカの皮やタネを鶏にあげると争うようにしてついばむ。
スイカに残っていた果汁とタネがはねる。
鶏が食べたこのスイカが卵に変わるのだ。(この鶏の卵をおじいちゃんが育てたごはんにかけて食べる「卵かけごはん」は最高だ!)
スイカを入れるために開けた戸がそのままでも鶏は逃げることがない。そのくらい夢中になって食べている。

こうやって、循環していくのだなと思う。

(後編へ続く)

 

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「メリーゴーランドという本屋さんにお勤めの近藤さんって、知り合いかな?」
笹のいえの洋介さんから連絡があった。

『メリーゴーランド』は三重県四日市市にある子どもの本の専門店。以前何かの本で知り、行ってみたいと思っていた場所だった。「とさちょうものがたりZINE」をお店に置いてもらいたいと電話をしたら快く「いいですよ」と言ってくださり、1ヶ月ほど前に02号を送っていたのだった。

洋介さんにそのことを話すと「そうそう!近藤さんはお店に送られてきたZINEを見て土佐町に行ってみたいと思ったんやって。今うちに泊まってくれてる。」とのこと。

 

もう明日の早朝には帰ってしまうという。

洋介さんが「近藤さんは今、歩いて一人で権現の滝に行ってるよ。」と教えてくれた。
平石地区にある権現の滝までは一本道だから、きっとどこかで会えるはず。会いに行こう!

 

ZINEがきっかけで、土佐町を訪ねてきてくれた人がいる。権現の滝に向かう道沿いを流れる川も、平石のりんご園の旗が立つ風景も、何だかいつもと違って見えた。

 

権現の滝の入口にある駐車場に車を停め、滝へ向かって歩き始めると、山道の向こうから一人でこちらに歩いてくる人がいた。緑色のTシャツを着たその人は、山の中で急に目の前に現れた私に「あの…、近藤さんですか?」と聞かれて心底びっくりしたと思う。

ずっと四国に行ってみたいと思っていたこと、そんな時に勤め先に送られてきたZINEを手にしたこと、バスや電車を乗り継いで土佐町に着いたことを近藤さんは話してくれた。

少し前、とさちょうものがたり編集部に「ZINEを見て土佐町に行きたいと思った。行き方と宿泊先を教えてほしい」と連絡をくれた人がいた。話して初めてわかったけれど、その連絡をくれた人が近藤さん本人だった。

「その時、笹のいえを紹介してもらって、笹のいえのことを初めて知ったんです。」

そして実際に近藤さんは土佐町にやってきた。

 

メリーゴーランドにZINEを送ったこと、その場所で近藤さんが働いていたこと、近藤さんが編集部に連絡をくれたこと、洋介さんが連絡をくれたこと…。これまでの出来事のどれか一つでも欠けていたら、この出会いはなかっただろう。

多分、どんなできごともどんな出会いも、それぞれの人が知らず知らずのうちに重ねてきた小さな奇跡でできている。

 

近藤さんは「土佐町に来てよかった。」と言っていた。
そのことがとても嬉しかった。

この出会いもきっと、これから先にある何かとどこかでつながったりするのかもしれない。

 

 

近藤さんと笹のいえの子どもたち

写真提供:渡貫洋介

 

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「とさちょうものがたりZINE」を置いてくださっているお店が少しずつ増えています。

そのひとつ、高知市はりまや町に「海花布土木」さんというお店があります。

海花布土木さんは、ZINE01号から置いてくださっています。

02号をお送りするとわざわざ電話をかけてきてくださいました。

「とても素晴らしかった。近所のお店の興味がありそうな人に配ってもいいかしら?」

電話をかけてきてくださった日は何だか朝からとても忙しかった日の夕方で、この電話が目の前の忙しさや疲れやバタバタに囲まれていた気持ちの隙間に爽やかな風を運んできてくれました。

もっと言えば、何か大事なこと…、ひとつのものごとを始めた時の初心のようなものを思い出させてくれたのでした。

海花風土木さん。こんな風にZINEと9月の物産展のチラシを置いてくださいました。

その時は気づかなくても「この出来事があったから今がある」と感じることがあります。
私たちの知らない間に、私たちがまだ知らない場所で、ZINEがバトンのように次の誰かへ手渡され、手にした人たちがZINEに込めた思いを受け取ってくださっている。

これはZINE02号から感じる実感です。

振り返ってみると、あの時の一本の電話が、この実感へとつながる一番最初の出来事だったなあと思うのです。

海花布土木 (はなふどき)
高知県高知市はりまや町2-8-8あんどうビル2F
088-884-2296
営業時間/12:00~19:00
定休日/火、水曜日

 

 

 

他にもこんな場所に置いてくださっています。

・オーテピア 
01号を発刊した時、本屋「金光堂」さんを通じてZINEのご注文をいただきました。貸し出しできるようバーコードが!
高知の図書館の本棚に並べられ、貸し出し、保存されていくのかと思うととてもうれしいです。

 

オーテピア

〒780-0842 高知県高知市追手筋2-1-1

 

 

・金光堂本店
帯屋町商店街の金光堂さん。01号から置いてくださっています。「これからもZINEが発刊されたら継続して置きたい」と店長さんが話してくださいました。

 

金光堂書店本店
〒780-0841 高知県高知市帯屋町2−2 帯屋町チェントロ
電話: 088-822-0161

 

 

・アジア食堂歩屋
南国にある素敵なアジア料理のお店。早速手にとってページをめくってるお客さまが。

 

アジア食堂 歩屋

高知県南国市岡豊町江村杉尾丸47
088-864-2280

 

 

 

・BEAMS高知
BEAMS高知さんも01号から置いてくださっています。なくなっていたので先日補充してきました。

 

BEAMS高知

住所:高知県高知市はりまや町1-11-8 ALCO2 1F

電話:088-880-3388

 

隣の本山町さくら図書室からは「土佐町からお嫁にきた人が多くいて、“叔母が載っている”、“あ、◯◯さんや、元気やろうか?”と話してみんな喜んで持って帰る。もうなくなってしまったので、また持ってきてもらえますか?」と電話をいただきました。
感想や反響を伝えてくださることがとてもうれしいです。
ありがとうございます!

 

*ぜひこちらもご覧ください!

ZINE

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とさちょうものづくり

野中祭のハッピ、作りました!

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どんぐりのシルクスクリーン印刷

 

土佐町の夏。

7月の南川百万遍祭りをはじめに、中島、相川、地蔵寺、石原と各地域ごとのお祭りが続きます。

土佐町の祭りの最後をしめるのは「野中祭」。

野中祭実行委員会から「野中祭のハッピを作ってほしい」というご注文をいただき、「とさちょうものがたり」×「どんぐり」、野中祭のハッピを作りました!

 

 

子ども用のハッピは白インクでプリントしました。

 

土佐町のロゴと祭りに欠かせない鳴子の入ったデザインです。地域の方とああでもない、こうでもない、と相談しながらデザインを決めました。

 

 

ハッピ制作で難しいのは、前側の衿(黒い部分)へのプリント。でもその問題は、以前「土佐町のハッピ」を作った時に解決済み!

前側の衿 右に「土佐町」、左に「野中祭」

 

(写真ではもう文字がプリントされていますが)文字をバランスよく決まった位置にプリントするためには、版を置く場所を固定することが必要です。
どんぐりのみなさんが考えたのは、衿の上部にダンボールをのせ、ダンボール上辺と版の上辺が合うように版を置く方法。

 

 

版の上下に貼られた青いテープに描かれている黒い線を、衿の真ん中に合わせます。衿の幅は狭いので、慎重に版を置きます。

 

 

プリントした文字の位置、インクの量などを確認します。

 

 

こんな風にして一枚ずつ制作していき、大人用30枚、子ども用20枚、計50枚を制作しました。

 

 

そして迎えた8月18日。野中祭の夜。

どんぐりが印刷したはっぴを着て踊る

 

ちょうちんの灯りのもと、大人も子どもも赤いハッピを着て踊っている姿を見ていたら、このハッピが出来上がるまでに試行錯誤したことや色々あった出来事がいくつもいくつも頭の中をめぐり、やっぱりグッとくるものがありました。

 

鳴子を使わないで踊るときは、こんな風に、腰に巻いた帯に鳴子をさしておきます。

 

 

苦労した衿の文字も、着てみるとこんな風にきれいに合わさっています。

 

 

このハッピを作ったひとりであるどんぐりのきほさんも、その風景は「何だかとてもうれしかった」と話していました。
作ったものが誰かの元へと届くということは、作る人と受け取る人の思いが重なるようなことなんじゃないかな、と思いました。

 

地域の方が「どんぐりさんに作ってほしい」と、注文してくださったことがとてもうれしかったです。ありがとうございます。

 

また来年もその次の年もやってくる夏の野中祭。
このハッピを着ている人たちがいる風景をみるたびに、きっとこの初お披露目の日のことを私たちは思い出すでしょう。

 

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2018年7月20日、『とさちょうものがたりZINE 02』を発行しました。

ZINEは、まず土佐町の人たちの元へと届けられます。

 

 

土佐町役場の大尾千寿さんが、地区の世帯数ごとに仕分けをしてくださっています。

土佐町には全部で41区に分かれ、世帯数が2軒だけのところもあります。たとえ世帯数が少なくても全戸配布されます。

あの山やあの場所で暮らしている人生の先輩方をはじめ、土佐町の人たちがZINEを手にし、ページを開いてくれたらとてもうれしく思います。

 

 

そして『とさちょうものがたりZINE』はただいま絶賛発送作業中!

県内外のお店や本屋さん、お世話になっている方たち、お問い合わせいただいた方たちへの元へと届けさせていただいています。

 

土佐町スタンプを押したダンボールで送ります。

ZINEの入ったダンボールを大量に持ち込もうとしていると、土佐町森郵便局の局長さんが荷台を転がして外へ出てきて、せっせとダンボールを荷台に載せ、中へと運んでくださいました。ありがとうございます!うれしかったです。

そして郵便局のみなさん総動員で、郵送作業をしてくださいました。

 

 

『とさちょうものがたり ZINE 02』、土佐町の郵便局から色々な土地へ、色々な人の元へと旅立っています。

ページをめくり、「土佐町」を感じてくれたらとてもうれしく思います。

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(前編はこちら

 

「キネマ土佐町」を「映画館」で上映した。

石川は土佐町に来てから、秋も冬も春も夏も、朝も昼も夕方も夜も真夜中も、土佐町のさまざまな姿を撮影し続けてきた。数え切れない映像の数々を厳選し、季節ごとにキネマ土佐町を制作、完成させるたびに土佐町の各地域で上映してきた。まず土佐町の人にこの映像を届けたい、という思いはきっと多くの人に伝わっていたのではないだろうか。

皆が寝静まっている間に夜空の星たちが描く弧をとらえ、雪が降り積もる真夜中の稲叢山でカメラを回し続けた。笹ヶ峰の紅色の夕焼けに心を震わせ、車の中で寝て迎えたという陣ヶ森での夜明け。土佐町の人たちの日々の営みとの出会いを石川は心から楽しみ、真摯に向き合って来た。

 

「キネマ土佐町」の上映中、「あれ、私や!」という声が上がった。その人ははっと口を押さえていたから思わず声が出たのだろう。それは「キネマ土佐町・春」の夕方の田んぼのシーン。山の向こうに沈んだ太陽が残していった光の満ちた田んぼで、苗の植え直しをしているのがその人、川村佐代子さんだった。

佐代子さんが映画館から出てきてから、石川が「あの時はありがとうございました。」とあらためてお礼を言うと「あの時、あの時!そうやったねえ。」とちょうど一年前に撮影した日のことをとてもうれしそうに話し始めた。

心のどこかにあった出来事がまるで昨日のことのように蘇ったのかもしれない。佐代子さんの表情はその映像を見る前と見た後では全く違っていた。手を振りながら軽やかに帰っていった佐代子さんは、きっとこれから何度もこの日ことを思い出すだろう。

 

 

またある人は「キネマ土佐町、これ、なんなんでしょうか?なんで涙が出るんでしょうか?」と自分でも訳がわからない、という風に涙を拭きながら映画館から出てきた。

「ありがとう、ありがとう。ありがとう、ありがとう。」
そう言いながら振り返り振り返り、名残惜しそうに帰る人もいた。

その気持ちは、とてもよくわかる。

 

きっと人は心の深いところに誰もが共有できる「なにか」を持っている。
きっと人間が誕生してから引き継がれて来ただろう大切ななにか。

時々、そのなにかへの扉が開くような瞬間に出会うことがある。

毎日通る道や毎日見ている風景、毎日の暮らしの中に、きっとそのなにかがあることは感じていた。
「キネマ土佐町」を観た人たちの姿は、そのなにかの存在を確かなものに変えてくれた

 

 

写真展が始まってから何日か経ったある日の夕方、学校帰りの小学生、川田真靖君が自転車でやって来た。
真靖君はゆっくりと写真と写真の間を歩きながら、一枚ずつ丁寧に見ていった。

自分の写っている写真の前で立ち止まり、仁王立ちしながらしばらく眺めた後、つぶやいた。

「うーん…。いい思い出や!」

そして、撮影した日のことを懐かしそうに話してくれた。撮影場所へ向かう時にくねくねの山道で気持ちが悪くなったこと、水がとてもきれいで気持ちがよかったこと…。
稲叢山の麓を流れる清流で撮影した写真を、後からやってきたおじいちゃんとおばあちゃんに「これ、僕!」と指差すの表情は誇らしげだった。

 

不思議なことに写真はその時の空気の感じや人との関係をも写し出すのだなと思う。
その写真は真靖君と石川のあいだに気持ちのよい風が吹いていること、そこに互いへの信頼があることを教えてくれていた。

 

 

赤ちゃんから人生の大先輩まで、撮影させていただいた人たちをはじめ、土佐町の人たち、町外、県内外からも本当にたくさんのお客さまが来てくれた。

1ヶ月の期間中、石川はできる限り会場にいて、来てくれた人たちを迎えた。

石川が世界中、日本中を旅しながら今まで培って来ただろうこの世界へのまなざしと深い愛情が多くの人の心に届いている様子は何よりうれしかった。

 

「土佐町がこんなに美しいところだったなんて気づかなかった。」という声を何度も聞いた。

流れていく季節、流れていく時間、流れていく、今。
重ねられてきたの上を私たちは生きている。
私たちの毎日には、美しくかけがえのない瞬間がちりばめられている。

生きているということはそれだけで尊いことなんだと石川は思い出させてくれた。

 

石川が真正面から向き合って来た土佐町の姿の数々が、10年後も20年後も、誰かの扉を開くきっかけになったらうれしい。

 

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2018年6月2日、「石川拓也とさちょう写真展」オープニングイベント当日。
この日は朝から気持ちのよい風が吹いていた。

 

 石川が土佐町に来る前に撮影した写真、色とりどりの万国旗が風にはためく通路を抜けると、そこが写真展会場である体育館への入り口。
多くのお客さまたちは体育館へまず一歩足を踏み入れると、一瞬立ち止まる。風に揺れる写真たちに目を向けながらほうっ…と深く息を吐く。まるで深呼吸するみたいに。
そして写真とゆっくりと向き合うように立つ。その姿は写真のその人や風景と何かを語り合っているかのようだった。

 

「そのままが写っている作品ばっかりやね。飾ってない。そのままでえい。」

地蔵寺地区の筒井政利さんと重子さんがそう言いながら目を細めた。玄関でお二人を迎え寄り添ってきた石川もそばに立つ。写真の政利さんと重子さんはぽかぽかとした春の陽だまりのしたで肩を組み、笑顔でこちらを向いていた。3人はこの写真を撮影した日のことを話しながら、あの日のよき時間をもう一度思い出しているようだった。

3人とも何だかとても幸せそうだった。

 

子どもたちが「たくちゃん、たくちゃん!」と石川の足元にやってくる。
写真と写真の間を駆けていく。

土佐町の人たちと風景が風に揺れていた。

 

 

体育館の中ではどんぐりのシルクスクリーンチームが中心となって、お客さまが持って来た服に印刷したりやり方を教えたり。その順番を待つ人の列が途切れることはなかった。目の前で絵が印刷される瞬間を目にした人が笑顔になる姿は、何度見てもよきものだなあと思う。

シルクスクリーンは今まで誰かに頼んでいたことを自分たちの手に取り戻す作業でもあって、1枚1枚を積み重ねていくこと、誰かが喜んでくれることがまた喜びになる。その循環はとても気持ちがいい。

この日、どんぐりのみなさんはかなり疲れたと思うけれど「とてもいい経験だった。」と話してくれた。刷り上がった絵を目の前にしたお客さまの姿は、これからもどんぐりのみなさんの背中を押し続けてくれるのではないかと思う。

 

 

その隣では笹のいえのくるくる市も開催。使わなくなったけれど誰かに使ってもらいたいものを持ち寄って、必要な人が持ち帰ることができる市。
服や本、調理器具などがたくさん並んだ。身の回りにあるものを大切に使い「くるくる」と人と人との関係も巡らせていくような笹のいえの姿から、多くのことを学ばせてもらっている。

 

今回の写真展では、できるだけ今あるものを使い工夫して作るということを大切にした。それはこの地の先人たちがずっと大切にしてきたことであり「とさちょうものがたり」の基本姿勢でもある。

 

 

写真展の会場はたくさんの人たちの協力でできあがった。

映画館」に隙間なく張った暗幕と万国旗はみつば保育園に借してもらった。写真をつり下げるために体育館の2階に渡したロープは仁井田亮一郎さんが分けてくれ、土佐町役場の近藤哲也さんが緩まないようにぎゅっと結びつけてくれた。写真の上下を支える細い竹は笹のいえの竹やぶから切らせてもらい、和田廣信さんがなたを使って竹の節をツルツルに削ってくれた。会場である青木幹勇記念館の田岡三代さん、西峯千枝さん、稲村章さんが竹に結ぶ麻紐をちょうどいい長さに切ってくれた。
みなさんの気持ちがとてもうれしくありがたかった。

 

会期中、記念館の近くに住む川田秋義さんが何度も足を運んでくれた。秋義さんは多くを語る人ではなかったけれど、周りの人の話に耳を傾けながらいつも静かにその場所に座っていた。
そんなある日、三代さんが教えてくれた。

「秋義さんが持って来てくれたよ。」

手渡してくれたのは高知新聞に掲載された写真展の記事のコピーだった。秋義さんがこの記事を読み、切り抜いている姿が目に浮かんだ。秋義さんはあの場所に座りながら、いつも心を寄せ応援してくれていたのだ。

 

1ヶ月の写真展の間、会場にいくたびに感じる風がいつも気持ちがよかったのは、たくさんの人たちの協力と来てくれたお客さまのおかげ。

後編につづく)

 

*この文章は『とさちょうものがたりZINE02』に掲載されています。

とさちょうものがたり ZINE 02

 

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土佐町ストーリーズ

夏の朝

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7月に入ったあるとき、朝4時をすぎた頃からひぐらしが鳴き出す。
森の奥の方からこちらの方へだんだんと近づいてくるような、銀色の鈴を響かせているようなこの声が目覚まし時計がわりになって、いつも寝坊助な私も早起きになる。

この声を聞くと「夏がやってきたんだ」と思う。

 

枕の向こうの山から、あちらこちらから、まるで輪唱しているように途切れることがない。

カナカナカナカナ・・・

 

セミたちは朝がやってきたことをどうやって知るのだろう。
セミは6〜7年間、土の中で過ごしてから地上に出てくるそうだから、この鳴いているひぐらしたちは今1年生の子どもたちが生まれた頃に土の中で誕生したんやなあ、とまだぼんやりした頭で考える。

 

しばらく布団の中でごろごろしていると、障子の向こうがほんのりと白く明るくなってくる。

小鳥たちが鳴き始める。

大地が目を覚まし、生きているものが順番に起きてくる。

 

いつのまにかひぐらしの鳴き声は遠ざかり、ジージージーという鳴き声にバトンタッチ。

鶏も鳴いている。

 

いろんないのちの音で満ちる朝。

今日も夏の1日が始まる。

 

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