岡林光さんと高石瞳さんは平石地区の若いお母さんのお二人。
同じ年のお子さん、花奈ちゃんと鳳雅くんと一緒に4人で撮影させてもらいました。
撮影場所は平石の消防団屯所前です。
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土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)
注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。
“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。
念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。
土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。 (敬称略・撮れたときに不定期更新)
土佐町にはトキワ苑という特別養護老人ホームがあります。
「生涯、自分らしく」をモットーに、約80名の利用者さんが日々この施設で過ごしています。知り合いの利用者さんを訪ねると、職員の皆さんがいつも温かく迎えてくれます。高齢者が多い土佐町のような中山間の町にとって、とても重要な役割を担っている施設です。
このトキワ苑から、一昨年、昨年に引き続き、今年も職員さんが着るユニホームとしてポロシャツのご注文をいただきました。
今年の「土佐町オリジナルポロシャツ」である地蔵堂・阿吽の龍のデザインのものと、昨年、トキワ苑を利用されている当時81歳の小川和子さんが描いたアジサイのデザインのもの。
早速製作に入りました!
どんぐりの石川寿光さんと川井希保さんが一枚ずつ、手で印刷しています。
先日、近所のスーパーでアジサイのポロシャツを着ている人を見かけました。トキワ苑の職員さんから、トキワ苑を利用している方やご家族の方にも好評だと聞いて、とても嬉しく思っています。
また、昨年に引き続き、本山町の障がい者就労支援施設である「しゃくなげ荘」の職員さんからも、ポロシャツやTシャツ、そして「Caffeレストしゃくなげ」のポロシャツも先日ご注文をいただきました。完成するのを今か今かと待ちわびてくださっているとのこと。とても励みになっています。
一度作った版は作業場に保管してあるので、いつでも作ることができます。必要な時に再度注文をしてくださることは、とても嬉しいことです。
とさちょうものがたりのシルクスクリーン事業は「自分たちで作れるものは自分たちで作った方が良いのではないか?」という思いから始まりました。地域の人が作ったものを地域の人たちが使う。その風景を近くで見ることができるのは、仕事をする人たちにとって大きなモチベーションとなっています。
とさちょうものがたりでは、その小さな循環をとても大切に考えています。
むかしむかしあったげな。
樫山の小栗さまと言うてのう。そばじり谷から水を引いて、田を掘ったり、むらづくりに、しっかりやって下さったえらいお方じゃったげな。
この小栗さまにお姫さまがありなされた。ある時わらびを取りに山に登らしゃったが、その晩から熱を出して寝込んでしまわれた。
夜中になると、笑ったりこそばがったり、うれしがったり、ボソボソ独り言を言うようになった。どういうものかと、かもんさま(お父さん)もおなんさま(お母さん)もえろう心配、年ごろの娘が夜中に、寝床で独り笑いしだいた言うて人にも話せん。よわっておいでたら、ちょうど、大峰山で修行されて高知へ帰る真如寺のお坊さんがお泊まりなされた。ご相談なさると、お坊さんが祈っておいでて、さて、寝床をのぞくと、誰の目にも見えざったのに、赤い錦のふとんの上に、金色の小んまい蛇が、トグロまいて、お姫さんの顔の方へ、ペロペロ、ペロペロ舌を出していると。お姫さんはそれと話でもしよるかのように、うれしがっていたそうな。
坊さんは、この札を貼っちょきなされと、おまじないの札をくれなさったそうな。そこで次の日、それを日のあるうちに門に貼っちょいた。
それからお姫さんの夜中の独り物語はぴったりやまったが、その次の晩から、夜半に、お姫さんが出かけるようになった。後をつけても、じきに、スーッと消えてしまうようで、さっぱり見定めがつかん。朝は着物のスソがべったりぬれちょったとぉ。
そこでおなんさんが、こっそり、着て行かっしゃるお姫さんの着物のタモトの底に、ハタおりのカセ糸をしっかりぬいつけておいたと。
夜半にそっとぬけ出すお姫さまに、おなんさまがカセ糸玉のおゴケ(糸を入れる物)を持ってついて行かしゃった。
ところが一うね超えて、引地の弁才天さまの池の方へぬけちょったげな。
やんがて大きなとちの木にかこまれた黒い穴のように見える池の端が、ボーっと明るく、そこにお姫さまがしゃがんでのう、じいっと池を見つめて、話しておられるそうな。
おんなさまが「姫おまんは、」と言うと、なんとお姫さまが、すっと立てって、両手を合わせて、おなんさまの方をおがむと、池にひょいっと入り、水の上をすうっと、とっとの奥の方へ、ボーッとうす明かり持って消えてしもうた。
さあ、おなんさまはびっくりおくれなされてすぐひっかえして、ゼエゼエ山を登って帰られたそうなが途中、山の神の森の所で目がまわって、とうとう亡くなられたそうな。
昔、血おり場というたが、けがれを忌む(きらう)と言うことで、このはえを「しおればえ」と言い、池は「住吉池」という。
小栗さまの家のあった所が「かもんの屋敷」谷から用水を取ったのを「小栗ゆ」と今に名前が残っているんじゃと。
むかしまっこうたきまったこう、サルのつべきんがり
和田久勝(町史)
昨年9月に土佐町を襲った台風17号の強風により、土佐町にある中島観音堂の樹齢1200年の金木犀が倒れ、近くの通夜堂と石灯籠を直撃、石階段の手すりも大きな被害を受けました。
「観音堂でのお祭りはもうできないかもしれない…」
地域の人たちの声を聞いた土佐町役場の若手職員が、それならば「クラウドファンディングに挑戦しよう!」と仲間を募り、修復のための資金を集めることにしました。
観音堂のある中島地区は土佐町の中でも人口が多い地区ですが、地域のお祭りや行事を担う若い後継者がいないという問題を抱えてきました。彼らはこのCFを成功させ、その問題を解決するきっかけにしたいという思いも持っていました。
5月30日をもって、中島観音堂クラウドファンディング(以下CF)は終了しました。寄付してくださった皆さま、応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました。
CFがスタートした4月15日から5月30日までの間、中島地区長である山中泉夫さんや土佐町役場若手職員は新聞やテレビ取材を受け、寄付を募るため地域内を回りました。
この期間は、コロナウィルスの感染拡大を防ぐため政府から緊急事態宣言が出された時期とも重なっていました。
「外出もままならず、これからの先行きも見えない、世界中が大変な時期に寄付を募っても良いものだろうか…、果たして寄付してくれる人はいるのだろうか…という思いもあった。大変な状況の中、寄付してくださった皆さんに本当に感謝しています」
中島地区長の山中泉夫さんはそう話していました。
インターネット上のCFサイトから寄付してくださった方だけではなく、中島地区や町内外の方からの直接の寄付もいただきました。役場の担当者へ直接寄付金を持ってきてくださった方、現金書留で送ってくれた方…。泉夫さんも土佐町役場の若手職員たちも、多くの方からのお気持ちに心が震えるような思いだったと思います。
・インターネット上のCFサイトから… 3,006,000円
・中島地区の方・町内外の方から…1,587,100円
計411人の方から、総額4,593,100円のご寄付をいただきました。
いただいた寄付は通夜堂や石灯籠、石階段の手すりの修繕費やCF手数料に使わせていただき、先日、修繕が無事に完了しました。本当にありがとうございました。予想を上回る金額をご寄付いただいたため、修繕費や手数料を引いた残りの金額は、今度の修繕などための基金として大切に貯蓄させていただきたいと考えています。
寄付とともにたくさんのメッセージやお手紙、お電話をいただきました。
皆さま一人ひとりのお気持ちが原動力でした。
ここに一部ご紹介します。
土佐町出身です。小さい頃から馴染みのあった金木犀と中島観音堂がこのような状態になっていることはショックでしたが、修復に向けて沢山の人々が動き始めているのを知って勇気を与えられました。応援しております。
「同じ“中島”だから人ごとだと思えない」と、高知市内の中島工務店の方がわざわざ寄付を届けてくださったこともとてもうれしいことでした。
今回の「中島観音堂クラウドファンディング」は、世代や暮らしている場所の距離を超えて、人と人との繋がりをもう一度結び直すようなことだったように感じています。
一つの場所に心を寄せ、次の世代へも引き継いでいきたいという思いは先人たちが持ち続けてきた願いでもあったでしょう。その願いは時代を超え、私たち人間の心の深いところに在るものに響き、互いに共鳴し合うものなのかもしれません。
今年の中島観音堂の夏の大祭は、コロナウィルス感染拡大を防ぐため、残念ながら中止が決定しました。来年の夏の大祭は開催することができますように。その時には、ぜひ多くの方に中島観音堂に足を運んでいただけたらと思っています。
心を寄せてくださった皆さま、応援してくださった皆さまに心から感謝しています。本当にありがとうございました。
地蔵寺の西村卓士さん。言うまでもなく、土佐町の前町長です。
西村さんは2015年まで土佐町長を務められました。
この写真で西村さんが座られている机はお孫さんのものです。町の職人さんが作り、土佐町小学校の新一年生に毎年贈られる机と椅子。子供たちはこれを6年間使ったら卒業とともに持ち帰ります。
その仕組みを作ったのは西村さんが町長だった時代の町の方々。
その時のお話しを聞きたくて、お家にお邪魔した際に撮らせていただいた写真です。
地蔵寺西村家系譜(復刻版)からの一枚です。
地蔵寺西村家系譜(復刻版)は、タイトル通りなのですが地蔵寺の西村家の方々が編んだ西村家のヒストリー。一冊の本となって記録されています。
その冒頭に掲載されている一枚の写真。地蔵寺の、おそらく集会所で撮影されたものと思われます。
今年、とさちょうものがたりは地蔵寺の地蔵堂の阿吽の龍の木像をモデルに「土佐町オリジナルポロシャツ」を作っていますが、もしかしたら地蔵堂の改築のときの一枚かもしれません。
というのも、写っている方々の最後列右から2人目が徳亀知さん、左下が弟子時代の福蔵さん。どちらも地蔵寺の大工さんです。地蔵堂をとても大切にしていた、実際に地蔵堂の改築に携わった大工さんたちなのです。
今年の「土佐町オリジナルポロシャツ」のデザインは、土佐町地蔵寺地区にある地蔵堂の阿吽の大龍です。町内外の方から多くの注文をいただき、龍のポロシャツを着ている方の姿をあちこちで見ることが大きな励みとなっています。本当にありがとうございます。
これまでとさちょうものがたり編集部は、この龍の作者は、昨年亡くなった土佐町の宮大工・西村福蔵さんであるとお伝えしてきたのですが、先日、地蔵寺地区の史実に詳しい方々からご意見が寄せられました。
「龍を作ったのは、西村福蔵さんではないのではないか」という内容でした。
お話を伺うと、
「地蔵堂の龍は福蔵さんが作っていた龍とはまた違う作風であるし、福蔵さんが仕事をしていた最近50年の間にできたものではなく、もっと古いもののように思える」
「地蔵堂の龍を作ったのは、1947年に地蔵堂を改修した時の棟梁であった西村徳亀知さんか、徳亀知さんの先代ではないだろうか」
そう話しながら、地蔵寺地区の歴史をまとめた資料も見せてくださいました。ちなみに西村徳亀知さんは福蔵さんの師匠にあたる方です。
西村福蔵さんが実際に作った別の龍が、土佐町の別の神社(さめうらの雲根神社や地蔵寺の河内神社)にも奉納されていて、確かに地蔵堂の龍とは風貌が異なっています。ご意見を寄せてくださった方も確実なことはわからないそうですが、龍の作者については諸説があるようです。
実際にどなたが作者なのか、その答えは現時点ではわかりません。けれども、地蔵堂の龍が素晴らしいことは変わりありません。そして、徳亀知さんと福蔵さんは時代こそ違いますが、地蔵堂の改修に携わった大工として、そのお名前が地蔵堂の記録に記されています。きっと地蔵堂に何度も足を運び、心を寄せてきただろうことにも変わりがありません。
ご意見をくださった方はこうも話してくださいました。
「今回、地蔵堂の龍がポロシャツとなったことで、今まで龍を知らなかった人が、その存在を知る良いきっかけになったと思う」
今回ご意見をくださったことで、地蔵堂の龍が持つまだ見ぬ物語がまだまだありそうだということがわかりました。新たに知ることはとても面白く、昨日とは違った風景を私たちに見せてくれます。
この件は編集部でも引き続き調査を行っていこうと思っています。可能であれば、木像の製作年代が判明するような科学的調査も試してみたいとも考えています。
地蔵寺の龍について、他にも知っていることがある方は、ぜひ編集部までご連絡いただけたらと思います。よろしくお願いします!
※この記事は2019年12月に発行した雑誌「とさちょうものがたり zine 05」にて掲載したものをウェブ上にて再掲載したものです。「土佐町幸福度調査アンケート」の製作から実施、結果報告まで誌面でレポートした一連の記事の最後のものを、ウェブサイト上で再公開します。
町内の多くのみなさまにご協力いただきました土佐町幸福度調査アンケートの詳細な調査報告書が、高知大学地域協働学部の廣瀬淳一先生から届きました。
今回はその報告書を元に、気になった項目から少しかみ砕いた形で一部をご報告したいと思います。アンケート結果の報告としては不適切かもしれませんが、この欄ではなるべくグラフや細かい数字などを使わない説明を試みたいと思います。この文章の裏付けとなる数値は「土佐町幸福度調査アンケート調査報告書」に全て掲載されています。ご希望の方は土佐町役場企画推進課までご連絡いただくか、この欄の末尾に掲載したQRコードから全文がダウンロードできるようになっていますので、ぜひ読んでみてください。
町の方々各々の個人的な自然に対する考え方、実際の暮らしの中での自然との付き合い方を尋ねる質問がいくつかありました。
例えば前節でもご紹介したQ25「私は自然の一部であり、自然の一部として生きることが幸せである。」という文をどう思いますか?というもの。またQ26-27「土佐町産、自作の食物を食べる頻度」、そしてQ28「山の植物や動物に関する知識」に関しての質問などは、自然との付き合い方とその距離を尋ねているものです。
上の3つの質問と、「幸せですか?」という質問を掛け合わせた結果が示すものは、 「自然との距離が近い人ほど幸福度が高い」というものでした。
例えばQ25に対して「とてもそう思う」と答えた人では、同時に「幸福」と答えた人の割合もとても高く)、「全く思わない」と答えたグループの中で「幸福」と答えた人の割合は低めでした。
Q26-27に関しては「毎日(地産のものを食べる)」と答えた人ほど「幸福」と答える割合も高く、Q28に関しても山の動植物に関しての知識が深いほど幸福度が高いという結果が出ています。
ではこの結果から言えることは何かと言うと、例えば
町の人々が自然と上手に付き合えるためにできることは何か?
という問いを立てることだと思います。小さなことでいいので、具体的な行動としてできることは何だろう?と考え、実行に移す。
小さな行動を、長い目で見て大切に育てる。個人と自然の関係は、役場や行政がどうこうする部分は多くないかもしれませんが、例えば地域の方々が自然と触れ合う機会を増やすきっかけを意識的に作っていくといったことはできるかもしれません。
Q24-mに、「土佐町の文化や特色に愛着や誇りを感じますか?」という質問があります。この質問の結果と幸福度を掛け合わせたならば‥
「愛着や誇りの強い人ほど、幸福度も高い」という結果がきれいに出ています。反対に、愛着を「あまり感じない」「全くない」と答えた人たちの中では自身を「不幸」と感じる割合が高くなっています。またQ13には「土佐町の歴史や文化への理解度」を尋ねる質問があります。土佐町の歴史、特有の文化を理解し体験を深めていくことで、「他のどこでもない自分にとっての土佐町」への愛情も深まっていく。そしてそのことが土佐町に住む各個人の幸福度を高めていく。そういった循環が個々人の心の中に培われていくことは「幸せ」を考える上で大きなキーワードになるようです。
「自分は地域コミュニティの一員である」と実感できるということは、幸福度と深い関係があると言われています。Q24-a 「地元のコミュニティに所属していると感じるかどうか」という質問に対して、「とてもそう思う」と答えた方の幸福度は高い結果が出ています。
土佐町の住人の場合、「地域コミュニティ」という言葉で連想されるのはもしかしたら土佐町という範囲よりももう少し小さな地域、相川や石原や大渕や中島などの地域を思い浮かべる方が多いのかもしれませんが、コミュニティの大小に関わらず、「その一員である」という実感が持てるということは幸福感や安心感に直結することなのだと思います。
「本当の幸福にたどり着くために重要なことはなんですか?」という質問がQ5です。これは自由記述で、重要と思うことを3つ書いてくださいという問いでした。
高知大学の廣瀬先生は、この3つのうち3番目の答えが本音が隠れたキーワードではないだろうかと注目したそうです。
この欄でも3番目の答えのみに絞って下にご紹介したいと思います。年代別に区切っていますので、人生経験や体力などの変化と共に、「幸せ」に対しての感じ方や考え方も変化していく様子が読み取れると思います。
何が正解で何が不正解ということはもちろんありませんので、「幸せとは何か?」ということを考えるひとつの材料として、ぜひ一度読んでみていただきたいと思います。
また1番目2番目を含む全回答は、この欄末尾のQRコードからダウンロードできる調査報告書に記載されています。こちらも合わせて読んでみてください。
●幸福度をものさしにする
アンケートの調査報告はここまで。最後にもう一度、幸福度調査アンケートを実施したその目的と意味について、繰り返しになりますが書きたいと思います。
全ては行動のため
以前にも書きました。このアンケート、町の皆さんにご協力いただいて、結果を集計して分析して終わりでしょうか?そのためのものでしょうか?
答えは明らかですね。これは全てそのあとに続く行動のためのものです。日々の行動、仕事の取り組み方、町としての動きに少しずつ変化を与える。
そしてその行動のひとつひとつに
なんのためにやっているのか?誰のためにやっているのか?
という視点を加えるためのもの。
土佐町が今後どのように生きていくのか?どのように生きていきたいのか?
今から始まる未来へのスタート地点に、一度立ち止まって根本をみんなで考えるためのもの。
だからこのZINE05号は、土佐町の何かをまとめたものではありません。
今後町が起こしていく行動に続く途中経過を伝えたくて作りました。読んでいただいた方の心の中の小さな窓に、微かなそよ風が吹いたとしたなら、作り手として嬉しく感じます。
この章は、最後にひとつ寓話を紹介して終えたいと思います。
旅人が、ある町を通りかかりました。 その町では、新しい教会が建設されているところであり、建設現場では、二人の石切り職人が働いていました。その仕事に興味を持った旅人は、一人の石切り職人に聞きました。 あなたは、何をしているのですか。 その問いに対して、石切り職人は、不愉快そうな表情を浮かべ、ぶっきらぼうに答えました。このいまいましい石を切るために、悪戦苦闘しているのさ。そこで、旅人は、もう一人の石切り職人に、同じことを聞きました。すると、その石切り職人は、目を輝かせ、生き生きとした声で、こう答えたのです。ええ、いま、私は、多くの人々の心の安らぎの場となる素晴らしい教会を造っているのです。どのような仕事をしているか。 それが、我々の「働き甲斐」を定めるのではありません。その仕事の彼方に、何を見つめているか。それが、我々の「働き甲斐」を定めるのです。ー田坂広志「日本企業の社会貢献 七つの心得」より引用
2020年5月18日、土佐町早明浦ダム最深部へ、土佐酒造の「桂月 相川譽 山廃純米酒58」が貯蔵されました。この計画は和田守也土佐町長が発案、ダムを管理する水資源機構、土佐町の酒蔵である土佐酒造の協力を得て実現しました。
1年間の貯蔵後、土佐町内の商店や道の駅などで販売し、ふるさと納税の返礼品にもなる予定です。
この日、早明浦ダム堰堤にあるエレベーターを使い、土佐酒造とさめうら荘の職員の方たち、土佐町役場職員がダムの最深部へとお酒を運び入れました。
早明浦ダム堰堤から地下100メートルの最深部には、高さ約2.5メートル、幅2メートルのコンクリートの道が作られています。道はダムの水平方向へ1本、垂直方向へ3本あり、途中に階段や急な勾配もあって、まるで迷路のよう。アーチ型の天井からは水がポタポタと滴り落ち、床にはいくつもの大きな水たまりができています。年間の平均気温が12度前後に保たれているダムの内部は、湿気に満ち、肌寒いほど。お酒を運ぶ荷台の音や人の声が反響し、耳元でこだまします。
このコンクリートの道は監査廊と呼ばれ、ダムを点検するために作られたもの。コンクリート片を積み上げて作られたダムは、長期間に渡って水の影響を受けて変形したり、下から浮き上がる力が働くため、日々の点検が欠かせません。
ダム内部の最も深いところ、ちょうどダムの中央を走る監査廊の最奥にお酒は貯蔵されました。
水資源機構の江口貴弘さんは、「ダムを管理をするだけではなく、今回のようにダムでお酒を貯蔵するというかたちで地域に貢献できることはとても嬉しい」と話します。
早明浦ダムへ貯蔵されたのは、1877(明治10)年に創業された土佐町の酒蔵・土佐酒造が作る「桂月 相川譽 山廃純米酒 58」。このお酒は土佐町の米どころである相川地区のお米100%で作られ、相川地区の農家さんを「譽め讃える」という意味で「相川譽」と名付けられています。「山廃」と呼ばれる昔ながらの製法で作られていて熟成に向いていること、土佐町のお米100%で作られていることが、今回貯蔵するお酒として選ばれた理由です。
「時が経つにつれて、お酒の味はどんどん角が取れて丸くなる。貯蔵されるのが1年でも、十分変化を楽しめると思う」
土佐酒造の30年来の職人である筒井浩史さんは話します。
「土佐町には清流吉野川の源流があり、環境もいい。棚田を代々大切にしてきた人たちがいるからこそお酒を作ることができる。大切に育てたお米がお酒になることを、農家さんが喜んでくれるのが嬉しい」
職人・筒井さんの視線の先には、お酒造りを支える人たちの姿があります。
四国の水がめと呼ばれる早明浦ダム。
土佐町が誇る酒蔵・土佐酒造。
この元で働く方たちの存在があるからこその、今回の取り組みです。
ダムへ貯蔵されたお酒は、どんな味に変化していくのでしょう。ダムの扉が開けられる1年後をどうぞお楽しみに!