笹のいえ

笹のいえ

ターザンがやって来た

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

目の前に現れた男性の姿を見て、僕は言葉を失っていた。

彼の肌は健康的に浅黒く、腰まで届く長髪、胸板は厚く逞しい。

 

そして、なぜかフンドシ一丁だった。

 

<和製ターザン>と言う表現がぴったりな彼は、生まれてまだ間もない娘を大事そうに抱えながら、

「連絡していた誠です。まこっちゃんって呼んでください」

と丁寧に自己紹介した。

運転席から優しい雰囲気の女性が出てきて、よろしく、とお辞儀をしてくれたとき、僕はやっと我に返って、まだ少し混乱する頭を下げ挨拶した。

まるでONE PEACE(読んだことないけど)に出てきそうなキャラ設定の家族で、最初戸惑った僕の心が次第にワクワクしてくる。場をオープンにして良かった、と思う。だってこんな出立(いでたち)の人と縁が繋がるなんて、ラッキーでしかない。

見た目からは想像しにくいほど、物腰の穏やかな話し方な「まこっちゃん」は、旅の途中に寄ったブラウンズフィールドで僕らのことを聞き、九州に帰る道中で、笹を訪問してくれた。彼らは地元を盛り上げようと、地域住民と繋がって地場産食材を使った加工品を原材料から育てて加工販売を生業としている。その他にもイベントを運営したり、地場産業のお手伝いしたりしているそうだ。仲間と一緒に忙しくも充実した毎日を送っているのが、話しから伝わってくる。

この辺の川の水がとても澄んでいると褒めてくれたので、近くの川に案内した。

時は10月上旬。水温と日差しに夏の面影は無い。しかしそんなことお構いなしに、まこっちゃんはざぶんと飛び込み、気持ちよさそうに泳いでいた。その姿は人魚にも見える。触発されたうちの次男も一緒に入ったが、すぐに出てきて寒さに震えていた。

水を滴らせながら、岩の上に堂々と立つまこっちゃんは、やっぱりターザンだ。

ぜひうちに泊まってほしかったのだが、その日は僕らに別の用事があったので、また会うことを約束してお別れした。

数時間の滞在だったが、数年分のインパクトが残った出会いだった。

 

その夜、まこっちゃんのインスタをチェックしてみると、なんとフォロワー2,000人以上の有名人だった。彼の投稿や活動の様子を見ながら、またワクワクしたのだった。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

予約卵

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

二年前友人から三羽を譲り受けてからはじまった我が家の養鶏。二羽の雌鳥たちは毎日一二個の卵を産んでくれたが、七人家族の消費には追いつかず、また子どもたちの要望もあり、去年春に中雛を四羽購入、現在は八羽飼っている。

産卵するペースが鈍る冬の間にも関わらず、最近の母さん鳥たちは多いときには五つ以上の卵を産み落としてくれることもある。

巣箱をチェックすると、床にちょこんと鎮座している卵様。その佇まいに何故か癒される。

採れたものはサインペンで日付を書いて、台所の専用カゴに入れる。

ある程度数が貯まってくると、長女あたりから「そろそろ、いいんじゃない?」と提案がある。

家族全員で食べるのに一二個では足りないから、余裕をみてまあ十個くらいあれば夕食のおかずの一品として満足できるくらいの量になる。

しかし、大人気食材である卵には、「家族のおかず」よりも優先順位の高いイベントがある。

それは、「お弁当の日」である。

保育園や小学校では年に数回、お弁当を持参する日がある。

我が家では、お弁当のおかずはかなりの確率で、その子のリクエストが聞き入れられる習慣がある。そして、卵料理はこれまたかなりの確率でおかずランキング上位を占めるのだ。

自分のお弁当の日に卵のストックが無いと、とても悲しい気持ちになる。

なので、知恵のついてきた長女長男なぞは、その日が近づいてくると、卵を予約するようになった。

「明後日お弁当の日だから、卵二個取っておいてよ!」と言った具合だ。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

場をオープンにする

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

我が家であり、宿でもある、笹のいえ。

暮らしの場をオープンにすると、訪れてくれる人がいる。

自作したモバイルハウスで日本を旅しているフランス人・ピエールさんもそのひとりだ。

一月下旬、笹にやって来て、三日間滞在した。元ジャーナリストでドキュメンタリー映画監督の経験もある彼とパートナーは、1トントラックの荷台に建てた、廃材を利用して作った小さな家で寝泊りしながら、全国を移動している。そして持続可能な暮らしを営む人びとに会い、共に身体を動かし、話を聴いているという。この旅で出会った人たちから、生き方の本質を学ぼうというのだ。

ピエールさんのパートナー・けいさんは中国で生まれ、現在は日本の国籍を持つ。普段はふたりで旅をしているが、このときは東京に出掛けていて、残念ながら会えなかった。しかし異なる環境で生まれ育ったふたりが、縁が繋がった日本という国の素晴らしさをSNSなどで発信しているというのはなんだか不思議な人生の巡り合わせだ。

泊めてもらう代わりに何かお手伝いを、というピーちゃん(ピエールさんのあだ名)と、薪割りすることになった。数日前に地域の方からいただいた雑木が山積みになっていたのだ。僕がチェンソーで玉切りした丸太を、彼が斧で慣れた手付きで割っていく。寒い日の作業だったが、徐々に身体が温まり、心身がほぐれていった。一緒に作業をし、おしゃべりし、時間を共有すると、お互い不慣れな言葉でのコミュニケーションではあるけれど、その壁は次第に薄くなっていく。ピーちゃんは、昔ながらの日本家屋が周りの環境に寄り添うように建てられた造りであること、またそこで暮らす人びとも自然と共に在ることについて熱心に話してくれた。僕も、彼の国での循環型生活について質問し、それぞれの共通点などを話し合った。

いつの間にか、学校や保育園から帰宅した子どもたちが周りに集まって、おやつを食べたり、遊んだりしてる。見た目も言葉も自分たちとは違う、ちょっと変わった家に住んでいるピーちゃんとの交流は、子どもたちの心にどんな記憶を残しただろう。

翌日、モバイルハウスの中を見せもらった。僕たち家族だけではもったいないので、彼に話をして、興味ありそうな友人にも事前に声を掛けて集まってもらった。

室内は限られたスペースに、暮らしのアイテムがたくさんのアイデアとともに収納されていた。

ミニキッチンやベッド兼ソファ、ソーラーパネルでの発電など、狭い空間に上手に収まっていて、必要最低限にして充分。そこここが遊び心が溢れ、オープンマインドな雰囲気を感じ取ることができる。屋根に登る梯子に使われれている天然木の湾曲や窓には飾られているけいさんの絵の温かさが心地良い。装備されていないお風呂やトイレは、公共の施設を利用するそうだ。

「訪問先で他の場所をお勧めされて、行きたい場所がどんどん増える」あるとき、ピーちゃんはちょっと困ったように笑いながらそう語っていた。まるで風のようにルートを決める彼らの旅のスタイルが、行く先々で受け入れられている証拠だ。

最終日の朝。僕らは「また会おう」と約束して、握手をした。そして車はゆっくりと走り出し、次の目的地へ出発して行った。

小さくなっていくモバイルハウスに、僕はエールを送った。

 

彼らのプロジェクトについてはこちら↓ *プレッジ(支援)は終了しています。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

ファーストさんに行ってきた

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

地域に眠っている鹿の角を加工し、販売する。

日頃余熱暮らしをしている僕としては、「使われていないものを再利用する」というコンセプトだけで、グッと来てしまう。これをガチャという遊び心をくすぐる方法と合体させ世に送り出す、という発想が、創造力の乏しい僕には、ちょっとした雷が落ちたくらいのメカラウロコ感があった。

しかもそれを住民と協力して、収益を生み出す。そんなことも、とさちょうものがたりが普段からこの地のコミュニティと深く繋がっていることを表している。

所有者の使われていなかった角が有効活用され、購入者に夢を与え、作り手の所得にもなる、まさに「三方善し」のアイデア商品だ。そこまで利用されれば、元々の持ち主である鹿も本望で、四方善し、かもしれない。

 

僕とこの商品との関わりは三ヶ月ほど前から。

拓ちゃんから鹿角加工のバイトをしないかと声を掛けてもらった。

角を適当な長さに切断し、紐を通す穴を開け、研磨するまで。商品になる工程の半分といったところだが、この後どうやって商品が完成するのか気になっていた。

そんな思いを汲み取ってくれたのか、今度は百合子さんから、実際の作業を見にいかないかと誘ってもらった。日程を決めた数日後、加工済みの鹿角と共にファーストさんを初めて訪れた。

自己紹介もそこそこに早速一緒に作業を開始。

慣れない場所と人たちに僕は少し緊張していたが、利用者さんと職員さんの普段通りであろうやり取りにちょっとずつ気持ちが解れていった。

作業は分担制。紐を決まった長さに切る人、穴に通し結ぶ人、説明書きと鹿角をカプセルに入れる人、、、僕の手を離れた鹿角たちがこんな場所でこんな人たちに可愛がってもらっているのか、と親心にも似た感情を抱きつつ、お手伝いをさせてもらった。

淡々と進む作業の合間に、彼らといくつかの会話を交わし、頷いたり笑ったりした。

カプセルに詰められた鹿角が段ボール箱のスペースを埋めていき、あっという間に(本当にあっという間に)、予定していた作業時間が終了した。少しの休憩を挟んで、その後は別の作業があるという。多忙なスケジュールの中、僕たちを受け入れてくれた皆さんに感謝し、施設を後にした。

帰りの車中、運転する百合子さんと、あんな風に作業しているんだね、少しの時間だったけれど一緒に手を動かせて良かったね、と言い合った。こんな小さな経験の積み重なりが、作り手としての自覚や商品への愛着になるのだろう。

加工場で僕はひとり鹿角加工をするが、次回からは彼らの笑顔を思い出しながら少し温かい気持ちで作業をするだろう。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

バランスをとりながら

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

僕が移住先に自然豊かな場所を選んだのは、子どもたちが取り巻く環境やそこに棲む生物たちに興味を持ち、山川で遊び逞しく成長してくれると願ったからだ。

豊かな自然に囲まれたこの環境では、四季折々の風景や動植物を観察することができるし、山や川で遊び場には事欠かない。木の枝や竹などを使って道具やおもちゃを手づくりしたらさぞ楽しいと思う。

 

しかし、子どもたちは、僕が勝手に妄想していたほど野生児には育っていない。

理由のひとつは、

僕が一緒に遊べない、ということだろう。

ここでの暮らしはなかなかに忙しい。土を耕し、火を熾し、食す。シンプルな生活だが、ひとつひとつの行程に手間が掛かり、あっという間に一日が過ぎていく。例えば、生活に欠かせない薪を手に入れようと思ったら、現場に行って、チェーンソーで適当な長さに切り揃え、軽トラの荷台に載せて家まで運び、斧で割って、棚に積んで乾燥させる、と言った具合。僕が家で費やす時間は長いが、子どもと向き合うひと時は意外と少ない。遊びに行こうと誘いたいが、やらなければいけない暮らしの作業があって、子どもたちとの時間を十分に捻出できない。

そして、今まで海の近くで住んでいた僕は、山や川での遊び方をほとんど知らない。釣り糸の結び方からどの野草が食べられるのかなど、未だ知らないことばかりだ。山道を歩くことにもコツがある。そんなことすら身に付いてない。僕の乏しい経験ではたとえ山や川に連れていっても、自分自身楽しみ方が分からず、子どもたちの好奇心も引き出せないだろうという負い目がある。

だからと言って、子どもたちに「ほら、こんなに遊び場があるよ、行っておいで」と言っただけでは、彼らもどうしていいかわからない。親を含めた先輩が一緒になって時間を過ごすことで、子どもは多くを学び、そのうちに自分たちで行動ことができる。そのお手本がいなければ、子ども自身が興味を持つ機会すらないとも言える。

幸運なことに、この地に様々なスタイルで暮らしている仲間たちのおかげで、川遊びしたり、虫取りをしたり、地域ならではの体験させてもらって、子どもたちは彼らなりにこの環境に慣れ親しんでいるようだ。

うちの子たちはネット動画を観るのが好きだし、親類に譲ってもらった電子ゲーム機に夢中にもなる。外には素晴らしいフィールドがあるのに、家でスクリーンに集中するなんてもったいない。しかし、それはあくまで僕の中の常識なのだ。ああしろこうしろと口煩く言わなくとも、子どもたちはそれぞれのバランスをとりながら、未来を生き抜いていくだろう。それは、これまで僕が過ごしてきた世界とは異なる。僕が学んできた価値観だけを押し付けてしまえば、子どもたちは時代遅れの人間となってしまうかもしれない。次世代へのバトンの渡し方もバランスが必要だろう。

 

写真:家から数分の河原にある巨石を登る長男。滑って落ちやしないか見ているだけで冷や汗が出るが、何事もないようにスルスルと登っていった。彼のバランス感覚は、すでに僕より上だ。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

余熱暮らし

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

家の改修などDIYは、あるものや廃材を利用。

日々の煮炊きや風呂の湯沸かしには、解体や間伐で不要になった木を薪にして使う。

回収した使用済み天ぷら油で車を走らせ、

道具や服、食材から子どものおもちゃも含めて、いただきもの多数。

 

僕らの暮らしは、他人が使い切れないもの、いらなくなったもので成り立っている部分が多い。

 

 

似たような生活をしている友人が「僕は、人の余熱で生きているようなものだ」と語ったことがあった。

新品(を購入すること)を最初に生じるメインの熱だとして、時が経ち持ち主が不要になった、または古くなった物を余熱と表現したのだ。薪ストーブの火を見ながら酒を飲んでいた僕は、その言葉を聞いて、そんな生き方も悪くないよなと思いはじめていた。

 

僕が何かをもらうとき、引き取るとき、それが相手にとって「嬉しいこと」であるかどうか考える。

例えば、廃材や廃油など、捨てるときに手間や処分料が掛かる場合がある。大量に余った食べ物は腐らせたり捨てられたりしてしまう。

そんな余熱を引き取って、再利用する。それは、相手はもちろん、僕らにとっても「嬉しいこと」なのだ。

 

写真:薪ストーブやかまどに火が入ると、発生した熱が家から出ていってしまう前にどうにか利用する。それぞれ適温と思われる場所にやかんや鍋などが所狭しと並ぶ。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

たね、一歳

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

12月16日で一歳になる五番目のたね。

よちよちながら二足歩行ができるようになり、益々目が離せない。意味のある言葉はまだ発せられないけれど、「ちょうだい」「いや」などの意思を身振りと表情で伝えられるようになってきた。感情が豊かで仕草も可愛く、家族のアイドル的存在だ。

さすが末っ子、上の子をよく観察しているのか、これまでの子たちに比べると物覚えが早く要領が良い気がする。一歳前でこんなこともできるのかと驚かされる場面もあった。

 

玄関の前で、たねを膝に載せて遊んでいたときのこと。

目の前を通り過ぎる猫を指差して、彼女が「にゃーにゃー」と言った。

僕「そうそう、ねこちゃんだねー」(すごい!一歳で、もう猫を認識して鳴き真似するぞ!)

そこに鶏が登場。

僕「それじゃー、あれは?」(こっこって言うかな?)

たね「にゃーにゃー」

僕「・・・」

僕「じ、じゃあ、これはだれかな〜?」(と僕を指差す)

たね「にゃーにゃ」

 

どうやら、生き物は全て「にゃーにゃー」らしい。

「うちの末っ子、天才説」は、親バカの幻想だった。

 

 

 

彼女が生まれたときの記事はこちらから。

たね

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

薪についた虫の話

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

薪にした木は薪棚に積み重ねて、水分を抜くため数ヶ月放置する。

使うときは数本を薪用のコンテナに入れて、火口から手の届くくらいの場所に置いておき、適宜必要な分を焼べていく。

燃え盛っていく火に追加の薪を放り入れるが、そのとき、木に虫が付いていることに気が付くことがある。

虫は住処としていた木が突然動いたので、最初じっとして様子を伺っているが、そのうち触覚を動かしてそろりそろりと動き出す。木自体に火が回ってくると、事態を察してかあちらこちらに素早く移動をはじめる。木から離れることはないので、ついに退路は塞がれ、哀れこの小さな生き物の運命や如何に!となるのだが、僕はその辺に落ちていた枝を虫の隣に突き立て、そちらに誘導し逃してやる。九死に一生を得た虫さんは、僕にお礼を言うこともなく、どこかに行ってしまう。

薪暮らしをはじめたころ、虫なんかではなく、かまどや燃焼室で揺らめく炎に心を奪われていた。ついつい見惚れて時間を忘れてしまうほどだった。ある日、焼べた薪の上で迫る炎と熱から逃げ惑う虫に気がついた。大して気にも留めていなかったが、だんだん自分がその虫のような気持ちになってきて、助けずにはいられなくなってしまった。もちろん今でも火を見ているのは好きだが、目線は虫を探していることも多い。

気づいた範囲なので、木と一緒に焼けてしまう虫全体の何割を救助できているのかわからない。そもそもその行動がどんな意味を持つのか自分でもよくわからない。ただ、目の前で燃え尽きてしまう命を見るときの胸に残る苦い感触を味わいたくないのだ。

 

写真:長男はときどき思い出したように「薪割りしたい」と言う。最初の数回はそれこそ手取り足取り教えていたのだが、最近は筋力も付き、節の少ない薪を選べばかなり上手に割れるようになってきた。慣れたころが一番危ないので油断禁物ではあるけれど、コツを掴んでくると面白いように割れるようになるので、本人も楽しんで暗くなるまで続けてることがある。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

ひろくやりゆう

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

ある野菜が旬の季節になると、ご近所さんからお裾分けをいただく。くださる方は「笹でもたくさん採れちゅうろうけんど、ごめんねえ」と申し訳なさそうに野菜の入った袋を渡してくれる。でもうちは食べる口(くち)が多いので、本当にありがたい限りだ。

柿に大根、サツマイモ、チャーテにパプリカなどなど。山盛りになった野菜用コンテナを眺めながら、うちも「広くやるようになったなあ」とあの日の会話を思い出して心の中で笑う。

その日、いつもお世話になっている地域のおばちゃんに「渡貫さん、いただきもんのお裾分けで申し訳ないけど、〇〇いらん?」と野菜(何の野菜だったかどうしても思い出せない)でいっぱいになったダンボール箱を手渡された。

僕「こんなに!いつもありがとうございます」

おばちゃん「いやいや、うちも畑を広くやりゆうもんやき、どうぞもらって!」

と言って、おかしそうに笑った。

その笑いの意味は?さらに会話は続く。

おばちゃんは、あちらこちらの知り合いの畑から採れた野菜をもらう。自分で栽培している畑に加えてご近所さんのやっている畑の収穫物がお裾分けとして集まってくる。だから、その畑も「自分の畑」と考えて、「広くやりゆう」と言う冗談だった。

なるほど、そういうことか。

土佐町に来てはや九年。冒頭のように、僕たちも地域の方々から旬の野菜などをいただくことが増えた。それは、単に食材が手に入ると言うだけでなく、僕ら家族の存在がこの土地に受け入れられてきたことを実感できる大切な交流でもある。

 

写真:笹には柿の木がないので、毎年友人宅の敷地内にある渋柿を採らせてもらってる。これも僕らが広くやりゆう場所のひとつ。収穫した柿のヘタと小枝の形を剪定鋏で整え、皮を剥き、熱湯に数秒浸したら、専用の吊るし具を使って竹竿に干す。二ヶ月もすれば美味しい干柿のできあがり。でも、写っている小猿さんたちに気を付けないと、完成する前にどんどん減っていってしまう。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

ふたりの散歩道

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

10月中旬秋晴れのある日、母屋では先生と生徒数名が集まりヨガ教室があった。

お母さんとやってきた三歳のN君、家族ぐるみでお付き合いしていることもあって、笹ではもう顔馴染み。最近はひとつ年上のうちの次女と歳が近いこともあってよく遊んでる。

ヨガがはじまってもそれぞれのお母さんにべったりだった彼らだが、そのうち飽きたらなくなったようで、外に内にと遊んでいた。作業をしていた僕はふと思い立ち、起きたばかりの末娘を乳母車に乗せ、N君と次女を散歩に誘った。

うららかな秋の光が差し込む日、集落までのいつもの道は、自然の音に溢れ、心を落ち着かせてくれる。ふたりは僕に付かず離れず、あちらこちらへ走り回ってはいろんなことを発見してる。

おしゃべりな三女は、落ちている枝の使い道、咲いている花の形と色の理由、それらを身に纏っている自分の役どころを次々に説明してくる。もちろんその場で思いついたストーリだから、しばらく経つと別のお話になっていたりするのだけれど、僕も一緒に彼女の世界に入り込んで想像を膨らませる。N君は口数は多くないが、三女の後をついて回って、楽しそうにしてる。たまに取り合いの喧嘩もするが、しばらくするとそれぞれのやりたいことに集中して次の宝物を見つける。真っ赤に紅葉した葉っぱ、見た目美味しそうな木の実、見たこともない蝶々。

折り返し地点となる集落で、飼われている赤牛に挨拶したり、神社でお参りした。どんぐりを拾っては僕のスボンポケットいっぱいに詰め込んだり、アスファルトでペタンコになってる蛇の亡骸を大切に持ち歩いたりしていると、午後の日がだいぶ傾いて来た。乳母車の0歳児は西日の暖かさでまた寝てしまっていた。そろそろ家に戻ろう。

帰り道、そろそろ「疲れた、歩けない」とぐずりだすかと思っていたが、意外にもそのまま笹まで歩き通してしまった。家に到着するとちょうど教室が終わっていて、友人たちが帰るところだった。ふたりはお母さんたちの姿を認めると、今日の宝物を抱えて一目散に駆け寄っていった。

 

写真:ふたりから少し離れていた僕は、目の前の景色を興味深く見つめた。道の両脇から鬱蒼と茂る木々がトンネルのようになり、前を進むふたつの小さな魂を見守り、その先にある光の世界にいざなっているようだった。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone