「植えたかよ?」
つまり、田植えは終わったか?という、この時期の挨拶みたいなものだ。
僕らが暮らす地域では、田植えの大半は、5月下旬から6月上旬の間に行われる。道沿いや家のとなりにある田んぼ、そして山の棚田に、苗が植えられていく。水を湛えた田んぼのそこここに人が集まり、日に日に緑の絨毯が広がる様子は、生命力に溢れ、「いよいよ始まるぞ」という気になる。
僕がお借りしている田んぼは、田植え時期の最後の最後に、やっと終わった。
今年は、種蒔きから田植えまで、なるべく手作業やってみようと計画していた。が、これがとっても大変で、時間が掛かってしまった。田んぼの苗床に直播し苗を育て、田植え前に水を落として、植えるための線を引き、手植えする。やってみたい方法をあれこれ試していたら、時間がどんどん過ぎていった。
「渡貫さん、植えたかよ?」「今年は苗の成長が遅くて、まだなんです」
「植えたかよ?」「いやあ、まだですー」
「植えたかよ?」「いえ、まだ、、、」「はよ植えんと秋になるぞね」
いつまで経っても田植えが始まらない僕の田んぼを集落の人が見て、声を掛けてくれる。僕は言い訳がましく、これこれこういうやり方をしていて遅れているんです。と話すと、それはこうした方がえい(良い)ぞ、昔はこうやっていた、と貴重な話を聞くことができる。次回はこうしてみよう、そうかああしてみたらいいのか、と苗を植えながら、頭の中で来年の田植えに向けてシュミレーションしてみる。
田植えが始まると、とてもひとりではやりきらないと言うことが分かった。急遽友人たちに連絡し、手を貸してもらって、なんとか終了した。
やれやれ、これでなんとか一安心、少し休もう。
と思ったが、最初に植えた田んぼでは、すでに雑草が生えはじめてる。これを放っておくと、せっかく植えた苗が草に負け、収量も減ってしまう。下ろしたばかりの腰を上げ、再び田んぼへと入る。
今年こそはと、春に余裕をもって計画し、はじめる農作業。しかし、いつの間にか季節に追い越され、作業に追われる農ライフは続くのだった。
写真:田植えのときは、田んぼの神様にお供えをし、安全に収穫ができるようお願いをする。五穀豊穣を表した旗を揚げるが、今年は奥さんに頼んで、古布で作ってもらった。