ふみさんは15才の時、単身東京へ行き、美容師の資格を取得。
帰郷後、土佐町内で美容院を開業。以来40年、人気の美容院を経営している。
私とふみさんとは、小学校・中学校の同級生である。
先日も、ふみさんちで髪のカットをしてもらった。
いつも、とぎれることのない会話で楽しい時間を過ごすのだが、その日は、中学校時代の思い出話に花が咲いた。
ふみさん
「私ねぇ~、ソフト部やったやんか。顧問の先生は、松岡先生で、私にキャッチャーをやれというがよ。私は、ピッチャーがしたかったき、先生にピッチャーがしたいと言うたら、おまえはキャッチャーやと言われた。けんど、どうしてもピッチャーがやりたかったき、もう一回先生に、ピッチャーがやりたいと言うたけど、変更してもらえんかった。それで、しかたなしにキャッチャーをやったがよ。試合にも行ったでぇ~(笑)。けんど、ピッチャーの投げた球を胸で受けたら、そりゃぁ~恐かったでぇ~(笑)」
私
「ふぅ~ん。私は、バレー部やったき、ふみさんがソフト部やったとは知らんかった」
ふみさん
「運動会の時、ほら、創作ダンス創ったがねぇ~。その時、盆踊りをしよったき、盆踊りみたいなダンスを創ったがねぇ~(笑)。三代さんも一緒に創ったでぇ~」
私
「ふぅ~ん。私はダンス創った記憶はないでぇ~。ダンスの記憶としては、確か女の先生、ほらほら・・・あの・・・」
ふみさん
「井上先生やろ」
私
「そうそう、その井上先生の指導で練習の時、完璧にできたと思うたのに、先生が、それはそれは恐い顔をして、“何でできんがぞね!”と怒られた記憶しかないでぇ~」
ふみさんの記憶力はすごい。固有名詞も、情景も、時代背景も完璧。
そして、私の髪はきれいになり、フミさんは次のお客さんの頭へと、「ごめんごめん、待たせたねぇ~」。
いつもこの調子。
楽しい会話に心も頭もすっきり。次の一歩への活力源となっている。
五郎
駄作1句
ふみさんは
ソフト部で玉 三代さんも バレー部で玉 玉の物語
田岡三代
五郎さま
周囲の山々は、変わらずいつもの所にありますが、過ぎ去った歳月は思いのほか多くなりました。
しかし、同じ想いを共有できる友人に囲まれて、まだまだこれからの年月を重ねていけるのが幸せです。
コメントを寄せて頂き本当にありがとうございました。