「師匠は針 弟子は糸」 古今亭志ん輔 講談社
「遊ぶ時期に遊んでおかなきゃ水藻も苔も生えないんですよ」。
きれいな水槽に当たる光は反射せずにただ通るだけ。透明な落語になる。行儀は良いけど詰まらない。
そんな考えから「如何にも芸人らしい」生活を送ることで「生涯を漠然と生きる」ことの怖さにフタをしてきた。
師匠(古今亭志ん朝)が63才で亡くなる(2001年10月)。当時48才の弟子の自分との年の差が15。「15年という期限付きで生きてみよう」。そう決心する。1年にひとつの落語を完成させたとして、15年でたった15席。しかし、完成はあり得ないと本人は云う。「死んだ気になって」とは、こういうことかと思いながら実践した。
そして道半ばの現在(2011年)改めて気づいたことが「他人は他人。自分は自分」。もうひとつ「落語を普通にやる」。
「端っから判りきったこと、そのままじゃん」と正直な処、思った。しかし、考えてみると、「改めて気付く」ということは『過去を含めて肯定すると考えられるので、早く気付くに越したことはないが遅すぎることはない』が本当の処だと解釈したい。そして、自分自身「改めて気付く」ということが大事なことだと改めて気付いた。
志ん輔さんは落語家。
・1953年9月 東京生まれ(大塚英夫)
・1972年3月 志ん朝に入門(朝助)
・1977年3月 二ツ目昇進(朝太)
・1985年 9月 真打昇進(志ん輔)
現在の高座を一落語ファンとして楽しみにしている。できればLiveでね。(テイク・ファイブ. スターダスト♫ つい聴いちゃった)