某月某日、図書館員や教師など子どもと本に関わる者が集う学習会に参加した。基調講演、分科会、交流会…。どの時間も深い学びがあり、本を手渡す側にいる喜びとやりがいを感じる会だった。
子ども時代を生き延びられたのは本のある場所があったからだという基調講演は、今後の指針となる内容だった。
「この本の続きが読みたいから明日まで生きていよう、と思う毎日でした。司書さんが本を揃えていてくれたから、図書館という場所を守ってくれていたから、今こうして生きています。本のおかげで今日を生き延びている子どもたちは今もいると思います。そんな子どもの一人として、皆さんにお礼申し上げます」という講師からの感謝の言葉には、司書の責任を果たしていますか、という問いも含まれているのだと肝に銘じた。
生きていれば誰しも一度くらいは、生きていくのがつらいと思う時があるだろう。そんな時、こちら側に踏みとどまらせてくれるのは、家族や友人の存在であったり、誰かの語った言葉だったり、あるいは読みかけの本であるかもしれない。
「あの人を悲しませたくない」「この言葉を支えに、もう少し頑張ろう」「この物語の結末を知らないままに終わるのは残念だ」…。
明日につながる何かのおかげで、あと一日は生きてみよう、と思えるのかもしれない。
現在、土佐町では新しい図書館ができる予定であり、少しだがそれに関わることができそうだ。本に関心がある人もない人も気軽に立ち寄れる図書館、誰かと出会える図書館、居心地の良い図書館、様々な価値観に触れられる図書館。そんな、明日につながる何かと出会える図書館を作りたい。