田井で時計店を営む今西さん。長年数多くの時計とともに時間を刻んできた跡が、お店の風貌から伺うことができます。
今西時計店の前はバス停。
町中から帰宅されるためにバスを待つ方々が、今西時計店の前でつかの間過ごします。その後ろ姿を長い間見てきたであろう今西さん。
そのバス停に、「土佐町ベンチプロジェクト」のベンチを置かせていただいたご縁が撮らせてくれた一枚です。
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土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)
注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。
“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。
念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。
土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。 (敬称略・撮れたときに不定期更新)
「つなみ」 ジョイデブ & モエナ・チットロコル 三輪舎
日本人にはなかなかない、この絵のセンスと色使い。発行は三輪舎という日本の出版社ですが、大元のオリジナルはタラブックスというインドの出版社が作ったもの。
タラブックスは、インドの少数部族の画家さんたちと共にこうした絵本を数多く生み出している出版社です。
この一冊に限らず、タラブックスの本の多くはシルクスクリーンで印刷されたもの。
とさちょうものがたり編集部にとっても、シルクスクリーンに携わる者として、タラブックスは憧れと尊敬の会社です。
ただ素晴らしい本を作っているというだけではなく、作る過程、ビジネスとして成立させる過程が素晴らしい。
絵を描く少数部族のアーティストに対する深い尊敬と愛情を感じますし、印刷を担当する職人さんたちをとても大切に考えていることも伝わります。
一言で言えば、「良い絵本を作ってビジネスにする」というのはタラブックスにとっては表面的な目的で、もっと深いところには「みんなをハッピーにする」という大きな目的があることなのでしょう。
そのブレなさ、かっこいいです。気になった方はぜひ調べてみてください。
「新しい時代のお金の教科書」 山口揚平 ちくまプリマー新書
「そして将来お金はなくなる?!」
本質的な意味で「お金とはなんなのか?」を探る本。個人的には非常に勉強になったし、とてもおもしろかった一冊です。
お金とはなんなのか?
この疑問は「仕事とはなんなのか?」「社会とはなんなのか?」はたまた「人間とはなんなのか?」といった根源的な問いと同質のものですよね。
特に近現代の人間は、お金のために自分の人生から大部分の時間を割いて仕事にあてていると言っても間違いではないと思います。
ではその人生を費やして得る「お金」とは一体なんなのか?
実はその答えを明確に持っている人は意外と少ないのではないでしょうか?
この本はその問いに正面から取り組み、そしてお金という存在が今後どのように変化していくのか予想しています。
詳しくは本書を読んでみてほしいのですが、ひとつ印象に残った部分を挙げるとすれば、2枚目の写真に撮った「物語とつながりが切れる」という一文。
資本主義の限界、もしくは問題として巷間多く取り上げられるのは「格差の拡大」ですが、筆者はそれよりも大きな問題なのは「物語の毀損」であると言います。
本来、モノとはその所有者との間に物語を有している。例えば「おばあちゃんが昔着ていた着物」などというモノは、その所有者である人(この場合はお孫さんかな?)の視点で見れば他とかけがえのない一点モノであるわけですが、資本主義というものはその所有者が持つ物語をザクザクと切り裂いて貨幣価値に換算していく。
「おばあちゃんの形見」という物語は毀損され、「この着物は○○円だから価値がある」とか逆に「○○円だから価値がない」といった価値判断がなされる。
人間にとって、そういった個人の物語というのはとても重要な位置を占めるはずなのに、資本主義はそれをまるでブルドーザーかのように貨幣価値というものさしで真っ平らにしていく。
これが資本主義の1番の問題である、ということを著者である山口揚平さんは述べていて、そしてそれを読んだ僕は心からの同意をしたのでした。
資本主義の限界が盛んに取り沙汰され、次代の世の中の仕組みを多くの人が模索している昨今、貨幣価値にやられちゃいそうになっている「人間の物語」を人間の手に再び取り戻す、そんな視点から未来の世の中を想像してみるというのもおもしろい。そう思います。
先日ご紹介した7人の職人さんにはベンチを40個製作していただいたのですが、その大元となるモデルをひとつ作ってもらったのが左端の川田康富さん。
そのモデルとして完成したひとつが、この写真でご家族が腰かけているベンチです。
2018年の夏あたりからこのベンチのプロジェクトはスタートし、康富さんがモデルを完成したのが2019年3月。
そして2019年12月に前述の7人の職人さんが40個を製作、2020年1月現在は町のあちこちに設置中という段階です。
そのベンチにご家族4人で座って撮影させていただきました。
そういえば数年前に、佳宗くんと真靖くんの兄弟には、ポストカードの撮影で稲叢山に一緒に行ってもらったこともありました。
池添篤 大石淳一 山中晴介 小笠原啓介 筒井浩司 澤田明久 森岡拓実(敬称略)
土佐町の木工職人さん・大工さん・内装屋さんの7人に集まってもらって撮影した一枚です。
この7人のチームに、とさちょうものがたりからあるものの製作を依頼させてもらいました。
それが前列の4人が座っている木製のベンチ。これを40個作っていただきました。
嶺北産の木材(杉とヒノキ)を使い、土佐町の職人さんたちが作ったこのベンチは、これから土佐町のあちこち40箇所に設置されます。詳細はまた別の記事にてご報告しますが、木の温もりが伝わる土佐町ベンチ、町内で見つけたらぜひ座ってみてくださいね。
職人さんたちの紹介というよりかはベンチの話になってしまいましたが、そのベンチ40個を作ってくれたのがこの写真の7人です。
「ミニミニマップ 世界」 監修・野村正七 昭文社
以前、ミシュランの東アフリカ地図を紹介したことがありました。
今回の「世界」は、その当時の同じ旅に、日本出発時からずっと肌身離さず持っていたものです。
ポケットに入る大きさなので、途中で重く感じることもなく、僕と共に世界を周り、今では自宅の本棚に収まっています。
世界地図なので当然ですが、町歩きなどで役立つものではなく、世界の位置関係を大掴みに理解するためのもの。
例えばインド滞在中に、この後はパキスタン方面か東アフリカ方面どっちに行こうかな?なんて考えてる最中にパラパラとめくってみたり。
例えば西アフリカを南下中に、どこまで行ったら引き返そう?モーリタニア?セネガル?とか考えながら眺めていたり、そんな見方をしていました。*実際にはガンビアまで南下した後Uターンしてモロッコまで戻りました。
現実では身体で地球の大きさを実感しながら、頭でそれが世界全体のどの位置なのかを理解する、そのためにずっと僕のボロボロの服装のポケットの中に入って一緒に旅をした地図です。
稲叢山方面に行った帰り道、不意に出くわして思わずシャッターを押した風景です。
時間は朝8時過ぎ。青空、白い雲、一見すると夏のように見えるかもしれませんが、これは冬の訪れを知らせるさめうら湖面の写真です。
雲海のように低い位置に立ち込める雲、湖面を湯気のように移動する霧。これは冬の土佐町で見られる光景です。
この日は、撮影するぞ!と外出したわけではなく、山からの帰り道、市内での打合せに向かう途中で図らずも遭遇した風景です。たまたまの出会いなんですが、自然からの贈り物として僕の心に刻まれました。
そしてこういったたまたまの贈り物が珍しいものではなく、実は一年を通して何度も頂いてしまえるということは、土佐町のような場所に住む者の幸せだなぁと思っています。
「本の未来を探す旅 台北」 内沼晋太郎, 綾女欣伸 編著 朝日出版社
夏の終わり頃に台北に行ってきました。
台湾の人は親日でフレンドリー、ご飯がおいしい、夜市が楽しい、などなどいろいろ事前に耳にしていた事柄が、まさにその通り!な旅になりました。
もうひとつ楽しかったのは、独立経営の小さな本屋さんが数多くあって、しかもそのどれもが独特な生き生きとしたエネルギーを放っていたこと。
そのことを台湾の親戚に話したところ、これ持ってってと手渡されたのがこの本です。
日本語の本なのですが、まさか台湾の人にもらうとは。。。
内容はそういった独立系書店の現在を紹介しながら、タイトル通り「本の未来を探す旅」。
本屋さんを紹介しているので「本の未来」ですが、これはそのまま「文化」や「アイデンティティ」に置き換えてもよさそうです。なぜなら、本というのは文化そのものでもあり、本屋さんは本の売り場という役割はもちろんのこと、文化の発信地としての役割も(特にこれからの本屋さんの在り方としては)担っているのですから。
おもしろい本屋さんがたくさん登場してきますが全部を紹介するわけにもいかないので、2枚目の写真に撮った「田園城市」だけ書きます。
ここは書店であり編集プロダクションであり、出版社でもあってギャラリーでもあるという会社です。「最初から最後まで自分たちでやる」というこの姿勢には直感的に正しさと美しさを感じます。もちろん口で言うほど簡単にできることではないということもわかりつつですが。
近いのは、農家さんが生産者であり、加工もやって販売もしてレストランもやる、というようなスタンスでしょうか。
食と違い、文化に関しては地産地消に似た価値観はあまり聞きませんが、でも実は自分たちの文化を自分たちで作る、その出発点から最終ゴールまでを自分たちで全て(もしくはできる限り)賄うという姿勢はとても大切な気がしています。
仕事のひとつひとつが細分化専門化して全体が見えずらくなっているこの時代では特に、この田園城市のスタンスは光を放つのではないでしょうか。
台湾に滞在中に感じる自由さ肩の軽さというのは、もしかしたらこういう「やりたかったらやってしまえ」とでも言うような人々の姿勢に理由があるのかもしれません。