2019年10月

笹のいえ

笹の夏休み 2019

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話題が前後して申し訳ないのだが、7月8月に開催した「笹の夏休み」全三回が無事終了したと言うご報告。
県外から、遠くは関東や九州からの参加があった。初めてのひとり旅で初飛行機に乗ってやってきた子、去年参加して「また行きたい!」という願いを叶えたリピータ、兄弟や友達と一緒に応募してくれたグループ。計13名の参加者たちは、笹での暮らしを通して、夏休みの思い出を持って帰ってくれたようだった。

数日間、笹のいえに寝泊まりするこのイベント、日中は、とにかく遊ぶ。川遊びや釣り、アートワークなど、自然に恵まれたフィールドで思い切り体を動かす。料理や掃除洗濯などの家事も子どもたちが中心となって行う。いつ何をして遊ぶのか、食べるのか、子どもたちが決めるので、スケジュールや献立は毎回違う。僕や奥さんを含めたスタッフたちは、天候や個々の体調などから、全体のスケジュール調整や最低限のアドバイスとお手伝いをする。

「今年は、見守りを大切にしよう」と、スタッフとの事前ミーティングで話をした。これまで、初日に決めた日程を予定通り進めようとすると、子どもを急かせてしまう場面が多かった。マッチで火を熾したり、クッキーを成形したり。僕たち大人が待てずに、ついつい手を出して、子どもたちの経験の機会を奪ってしまうことがあった。その反省から、内容を詰め込みすぎず、多少予定時間をオーバーしても子どもたちのペースで体験できるように努めた。変更も状況に応じて、柔軟に対応することにした。

10名前後の子どもたちが集まれば、僕らスタッフが考えている予定や想定を飛び越えて、思わぬ事態が起こることもある。遊びの中で怪我をしたり、連日の興奮からか体調を崩したり、夜中にホームシックになってしまったり。毎回予定外のことがあったが、最終日は皆笑顔で送り出すことができ、ホッとした。

ほんの数日とは言え、僕と奥さんだけで人様の子どもの命を預かるなんて、とてもできないし、企画する気持ちも湧かなかっただろう。しかし幸いにも、想いを共有できる仲間達と、ここで出会うことができた。イベントの主旨を理解し、サポートしてくれる彼らのお陰で、このイベントが運営できている。本当にありがたいことだ。

振り返ってみると大変だったこと、反省すべきところも多い。けれど、その経験からの学びを生かし、きっと来年も企画するだろう。それは収入を得るという経済的な理由だけでなく、ここで子どもたちに何かを感じてもらえるのではないかという気持ちも大きい。

 

写真:「何か作りたい」という子どもたちに、「竹ならいくらでもあるよ」と答えると、どこからか葉っぱも取ってきて、こんな素敵なティピが完成した。作成に特別な技術や知識は必要ないが、「竹と葉っぱでテントを建てちゃおう」なんて発想は、そのとき僕にはなかった。「コロンブスの卵」的、彼らの想像力にはいつも脱帽する。完成後、子どもたちは役を決め、このテントを舞台とする寸劇がはじまっていた。その後の予定があったけれど、しばらく自由時間にした。

 

*ページ下にある「笹の夏休み」タグをクリックすると、関連記事が読めますよ。

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ほのぼのと

農村歌舞伎

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私が小学生の頃、土佐町はまだ土佐村だった。

秋になると昔の公民館で農村歌舞伎が催されていた。

祖母は、踊りや芝居が好きで、それにも毎年出演していた。私も小学生になると、いとこと二人、夕方祖母に連れられて森にあった民家のけいこ場へ、暗い道を歩いて行った。

その年の私の役は、お姫様で、両手を胸の前に、着物のそで口をおさえ、右手は左へ、左手は左へそろえて動かないで、じっと座り台詞は「いやじゃいやじゃ、江戸も東もいやじゃいやじゃ」と「さあ行こう!今すぐ行こう」の二つだった。家で何回も何回も練習させられたので、今でも憶えている。

その頃は、マイクがないので、私の声は小さくて祖母は気に入らず、日曜日には近くの滝の下へ連れて行かれ、水の音に負けない声を出せと、スパルタでしごかれた。それでも祖母にとっては、満足のいく仕上がりではなかったと思う。

本番当日、出番の前には祖母が生卵の上をコンと割って「飲め」と言うのだった。私はそれを嫌々飲んだ。大きい声が出る様に祈りを込めて…。祖母も私も。

 

舞台に上がり、私が台詞を言うと、舞台の下で見ていた妹が私より大きな声で「いやじゃいやじゃ」と言った。

毎日の練習で妹も台詞をマスターしていたのだった。はずかしかった。

 

今もテレビで農村歌舞伎のニュースが映ると、あの頃のことを、懐かしく想いだす。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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 「スカーリーおじさんのはたらく人たち」 リチャード・スカーリー 評論社

愛すべき豚であるフランブルさん。「フランブルさん、どうして?!」というドジっぷりの連続、病院で体重計を壊す、レストランでバースデーケーキをひっくり返す、セメント塗りたての道を素足で歩く…。でもめげずにいつもニコニコしているフランブルさんが私はとても好きです。

この本には色々な仕事人の姿が描かれているのですが、町の中で働く人たちにはそれぞれの仕事や人との付き合いがあって、人がこの場所にいることで町が成り立っているんだなと思ったりします。本屋さん、キャンディー屋さん、金物屋さん、帽子屋さん、花屋さん、靴屋さん…、牧師さんもいます。

この本は1979年に出版されています。子どもの頃、弟たちと一緒にこの本を眺めていたことを思い出します。

鳥山百合子

 

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