笹のいえ

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子狸

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ある日、山道を車で走っていると、子狸に遭遇した。

減速しつつ、「タヌキがいるよ」と子どもたちに伝えると、「どこどこ!?」とフロントガラスに顔を寄せてきた。

離れたところに車を止めて、車内から静かに観察する。向こうもこちらに気づいている様子だが、逃げるわけでもない。ぎこちない動きから、怪我か病気をしているかもしれない。周りに親の姿は見えなかった。臆病そうに上目遣いでこちらをうかがっている子狸が少し気の毒になって、できるだけ迂回して、その場を離れた。

あんなに小さな狸は見たことなかったので、僕はとても得した気分になった。

猪や猿、ハクビシンに兎に山鳩など。山で野生動物を見かけるのは珍しいことではないけれど、その出会いのたびに、僕たちと彼らの暮らしがとても近くにあるのだと感じる。確かに、田畑を荒らされたり、野菜を食べられてしまったり、困ったこともある。人間も動物も生きていかなければならないわけで、どうやって共存していくのか、あれこれ考える。

そういえば、小中学生時代の僕のあだ名は「タヌキ」だったことも思い出した。

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誕生日の願い

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先日、僕の47回目の誕生日を家族と親しい友人たちに祝ってもらった。有難いことです。

何かの書類に自分の年齢を書き込むとき「オレって、45だっけ?46だっけ?」と、奥さんに毎回尋ねて呆れられるほど、自分の歳に頓着しなくなっている昨今(記憶力の低下とも言う)。世間的には「アラフィフ」と呼ばれるカテゴリに属しており、思えば遠くまで来たもんだと思う。スマホの字が霞み、立ち上がる時には「ヨイショ」と言い、お腹周りも気になるこの頃だ。

友人のひとりに「47歳の抱負は?」と聞かれた。元旦に一年の計など誓ったこともない僕は、今までそんなこと考えることはなかった。けれど、このときは頭に浮かぶ言葉があった。それは「そこそこ健康でいること」だった。

季節ごとの農作業、重い薪や廃油集め、改修やDIY、人と関わる精神状態など。僕たちが営む、むかし暮らしは、心と身体が健康的でなければ、維持することは難しい。もし夫婦のうちどちらかが、大きな怪我をしたり、病で長期間倒れたら、、、 あまり考えたくないが、起こる可能性はゼロではない。だから心身に負担が掛かる前に、状況に合わせて暮らしを変えていくことが望ましい。

健康であることは良いことだ。とはいえ、「不健康なこと、絶対ダメ!」と肩肘を張ると、それがストレスになりそうだから、少々の不摂生なら目を瞑ることにしよう。「そこそこ」なら気が楽だ。怪我や病気も小さいうちに処置できるならオッケー。

歳を取れば、気力や体力、注意力が徐々に衰えていくだろう。加齢を意識しつつ、それを止めることはできないから、あまり気負わず、時には周りの助けを借りて、僕らしく歳を重ねて生きていきたい。

目の前に並んだ誕生日料理を頬張り、「こりゃ、また食べすぎちゃうなあ」と思いつつ、箸が止まらないバースデーボーイであった。

 

写真は当日のご馳走を準備している子どもたち。「食後は誕生日ケーキが出てくるはず」と言う期待のもと、いつもの倍くらいテキパキとお手伝いしてくれた。

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笹のオープンデー

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笹のいえはこれまでいくつかの取材を受けたことがあって、その記事を見てくれた人がふらりと寄ってくれることがある。たいていの場合、僕か奥さんが居るので、敷地内を見学してもらったり家を案内したりする。でも、たまたま家族で出掛けていて不在なことや、作業で忙しく時間を取るのが難しいこともある。「興味があるんだけれど、突然行くのは気がひける」という方もいた。

そういえば、知り合いのシェアハウスでは、オープンデーというイベントを開催して、その日は誰でも自由に出入りできるようにしてるらしい。笹でもやったらどうか。と奥さんが言ったので、それじゃあ、やってみようということになった。

日にちを設定して、「あるもんでキッチン」と不用品を持ち寄るフリーマーケットも同時開催にした。

Facebookでイベントページを公開したとき、ふと心配になった。

「誰も来なかったら、どうしよう」

細い山道を不安になるくらい進んだ先にある笹のいえ。しかも、平日。果たして、来る人はいるのだろうか。

まあ、どちらにせよ、お昼ご飯は作るんだし、ひとりも来なくてもいいじゃない?と奥さん。

作業で慌ただしい毎日だけど、来るか来ないかわからないお客さんをゆっくり待つのもいいか、と僕。

とりあえず、家を掃除して、来客に備える。いつも散らかっている部屋が片付くのは、お客さんが来る最大のメリットだったりする。

そのうちにひとり、またひとりとお客さんがやって来た。友人が過半数ではあったが、市内などからはじめていらっしゃった方たちもいた。こんな遠いところまでわざわざすいません、と自分で企画しておいて恐縮してしまうのが可笑しい。挨拶もそこそこに、台所のかまどに火が入り、お昼ご飯作りがはじまる。持ち寄った食材を、皆で調理していく。僕は末っ子を抱っこしながら、移住までの経緯をお話ししたり、五右衛門風呂やコンポストトイレなどについての質問に答える。

5月6月と一回ずつ開催したが、どちらにも10名を超えるお客さんが来てくれた。女性が多いが、男性や子どももいる。6月のときは乳児が数名いて、皆でかわるがわる抱っこしたり、あやしたりして、なんだかちょっとしたコミュニティみたいだった。お昼を食べてお腹いっぱいになったところで、ひとりずつ自己紹介をすることにした。「笹のいえの暮らしを見てみたかった」「オーガニックな食に興味がある」「農的暮らしや移住を考えている」など、参加した理由は様々だった。お客さん同士のおしゃべりから共通点が見つかり、連絡先を交換している姿もあった。

特に時間は決めていなかったので、それぞれの都合の良いタイミングで解散。三々五々人が集まり、三々五々帰っていくのを自分の家で見ているのは、なんだか不思議な感じだった。

笹の風通しを良くするために、そして家を片付けるためにも、続けていけたらと思う。

 

写真は本文とは関係ないのだけれど、木臼の中で気持ち良さそうに昼寝をするイネオ。まるでお風呂に入っているようだ。

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おにぎり

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いつからか、僕はおにぎりを握るのが好きになった。

例えば、塩おにぎりを作るには、ご飯と海苔、塩、手水を入れるボウルが必要で、具を入れるなら更なる準備がいる。以前はこれが面倒だった。茶碗にご飯入れて、海苔と一緒に食べれば一緒じゃん、と思っていた。

そうだ、子どもたちの間食やおやつにおむすびを作るようになってから、握るのが億劫ではなくなったのだ。うちの子たちはおにぎりが好き。学校や保育園から帰って来るなり、「お腹空いた、なんかない?」「塩むすび、握ろうか?」「僕、大きいの二つね!」「わたしは、小さいの三つ!」。さすがに連日だと飽きてきて、「おにぎり以外がいい」というリクエストもあるが、おにぎりの登場回数は上位に入る。

口をいっぱいに開けて、おにぎりを美味しそうに頬張る姿を見ていると、こちらのお腹まで空いてくる。そんな時は、もちろん自分で握る。

握ったご飯は、茶碗に盛ったご飯よりも何故か美味しい。

握ることで、その人の「気」のようなものが入るのだろうと思う。

 

写真:末っ子・月詠(つきよみ)最近のお気に入りの食べ方は、ご飯と海苔を別々に味わうこと。口に入れたのと同じ数の米粒が顔や手足にくっ付く。

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もったいないから、あるもんで 後編

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前編はこちらから。

 

集まる食材は当日になるまで分からない。ひとつひとつ確認しつつ、頭の中で献立を組み立てる。持ち寄られるものは開催毎に違うから、同じ料理は出てこない。子嶺麻自身はじめて扱う食材もあるし、これまで作ったことのない料理も少なくない。まさに、一期一会のメニューだ。

ふたつのイベントには、いろんな参加方法がある。材料を持って来てもらう他にも、一緒に調理をしたり、食材を洗ったり切ったり、もちろん食べるだけだっていい。どんな関わり方であれ、捨てられるはずだった食べ物が美味しそうな料理として目の前に出てくると、持参したあの食べ物がこうなったのかと驚きや喜びがある。

子嶺麻と一緒に台所に立つと、その調理法に目から鱗が落ちる。

「揚げ物は鍋肌に10秒以上当てると油切れがいい」

「野菜を蒸したり煮たりした汁は捨てずに、出汁として使う」

「こうすれば、根っこも皮も食べられる」

中華風、和風、洋風、アジアン、、、料理のジャンルに捉われない品々がどんどんテーブルに並んで行く。いただきますをしてからも、彼女は調理を続け、新しい皿に盛られていく。とても食べきれないので、希望者にはタッパーに好きなだけ詰めて持って帰ってもらう。

このイベントは、周りのサポート無しには成り立たない。事前の食材集めから、下処理、洗い物や片付けなど。ありがたいことに、毎回たくさんのお手伝いがあり、たくさんの「美味しい!」の声がある。それは子嶺麻の喜びとなり、次回開催への意欲となっている。

主旨に賛同してくれた方々に呼ばれ、各地で開催する機会も増えて来た。「あるもんでキッチン」は、地域の方達が集まり自主的に行なっているところもある。はじめは個人が中心だった食材提供も、スーパーなどから出る賞味期限直前の食材や野菜の外葉などいただくこともある。そうやって、少しずつ繋がって、広がっている。

いずれは、世界中の廃棄食料が無くなって、イベント開催できません!なんていう日がくれば素敵だなと夢見てる。

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もったいないから、あるもんで 前編

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旦那の僕が言うのもなんですが、うちの奥さん子嶺麻(シネマ)の作る料理は、とても美味しい。

高知引越し前に住んでいたブラウンズフィールドでは、スタッフの食事を作っていたし、敷地内にあるカフェでも不定期だがランチを作っていた。なので、「飲食業やらないの?」とよく聞かれるみたいだ。でも彼女はいつも首を横に振る。例えばカフェを営業するなら、いつ、どのくらいお客さんが来るか正確には分からない状況で仕込みをしなければいけない。途中で売り切れになってしまったら、来てもらったお客さんに申し訳ないから、多めに作る。結果、売れ残りが出る。スタッフや友人がいる場合は、まかない料理として出され無駄にはならないが、彼らが不在のときは廃棄となってしまうこともある。彼女にはこれが許せないのだ。

日本の食料自給率は、カロリーベースで四割以下と言われる。つまり、六割は海外からの輸入に頼っている。一方で、破棄される食料は年間二万トン。子嶺麻には、この状況をどうにかしたい思いがずっとあった。食材はなるべく使い切り、生ごみを減らし、無駄な買い物はしない。それでも、世界では毎日大量の食べ物が捨てられている。現状は変えられないかもしれないけれど、少しでも廃棄食材を減らせれば、と彼女がはじめたのが、「もったいないカフェ」と「あるもんでキッチン」だった。

「カフェ」は、子嶺麻が料理したものをお客さんに食べていただく。「キッチン」の方は、参加者と一緒に調理して、いただきましょうというイベント。

食材を買うのは「もったいない」ので、「あるもんで」で工夫する。

各家庭で、賞味期限間近な食品や買い物したりいただいたりしたけれど食べ方や調理法がわからずそのままになっている食材、旬で採れすぎた野菜などを持ち寄ってもらう。子嶺麻自身はお肉を食べないので、動物性食材はお断りしている。また、シンプルに料理したいので、添加物の入った加工品もご遠慮いただいている。

 

後編に続く。

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虫送り

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虫送りは、植えたばかりの田んぼの苗が虫の被害を受けることなく無事育ち、豊かな収穫を迎えられるようにと祈願する行事だ。法螺貝や太鼓などを鳴らしながら、色とりどりな旗と大きな草鞋を掲げて、西方向へ進む。

行事は東の集落から西の集落へとバトンタッチするように続いていく。同じように見えるけれど、集落によって特色があって見比べてみると面白い。西へ西へ歩くのは、虫をそちらへ追いやるということらしい。

6月29日、隣の集落で虫送りがあった。

朝集まって、旗を持ち、音を鳴らす。大人も子どもも一緒に旧道をゆっくりと歩く。沿道には見送る人や写真を撮る人がいる。小さな集落の、のんびりした神事。こんな雰囲気が好きだ。

今年は、例年より20日以上も遅い梅雨入りとなった高知県。この日は青空も見え、暑いくらいだった。

15分ほど歩いて目的地に到着。子どもたちは参加賞をもらっていた。

集落ではこの日、田休みも兼ねているようで、忙しかった田植えの労をねぎらう会がお昼からあった。残念ながら、僕たち家族は他の用事があったので、参加できなかったけれど、たくさんのご馳走とお酒が振る舞われたようだった。

どの行事にも言えるけれど、高齢化と少子化が進み、昔に比べてだいぶ寂しくなったと聞く。それでも、今年も皆元気で行事に参加できたことに感謝する。

秋にはたくさんの恵みがありますように。

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植えたかよ?

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「植えたかよ?」

つまり、田植えは終わったか?という、この時期の挨拶みたいなものだ。

僕らが暮らす地域では、田植えの大半は、5月下旬から6月上旬の間に行われる。道沿いや家のとなりにある田んぼ、そして山の棚田に、苗が植えられていく。水を湛えた田んぼのそこここに人が集まり、日に日に緑の絨毯が広がる様子は、生命力に溢れ、「いよいよ始まるぞ」という気になる。

僕がお借りしている田んぼは、田植え時期の最後の最後に、やっと終わった。

今年は、種蒔きから田植えまで、なるべく手作業やってみようと計画していた。が、これがとっても大変で、時間が掛かってしまった。田んぼの苗床に直播し苗を育て、田植え前に水を落として、植えるための線を引き、手植えする。やってみたい方法をあれこれ試していたら、時間がどんどん過ぎていった。

「渡貫さん、植えたかよ?」「今年は苗の成長が遅くて、まだなんです」

「植えたかよ?」「いやあ、まだですー」

「植えたかよ?」「いえ、まだ、、、」「はよ植えんと秋になるぞね」

いつまで経っても田植えが始まらない僕の田んぼを集落の人が見て、声を掛けてくれる。僕は言い訳がましく、これこれこういうやり方をしていて遅れているんです。と話すと、それはこうした方がえい(良い)ぞ、昔はこうやっていた、と貴重な話を聞くことができる。次回はこうしてみよう、そうかああしてみたらいいのか、と苗を植えながら、頭の中で来年の田植えに向けてシュミレーションしてみる。

田植えが始まると、とてもひとりではやりきらないと言うことが分かった。急遽友人たちに連絡し、手を貸してもらって、なんとか終了した。

やれやれ、これでなんとか一安心、少し休もう。

と思ったが、最初に植えた田んぼでは、すでに雑草が生えはじめてる。これを放っておくと、せっかく植えた苗が草に負け、収量も減ってしまう。下ろしたばかりの腰を上げ、再び田んぼへと入る。

今年こそはと、春に余裕をもって計画し、はじめる農作業。しかし、いつの間にか季節に追い越され、作業に追われる農ライフは続くのだった。

 

写真:田植えのときは、田んぼの神様にお供えをし、安全に収穫ができるようお願いをする。五穀豊穣を表した旗を揚げるが、今年は奥さんに頼んで、古布で作ってもらった。

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水と空気

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以前の僕は、水と空気はどこもさほど変わらないだろうと思っていた。実際、どこを訪ねても違いを感じてなかったし、気にしてもいなかった。胸いっぱい吸い込んで空気が美味しい!とか、飲んだ後うまい!と思わず唸ってしまう湧き水、なんてコマーシャルかテレビの演出だよって、知った顔して言っていた。

はじめて土佐町に来たとき、周囲にそびえる山々に圧倒されたのを今でも鮮明に覚えてる。迫るような存在感に息苦しさすら感じた。そして、その山からやって来る豊富な水がこの地域の暮らしを支えている風景を、あちこちで見ることができた。

集落を歩くと、道に沿って水路があり、そこには山水が惜しみなく流れていた。昔はこの水で水浴びや洗濯もしていたそうだ。いつの間にか、うちの子どもたちは素足になって、水遊びをはじめていた。手を入れてみると、冷たくて透明で清々しい。ここで暮らしてみたいと思わせる感触だった。この水の一部は田んぼへも続いている。水がたくさんにあるということが、土地に住む人びとの生活や田畑の実りを豊かにし、気持ちに安心感を与えている。そんな風に思えた。

以前住んでいた場所では、農業用水は各地域で管理され、もらえる量や順番が決まっていた。隣で田んぼをやっていたおじちゃんから、この水を自分の田んぼに勝手に引いてしまう「水泥棒」の話を聞いたことがある。田んぼの持ち主はお互い知っているので、犯人はすぐ分かってしまうのだが、水が無くては米が育たない。収穫が無ければ、食っていけない。場所によってはそのくらい深刻な事態になることもあるのだ。

笹のいえでは、近くを流れる沢水を利用している(写真)。降雨量によって増えたり減ったりはあるが、枯れたことはない。上流には誰も住んでおらず、汚染の心配もほぼゼロだ。

上の子は物心ついたときから、下の子は生まれてから、ずっとこの水を飲んでいる。彼らはこの水を、「甘い」と表現する。僕の味覚はそれほど敏感ではないけれど、確かに美味しいと思う。その反面、みな水道水のにおいと味が苦手で、積極的には飲まない。外出にはマイ水筒を携帯するようにしている。

土佐町に移り住んで六年が経ち、ここの空気にも身体が馴染んできたように思う。

ひんやりとして、湿気を含んでいる山独特の空気感。川には川の音が、森には森の香りが、空気を通して五感に触れる。日の出前、白んだ景色の中で、伸びをしながら、その日最初の深呼吸をし、空気の存在を確認する。呼吸のたびに寝ぼけた頭と身体が少しずつ解れて、動きはじめる感覚が好きだ。

普段は当たり前すぎて、感謝の気持ちが薄れてしまうけれど、旅で長い間留守にしたときなど、あの空気が恋しくなる。

車で遠出して帰ってくるとき。

高知道の大豊インターを降りて減速し、運転席の窓を開け、車内の空気を入れ替える。

風の匂いを嗅ぎ、見慣れた景色に囲まれる。

これこれ、と思う。家に戻って来た、と実感するのが嬉しい。

 

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非常食

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ある日集落で、防災についての話し合いがあった。

今ある施設をどう有効活用していくか、日頃の見守りはうまくいってるか、必要な備品は揃っているかなど自然災害への対応を集まった人たちで検討した。

その中で「そろそろ非常食を更新せないかん」という話題になった。地域のコミュニティセンターとして活用している元小学校の倉庫には飲料水やインスタント食品が備蓄されている。その一部が賞味期限間近だと言う。最近の非常食は、水を入れるだけで食べられるご飯などがあり、乾パンくらいしか選択肢がなかった時代に比べると種類も豊富でより手軽になった。

「防災訓練で炊き出しをするから、味見してみよう」

「買い替えとなるとお金が掛かるねえ」

口々に話していると、ある方が、

「まあ家には米があるし、そっちの方が美味いけねえ」

何気ない一言だったが、僕にとっては目からウロコ的な事実だった。

米処でもある土佐町には、お米を作っている農家さんが多い。週末毎に田んぼの世話をしている会社員もいる。そして、収穫した米を自宅に保管している。畑には野菜があるし、季節によっては山菜や野草も採れるし、塩抜きや解凍すればいつでも食べられる食材が常備されている。お風呂用に薪を蓄えている家庭もあるから、簡易のかまどを作れば炊き出しができる。もし被災して、集落が孤立しても、物資が数日間来なくても、生き残れる環境がすでにある。お裾分けや見守りといった日頃の付き合いや昔からの習慣が減災や共助に繋がっていく。

災害には想定外がつきものだし、その時の状況に合った対処が求められる。家に米があるから非常食を備えなくとも良いとはならないが、バックアップが二重三重になっているのは、とても心強い。

 

写真:「名づけ」で紹介した月詠は、四月に一歳になった。ヨチヨチと歩き出し、一生懸命兄妹のあとをついて回ってる。父ちゃん母ちゃんが何度も貼り直した障子を気に入ってくれたようで、手や顔を出してはご機嫌の様子。当然、障子紙は破れ、穴が大きくなるのだけれど。

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