笹のいえ

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天ぷらカー 後編

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前編はこちらから。

 

ひとつは、東日本大震災のとき。

発生当時、千葉にいた僕は、幸いなことに地震そのものからの被害はほとんどなかった。しかし、揺れが収まってしばらくすると友人から「ガソリンが手に入らなくなるかも」との連絡があり、ガソリンスタンドに急いだ。給油所には燃料を買い求める車ですでに列ができていた。しかも、長い待ち時間の後に購入できるのは、10Lだけだった。大型スーパーに行けば、飲料水やトイレットペーパーを大量に買おうとする人たちがレジにたくさん並んでいた。普段ほとんど意識せずに使っていたライフラインが、自分の手ではどうにもならないことを衝撃的に体感した日だった。

ふたつ目。

以前はガソリン車を乗っていた。不具合があって、整備工場などに持っていくと「買い替えたほうがいいですよ」と言われることがあった。修理代を見積もると買った方が安いのだ。工場のスタッフは、プロとして総合的な判断でアドバイスをしてくれる。新車を購入する財力もセンスも持ち合わせていない僕は、また中古車を購入し、数年後乗り換える。故障箇所以外はまだまだ使えるのに、もったいないなと感じていた。

天ぷらカーの存在を知り、調べてみると、乗っている人が全国にいる、ということが分かった。自分である程度のメンテナンスや部品交換、修理できる人も多い。基本的に廃油ラインは自分で管理するが、ブログやSNSなどで情報がアップデートされ、より安全なシステムを導入構築することができる。たくさんの人たちが関わり、試したり、情報やデータを公開してくれたことで、天ぷらカーが身近になった。感謝したい。

天ぷらカー乗りの中には、知識や技術が豊富なプロもいれば、僕のような素人もいる。

車に詳しくない者が整備に手を出すことには、いろんな意見があると思う。自分の低い知識とスキルによって車が壊れてしまうかもしれない。自己責任はもちろんだが、場合によっては事故など周囲に迷惑を掛ける可能性がある。

これは反省を込めて書くのだけれど、ある日僕がタイヤ交換をした車に奥さんが子どもを乗せて出掛けて行った。しかし、タイヤ一本のホイールナットを締め忘れていたため、走行中タイヤが外れ吹っ飛んで行った。幸い大事には至らなかったが、ひとつ間違えれば大変な事故になっていたかもしれない。

それからは、焦って作業をしないように、二重三重にチェックするようにしている。また複雑な作業はプロに任せる、当たり前のことを再確認することになった。

自分で簡単なメンテナンスをするようになって、その仕組みが分かることは楽しく、車には愛着が湧く。可能な限り乗り続けたいと思う。そして、プロの仕事がいかに優れているか実感するようになった。車検に出した後、細かい箇所が改善されていたりすると、プロの仕事は流石だなと思う。もちろん料金が掛かるが、リスクを減らし、安全を得ることができるのは大きな安心だ。

さて当然ながら、天ぷらカーの排気は、天ぷらの匂いがする。匂いを嗅ぐとお腹が空いてくる。

ある知り合いは、道沿いでこの匂いがしてくると「笹の車が近くにいるな」と分かるらしい。ちなみに、ナンバーは「33(笹)」である。

 

写真は、2015年10月撮影。みな幼い!

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天ぷらカー 前編

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四年前から、「天ぷらカー」に乗っている。

WVO(Wasted Vegetable Oil)と呼ばれる使用済み天ぷら油をろ過して、ディーゼルエンジン車の燃料として利用できることを知ったとき、「これだ」と思った。ゴミとして廃棄されるはずの食用油を集めて有効活用できる、しかも生活に不可欠な車が動くなんて、素晴らしすぎる。まだまだ使えるのに捨てられてしまうものを活用して生活の一部としている僕らの「もったいない暮らし」と相性が良いはずだ。

奥さんのお腹に三番目ができて、それまで乗っていた軽自動車をより大きな車両に買い換える必要があった。すでに天ぷらカーに乗っていた友人に和歌山県の車屋さんを紹介してもらい、中古のディーゼル車を購入、WVO仕様に改造してもらった。改造といっても、システムは至ってシンプル。廃油用タンクや熱交換器などを増設し、切換え弁を取り付け、軽油でも廃油でも走れるようにする。もちろん合法で、車検証に「バイオディーゼル燃料100%併用」と追加記載してもらえば良い。

廃油は町内外の店舗や施設、個人からいただいている(関係者は「油田」と呼ぶ)。通常、使い終わった天ぷら油は、固めたり、新聞紙等に染み込ませて廃棄しなければならず、処理に手間が掛かる。それらを回収することで、お互いにメリットが生まれる。利用できる廃油は、サラダ油やなたね油などの植物性食用油。ラードのような動物性油は気温が低いと固まってしまうため使えない。オリーブ油も同様の理由で不可だ。また水や洗剤などが混入していると、処理に時間が掛かったり、エンジンを痛める可能性があるので、取引している方に理解してもらった上で、協力をお願いしている。一番上等な油は、期限切れの未使用植物性油で、これならボトルからタンクに直接入れて使える。また、ある店舗からは廃油と一緒に使い終わった割り箸もいただいている。割り箸は焚き付けとして優秀で、火を熾すときに重宝している。

集めた廃油はタンクに貯めて、しばらく放置し、不純物を沈殿。その後、上澄みを数回フィルターに通して、ろ過すると綺麗な飴色の油になる。これだけの作業で、捨てられる運命だった廃油が、燃料へと変身する。

燃費は軽油とほとんど変わらない。というより、もらってくる廃油燃料に燃費という観念はあまり必要ない。

良いことづくめというわけでもない。現行のディーゼル車は大きな車両が多いので、自動車税や重量税は軽自動車より高額となる。廃油を集め、管理するにも手間と時間が掛かる。油の品質や精度によっては、エンジンが掛からなくなったり、故障する可能性もある。こまめな点検とメンテナンスが必要だ。しかし、年間の走行距離が二万キロを超える僕たち家族にとって、燃料の大部分を廃油で賄えるのは大きな利益だ。

僕が天ぷらカー所有に踏み切った、大きな出来事がふたつある。

 

後編へ。

 

写真:徳島県上勝町にて。燃料を自給するようになって、遠方に出掛けることが増えた。

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気の抜けない会話

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田んぼや畑で、道ですれ違ったときに、家の玄関先で、集落の寄り合いで。

人が出会えば、どこでも何気ないおしゃべりがはじまる。

明日の天気のこと、お米の苗の成長具合、昨日分蜂したミツバチのことなど。身近で起こったちょっとした出来事の話だ。

つい聞き流してしまいそうだが、これが気を抜けない。

会話の中に、暮らしに役立つヒントや知恵がたくさん詰まってるからだ。

あの花が咲いたら、この種を蒔くころ

昔はこうやって、苗育てていた

分かれた蜂を蜜堂(巣箱)に誘う方法は、これが一番

何十年も何世代も前からこの地域に伝わってきたことから最新情報まで、ネットで検索しても出てこない、地域の「いま」がここにある。

僕はその会話を忘れまいと、頭の中で一生懸命反芻するのだった。

 

写真は、ゴールデンウイークごろ旬となる茶摘みの風景。去年までは一日で全て収穫していたが、日当たりによって木ごとの葉の成長が異なるので、今年はひと釜分ずつ。その日のうちに炒って揉んで乾燥させれば、自家製茶のできあがりだ。

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苗床つくり

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レンゲが満開の田んぼから、コロコロコロとアマガエルの声が聞こえはじめた。

周りの田では着々と田植えの準備が進んでいて、まだ何もはじまっていない自分の田んぼの横を歩くたびに「そろそろやらなければ」と気ばかり焦る。

ほころびはじめた八重桜の蕾を友人が摘みに来たこの日、お米つくりの第一歩である苗床をこしらえた。

苗床(地元では「のうどこ」と呼ばれる)は、お米の苗を育てる場所のこと。この地域では田んぼの一部を仕切って作るのがほとんどで、種籾を蒔いた専用の箱を並べ、発芽から田植えできる大きさになるまでここで管理する。お米にしろ野菜にしろ、「苗半作」と言われるくらい大事な時期。苗のできばえで、その後の成長や収穫を左右するからだ。一箇所でたくさんの苗を作る稲作では、それ故に病気などが発生しやすいが、いかに良好な苗を田に植えられるか、その基盤となる苗床はとても重要だ。

前の日に雨が降ったので、田の土は重く、足元がぬかるむ。

それでも、春の陽気の下、冬の間なまった身体を動かすのは気持ちがいい。一年前を思い出し、「今年はこうしてみよう」「うまくいくかな」なんて考えながら、自分のペースで進めるのはとても贅沢な時間だ。

はじめるまでは「めんどくさいなあ」とまで思っていた作業だが、時期がくればちゃんとスイッチが入る。頭と身体と季節は繋がっているのだと実感する。

毎年やり方を模索している稲作だが、今年は二反半全ての田んぼで手植えしようと思ってる。苗床に直接種を蒔き、苗を大きく育て、間隔を広くして植える。去年は機械植えと手植えをやったが、どちらの方法でも収量は変わらなかった。田植え機を使うと作業はあっという間に終わるけれど、苗の大きさや植える時期などいろいろと制限があったり、機械のスピードに振り回されたりして、どっと疲れる。機械作業と手作業、それぞれ一長一短があるから、これもまた模索を続け、自分の身体とも相談しながら、そのときにベターな方法を選びたい。

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天日のチカラ

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周囲を山々に囲まれているが、笹のいえは日当たり抜群だ。太陽は南側にある山の尾根をなぞるように、冬でも隠れることなく惜しみなくそのエネルギーを注いでくれる。

洗濯物はよく乾くし、お米や野菜がよく育ち、なにより気持ちが晴れ晴れとする。

数日間雨続きでジメっとした後に、日を見ると思わず拝んでしまう。人間が健康に生き延びるのに日を浴びることは不可欠だと実感する。

笹の暮らしは、お天道様に依存してる。

田んぼで収穫したお米は、はでに干し、天日で乾かす。藁に残った水分が穂についている米一粒一粒にまで行き渡り、甘みを増すと言われる。時間を掛けてじっくりと乾燥させたお米には愛着が生まれ、大切にいただく。天日干しでは乾燥具合にムラが出るため、仕上げに乾燥機にかける。干すことにより含有水分が少ないので、乾燥が短時間で済み、電気や灯油の節約になる。

秋に採れる柿も軒下に吊るして、干柿にする。水分が抜けて、柿の甘みがギュッと濃厚になり、おやつにも料理にも大活躍する。生では食べられない渋柿も天日に当てると甘くなるから不思議だ。長雨だったある年に渋柿をスライスして、薪ストーブで乾燥させたが、渋くてとても食べられなかった。「乾かせば甘くなるだろう」と考えていた僕は、太陽のチカラに驚いたのだった。

春と秋にたくさん採れる椎茸も干す。乾燥させてない椎茸を食べると身体が冷える感覚があるが、干したものは陽性に傾くため食べやすい。生のときとは違った滋味深い出汁が出るし、袋に入れて長期保存も可能だ。

その他にも、千切りした大根、茹でたサツマイモ、海で採ってきたヒジキやワカメ。洗濯物や布団座布団など、とにかくなんでも干してしまう。

これだけ利用してもお金が掛からないなんて、本当に拝まずにはいられない。

天候によって乾燥させきるのが難しいときもあるが、ストーブが稼働していればその熱を利用して、最後の水分を飛ばす。保存はファスナー付きの保存袋に入れて、ネズミが入れない場所に保管したり、冷凍庫に入れたりする。風味が保たれ、カビにくく、長い間楽しむことができる。

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小屋を建てる

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僕が千葉に住んでいたときにお付き合いがはじまり、勝手に「人生の師匠」と思い続けている佐野さんという方がいる。

佐野さんは、奥さんと農を中心とした暮らしを営んでいる木工作家。古希を迎えたばかりの彼はともかくなんでも自分で作ってしまうスーパー百姓だ。米や野菜を無農薬で育て、カトラリーや茶碗などの食器を手彫りする。丁寧な手仕事はどれも温かみがあり、彼の人柄を表すようだ。大工としての技術も高く、自宅を建てたときは、自分で山から木を切り出し、製材するところからはじまった。住めるようになるまで数年掛かったそうだが、細部は未だ未完成だとか。最後まで妥協しない彼らしい住まいだ。

そんな佐野さんが、僕の古巣であるブラウンズフィールドで、小屋を建てるワークショップをするという。第一子が誕生して以来、イベント参加から足が遠のいていたが、これはぜひ参加したいと思い、高知駅から深夜バスに乗り込んだ。

工程は三部に分かれていて、土盛り〜基礎工事、材の刻み、建前。

僕は、基礎工事と建前作業に参加させてもらった。

在来工法の良いところは、建てた後に増築や改修が比較的容易であること。のちに解体した材を再利用しやすいことだ。実際、このワークショップで使われた木材の半分以上は、別の建物を解体したときに出たものだった。

「自分で家を建てるなんて、夢のまた夢」と思っていたが、指導を受けながら手を動かしていると、なんとなく自分でもできる気持ちになってくる。作業をしながら、「僕ならここをこうして、あんなこともできる」と妄想も楽しい。最終日に棟上げをし、ちゃんと家が組み上がったときはちょっとした感動だった。

今回は会場が千葉という遠方にも関わらず、どうしても参加したかった。それは長年交流を続けている佐野さんたちの「暮らし」を知っていたからだ。里山に居を構え、周囲の環境や地域と循環できる暮らしを、常に考え実践している。「農は環境保全だ」と言う彼の信念を表すように、田畑はいつも整備され、美しい。鶏を飼い、炭を焼き、稲藁を編む。その日その日を丁寧に生きるうちに、また季節が巡る。

講習やワークショップに参加するとき、その内容はもちろんだが、講師がどんな暮らしをしているのかにも注目する。その人の生き方や暮らしぶりが、自分のそれと重なる部分が多いほど、有意義な時間になると考えるからだ。

佐野さんと一緒に過ごした数日間は、案の定、とても濃い、学び多き時間だった。他の参加者とも新しい繋がりができた。密かに驚きだったのは、イベント中、ゴミがほとんど出なかったこと。お昼ご飯は奥さんの美味しい手作り料理、おやつは敷地に生るみかん(見た目は悪いが、味が濃い!)と朝煎れたお茶だった。木っ端は集めて焚き火をし、みかんの皮はコンポストへ。空き缶ひとつも見ることはなかったが、「そんなことは当たり前」とでも言うように、着々と作業を進めていく佐野さんの姿勢に益々惚れ込んでしまう。

僕が家を建てる予定はまだ無いが、今回の体験で、その夢が現実にぐっと近づいたのは大きな実りだ。

 

写真:棟上げのとき、屋根に登る佐野さん(右)と参加者。みな楽しそう。

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目覚めて見る顔

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小学校高学年のころだっただろうか。家で昼寝から目が覚めると、いるはずの母親の姿が見えず(たぶん近所に買い物にでも行っていたのだと思う)、それに気づいた妹が隣で泣いている。僕はぼんやりした頭で、この状況を兄として理解しようとしていた。強い西日の眩しさが切なかった思い出がある。

そんな体験をしているからか、自分の子どもたちが目覚めたとき、顔が見えるところにいて声を掛けてあげたいと思ってる。朝一番に起きるのは大抵僕だから、目を擦りながら布団から出てくる彼らに「おはよう」と挨拶する。返ってくる返事で一番好きなのは「お腹空いた」。僕は「はいはい」と味噌汁を温めなおす。次々起きてくる家族の表情を見、会話しながら、体調はどうか、気分はどうかとチェックする。

僕は、たまに夜中に目が覚めて、そのまま眠れなくなることがある。そんなときは無理に寝ようとせず、起きたままでいることも多い。家族の寝息を聞きつつ、彼らの顔をまじまじと観察する。天使の寝顔、とまではいかないけれど、どの顔も愛おしいく抱きしめたい表情をしてる。冒頭の場面が頭に過ぎり、ずっと側に居てやるからな、と思う。子どもたちは、いずれ親の元を離れてしまう。その日までに僕は彼らに何ができるだろうか、と考えるとますます目が冴えるのだった。

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いねお

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このブログでも紹介した飼い猫おこめが、去年のゴールデンウイーク前に旅立った。一週間ほど食欲がなく、様子を見ていたが、体調が急変し、動物病院に連れて行ったけれど間に合わなかった。推定年齢8歳。まだまだ生きられたはずなのに。僕は、冷たくなった彼女の身体をさすりながら「ごめんな」と繰り返していた。

その後しばらく僕は、なんとなく心がポッカリと穴の空いた状態だった。気持ち的にはまだ喪に服していた数ヶ月後、友人から「友達が実家に戻らないといけなくなったので、猫の引き取り先を探している」と連絡が入った。最初は断ったが、飼い主さんと共通の友人知人が多いらしく、別ルートで数名からも声が掛かった。

SNSで猫の写真を送ってもらってビックリ。身体の模様や体型がおこめにとてもよく似ていた。

「これはもうご縁だな」と思ったし、子どもたちも新しい家族に大賛成。猫を受け入れることにした。

うちに来る前は「まるちゃん」という可愛い名前だったが、長女が「いねお」(漢字にするとたぶん「稲雄」)と呼びはじめたことから、急に硬派なイメージになってしまった。

名前が男らしくなっても、彼はとっても甘えん坊だ。

人を見つけると、「にゃーん」と近づいてきては足元にじゃれつく。あまりに足に絡まってくるので、よく踏まれたり蹴られたりしてる。そのうちに距離を置くのかと思いきや、今でも相変わらず身体を擦り付けに来る。

そして、食いしん坊。

朝はまだ暗いうちから「そろそろ、ご飯の時間だよ」と僕に話しかけてくる。ある朝のこと、時計を見ると4時過ぎ。流石にまだ早いと再び寝ようとすると、僕の頭を舐めてきた。猫特有のあのザラザラした舌で、僕の坊主頭を「ザリッザリッ」と舐めて僕を起こそうとする。同じ場所を何度も舐められると痛い。頭皮にも悪い気がする。

布団を頭から被ると、今度は障子に爪を立てる。障子紙を破られては堪らないと、渋々起床する僕。

「にゃ〜ん」と勝利の鳴き声をあげて、いねおは嬉しそうにご飯を頬張るのであった。

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ピザ屋さんがやって来た。

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宿をやっているといろんな人がやって来る。

農的自給的な暮らしを実践している人、移住先を探している人、環境への負担を考え、オフグリッドな旅をしている人などなど。県外はもちろん、海外からも笹に遊びに来てくれる。

彼らに会おうと思ったら、時間的にも金銭的にも膨大な量が必要だけど、自分の場所をオープンにすると、向こうから来てくれるのだから、これはお得すぎる。

この日は、ピザ屋さんが来てくれた。

香川県のイベントでヒトシくんと初めて会い、しばらく四国を旅すると言うので、笹にもぜひ寄って行ってよと話をしたら、翌日に来てくれた。

彼は軽トラを改造し、故郷北海道を出発。日本を旅している。荷台には小さな家が載っかっていて、自作したロケットストーブ型のオーブンとソーラーパネルで稼働する冷蔵庫がある。さらにシンクや手動で動く洗濯機、移動式のコンポストトイレまであるから暮らすように旅をすることができる。

笹に到着すると、早速オーブンに木をくべて、ピザを焼いてくれることになった。

突然現れた車に、子どもたちは大興奮。だって、詳しいことはよく分かんないけど、ヘンテコな車から大好物のピザが焼きあがって出てくるなんて、なんだかおとぎ話のようだもの。

ピザはどんどん出来上がるのだが、それ以上のスピードで僕らのお腹の中に消えていった。オーガニックにこだわるヒトシくんの作るピザは、古代小麦粉にグラスフェッドチーズ。しかも焼きたて。美味しくないわけがないのである。

気の向く場所を訪ねながら、お世話になった人にピザを振る舞ったり、必要なものを物々交換し、また次の目的に移動するのがこの旅のスタイル。彼が出会った人とのご縁は、きっと彼の一生の宝物になるのだろう。

今回のピザは、薪とビールそして一晩の寝場所と交換となった。渡した薪は誰かのピザを焼くことになる。受けた恩をその人に返すだけでなく、次の人に渡す「恩送り」。笹の暮らしとも重なる部分がたくさんありそうだ、ヒトシくんと夜遅くまでおしゃべりをしながらぼんやり考えた。

四国の後は九州に渡り、そして沖縄へと旅は続くそうだ。

この軽トラを見かけたら声をぜひ声を掛けてみてほしい。車の中から、魔法のように美味しいピザが出てくるかもしれない。

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落ち葉集め

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生ゴミ、畑の残渣、自分たちのおしっことうんち、ストーブやかまどの灰。

土に還るものは全て還してしまおうと思っている僕のリストには、当然、落ち葉も入っている。

しかも、一二年後には堆肥として利用できるのだから、これはもう考えただけでワクワクする。落ち葉を履けば、道路や側溝が綺麗になり、一石二鳥だ。

枯葉が道に降り積もっているのを見かけると、横を通るたび、もったいないなあ、誰か集めないのかなあと思う。そして、自分ちの周りの落ち葉を思い出し、早く集めなきゃと焦る。

放っておくと、落ち葉はそのうち消えてしまう(実際には腐葉土、つまり土に分解される)ので、時間を作っては、箒を持ち出して作業する。

どんなことでもそうだけど、やってみるといろんなことに気づく。

葉は乾燥しているより、少し濡れていた方がまとまり易く、風にも飛びにくいので、都合が良い、とか。すくうときは、雪かき用のスコップが便利で、小さな穴が空いているタイプならそこから小石が落ちてくれる、とか。

軽トラの荷台に積んで、堆肥置き場に積んだり、畑に入れる。

そこここに落ち積もっている枯れ葉だが、場所には気をつけないといけない。以前から集めている方がいらしたりするので、前シーズンから観察しておく必要がある。と言っても、笹に続く道の落ち葉を集めるだけで精一杯だけど。

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