お使い
相川にいる時から、弟の子守やお使いは私の仕事でした。
三才年上の兄がいましたが学校の成績も良く、色白でお金持ちの子どものようでした。兄は高知に行ってすぐ大阪に就職し、両親は働きに出ていて、お使いはいつも私でした。私よりも兄が大事にされていると思ったこともありました。
家の前の道を西に行くと愛宕町通りへ。右側の角にお米屋があって、いつも買いに行っていました。
店にはお米を一杯入れた箱が並んでいて、右から順に、一升二十九銭、次が三十銭、三十二銭と、値段を書いた札が立っていました。二十九銭のはあまりにも美味しくなかったので、母に言われ、三十一銭のを買ったのを覚えています。おいしい相川米を思い出しながらのお使いでした。
お金は円札が全然なかったので、バラ銭を布の袋(キンチャク)に入れて、首に掛けていました。五十銭は白い銀貨で、周りにギザギザが付いていたことを覚えています。今から八十年余り昔の事です。百円札は終戦後、出回ったと思います。