とさちょうものがたり

嶺北高校カヌー部の挑戦

Vol.3 ラヨシュの話

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

さめうらダム湖

 

「しばらくしたら『じつは日本でコーチを探しているところがあるんだけど、行ってみないか』という連絡があった。

話を聞いたら、競技レベルはそれほど高くない、高校の生徒たちに教えてくれという。

私もコーチ1年生みたいなものですし、スタイルが固まっている上級者よりも、まっさらな初心者のほうが素直に言うことを聞いてくれるだろうし、教え甲斐もある。

高知県のこと、嶺北のことは何も知らなかったけど、一も二もなく日本行きを決めましたね」

こうして元世界チャンピオンが、嶺北にやってくることになったのだ。カヌーを愛する大男のフットワークは極めて軽い。

 

「水に恵まれた嶺北はカヌーのための環境はそろっている」

嶺北での拠点となる土佐町に居を構えたラヨシュは、さっそく早明浦ダムにハンガリーから持ってきたカヌーを浮かべ、力強くパドルを漕いだ。

「カヌーは水がなければ始まらないスポーツですが、嶺北にはダムがあって川がある。水に恵まれた嶺北はカヌーを練習する環境はそろっていますね。

嶺北高校の生徒たちだけでなく、いずれ子供たちのカヌー教室を開けたら楽しいでしょうね。

そうやって徐々にカヌーに親しんでくれる人たちを増やしていけたらいいんじゃないかな」

昨年のリオ五輪男子カヌーカナディアンシングルスラロームで日本人初の銅メダルを獲得した羽根田卓也選手がいるように、東アジアにおける日本の競技レベルは決して低くはないが、いかんせんヨーロッパに比べると絶対的な選手層が薄い。

老若男女を問わずカヌーを楽しめる環境が整備され、また指導者にも恵まれたヨーロッパと日本とでは、競技人口に差が生じるのは致し方がない。

だが、ラヨシュが言うように、子供たちが水に親しみ、カヌーに触れる機会が増えることによって、いずれは強豪国に肩を並べる日がやってくるかもしれない。

 

 

「とにかくカヌーを楽しむこと。まずは楽しさを知らなければ、ハードなトレーニングをやる気になんてならないでしょう。もしも今後、本格的に選手を目指す子供たちが出てくれば、私も喜んでサポートするつもりです」

嶺北高校カヌー部の生徒たち、とりわけ今年4月に入部した1年生の多くは、カヌーを漕ぐのはうまれて初めてという初心者だ。

ラヨシュを通じてカヌーの楽しさを知ることが、最初の一歩となるのだろう。

「ハンガリーから家族を呼び寄せる予定ですし、私も嶺北の一員になるつもりでチャレンジしていきます」

ハンガリーからやってきた元世界チャンピオンと、カヌー初心者の嶺北高校の生徒たち。彼らはこの嶺北にどんな変化をもたらしていくのだろう。

文化とは一朝一夕でできあがるものではないが、嶺北高校カヌー部がその礎となることは疑いようがない。

(敬称略)

つづく

文:芦部聡 写真:石川拓也

書いた人:芦部聡

1971年東京都生まれ。大阪市在住。『Number』『NumberDo』『週刊文春』などに寄稿し、“スポーツ”“食”“音楽”“IT”など、脈絡なく幅広~いジャンルで活躍しているフリーライター。『Number』では「スポーツ仕事人」を連載中。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

藤田英輔

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

「仙人料理の本」 川村昇陽  高知新聞社

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

川田康富

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「路上」 ジャック・ケルアック 福田実(訳)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

矢野信子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「こどものとも まゆとおに」 富安陽子(文) 降谷なな(絵) 福音館書店

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

和田亜美

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「赤い蝋燭と人魚」 小川未明(作)いわさきちひろ(画) 童心社

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

川田康富

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「犬も歩けば  ナナオ サカキ詩集」 ナナオ サカキ 野草社

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

藤田純子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

「花火の図鑑」 泉谷玄作 ポプラ社

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
嶺北高校カヌー部の挑戦

Vol.2 ラヨシュの話

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

「私が学生のころ、地元にハンガリーの代表チームが練習にやってきたことがあった。街のみんなが選手たちにサインをねだったものです。もちろん私もね! 私にとっては代表チームの選手はヒーローのような存在でした」

 

カヌーイストとしてのラヨシュの経歴はじつに華々しい。2001年に4人乗りのK-4 1000mスプリントでハンガリーチャンピオンに輝き、2006年には世界大会で優勝した。子供のときに憧れていたヒーローに、自分がなったわけだ。

 

「背中を痛めてしまって、オリンピックには出られなかった」が、その後もトルコの代表チームに請われてパドルを漕ぐなど、ハンガリー国内外で活躍した。2015年に現役を引退し、2016年には韓国代表チームのコーチに就任。代表チームに帯同し、韓国じゅうをまわった。

 

さめうらダム湖にて練習するラヨシュと佐田野(さだなお)

 

「韓国でコーチとしてのキャリアをスタートしたわけですが、代表選手というのは多かれ少なかれ自分のスタイルを持っている。練習方法にしても、パドルの漕ぎ方にしてもね。チームとしての指導方針もカッチリ決まっていたし、私が出る幕は少なかったなあ……。

 

韓国料理は口に合ったし、文化的にも興味深かいものはあったけど、家族と離れてのホテル暮らしにも疲れたし、いったんハンガリーに帰ることにしたんです」

 

「日本でコーチをしたいと思っていた」

むずかしさを感じた1年だったが、コーチングへの熱意は消えなかった。

「ハンガリーでコーチをやることも考えたけど、韓国で1年やってみて、外国で暮らすことのおもしろさも体験した。それならば、次は隣国の日本に行ってみたいと思ったんです。それで日本カヌー連盟のスタッフに選手時代からの知人がいるので、『日本でコーチの仕事がないか?』と尋ねてみた」

ラヨシュが日本行きを模索していたのと時を同じくして、嶺北高校カヌー部の生徒たちを指導してくれるコーチの招聘を、土佐町関係者が日本カヌー連盟に打診していた。

タイミングがぴったり重なったのである。

(敬称略)

つづく

文:芦部聡 写真:石川拓也

 

書いた人:芦部聡

1971年東京都生まれ。大阪市在住。『Number』『NumberDo』『週刊文春』などに寄稿し、“スポーツ”“食”“音楽”“IT”など、脈絡なく幅広~いジャンルで活躍しているフリーライター。『Number』では「スポーツ仕事人」を連載中。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

藤田英輔

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

「思い出トランプ」 向田邦子 新潮社

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

7月30日のパクチーフェス詳細はFBページからご覧ください

 

今から12年前、ある男が「パクチーはメディアだ!」と言いました。

パクチーを通して世界の人と人はつながれる、その言葉は当時の日本ではとても新しい発想 でしたから、すんなり理解できる人間は周囲にそう多くはいませんでした。

それでもその男はめげることなく、パクチーの楽しみ方を研究し尽くすグループ 「日本パクチー狂会」や種の普及のための「パクチー銀行」を設立、コツコツとパクチー好き とつながることでパクチーそのものを日本に広めていきます。

そして2007年11月、東京の経堂という町に「パクチーハウス東京」をオープン。

世界初のこのパクチー専門店は周囲からは「馬鹿げている」「ありえない」「危険すぎる」 などと言われながらのオープンでした。

パクチー専門店ということに加え、このお店が掲げる理念も非常にユニークで斬新なものでした。

□交流する飲食店(相席推奨・お客もスタッフも分け隔てなくよく話す)

□お客さまは神様ではない。 もてなすべき友人である。

□世界中からお客さんを集めるため「商圏二万キロ」を標榜(ひょうぼう)

そうしてスタートした「パクチーハウス東京」は周囲の予想を裏切り、いつしか予約困難なほど の繁盛店に。

世の中は変わり、2016年度の「今年の一皿」にはパクチー料理が選ばれ、パクチー を加工したインスタント食品を数多く目にするようになり、パクチーハウス東京のフォロワー とも言うべきパクチー専門料理店が日本中に現れることとなりました。

これは自然な世の中の流れではなく、「パクチーはメディアだ!」と12年前に言い切った この男がそもそもの仕掛け人であることは、実はあまりよく知られていません。

その男、パクチーハウス東京店主 佐谷恭 (さたに・きょう)と スタッフが7月30日(日)、土佐町黒丸にやってきます。

日本中のパクチー料理店の本家本元元祖オリジナルが瀬戸川渓谷の 黒丸にて、1日限りのパクチーフェスを開催! 黒丸そして高知県土佐町の新鮮な地元食材とパクチーのコラボな1日です!

 

そして7月10日(月)

RKC高知放送の午後の番組「〜今日も元気に〜「ぱわらじっ!!」

にパクチーハウス東京店主・佐谷恭が出演!

「1日限りのパクチーフェス!!@土佐町黒丸」の告知をしてくれました。

佐谷恭、トークも上手い!

ぜひ以下のリンクから視聴してください!

 

石川拓也

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone