とさちょうものがたり

土佐町ストーリーズ

弁才天(高須)その3

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むかしむかし小栗殿いう豪士が樫山に来ておった。その娘が夜になると引地と言う所で、麻を積んで(つむぐ)来る言うて出かけて行きよったと。

ある日のこと、その引地と言う所の人に道でばったり出合うて、娘が毎晩お世話になりよります言うてあいさつしたところが、そんなこたぁちっとも知らん、家へは来ゃーせん言うたそうな。がでん(納得)がいかんもんじゃきに、オゴケ(糸を入れる物)の底板を抜いて糸を入れておいたと。娘はそれを知らんとオゴケをかかえてその晩もまた出かけたと。

そこで、引っぱっていっちょる糸をずうーとつけて行ったら、弁才天の所に出た。弁才天の田のふちに細長い水溜りがあったですがのう。それが池みたいになっていてガマがきれいに生えちょった。娘はそこに座って麻を織りよった。おっかあが行って、「オマンそんなくで麻を積みよるかよ。」言うたら、池の中にとび込んだ言うのう。それから蛇になってしもうたと。

おっかあはびっくりしてもどって来よって、じきに引地の上の畝で血がおりた(死んだ)と言うのう。そんでそこをチオレと言うようになったそうな。その上には山ノ神を祭っちょる。

町史

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水野年方 「三十六佳撰 夕陽 慶安頃婦人」 (1893)

 

とさちょうものがたりを訪れてくださる皆さま、いつもありがとうございます。

とさちょうものがたりは8/11(火)から14(金)までお盆休みに入ります。

再開は8/17(月)になります。とさちょうものがたりSHOPでのアメゴの販売などはお休み中も継続しておりますので、ぜひご覧になってください!

*画像はあくまでイメージです。本文と直接的な関係はありません。

 

 

 

アメゴを買ってください!

 

 

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コロナに負けるな

アメゴを買ってください!

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「とさちょうものがたりショップ」でアメゴの販売をします!

画像をクリックするとネットショップに移動します

新型コロナウィルスの影響のため、飲食店や宿泊業、商店などの経営状態が悪化し、お店の存続が危うくなっている状況が全国的に続いています。土佐町も同様で、主要な産業である第一産業も大きな影響を受けています。

今年の5月、とさちょうものがたりのネットショップでは「コロナ支援」として、土佐町の花農家・澤田みどりさんが育てた金魚草を販売しました。今回は、土佐町でアメゴの養殖を行なっている西村公己さんが育てたアメゴを販売します。

 

西村公己さんが育てたアメゴを買ってください!

7月のある日、土佐町の方からとさちょうものがたり編集部にある相談が寄せられました。新型コロナウィルスの影響で「西村公己さんがアメゴが売れなくて困っている。とさちょうものがたりで何とかできないだろうか」という内容でした。

早速お会いして、「土佐アメゴ養殖」代表の西村公己さんにお話を伺いました。

西村公己さん

西村公己さんは今から40年前に土佐町にUターン。お父さんが始めたアメゴの養殖を引き継いだそうです。当初、アメゴは飛ぶように売れ、アメゴの稚魚も多くの業者さんに届けていたそうですが、年々売上は減少。それでも40年間続けることができたのは「お客さんが美味しいと言ってくれるのが嬉しいから」と公己さんは言います。

公己さんはこれまで地域のイベントや県内外のホテルに出荷していたそうですが、新型コロナウィルスの影響でその需要が激減。アメゴが売れず、「普段なら、生け簀にいないはずの魚がまだおる」状態で困っているということでした。

今年の5月、同じく土佐町の花農家さんである澤田みどりさんがとさちょうものがたりのネットショップで金魚草の販売し、多くの方が購入してくださったこと伝えると、「ぜひネットショップで販売してみたい」ということに。

 

渓流の女王・アメゴ

アメゴは「渓流の女王」と呼ばれ、綺麗な水の中でしか生きることができない川魚です。かつては山間部で暮らす人たちの貴重なタンパク源だったといいます。栄養価が高い上に、皮目が香ばしく、ふっくらとした身が美味しい魚です。
土佐町に住む人たちは、幼い頃から保育園や地域のイベントで「アメゴつかみ」をし、まず塩焼きにして食べることが多いです。その美味しいこと!子どもたちは、その味を体に叩き込まれて大きくなります。土佐町の人たちのソウルフードのひとつと言っていいでしょう。

 

アメゴを産地直送します!

土佐町の西村公己さんが育てたアメゴを産地直送します!アメゴの売上は、ネットショップの決済手数料3.6%を除き、全額公己さんへ支払われます。

アメゴはスーパーマーケットには出回らない川魚です。「今回初めて知った!」という方に、ぜひ味わってほしいです。また、今年はコロナウィルスの影響で夏休みに帰省することができない方も多いと思います。この機会に、故郷の懐かしい風景をアメゴの味と共に思い出すのはいかがでしょうか?

 

 

アメゴ1㎏  2100円(箱代含む・税込)送料は別途

一匹あたりの大きさにもよりますが、上の写真のアメゴで1㎏、だいたい8~9匹ほどになります。冷蔵した状態で届きます。この金額で販売するのは、8月10日〜9月末限定です。(それ以降は通常価格になります。)

 

お届け方法

お届け方法は3つ。3種の商品ページがありますが、配送方法・送料のお支払いが異なります。届く商品は同じです。
*支払い方法で「銀行振込」を選択した場合、振込手数料はお客様の負担となります。

①送料込み 3100円

・箱(60サイズ)に入って届きます。
・北海道・東北・沖縄・離島は輸送に時間がかかり魚の鮮度を保つことが難しい為、送ることができません。ご理解いただければ幸いです。
・到着日の指定がある場合は、希望日の5日前までにご注文をお願いします。
・到着日の指定がない場合は、注文をいただいてから通常5日程度でお届けできる予定です。

 

②送料着払い 2100円

・箱(60サイズ)に入って届きます。お受け取り時に送料とチルドゆうパック料がかかります。
・北海道・東北・沖縄・離島は輸送に時間がかかり魚の鮮度を保つことが難しい為、送ることができません。ご理解いただければ幸いです。
・到着日の指定がある場合は、希望日の5日前までにご注文をお願いします。
・到着日の指定がない場合は、注文をいただいてから通常5日程度でお届けできる予定です。

●実際の送料はこちらをご参照ください。

 

③直接お渡し 1700円(高知県内の方限定)

「土佐アメゴ養殖」での受け渡しになります。(ビニール袋に入った状態でお渡しします。)その際はマスクの着用をお願いします。

・日の指定がある場合は、希望日の5日前までにご注文をお願いします。

・炭の追加代金500円で現地での塩焼きも楽しめます(詳細やご予約は直接以下の土佐アメゴ養殖連絡先にお問い合わせください)

 

 

 

土佐アメゴ養殖  高知県土佐郡土佐町東石原162-1 Tel: 0887-83-0231  Fax: 0887-83-0232

 

 アメゴはどんな風に育ってるの?

土佐町とお隣の土佐山村の境界線にそびえ立つ工石山。土佐アメゴ養殖はこの山からの湧き水を直接引いてきて、その清流でアメゴを育てています。

工石山の清流は石灰を多く含み、ミネラルが良質なアメゴを生育させるそうです

土佐アメゴ養殖の養殖場

 

穴郷川の清流。土佐アメゴ養殖はこの流れの水を引いています。

 

餌をあげると踊るように跳ねる!時々、上流の天然のアメゴも混じって泳いでいるとのこと。

 

 

 

オススメの食べ方

アメゴには色々な食べ方があります。

①塩焼き

適量の塩を振りそのまま焼きます。土佐町では串にさして炭火で焼いて食べるのがスタンダードです。もちろん、お家の魚焼きグリルやフライパンで焼いても美味しいですよ!

身がホクホクのプリプリ、抜群のおいしさ!頭から尾っぽまで全て食べられます。炭の追加代金500円で現地での塩焼きも楽しめます(詳細やご予約は直接土佐アメゴ養殖にお問い合わせください)

 

 

②ひらき

ひらきはお家で作れます。アメゴは骨が柔らかいので、焼いて丸ごと食べられます。

アメゴを背開きして内臓をとりだし、血をきれいに洗い流す。1ℓの水に10%の塩を溶かしたものに1時間ほどつけ、半日陰の風通しが良いところへ干します。

 

③アメゴ寿司

アメゴはお寿司にもなるのです。長野商店の長野静代さんに作っていただきました!

背開きしたアメゴに塩をして一晩おき、柚子酢と酢を合わせたものに2時間ほどつけます。中に寿司飯を詰めて、形を整えて出来上がり!

 

他にも「アメゴの甘露煮」や「アメゴのフライ」も美味しい!ぜひ試してみてください。

 

 

西村さんが育てたアメゴが多くの人の元へと届きますようにと願っています。

 

 

土佐町の方々へ

先にも書きましたが、この新型コロナウィルスの影響で、これまで大切に育ててきた事業がこの数ヶ月苦しい状況を迎えているという方々が多くいると想像しています。

もちろん微力ながら、とさちょうものがたり編集部も具体的になにができるのか? そういうことをずっと考えてきました。

今回の記事や「みどりさんの金魚草を買ってください」で紹介させていただいたネットショップでの販売は、現時点での私たちの見つけた答えの一例です。

実際にやってみないことにはどうなるかわからないような段階ですが、「町のために、私たちができることを(小さくても)やる」という姿勢をとさちょうものがたり編集部は貫こうと思っています。

今回のような動き、リアルとネットの橋渡しを担うような仕事を、もし必要とされている土佐町の事業者の方がいらしたら、遠慮なく編集部に声をかけてください。

とさちょうものがたり編集部

メール: info@tosacho.com

電話:0887-72-9260

 

 

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先日「蛍の住む桂月通り」でもお伝えしましたが、平成6年から平成13年頃まで、土佐町の平野部である宮古野、南泉、東境、三島地区を区画整理する事業が行われました。区画整理事業は大小さまざまな田んぼをできるだけ整形した田にし、道と水路をつけ、どの田も使いやすくするための工事です。区画整理が行われた際にできた水路のひとつが、桂月通り沿いにある蛍の住む水路なのですが、区画整理にはさまざまな苦労が伴いました。

 

何のためにするのか?

当時土佐町で行われた区画整理事業は、大小様々な田んぼをできるだけ整形した田にし、田のそばまで入ることのできる道と水路をつけ、どの田も使いやすくするために行われました。小さな田は道が狭く、車や大きな機械が入らないため、田植えや稲刈りなどの時には手作業または小さな機械を使うことになり、多くの手間暇がかかります。高齢化などを理由に田の持ち主がお米を作れなくなった時、そのあとを引き受けてくれる人が見つからず耕作放棄地となりやすい。しかし、ある程度の田の面積と道があり、機械さえ入るのであれば、代わりに作ってくれる人が見つかりやすくなります。時代とともに米の作り手が少なくなっていくであろうことを見越した施策でした。

区画整理は地元の人たちの合意がないと話が進められないため、桂月通りのある地区でも工事に入る前、地権者の人たちに田の場所、面積、道路や水路の位置の説明が何十回と行なわれました。

「地元の人にとって、田は財産。先祖代々今まで守ってきたものが場所も形も変わる、もっと言ったら土も変わる。とにかく合意を取るのが大変だった」

と当時、区画整理を担当していた土佐町役場の吉村雅愛さんは話します。

 

「もういぬる!」

それぞれの人が所有する田は、同じ地区内にあっても飛び飛びに位置することも多く、一旦整地をした後、どの田を基準にその人の田の位置を決めるのかとても苦労したそうです。

「わしは道路ぶちがいい」「せっかく土作りをしてきたのにまた1から作り直さないといけない」

この地でお米を作り続けて来た人たちから多くの声が上がりました。

また、新たに道路や水路を作るために法面が取られ、人によっては田の面積が元の6〜8割になってしまう場合もあったとのこと。説明会の途中で「もうえい!もういぬる!(帰る)」とその場を飛び出して帰った人もいたそうです。

何十回という会を重ねた末、やっと得られた合意のもと行われた区画整理でしたが、地元の人から「土が入れ替わってるから今まで一反で8俵取れていたのに6俵しか取れんかった」とか「田んぼが広くなって水を切っても田んぼがなかなか乾かん」「耕しよったら大きな石がゴロゴロ出てきた」など、「地元の人によう怒られた」と吉村さんは言います。

地域の人の財産をつついて仕事をするのは、役場の仕事では区画整理だけ。その人はできたものを自分のものとして作っていかないといけない。だからこそ、行政は町民の気持ちにならんといかんし、町民の気持ちに立たんといかん」。

吉村さんはそう話してくれました。

 

残した風景

さまざまな思いが交錯した区画整理。20年前、地元の人たちは先祖代々の土地を新たな形にすることに躊躇し、大きな葛藤もあったことでしょう。合意をせざるを得なかった方もいただろうと思います。この選択が正しかったのかどうかは色々な意見があると思いますが、区画整理の結果、今もこの地でお米を作り続ける人がいることで水路に水が流れ、蛍が住む環境が守られている側面もあるのではないでしょうか。その環境を整え続けている地元の人たち、そして蛍の灯りを楽しみに足を運ぶ人たちの姿そのものが、20年前の選択が残したひとつの風景なのだと感じます。

桂月通りの蛍は今年も卵を産み、来年の瞬きのために水の中で成長しています。その蛍の営みは、この地の人たちがつくる風景の元に成り立っているのです。

 

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土佐町「桂月通り」。土佐町の酒蔵・桂月に繋がる木の橋を、町の人たちは愛着を込めてこう呼んでいます。

今年の6月、この通り沿いに蛍がたくさん舞いました。闇のなか、橋のたもとの水路に覆いかぶさるように生い茂る草の先に露が光り、黄金色の小さな灯りもふわりふわりと瞬きます。

夜、いつもなら橋に沿って電灯がつきますが、蛍が舞うこの時期は地域の人たちによって電球が外され、また、蛍を見に来た人たちが歩きやすいよう水路脇の田の畦の草は丁寧に刈られます。地元に住む人たちの心遣いのもと、蛍は飛び交うのです。

「今年は特に多いねえ」と地元に住む人が教えてくれました。

 

「蛍がおらんくなる」

今から20年ほど前、この桂月通りのある地区の田を区画整理する話が持ち上がりました。大小様々な大きさの田を整地し、それぞれの田に機械や車が入るよう道をつけ、水路を作る工事です。

「工事したら蛍がおらんくなる」

この地区に住む小学生の女の子から声が上がりました。一般的なコンクリートの水路にすると水の流れは良くなりますが、流れが速いため、蛍が住むために必要な砂利や土も流されてしまうのです。

蛍は川の岩や草木の根元の苔に卵をうみます。卵から孵った幼虫はすぐ水面に落ちていき、水の中で生活を始めます。水の中に土や身を隠す岩があり、餌である巻貝・カワニナがいる環境でないと蛍は生きることができません。

 

 

蛍が育つ水路を作る

「蛍が飛ぶ環境を守れるよう、何とかできないだろうか」。

区画整理事業は県の事業でもあったため、当時、土佐町役場建設課だった吉村雅愛さんは県側に理解を求めました。「地元の思いを組み入れてもらうように、何とかその方向に持っていかんといかん」という思いで話し合いに臨んだそうです。 

その甲斐あって、土や砂利が流れていかないよう石が埋められた水路となり、なおかつ水が溜まるよう壁面もつけられました。これで蛍が住み続けられる…。けれども安心したのもつかの間、壁があることで枝葉が引っかかって水の流れが滞り、後から壁面に穴をあけ、ある程度水が流れるようにしたとのこと。地元の人たちにとっては日々の掃除と管理がより必要となりました。

蛍がいる環境を残すことは地元の人たちの願いでもありましたが、敢えて手間暇かかる水路を選択したことで多くの苦労もあったと思います。地元の人たちが流し続けた汗があったからこそ、今現在の蛍が舞う環境につながっています。

(「桂月通りの区画整理」に続く)

2020 June

矢野信子

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とさちょうものづくり

土佐町小学校5年生のPTC

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突然ですが、みなさん「PTC」って知っていますか?

「PTC」は「Parents  Teachers  Children」の略。「保護者・先生・子ども」、みんなでひとつのことに取り組んで楽しく過ごそう!と、土佐町小中学校で長年行われている取り組みです。毎年、各学年がそれぞれ何をしようか考えて内容を決めます。

今年の土佐町小学校5年生のPTCは、「シルクスクリーン体験」!

5年生22人と保護者、先生がそれぞれ自分のTシャツをプリントしました。

コロナの現状も踏まえ、作業場の換気、マスク着用、二つの班に分け、なるべく密にならないように行いました。

「自分たちのTシャツを作ります」と説明すると、子どもたちから「いい記念になる!」という声が。思わず笑顔になります。

 

 

一人ずつに手を添えながら、印刷します

目の前にプリントされた絵が現れると目を丸くして驚いていた子どもたち。先生によると普段よりも「控えめな」様子とのことでしたが、その驚きは十分伝わってきました。

 


子どもたちがそれぞれが描いた「土佐町の絵」と、円の周囲には「できるかできないかではない。やるのかやらないのかがすべてである。」と先生のからの言葉がデザインされています。

「ぼっちり!」と満足げ。(土佐弁で「ちょうどいい!」「バッチリ!」という意味)

 

先生も挑戦しました!

子どもたちはTシャツを完成させるとすぐに着替えて、友達と背中を見せ合っては外へ遊びに行きます。作業場に戻ってきた時には、もう汗びっしょりになっていました。

 

嬉しそうな女の子たち

自分たちの身の回りには工夫次第で作れるものがあるのだと、心の片隅に覚えておいてくれたら嬉しいです!

楽しんで着てもらえますように。

 

土佐町小学校5年生のみなさん、保護者の皆さん、先生方、ありがとうございました!

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とさちょうものづくり

コロナに負けるな!

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大阪府豊中市の豊中市社会福祉協議会から、「コロナに負けるな!」と胸にプリントしたポロシャツを作ってほしいとご注文をいただきました。

話は少し遡りますが、昨年2019年の夏、土佐町社会福祉協議会事務局長・山首尚子さんが「日本各地で社会福祉に関わるお仕事をされている方たち6人と、シルクスクリーン体験をしたい」ととさちょうものがたり編集部に声をかけてくれました。6人の方たちはどんぐりの石川寿光さん・川井希保さんとともに、自分のポロシャツを製作、その場ですぐに着て、とても喜んでくれました。その中にいらしたのが、今回注文をしてくださった豊中市社会福祉協議会の勝部麗子さんでした。

 

豊中市社会福祉協議会・勝部麗子さん

勝部麗子さんは豊中市社会福祉協議会の福祉推進室長。豊中市の子どもたちから高齢者、障がいを持った方たちや生活をすることそのものが大変な方たち…、さまざまな方たちの支援を地域ぐるみで行なおうと奮闘しています。

土佐町でお会いした時「家に引きこもっていた青年が自分で育てたメダカを販売することになった。その人の得意なこと、好きなことが自立のきっかけになれば」と熱心に話してくださいました。今ある仕組みに人を当てはめるのではなく、その人の得意なことや好きなことから新たな仕組みを考え、その人がその人らしく在り、やりがいや生きがいをもって生活できるようにしたい。私たち編集部はその考えに新たな気付きをいただきました。

 

コロナに負けるな!

それから1年後の2020年の6月、「豊中市でコロナ支援として、寄付金付きのポロシャツを作りたい。シルクスクリーンで印刷してほしい」と連絡をいただきました。

新型コロナウイルスの影響で生活困窮に陥ったひとり親世帯、大学生、定時制高校生、子ども食堂、生活困窮世帯を支援するため、ポロシャツにプラスアルファの金額を乗せて販売し、その差額を食材支援に当てたいということでした。

私たちが少しでも役に立てるのならと喜んで協力させていただきました。

 

デザインは「コロナに負けるな!」。書道家の方が書いてくれたのだそうです。

 

豊中市へ届ける

印刷はもちろんどんぐりの石川寿光さんと川井希保さん。一枚ずつ、丁寧にプリントしたものを豊中市へ送りました。

勝部さんはメッセージと写真を送ってくれました。実際に着ている姿は、何だかグッとくるものがあります。豊中市の市長さんや豊中市の多くの人が購入してくださったとのこと。年配のご夫婦がお揃いで着ている写真も送ってくださいました。

 

自分たちが作ったものを遠く大阪・豊中で喜んでくれる人たちがいる。そのことは、どんぐりの寿光さんや希保さんにとって大きな励みになっています。シルクスクリーンを始めた時は、大阪・豊中市にまで繋がっていくとは考えてもみませんでしたが、いつでも現実は想像を超え、私たちに前を向く力をくれます。

お送りした紺色のポロシャツが完売したとのこと。新たな注文をいただき、ただいま製作中です。

世界中がコロナ禍で大変な時ですが、その場にいる人がその場でできることをする。距離は離れていても気持ちを交換しながら繋がり、新たな関係を作っていけるのだと感じています。どんなに小さくても、今この場所で自分たちにできることを重ねていけたらと思っています。

 

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私の一冊

石川拓也

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「デザイナーは喧嘩師であれ」 川崎和男 アスキー出版局

僕が下手に紹介文を書くよりも、この本の前書きにあたる「デザイナーは、喧嘩師でなければならない」という文章を、ここに全文引用したいと思ったのです。

ですがそれはこの項の趣旨ではないので、一部のみそのまま引用します。

子どもにとっては、喧嘩ほど、激している感情から知性的な自己中心性を取り戻すはっきりとした学習のチャンスなのではないかと私は思う。喧嘩こそ、自我の確立を助け、もともと肉体的に多少なりとも暴力性を秘めている人間の原初的行動を抑制して、話し合いや討論に変革させる動機付けになるはずだ。

ところが「暴力」ということばは拡大解釈され、「悪」という概念に単純に結びつき、喧嘩を抑制することにのみ使われるようになってしまった。結果は「話し合い」が正しいとかいうわけだ。

強要される話し合いというのは形式でしかない。現代の民主主義はこの形式が強要されている暴力と言ってもいい。

(中略)現代では、喧嘩のできない子どもが「いい子」として扱われる。この「いい子」を摩擦回避世代と呼ぶらしい。

そしてこの前書きの最後は、上の写真にあるように、

若者よ。喧嘩を恐れるな。

摩擦回避世代の者たちよ。一発殴ってやろうじゃないか。

という文で締められます。ストロングスタイル。すごい。

川崎和男は、日本を代表するプロダクトデザイナー。その美意識を結晶化するような仕事の数々と、クライアント相手でも喧嘩上等、場合によっては完成したデザインを引き上げてギャラも突き返すという姿勢で知られています。

現代の社会における暴力への嫌悪感、これはもちろん悪いことではない。むしろ戦争を筆頭にした数多くの暴力を経験してきた人類の叡智というものでもあるでしょう。その中には例えばガンジーの言う「非暴力主義」として現実社会において具現化した例も実際にあるわけです。キング牧師も然りですね。

 ただ、これを社会のすべてにおいて当てはめたときに、そこはかとない違和感を感じるのは、これを書いている私一人だけではないように思います。

例えばこの本の前書きに触れられているような子ども同士の喧嘩。または頑固じいさんが近所の悪ガキに落とすゲンコツ。こういったことも全て「許されざる暴力」でしょうか?その見極めはとても難しいものに思いますが、一つだけ言えることは「非暴力」と「摩擦回避」は似て非なるもの。

ガンジーもキング牧師も、「非暴力」を掲げながら、最大級の摩擦・インパクトを社会に与えた指導者たちです。言論・思想のぶつかり合いは辞さない、しかし手段としての暴力は否定する。

「暴力は悪いもの」という考え方が行き過ぎた末に、川崎和男が書いたように「とにかくぶつかることを避ける」という摩擦回避世代の出現がくるとしたら、「一発殴ってやろうじゃないか」という心意気には拍手を送ります。

 

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A4 48p フルカラー

 

とさちょうものがたり ZINE06

とさちょうものがたりの雑誌、「とさちょうものがたり ZINE」の6号が7月20日に発刊です!

今回は「とさちょうものづくり」と題した一冊。

・シルクスクリーン物語 ・土佐町ベンチプロジェクト ・中島観音堂クラウドファンディング

の3つの特集です。

 

・シルクスクリーン物語

2017年からとさちょうものがたりが取り組んでいる、シルクスクリーン印刷を使ったものづくり。

 

p6-7 とさちょうものがたり作業場の風景

 

この号では、これまで3年間作業場で製作してきた様々なTシャツやポロシャツのご紹介、それから土佐町の障がい者就労支援施設どんぐりの参加や大豊町のファーストの参加など、シルクスクリーン事業が現在のような形になったストーリーを可能な限り丁寧に誌面にしました。

 

・土佐町ベンチプロジェクト

土佐町の方々により豊かな時間を過ごしてほしい!と始まった「土佐町ベンチプロジェクト」。その経緯と顛末をご紹介しています。

p32-33  左:ベンチ製作後の土佐町の7人の職人さん 右:最初の設計をした川田康富さんとご家族

 

誌面では、最初のモデルを作って(2018年3月)から、40個のベンチを町のあちこちに設置する(2020年3月)までのストーリーを掲載しています。

末ページには「土佐町ベンチプロジェクト地図」。実際に設置した場所で、実際に町の方々に座っていただいている写真で町に設置した場所をお伝えしています。

 

・中島観音堂クラウドファンディング

06号のトリを飾るのは、つい先日実施された「中島観音堂クラウドファンディング(以下、CF)」のストーリー。

 

CFのページにも使った写真。中島地区の方々を観音堂の前で。

 

観音堂に対する地域の方々の思い、実際に挑戦した実行委員会メンバーの思い、それからもちろんCFの結果も。

リターンのひとつでもありました、ご支援いただいた方々のお名前を記載したページも設けました。

 

土佐町の方々には、7/20以降随時全戸配布される予定です。

ぜひ誌面で直接ご確認ください!

 

 

 

 

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土佐町ストーリーズ

仏ヶ森とボウドウ寺床(芥川)

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芥川から吾北村川窪に越える峠である。三宝荒神の最初の鎮座地(神の霊がその地にしずまること)である。

この地方の豪族が、この峠にあった河内神社に集まって会談しようとしたが、定刻を過ぎてもなかなか集まらない。立腹した土佐町側の豪族が、河内神社の御神体を奪い分けて帰ってしまった。だから土佐町側には河内神社が多いと伝えるところである。

三宝山由来記によると、土佐市宇佐浦の海中に光を発するものがあって、貞友という強力の武士が弓矢を構えると、それは龍神となって玉を舞い上げ、玉は仏ヶ森まで飛行して来たと言う。

仏ヶ森に至る道筋近く、仏ヶ森から約1500メートル芥川寄りにボウドウ谷があり、そこに寺床と称する所がある。谷川に沿うて石垣を設けて平坦地として、山手には石像を据えていたような形跡がある。仏ヶ森に飛来した玉体を追うてやって来た貞友なる武士が弓矢を構えると、それはたちまちに大神の姿となり、我を射れば返し矢でお前を殺そうと告げる。

それを聞いた貞友は大神に矢を放ったことを侘びて出家し貞友法師と名乗り、大神を祭るべく寺一宇を建立、これを宝峠寺と称したという。

その後、寺は消失し本尊などは吾北村清水の寺堂に移されたと言われている。一説にその寺堂は十王寺であると言われるが定かなことは分からない。

町史

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