話は前後するが、僕はスズメバチの来襲の二週間ほど前に蜂蜜を収穫(採蜜)していた。
ミツバチたちが巣箱内に蓄えた蜜は、冬の間の貴重な食事となる。蜜が足りないときは、人が砂糖を水で溶かしたものを与える。給餌が十分でないと、群れが飢餓に陥り、全滅する恐れがある。分蜂したその年は蜜量やミツバチの数が少ないことがあるので、そんな状況では採蜜せず、越冬できる糖を確保しておくが必要だ。
僕の巣箱は五段まで成長し、蜂の数も多く、活発で、多少採蜜しても問題ないと考えた。家族からの期待もあった。
ある日の午後、上から二段分、パン切り包丁で巣箱を切り離してみた。巣房の断面は等しく並んでいて、数学的だった。房内は蜜で満たされ、傾いた陽の光が反射してキラキラと輝いていた。小さな虫たちがこれほど正確かつ美しく作り上げた芸術を、驚きと感謝をもってしばらく観察した。
台所に移動して、巣を取り出し、中身をボールで受ける。黄金色の蜂蜜が自重で滴り落ちてくる。子どもたちの手が伸び、指で蜜をすくい、口に入れた。しばらくの沈黙のあと、「おいしい!」「あまい!」と口々に言い合う。僕もひと舐め。ただ甘いだけでなく、いろんな味が凝縮していると感じる。ミツバチとこの環境がつくった、オンリーワンの蜂蜜だ。
働き蜂たちが毎日何往復もしてせっせと集めてくれた自然の恵みをしばし味わう。「いまだけハチミツ食べ放題」な状況は、子どもたちにとっておとぎ話みたいなひとときだっただろう。まだ箱内にいたミツバチに刺されてしまった子もいたが、目の前にあるたくさんの蜂蜜に集中していて、痛みも気にならない様子だった。充分堪能してから、巣に重石をして数日放置。採れた蜜は全部で一升くらいだった。小瓶に分けて保存する。蜜蝋は一旦冷凍。後日湯煎して不純物を取り除き、ミツロウラップや保湿クリームなど自作する予定だ。
さて、その後さらに季節が巡り、冬がやってきた。越冬対策として、巣箱を麻袋で覆い、給餌を定期的に行った。しかし、寒さが厳しくなるにつれ、群れの元気が無くなっているようだった。連日気温は氷点下近くまで下がり、寒い冬となった。
ニホンミツバチはこの地域に昔から生存していたわけだから、人の助けを借りなくとも冬を越せるはずだ。しかし、全ての群れがそうであるとは限らないし、別の原因でその寒さに耐えられないこともあるだろう。毎日数匹の蜂たちの死骸をみることになった。寒さは続き、蜂たちは死に続ける。給餌の頻度を上げるなどして、対策してみるがあまり効果は感じられない。
負の連鎖を断ち切ろうと、僕ができることは実行した。あとは早く春が来るようにと祈るくらいしかなかった。しかしその想いが通じることはなく、一月末にやってきた大寒波のあと、群れが全滅したことを確認した。巣を取り出してみると、最後まで残った働き蜂たちは、巣房に頭を突っ込んでそのままの姿勢で冷たくなっていた。身を寄せる仲間が居なくなり、ついに自らのいのちも凍らせてしまった。その直前に彼らはどう思っていたのだろうか。また、女王蜂の姿は見つけられず、その辺も理由のひとつかもしれない。
夏の大量死やスズメバチの攻撃、採蜜過多、巣箱の設置位置など原因として考えられることはいくつかある。特に問題がなくとも越冬できない群れもいるらしい。
僕にとってはじめての養蜂は残念な結果となったが、いまでも羽音がするとその姿を探してしまうことがある。ミツバチたちのいる時間は、豊かで学び多き日々だった。
お終い