鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「土佐町の民話」 土佐町の民話編集委員 土佐町教育委員会

土佐町に伝わる民話を集めたこの本は今から28年前に作られました。土佐町史編纂時に町内に広く呼びかけ、収集、整理されたものだそうです。

「とさちょうものがたり」の中のカテゴリーのひとつである「土佐町ストーリーズ」でも、この本の民話を紹介しています。

和田守也町長もこの本の編纂に関わっていて、本の挿絵を描いています。「この本を作った時点でも民話がどんどん町から消えていくのを感じていた」と話していました。

この本のはじめには、こう書かれています。

『民話は、昔の人の暮らしや社会の様子を知ることができます。温故知新という言葉があります。先人の生活や文化の中から新しい町づくりや産業振興についての知恵を学ぶとともに、郷土史を身近なものとして理解し、郷土愛が生まれることを願うものであります』

28年後の今、先日行われた幸福度調査アンケートでは『地域の伝説や民話をどれくらい知っているか』という質問がありましたが、「全く知らない・あまり知らない」という人たちの割合がとても高いことがわかりました。この結果をどう捉え、どうしていくのか町全体で考えていく必要があるのではないかなと思います。

この地の先人たちが積み重ねてきた暮らしの上に今の暮らしがあるということ、毎日見ている風景の向こうにある奥ゆきを忘れないでいたいと思います。

鳥山百合子

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

(前編はこちらから)

 

しかし4年目のある日、「いかんと思うてほたくっちょった」育苗箱をふと見た時、岡林さんは目を疑いました。

「芽がでゆう!」

それは貝割れ大根のような、細く小さな芽でした。

 

「そりゃあ、うれしかったよ!そりゃあ、うれしいで!」

 

岡林さんは芽が出た条件を独自に研究し、大きくなったものをポットに植え替えて畑へ移植。毎年少しずつ株を増やしながら植え続け、畑の面積を広げていったそうです。

 

「こればあ(これくらいの大きさ)のしおでが一番美味しいで!」と岡林さん

 

「何十万、何百万という種があるきね、100万位は畑に落ちちゃあせんろうか…。でも、ほとんどは生えん。なんぼ落ちたち条件が揃わんとね。芽が出たらしよいでよ(育てやすい)。条件がよかったらずっと生える」

「とにかく種から苗を立てるのが難しかった。芽がでるまでが苦労した。全部1人でやらないかんかったし。今の状態になるまで20年ばあ、かかった」

「もしあの時、芽が出ていなかったら、今、全然しやせんで」

 

 

アナグマに掘り返された後に出てきたしおでの新芽

 

猿にしおでの先をかじられ、アナグマに根元を掘り返され、うさぎもイノシシもいる。日々、動物たちとの戦いです。

それでも岡林さんはこの場所でしおでを作り続けています。

 

瀬戸地区で生まれた岡林さん。

「県外に出たいと思ったこともある。でも、どこ行ったち働かないかんしね。ああでもない、こうでもないと、ある程度はあずってせないかん」

岡林さんのしおでの畑の目の前には雄大な景色が広がっていました。はるか下の谷間に見える一本の白い筋から、どうどうと地の底から駆け上がって来るような水音が響いてきます。

「あれは瀬戸川。正面の山、あれは東門(ひがしかど)山。左は岩茸山で、左向こうが黒丸の集落。右奥は大師山で、右後ろは安吉」

自分の立っている小さな一点は、連なる山々とちゃんと繋がっているのです。

 

 

岡林さんは教えてくれました。

「しおでを取り終わって1ヶ月くらいした後、土が見えんなるばあ葉が茂って、しおでの棚が真っ青になる。それは綺麗で!青白い花が何万と咲いて、ミツバチがどんどん来る。不思議なんじゃけんど、昼は来ん。夜に蜜が出るんじゃろうかね、しおでだけは夕方、仕事から帰る時分にブンブンブンブン来る。」

 

「その時、また見に来たらえいよ」

それは、しおでを育てている人にしかわからない自然の営みです。

 

「しおでを、いろんな人に、ようけ使うてもろうてよ、送ってくれと言われたらうれしい」

岡林さんはそう話してくれました。

 

 


 

お土産に、両手がいっぱいになるほどしおでをいただきました。

 

岡林さんオススメのかき揚げを作ってみました。

 

 

しおでのかき揚げ

【材料】しおで・小麦粉・塩・水

①しおでを食べやすい大きさに切る

②小麦粉に水、塩を加え、とろりとした衣を作る。(卵を加えたり、小麦粉の代わりに米粉を使っても美味しいです)

③しおでと衣をからめてからりと揚げる。

④塩をパラリとふって、熱いうちにいただく。

 

 

少しモチっとしてた食べ応えがある食感。ついついもう一つ、と手を伸ばしたくなる味です。

 

土佐町だけで育てられているしおでの収穫は、7月上旬まで。

「幻の山菜」と呼ばれるしおでを、ぜひ多くの方に味わっていただけたらと思います。

 

*岡林さんと出会うきっかけをつくってくれた土佐町の島崎直文さん、ありがとうございました!

 

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

幻の山菜。
山菜の王様。

土佐町にはそう呼ばれる山菜があります。

その山菜の名は「しおで」。

 

「しおで」との初めての出会いは、何年か前に近所のおばあちゃんと一緒に梅をとった帰り道でのこと。それは田んぼの畦に生えていました。くねくねとした茎から細いツルをいくつも伸ばした細いアスパラのような植物をポキンと折って、

「これはしおで。さっと湯がいて食べてみや。美味しいで」

とおばあちゃんは手渡してくれたのでした。

 

その美味しさは、アスパラに野生の味が加わったと言ったらいいでしょうか。おばあちゃんに教えてもらったしおでの味が忘れられず、毎年の梅の時期に田んぼの畦や道端を歩いてはしおでを探す日々。でもなかなか見つかりません。野生のしおではいつでもどこにでも生えている訳ではないのです。

そんなある日、近所のスーパーの産直市で「立派なアスパラ」のようなしおでが束になって売られているのを見た時は、本当に驚きました。

 


 

土佐町にはしおでを栽培している人がいます。
土佐町瀬戸地区の岡林増榮さん。
瀬戸地区は土佐町の街中から車で50分ほど。アメガエリの滝や稲叢山、瀬戸川が流れる山深くとても美しい場所です。

 

岡林さんがしおでを育てている畑は標高800メートルの場所。岡林さんは土佐町で指折りのゼンマイ農家さんで、いくつものゼンマイ畑を抜け、落ちたら助からないだろう細い山道を上がっていったところに畑はあります。

 

 

遠く向こうまで広がるしおで畑。
よくぞこの場所に畑を作ったなあと眺めていると「元はここはゼンマイ畑やった」と岡林さんは話してくれました。

 

「太いのは茎の先に一本しかできないんやけど、大きいのよりか小さいのが美味しいで。花が咲きゆうろ、これも一緒に食べられる。一般の野菜よりも貴重価値が高いんやで」

岡林さんはそう言いながら手でポキポキ折って収穫していきます。

 

「僕が好きなのはかき揚げやね。美味しいで!生のを切って、衣とあえて揚げる。あとは油で炒めてだしを加えて、卵とじにしても美味しいで!」

「取れ始めは6月半ばから、7月10日くらいまでやね。高知市の城西館や土佐町のスーパー末広に出荷してる。高知で作っているのは僕ぐらいのもんじゃないろうか。四国でも聞いたことない」

 

 

今から30年以上前、ゼンマイの後に収穫でき、収入になる作物はないだろうかと考えていた時のこと。

ある日入った食堂で、隣に座ったトラックの運転手らしいおんちゃんたちの声が聞こえて来たそうです。

 

「『しおで』というのは、そりゃあ美味いぞ!なあ!美味いわにゃあ!」

 

岡林さんは、野生のしおでの味をもちろん知っていたので、その言葉で「しおでを育ててみよう」と決心、育て方を聞こうとすぐに農協や農業普及所へ相談に行きました。けれども育てたことのある人が誰もいなかったため資料は何もなく、岡林さんは1人で試行錯誤を始めました。

まずは野生のしおでを根ごと引いて、畑に植えてみたそうですが、なかなか育たない。しおでは株を中心に半径2メートル以上ぐるりと根を伸ばすため、山から引いてくるとどうしても根が切れてしまうからだそうです。

「根が切られるのは、しおでには死活問題。植えてもようよう生きちゅうばあよ。そればあ根がはっちゅう。そりゃあすごいぜよ」

「根を大事にせないかん。だったら種からやってみようと思った」

 

小さな花火のようなものが、しおでの花

しおでには小さな黄緑色のつぶが集まったつぼみが付いていて、だんだんと大きくなり花が咲くと「まん丸のブローチ」のような形になるそうです。そして真っ黒い種ができます。

育苗箱に種をまき、条件の違う色々なところへ置いて苗をたてようとした岡林さん。3年間、待てど暮らせどいっこうに芽が出ず、何回も「もうやめろうか…」と思ったそうです。

(「幻の山菜 しおで 後編」に続く)

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

鳥山百合子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「絵本のひきだし 林明子原画展」 朝日新聞社

「〜さんの絵だ」とわかったり「なんだか見たことがある」と思う絵。きっと多くの人たちにとって、林さんの絵はそんな存在なのではないでしょうか。それだけ多くの人に愛されているということやないかなと思います。

「しゃぼんだま」「きょうはなんのひ?」「かみひこうき」「はじめてのおつかい」「いもうとのにゅういん」…。
こどもの頃からいつも林さんの絵本は本棚にあり、数え切れないほど母に読んでもらったし、私もこどもたちに読みました。

この本には今まで描いた林さんの原画が収められ、林さんのこんな言葉が書かれています。

「絵本づくりの魅力は、ただの真っ白い紙の上に、ひとつの世界が立ち上がっていく楽しさかな。
夜描いてて、疲れたから明日にしようと思って翌朝に続きを描くじゃない?そこでいつも思うのは、翌朝にしないでその晩書き続けていたらどんな世界ができていたのかなって。」

朝になるとやってくる毎日や、これから歩いていく道のりや、明日待っているかもしれない出来事も、きっと真っ白な紙の上にあるのです。

毎日できることを積み重ね、ふと振り返ったときに、自分では思いもしなかった絵が描かれているのかもしれません。

鳥山百合子

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

鳥山百合子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「星のような物語」 星野道夫 NHKプロモーション

写真家 星野道夫さんは1996年、取材先のカムチャッカ半島で事故により亡くなりました。

星野さんがもし生きていたら、お会いしたかった。星野さんの本を手に取るたびにそう思います。

星野さんのまなざしが伝わってくる写真と、星野さん自身の「軸」が隣に感じられるような文章がとても心に響きます。

「あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。」

「人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり勇気を与えられたりすることが、きっとあるような気がする。」

「これからどんな旅が待っているのか、自分自身にもわかりません。が、どれだけ長い時間をひとつの土地で過ごそうとまだすべて見ていないという心の白地図だけはいつまでも持ち続けたいものです。」

星野さんが暮らしたアラスカの空も、この場所の空も繋がっているんだということを思い出させてくれます。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
山の手しごと

エンドウの収穫

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

土佐町早明浦ダムのほとり、上津川地区で暮らす高橋通世さん。猟師であり山師であり、山暮らしの達人です。敷地内には季節ごとの花が咲き、いつも楽しげに最近の出来事を話してくれます。

4月にワラビを収穫させてもらった時に「5月の終わりにはエンドウがなるき、また取りにきたらえいよ」と言ってくれていました。

そろそろ連絡がある頃だろうかと思っていた6月初旬、通世さんは電話をかけてきてくれました。

「エンドウ、取りにきいや」

 

張り切って上津川へ向かいました。

なんと、想像を超える一面のエンドウ畑!これは気合いが入りました。

 

 

エンドウとつるが繋がっているところに親指と人差し指を重ね、親指に、きゅ、と力を入れて採るといいとのこと。

 

 

おしゃべりをしながら収穫すること1時間、こんなに取れました!ずっしり、なかなかの重量。「さ、帰って(さやを)はごうか!」

 

ここは標高600メートル。気持ちの良い風が吹いていました。

 

道の途中には、山水が流れ出ています。谷から引いている山の水は、絶えることがありません。なんてゆたかなのでしょう。冷たくて甘い水をゴクゴク飲むと体がシャキッとします。

 

山イチゴも見つけました。イチゴのつぶつぶの中に、時々「あり」が隠れているので注意!
甘酸っぱくて美味しいです。たくさん集めてジャムにしたい。

 

座る場所を用意して、さやをはぎます。
時々コロコロ飛び出していく豆たち。井戸端会議をしながら、忘れずに手もせっせと動かします。

 

 

一つのさやに行儀よく、くっついて収まっている豆たち。どうしていつも、こんなにきれいに並んでいるのでしょう。
この一粒ずつがまた来年の種になるのですから、自然は不思議で偉大です。

 

収穫したエンドウはまず、豆ごはんにしていただきました。ホクホクしていてとても美味しい!
普通に水加減をして、お酒と塩、豆を冷凍のまま加えて炊くだけです。

他にも、煮物に一緒に入れたり、ちょっと緑色がほしいなという時に重宝します。

この季節しか収穫できないエンドウは、さやから出してジップロックなどに入れてそのまま冷凍しておくことができます。

 

 


 

きっと通世さんは、また次の季節の仕事の準備をしていることでしょう。

あの山に通世さんがいると思うだけで、何だか励まされるような、元気が出てくるような気がするのです。

 

 

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

鳥山百合子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「外来植物 高知嶺北 A・B」 山中直秋

土佐町の山中直秋さんが自費出版した本です。
牧野植物園が行った高知県内の外来植物を把握する調査に参加した山中さん。嶺北地域を担当し、嶺北の外来植物をまとめたものです。

道端でよく見られるあの花この花が掲載されていて「え?!あの花も外来植物だったのか!」と驚かされます。

山中さんは今年、牧野植物園が行っているたんぽぽの調査にも参加されていました。外来種、在来種のたんぽぽがどのように分布しているか調べるのです。私も調査に参加させていただのですが、これをきっかけにいつも通り過ぎ、見逃していたたんぽぽの存在に気づくようになりました。新しい世界を知るのは面白いことです。

ある日、土佐町の溜井地区を車で走っていた時に山中さんにお会いしたことがありました。
「溜井に在来種のたんぽぽがあるって聞いて、探しに来たんだよ!」ととても嬉しそうに話してくれました。

その何日か後、山中さんの家の庭に、ひとつ、たんぽぽがちょこんと植えられていました。とても丁寧に植えられていることがわかる佇まいでした。聞いてみると、溜井で見つけた在来種のたんぽぽのひとつをここへ植えたのだそうです。(ちゃんと根付いたそうです!また来年も咲くのでしょう。)

山中さんのこの本は、土佐町の青木幹勇記念館で購入することができます。
(青木幹勇記念館:〒781-3401 高知県土佐郡土佐町土居437 TEL.0887-82-1600)

興味のある方はぜひ!
道を歩き、草花と出会うことが楽しくなること間違いなしです!

鳥山百合子

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

鳥山百合子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「繕う暮らし」 ミスミノリコ 主婦と生活社

薄くなった靴下のかかと、Gパンのズボンのポケット、木登りして盛大にお尻の部分が破れた息子のズボン、転んで穴が空いたズボンの膝小僧。

裏側から布を当てて、色々な色の糸でチクチク繕う。夜は眠くなってうとうとしながら縫うので、針で指を刺してハッと目が覚める。

息子が小さかった時、穴のあいた箇所をチクチクと繕ったズボンを嬉しそうに学校へはいていった。そうやってちょっと手を加えたものは古くなっても小さくなってもなかなか手放せず、引き出しに大事にしまってある。

ひと針ひと針、針を進める作業は自分の心と会話する時間でもある。

ざわざわ、モヤモヤする気持ちを軌道修正しながら、縫いあがってちょっとかわいく生まれ変わった靴下やズボンをたたむ。ふと見渡した周りの風景が、いつもとはちょっと違うものに見えたりする。

鳥山百合子

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

鳥山百合子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「ながい旅でした。」 砂浜美術館 編集・発行

「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です」

この本を作ったのは、高知県黒潮町にある「砂浜美術館」。

町に新しいハコモノを作るのではなく、もともとここにある海や砂浜、ここにある季節に沿った人々の営みや知恵を「作品」として、この環境そのものを美術館にしようという考えで砂浜美術館は生まれたそうです。
時は1989年、今から40年前。その考えにとても共感します。
40年もの間、この考えでやり抜いてきたことには並々ならぬ苦労もあったことでしょう。

今年のゴールデンウィークに訪れた黒潮町の砂浜美術館でこの本を購入しました。少し黄ばんだこの本を手にした時から、この本の持つ体温が伝わってくるようでした。本にはそういう力と役割があるように思います。

黒潮町の海に打ち上げられたものが紹介されていて、くじらの骨ややしの実、船のスクリューや気象観測器といったものもあります。

2枚目の写真はその中のひとつ「海流ビン」です。アメリカのブライアン君(当時11歳)がタンカーで働く人に頼んで太平洋側に流したもの。9ヶ国語でメッセージが書かれており、瓶の口はロウで固められて水が入らないように工夫されていたとのこと。16歳になったブライアン君からは「理科の実験で流した」と返事が届いたそうです。流れ着いたものにも物語があるのですね。

この本の中にこんな文章があります。

「海岸に流れ着いたものを、単なるゴミとしかとらえることのできない感性より、素敵な砂浜美術館の作品、そうとらえられる感性。それが私たちの求める姿です。」

私たちのそばにも「作品」となりうるものが、あちらこちらにあるのではないでしょうか。

鳥山百合子

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

びわの季節

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

5月下旬、白やオレンジ色の袋をつけた木があちらこちらにあることに気づく。
びわの木だ。
鳥に食べられないように、びわの実の一つひとつに袋をつけるのだ。

 

土佐町で暮らし始めてからずっとお世話になっていたおじいちゃんがいた。

おじいちゃんの家にもびわの木があった。

ちょうど家の向かいに住んでいたおじいちゃんが教えてくれたこと、一緒に過ごした思い出は数え切れない。
しいたけのコマ打ちの仕方を教えてくれた。梅や柿を取りにおいでと言うために、朝出かけて行こうとする私を階段の下で待っていてくれた。しし汁をストーブにかけてあるから食べにおいでと電話をかけてきてくれた。
夕方、おじいちゃんの家を見て「灯りがついたなあ」と思っていたのは、おじいちゃんも一緒だったと知った時の気持ちは今も忘れていない。

 

毎年5月、おじいちゃんのびわの木には袋がかかって、白やオレンジの花が咲いたように見えた。その「花」が咲いてしばらくたった頃、おじいちゃんはいつも声をかけてくれた。

「びわをとりにおいで」

 

私の息子はびわが好きだ。おじいちゃんは高いところのびわはハシゴをかけて採って手渡し、びわを頬張る息子を目を細めて見ていた。

おじいちゃんは、息子をまるで自分の孫のようにかわいがってくれた。息子にたけのこの掘り方を教えてくれた。息子は学校から帰るとランドセルを置いて自転車でおじいちゃんの家に行き、一緒にテレビの時代劇を見たり、そのまま夕ご飯をご馳走になって、おじいちゃんの運転する軽トラで帰って来たこともあった。

おじいちゃんと息子は、気の合う友達のようでもあった。

 

確か土佐町での3回目の5月を迎えた時、やっと気づいた。おじいちゃんは、びわを息子に食べさせるために袋をかけてくれていたのだ。「結くんはびわが好きじゃき」と言って。

 

 

今年の2月、おじいちゃんは亡くなった。棺に入ったおじいちゃんはいつものように穏やかな優しい顔で眠っていた。声をかけたら起き上がって笑ってくれそうだった。息子は棺のそばに膝をつき「なんで、なんで…」と泣き崩れた。「おじいちゃんは結くんが大好きじゃったきねえ」と言いながらおばあちゃんも泣いていた。みんな泣いた。

 

おじいちゃんがよく薪を割っていた田んぼの畦や薪がたくさん重ねられた小屋の前を通る時、ふと、おじいちゃんの気配を感じることがある。
ここは、おじいちゃんが歩いた道。おじいちゃんが生きた場所。

 

 

今年もびわの季節になった。
おじいちゃんはもういない。

それでもびわは色づく。

おじいちゃんは、今日もどこかで見守ってくれている気がする。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
23 / 39« 先頭...10...2122232425...30...最後 »