私が中学生になり(昭和四十年代)、しばらく過ぎた頃、それまではダメだった腕時計を学校に付けて行ってもよくなった。
修学旅行もあるので私は祖母に腕時計をおねだりした。
ある日、祖母は「シチズンコスモスター」という防水機能の付いた腕時計を買ってくれた。チェーンのベルトでとてもカッコ良かった。私にとっては、リカちゃん人形以来の高価な欲しい物だったので、とても嬉しかった。その頃は、まだ大多数の生徒は腕時計を着けてないので私は制服のポケットに入れて学校に持って行って、時々ながめては「にんまり」していた。
ある日のこと、遠足で溜井の池へ行った。
私はその日も相棒の腕時計をポケットに入れて同行した。池まで登る途中は、坂をかけ降りたり登ったり、草花を摘んだりしながら池まで行った。弁当を食べお菓子を食べ、フォークダンスをしたり、宝探しをしたりして楽しんだ後、南泉、宮古野方面の生徒達は、近道を子供だけで帰る。例年の行動だった。
悪路だが、帰り着くのは早かった。家に帰り、リュックを降ろしポケットの相棒をまさぐった。
目の前がまっ黒になった。買ってもらったばかりの「シチズンコスモスター」がポケットにない!どこかで落とした。弁当を食べる時にはあったのに。
とりあえず、一人で帰り道を登って探した。何とか見つかってくれ!しかし無情にも日が暮れて来た。色々思いを巡らせながらトボトボと夕暮れの山を下った。
楽しい筈の遠足が奈落の底へ。「おばあちゃんに何と言おう」その日は話す事が出来なかった。次の日もその次の日も気分はグレーだった。
何日かして「何か隠しちゅう事ない?」と祖母が、私の部屋に来た。私は腕時計を遠足に持って行って、なくした事を泣きながら白状した。
「失くなった物は仕方がない。おばあちゃんの時計をやお」と言って、腕時計を私にくれた。
「今度は絶対に失くさんき」「大事にするき」私は、又泣いた。
おばあちゃんの腕時計は、お寿司のニオイがした。スーパーで、お寿司を作っていたから酢のニオイが染み込んでいたのだ。ワガママな私は、当時、流行っていた白い皮の幅広ベルトを買ってもらい文字版を付けた。
とても気に入った。祖母から貰った二つ目の腕時計は、私の腕でずっと輝いていた。