(三代さんの力こぶ その3 )
夫の死
三代さんが59歳の時だった。夫である秀昭さんが自ら命を断った。林業会社の経営がうまくいかなくなり、お金が回らなくなっていた。
三代さんと秀昭さんは同級生で、駆け落ちをしたほどの大恋愛だった。「とてもいい人だった。頭も良くて。賢い人って目の奥が光ってるじゃない?そんな人やった」
結婚後、秀昭さんは三代さんの父親が経営していた林業会社で働き始め、後に製材を始めた。
小径木は原木のままだと売れにくいため、製材して売ろう。そう考え、お金を借りて設備投資し、大型機材を入れた。海外から安い材木がどんどん入ってくる時期でもあり、量では戦えないと判断。質を重視し、全国各地の設計士と関係を作っていった。30年間経営を続けたが、それ以上は難しかった。「いかんくなる時は抗い難い流れになっていく。流されて、巻き込まれてしまった」。秀昭さんが亡くなった後、残務処理は息子さんが一手に引き受けてくれた。
三代さんは仕事を探すため、ハローワークに通い始めた。高知市まで車で約1時間。山を抜けるように国道32号線を走った。
「その車の中が一番地獄やった」
一番近くにおったのにあの人を一人にしてしもうた。もっとできることがあったんじゃないか。あの時こうしよったらよかった、ああしたらよかった。
「繰り返し、繰り返し自問する。それが一番苦しかった」
自問自答しても過去に戻ることはできない。それは分かっているのに、何度も自分に問いかけて、自分を責め続けた。なんで、なんで、なんで。
「その時に色々考えるわね。ああ、あそこのあの人もああいうことがあって大変やったろうな、こっちのあの人もああいうことがあったから幸せじゃなかったろうね、とか。人の不幸ばっかり考える。あの人も不幸やった、あの人も不幸やった、私だけじゃない、みたいな。多分それは自分の生命力なんやろうと思う。生きていくための。今は全然そんなことは考えんきね。自分だけじゃないっていうことで自分を納得させる、頑張らないかんって。自分の寂しさとか苦しさを押し込めていく原動力にしたんじゃないかなと思う」
「押し込めて生きていくしかないもんね。そういう思いを持ちながら、そういう覚悟を持ちながら、今を生きていくしかない。みんな大なり小なり、その人の一番しんどいのを味わっちゅうがよ」
三代さんはハローワークに通いながら、パソコンの勉強をした。失業手当がもらえる間に何か仕事を見つけないといけない。そんな時に友人が声をかけてくれた。先述した役場の臨時職員の仕事、青木幹勇記念館の仕事だった。
「友人は同級生やけど、ずっと連絡を取り合っているような仲じゃなかった。でも、そういう巡り合わせの人っているわね。記念館の仕事の話もそうやし、娘が入院した時も、ちょうど役場の住民福祉課に勤めていて、障害者年金について教えてくれた。こういう制度があるよ、って。そのおかげで金銭的に助かってね」
地獄の底にいた時、手を差し出してくれた人たちがいた。付かず離れずの距離感で、いつもどこかで伴走してくれていた。残務処理をする息子さんを手助けしてくれた人や、たびたび訪れてさりげなく声をかけてくれる人もいた。
「一番しんどい時、本当に親身になってくれた人たちが何人もいる。その人たちがいてくれたから、今がある」
あの時、あとを追って死のうとは思わなかった。「いろいろなことを経験して、走ってきた。何とかやりくりしながら、ここまで生きてきた。生きる力やろうね」
言葉って大事
今回三代さんにお話をうかがっている間、何人もの人が記念館にやって来た。
ある時、三代さんと一緒に食べようとお弁当を二つ持ってきた人がいた。80歳を超えた位の年齢のその人は、私にも「一緒に食べようや!」と声をかけてくれた。お弁当のふたを裏返してお皿代わりに、おかずの煮物やみかんをのせてくれた。三代さんも「ごはんが多めだから食べて」と分けてくれた。ふたの上にはもう一つのお弁当ができた。「みんなで食べると美味しいよねえ!」とその人は言った。そして、「三代さんはすごいよ!いつもここにいてくれて。私もおしゃべりしに、よくここに来るんよ」と言った。続けて「毎日その日にすることを箇条書きにして、終わったものは線を引いていくと励みになる」という話をしてくれた。「私はね、私に解決できないことはない!と思って生きてるんよ」と一際大きな声で言った。三代さんは「すごいよねえ!かっこえい。勉強になります」と拍手しながら、笑顔で頭をさげていた。
三人で話しながらお弁当を食べた。しみじみと、とても美味しいお弁当だった。人は関わり合って言葉を交わし合って、互いに影響を与え合っている。知っていたはずのことを再確認した思いだった。

三代さんも訪れる人たちに生きる力をもらっているのだ。この場所は、来る人も迎える人も誰しもがあたたかい。互いの存在を応援し合っているような気がする。ここにいると自分の存在には意味があると思える。それは人間が人間らしく生きる上で必須の実感なのだと思う。人は誰しも、誰かに応援されながら、誰かを応援しながら生きているし、そうやって生きていきたいのだと思う。だから人は記念館に足を運ぶ。
三代さんが言っていた。「ある人が “言葉って刺すんですよね” って話してくれたことがあって。言葉も視線も人を刺す。だからどんな言葉を使うのか、どんな風に向き合うかが大事だよね」。三代さんはそれが綺麗事でないことを知っている。
言葉は時には武器になることもある。言った言葉は取り消すことはできない。でも交わされる言葉が、相手を思いやったものであり、互いによかったなあと思えるものであれば、人はお互いの応援者になれる。互いの応援者である人たちが集まれば、そこは誰にとっても安心できる居場所になる。
今日も記念館は開いている。お土産のカステラを持って行こう。三代さんはきっと喜んでくれるだろう。きっとどなたかがいて、笑い合えるだろう。6年前、三代さんが見せてくれた力こぶは、今も変わらずに私の背中を押し続ける。



