2019年4月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

藤田英輔

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「忍者/忍法画報(少年のための)」 初見良昭 秋田書店

【忍者忍術シリーズ第1弾】

忍法・忍術:目的を果たすために、心理学・物理学・地質学・天文学などを科学的に活用し成果をあげるための武術。

昭和40年頃、スポーツ選手や歌手に憧れるように「忍者」にのぼせていました。TVや漫画の影響でしょうが、棒切れを背中に差してリキんでいました。ある時、漫画雑誌の「手裏剣買えるよ」との広告をみて小遣いをためて注文!届いたのはゴム製のヘラヘラ手裏剣。オーッ、そうきたか!と、とても落胆したことでした。

【問①:手裏剣には真ん中にたいてい穴が開いていますが、何に使うためでしょうか?】

いつ興味が薄れ、いつ無理!と悟ったのか思い出しているところです。

昨夜(平成31年4月1日、5月1日から令和)に届いた情報です。
野球に興味が深まり、背番号を自作し、背につけて棒を振り廻している少年がいる。妹まで巻き込んでいる、らしい。(友人の少年らしい)
半世紀以上前(昭和40年頃)の自分を見ている気がしています。リキんだ顔が浮かびます。独りで楽しめるということは大変にすばらしいことです。大人になってからきっと役立ちます。(何が?とは言いにくいですが)

他にも忍者・忍術関連の本が数冊出てきていますので、今日はこの辺で。(問①の答えもこの次に)

*初見良昭(1931~)
1958年戸隠流忍術34代宗家継承。映画「007は二度死ぬ」の忍術指導など多数。完本はヤフオクで14500円ですと。8800円の表示もあります。カバーなし傷み有りは2500円で売られています。

藤田英輔

 

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山峡のおぼろ

脱穀の音

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山村育ちの友人たちと話す時、秋の脱穀機の音が忘れられないということをよく聞く。

山村の田は、家の近くにもあるが、山の中腹や、それよりも更に上の高地にも多くあった。稲を刈り取ったあと、その田で脱穀することが多かった。今のような電動の脱穀機ではなく、足踏み機であった。

父は応召して居らず、祖父母と母で田畑や山林を守っていた。

稲刈りの作業には私も、小学校の5年生の頃から、日曜日には家族と共に山の田へ行った。

稲は刈って、それを乾かしてから脱穀する。その時に扱いやすいように、稲は手頃な量に束ねていた。

脱穀機は分解出来ないので、そのままで運ばなければならない。人が背負ったり、牛に背負わせたりして運ぶ。山の坂道だから、人はもちろん、牛でも難儀して上った。

私も背負って上ったことがあったが、小学生の頃は無理で、中学生になってからであった。上る途中で何度か、道脇の石や木の切り株に脱穀機を下ろして、足腰を休めた。

終戦の昭和20年に高知市の中学校に入学したので、日曜日や“農繁期休暇”には手伝いに帰った。

戦中、戦後の窮迫した時代であったが、脱穀の時の思い出は意外に爽やかである。晴れ渡った秋空の下で、脱穀機が回る音と、稲穂から籾を落とす音が、なんとものどかで、のびやかであった。

主に祖父が脱穀機のペダルを踏んで作業したが、時には私も交代して手伝った。

青い空と、澄んだ山気と、その中に拡がる脱穀作業の音が、今も身体に残っている。

 

*脱穀機は、笹のいえにあったものを撮影させていただきました。ありがとうございました。

 

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私の一冊

西野内小代

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「国家の品格」  藤原正彦 新潮新書

 

日本人なら普通に持っている「感性」「情緒」の大切さ。

例えば桜の木、一年のほんの数日しか楽しめない木をとても大切に思い日本中に植えている、その「感性」。

素晴らしい論理もまず出発点が大切、その出発点を選ぶために必要とされるのが蓄えられてきた「情緒」。

名作や古典を読む事もその情緒をはぐくむうえで必要と、読書の必要性が説かれています。

世界に対して卑屈になる必要などない!と強く後押ししてくれます。

西野内小代

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笹のいえ

天日のチカラ

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周囲を山々に囲まれているが、笹のいえは日当たり抜群だ。太陽は南側にある山の尾根をなぞるように、冬でも隠れることなく惜しみなくそのエネルギーを注いでくれる。

洗濯物はよく乾くし、お米や野菜がよく育ち、なにより気持ちが晴れ晴れとする。

数日間雨続きでジメっとした後に、日を見ると思わず拝んでしまう。人間が健康に生き延びるのに日を浴びることは不可欠だと実感する。

笹の暮らしは、お天道様に依存してる。

田んぼで収穫したお米は、はでに干し、天日で乾かす。藁に残った水分が穂についている米一粒一粒にまで行き渡り、甘みを増すと言われる。時間を掛けてじっくりと乾燥させたお米には愛着が生まれ、大切にいただく。天日干しでは乾燥具合にムラが出るため、仕上げに乾燥機にかける。干すことにより含有水分が少ないので、乾燥が短時間で済み、電気や灯油の節約になる。

秋に採れる柿も軒下に吊るして、干柿にする。水分が抜けて、柿の甘みがギュッと濃厚になり、おやつにも料理にも大活躍する。生では食べられない渋柿も天日に当てると甘くなるから不思議だ。長雨だったある年に渋柿をスライスして、薪ストーブで乾燥させたが、渋くてとても食べられなかった。「乾かせば甘くなるだろう」と考えていた僕は、太陽のチカラに驚いたのだった。

春と秋にたくさん採れる椎茸も干す。乾燥させてない椎茸を食べると身体が冷える感覚があるが、干したものは陽性に傾くため食べやすい。生のときとは違った滋味深い出汁が出るし、袋に入れて長期保存も可能だ。

その他にも、千切りした大根、茹でたサツマイモ、海で採ってきたヒジキやワカメ。洗濯物や布団座布団など、とにかくなんでも干してしまう。

これだけ利用してもお金が掛からないなんて、本当に拝まずにはいられない。

天候によって乾燥させきるのが難しいときもあるが、ストーブが稼働していればその熱を利用して、最後の水分を飛ばす。保存はファスナー付きの保存袋に入れて、ネズミが入れない場所に保管したり、冷凍庫に入れたりする。風味が保たれ、カビにくく、長い間楽しむことができる。

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私の一冊

藤田純子

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「ターシャの輝ける庭」 ターシャ・テューダー著 メディア・ファクトリー

今、桜が満開となりました。

草花や木々は眠りから目覚め、うーん!と背伸びをするかのように伸びやかに春を告げています。

美しい色とりどりの花、若々しい緑。

自然界は人々の心を生き生きとさせ、またなぐさめてくれます。

この季節になるとページを開きたくなる、この「ターシャの輝ける庭」。

1972年、50代のターシャが自給自足の一人住まいを始めた時からつくり始めた、庭の春から秋までの庭の写真集。

92歳で没した彼女の晩年の頃の静かで穏やかで、幸福そうなたたずまいを見るのもうれしいです。

藤田純子

 

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3月18日〜3月30日、ハンガリーからやってきた高校生のカヌー選手たちが土佐町に滞在していました。

2017年にハンガリーから土佐町へ移住したカヌーの世界チャンピオン、ラヨシュ・ジョコシュさんと共にさめうら湖で練習を積みながら、高知県や嶺北ならではの場所へ足を運び、とても良き時間を過ごしていたようです。

その高校生たちに「土佐町のお土産として、ポロシャツとトートバックをプレゼントしたい!」と土佐町教育委員会から声がかかり、早速制作に入りました!

チームカラーがグリーンということで、緑色のポロシャツにプリントしました。2018年土佐町オリジナルポロシャツのデザイン、下田昌克さんが描いてくれた「土佐町の春の食べもの」をプリントしました。

そして、トートバックも。たくさん荷物が入る方がいいだろうと、マチ付きタイプを選びました。こちらもチームカラーに合わせてインクはグリーンで!

 

高校生6人とコーチへの贈りものができあがりました!

 

 

土佐町の風景やこの地で生きる人たちの姿を伝えたいと、とさちょうものがたりZINE02号も一冊ずつプレゼント。

 

高校生たちの練習の場であったさめうらダム湖。編集長の石川が撮影したさめうらダム湖のポストカードに、選手ひとりひとりへメッセージを書きました。

最初にある「Kedves」は、英語でいうと「Dear」。

「ハンガリーから土佐町にきてくれてありがとう! 広い広い世界の中で、あなたとご縁ができたことをとても嬉しく思っています。 またいつでも土佐町に来てくださいね。お待ちしています。」
と書いてあります。

うーん、ハンガリー語は難しい!
選手たちの食事を作ってくださっていた須崎在住の竹崎エルジェーベトさんに、ハンガリー語の文章がこれで合っているか見てもらいました。

 

このポロシャツとトートバックを制作したどんぐりの寿光さんときほさんを紹介し、和田守也町長から手渡されるとみなさんとても喜んでくれていました。

海を渡り遠くハンガリーで、このポロシャツやトートバックを使う人がいると思うととてもワクワクします。
受け取った選手やコーチが心から喜んでくれている姿を見ていて、シルクスクリーンを始めて本当に良かったと思ったのでした。シルクスクリーンが人と人をつなぎ、町と国をもつなぐようなものになるとは、始めた時は考えてもみませんでした。

 

写真左からLajos Gyokos, Pusztay Istvánコーチ, Csanki Márk Bese, Kardos Levente, Tóth Bálint, Révész Péter, Nagy Bianka, Molnár Csenge )

最終日の午後、高知市へ観光へ行った選手たち。高知城で早速ポロシャツを着てくれたそうです。なんてうれしいことでしょう!涙が出てしまったくらいです(笑)。

高校生たちはハンガリーのジュニアのトップ選手たちなのだそうです。2020年東京オリンピックのハンガリーの代表選手になるかもしれませんね。楽しみです!

宿泊先のおこぜハウスにて

ハンガリーの皆さん、お食事を作ってくださった竹崎さん、またいつでも土佐町に来てくださいね!ありがとうございました!

 

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私の一冊

石川拓也

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「BHUTAN A SKETCH BOOK」Doug Patterson Tarayana Foundation

 

今年2月、ブータンにGNH(国民総幸福度)の勉強をしに行ったときに見つけた本です。

発行元のTarayana Foundation(タラヤナ・ファウンデーション)というのはブータン最大の社会事業組織 (NGO?)です。視察に行き話も伺ったのですが、実に様々な分野での事業を、驚くほどの少人数で行っています。

ブータンの各地方にプロジェクト・マネージャーを置き、現場で必要としている施策を、主に外国のファンドの資金により実現していく。

例えば、昨年度は地方の貧困地帯に500軒の家を建てるプロジェクト。ぼくが訪れた際はそのプロジェクトのレポート時期にあたり、一年やった結果、どういう資金の使い方をしたのか出資先に報告するということでした。そしてその結果を出資先が良しとすれば、また来年度も500軒建てることになります、と担当者が説明してくれました。

他にも教育、医療、ラジオの普及(情報格差の解消)などなど活動は多岐に渡ります。

この本は、タラヤナ・ファウンデーションと同じビルにあるタラヤナ・ショップで販売されていたもの。

タラヤナ・ショップもタラヤナ・ファウンデーションの活動の一環で、ブータンならではの素材を使った雑貨などを販売しています。

その素材はすべて、ブータンの地方で農村の人々が作ったものだそうで、その収益が彼らの収入になるという仕組みです。

本の内容に話を戻すと、ダグ・パターソンはロンドン育ちの画家。世界の様々な場所を旅し、独特のタッチで風景や人物を描いています。

その生き方と絵のタッチが、単純に好きやなぁと思います。

 

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土佐町のものさし

【番外編】ブータン・GNHレポート No.2

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 土佐町の新しい指針を作る過程を追う「土佐町のものさし」、今回は【番外編】として、GNHの産みの親であるブータンのGNHの現状を、とさちょうものがたり編集長である石川がレポートします。

 

2.  ブータンの峠

 

幸福度やGNHの固い話を少し離れて、ブータンの旅の話をしたいと思います。

今回、ブータンの東西を縦断するような形で旅をしました。国際空港のある町・パロを始点に、首都ティンプーを通り東端のシュラブッチェ大学まで行く旅です。

 

 

 ブータンの面積は九州と同じくらい。でも‥‥

 

地図で見ると、ブータンってそんなに大きくない。面積を調べると九州と同じくらい。

でも‥でも‥ブータンって高低差がハンパない。西側から東側へたどり着くまでに、3000m級の峠をいくつも超えることになります。

そのうちのもっとも高いトゥムシンラ峠(Thrumshing La)は標高3,700m。ちょうど富士山と同じ高度を車で越えていくわけです。

トゥムシンラ 空気が薄い…

 

 

こういう峠をいくつも越えてブータン西部から東部へ行ったわけです。

例えれば石原から黒丸への山道を、高低差3倍ぐらいにしたような濃度で越えていきます。根曳峠がかわいく見えてきます。

当然、九州を横断するより時間もかかる。
西から東へ、だいたい2,3日かけて行くのが一般的なようです。

トンサという町のマンディチュ・ダム

高度の高い峠や山道を通っている時は、川や谷がはるか彼方の下方に見えます。

こうして峠と谷をいくつも越えて西の玄関であるパロから、東の目的地であるシュラブッチェ大学(Sherubtse College)のあるタシガン(Trashigang)まで、途中で宿泊しながらの往復をしました。

短時間での高度差と温度差、空気の薄さと乾燥、体にはなかなかこたえる旅程。

ただこうやって地べたを走ることで、地図で見ても決して感じることのできないブータンの壮大さを身をもって感じることができたと思います。

裏を返せば、それは人間という存在の小ささ、脆さ、たくましさ。

地球という惑星の表面にできた壮大な突起物の、ほんの一端にしがみついて綿々と暮らしを続けてきたという事実を身をもって感じた気がします。

 

もみの木の山。これを通称ブラック・マウンテンと呼ぶのだそう。

世界の車窓から

谷はこんな感じ

この橋は日本の協力のもと架けられたそう

橋の袂にはこんな碑が掲げてありました。

これは日本とブータンとの友好と協力の証。

ブータンの山奥の小さな川に小さな橋を架けることは、地球という単位から見ると本当に取るに足らないことかも知れません。

でもこうして両国の先人たちが小さな行動を積み重ねて、世界が少しずつ良くなってきたことを実感します。

自分とか自国のみが裕福になることを目指すのではなく、足りないところに足りないものを少しずつ補っていく。

そういう行動が積み重なった上に現在の世界が成り立っているのだと思います。

実際に、現在の地球上で極度の貧困にある人間の数は徐々に減少傾向にあるということです。(国連のデータによる)

例えば中央アフリカの諸国は、貧しいイメージがあり実際に貧しいところも多いのですが、それでも過去に比べて状況は飛躍的に改善している。(現時点で、良い状態であると言っているワケではなく、過去よりは良くなってきているという意味です。)

そしてそういった改善は、上の写真の碑に見られるような、大きなニュースになることもない小さな行動の積み重ねによるものだと思います。

自分自身がしてきた、もしくはこれからするであろう小さな仕事のひとつひとつも、そういう「少しだけでも世界を良くする」仕事でありたいと、でこぼこの山道に揺られながら、高地の薄い空気のぼーっとした頭で考えたのでした。

 

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「はてしない物語」 ミヒャエル・エンデ著 岩波書店

この表紙の写真を見てください。あかがね色の布張りの表紙の真ん中に描かれているものは何でしょう?

そう、ヘビです!2匹のヘビがお互いのしっぽをかみ合って、ぐるりと円を描いています。
その円の中に描かれた題名が「はてしない物語」。

本の手触りも、手にした時の感じも最高です。なんて素晴らしい装丁なのでしょう。

このあかがね色の本そのものがこのお話の中に登場するのですが、そのことに気づいた時の驚きといったらありませんでした。お話と現実がつながったと言ったらいいでしょうか。

 

このウェブサイト「とさちょうものがたり」がまだ名前を持つまえのこと。サイト名を何にしようか、ああでもない、こうでもないと頭を悩ませていた時に、ふと目に飛び込んできたのがこの本でした。

人はみな、ものがたりを持っているのです。
世界中のあちこちに、その人だけのものがたりが散りばめられています。

これからも土佐町のものがたりを大切に紡いでいきたいと思っています。

鳥山百合子

 

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これは高峯神社の守り人、筒井賀恒さんと一緒に、高峯神社への道しるべを辿った記録です。
今日は「地図上5」の場所にある石碑についてのお話です。

 

(「高峯神社への道 その4」はこちら」)

4つ目の石碑の先からは、植林された山の中へと道が続く。昔は今よりももっと道が細く、馬が一頭やっと通れるくらいだったそうだ。その道を昔の人は歩いて行き来していた。

賀恒さんは以前、安吉に住んでいた。
「安吉に住んじょったけんど、家がたった3軒しかなかった。買い物や散髪にいく時、歩いて一日がかりで石原へ行った。この道があったから、なんとか奥で生活しよったよ」

 

現在のこの道路が出来上がったのが、昭和24年のこと。

山の中を縫うように走る細い道。この道を今までどれだけの人が通ったのだろう。
その道を進んで行くと現れる、5つ目の道しるべ。

「従是  三宝山 二十丁」

道路の左側に道しるべはある。落ち葉と土に埋もれるように、大きな岩に寄りかかるようにして建っていた。

「これより 三宝山 二十丁」

丁は約109m、ここから高峯神社まであと2㎞ほどだ。

 

高峯神社の宮司さんである宮元千郷さん(写真左)もこの旅に同行してくださった。

 

峯石原林道という名前でこの道路は開発され、昔、このあたりは「猿・猪のお住まいどころ」と言われていたという。

それだけ山深い場所に、今も昔も人は暮らし続ける。

 

「安吉の集落までの道路ができてくるのが楽しみでよ。戦争中や戦後、食料のない時は配給制度で、米も一人あたりなんぼと決まった量しか買えんかった。馬方に頼んでよ、毎日ぎっちり荷物を積んで供給してくれた。今のマーケットみたいなもんよ」

この道の先にある黒丸、瀬戸、安吉、峯石原で暮らす当時40戸分の人たちの荷物を、馬一頭の背中で運んでいたそうだ。山奥で暮らす人たちは近くで田んぼを作れないため、稗(ひえ)や粟などの雑穀、キビなどを育てて生活していたという。

「高峯に行く道は、林道ができるまでは牛や馬で運んだり、天稟で背負うたりして…。今、楽な生活ができるような時代になったものよ。今までの生活を振り返ってよ、自分が自動車に乗って走れるなんて思いつかなかった」

 

曲がりくねった道の向こうから、馬がゆっくりと歩いてくる音が聞こえてくるようだ。今まで知らなかったことを知ると目の前の風景が違って見える。

(「高峯神社への道 その6」に続く)

 

 

(「高峯神社への道 その6」に続く)

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