笹のいえ

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虫送り

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虫送りは、植えたばかりの田んぼの苗が虫の被害を受けることなく無事育ち、豊かな収穫を迎えられるようにと祈願する行事だ。法螺貝や太鼓などを鳴らしながら、色とりどりな旗と大きな草鞋を掲げて、西方向へ進む。

行事は東の集落から西の集落へとバトンタッチするように続いていく。同じように見えるけれど、集落によって特色があって見比べてみると面白い。西へ西へ歩くのは、虫をそちらへ追いやるということらしい。

6月29日、隣の集落で虫送りがあった。

朝集まって、旗を持ち、音を鳴らす。大人も子どもも一緒に旧道をゆっくりと歩く。沿道には見送る人や写真を撮る人がいる。小さな集落の、のんびりした神事。こんな雰囲気が好きだ。

今年は、例年より20日以上も遅い梅雨入りとなった高知県。この日は青空も見え、暑いくらいだった。

15分ほど歩いて目的地に到着。子どもたちは参加賞をもらっていた。

集落ではこの日、田休みも兼ねているようで、忙しかった田植えの労をねぎらう会がお昼からあった。残念ながら、僕たち家族は他の用事があったので、参加できなかったけれど、たくさんのご馳走とお酒が振る舞われたようだった。

どの行事にも言えるけれど、高齢化と少子化が進み、昔に比べてだいぶ寂しくなったと聞く。それでも、今年も皆元気で行事に参加できたことに感謝する。

秋にはたくさんの恵みがありますように。

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植えたかよ?

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「植えたかよ?」

つまり、田植えは終わったか?という、この時期の挨拶みたいなものだ。

僕らが暮らす地域では、田植えの大半は、5月下旬から6月上旬の間に行われる。道沿いや家のとなりにある田んぼ、そして山の棚田に、苗が植えられていく。水を湛えた田んぼのそこここに人が集まり、日に日に緑の絨毯が広がる様子は、生命力に溢れ、「いよいよ始まるぞ」という気になる。

僕がお借りしている田んぼは、田植え時期の最後の最後に、やっと終わった。

今年は、種蒔きから田植えまで、なるべく手作業やってみようと計画していた。が、これがとっても大変で、時間が掛かってしまった。田んぼの苗床に直播し苗を育て、田植え前に水を落として、植えるための線を引き、手植えする。やってみたい方法をあれこれ試していたら、時間がどんどん過ぎていった。

「渡貫さん、植えたかよ?」「今年は苗の成長が遅くて、まだなんです」

「植えたかよ?」「いやあ、まだですー」

「植えたかよ?」「いえ、まだ、、、」「はよ植えんと秋になるぞね」

いつまで経っても田植えが始まらない僕の田んぼを集落の人が見て、声を掛けてくれる。僕は言い訳がましく、これこれこういうやり方をしていて遅れているんです。と話すと、それはこうした方がえい(良い)ぞ、昔はこうやっていた、と貴重な話を聞くことができる。次回はこうしてみよう、そうかああしてみたらいいのか、と苗を植えながら、頭の中で来年の田植えに向けてシュミレーションしてみる。

田植えが始まると、とてもひとりではやりきらないと言うことが分かった。急遽友人たちに連絡し、手を貸してもらって、なんとか終了した。

やれやれ、これでなんとか一安心、少し休もう。

と思ったが、最初に植えた田んぼでは、すでに雑草が生えはじめてる。これを放っておくと、せっかく植えた苗が草に負け、収量も減ってしまう。下ろしたばかりの腰を上げ、再び田んぼへと入る。

今年こそはと、春に余裕をもって計画し、はじめる農作業。しかし、いつの間にか季節に追い越され、作業に追われる農ライフは続くのだった。

 

写真:田植えのときは、田んぼの神様にお供えをし、安全に収穫ができるようお願いをする。五穀豊穣を表した旗を揚げるが、今年は奥さんに頼んで、古布で作ってもらった。

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水と空気

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以前の僕は、水と空気はどこもさほど変わらないだろうと思っていた。実際、どこを訪ねても違いを感じてなかったし、気にしてもいなかった。胸いっぱい吸い込んで空気が美味しい!とか、飲んだ後うまい!と思わず唸ってしまう湧き水、なんてコマーシャルかテレビの演出だよって、知った顔して言っていた。

はじめて土佐町に来たとき、周囲にそびえる山々に圧倒されたのを今でも鮮明に覚えてる。迫るような存在感に息苦しさすら感じた。そして、その山からやって来る豊富な水がこの地域の暮らしを支えている風景を、あちこちで見ることができた。

集落を歩くと、道に沿って水路があり、そこには山水が惜しみなく流れていた。昔はこの水で水浴びや洗濯もしていたそうだ。いつの間にか、うちの子どもたちは素足になって、水遊びをはじめていた。手を入れてみると、冷たくて透明で清々しい。ここで暮らしてみたいと思わせる感触だった。この水の一部は田んぼへも続いている。水がたくさんにあるということが、土地に住む人びとの生活や田畑の実りを豊かにし、気持ちに安心感を与えている。そんな風に思えた。

以前住んでいた場所では、農業用水は各地域で管理され、もらえる量や順番が決まっていた。隣で田んぼをやっていたおじちゃんから、この水を自分の田んぼに勝手に引いてしまう「水泥棒」の話を聞いたことがある。田んぼの持ち主はお互い知っているので、犯人はすぐ分かってしまうのだが、水が無くては米が育たない。収穫が無ければ、食っていけない。場所によってはそのくらい深刻な事態になることもあるのだ。

笹のいえでは、近くを流れる沢水を利用している(写真)。降雨量によって増えたり減ったりはあるが、枯れたことはない。上流には誰も住んでおらず、汚染の心配もほぼゼロだ。

上の子は物心ついたときから、下の子は生まれてから、ずっとこの水を飲んでいる。彼らはこの水を、「甘い」と表現する。僕の味覚はそれほど敏感ではないけれど、確かに美味しいと思う。その反面、みな水道水のにおいと味が苦手で、積極的には飲まない。外出にはマイ水筒を携帯するようにしている。

土佐町に移り住んで六年が経ち、ここの空気にも身体が馴染んできたように思う。

ひんやりとして、湿気を含んでいる山独特の空気感。川には川の音が、森には森の香りが、空気を通して五感に触れる。日の出前、白んだ景色の中で、伸びをしながら、その日最初の深呼吸をし、空気の存在を確認する。呼吸のたびに寝ぼけた頭と身体が少しずつ解れて、動きはじめる感覚が好きだ。

普段は当たり前すぎて、感謝の気持ちが薄れてしまうけれど、旅で長い間留守にしたときなど、あの空気が恋しくなる。

車で遠出して帰ってくるとき。

高知道の大豊インターを降りて減速し、運転席の窓を開け、車内の空気を入れ替える。

風の匂いを嗅ぎ、見慣れた景色に囲まれる。

これこれ、と思う。家に戻って来た、と実感するのが嬉しい。

 

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非常食

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ある日集落で、防災についての話し合いがあった。

今ある施設をどう有効活用していくか、日頃の見守りはうまくいってるか、必要な備品は揃っているかなど自然災害への対応を集まった人たちで検討した。

その中で「そろそろ非常食を更新せないかん」という話題になった。地域のコミュニティセンターとして活用している元小学校の倉庫には飲料水やインスタント食品が備蓄されている。その一部が賞味期限間近だと言う。最近の非常食は、水を入れるだけで食べられるご飯などがあり、乾パンくらいしか選択肢がなかった時代に比べると種類も豊富でより手軽になった。

「防災訓練で炊き出しをするから、味見してみよう」

「買い替えとなるとお金が掛かるねえ」

口々に話していると、ある方が、

「まあ家には米があるし、そっちの方が美味いけねえ」

何気ない一言だったが、僕にとっては目からウロコ的な事実だった。

米処でもある土佐町には、お米を作っている農家さんが多い。週末毎に田んぼの世話をしている会社員もいる。そして、収穫した米を自宅に保管している。畑には野菜があるし、季節によっては山菜や野草も採れるし、塩抜きや解凍すればいつでも食べられる食材が常備されている。お風呂用に薪を蓄えている家庭もあるから、簡易のかまどを作れば炊き出しができる。もし被災して、集落が孤立しても、物資が数日間来なくても、生き残れる環境がすでにある。お裾分けや見守りといった日頃の付き合いや昔からの習慣が減災や共助に繋がっていく。

災害には想定外がつきものだし、その時の状況に合った対処が求められる。家に米があるから非常食を備えなくとも良いとはならないが、バックアップが二重三重になっているのは、とても心強い。

 

写真:「名づけ」で紹介した月詠は、四月に一歳になった。ヨチヨチと歩き出し、一生懸命兄妹のあとをついて回ってる。父ちゃん母ちゃんが何度も貼り直した障子を気に入ってくれたようで、手や顔を出してはご機嫌の様子。当然、障子紙は破れ、穴が大きくなるのだけれど。

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天ぷらカー 後編

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前編はこちらから。

 

ひとつは、東日本大震災のとき。

発生当時、千葉にいた僕は、幸いなことに地震そのものからの被害はほとんどなかった。しかし、揺れが収まってしばらくすると友人から「ガソリンが手に入らなくなるかも」との連絡があり、ガソリンスタンドに急いだ。給油所には燃料を買い求める車ですでに列ができていた。しかも、長い待ち時間の後に購入できるのは、10Lだけだった。大型スーパーに行けば、飲料水やトイレットペーパーを大量に買おうとする人たちがレジにたくさん並んでいた。普段ほとんど意識せずに使っていたライフラインが、自分の手ではどうにもならないことを衝撃的に体感した日だった。

ふたつ目。

以前はガソリン車を乗っていた。不具合があって、整備工場などに持っていくと「買い替えたほうがいいですよ」と言われることがあった。修理代を見積もると買った方が安いのだ。工場のスタッフは、プロとして総合的な判断でアドバイスをしてくれる。新車を購入する財力もセンスも持ち合わせていない僕は、また中古車を購入し、数年後乗り換える。故障箇所以外はまだまだ使えるのに、もったいないなと感じていた。

天ぷらカーの存在を知り、調べてみると、乗っている人が全国にいる、ということが分かった。自分である程度のメンテナンスや部品交換、修理できる人も多い。基本的に廃油ラインは自分で管理するが、ブログやSNSなどで情報がアップデートされ、より安全なシステムを導入構築することができる。たくさんの人たちが関わり、試したり、情報やデータを公開してくれたことで、天ぷらカーが身近になった。感謝したい。

天ぷらカー乗りの中には、知識や技術が豊富なプロもいれば、僕のような素人もいる。

車に詳しくない者が整備に手を出すことには、いろんな意見があると思う。自分の低い知識とスキルによって車が壊れてしまうかもしれない。自己責任はもちろんだが、場合によっては事故など周囲に迷惑を掛ける可能性がある。

これは反省を込めて書くのだけれど、ある日僕がタイヤ交換をした車に奥さんが子どもを乗せて出掛けて行った。しかし、タイヤ一本のホイールナットを締め忘れていたため、走行中タイヤが外れ吹っ飛んで行った。幸い大事には至らなかったが、ひとつ間違えれば大変な事故になっていたかもしれない。

それからは、焦って作業をしないように、二重三重にチェックするようにしている。また複雑な作業はプロに任せる、当たり前のことを再確認することになった。

自分で簡単なメンテナンスをするようになって、その仕組みが分かることは楽しく、車には愛着が湧く。可能な限り乗り続けたいと思う。そして、プロの仕事がいかに優れているか実感するようになった。車検に出した後、細かい箇所が改善されていたりすると、プロの仕事は流石だなと思う。もちろん料金が掛かるが、リスクを減らし、安全を得ることができるのは大きな安心だ。

さて当然ながら、天ぷらカーの排気は、天ぷらの匂いがする。匂いを嗅ぐとお腹が空いてくる。

ある知り合いは、道沿いでこの匂いがしてくると「笹の車が近くにいるな」と分かるらしい。ちなみに、ナンバーは「33(笹)」である。

 

写真は、2015年10月撮影。みな幼い!

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天ぷらカー 前編

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四年前から、「天ぷらカー」に乗っている。

WVO(Wasted Vegetable Oil)と呼ばれる使用済み天ぷら油をろ過して、ディーゼルエンジン車の燃料として利用できることを知ったとき、「これだ」と思った。ゴミとして廃棄されるはずの食用油を集めて有効活用できる、しかも生活に不可欠な車が動くなんて、素晴らしすぎる。まだまだ使えるのに捨てられてしまうものを活用して生活の一部としている僕らの「もったいない暮らし」と相性が良いはずだ。

奥さんのお腹に三番目ができて、それまで乗っていた軽自動車をより大きな車両に買い換える必要があった。すでに天ぷらカーに乗っていた友人に和歌山県の車屋さんを紹介してもらい、中古のディーゼル車を購入、WVO仕様に改造してもらった。改造といっても、システムは至ってシンプル。廃油用タンクや熱交換器などを増設し、切換え弁を取り付け、軽油でも廃油でも走れるようにする。もちろん合法で、車検証に「バイオディーゼル燃料100%併用」と追加記載してもらえば良い。

廃油は町内外の店舗や施設、個人からいただいている(関係者は「油田」と呼ぶ)。通常、使い終わった天ぷら油は、固めたり、新聞紙等に染み込ませて廃棄しなければならず、処理に手間が掛かる。それらを回収することで、お互いにメリットが生まれる。利用できる廃油は、サラダ油やなたね油などの植物性食用油。ラードのような動物性油は気温が低いと固まってしまうため使えない。オリーブ油も同様の理由で不可だ。また水や洗剤などが混入していると、処理に時間が掛かったり、エンジンを痛める可能性があるので、取引している方に理解してもらった上で、協力をお願いしている。一番上等な油は、期限切れの未使用植物性油で、これならボトルからタンクに直接入れて使える。また、ある店舗からは廃油と一緒に使い終わった割り箸もいただいている。割り箸は焚き付けとして優秀で、火を熾すときに重宝している。

集めた廃油はタンクに貯めて、しばらく放置し、不純物を沈殿。その後、上澄みを数回フィルターに通して、ろ過すると綺麗な飴色の油になる。これだけの作業で、捨てられる運命だった廃油が、燃料へと変身する。

燃費は軽油とほとんど変わらない。というより、もらってくる廃油燃料に燃費という観念はあまり必要ない。

良いことづくめというわけでもない。現行のディーゼル車は大きな車両が多いので、自動車税や重量税は軽自動車より高額となる。廃油を集め、管理するにも手間と時間が掛かる。油の品質や精度によっては、エンジンが掛からなくなったり、故障する可能性もある。こまめな点検とメンテナンスが必要だ。しかし、年間の走行距離が二万キロを超える僕たち家族にとって、燃料の大部分を廃油で賄えるのは大きな利益だ。

僕が天ぷらカー所有に踏み切った、大きな出来事がふたつある。

 

後編へ。

 

写真:徳島県上勝町にて。燃料を自給するようになって、遠方に出掛けることが増えた。

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気の抜けない会話

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田んぼや畑で、道ですれ違ったときに、家の玄関先で、集落の寄り合いで。

人が出会えば、どこでも何気ないおしゃべりがはじまる。

明日の天気のこと、お米の苗の成長具合、昨日分蜂したミツバチのことなど。身近で起こったちょっとした出来事の話だ。

つい聞き流してしまいそうだが、これが気を抜けない。

会話の中に、暮らしに役立つヒントや知恵がたくさん詰まってるからだ。

あの花が咲いたら、この種を蒔くころ

昔はこうやって、苗育てていた

分かれた蜂を蜜堂(巣箱)に誘う方法は、これが一番

何十年も何世代も前からこの地域に伝わってきたことから最新情報まで、ネットで検索しても出てこない、地域の「いま」がここにある。

僕はその会話を忘れまいと、頭の中で一生懸命反芻するのだった。

 

写真は、ゴールデンウイークごろ旬となる茶摘みの風景。去年までは一日で全て収穫していたが、日当たりによって木ごとの葉の成長が異なるので、今年はひと釜分ずつ。その日のうちに炒って揉んで乾燥させれば、自家製茶のできあがりだ。

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苗床つくり

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レンゲが満開の田んぼから、コロコロコロとアマガエルの声が聞こえはじめた。

周りの田では着々と田植えの準備が進んでいて、まだ何もはじまっていない自分の田んぼの横を歩くたびに「そろそろやらなければ」と気ばかり焦る。

ほころびはじめた八重桜の蕾を友人が摘みに来たこの日、お米つくりの第一歩である苗床をこしらえた。

苗床(地元では「のうどこ」と呼ばれる)は、お米の苗を育てる場所のこと。この地域では田んぼの一部を仕切って作るのがほとんどで、種籾を蒔いた専用の箱を並べ、発芽から田植えできる大きさになるまでここで管理する。お米にしろ野菜にしろ、「苗半作」と言われるくらい大事な時期。苗のできばえで、その後の成長や収穫を左右するからだ。一箇所でたくさんの苗を作る稲作では、それ故に病気などが発生しやすいが、いかに良好な苗を田に植えられるか、その基盤となる苗床はとても重要だ。

前の日に雨が降ったので、田の土は重く、足元がぬかるむ。

それでも、春の陽気の下、冬の間なまった身体を動かすのは気持ちがいい。一年前を思い出し、「今年はこうしてみよう」「うまくいくかな」なんて考えながら、自分のペースで進めるのはとても贅沢な時間だ。

はじめるまでは「めんどくさいなあ」とまで思っていた作業だが、時期がくればちゃんとスイッチが入る。頭と身体と季節は繋がっているのだと実感する。

毎年やり方を模索している稲作だが、今年は二反半全ての田んぼで手植えしようと思ってる。苗床に直接種を蒔き、苗を大きく育て、間隔を広くして植える。去年は機械植えと手植えをやったが、どちらの方法でも収量は変わらなかった。田植え機を使うと作業はあっという間に終わるけれど、苗の大きさや植える時期などいろいろと制限があったり、機械のスピードに振り回されたりして、どっと疲れる。機械作業と手作業、それぞれ一長一短があるから、これもまた模索を続け、自分の身体とも相談しながら、そのときにベターな方法を選びたい。

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天日のチカラ

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周囲を山々に囲まれているが、笹のいえは日当たり抜群だ。太陽は南側にある山の尾根をなぞるように、冬でも隠れることなく惜しみなくそのエネルギーを注いでくれる。

洗濯物はよく乾くし、お米や野菜がよく育ち、なにより気持ちが晴れ晴れとする。

数日間雨続きでジメっとした後に、日を見ると思わず拝んでしまう。人間が健康に生き延びるのに日を浴びることは不可欠だと実感する。

笹の暮らしは、お天道様に依存してる。

田んぼで収穫したお米は、はでに干し、天日で乾かす。藁に残った水分が穂についている米一粒一粒にまで行き渡り、甘みを増すと言われる。時間を掛けてじっくりと乾燥させたお米には愛着が生まれ、大切にいただく。天日干しでは乾燥具合にムラが出るため、仕上げに乾燥機にかける。干すことにより含有水分が少ないので、乾燥が短時間で済み、電気や灯油の節約になる。

秋に採れる柿も軒下に吊るして、干柿にする。水分が抜けて、柿の甘みがギュッと濃厚になり、おやつにも料理にも大活躍する。生では食べられない渋柿も天日に当てると甘くなるから不思議だ。長雨だったある年に渋柿をスライスして、薪ストーブで乾燥させたが、渋くてとても食べられなかった。「乾かせば甘くなるだろう」と考えていた僕は、太陽のチカラに驚いたのだった。

春と秋にたくさん採れる椎茸も干す。乾燥させてない椎茸を食べると身体が冷える感覚があるが、干したものは陽性に傾くため食べやすい。生のときとは違った滋味深い出汁が出るし、袋に入れて長期保存も可能だ。

その他にも、千切りした大根、茹でたサツマイモ、海で採ってきたヒジキやワカメ。洗濯物や布団座布団など、とにかくなんでも干してしまう。

これだけ利用してもお金が掛からないなんて、本当に拝まずにはいられない。

天候によって乾燥させきるのが難しいときもあるが、ストーブが稼働していればその熱を利用して、最後の水分を飛ばす。保存はファスナー付きの保存袋に入れて、ネズミが入れない場所に保管したり、冷凍庫に入れたりする。風味が保たれ、カビにくく、長い間楽しむことができる。

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小屋を建てる

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僕が千葉に住んでいたときにお付き合いがはじまり、勝手に「人生の師匠」と思い続けている佐野さんという方がいる。

佐野さんは、奥さんと農を中心とした暮らしを営んでいる木工作家。古希を迎えたばかりの彼はともかくなんでも自分で作ってしまうスーパー百姓だ。米や野菜を無農薬で育て、カトラリーや茶碗などの食器を手彫りする。丁寧な手仕事はどれも温かみがあり、彼の人柄を表すようだ。大工としての技術も高く、自宅を建てたときは、自分で山から木を切り出し、製材するところからはじまった。住めるようになるまで数年掛かったそうだが、細部は未だ未完成だとか。最後まで妥協しない彼らしい住まいだ。

そんな佐野さんが、僕の古巣であるブラウンズフィールドで、小屋を建てるワークショップをするという。第一子が誕生して以来、イベント参加から足が遠のいていたが、これはぜひ参加したいと思い、高知駅から深夜バスに乗り込んだ。

工程は三部に分かれていて、土盛り〜基礎工事、材の刻み、建前。

僕は、基礎工事と建前作業に参加させてもらった。

在来工法の良いところは、建てた後に増築や改修が比較的容易であること。のちに解体した材を再利用しやすいことだ。実際、このワークショップで使われた木材の半分以上は、別の建物を解体したときに出たものだった。

「自分で家を建てるなんて、夢のまた夢」と思っていたが、指導を受けながら手を動かしていると、なんとなく自分でもできる気持ちになってくる。作業をしながら、「僕ならここをこうして、あんなこともできる」と妄想も楽しい。最終日に棟上げをし、ちゃんと家が組み上がったときはちょっとした感動だった。

今回は会場が千葉という遠方にも関わらず、どうしても参加したかった。それは長年交流を続けている佐野さんたちの「暮らし」を知っていたからだ。里山に居を構え、周囲の環境や地域と循環できる暮らしを、常に考え実践している。「農は環境保全だ」と言う彼の信念を表すように、田畑はいつも整備され、美しい。鶏を飼い、炭を焼き、稲藁を編む。その日その日を丁寧に生きるうちに、また季節が巡る。

講習やワークショップに参加するとき、その内容はもちろんだが、講師がどんな暮らしをしているのかにも注目する。その人の生き方や暮らしぶりが、自分のそれと重なる部分が多いほど、有意義な時間になると考えるからだ。

佐野さんと一緒に過ごした数日間は、案の定、とても濃い、学び多き時間だった。他の参加者とも新しい繋がりができた。密かに驚きだったのは、イベント中、ゴミがほとんど出なかったこと。お昼ご飯は奥さんの美味しい手作り料理、おやつは敷地に生るみかん(見た目は悪いが、味が濃い!)と朝煎れたお茶だった。木っ端は集めて焚き火をし、みかんの皮はコンポストへ。空き缶ひとつも見ることはなかったが、「そんなことは当たり前」とでも言うように、着々と作業を進めていく佐野さんの姿勢に益々惚れ込んでしまう。

僕が家を建てる予定はまだ無いが、今回の体験で、その夢が現実にぐっと近づいたのは大きな実りだ。

 

写真:棟上げのとき、屋根に登る佐野さん(右)と参加者。みな楽しそう。

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