峯石原、晩冬の星空。
撮影時間は1時間ほど。星は1時間でこのぐらいの距離を移動します。
4本見える破線は飛行機?または人工衛星?
何も動いていないようにも見える夜空も、実は様々なものが動いています。
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掲載開始日
図らずもTPP。あっちのTPPではありません。
土佐町在住の写真家、石川拓也がひと月に1枚のポストカードを作るプロジェクト。
2016年11月から始まり、たまに遅れたりもしながら、いちおう、今のところ、毎月1枚発表しています。
各ポストカードは土佐町役場の玄関と道の駅さめうらにて無料で配布しています。
「スマホ脳」 アンデシュ・ハンセン著, 久山葉子訳 新潮社
私達の脳は、原始時代の狩猟と採集をして暮らしていた時代と1万年変化していないにもかかわらず、最新の生活様式に脳は最適化されている。
現代社会と人間の歴史の「ミスマッチ」が重要な鍵となる。グーグル効果、デジタル性健忘→脳が自分で覚えようとしない現象。ブルーライトがメラトニンの分泌にブレーキをかける為に眠りにつきにくくなる。現代病といえる睡眠障害もスマホ脳のなせる業。
若い女性に多い自信喪失は、SNSにおいて他人と比較する事により引き起こされる場合が往々にしてある。
そして何よりも、スマホ等と向き合う時間の膨大さは人生の損失にしか過ぎない。
開発者達が、いかに自分の子供を スマホ ・ iPadの類から遠ざけているかも力説されています。
「このままではカメラマンとして死ぬと思うほど、撮ることへのモチベーションが 下がっていました。どうせなら、撮りたい物がある場所へ行ってみようと、縁があった土佐町に来ました」と話す石川拓也さん。現在、「とさちょうものがたり」編集長としてWEBマガジンや フリーペーパーで土佐町の情報を発信している。
千葉県出身の石川さんは、カメラマンとしてニューヨークで活動後、2002(平成14)年に帰国し、東京で数々の有名人などを撮影した経歴を持つ。しかし、芸能界という華やかな業界で働くうちに、本当に撮りたい物とのギャップを感じるように。今後を模 索する中で訪れた高知が 石川さんの心を動かした。
「東京とは真逆で、高知は自然と近く、撮りたい物の匂いがしました」。
土佐町役場が広報担当者を募集 していると聞き、すぐに手を挙げて移り住んだ。16 (同28)年から3年間、地域おこし協力隊を務め、今は嘱託職員として働く。
最初に取り組んだのは、 町のPR用のポストカードと動画制作だった。その撮影をしながら町内を巡る間に、撮ることへの自信は復活していたと話す。「自然の摂理の中で暮らす人の姿や、先祖の代から続いてきた地域文化が目の前にあって。それは撮りたいと思っていた“本質的な物”でした」と石川さん。
「とさちょうものがたり」 は、石川さんが考える“本質的な物”に焦点を当てる。自治体の広報メディアだが、観光情報などは載せていない。記事は、人のインタビューや郷土料理などの紹介から、町の暮らしの根本に触れられるような内容で、その読者は全国に広がる。「人がいるから町ができます。土地の歴史と、住人のストーリーを一人一人伝えることが町を伝えることだ考えているので、それを記録して伝えていきたい」
現在、編集スタッフの鳥山百合子さんと2人で活動する。広報メディアの運営の他に、障がいのある人と作るシルクプリントT シャツや、カレンダーの製作事業なども行う。コロナ禍で、なじみの事業者が苦労していると聞き、その商品をWEB上で販売する取り組みも始めた。出会った人との関係を大切にしているというように、事業のアイデアは、町の人と接する中で生まれている。
幅広く活動する石川さんだが、写真はやはり本人の中心。高知に来て揺るがないものが持てたそうだ。撮影では、日常を少し違った視点で切り取 ろうと意識を向ける。
「写真を撮ることは人を肯定する作業だと考えています。写真に写ることでポジティブになってもらいたいし、そんな写真を撮り続けたいです」
掲載された日から早速、土佐町の方をはじめ、多くの人から「記事、読んだよ〜」とお声がけいただきました。「K+」や高知新聞をはじめとする紙媒体の強さを感じます。
インタビューを通し、とさちょうものがたりの土台となる思いが届きますように。
「沈まぬ太陽(四)会長室篇・上 」 山崎豊子 新潮社
御巣鷹山の事故後、新会長についた国見は、二度とこのような事故を起こしてはならないと言う強い信念のもと、航空会社の改革を始めるが、次々と発覚する不正と乱脈、新旧労働組合の埋められない深い対立等、難題が立ちはだかる。
しかし国見は、会長として航空会社の「絶対安全」と言う目標を持って、現在の難局を乗り切ろうと切々と職員達に協力を求める。
そして、アフリカから本社へ戻されてもまた、十年以上閑職につかされていた恩地元を、会社再建と言う大きな目標達成に力を貸してもらいたいと、会長室の部長に抜擢する。
改革が少しでも前に進む事を願って「会長室篇・上」を読み終えた。
土佐町の隣には、離島を除き、日本一人口が少ない村があります。その村の名は大川村。
土佐町から大川村の中心部へは車で約30分。横にさめうらダムを見ながら、険しい山々の間を縫うように続く道の先に、大川村はあります。
村内に流れる四国三郎と呼ばれる吉野川のもと、村の人たちは山の斜面を切り開き、家や田畑を作って暮らしています。現在の村の人口は372人(2021年2月末)。人口は少なくとも、20~30代の若手議員が活躍、最近は子育て世代の移住者も増えているといいます。
その大川村の社会福祉協議会から、「大川村の民生委員さんが着るジャケットを作りたい」とご注文をいただきました。
初めての大川村からの注文です。
早速製作に入りました!
シルクスクリーンの印刷は、土佐町にある障がい者支援施設 「れいほくの里どんぐり」の石川寿光さんと川合希保さん。お二人は、もう3年ほど作業してくださっています。いつも丁寧なお二人の仕事があってこそ、とさちょうものがたりのシルクスクリーン事業が成り立っています。
大川村の社会福祉協議会の方のお話では、以前からとさちょうものがたり編集部が作ってきたポロシャツの存在を知っていて、いつか頼みたいと思ってくれていたそうです。
なんと!
とてもうれしい言葉でした。
土佐町の隣、大川村でこのジャケットを着る人たちがいると思うと、大川村へ向かう道のりの風景が一味も二味も違って見えます。
大川村の民生委員みなさま、ご注文ありがとうございます!楽しんで着てくださいますように。
「ボンバ! 手塚治虫ダーク・アンソロジー」 手塚治虫 立東舎
言わずと知れた漫画の神様・手塚治虫。「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」、「火の鳥」や「アドルフに告ぐ」など数え切れないほどの名作傑作を残しました。
上に挙げた名作群のように、いわゆるヒューマニスト的印象が強い手塚治虫ですが、「黒手塚」と呼ばれる闇の面があることもファンの間ではよく知られています。
その「黒手塚」が現れた時に描かれた作品は、ある意味非常にダークで鬱展開、子どもにはあんまり見せられないような(色々な意味で)エグい描写でグイグイ突っ走ります。
作品としては「奇子」「ばるぼら」「人間昆虫記」や「火の鳥」シリーズのいくつか(望郷編)など。「黒手塚」もまた非常に多作です。
人間の心の暗部・猟奇的だったり欲望まみれだったりのダークサイドを描くことにおいてもやはり手塚先生は天才的で、物語のひとつひとつが妖しく暗い魅惑的な光を放っているようです。
副題に「ダーク・アンソロジー」ともあるように、この「ボンバ!」はそんな「黒手塚」の短編が3つ収録されています。「ボンバ!」「時計仕掛けのりんご」「ガラスの城の記録」。マンガ史における貴重な資料ですね。
その中でも個人的には「ガラスの城の記録」が秀逸だと感じていますが、鬱展開というかトラウマ展開というか狂気というか。
「冷凍保存して生き続ける選択をした一族」がベースの設定なんですが、その理由が「利子が増えるから」。黒手塚の狂気を感じつつも非常におもしろい。
そしてその「冷凍保存」設定は「火の鳥 望郷編」に受け継がれ、「ガラスの城の記録」をはるかに凌駕する黒手塚の完成形として昇華されることになります。
今年もやって来ました、花粉の季節。
僕はどうやら杉花粉に対してアレルギーを持っているらしいので、シーズンが過ぎ去っていくのをジッと耐える日々となる。
花粉が飛べば、鼻はグズグズ、目は痒みで充血し、つい掻いてしまった瞼は腫れ上がる。とても人前に出られる人相では無くなってしまうが、マスクとメガネでどうにか誤魔化してる(と思ってる)。市販の薬は飲まないけれど、家族や友人お勧めの「花粉症に効く」と言われる食材や対処方法などを試してみては、一向に改善しない症状に諦めすら感じてる。
三度の飯より食べることが好きな僕だけど、症状が出ている間は、四六時中鼻が利かないから何を食べても同じに感じるし、味もよく分からないから、そのうち食欲も失せてしまう。
ある日、お腹が鳴るくらい空腹だと症状が和らぐことに気がついて、一日断食してみた。空腹が免疫力を上がることはよく聞くから、症状軽減に効果があるのかもしれなかった。しばらく続けてみようかと思うが、全く食べないと力が出ないし、手足に冷えが出て、これはこれで困ったことになるので、身体が「なんか食べたい」と知らせるタイミングで少しずつ食事を取ることにした。
せっかくなので、どんな食材や飲み物が影響するのか、ひとつひとつ調べてみる。
小さな塩玄米おにぎりを口に放り込み、よく噛んで食べてみる。大丈夫。お茶や味噌汁もオッケー。生野菜自家製漬物、症状悪化せず。油もの、粉物は一口二口ならいけそう。お酒はNG。けど大好きな珈琲が問題ないのはラッキー。そんな風にして自らの人体実験を楽しむことにした。友人宅でうっかり炒め物をお腹いっぱい食べたら、数分後に症状が再発。目の痒みに悶えながらも、なるほどと納得していた。僕にとって免疫の落ちる食べ物は、花粉の季節以外でも何らかの影響があるはずだ。覚えておくと、今後役に立つかもしれない。
意識して少食をはじめてみると、全く食べない方が楽だと気づく。食べ出すと「もっとくれ!」と叫ぶ身体をたしなめながら、箸を置くのはなかなか辛い。欲に任せて食べ過ぎるとこれまた体調の悪化を招くのだった。
さて、色々試してみた結果、「咀嚼」「粗食」「腹四分目くらい」が症状を悪化させないことが分かってきた。何かを摂取するという足し算ではなく、「摂るものを減らす」という引き算的方法は、僕に合っているようだ。
困ったのはスマホやPCのスクリーンを長時間見れないのと熱いお風呂に入れないこと。目が充血したり、血行が良くなると、痒みが増してしまう。
一年で一番辛い季節ではあるけれど、こと食べることに関して身体と向き合い、養生する良い期間だと思うようにしてどうにか乗り越えている。
写真:五人兄弟の中でも、体質は一人ひとり違うみたいだ。次男は落花生と甲殻類に反応するようで、食べ過ぎると肌が乾燥し、身体の痒みを訴えたり、耳の後ろが切れたりする。僕は幼いころ慢性鼻炎と診断されたことがあるので、他の子にも多少なりともあるかもしれない。
「建築探偵 東奔西走」 藤森照信文, 増田彰久写真 朝日文庫
日本国内の美しい、あるいはなんじゃこれ?と言いたくなるユニークな建物を紹介してくれる本書。物言わぬ建物に代わって雄弁に語る藤森氏の歯切れのよい文章と、建物がいちばん美しく見えるよう細心の注意を払って丁寧に撮られた増田氏の写真。そのどれもが素晴らしく、すぐにでも出かけて行きたくなります。こんな建築物が身近にあるって楽しいだろうなと思っていたら、記憶の底からよみがえってくる建物がありました。
通称“灘のお化け屋敷”。宇津野トンネルを海側に抜けてすぐ左手。うっそうと樹の生い茂った坂道を登ったところに立つくすんだピンクの朽ちかけた二階建て。スペードやハートの形をしている、なにやらあやしい雰囲気の洋館に住んでいたのは一体どこの誰だったのでしょう?
今頃になってとっても気になります…。
土佐町には「和田」という名の地区がある。標高500~600メートル。さめうらダムの近く、山がちで、和田の人たちは急な斜面に田畑を作って暮らしている。山道に沿って薪が蓄えられ、菜の花や水仙が咲く。そういった道端の風景は、深い山の中にも人の営みがあることを教えてくれる。
和田地区に、美味しいこんにゃくを作る人がいる。その人は和田潔子さん。潔子さんの作るこんにゃくは、そのまま薄く切って刺身にしたり、煮物にしても味がよくしみるので、わざわざ家まで買いに来る人もいるそうだ。
潔子さんのこんにゃく作りは、毎年11月から3月ごろまで。秋の取り入れが終わってから作り始め、ゼンマイやいたどりなど山菜の仕事が始まる前に終える。潔子さんは先代のおしゅうとめさんから作り方を習い、10年以上こんにゃくを作り続けている。
これがこんにゃくの材料、こんにゃく芋。芋の収穫は10月。収穫したあと、2週間から20日ほど日に干すと水分が抜けて、しびにくくなる(腐りにくくなる)。
こんにゃく芋を釜に入れ、丸ごと3時間以上煮て、皮を剥ぐ。
「そのままだと痛い(熱い)け、水につけて剥ぐんよ」
手のひらにも指先にも、さつまいもを蒸したようなこんにゃくの香りが残る。
とろとろのこんにゃく芋を固まらせる役割を担うのは、この茶色の液体、灰汁。燃えた木の灰を水とまぜ、布で濾したもの。潔子さんのこんにゃくには灰汁も加える。浅木(広葉樹の雑木)である樫の木を燃やした灰で作っているそうだ。
「樫の木だと、ええ灰がとれる」
同じ灰でも樫の灰は重く、杉やヒノキの灰は軽い。杉やヒノキの灰汁でこんにゃくを作っても上手く固まらないという。
なんという不思議、自然の神秘。
「こんにゃくは火をたくさん焚くから、木がいくらあっても足りんよ」
こんにゃくを茹でるお湯を沸かすため、大釜の下にある焚口からせっせと薪をくべる。
木はいつも自分の暮らす山にある。こんにゃく作りは、そこに山があるから成り立っている。
灰汁を混ぜると、たちまちこんにゃくの香りが辺りに広がった。灰汁だけだと足りないので炭酸ナトリウムも加え、手で大きくぐるぐると混ぜると、すぐに固まってくる。
「この時が一番大変」と潔子さん。
固まったこんにゃくを隙間なく掬い取るようにお椀に入れ、手に取り、丸める。
傍らで、釜の湯がふつふついう音が聞こえる。薪がパチパチとはぜる。お湯がぽんぽん沸き出したら、こんにゃくを入れていく。
湯に入れる前、ひとつずつ手のひらの中で丁寧にかたちを整える潔子さん。まるで話をしながら、「いってらっしゃい」と送り出しているかのよう。丸めながら茹でていくので、後から茹でるものと時間差ができてしまう。そのため、先に茹で始めた方は一旦もろぶたにあげておく。
「こんにゃく同士が肩寄せ合って、煮えますよ」
潔子さんはそう言いながら、大きな木のしゃもじで釜の中をそっと回す。こんにゃくを茹でるのはだいたい30分ほど。
もういい頃合いだという時、「こんにゃくが音を鳴らす」という。
「ほら、音がする」
潔子さんからしゃもじを受け取り、こんにゃくを回すと、釜底から低く唸るような気配が。それは、台風の日に雨戸を閉め切った家の中で聞く、もうすぐ過ぎ去るだろう外を吹き荒れる風の音に似ていた。
茹で上がったこんにゃくをもろぶたへあげる。木製のもろぶたは、こんにゃくの水分をちょうどよく逃がしてくれる。掬い上げる網は、おばあちゃんの手作り。
潔子さんは出来立てのこんにゃくを手でちぎり、ニンニクを漬け込んだ味醂醤油をつけて食べさせてくれた。その美味しさは、もう、のけぞるほど!もうひとつ、もうひとつ、と手を伸ばすうち、いくつもあったこんにゃくを私はすっかり平らげてしまった。
「これは作っている人じゃないと食べれん。作ってる人の醍醐味!」と潔子さん。
この状態でゆっくりと冷まし、次の日に産直市に持っていって販売するそうだ。
もし、対岸の山から潔子さんの家を見たら、火を焚く煙が日々たなびくのがわかるだろうか。
山の道々の田んぼや畑、誰かが植えただろう並ぶ広葉樹。濡れないようトタンで屋根をし、丁寧に積み上げられた薪。そして火を焚く煙は、そこに人の暮らしがあるという証。山の人たちは、身の回りのものを工夫して使い、自らの暮らしを切り拓いてきたのだ。
潔子さんは、お土産に出来立てのこんにゃくを持たせてくれた。袋に入れられたこんにゃくはずっしりと重く、ほかほかと温かかった。