笹のいえ

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廃材

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以前「」という記事で紹介したが、笹のいえでは、三度の料理にはかまどを、お風呂は五右衛門、冬になれば毎日薪ストーブに火が入る。

燃料となる薪はいくらあっても足りないくらいだ。

間伐した杉の木や、剪定した枝などをもらうことがあるが、改修や解体したときに出る廃材も連絡を受けて取りに行くことがある。

廃材はすでに乾燥しているから、すぐに使うことができて重宝する。

柱などの太い材は長めに切って、風呂やストーブ用に。

細い材は30cmほどに切り揃えて、かまど用薪コンテナに保管しておく。

また、腐りなどなくまだ材として使えそうなものは倉庫へ。

廃材には釘などの金具がついている。だから、燃やした灰は冷えたあと集めておき、その中に磁石を潜らせて、鉄くずを回収する。灰は必要に応じて、畑などに撒いている。

この日は改修工事で出た廃材をいただいてきた。電動丸ノコで、一本ずつ、釘などを切らないように確認しながら、切断していく。薪はコンテナや棚に積み、中途半端になった木っ端も別の入れ物に入れて、焚き付けに使う。おが屑はコンポストトイレで利用する。

そんな地道な作業を、軽トラ一杯くらいほどしていると、あっという間に時間が過ぎていく。

他にもやることがあるのだから、もっと合理的で短時間で済む方法をとか、いやいや、そもそも、もっと楽な近代的な暮らし方を、などと作業しながら、頭の中でいろんなことを考える。が、実はこんなチマチマした作業が僕は好きなのだ。

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笹のいえ

笹の夏休み 2019

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話題が前後して申し訳ないのだが、7月8月に開催した「笹の夏休み」全三回が無事終了したと言うご報告。
県外から、遠くは関東や九州からの参加があった。初めてのひとり旅で初飛行機に乗ってやってきた子、去年参加して「また行きたい!」という願いを叶えたリピータ、兄弟や友達と一緒に応募してくれたグループ。計13名の参加者たちは、笹での暮らしを通して、夏休みの思い出を持って帰ってくれたようだった。

数日間、笹のいえに寝泊まりするこのイベント、日中は、とにかく遊ぶ。川遊びや釣り、アートワークなど、自然に恵まれたフィールドで思い切り体を動かす。料理や掃除洗濯などの家事も子どもたちが中心となって行う。いつ何をして遊ぶのか、食べるのか、子どもたちが決めるので、スケジュールや献立は毎回違う。僕や奥さんを含めたスタッフたちは、天候や個々の体調などから、全体のスケジュール調整や最低限のアドバイスとお手伝いをする。

「今年は、見守りを大切にしよう」と、スタッフとの事前ミーティングで話をした。これまで、初日に決めた日程を予定通り進めようとすると、子どもを急かせてしまう場面が多かった。マッチで火を熾したり、クッキーを成形したり。僕たち大人が待てずに、ついつい手を出して、子どもたちの経験の機会を奪ってしまうことがあった。その反省から、内容を詰め込みすぎず、多少予定時間をオーバーしても子どもたちのペースで体験できるように努めた。変更も状況に応じて、柔軟に対応することにした。

10名前後の子どもたちが集まれば、僕らスタッフが考えている予定や想定を飛び越えて、思わぬ事態が起こることもある。遊びの中で怪我をしたり、連日の興奮からか体調を崩したり、夜中にホームシックになってしまったり。毎回予定外のことがあったが、最終日は皆笑顔で送り出すことができ、ホッとした。

ほんの数日とは言え、僕と奥さんだけで人様の子どもの命を預かるなんて、とてもできないし、企画する気持ちも湧かなかっただろう。しかし幸いにも、想いを共有できる仲間達と、ここで出会うことができた。イベントの主旨を理解し、サポートしてくれる彼らのお陰で、このイベントが運営できている。本当にありがたいことだ。

振り返ってみると大変だったこと、反省すべきところも多い。けれど、その経験からの学びを生かし、きっと来年も企画するだろう。それは収入を得るという経済的な理由だけでなく、ここで子どもたちに何かを感じてもらえるのではないかという気持ちも大きい。

 

写真:「何か作りたい」という子どもたちに、「竹ならいくらでもあるよ」と答えると、どこからか葉っぱも取ってきて、こんな素敵なティピが完成した。作成に特別な技術や知識は必要ないが、「竹と葉っぱでテントを建てちゃおう」なんて発想は、そのとき僕にはなかった。「コロンブスの卵」的、彼らの想像力にはいつも脱帽する。完成後、子どもたちは役を決め、このテントを舞台とする寸劇がはじまっていた。その後の予定があったけれど、しばらく自由時間にした。

 

*ページ下にある「笹の夏休み」タグをクリックすると、関連記事が読めますよ。

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蚊帳

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笹のいえのような木造で古い家は大抵隙間だらけで、戸をちゃんと閉めていても、蚊やアブなどの虫たちがどこからかやってくる。飛ぶ虫だけでなく、ムカデなどあまり近くに来ないでほしい生物も目撃する。

なので、虫の多い夏の夜には蚊帳が登場する。

これを吊るし、裾を敷き布団のへりにたくし込んでおくと、彼らとの遭遇をほぼ防ぐことができる。

その安心感たるや相当なもので、もはや蚊帳なしでは安眠できないカラダになってしまった。

中に入ると、僅かではあるが、音が静かで耳に優しく、眠りも深く心地よい。

出入りの際、裾を素早く上げ下げしないと虫が一緒に入ってきてしまったり、熱がこもりやすかったり、体の一部が蚊帳にくっついているとそこを蚊に刺されてしまったり、快適に使うにはコツがいるが、未体験の方は、ぜひ試してみてほしいと思う。まあ隙間のない家にお住まいであれば必要ないのだけれど。

そんなわけで、9月も下旬になるのに、うちではまだ蚊帳を仕舞えないでいる。

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笹のいえ

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子狸との遭遇から数日後、今度は鳶に逢った。

たぶん多くの男子たちがそうであるように、僕は小さいときから鷲や鳶などの猛禽類が好きで、図鑑などをよく見ていた記憶がある。保育園から小学校低学年のころよく観ていたいわゆる「戦隊モノ」の中には、鷹をモチーフとしたキャラクターがいたりして、憧れの存在だったのだ。

地域によって頭数の差はあるものの、鳶は山間部においてさほど珍しい動物ではない。土佐町でも毎日のように彼らが空で気持ち良さそうに円を描く姿や独特の鳴き声を見聞きすることができる。どういうわけか、カラスと折り合いが悪く、激しく鳴きながら空中戦を繰り広げている場面にも出くわす。身体は鳶の方が大きいが、これまで僕が見た勝負では、いつもカラスが勝利し、鳶が這々の態(飛んでいる生き物にこの表現が合っているのか分からないけど)で逃げていくのを何度も目撃してる。

この日見つけた鳶は、笹から一番近くにある小さな橋の手摺に留まっていた。僕は、その凛とした姿勢、鋭い目とくちばしに見入っていた。しばらくののち、こちらを一瞥すると翼を大きく広げ、優雅に飛び去って行った。

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子狸

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ある日、山道を車で走っていると、子狸に遭遇した。

減速しつつ、「タヌキがいるよ」と子どもたちに伝えると、「どこどこ!?」とフロントガラスに顔を寄せてきた。

離れたところに車を止めて、車内から静かに観察する。向こうもこちらに気づいている様子だが、逃げるわけでもない。ぎこちない動きから、怪我か病気をしているかもしれない。周りに親の姿は見えなかった。臆病そうに上目遣いでこちらをうかがっている子狸が少し気の毒になって、できるだけ迂回して、その場を離れた。

あんなに小さな狸は見たことなかったので、僕はとても得した気分になった。

猪や猿、ハクビシンに兎に山鳩など。山で野生動物を見かけるのは珍しいことではないけれど、その出会いのたびに、僕たちと彼らの暮らしがとても近くにあるのだと感じる。確かに、田畑を荒らされたり、野菜を食べられてしまったり、困ったこともある。人間も動物も生きていかなければならないわけで、どうやって共存していくのか、あれこれ考える。

そういえば、小中学生時代の僕のあだ名は「タヌキ」だったことも思い出した。

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誕生日の願い

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先日、僕の47回目の誕生日を家族と親しい友人たちに祝ってもらった。有難いことです。

何かの書類に自分の年齢を書き込むとき「オレって、45だっけ?46だっけ?」と、奥さんに毎回尋ねて呆れられるほど、自分の歳に頓着しなくなっている昨今(記憶力の低下とも言う)。世間的には「アラフィフ」と呼ばれるカテゴリに属しており、思えば遠くまで来たもんだと思う。スマホの字が霞み、立ち上がる時には「ヨイショ」と言い、お腹周りも気になるこの頃だ。

友人のひとりに「47歳の抱負は?」と聞かれた。元旦に一年の計など誓ったこともない僕は、今までそんなこと考えることはなかった。けれど、このときは頭に浮かぶ言葉があった。それは「そこそこ健康でいること」だった。

季節ごとの農作業、重い薪や廃油集め、改修やDIY、人と関わる精神状態など。僕たちが営む、むかし暮らしは、心と身体が健康的でなければ、維持することは難しい。もし夫婦のうちどちらかが、大きな怪我をしたり、病で長期間倒れたら、、、 あまり考えたくないが、起こる可能性はゼロではない。だから心身に負担が掛かる前に、状況に合わせて暮らしを変えていくことが望ましい。

健康であることは良いことだ。とはいえ、「不健康なこと、絶対ダメ!」と肩肘を張ると、それがストレスになりそうだから、少々の不摂生なら目を瞑ることにしよう。「そこそこ」なら気が楽だ。怪我や病気も小さいうちに処置できるならオッケー。

歳を取れば、気力や体力、注意力が徐々に衰えていくだろう。加齢を意識しつつ、それを止めることはできないから、あまり気負わず、時には周りの助けを借りて、僕らしく歳を重ねて生きていきたい。

目の前に並んだ誕生日料理を頬張り、「こりゃ、また食べすぎちゃうなあ」と思いつつ、箸が止まらないバースデーボーイであった。

 

写真は当日のご馳走を準備している子どもたち。「食後は誕生日ケーキが出てくるはず」と言う期待のもと、いつもの倍くらいテキパキとお手伝いしてくれた。

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笹のオープンデー

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笹のいえはこれまでいくつかの取材を受けたことがあって、その記事を見てくれた人がふらりと寄ってくれることがある。たいていの場合、僕か奥さんが居るので、敷地内を見学してもらったり家を案内したりする。でも、たまたま家族で出掛けていて不在なことや、作業で忙しく時間を取るのが難しいこともある。「興味があるんだけれど、突然行くのは気がひける」という方もいた。

そういえば、知り合いのシェアハウスでは、オープンデーというイベントを開催して、その日は誰でも自由に出入りできるようにしてるらしい。笹でもやったらどうか。と奥さんが言ったので、それじゃあ、やってみようということになった。

日にちを設定して、「あるもんでキッチン」と不用品を持ち寄るフリーマーケットも同時開催にした。

Facebookでイベントページを公開したとき、ふと心配になった。

「誰も来なかったら、どうしよう」

細い山道を不安になるくらい進んだ先にある笹のいえ。しかも、平日。果たして、来る人はいるのだろうか。

まあ、どちらにせよ、お昼ご飯は作るんだし、ひとりも来なくてもいいじゃない?と奥さん。

作業で慌ただしい毎日だけど、来るか来ないかわからないお客さんをゆっくり待つのもいいか、と僕。

とりあえず、家を掃除して、来客に備える。いつも散らかっている部屋が片付くのは、お客さんが来る最大のメリットだったりする。

そのうちにひとり、またひとりとお客さんがやって来た。友人が過半数ではあったが、市内などからはじめていらっしゃった方たちもいた。こんな遠いところまでわざわざすいません、と自分で企画しておいて恐縮してしまうのが可笑しい。挨拶もそこそこに、台所のかまどに火が入り、お昼ご飯作りがはじまる。持ち寄った食材を、皆で調理していく。僕は末っ子を抱っこしながら、移住までの経緯をお話ししたり、五右衛門風呂やコンポストトイレなどについての質問に答える。

5月6月と一回ずつ開催したが、どちらにも10名を超えるお客さんが来てくれた。女性が多いが、男性や子どももいる。6月のときは乳児が数名いて、皆でかわるがわる抱っこしたり、あやしたりして、なんだかちょっとしたコミュニティみたいだった。お昼を食べてお腹いっぱいになったところで、ひとりずつ自己紹介をすることにした。「笹のいえの暮らしを見てみたかった」「オーガニックな食に興味がある」「農的暮らしや移住を考えている」など、参加した理由は様々だった。お客さん同士のおしゃべりから共通点が見つかり、連絡先を交換している姿もあった。

特に時間は決めていなかったので、それぞれの都合の良いタイミングで解散。三々五々人が集まり、三々五々帰っていくのを自分の家で見ているのは、なんだか不思議な感じだった。

笹の風通しを良くするために、そして家を片付けるためにも、続けていけたらと思う。

 

写真は本文とは関係ないのだけれど、木臼の中で気持ち良さそうに昼寝をするイネオ。まるでお風呂に入っているようだ。

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笹のいえ

おにぎり

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いつからか、僕はおにぎりを握るのが好きになった。

例えば、塩おにぎりを作るには、ご飯と海苔、塩、手水を入れるボウルが必要で、具を入れるなら更なる準備がいる。以前はこれが面倒だった。茶碗にご飯入れて、海苔と一緒に食べれば一緒じゃん、と思っていた。

そうだ、子どもたちの間食やおやつにおむすびを作るようになってから、握るのが億劫ではなくなったのだ。うちの子たちはおにぎりが好き。学校や保育園から帰って来るなり、「お腹空いた、なんかない?」「塩むすび、握ろうか?」「僕、大きいの二つね!」「わたしは、小さいの三つ!」。さすがに連日だと飽きてきて、「おにぎり以外がいい」というリクエストもあるが、おにぎりの登場回数は上位に入る。

口をいっぱいに開けて、おにぎりを美味しそうに頬張る姿を見ていると、こちらのお腹まで空いてくる。そんな時は、もちろん自分で握る。

握ったご飯は、茶碗に盛ったご飯よりも何故か美味しい。

握ることで、その人の「気」のようなものが入るのだろうと思う。

 

写真:末っ子・月詠(つきよみ)最近のお気に入りの食べ方は、ご飯と海苔を別々に味わうこと。口に入れたのと同じ数の米粒が顔や手足にくっ付く。

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もったいないから、あるもんで 後編

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前編はこちらから。

 

集まる食材は当日になるまで分からない。ひとつひとつ確認しつつ、頭の中で献立を組み立てる。持ち寄られるものは開催毎に違うから、同じ料理は出てこない。子嶺麻自身はじめて扱う食材もあるし、これまで作ったことのない料理も少なくない。まさに、一期一会のメニューだ。

ふたつのイベントには、いろんな参加方法がある。材料を持って来てもらう他にも、一緒に調理をしたり、食材を洗ったり切ったり、もちろん食べるだけだっていい。どんな関わり方であれ、捨てられるはずだった食べ物が美味しそうな料理として目の前に出てくると、持参したあの食べ物がこうなったのかと驚きや喜びがある。

子嶺麻と一緒に台所に立つと、その調理法に目から鱗が落ちる。

「揚げ物は鍋肌に10秒以上当てると油切れがいい」

「野菜を蒸したり煮たりした汁は捨てずに、出汁として使う」

「こうすれば、根っこも皮も食べられる」

中華風、和風、洋風、アジアン、、、料理のジャンルに捉われない品々がどんどんテーブルに並んで行く。いただきますをしてからも、彼女は調理を続け、新しい皿に盛られていく。とても食べきれないので、希望者にはタッパーに好きなだけ詰めて持って帰ってもらう。

このイベントは、周りのサポート無しには成り立たない。事前の食材集めから、下処理、洗い物や片付けなど。ありがたいことに、毎回たくさんのお手伝いがあり、たくさんの「美味しい!」の声がある。それは子嶺麻の喜びとなり、次回開催への意欲となっている。

主旨に賛同してくれた方々に呼ばれ、各地で開催する機会も増えて来た。「あるもんでキッチン」は、地域の方達が集まり自主的に行なっているところもある。はじめは個人が中心だった食材提供も、スーパーなどから出る賞味期限直前の食材や野菜の外葉などいただくこともある。そうやって、少しずつ繋がって、広がっている。

いずれは、世界中の廃棄食料が無くなって、イベント開催できません!なんていう日がくれば素敵だなと夢見てる。

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もったいないから、あるもんで 前編

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旦那の僕が言うのもなんですが、うちの奥さん子嶺麻(シネマ)の作る料理は、とても美味しい。

高知引越し前に住んでいたブラウンズフィールドでは、スタッフの食事を作っていたし、敷地内にあるカフェでも不定期だがランチを作っていた。なので、「飲食業やらないの?」とよく聞かれるみたいだ。でも彼女はいつも首を横に振る。例えばカフェを営業するなら、いつ、どのくらいお客さんが来るか正確には分からない状況で仕込みをしなければいけない。途中で売り切れになってしまったら、来てもらったお客さんに申し訳ないから、多めに作る。結果、売れ残りが出る。スタッフや友人がいる場合は、まかない料理として出され無駄にはならないが、彼らが不在のときは廃棄となってしまうこともある。彼女にはこれが許せないのだ。

日本の食料自給率は、カロリーベースで四割以下と言われる。つまり、六割は海外からの輸入に頼っている。一方で、破棄される食料は年間二万トン。子嶺麻には、この状況をどうにかしたい思いがずっとあった。食材はなるべく使い切り、生ごみを減らし、無駄な買い物はしない。それでも、世界では毎日大量の食べ物が捨てられている。現状は変えられないかもしれないけれど、少しでも廃棄食材を減らせれば、と彼女がはじめたのが、「もったいないカフェ」と「あるもんでキッチン」だった。

「カフェ」は、子嶺麻が料理したものをお客さんに食べていただく。「キッチン」の方は、参加者と一緒に調理して、いただきましょうというイベント。

食材を買うのは「もったいない」ので、「あるもんで」で工夫する。

各家庭で、賞味期限間近な食品や買い物したりいただいたりしたけれど食べ方や調理法がわからずそのままになっている食材、旬で採れすぎた野菜などを持ち寄ってもらう。子嶺麻自身はお肉を食べないので、動物性食材はお断りしている。また、シンプルに料理したいので、添加物の入った加工品もご遠慮いただいている。

 

後編に続く。

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