石川拓也

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

石川拓也

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「BHUTAN A SKETCH BOOK」Doug Patterson Tarayana Foundation

 

今年2月、ブータンにGNH(国民総幸福度)の勉強をしに行ったときに見つけた本です。

発行元のTarayana Foundation(タラヤナ・ファウンデーション)というのはブータン最大の社会事業組織 (NGO?)です。視察に行き話も伺ったのですが、実に様々な分野での事業を、驚くほどの少人数で行っています。

ブータンの各地方にプロジェクト・マネージャーを置き、現場で必要としている施策を、主に外国のファンドの資金により実現していく。

例えば、昨年度は地方の貧困地帯に500軒の家を建てるプロジェクト。ぼくが訪れた際はそのプロジェクトのレポート時期にあたり、一年やった結果、どういう資金の使い方をしたのか出資先に報告するということでした。そしてその結果を出資先が良しとすれば、また来年度も500軒建てることになります、と担当者が説明してくれました。

他にも教育、医療、ラジオの普及(情報格差の解消)などなど活動は多岐に渡ります。

この本は、タラヤナ・ファウンデーションと同じビルにあるタラヤナ・ショップで販売されていたもの。

タラヤナ・ショップもタラヤナ・ファウンデーションの活動の一環で、ブータンならではの素材を使った雑貨などを販売しています。

その素材はすべて、ブータンの地方で農村の人々が作ったものだそうで、その収益が彼らの収入になるという仕組みです。

本の内容に話を戻すと、ダグ・パターソンはロンドン育ちの画家。世界の様々な場所を旅し、独特のタッチで風景や人物を描いています。

その生き方と絵のタッチが、単純に好きやなぁと思います。

 

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土佐町のものさし

【番外編】ブータン・GNHレポート No.2

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 土佐町の新しい指針を作る過程を追う「土佐町のものさし」、今回は【番外編】として、GNHの産みの親であるブータンのGNHの現状を、とさちょうものがたり編集長である石川がレポートします。

 

2.  ブータンの峠

 

幸福度やGNHの固い話を少し離れて、ブータンの旅の話をしたいと思います。

今回、ブータンの東西を縦断するような形で旅をしました。国際空港のある町・パロを始点に、首都ティンプーを通り東端のシュラブッチェ大学まで行く旅です。

 

 

 ブータンの面積は九州と同じくらい。でも‥‥

 

地図で見ると、ブータンってそんなに大きくない。面積を調べると九州と同じくらい。

でも‥でも‥ブータンって高低差がハンパない。西側から東側へたどり着くまでに、3000m級の峠をいくつも超えることになります。

そのうちのもっとも高いトゥムシンラ峠(Thrumshing La)は標高3,700m。ちょうど富士山と同じ高度を車で越えていくわけです。

トゥムシンラ 空気が薄い…

 

 

こういう峠をいくつも越えてブータン西部から東部へ行ったわけです。

例えれば石原から黒丸への山道を、高低差3倍ぐらいにしたような濃度で越えていきます。根曳峠がかわいく見えてきます。

当然、九州を横断するより時間もかかる。
西から東へ、だいたい2,3日かけて行くのが一般的なようです。

トンサという町のマンディチュ・ダム

高度の高い峠や山道を通っている時は、川や谷がはるか彼方の下方に見えます。

こうして峠と谷をいくつも越えて西の玄関であるパロから、東の目的地であるシュラブッチェ大学(Sherubtse College)のあるタシガン(Trashigang)まで、途中で宿泊しながらの往復をしました。

短時間での高度差と温度差、空気の薄さと乾燥、体にはなかなかこたえる旅程。

ただこうやって地べたを走ることで、地図で見ても決して感じることのできないブータンの壮大さを身をもって感じることができたと思います。

裏を返せば、それは人間という存在の小ささ、脆さ、たくましさ。

地球という惑星の表面にできた壮大な突起物の、ほんの一端にしがみついて綿々と暮らしを続けてきたという事実を身をもって感じた気がします。

 

もみの木の山。これを通称ブラック・マウンテンと呼ぶのだそう。

世界の車窓から

谷はこんな感じ

この橋は日本の協力のもと架けられたそう

橋の袂にはこんな碑が掲げてありました。

これは日本とブータンとの友好と協力の証。

ブータンの山奥の小さな川に小さな橋を架けることは、地球という単位から見ると本当に取るに足らないことかも知れません。

でもこうして両国の先人たちが小さな行動を積み重ねて、世界が少しずつ良くなってきたことを実感します。

自分とか自国のみが裕福になることを目指すのではなく、足りないところに足りないものを少しずつ補っていく。

そういう行動が積み重なった上に現在の世界が成り立っているのだと思います。

実際に、現在の地球上で極度の貧困にある人間の数は徐々に減少傾向にあるということです。(国連のデータによる)

例えば中央アフリカの諸国は、貧しいイメージがあり実際に貧しいところも多いのですが、それでも過去に比べて状況は飛躍的に改善している。(現時点で、良い状態であると言っているワケではなく、過去よりは良くなってきているという意味です。)

そしてそういった改善は、上の写真の碑に見られるような、大きなニュースになることもない小さな行動の積み重ねによるものだと思います。

自分自身がしてきた、もしくはこれからするであろう小さな仕事のひとつひとつも、そういう「少しだけでも世界を良くする」仕事でありたいと、でこぼこの山道に揺られながら、高地の薄い空気のぼーっとした頭で考えたのでした。

 

 

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私の一冊

石川拓也

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「ホモ・デウス」 ユヴァル・ノア・ハラリ 河出書房新社

 

イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリが書いた「これから先、人類はどうなっていくのか?」という未来予想図。ある国の未来とか経済の未来、ということではなく、「種としての人類」の行く末を論じた本。

「ホモ・デウス」という語はホモ・サピエンスの次に位置するであろう神性を帯びた存在としての人類、という意味です。

キリスト教的な意味での神性ではなく、ヒンズー教の神のように生々しく人間臭い、それでいて「不死=神性」を手に入れた者。それが今後科学が発展していく中で、遅かれ早かれ人類が求めていくものであろうということです。

この本の巻頭には献辞として、「S・N・ゴエンカに捧げる」と記されています。
あ!なるほど!と思ったのですが、S・N・ゴエンカさんはヴィパッサナー瞑想の創始者の名で、「人間の感情や感覚の全ては電気信号である。」という考察を基にしています。
そしてこのことが、実は色濃くこの本の内容に影響を与えているということは、発見の喜びでもありました。

 

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土佐町ポストカードプロジェクト

2019 Feb.

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峯石原 | 田中愛莞、嵩人

 

田中愛莞ちゃんと嵩人くんの姉弟2人と「撮影に行こう!」と車を走らせたが、場所は決めていなかった。

なんとなく石原から黒丸へ上がる道に入り、峯石原に差し掛かったぐらいに、冬の雲と太陽がとても豊かな表情をしていることに、車窓から見て気がついた。

すぐ車を停めて、二人と撮影。

そういえばここは絵描きの下田さんとも車を停めしばし雲の動きに見入った、同じ場所。

雲はどんどん動き続けて、5分後にはこの光景。

山だからこそ見れるこの風景が、小さい二人の心の引き出しに仕舞われて、またいつか引き出しが開けられる時がくる。そうだといいな、と思う。

 

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4001プロジェクト

桂月の作り手たち

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土佐町が誇る銘酒・桂月。 今年の仕込みも佳境に入った2月下旬に、日本酒の製造現場にお邪魔して撮影しました。

約1日半、工程の様々な現場を、詳しい解説とともにじっくりと見せていただきました。(お仕事の邪魔になってないことを祈ります!)

とにかくみなさん並並ならぬ思いを持ってお酒造りに挑んでいること、そのために徹底してお米や気温や湿度などの様子を伺いながら毎日過ごしていること、その仕事に向き合う姿勢はカッコイイ!のひと言です。

日本酒、奥が深すぎて僕が迂闊に語ることはできませんが、「桂月」はこの作り手たちが真剣かつ楽しそうに作っています。
敬称略・左から 三谷潤平 橋本信与 佐竹正行 Brock Bennett  筒井浩史 中山淳 三瓶駿

 

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私の一冊

石川拓也

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「マイ仏教」 みうらじゅん 新潮新書

 

みうらじゅんさんは天才だと思っています。

なんというか、一貫してすっとぼけた(ように見える)言動ですが、そこに実はとても深い洞察がある。

現実のネガティブな面を、言い方や捉え方でポジティブなものに変えていく力がこの人の言葉には備わっている。

以前、いちど写真の撮影でお会いしたことがあるのですが、その時は

「人間誰もが年を取ってくると、尿漏れとか深刻に悩んだりするけども、それ例えば『スーパー尿漏れ』とか名付けたらちょっとポジティブじゃない?」

ってことを延々と力説されていました。単純におもしろかった。

みうらじゅんさんとか笑福亭鶴瓶師匠とか、そういった力を持った方はたまにいらっしゃいますよね。

昔はお坊さんとかがそういう役割を担っていたのかなと思います。

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土佐町のものさし

【番外編】ブータン・GNHレポート No.0

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 土佐町の新しい指針を作る過程を追う「土佐町のものさし」、今回は【番外編】として、GNHの産みの親であるブータンのGNHの現状を、とさちょうものがたり編集長である石川がレポートします。

 

ドゥルク・エアー バンコク発パロ行きKB153便の畿内から。雲よりも高くヒマラヤがそびえる。

 

 

 GNHの産みの親・ブータンってどんな国?

ブータンに行ってきました。

この連載でも度々お伝えしてきましたが、GNH(Gross Nasional Happiness = 国民総幸福度)の産みの親、それがブータンという国です。

もう少し詳しく説明すると、GNHが産声をあげたのは、時は1972年、所はインドのボンベイ空港。

当時の第4代国王が、ある国際会議の帰り道、ファイナンシャル・タイムズの英国人記者のインタビューを受けた際に、初めてGNHという言葉を公に使用したと伝えられています。

「GNHはGNPよりも重要である 国王は記者に対してそう言いました。

それは、貧しく小さいブータンという国の国王に対して、多少バカにした態度で接してきた記者に対する反骨心の表れでもあったといわれています。

ブータンなめんなよ!という気持ちが、「GNPで計る豊かさよりも大事なものがブータンにはあります」という言葉になって出たのでしょう。

それ以来、ブータンはGNPによる物質的な豊かさの比較の中で競争するよりも、「幸福度」という尺度による国づくりを行おうとしています。

※ ”Gross National Happiness is more important than Gross National Product.” –  by the king of Bhutan, Jigme Singye Wangchuck,

山肌を縫うように細い道が通る。

山がち。というか山ばかりっ!

 

 大きさは九州ぐらい。人口は山梨県ぐらい。

ブータンの国土は38,390㎢で、九州(36,750㎢)とほぼ同じ。2018年の人口は801,256人。これは山梨県と近い人数です。

ちなみに以下のグラフはブータンの世代別人口分布図。日本と比べると20代、30代の人口が突出しているのがわかると思います。

上:ブータンの世代別人口分布図

こちらが日本。 団塊の世代と団塊ジュニアが突出しています。

 

 

 能書きはこれぐらいにして。

話を前に進めましょう。「ぼくが見たGNHの現場ーブータン編」です!

2019年2月20日〜3月7日の日程で、京都大学ILASセミナー「ブータンの農村に学ぶ発展のあり方」のチームに混ぜていただきました。教職員スタッフ4名、学部生院生8名、僕を合わせて計13名。

リーダーである安藤和雄先生京都大学東南アジア地域研究研究所でブータンやバングラデシュ、ミャンマーなどで熱帯農学、農村生態を研究されている方。東南アジア研究におけるエキスパート。

もう一人のリーダーである坂本龍太先生はやはり東南アジア地域研究所にてフィールド医学を専門に研究されています。土佐町の方で「あ!」と思った方は多いかもしれません。そう、坂本先生はフィールド医学の関係で、土佐町にも度々来られています。

 

パロ空港へ到着時の一枚

 

1.  GNHコミッション

 

さあ、ここからはGNH関連の人物や取り組みなどを中心に紹介していきます。

順不同で、独断と偏見により石川が紹介したい順に書いていきます。

まずはGNHコミッション(GNHC)

これがティンプーの中心にほど近い、GNHコミッションの建物。

いきなりGNHの総本山のようなところに来てしまいました。

GNHコミッション」はブータン政府の政策が、GNHに基づいた策定がなされているかというチェック機能を持った国権の最高機関です。

GNHの哲学に則した、ブータン全国民にとっての「幸福度の促進」を目指す公的な機関です。

The Gross National Happiness Commission is the highest government body mandated to formulate and monitor policies. It is “an Institution that promotes an enabling environment for all Bhutanese to be happy and steer national development towards promotion of happiness for all Bhutanese guided by the philosophy of GNH. - Center of GNH

 

話はこれから‥‥というちょっと中途半端なところですが、長くなったので今回はこれまで。次回に続きます!

 

パロで道を教えてくれた少年。どことなく郷愁を感じます。

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私の一冊

石川拓也

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MAGNUM LANDSCAPE」Ian Jeffrey Phaidon Press

敢えて説明するのも気が引けますが、”MAGNUM”は1947年から続く国際的な写真家グループです。

創設したのは報道写真家のロバート・キャパ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ジョージ・ロジャー、デヴィッド・シーモアの4人。(現在は50人が所属)

メディアや印刷技術の発達と共に、彼らの写真は新聞や雑誌に載って世界中を飛び回り、「いま世界で何が起こっているのか」という理解を人々が深めるための一助になりました。

この写真集はそのマグナムの写真家が撮影した珠玉の「風景写真」を収めたもの。ニュースではないもの、と言い換えてもいいかもしれません。

どれもが世界の美しい瞬間を切り取った美しい写真なのですが、ふと「ぼくたちはこういう写真を通して『世界はこういうもの』という理解を掴んでいるのかもしれない」とも感じます。

何が言いたいかというと、そうやって作られたイメージは「世界のように見える何か」であって世界そのものではない、ということ。

現実に対峙して世界を把握することが、写真が氾濫する現代では大切な気がします。

 

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土佐町のものさし

⑤ 言ってるだけやとあかんよね

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この連載「土佐町のものさし」は、現在進行形の旅の記録。
時代とともに変化していく世界の価値観(=ものさし)の大きな流れの中で、土佐町の人々が、土佐町のためにこれから作っていく「土佐町のものさし」を探し求めて歩く旅の記録です。

 

幸福度による町政を進めていく土佐町の幸福度調査アンケート、現在は骨格がほぼできあがった段階です。

これから役場の職員によるさらなる検討、そしてその後に町の住民の方々による検討会と進んでいきます。

幸福度とひと言で言ってみても、それはとても曖昧で主観的なもの。

「幸せの国」「幸せの町」と言葉で言うのは簡単なことですが、どうしてもイメージ先行の言葉の上すべり感は否めない。

それを町政の中心に据えるには、「幸福度」という言葉がとても主観的で抽象的だからこそ、かっちり現実的な考え方や行動に結びついている必要があると思います。

 

言ってるだけやとあかんよね。

どんな仕事にも言えることだと思いますが、特に幸福度・GNHという価値観の転換については特にそう思います。

題材自体が、ふと油断すると机の上の頭でっかちな議論になりがちなものなので、ふと気がつくと集まった人の多くが頭でっかち星人になっているという事態も多々あります。

頭からモノを言うのではなく、体から出る言葉を大切にして進めていく必要があると思うのです。

今回の記事では、幸福度調査アンケートをする意味について、もう一度しつこく書いてみたいと思います。

これは役場職員がアンケートの内容を練っていく過程で、ひとつづつ理解して獲得した「意味」でもあります。

 

 土佐町の住人が、土佐町の暮らしや環境、文化の価値を知る。

ある町の良さや価値は、ヨソモノの方が客観的に評価できるのではないか、とよく言われます。

土佐町で生まれ育った方々が、土佐町にすでにあるモノやコトや環境を、「そうであるのが当たり前」と受け止めていることはないでしょうか?

例えば土佐町の多くの人が持っている周囲の人々との強いつながり。大きな家族、と言ってもいいかもしれないぐらい強いコミュニティやご近所付き合いは、日本のどこにでもあるものではないと思います。

そのつながりが逆にしんどいことももちろんあると思いますが、それもわかった上で、その価値をいちどみんなでちゃんと議論して、それから町の方向を決めませんか?という提案がこのアンケートでもあるのです。

なぜなら、このようなコミュニティの強さは、一度壊れたらもう元には戻らないのですから。

なにかを変えるにしろ変えない努力をするにせよ、その価値をいちどみんなで共有してからにしませんか?

 

 土佐町が大事にしたいことを内外に宣言する

その上で、土佐町が大事にしていきたいこと、これからも守っていきたいこと、逆にどんどん変えていきたいことなどなどを明確に宣言する。

この辺りは、具体的な施策というよりはもう少し抽象的な言葉になるはずです。

大事なことは、経済(=お金)はそのうちの一部であって、決して全てではないということ。

何よりも上位にある目的は「町の住民がより幸せになること」であって、経済はそのための手段であるということ。

人が生きていく上でお金が大事なのは当たり前ですが、大きな経済のために不幸を生み出すようなことはあってはならないということ。

 

 

 土佐町の向かうべき方向を明確にする

土佐町の人々はどこからどのような道を歩んできてこの現在にいるのか? それを踏まえ、共有したうえで、これから行く方向を考える。

いくら良いエンジンを積んだ車に乗っていたとしても、進む方向が定まっていないとどこにも到着しないですよね。

「土佐町は今後こういう方向に進みたいんだ」という理解を共有してはじめて「そのためには現実的にこういうことをするんだ」という具体的な議論ができるんじゃないかと思います。

 

 現実的な施策や行動に反映する

ここまで辿り着くまでにけっこう長くなってしまいました。書けば書くほどどんどん理屈っぽくなって頭でっかちになっていくようでイヤですよね。ぼくも頭でっかち星人になるのはイヤなんです。

何度も書きますが、幸福度やGNHは言葉で言うことはカンタンなんです。

ただ、言っているだけでは本当に意味がない。言っているだけなら、最初から言わない方がいいんでないの?って思うくらいです。

というわけで、この「現実的な施策や行動に反映する」という段階がもっともキモの部分。個人的にはそう思っています。

「反映する」というよりかは、本当は発想の大元や評価基準を幸福度にシフトしていく、という方が合っているかもしれません。

果たしてこの仕事が土佐町の住人の幸せに繋がっているのか?そういう視点で役場の様々な事業を一度見つめ直してみる。

何かが原因でうまく繋がっていないなら、現実的なやり方を変えて繋げなおすということが必要なんじゃないかなと思います。

「←いまココ!」の土佐町では、住民幸福度調査アンケートが完成間近です!

 

 

 

ところでワタクシ、現在ブータンのパロという町にいてこの原稿を書いています。

国民総幸福度(GNH)の産みの親であるブータンの、現実的な国民総幸福度への取り組みを学びに、京都大学の研究チームに混ぜてもらっています。

次回からのこの連載(ネット回線の都合上、帰国後になる可能性が大きいですが‥)はブータンからのレポートをお送りします!

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私の一冊

石川拓也

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「スモール イズ ビューティフル」 E・F・シューマッハー 講談社

この本が刊行されたのは1973年。

巨大化しつつある世界経済に危機感を持っていた(早い!)シューマッハーは「大きくなることを目指すのではなく、人間という存在の身の丈に合った経済活動を目指すべき」と警鐘を鳴らします。

それがこの本。「スモール イズ ビューティフル」というのはそういう意味で使われています。

副題は「人間中心の経済学」とありますが、逆読みすると現実が「人間が中心にいない経済」の中に私たちは生きているという風に読めます。

いつの間にか「経済のための人間」になってしまっていないですか?

「小さな経済を生きる」「足るを知る」こういったキーワードの先に著者が名付けたのは「仏教経済学」。

現実に世界がそういった方向を求めてきているのを肌で感じます。

 

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