2019年6月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

藤田純子

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「ヤモリの指から不思議なテープ」 石田秀輝, 監修 アリス館

新幹線が時速300キロ以上で走るようになった時、騒音基準をクリアするのが大変だったようです。

電車が空気の中を突っ切る時に出る音、つまりパンタグラフの形を様々に変えて騒音を抑えようとした時ヒントになったのが、音をほとんどたてずに飛ぶふくろうの羽の秘密であり、電車の先頭部の形の工夫については、カワセミの細長い流線形のくちばしが水に飛びこんだ時、水の衝撃をうまく逃がしていることがヒントになりました。

生物は本当によく出来ています。その能力や不思議を知れば知るほど、設計者である神の偉大さと、そこに学ぼうとする人間の賢さを素晴らしいと感じます。この本にはたくさんのネイチャーテクノロジーが、とってもわかりやすく丁寧に詳しく書かれています。

藤田純子

 

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山峡のおぼろ

橋の上の思い

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西石原の家に風を通したり、彼岸参りをしたり、シーズンにはイタドリや梅や柚子などを採りに帰る。

高知から正蓮寺に上り、土佐山に下りて工石山に上り、工石山トンネルを抜け、相川に下りて帰ることが多い。

その途中、相川の「高相橋」を渡る時に、必ずと言っていいほど思い出す人が居る。相川出身で、県議会議員だった近藤正弥さんである。近藤さんは大阪で吹田、東成の警察署長を歴任されたあと帰郷し、昭和22年(1947)から6期24年間、県議を務められた。高知から相川への県道の拡張整備も、近藤さんの功績が大きかったということを色んな人から聞いた。

思い出というのは約70年前の、私が中学、高校時代の話である。

春休みに時々、自転車で相川へアメゴ釣りに行った。途中で近藤さんに会うこともあったが、いつも笑顔で、

「どっさり釣れたらええねや」

と言ってくれた。

私の祖父は旧地蔵寺村の収入役をしていた関係から、近藤さんとは親しかった。西石原の自宅へも何度も見えていたので、私も早くから顔なじみになっていた。

高相橋の近くで釣っていると、近藤さんが、

「釣れるかや」

と、橋の上から声をかけてくれることがあったが、ある時、

「高知で菓子を買うてきたきに、食いながら釣れや」

と言って、菓子を投げ落としてくれた。

「ありがとうございます」

と、お礼を言いながら菓子を受け止めようとしたところ、菓子が風に煽られて、ポチャンと川に落ちて流された。すると橋の上から、

「流れたねや、ちょっと待ちよれ」

と、笑いを含んだ声が降ってきた。

余り待つこともなく、

「こんどは大丈夫じゃ、食いや」

という声と共に、たこ糸に結んだ菓子がゆらゆらと下りてきた。大きな声でお礼を言いながら、糸の結びをほどいた。

また、ある時は、

「これ、じいちゃんに渡してや」

と、糸に結んだ手紙が下りてきたりした。

そんなことが何度かあった。

私もアメゴがよく釣れた時は、橋まで上って行って、近藤さんに渡した。

渡るたびに懐かしい色々のことを、昨日のことのように思い出させてくれる橋である。

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私の一冊

西野内小代

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「現代語 古事記」 竹田恒泰 学研

「古事記、おもしろいよ」と次男が言っていたのを思い出しこの本を買ってみました。

「序にかえて」で『日本は現存する唯一の古代国家』と書かれています。全く意識していない事だったので、驚きと共に少し誇らしささえ感じました。

【私にとっての法則:古事記=神様大発生=覚えられない=読まず嫌い】でしたが、「神様と人の名前が出てきたらすぐに忘れること」という記述に後押しされ、どうにか読破できました。古事記における神話は絵本や童話でチラホラ知ってはいるものの、単発的な読み物としての枠でした。

世界最大のベストセラー「聖書」は『高尚さ』『教養人としての常識』を感じさせるのに対して、同じ神話というカテゴリーにおいて「古事記」というと荒唐無稽な絵空事と感じてしまう。日本人として「古事記」という書物を大切に伝えていかなければ…と、少なからず使命を感じた読後です。

西野内小代

 

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土佐町役場の新しい名刺を作りました。土佐町に関連のある方はどなたでもこの写真・デザインを使用できます。

「土佐町ポストカードプロジェクト」で撮影した写真を、毎年名刺にしています。

今年度分も4月から実施しているのですが、お知らせが遅くなってしまいました。すみません‥。

 

例年どおり6種類の風景はすべて土佐町の風景です。今後も、不定期に新たな写真にリニューアルします。

各写真の撮影場所は以下の通りです。

  1. 相川
  2. 翠ヶ滝
  3. 土佐町小中学校
  4. 権現の滝
  5. 溜井
  6. 石原

 

土佐町に関連する方はどなたでもこのデザインをご使用できます。

  1. 高陽堂印刷さんにファックスまたはメールで発注します。(Fax:088-880-8899 メール:info@koyodoinsatsu.com
  2. 1~6のいずれかご希望のデザインを選びます。
  3. 名刺に入れたい会社名やお名前、ご住所などの文字情報を伝えます。*文字情報以外のデザイン要素(写真とロゴ)の変更は受け付けていませんので予めご了承ください。
  4. お支払い方法は以下の2通りです。A,銀行振込でのお支払い(前入金)  B,ご来社でのお支払い
  5. 価格は以下の通りです。名刺印刷:1デザイン

    100枚:3,000円
    200枚:4,000円
    300枚:5,000円
    400枚:6,000円
    500枚:7,000円

    ※送料・消費税別途 ※制作費込(名前・住所・社名)※用紙:ミセスB スーパーホワイト 180kg

2017年度版は以下

誰でも作れる土佐町の名刺

こちらは2018年度版

誰でも作れる土佐町の名刺 2018版

 

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「繕う暮らし」 ミスミノリコ 主婦と生活社

薄くなった靴下のかかと、Gパンのズボンのポケット、木登りして盛大にお尻の部分が破れた息子のズボン、転んで穴が空いたズボンの膝小僧。

裏側から布を当てて、色々な色の糸でチクチク繕う。夜は眠くなってうとうとしながら縫うので、針で指を刺してハッと目が覚める。

息子が小さかった時、穴のあいた箇所をチクチクと繕ったズボンを嬉しそうに学校へはいていった。そうやってちょっと手を加えたものは古くなっても小さくなってもなかなか手放せず、引き出しに大事にしまってある。

ひと針ひと針、針を進める作業は自分の心と会話する時間でもある。

ざわざわ、モヤモヤする気持ちを軌道修正しながら、縫いあがってちょっとかわいく生まれ変わった靴下やズボンをたたむ。ふと見渡した周りの風景が、いつもとはちょっと違うものに見えたりする。

鳥山百合子

 

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ほのぼのと

お爺やんお婆やん

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家から裏の細い山道を、子どもの足で1時間以上かけて登った所に叔父の家があり、そこは家囲いの古い木にかこまれて暗いような茅葺屋根の大きな家だった。
納屋には馬がいた。坂の途中に建てられた一軒家。その傍に隠居を建てて祖父母が住んでいた。

隠居は茶の間と寝間の二間。下半分が板戸で上半分が障子の入り口の戸を開けると小さな土間があり、あがりかまちを上がると、じざい鍵をつるしたいろりがあって、薪をくべていたので部屋はふすぼっていた。じざい鍵には汁物の鍋がかかり、いろりの淵には竹串に刺した里芋が焼かれているという昔話の情景。家というより小屋だった。

祖父を「おじいやん」祖母を「おばあやん」と呼んでいた。
おじいやんはいろりのそばに座っている姿しか思い出せない。片膝たてた足がとても長かった事を覚えている。おばあやんは腰が曲がっていたけれど肌のきれいなひとだった。
残念ながら二人のいいところは爪の先ほどももらってない。

父にくっついて何度かいったことがある程度で、祖父母に甘えた覚えがない。
孫は数えたことはないけれど30人ほどもいたろうから無理もないけれど。

父は女4人男4人の長男だったけれど一番下の弟に跡を頼んで家を出たらしい。義兄弟がたくさんいて、わがままに育った母は、戦争でいない父に代わって祖父母に孝行等ようせんかったと、私が娘になった頃話してくれた(こんなきれいな言葉じゃなかった)

祖父母が亡くなって60年以上過ぎ、跡をとった叔父一家もいなくなり、父の13回忌も終わった。山の中に残った祖父母のお墓に「これからはお墓まいりにもよういかんなるし、山の中に埋もれてしまいそう」と気にした私の兄弟がお寺にお願いして共同墓地に入れてもらった。

その夜は「お爺やんお婆やんは喜んだろうけれど、なによりおやじが喜んでくれたろう」と、昔話にはなをさかせながら遅くまでお酒をくみかわしていた。

 

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私の一冊

石川拓也

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「父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」 ヤニス・バルファキス ダイヤモンド社

 

著者のヤニス・バルファキスは、ギリシャの経済危機に際して財務大臣であった人物です。

お父さんが10代の娘に説いて聞かせるように、平易な言葉遣いで、経済の本質的な部分を整理して語っているのがこの本。

経済という、誰もが無縁でいられないけれど誰もが実態を分かっていないものを、根本から紐解こうとしていることに面白みがあります。

この時代、システムが大きく複雑になりすぎて、人間を振り回すような状況になってきています。

その始まりは人間にとって必要だから作られたはずのシステムや制度が、いつの間にやら形骸化して中身のないものになっていたとしても、システムだけは回り続けて人間を振り回すようになっている。そういう意味では「経済」というシステムはその中でも最大最強のものではないでしょうか。

その状況を前にして、人間としてどういう態度をとるか。

◯既存のシステムの中で良い点を取れるように頑張るか
◯古いシステム自体を塗り替えて次の世の中を作ることに力を注ぐか

実は意外と近いところにその選択肢を選ぶときが来てるのかもしれません。

 

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2019年6月現在、3号まで発行した「とさちょうものがたり ZINE」。

一定期間の無料配布の後は増刷し、バックナンバーとしての販売を行なっています。

ありがたいことに、「とさちょうものがたり ZINE」の内容に共感していただき、他の様々な商品のお隣に置いていただけるお店が少しずつ増えてきました。

今回はその中から、2軒の素敵なお店を紹介します。

聖屋

 

2階にある図書室から1階を見る。2階の素晴らしい蔵書の数々は、1週間くらい寝袋持参で泊まり込み、本をずっと読んでいたいと思えるほど。

初めて聖屋さんを訪ねた日、玄関のドアを開けてすぐの棚には色々なお店のチラシと一緒にZINE03号が置かれていました。驚いて聞いてみると、高知市の友人が持ってきてくれたとのこと。店主の聖子さんはもう読んでくださっていて「とてもよかったです」と言ってくださいました。

その時は無料配布分として置かせていただけたら思い訪ねたのですが、聖子さんは「続けていけるようにお金も必要でしょう?こんな形はどうかしら?」と小さな箱の上ふたにハサミで切り込みを入れて貯金箱のような箱を作ってくれました。「お客さんがZINEを持ち帰る時に、“お気持ち”を入れてもらいましょう」と。

聖子さんの気持ちに涙ぐんでしまったほどうれしかったのですが、その時は無料配布期間。聖子さんのお気持ちだけいただきました。

「今後、販売することになったらぜひお店に置かせてください」と話すと「もちろん、喜んで」と言ってくださった聖子さん。その言葉に、私たちはどんなに励まされたことでしょう。

今ではZINEと、シルクスクリーンで印刷したトートバックを販売してくださっています。

 

店主の聖子さんが作る季節の野菜を使ったランチはとても美味しく、人参の葉とそば粉を使ったかき揚げと玄米ごはんは最高でした。手作りケーキもコーヒーも味わい深いお味です。
テラス席はぽかぽかと暖かく、満腹になったあとには、ごろりと寝転んでしまいたい誘惑にかられます。

何度も言いますが、2階の図書室、オススメです!

 

聖屋 〒781-0315  高知県高知市春野町東諸木4176−3 電話:088-842-3030

 

 

海花布土木

以前からZINEをお店に置いてくださっていた海花布土木さん。お店に行くたびに店主の島津さんは「いろんな人にZINEを紹介してるのよ」と言ってくださっていました。ZINEの販売も快諾してくださって、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます!

 

 

作家さんのワークショップや展示会も開催している海花布土木さん。インドの女性がひと針ずつ縫いあげた大きなキルトマットや、蝋引きの紙で作られたピアスを購入したことがあるのですが、その品について尋ねると、島津さんはいつも丁寧に説明してくれます。そのこともあって、そのものに出会った時のことが今も浮かんでくるのです。丁寧に作られたものには、そのものの持っている物語があることを思い出させてくれます。

 

海花布土木  高知県高知市はりまや町2-8-8 あんどうビル2F 電話:088-884-2296

 

ぜひ足を運んでみてくださいね!

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私の一冊

藤田英輔

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「くじけないで」 柴田トヨ 飛鳥新書

少し弱気になった時。

自分の年齢を思う時。

一寸立ち止まって想い返したい時。

開いています。

特に「こおろぎ」に共感します。

ねえ、「ほんとうは…」何だったの?何を想ったの?

藤田英輔

 

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山峡のおぼろ

2つの水筒

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最近の夏は酷暑で、水筒を持って出ることが多い。

幾つかの水筒を使っているが、その内2つは特に思い入れの深いものである。

1つは祖父が日露戦争で、1つは父が太平洋戦争で使っていたもので、前者は100年以上、後者は70年以上を経ている。

どちらも濃いカーキ色、いわゆる国防色で塗られている。蓋はねじでなく、コルク栓である。そのため、ちびて傷んだコルクを何度か取り替えて使ってきた。

日露戦争のは細長く、竹筒を2つに割ったような形、太平洋戦争のは楕円形のボールを2つに割ったような形である。容量は太平洋戦争の方は1.1リットル、日露戦争の方は0.7リットルで、太平洋戦争の方が約1倍半入る。

2つを並べてみて、日露戦争の頃は、充分に水分をとらずに戦っていたのだろうか、と思ったりもする。

祖父は山仕事などに出る時、この水筒を必ず肩に掛けていた。思い出話もよく聞いた。

旅順二百三高地での戦いのうち、最激戦地と言われた東鶏冠山の攻撃に参加した。そこで砲弾の破片を膝に受けて負傷し、野戦病院に後送された。連隊の大半は死んだが、負傷したため自分は助かった。

そういう話を何度も聞いた。水筒については、

「戦場でも野戦病院でも、この水筒は放さざった。日本を一緒に出て、一緒に戻って、こうやって今も使いよる」

そう言いながら、二百三高地に思いをはせているのか、水筒をさすっていた。

平成21年(2009)の12月に松山市の「坂の上の雲ミュージアム」で、これと同じ形の水筒が展示されているのを見た時、はるか以前に祖父から聞いたことのあれやこれやが、次々と脳裡に甦ってきた。

もう1つの父の水筒は、太平洋戦争で、シンガポールまで行ったものである。

父は大豊町出身の山下奉文が率いる兵団の一員として、マレー・シンガポール攻撃戦に従軍した。シンガポールを攻略したあと、他の戦場に移ることなく、終戦を迎えた。そのことで何度も、

「シンガポールからよそへ転戦していたら、おそらく生きて帰ることはなかったろう」

と述懐していた。

祖父と同じく父も、持ち帰った水筒を山仕事や狩猟などの時に、いつも使っていた。

水筒には父の字で「窪内」と刻み込まれており、反対側には「KUBOUCHI」とペンキで書かれている。これについて父は、

「シンガポールに行って、英語を初めて身近に聞いたり、看板で見たりした。ローマ字で名前が書けることが珍しゅうて書いた。これで茶や水を飲んで生き延びてきたきに、大事なお守りよ」

と、祖父と同じようなことを言っていた。

2人とも、新しい水筒を買おうともせず、これを使い続けた。「お守りじゃ」という思いが、ずっと抜けなかったのに違いない。

 

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