鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「世界を変える美しい本」 草刈大介,大久保美夏(ブルーシープ), 松岡希代子, 高木佳子(板橋区立美術館) ブルーシープ株式会社

2018年に板橋区立美術館で開催された、インドの出版社・タラブックスの展覧会で買い求めた一冊です。

タラブックスはインド・チェンナイにある出版社で、本の紙を作るところからシルクスクリーンでの印刷、製本までを地元の職人さんたちが手で行い、一冊ずつ手作りで本を作っています。今や世界的に有名な出版社ですが、タラブックスは組織として「小さくあり続けること」を貫いています。

小さくあり続けるのはなぜか?

それはまず、小さくあることで組織全体の状況を把握でき、やりたいことをやりたい時に立ち上げられることを挙げています。また、「売れるから・売れればいい」という仕事の仕方ではなく、ひとつの仕事を前にした時に「これをやりたいのか。これはいいことなのか」で意思決定ができるということ。そして、働いている人の環境と生活を守り、顔の見える人間関係の中で仕事をするためだといいます。その姿勢にとても共感します。

反対に、小さくあることのマイナス点は「ビジネスの点で賢く立ち回れない。他の人たちがやっているようなお金の稼ぎ方がよくわからない」とのこと。そのことも共感します。(もっと勉強したいと思います。)

この本を開くと、インドのアーティストが描いた絵が言語や国境を越え、何かを訴えかけてきます。言葉を使わないコミュニケーションや意思の疎通がそこにはあります。それを感じるのは、人間が共通して持っている何かがあるからなのでしょう。その共通する何かの姿をもっと知りたいと思います。

コロナ禍がおさまったらインドへ行って、タラブックスを訪れたい。その思いを胸に、目の前のことをひとつずつ重ねていきたいと思っています。

 

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読んでほしい

松茸がやってきた

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ある日、私は松茸を受け取った。

私は未だかつて本物を手にしたことはなく、驚きと嬉しさと共に、どう扱っていいものか考えあぐねた。まずは、以前どこかで見たようにそれらしく編み籠に入れてみようと考えた。家にあった籠を引っ張り出して、うやうやしくそっと入れた。籠に入った松茸は、いかにも松茸らしい風格を醸し出していた。

次に私がしたことは、松茸の籠の置き場所を探して家の中をウロウロすることであった。やはり家の入り口である玄関がいいだろうか。いやいや、日が当たる場所でせっかくの松茸が乾燥してしまってはいけない。それでは玄関横にある本棚の前はどうだろう。そこは本やら荷物やらが積み重ねてあるから、せっかくの松茸が荷物と共に埋もれてしまう。そうなったら最後、子どもたちはその存在に全く気づかず、その前を通り過ぎてしまうだろう。学校から帰ってきたら「松茸だ!どうしたの?」と私に聞いてほしい。その様子を思い浮かべるだけで口元が緩んでしまう。

しかし大変残念なことに、子どもたちは本物を目の前にしてもそれが松茸であることがわからないだろう。いまだかつて食卓に上がったことはないし、どこか旅行に行って「山の幸御膳」たるものを注文し、ほんのおまけ程度に松茸がついてきたことはあったかもしれない。が、そのときには元の形は跡形もなく、小さく切られてしまっているのだ。山で生えていたままの本物が目の前にある今こそ、これが松茸なのだということをぜひとも実感させたい。そんなことを色々考えながら、籠を抱えて部屋から部屋を行ったり来たりした。

結局、毎日食事をする木の机に置いた。横を通りかかる時、いつもチラリと見てしまう。籠の隣には新聞や学校からの手紙も一緒に置いてあるので、これではありがたみも失せるというものだ。机の上を片付けて堂々と真ん中に置いた。松茸とはこうあるべきだと大変満足したのであった。

さて、この松茸がどのようにして我が家へやってきたのか。そのことをお話したいと思う。

 

松茸は山にあるもの

10月のある日、いつもお世話になっている土佐町の近藤雅伸さんから電話がかかってきた。
「あ〜〜、近藤やけども」。近藤さんの声は今日も大きい。でもいつもと何かが違った。いつもと何か違うことを言いたい時は、電話口からでもその空気は伝わるものだ。

「松茸、いるかよ?」
「え?」
「え?じゃない、まつたけ」
「え!松茸?松茸ですか?」

何かの聞き間違いだと思い、私は何度も尋ねた。
何度聞いても、近藤さんは「まつたけ」と言っているのだった。

松茸は、近藤さんの山で収穫したのだそうだ。そろそろ時季かなと思って、山の中のとある場所へ行ってみたら、いくつもの松茸が円を描くように生えていたという。
近藤さんをはじめ山で暮らす人は、自分たちの「場所」を持っている。松茸はもちろん香茸というきのこも同じ時季に収穫できるのだが、それぞれの人にとってのとっておきの場所がある。自分の子どもにさえその場所を教えていない人も多いと聞く。山の秘密、自分だけの秘密。なんとゆたかなことだろう。コンクリートの上ではそうはいかない。

松茸は毎年同じ場所に生えるとは限らないそうだ。松茸の菌が松の木の根っこにくっついて松茸ができるという。生命の神秘。自然の恵みをいただいて人間は生きているのだ。
近藤さんにそう話すと「自分にとっては、松茸は特別なものというよりも、あるものを食べるという感覚」なのだという。「自分の足を使って山へ入ったら松茸がそこにあって、取って食べたらうまい。そう思うだけ」。
それは、山と共に暮らしてきた人だからこその言葉だ。

 

香り松茸、味しめじ

先日、テレビで「サザエさん」を見ていたら松茸をテーマにしたお話があった。松茸が食べたいというカツオにサザエさんは「“香り松茸、味しめじ”という言葉があるのよ」と諭すように話していた。松茸の香りは素晴らしいけど、味はしめじの方がいいのよとサザエさんは言いたいらしい。私はしめじの炊き込みご飯が好きでよく作るのだが、しめじの香りだって負けてはいないと思う。決して負け惜しみではない。

私の数少ない松茸に関する思い出は、中国産のものをスーパーで見かけたり、小袋に入った「松茸の味のお吸い物」の粉をお湯に溶かして飲んだことがあるくらいだったが(ちなみにお吸い物は美味しい)、そんな私にもついに松茸を調理する日が来た。是が非でも、その香りがしめじよりも勝るのか確かめたい。

近藤さんによると、石づきの部分をナイフで鉛筆を削るようにそぎ、あとは好きな大きさに切るらしい。松茸だからといって特別扱いはせず、あくまでもいつも通り、自由に調理していいのだ。

 

松茸ごはんを作る

まずは王道である「松茸ごはん」から。新聞に包み、冷蔵庫の野菜室の一番いい場所に入れておいた松茸をまな板の上に並べる。何だか緊張してしまう。さっき読んだばかりの作り方を何度も復習した。
キッチンペーパーでそっと汚れを落とし、近藤さんに言われた通り、鉛筆を削るように松茸の石づきを削った。
土のついたその部分を一回か二回、そっとそいだ。もうそれだけで驚いた。それは初めての香りだった。これが松茸か!

昆布だしにお酒、醤油、塩を加え、給水していた新米の上に松茸をのせ、炊飯器で炊いた。炊飯器からシュッシュッシュと湯気が出始めたころ、家中が松茸の香りでいっぱいになった。確かにしめじよりも勝っているかもしれない。この香りを一人で吸い込んでいることが何だかとても贅沢に思えた。

 

その日の夕食は、松茸ごはん、松茸と豆腐と三つ葉のお吸い物。松茸ごはんを息子が大変気に入って何杯もお変わりし、長女はお吸い物の入った鍋を空っぽにした。

次の日の朝、ほんの少し残っていた松茸ご飯を「もうこれで終わりか…」としみじみと味わって食べていた息子。また明日も食べたいと言っていたがそれは無理というものだろう。せめてしめじごはんを炊いてやろうと思う。

季節ごとの山の恵をいただく日々。
自ら収穫したものを惜しげもなくお裾分けしてくれる人がいる。
自然と人の懐の深さに触れることで、私はどんなに救われてきたことだろう。

近藤さんは「喜んで食べてもらえたらうれしいんよ」といつも言ってくれる。私はいただくばかりで、いまだに何も返せずにいる。

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読んでほしい

稲刈りの季節

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土佐町は稲刈りの時期を迎えています。

町のなかには稲を刈るコンバインの音が響き、米袋をいくつも積んだ軽トラックが走っています。風に揺れていた黄金色の稲穂が刈られ、静かになった田は、確実に季節が移り変わっていることを教えてくれます。

この時期、道端で知人に会うと話題になるのは空模様のこと。「(稲刈りは)もうすぐかよ?」が挨拶がわりです。稲刈り仕事は、何と言ってもお天気勝負。良い天気が続き、稲が「よい感じ」に乾いた頃を狙って予定を立てます。

「明日、稲刈りするけ」と、弾んだ声で教えてくれた人がいました。ところが前夜に雨音が。

どうするのかな?と思っていたら「いたずらな雨にやられたにゃあ」と、その人は笑って言いました。

「自然は思い通りにはいかんにゃあ」。

稲刈りは次の日以降に持ち越しです。

 

稲刈りは大きな喜びのときでもあります。家族や親戚一同が田に集まり、落穂を拾いながら刈り取った稲藁を立て、共に仕事をしながら収穫の喜びを味わう。これが先祖代々重ねてきた営みなのだと思いながら、その風景を見つめました。

自然と何とか折り合いをつけ、自然と共に生きているこの地の人たちの足元は、しなやかな強さで満ちています。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「宇宙兄弟 心のノート2」 小山宙哉 講談社

漫画「宇宙兄弟」の名言がまとめられている「心のノート2」。どのページも納得の名言ばかりですが、私にとっての特別な言葉があります。

主人公ムッタと日々人が幼い頃、二人の興味を宇宙へと導いた天文学者・金子シャロンの言葉です。

「人は何のために生きているのか」。幼い日のムッタの疑問に対するシャロンの答えは、『そんなつもりはなくても、人はね、誰かに“生きる勇気”を与えるために生きてるのよ。誰かに、勇気をもらいながら』。

私は今、自分でも言葉にできないようなもやもやした何かが胸の内にあるのを感じています。コロナウィルスの影響で行動が制限されていることも大きな影響を与えていると思いますが、いつまでこの現状が続くのか、先の見えない道のりにどこか疲れを感じている。それは私だけではなく、日本中、世界中の人たちが同じ問題を抱えているのだとわかっていながら、不安や疲れから言葉がきつくなり、今までだったら気にならないことが気に障り、ケンカや揉め事になることもありました。その度に、こんなはずじゃなかったのにとため息をつく。そんなことをしばらく繰り返していました。

でもある日、ふと顔を上げて見渡すと、周りには大切な人たちがいました。今までもいたはずなのに、私がちゃんと見ていなかったのです。ダメな時はダメだと叱ってくれる人がいました。何かできることはある?と声をかけてくれる人がいました。いつでもどんな時でも笑顔で迎えてくれる人がいました。

その人たちの存在に私はどれだけ支えられてきたか、前を向く「勇気」をもらっていたか。その人たちがいる環境をいつの間にか当然のように思ってしまっていましたが、それは決して当たり前のことではなかったのです。

人は、さりげない一言や行動を与え合いながら生きています。ふとした言葉やまなざしが誰かを救うことだってあるし、誰かを傷つけ苦しめることもある。「その人がそこにいる」ことには、思っている以上に大きな力があります。人が環境をつくっているのです。

今、日本中、世界中の人たちが皆、経験したことのない渦中にいます。大変な状況のなかですが、少しでも「生きる勇気」を与え合えるような言葉を、行動を、まなざしを互いに伝え合えたらと思います。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「在来植物 高知嶺北F 」 山中直秋

いつもお世話になっている山中直秋さんが作った本「在来植物 高知嶺北F」。

山中さんが、高知県嶺北地域の野山に根を張る在来植物を探して道々を歩き、コツコツと撮影した写真が全5冊にまとめられています。これはそのうちの4冊目、8月から9月編です。ちょうど今の季節にいいなあと思い、こちらを購入しました。

ページを開くと「星みたいな形のあの黄色い花は、“ヒメキンミズヒキ”という名前だったのか!」とか「地面を這うように葉を巡らせていたのは、“スベリヒユ”っていうのか!」と、まるで大発見をしたような、懐かしい友達に会ったような気持ちになります。

これだけの植物と出会うために、山中さんは一体どれだけの時間を費やしてきたのでしょう。

いつも庭先から、新しく見つけた植物のことや今取り組んでいることを話してくれる山中さん。それはそれは楽しそうで、私は元気をもっています。

山中さん、素敵な本をありがとうございます!

 

*山中さんのこの本は、土佐町の青木幹勇記念館で購入することができます。
(青木幹勇記念館:〒781-3401 高知県土佐郡土佐町土居437 TEL.0887-82-1600)

 

 

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読んでほしい

三足の下駄

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今から50年ほど前に建てられたという家を片付けている。

瓦屋根で、和室が南に2つ、北に2つ並ぶ平家の家である。この家には大きなものから小さなものまで、山ほどの荷物が残っていた。洋服ダンスや布団、衣装ケースやマッサージチェア。人のことは言えないが、人が生きていく上でこんなにも荷物が必要なのかと思うほどだった。

納屋には皿鉢やお餅を並べるもろぶた、野菜を干すえびらや火鉢があり、納屋の隣にある壁には畑を耕す鍬や草刈り鎌がかけられている。

片付けていると、その人がどんな暮らしをしていたのかが感じられるものに出会う。

 

この家に住んでいたのは、最後にはおばあちゃん一人だったそうだ。お風呂や廊下、玄関には手すりが取り付けられている。手作りなのだろう、台所の作りつけの戸棚の扉の内側には「昭和47年○○製作」と黒いマジックで書いてある。「○○」はおそらく、大工だったという連れ合いさんの名前だろう。それはひとつやふたつではなく、茶箪笥の引き出しや玄関の靴箱の扉にも書いてあった。作った年と名前が書いてあるだけなのだが、その文字はそれ以上のことを語りかけてくる。

家の中には明かりが2つ付いた6畳の部屋がある。どんな部屋でも大抵そうであるように、ひとつは天井の真ん中についている。もうひとつは、縁側に面したその部屋の天井の隅についていて、紐を引っ張ると電気がつくようになっている。なぜひとつの部屋に明かりがふたつもあるのだろう。

その謎は、息子さんと話しているときに解けた。

おばあちゃんは洋裁の仕事をしていたのだ。和室の天井の隅から下がる灯りの元に座って、いつも仕事をしていたそうだ。なるほど、庭に面した縁側の隅には鉄製の足踏みミシンが置いてあったし、近くには小さな文机があって引き出しには色とりどりのマチ針や糸がしまわれていた。頼まれて着物を仕立てたりもしていたそうだ。

手元を照らしながらちくちくと針を進めていただろうおばあちゃんが、すぐそこにいるようだった。生きているうちにお会いしてみたかった。

 

靴箱を片付けていたら、奥から下駄が三足出てきた。それは女性用の下駄で、桐でできていてとても軽い。鼻緒の色は紅色やオレンジ、紫がかった桃色で、はっとするほど可愛らしい。きっとおばあちゃんが履いていたのだろう。

近所の人が言っていた。

「おばあちゃんは料理がとても上手な人で、よくおかずを持ってきてくれた。とてもようしてもらった」

おばあちゃんは、もしかしたらこの下駄を履いて近所を訪ねていたのかもしれない。

この下駄を、今度は私が履かせてもらおうと思っている。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「シュナの旅」 宮崎駿 徳間書店

「シュナの旅」は、宮崎駿さんがチベットの民話「犬になった王子」を元に描いた短編漫画。「風の谷のナウシカ」と同時期、1983年に出版されています。どうしてもナウシカと重ねて読んでしまうのですが、宮崎さんの根底に流れるものは、いつも揺るぎないのだとあらためて感じます。

黄金色の穀物の種を探して西の果てへと旅に出たシュナが、人の愚かさや醜さ、生きる厳しさと出会いながら何度も立ち上がり、自分の信じるものへと向かって歩いていく。

市場で売られていた少女・テアに出会い、最後、生きる希望を見出すシュナの姿は静かに胸に響いてきます。

「行くか 行かぬか それは そなたが決めることだ」

旅の途中に出会った老人が話す一言が心に残ります。

宮崎駿さんにとってこの漫画をアニメーション化するのがひとつの夢だったそうですが、今からでもぜひその夢を実現させてほしいです。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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この本には日本を代表する詩人の方々のうたが収められているのですが、そのうちのひとつ、谷川俊太郎さんの「生きる」という詩がとても好きです。

私が初めてこの詩に出会ったのは、確か小学校6年生のときでした。ページの上に並んだ日本語の奥向こうに、どこまでも澄んだ空が続くような清々しさを感じたことを覚えています。(そのときは何と表現したらよいかわからなかったのですが、今思えば、こういう気持ちでした。)

知っている方も多いと思うのですが、ここに紹介します。

 

生きる  谷川俊太郎

生きているということ
今生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

 

それから過ごした何十年という時間のなかで、ふと、このページを開くときが何度かあり、そのたびに私は6年生のときに感じた気持ちを思い出していました。これまでの道のりにあったのは清々しさだけではありませんでした。でもそれでも、今、自分は生きている。生きていることはやっぱり素晴らしいことなのだ、という実感をこの詩は与えてくれます。

 

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お母さんの台所

アメゴ寿司 2日目

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2020年9月2日現在、とさちょうものがたりのネットショップで販売している「アメゴ」

前回紹介した「アメゴ寿司  1日目」に続き、今日は続編である「アメゴ寿司  2日目」を紹介します。作り方を教えてくれたのは、土佐町地蔵寺地区にある長野商店店主・長野静代さんです。

2日目は、一晩塩漬けしたアメゴを酢に漬けるところから始まります。

 

 

 

 

アメゴに寿司飯を詰めるところです。静代さんの華麗な手さばきをご覧ください。

私にとっての土佐町のお母さんであり、師匠でもある静代さん。お店を訪ねると、いつもおかずやお弁当、注文の品々を作っていて、休んでいる姿を見たことがありません。疲れたりしんどい時だってあると思いますが、お店の戸を開けて「こんにちは〜」と訪ねると、いつだって台所の奥から「はい〜」と応えながら、笑顔で「元気かよ?」と出迎えてくれるのです。今まで私は、静代さんのその姿に、いったいどれだけの力をもらってきたでしょう。

 

静代さんの手から生まれる美味しいものの数々は、静代さん自身が培ってきた知恵であり、生きるための術であり、そして、この町の文化でもあると思います。

 

 

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お母さんの台所

アメゴ寿司 1日目

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2020年9月2日現在、とさちょうものがたりのネットショップで販売している「アメゴ」

アメゴは塩焼きにして食べることが多いですが、アメゴには色々な調理方法があるのです。前回の「アメゴのひらき」「アメゴの刺身」に続き、今回は「アメゴ寿司」を紹介します。作り方を教えてくれたのは、土佐町地蔵寺地区にある長野商店店主・長野静代さん。

長野さんは高知名物「さば寿司」づくりの名人でもあります。昨年11月に高知市蔦屋書店で行った「とさちょうものがたり in 高知蔦屋書店」では、長野さんを講師として「さば寿司づくりワークショップ」を行い、多くの人が参加してくださいました。

今回は、川魚であるアメゴのお寿司の作り方を教えてもらいました。長野さんは「いいよ〜。できるよ〜」と快く引き受けてくださいました。

 

アメゴはとにかくヌルヌルするので、塩を振りながらさばいていきます。

 

血をきれいに洗い流すのは、なかなか大変な作業です。細い血管の中の血もきれいに除いていきます。

 

 

この塩加減によって、アメゴ寿司の味が変わってきます。長野さんはいつも目分量。「これくらい」という感覚を、私もいつか掴みたいものです。

 

 

ここまでが1日目の作業です。塩をしたアメゴを一晩冷蔵庫に置きます。

明日はいよいよアメゴを酢につけ、寿司飯を詰めていきます。

(「アメゴ寿司 2日目」に続く)

*長野さんのことを書いた記事はこちら

40年目の扉

 

*長野さんに教えてもらった皿鉢料理の一品、「季節の野菜の天ぷら」の作り方です。

皿鉢料理 その7 季節の野菜の天ぷら

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