2020年6月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

古川佳代子

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「岡潔 数学を志す人に」 岡潔 平凡社

科学的愉快にも数学的自由にも全く興味はなく、もちろん数学を志すなんて露とも考えたことはありません。わたしには一番縁遠い本だなあと思っていたのですが、いろんな偶然が重なって「読まねばなるまい」と意を決して手にとりました。

ところが意外や意外、面白いのです。共感することが多々あって、さくさくと読める読める。あまりに面白くて我ながら不思議だったのですが、数学する、を文学するや思考する、に脳内変換して読んでいるからだとハタと気がついて納得した次第。

「数学の研究を知的にやり、あるいは意志的にやる人はいるが、まだ感情的にやるところまではいっていない」とか「数学は起きている間だけやっているのではない。眠っている間に準備され、目ざめてから意識に呼出し、書き進めているような気がする」などなど。

岡潔は数学者ですから「数学」になるけれど、音楽家や画家、あるいは一般人である私にも、それぞれが生きるうえで大切にしているものがあり、それに置きなおせる普遍的なものについて、数学者らしい知的な語り口で綴られています。

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龍を作ったのは誰?

今年の「土佐町オリジナルポロシャツ」のデザインは、土佐町地蔵寺地区にある地蔵堂の阿吽の大龍です。町内外の方から多くの注文をいただき、龍のポロシャツを着ている方の姿をあちこちで見ることが大きな励みとなっています。本当にありがとうございます。

これまでとさちょうものがたり編集部は、この龍の作者は、昨年亡くなった土佐町の宮大工・西村福蔵さんであるとお伝えしてきたのですが、先日、地蔵寺地区の史実に詳しい方々からご意見が寄せられました。

「龍を作ったのは、西村福蔵さんではないのではないか」という内容でした。

お話を伺うと、

「地蔵堂の龍は福蔵さんが作っていた龍とはまた違う作風であるし、福蔵さんが仕事をしていた最近50年の間にできたものではなく、もっと古いもののように思える」

「地蔵堂の龍を作ったのは、1947年に地蔵堂を改修した時の棟梁であった西村徳亀知さんか、徳亀知さんの先代ではないだろうか」

そう話しながら、地蔵寺地区の歴史をまとめた資料も見せてくださいました。ちなみに西村徳亀知さんは福蔵さんの師匠にあたる方です。

 

上:地蔵寺西村家の方々が編纂した「地蔵寺西村家系譜(復刻版)」2020年刊。「徳亀知系」と題された欄には、徳亀知さんの先祖の家系が記されている。

上:「地蔵寺西村家系譜(復刻版)」からの一枚。最後列右から2人目が徳亀知さん、左下が弟子時代の福蔵さん。(1950年代に撮影したものと思われる)

西村福蔵さんが実際に作った別の龍が、土佐町の別の神社(さめうらの雲根神社や地蔵寺の河内神社)にも奉納されていて、確かに地蔵堂の龍とは風貌が異なっています。ご意見を寄せてくださった方も確実なことはわからないそうですが、龍の作者については諸説があるようです。

 

実際にどなたが作者なのか、その答えは現時点ではわかりません。けれども、地蔵堂の龍が素晴らしいことは変わりありません。そして、徳亀知さんと福蔵さんは時代こそ違いますが、地蔵堂の改修に携わった大工として、そのお名前が地蔵堂の記録に記されています。きっと地蔵堂に何度も足を運び、心を寄せてきただろうことにも変わりがありません。

ご意見をくださった方はこうも話してくださいました。

「今回、地蔵堂の龍がポロシャツとなったことで、今まで龍を知らなかった人が、その存在を知る良いきっかけになったと思う」

 

今回ご意見をくださったことで、地蔵堂の龍が持つまだ見ぬ物語がまだまだありそうだということがわかりました。新たに知ることはとても面白く、昨日とは違った風景を私たちに見せてくれます。

この件は編集部でも引き続き調査を行っていこうと思っています。可能であれば、木像の製作年代が判明するような科学的調査も試してみたいとも考えています。

地蔵寺の龍について、他にも知っていることがある方は、ぜひ編集部までご連絡いただけたらと思います。よろしくお願いします!

 

地蔵堂の龍

土佐町ポロシャツ2020販売開始です!

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私の一冊

西野内小代

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「読書術」 加藤周一 岩波現代文庫

何ヶ月か前の高知新聞「きょうの言葉」欄に「読んだふりでもいい」という言葉が取り上げられていました。

「読んだふり」ってどういう事?その言葉の書かれている「読書術」という本がとても気になり取り寄せてみました。色々なジャンルに即した読み方を紹介してあり、その中の一つが「読んだふり」なのです。

実際には読んでいなくてもその本が話題となっている会話の中に読んだふりをして加わっていると、他の人の話す内容に注意深く耳を傾ける事により自然に知識として備わってくる。

限られた時間内で全ての本を読み尽くす事は当然不可能、このような端折った方法も時には必要、興味を持てるようであれば読めばいい。この様に私は理解したのですが…。

その他、専門書は原書で読む方が意外に簡単等…、納得のいく説明がなされていました。

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土佐町ポストカードプロジェクト

2020 June

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これは6月4日の夜のこと。

三島と東境のちょうど境目となるところに水路がありまして、そこは土佐町でも有数のホタル生息地として人々の集まる場所となっております。

水路近くまで降りてレンズを向けると、鼓動するように明滅する無数のホタルと、空の向こうには雲がかかった丸いお月さま。

聞けばこの場所は水路の作り方も工夫したり、草刈りもホタルのために敢えてしなかったり。地域の方々の、ホタルを大切にする気持ちが蛍光色の光となって、じんわり暖かく伝わってくるような夜でした。

 

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私の一冊

川村房子

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「死に支度」 瀬戸内寂聴 講談社

そろそろ断シャリしようか?自分の思いを書き留めておこうかと思うことはあっても、現実的でないような、その時はその時かと呑気さとルーズさが顔を出す。

寂聴さんはたくさんの人の心を法話で救っている。時々テレビに出ていることがあって、その話しに聞き入ってしまう。

「呆けることだけは避けたい。だから、今のままで死にたい。今夜死んでも悔やむことは一切ないという」

誰でも呆けたくないと思う。

死にたいと言葉では言っても、クスリを呑み、悪いところは手術をしあがき続けるものだとおもう。

足腰が弱り、髪の毛が少なくなり、歯がぬけてしわがより、気力はあっても体力がついていかなくなり、自分の中のすべてが老い支度はいやでもはじまっている。

寂聴さんにだって、つらいせつない苦しい思いをしたことたくさんあって、眠れぬ夜も何度もあったろう。

何事も達観したお歳になって、自分の思うままに生きてきたからこその言葉かもしれない。

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土佐町のものさし

幸福度調査アンケート結果報告

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※この記事は2019年12月に発行した雑誌「とさちょうものがたり zine 05」にて掲載したものをウェブ上にて再掲載したものです。「土佐町幸福度調査アンケート」の製作から実施、結果報告まで誌面でレポートした一連の記事の最後のものを、ウェブサイト上で再公開します。

 

町内の多くのみなさまにご協力いただきました土佐町幸福度調査アンケートの詳細な調査報告書が、高知大学地域協働学部の廣瀬淳一先生から届きました。

今回はその報告書を元に、気になった項目から少しかみ砕いた形で一部をご報告したいと思います。アンケート結果の報告としては不適切かもしれませんが、この欄ではなるべくグラフや細かい数字などを使わない説明を試みたいと思います。この文章の裏付けとなる数値は「土佐町幸福度調査アンケート調査報告書」に全て掲載されています。ご希望の方は土佐町役場企画推進課までご連絡いただくか、この欄の末尾に掲載したQRコードから全文がダウンロードできるようになっていますので、ぜひ読んでみてください。

●自然との付き合い方

町の方々各々の個人的な自然に対する考え方、実際の暮らしの中での自然との付き合い方を尋ねる質問がいくつかありました。

例えば前節でもご紹介したQ25「私は自然の一部であり、自然の一部として生きることが幸せである。」という文をどう思いますか?というもの。またQ26-27「土佐町産、自作の食物を食べる頻度」、そしてQ28「山の植物や動物に関する知識」に関しての質問などは、自然との付き合い方とその距離を尋ねているものです。

 

上の3つの質問と、「幸せですか?」という質問を掛け合わせた結果が示すものは、 「自然との距離が近い人ほど幸福度が高い」というものでした。

例えばQ25に対して「とてもそう思う」と答えた人では、同時に「幸福」と答えた人の割合もとても高く)、「全く思わない」と答えたグループの中で「幸福」と答えた人の割合は低めでした。

Q26-27に関しては「毎日(地産のものを食べる)」と答えた人ほど「幸福」と答える割合も高く、Q28に関しても山の動植物に関しての知識が深いほど幸福度が高いという結果が出ています。

ではこの結果から言えることは何かと言うと、例えば

町の人々が自然と上手に付き合えるためにできることは何か?

という問いを立てることだと思います。小さなことでいいので、具体的な行動としてできることは何だろう?と考え、実行に移す。

小さな行動を、長い目で見て大切に育てる。個人と自然の関係は、役場や行政がどうこうする部分は多くないかもしれませんが、例えば地域の方々が自然と触れ合う機会を増やすきっかけを意識的に作っていくといったことはできるかもしれません。

 

●土佐町への愛着

Q24-mに、「土佐町の文化や特色に愛着や誇りを感じますか?」という質問があります。この質問の結果と幸福度を掛け合わせたならば‥

「愛着や誇りの強い人ほど、幸福度も高い」という結果がきれいに出ています。反対に、愛着を「あまり感じない」「全くない」と答えた人たちの中では自身を「不幸」と感じる割合が高くなっています。またQ13には「土佐町の歴史や文化への理解度」を尋ねる質問があります。土佐町の歴史、特有の文化を理解し体験を深めていくことで、「他のどこでもない自分にとっての土佐町」への愛情も深まっていく。そしてそのことが土佐町に住む各個人の幸福度を高めていく。そういった循環が個々人の心の中に培われていくことは「幸せ」を考える上で大きなキーワードになるようです。

 

●「土佐町の一員」感

「自分は地域コミュニティの一員である」と実感できるということは、幸福度と深い関係があると言われています。Q24-a 「地元のコミュニティに所属していると感じるかどうか」という質問に対して、「とてもそう思う」と答えた方の幸福度は高い結果が出ています。

土佐町の住人の場合、「地域コミュニティ」という言葉で連想されるのはもしかしたら土佐町という範囲よりももう少し小さな地域、相川や石原や大渕や中島などの地域を思い浮かべる方が多いのかもしれませんが、コミュニティの大小に関わらず、「その一員である」という実感が持てるということは幸福感や安心感に直結することなのだと思います。

●幸せについての3番目の答え

 

「本当の幸福にたどり着くために重要なことはなんですか?」という質問がQ5です。これは自由記述で、重要と思うことを3つ書いてくださいという問いでした。

高知大学の廣瀬先生は、この3つのうち3番目の答えが本音が隠れたキーワードではないだろうかと注目したそうです。

この欄でも3番目の答えのみに絞って下にご紹介したいと思います。年代別に区切っていますので、人生経験や体力などの変化と共に、「幸せ」に対しての感じ方や考え方も変化していく様子が読み取れると思います。

何が正解で何が不正解ということはもちろんありませんので、「幸せとは何か?」ということを考えるひとつの材料として、ぜひ一度読んでみていただきたいと思います。

また1番目2番目を含む全回答は、この欄末尾のQRコードからダウンロードできる調査報告書に記載されています。こちらも合わせて読んでみてください。

 

 

●幸福度をものさしにする

アンケートの調査報告はここまで。最後にもう一度、幸福度調査アンケートを実施したその目的と意味について、繰り返しになりますが書きたいと思います。

全ては行動のため

以前にも書きました。このアンケート、町の皆さんにご協力いただいて、結果を集計して分析して終わりでしょうか?そのためのものでしょうか?

答えは明らかですね。これは全てそのあとに続く行動のためのものです。日々の行動、仕事の取り組み方、町としての動きに少しずつ変化を与える。

そしてその行動のひとつひとつに

なんのためにやっているのか?誰のためにやっているのか?

という視点を加えるためのもの。

土佐町が今後どのように生きていくのか?どのように生きていきたいのか?

今から始まる未来へのスタート地点に、一度立ち止まって根本をみんなで考えるためのもの。

だからこのZINE05号は、土佐町の何かをまとめたものではありません。

今後町が起こしていく行動に続く途中経過を伝えたくて作りました。読んでいただいた方の心の中の小さな窓に、微かなそよ風が吹いたとしたなら、作り手として嬉しく感じます。

この章は、最後にひとつ寓話を紹介して終えたいと思います。

旅人が、ある町を通りかかりました。 その町では、新しい教会が建設されているところであり、建設現場では、二人の石切り職人が働いていました。
その仕事に興味を持った旅人は、一人の石切り職人に聞きました。 あなたは、何をしているのですか。 その問いに対して、石切り職人は、不愉快そうな表情を浮かべ、ぶっきらぼうに答えました。
このいまいましい石を切るために、悪戦苦闘しているのさ。
そこで、旅人は、もう一人の石切り職人に、同じことを聞きました。すると、その石切り職人は、目を輝かせ、生き生きとした声で、こう答えたのです。
ええ、いま、私は、多くの人々の心の安らぎの場となる素晴らしい教会を造っているのです。
どのような仕事をしているか。 それが、我々の「働き甲斐」を定めるのではありません。その仕事の彼方に、何を見つめているか。それが、我々の「働き甲斐」を定めるのです。
ー田坂広志「日本企業の社会貢献 七つの心得」より引用
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私の一冊

古川佳代子

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「あな 」 谷川俊太郎,和田誠画 福音館書店

何かのためでなく、役に立つものでもないただの「あな」。

日曜日の朝、何もすることがないひろしはあなをほることにします。ただそれだけの絵本。 構図もシンプル。色数も最低限に抑えられ、文章も状況描写のみ。 ほとんど何も起こらない絵本なのに、何度読んでも飽きないお気に入りの絵本です。

ふっと肩から力を抜いて掘るのをやめて、あなの底に座り込むひろし。「ここはぼくのあなだ」。このシーンがとても好き。なんだかいいんだなぁ~。

読み終わった後、表紙絵をもう一度見てみてください。どこのシーンかわかりますか?

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土佐町のsanchikara

土佐町のsanchikara

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はじめに、、、

自分自身の自己紹介を。

私は今から5年前2014年の春、兵庫県より土佐町に移住しました。

前職はまったく農業と関連はありませんでしたが、新しい分野で仕事をしたかったのと、学生から社会人にかけて海外に居住していた事もあり、海外の方が感じる日本の食の評価や日本を離れたところから見た自国の食文化の素晴らしさを再認識し、帰国後は『日本の食』や『農』という分野に係る仕事がしたいなと考える様になりました。

しかしながら当時は農業といっても、小学校の理科の授業でトマトやさつま芋を栽培したことがあったかなかったかというぐらい農業とは無縁であり、農業を深く知る為に生産地に住んで学ぼうとなったのが移住のきっかけでした。

そこから約1年、全国の生産地を実際訪れながら、様々な県を見て回り、様々なご縁があり土佐町にやってきました。

移住してからは土佐町の農業生産団体でお世話になりながら、栽培の勉強や販売の勉強を3年ほどさせて頂き、現在は主に農産物を東京や大阪等都市圏に販売をする事、農産物を通しての土佐町のPRする仕事を主にしております。

 

土佐町の農業の強み

土佐町を含むれいほく地域は決して農業の大産地ではありません。

森林率も8割を超え、決して農業に適した場所とは言い難いと思います。

しかし土佐町を含むれいほく地域はぜんまいやわらび等、山を資源として栽培される山菜は西日本でもトップクラスの生産量があり、原木しいたけの様に山だからこそ栽培できるものもあります。

また標高の高さや寒暖差のある気候を生かして暑い夏秋に、高知県産の野菜として出荷できる事も高知県の農業の一端を担っています。

そもそも北海道や関東・関西の平野地を始めとする大生産地のみが農業で生き残り、土佐町の様な中山間地や規模の小さい産地が後継者不足や規模感の問題等、様々な要因で生産力が失われていっている現状に、非常に危機感を感じています。

日本食は四季と北海道から沖縄まで様々な気候で作られる作物の多様性により、バリエーションがあって世界的に見ても豊かな食文化で評価されており、大きい産地のみが残りそのバリエーションが失われていく事は日本の食にとっても失うものは非常に大きいと感じています。

土佐町の様な中山間地がどうやって今後の日本の農業分野でしっかりと立ち位置をつかみ、産地を継続、維持、発展していくという事は経済的にみれば小さい規模の事ですが日本の食文化にとっては大きい問題だと思っております。

私自身、農業に関わってたった6年やそこらでまだまだ知識も経験も不足しているとは思います。

ですがここにはずっと受け継がれてきた農業の文化がありそれをいろんな方から学びながら、受け継ぐこと、新しく取り組むこと、小さい産地には小さい産地としてできることをしていきたいと思い活動しております。

 

土佐町の農業の価値を伝えたい

めちゃくちゃ固いイントロダクションになってしまいましたが、簡単にいうと、土佐町の農家さん達はこの中山間地の環境でも丁寧に栽培をしており素晴らしいものを作っているからもっと知ってください、価値を知ってもらい食べて下さいという事です。

しっかりとした価値を届けて、しっかりとした価格で商品を買ってもらう事が農業を続けていく上でもっとも大切な事だからです。

たった6年といいましたが、たった6年の間でも多くの農家さんと出会い、色々な形で様々な人と関わらせて頂きました。そんな農家さんの人となりや想いを一人づつ紹介していけたらと思っています。

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私の一冊

西野内小代

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司馬遼太郎」で学ぶ日本史 磯田道史 NHK出版新書

司馬遼太郎さんは読んだ人間を動かし、次の時代に影響を及ぼすことのできる「歴史をつくる歴史家」の一人だそうです。非常に稀な存在だということです。

死を美化された戦争を経験し、不十分な装備で突撃させられた経験のある司馬さんが生涯のテーマとした事が、歴史小説・エッセイそして学校の教科書への文章の提供等の中に普遍的に説かれている。

戦国時代→昭和前期までの流れは必然であり、そういった空気感を歴史から学び再び過ちをおかさないという深いテーマを読み解いています。

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2020年5月18日、土佐町早明浦ダム最深部へ、土佐酒造の「桂月 相川譽 山廃純米酒58」が貯蔵されました。この計画は和田守也土佐町長が発案、ダムを管理する水資源機構、土佐町の酒蔵である土佐酒造の協力を得て実現しました。

1年間の貯蔵後、土佐町内の商店や道の駅などで販売し、ふるさと納税の返礼品にもなる予定です。

 

■ダム最深部、地下100メートル

この日、早明浦ダム堰堤にあるエレベーターを使い、土佐酒造とさめうら荘の職員の方たち、土佐町役場職員がダムの最深部へとお酒を運び入れました。

早明浦ダム堰堤から地下100メートルの最深部には、高さ約2.5メートル、幅2メートルのコンクリートの道が作られています。道はダムの水平方向へ1本、垂直方向へ3本あり、途中に階段や急な勾配もあって、まるで迷路のよう。アーチ型の天井からは水がポタポタと滴り落ち、床にはいくつもの大きな水たまりができています。年間の平均気温が12度前後に保たれているダムの内部は、湿気に満ち、肌寒いほど。お酒を運ぶ荷台の音や人の声が反響し、耳元でこだまします。

このコンクリートの道は監査廊と呼ばれ、ダムを点検するために作られたもの。コンクリート片を積み上げて作られたダムは、長期間に渡って水の影響を受けて変形したり、下から浮き上がる力が働くため、日々の点検が欠かせません。

ダム内部の最も深いところ、ちょうどダムの中央を走る監査廊の最奥にお酒は貯蔵されました。

水資源機構の江口貴弘さんは、「ダムを管理をするだけではなく、今回のようにダムでお酒を貯蔵するというかたちで地域に貢献できることはとても嬉しい」と話します。

 

 

■選ばれた純米酒

早明浦ダムへ貯蔵されたのは、1877(明治10)年に創業された土佐町の酒蔵・土佐酒造が作る「桂月 相川譽 山廃純米酒 58」。このお酒は土佐町の米どころである相川地区のお米100%で作られ、相川地区の農家さんを「譽め讃える」という意味で「相川譽」と名付けられています。「山廃」と呼ばれる昔ながらの製法で作られていて熟成に向いていること、土佐町のお米100%で作られていることが、今回貯蔵するお酒として選ばれた理由です。

「時が経つにつれて、お酒の味はどんどん角が取れて丸くなる。貯蔵されるのが1年でも、十分変化を楽しめると思う」

土佐酒造の30年来の職人である筒井浩史さんは話します。

「土佐町には清流吉野川の源流があり、環境もいい。棚田を代々大切にしてきた人たちがいるからこそお酒を作ることができる。大切に育てたお米がお酒になることを、農家さんが喜んでくれるのが嬉しい」

職人・筒井さんの視線の先には、お酒造りを支える人たちの姿があります。

 

四国の水がめと呼ばれる早明浦ダム。
土佐町が誇る酒蔵・土佐酒造。
この元で働く方たちの存在があるからこその、今回の取り組みです。

ダムへ貯蔵されたお酒は、どんな味に変化していくのでしょう。ダムの扉が開けられる1年後をどうぞお楽しみに!

 

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