左が、上ノ土居の大工の棟梁、森岡忠賢さん、88歳。そしてそのお隣が孫の拓実さん。
孫の拓実さんは祖父の忠賢さんを師とし、現在では大工さんとして独り立ちしています。
祖父から孫へ、継承される大工の技。忠賢さん曰く、拓実さんが若い頃は敢えてめっぽう厳しく接していたということですが、それもまた師の愛情ということなのでしょう。
そんな関係が少し羨ましくもあります。
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土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)
注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。
“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。
念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。
土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。 (敬称略・撮れたときに不定期更新)
「湖畔りんご園」を営む伊藤明導さんと美恵さんのご夫婦です。
湖畔りんご園は土佐町平石地区にあり、様々な種類のりんごを栽培している農家さんです。
以前、高知県西部でケーキ屋さんをやっている知人も、「湖畔りんご園のりんごでケーキを作りたい!」と言ってはるばる仕入れにやってきていました。
三代に渡るりんご園のお話も近々ご紹介したいと考えています。
蛇足になりますが今回伺った理由は、写真の背景にちらっと写り込んでいる家屋、この伊藤さんのご自宅が、ダム建設時に水没地域であった柿ノ木部落から、そっくりそのまま移築したものであったということを聞き及んで、その実物を見せていただこうということで訪問させていただきました。
現在、柿ノ木地区は大半がダムの水の下にあるという事実。そして昔は柿ノ木にあったこの日本家屋が、現在では平石に建っているということに、不思議な巡り合わせを感じます。
相川・中尾地区の上田義和さん。土佐あか牛の畜産農家さんです。
義和さんとの出会いのきっかけは、鹿の角。
とさちょうものがたりが取り組んでいる「鹿の角ガチャ」が高知新聞に取り上げられた際に、記事を読んだ相川の澤田清敏さんから、「鹿の角をきっと持っている猟師さんに頼んであげる」と紹介がありました。
そうして鹿の角をいただいたご縁で、今度はあか牛の出産に立ち会わせてもらえることに。
母牛が赤ちゃんを産むその瞬間の、その模様はまた別の記事でご紹介するつもりでいますが、上田さんはとさちょうものがたりが一方的にお世話になっている「お師匠」の一人です。
ちなみに背景に写る牛舎全体を、義和さんご本人が自作されたそうで、その技術とバイタリティにもびっくりします。
石原の川を撮影中に出会った西川公明さん。
釣りをしている最中にお邪魔と思いながらも声をかけ、川のことや魚のことを教えていただきました。
石原出身の元新聞記者である窪内隆起さんの文章につける写真を撮影するため、「継ぎ竿(太さの違う竹を組み合わせて分解可能にした釣竿)」を探していたのです。
結論は、継ぎ竿ではなく、継ぎ竿にしていたような竹林をこの写真の対岸に見つけ、公明さんの手をお借りして撮影することができました。
こういう「お師匠」のような方がそこかしこにいらっしゃって、意図せずばったり出会ったりすることも、土佐町で仕事することの面白みになっています。
西石原の筒井良一郎さん、和子さんのご夫婦です。
実は編集部は良一郎さんにとてもお世話になっていて、土佐町ベンチプロジェクトのベンチを石原に設置した際だとか、最近では「山峡のおぼろ(著・窪内隆起)」のあるエッセイの写真に、モデルとして登場していただきました。
この写真はその撮影の後に撮った一枚です。
いつお会いしても快活で気持ちの良い方です。
谷種子さん。稲叢山の山麓に、20年以上もの長い年月、桜の木を植え続けている方です。
種子さんが植えたその桜の木が満開を迎える時に、どうしてもその前で写真を撮らせていただきたくて、急な話になってしまったのですが一緒に山まで行っていただきました。
撮影中も、おそらく遠方からやってきた家族が車を止め、しばしの間桜を見つめ、その前で写真を撮っていました。
長い時間をかけた種子さんの仕事が、こうしてたくさんの方々の目を楽しませています。
種子さんがここまで来た道のりをお聞きしましたが、種子さんの口から出てくる言葉は「楽しかった」「私がやりたかった」というものばかりで、そこには義務感や悲壮感はかけらもありません。
「自分がやりたいこと」がそのまま「周りが喜ぶこと」となっているところに、種子さんの膨大なエネルギーの源があるような気がしています。
土佐町役場のすぐ近くにある川田ストア。昇さんと礼子さんが作る美味しいお惣菜が並ぶお店は、とさちょうものがたり編集部もたびたびお世話になっています。
お店に少しの時間いるだけで、近所の方々が次々と立ち寄っていくのを目にします。昔から近隣の地域にとってはなくてはならないお店だったのでしょう。
そういえば、とさちょうものがたりのシルクスクリーン事業での、一番初めのお客さんになってくれたのも川田ストアでした。
町の駅伝大会に出場する「川田ストアチーム」のTシャツを(今年はコロナ禍で大会自体がありませんでしたが)毎年のように注文していただいています。さらに言えば、こういった事業が事業になる以前から、背中を押して応援してくれている存在でもあります。
地域にとってもそうですが、とさちょうものがたりにとっても大切なお店で、大切なお二人です。
古味地区の川村友信さんです。
さめうらダムの北側に位置する古味地区。現在は3世帯が住む集落となっています。
友信さんはその古味の地区長さんです。とさちょうものがたりでは、さめうらダム建設当時のお話を集めた連載を準備中です。
様々な方に、当時の出来事や感覚をお聞きして、形にして残していきたいと考えています。
その記念すべき一人目として、友信さんにお話を聞きに伺った際に撮影した写真です。さめうらダム建設以前には古味地区は現在より遥か下方に位置していて、それは今ではダムの底になっているということも、恥ずかしながら友信さんのお話を聞いて初めて実感しました。
その記事は近々公開予定ですので、そちらも楽しみにしていてくださいね。