笹のいえ

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年末年始帰省旅

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高知に来てほぼ毎年、年末に帰省してる。

(今のところ、至って元気だけれど)もう何があってもおかしくない年齢に達した僕の両親に子どもの成長を見せたり、奥さんの実家や親類の家に顔を出すためだ。

それぞれの実家は東京と千葉にあるので、徳島東京間を運行するフェリーに車ごと乗るのが常套手段。東京に着いたら、目当ての家を訪ね、年末と年始の挨拶をしていた。

折角の家族旅行、毎年同じ場所にだけ寄るのは勿体無い、という奥さんの提案で、今回は陸路で移動しながら、数年ぶりの再会となる友人親戚たちを訪ねて回ろうというになった。

あの人にも会いたいね、ここに行くならこっちも寄ろうよ、この宿にも泊まってみたい!と立てた「年末年始帰省旅計画」は、土佐町→岡山→鳥取→京都→名古屋→静岡→東京→千葉→東京→徳島→土佐町と、二週間で往復約2,200kmの大移動。

6人分の着替えや食料お土産。そしてこの車の燃料である、濾過済みの天ぷら油をタンクにありったけ入れて積んだので、車の中は荷物でいっぱい。

移動中、長時間車内で過ごすので、一二時間ごとに場所を見つけては、休憩した。外の空気を吸い、体を動かし、廃油を給油する。特に子どもは狭い車内でじっと過ごすのはストレスなので、すぐ喧嘩したり、暇に任せて食べ過ぎたりする。なだめたりすかしたりしながら、それでもなんとか折り返し地点の東京千葉に辿り着いた。実家のおじいちゃんと映画を観たり、おばあちゃんと水族館に行ったりして楽しく過ごした。特に、下の子たちは生まれて初めて電車に乗って大興奮。混み合う車内で、静かにさせるのが一苦労だった。一方、親たちは、慣れない都会の移動と人混みで、ぐったり。早くも土佐町が恋しくなっていた。

それでも、訪ねる先々で、元気な友人たちの顔を見て、多様な暮らしに触れ、新しいご縁も広がったのはリフレッシュになったし、僕らのこれからの暮らしのヒントをたくさん学んだ。たくさんお世話になりました。ありがとう。いよいよそこを離れるとき、見送ってくれる人たちに「今度は高知に遊びに来てよ」と言いながら手を振った。

 

写真は、毎年帰省している千葉県のブラウンズフィールドにて撮影。このときは、傘を広げて家を作り、中でおやつを食べていた。

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麦踏み

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今シーズンは、暖かい冬のスタートとなった。

寒さが苦手な僕にとって、この気候は身体的にも気持ち的にも楽だけど、田畑をやっていると具合が良くないこともある。

畑の葉物野菜は朝晩の冷え込みによって甘さを増すし、乾いた風が軒先の干柿を美味しくし、雪が降れば子どもたちが喜ぶ。寒くなる時期には、きっちり冷えてもらわないといけないのだ。

麦踏みは、この時期に行う大事な仕事のひとつだ。小麦の芽を踏むことによって、根張りをよくしたり分けつを促したりする効果がある。

霜によって土ととも浮き上がった麦を押し戻すためでもあるが、この記事を書いている12月中旬現在、例年なら毎朝のように降りる霜が、まだ一二回しかない。だから急がなくても良い気がしたのだけど、年末年始は帰省のため作業ができないので、この日麦踏みをすることにした。

肩幅ほどにひらいた小麦の列を、両足を使って、二列ずつ踏んでいく。

ついてきた次男も面白がって真似をしている。彼の短い脚を目一杯広げて、ペンギンのように歩いている。今度は僕が息子の真似をして、ふざけ合った。

途中、パラパラと雨が降ってきた。

濡れた土を踏んでいたら、足袋の裏に土がくっ付く。畑を一周したころには、厚底靴みたいになっていた。

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ZINE 03発刊のあとに

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先日、土佐町のウエブサイト「とさちょうものがたり」の雑誌版とも言うべき、ZINEの第3号が発刊された。

なんと、まるっと一冊、笹のいえ特集だ。

このサイトに連載している記事から選んだ文章を少し手直しして、写真は新たに数枚追加し掲載した。

記事を改めて読んでみて、ふと「土佐町の人たちは皆、こんな暮らしをしているのか」と誤解されるのではないか、と思った。

以前、笹のいえを見学しにきたある移住希望者が、

「土佐町の移住者って、皆さん、こんな暮らしをしているんですか?私にはちょっと無理ですー」

と、冗談とも本気ともとれる感想を話してくれた。

いえいえいえ。僕らの暮らしは、だいぶ変わっているけれど、ほとんどの町民の皆さんは普通に現代的な生活を営んでいますよ。と焦りつつ答えた覚えがある。

この本は確かに「渡貫家の暮らし」を紹介しているが、世界中に多種多様な生き方がある中で、この4,000人ほどの町にもそれぞれの暮らし方がある。そして、僕らの生活もその中のひとつに過ぎない。

読者が、僕らの日常を読み終えたとき、どう感じるだろうか。

ある人は、この町に興味を持ってくれるかもしれない。

ある人は、「懐かしい」と言う思いを抱くかもしれない。

またある人は、その人にとっての大切な部分に触れたと感じるかもしれない。

どう受け取るのかはもちろん異なるし、それが肯定的でも否定的でも、反応があるならとても嬉しい。

 

話は変わるが、表紙の家族写真は、秋深まるある日に拓ちゃんが撮ってくれた。

撮影前、カメラが子どもたち四人の目線を捉えるのは至難の技だろうと予想され、「今回ダメでも何度か挑戦しよう」と言う話だった。子どもらが落ち着くまでに時間が掛かったし、何度もシャッターを押すことになったけれど、さすがプロカメラマン、見事全員の笑顔を収めていた。拓ちゃんの技術もさることながら、これまで、何度も笹のいえに遊びに来てくれていたので、子どもたちが彼を信頼していることがリラックスした表情に現れている。

結局、撮影したのはこの時だけで、そのまま表紙に採用された。

この記事の写真は、何十枚も撮影したうちの一枚。ふざけたり、アクビをしたり。採用されなかったけれど、子どもたちの性格が出てる。こっちの方が僕たちらしいかな。

 

写真撮影:石川拓也

 

Zine 03号、発刊です!

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選択すること

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水は山水、かまどや五右衛門風呂では薪を使い、コンポストトイレの排泄物は自分で処理する。お米や野菜を自給し、味噌や醤油、酢を仕込む。廃油をろ過して車の燃料にする。僕らが実践してる、笹のいえのむかし暮らしだ。

「どうしてこの暮らしを選んだんですか?」

と聞かれることがある。

「大変じゃないですか?」「不便でしょ?」とも言われるが、これが日常なので、こんなもんだと思ってる。もちろん手間や時間は掛かるが、もう無理!と考えたことは、今のところない。

手づくりな暮らしをしているのは、自分たちでやった方が安いという経済的な理由もあるけれど、手を動かすと仕組みがわかるし、技術や知恵が身につく。何か不具合があっても自分で対処できることが多い。なにより、手が届く範囲の暮らしは安心感がある。

どんな暮らしをするのか、メリットデメリットを天秤に掛けたときに恩恵が多い方を選んでる。

そう、僕らは、常に選択して生きてる。

いまの暮らしは、これまで「何を選んできたか」によって形づくられている。

忘れがちではあるけれど。

例えば、料理するのに、ガスを使うか、IHか、薪かそれとも炭か。その方法は、(現在の日本では)個人の自由だ。僕たちは薪と炭をチョイスしたが、ガスやIHが駄目だ、ということではない。稲刈りだって、手に鎌を持ち一株ずつ刈っていくこともできるし、コンバインで一気に収穫することもできる。それぞれ長所と短所があるから、状況によって代わってもいいし、複数でもいい。その時々でより気持ちの良い道を選べばいい。人生はもっと柔軟だ。

選択の岐路に立ったとき、それが楽しいかどうかってことを自問することが多い。ときに気の進まない選択もあるが、その先に「ワクワクすること」が待っている方を選ぶようにしてる。そうすれば、嫌なこと苦手なことも頑張れるからだ。

いまの生活も自分の体力や子どもの成長によって変化していく。複雑で難しい理想を追うよりも、より楽チンで持続可能な道を選択していくだろう。

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はし拳

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「いらっしゃい!」

「さん!」

 

はし拳をご存知だろうか。

お互いに隠した箸の合計本数を当て、負けた方がお酒の入った盃を飲む。高知県に昔から伝わるお座敷遊びで、年一回県大会も開かれるらしい。

地元の方との飲み会の席で、僕も数回挑戦したことがある。が、お酒が入っているところでやるものだから、いつまでもうろ覚えだった。

ちゃんと教わったのは、なんとフランス人のソフィアンから。彼は笹のいえに数日滞在している間、ある地域の運動会に参加し、競技の「はし拳」を集落の方から教わってきたと言う。

やってみると、シンプル故に、奥が深い。

瞬時の判断力、観察力などが問われ、心理戦となる。

このゲームに強い興味を持ったのが、長男の玄人(げんと)。

普段陽気(というか、どちらかというとヘラヘラしてる)な彼が真剣な面持ちで、ソフィアンからルールを何度も聞いては対戦していた。その集中力は素晴らしく、メキメキと上達していった。僕はというと、やっぱりお酒を飲んでいるので、あっさりと負けてしまうのであった。

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笹のいえ

笹のいえ

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なぜ「笹のいえ」であるか、

というご質問をよくいただく。

答えは簡単。僕らが暮らしているこの家は、ずっと昔からそう呼ばれてきたから、です。

移住先を探しているとき、その土地でなにか商売をするなら、その家なり場所なりで使われてきた名称や屋号をそのまま受け継ぎたいとぼんやり考えていた。

土佐町に引っ越してきて、地域の方に、あの集落のあの家に暮らしていますと説明すると「ああ、笹に住みゆうかよ」と言われる。そして、「子どものころ、あっこ(あそこ)でよう遊んでねえ」と昔話に花が咲くこともある。笹のいえの大家さんである伊藤万亀江さんは「笹のおばちゃん」と呼ばれている。

名の由来を調べてみると、母屋がある住所の字(あざ)が「笹」ということが分かった。周りに笹(竹)がたくさん生えているので、そう名付けられたのかもしれない。それがそのままこの家の屋号になったのだ。

地域に親しまれている名前があるのなら、それを屋号に使いたい。宿を立ち上げるとき万亀江さんにそう伝えたら、「そら、えいねえ」と言ってくれた。

 

 

 

 

 

伊藤万亀江 (田井)

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むかし暮らし

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これはもう名付けた僕に責任があるのだけれど、「むかし暮らしの宿 笹のいえ」という屋号なので、「車もネットも電気すらない昔の暮らしをしてる家族」と思われちゃってることがある。実際は、車は二台あるし、Wifi飛んでるし、電力会社からの電気を使ってる。訪れた方から「意外と現代的なんですね」と残念そうに言われたこともあった。ごめんなさい。生き方に特別な思想があるとも思われがちだが、「こうなければいけない」と言うこともほとんどない。

こんな暮らしをしていると、有り難いことにメディアから取材を受けることがあって、「これから笹のいえをどうしたいですか?」とか「経済優先の現代社会に言いたいことはありますか?」と質問されたりする。未来や夢を語る、記事の締めとして大変重要な質問である。しかし、取材される方の思惑に添えず申し訳ないのだが、僕はいつも「うーん、特にありません」と答えてしまう。

「コンポストトイレは地球に優しいから皆さんもぜひ自作してください」とか「皆が薪と山水で暮らせば、世界が平和になりますよ」などと言うつもりはなくって、何を快適かと感じるか、生活環境やその他いろんな条件などは、人によって様々。それを「こうした方がいい」なんてとても言えない。僕らはもちろん今の暮らしが好きだけど、そのまま他の人に当てはまるわけではない。

それでも、ご縁があって、笹に来て、おしゃべりして、一緒にご飯を食べて、お風呂に入る。むかし暮らしが、これからの何かのきっかけになってくれたら、それだけで嬉しい。

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栗の実ひとつ

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朝起きてお湯を沸かそうとかまどの火口を見ると、水を張った小さな片手鍋に栗の実がコロンとひとつ。

ああ、今回はひとつか。と考えて、思わずふふっと笑う。

この季節、栗を大量にいただくことがある。そんな時はせっせと下処理をして料理する。子どもたちも大好きで争うように食べるのですぐ無くなる。

それでも食べ足りないのか、家の近くに一本だけある栗の木に目を付け、下を通るたびに栗が落ちてないか探してる。ほぼ毎日探してるので、見つけても日に一、二個。それでも、見つけた本人にとっては宝物で、兄弟にあげるなんてもってのほか、取られまいと大事に家に持って帰ってくる。

「見つけたよ!」と嬉しそうに差し出す手には栗の実がひとつ。これを茹でてくれ、と言う。

「いやいや、もっとたくさん集めて一気に茹でようよ。薪もったいないじゃん」と思うが、そんな大人の事情は関係ない。

妥協策として、毎料理後の余熱で少しずつ茹でていくことになった。それが、冒頭の片手鍋なのだ。この後、栗はめでたく茹で上がり、羨ましがる兄弟の視線の中、ドヤ顔で栗を一個食べた長男なのであった。(写真は、その栗が茹で上がるのをなぜか待っている長女)

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子だくさん

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四人目の誕生で、6人家族となった我が家。

子どもの数が二人三人は珍しくないこの地域でも、四人となると「子だくさん」と言ってもいいかもしれない。

うちの奥さんは5人兄弟の一番上で、結婚当初から「子どもはたくさんほしい」と言っていた。一方、僕は妹がひとりと両親の間で育ったので、「家庭に子どもがたくさんいる」状況がピンとこなかった。家族が多くなれば、子ども一人ひとりに掛ける時間が少なくなるし、経済的な負担も大きくなるだろう。そもそも、世の中にこれだけ人が溢れて、環境問題やら自然破壊やら言われているのに、僕らがこれ以上人口を増やさなくても良いんじゃない?なんて考えもあった。

それでも、田舎で暮らすようになって、子どもたちが伸び伸び成長できる環境ならと、ひとり、もうひとりと家族が増えていった。

ある時、奥さんにふと「どうして子どもがたくさんほしいの?」とたずねたことがある。

彼女はうーんと考え、自分は弟妹が多くて楽しいからとか、年老いたとき寂しくなさそうとか話した後、

「それから、全員無事に育つか分からないじゃない?」

と言った。

あまりにも自然に口から出た言葉だったので、ふーんっと相槌を打った僕だが、頭の中で反芻して、え?と彼女の顔をもう一度見た。

自分の子どもが無事に育たないかも、なんて想像したこともなかった僕にとって、結構衝撃的な言葉だった。でもそのあと、いつか話した彼女との会話が頭に蘇ってきた。そうだ、彼女は親しくしていた身近な親類を亡くした経験があるんだ。

昨日あった命が今日無くなるという出来事は、時に大人でも受け容れ難い。でも、考えてみれば、これだけ医療が進んだ現代でも生まれてこない命があり、事故や病気で亡くなる命もある。近しいひと、それが自分の子どもであれば、その悲しみは壮絶だろう。だからと言って、子どもが何人もいれば安心だ、ということにはならないが、彼女の気持ちは理解できる。

子どもが多いと、洗濯物は増えるし、部屋は散らかるし、布団は狭くなる。けど、子だくさんとなった渡貫家の理由のひとつは、そんなところにある。

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養生

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少し前の話だけれど、7月はじめの長雨のころ、体調を崩した。

夜中耳に激痛があり発熱。朝になっても回復しなかったので、耳鼻科で診てもらうことにした。「耳にウイルス性の炎症あり」との診断だった。数週間前うちの子が立て続けに中耳炎を患ったので、それがうつったのかもしれなかった。

風邪など病気をするときは、高熱が出て一晩汗をかき、翌朝にはスッキリ平熱というのが、僕のいつものパターン。だけど、この時は38度台から下がらず大量の汗もかけず、布団の中でひたすらゴロゴロとしていた。熱が下がりはじめるまで一週間ほど、全治には一ヶ月以上掛かった。

免疫が弱っていると、健康なときには平気だったことに身体が反応することがあって、自分を観察してみると面白い。

ノートパソコンに手を置いたり、Wifi機器に近づくと冷たい嫌な感覚があるのは、発している強い電磁波のせいだろう。極力触らず、不要なときはスイッチを切っていた。香料にも敏感になっていて、特に洗濯洗剤など人工的な匂いには頭痛がした。意外だったのは、毎日嗅いでいたかまどの煙を苦しく感じたこと。煙は不完全燃料の印だからそもそも吸い込むのは身体に良くないが、普段は毎日嗅いでいるものが我慢できなかったのは意外だった。

体調が回復に向かってからも、しばらくは嗜好さえ変化していた。いつもはあまり食べない甘いもの、パンや焼き菓子などの小麦粉を以前より欲するようになっていた。驚いたことに、大好きなお酒は一滴も飲まなかった。こんなに長い間断酒をしたのは、生まれてはじめてかもしれない。自分に拍手を送りたい。

病気になった原因は、心当たりがたくさんある。日々の食べ過ぎ飲み過ぎ、疲れや寝不足など。台風が近づいていたので、急激な気圧の変化もあったと思う。野良仕事ややるべき作業を考えると、数日間動けないのは辛かったが、身体を休める良い機会だと言い聞かせて、養生した。不調の父ちゃんを気遣って、休める環境を作ってくれた家族にも感謝。

 

写真は本文と全然関係ない、先日8歳になった長女の誕生日会での一枚。

リクエストした大好物と仲良しの友だちに囲まれて、大満足な一日だった。

 

写真提供:Kiomi Maeda

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