「パッチワークキルト2018.2019.2020」「西村公記グラフィックデザイン展」「山下春代版画展」
土佐町の青木幹勇記念館で開かれているイベントの写真集。
全てのイベントについては、諸事情により作成できていませんが、今、私の手元に頂いている本が5冊。
「パッチワークキルト展」の3年連続のもの。そして、「山下春代版画展」、「西村公記グラフィックデザイン展」。
みなさんの作品に込められた様々な思いが蘇ってきます。
やっぱり、写真にして残すっていいですねぇ~!
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記事タイトル
掲載開始日
山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。
人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。
土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?
みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!
(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)
むかしむかし、伊勢川に小平と言う人がおったそうな。
ある日、家から二里半(一里は約四キロメートル)はなれた白姥ヶ岳と言う山に、ぬた待(えものが来るのを待ちぶせする猟法)をしにいったと。朝から次の日の朝まで一夜を明かそうと、握飯、茶瓶などを持って、いつも行き慣れちゅう場所に打ち場を構え、猟をしよったそうな。やがて夕方になったんで晩飯の準備を始めたと。
その時、年の頃十五、六歳のかわいらしい少女が現れ「叔父さん、変わった所においでますねえ。」言うたそうな。ふと見ると、宮古野に住む姪のお六じゃった。小平は、これは曲者がお六に化けているにちがいないと思うた。
けんど、しぐさや声があまりにお六に似いちょるんで「おまんは、こんな夜中に一人で、ましてこのような人里はなれた山の中にどうしてきたぞ。」と問うた。するとお六は、いつもと変わらん笑顔で、「ここは白姥ヶ岳と言うて最も恐ろしい山の中、なんぼ生活のためじゃ言うても、罪もない動物を殺すんです。これからは殺生をやめて他の仕事をしてください。」と言うたと。
そしたら小平が「わしは、生まれてこの方の猟師ゆえに仕方がないが、ところでおまえは少女の身で、ましてこんな夜中に来るとは大胆なやつじゃ。今さら帰るわけにもいかんので、ここで仮寝をして朝早く帰れ。」と言うて、そこに横になったそうな。しかし小平は、油断せずに寝たふりをしちょった。
すると、丑の刻(午前二時)を過ぎる頃から、少女の姿がちょっとずつ変わり始めたと。目は大きく異様な光を放ち、口は広がり耳元まで裂け、身の丈も延びて七尺(一尺は約三十センチメートル)になったそうな。
小平は驚き「化物正体をあらわせ。」と言うて、刀を抜き、化物の脇の下を突き抜いた。すると化物は正体を現し、七尺余りの大猫になって、ものすごい悲鳴をあげて山奥に逃げていったそうな。
昔から白姥ヶ岳には化物が棲む言いよったが、その一つじゃったもんじゃねえ。
寺石正路編「土佐風俗と伝説」より(町史)
「沈まぬ太陽(二)アフリカ篇・下」 山崎豊子 新潮社
沈まぬ太陽アフリカ篇・下は、家族との別離、果てしなき孤独を支えたアフリカの大地・理不尽な「現代の流刑」に耐える主人公と家族の宿命の転変とあります。
主人公・恩地元は、航空会社の組合活動により、会社から海外の僻地へ追いやられ中近東からアフリカまで十年近く苛酷な運命を生き抜きますが、日本で待っていてくれるかつての組合員仲間のためにどんな帰る条件を出されても首を振りません。
しかし、アフリカでは果てしない孤独に襲われ自分を見失いかけますが、それにも耐え忍び、日本への帰郷が実現します。長編ですがすべてが事実かとも思われる文章に最後まで一気に読みました。
稲刈りが終わった田んぼに、お米を干していたハゼがまだ残っている。そこには大抵、小豆が干してある。
細長いさやがたくさんついている小豆は根っこから引き抜かれ、いくつかの束となって、ハゼ干しされている。この時期はからりとした天気が続くので、よく乾く。
12月の天気の良い日、近所のおばあちゃんが田んぼに大きなゴザを広げ、一人座っていることがあった。小豆の束を左手に握り締め、右手に持った木槌で、ゴザに小豆を叩きつけていた。ザン、ザン、ザン、と地の内側から聞こえてくるような音が耳に残った。そうすることで小豆がさやから飛び出すのだ。ゴザ一面に、赤茶色をした小豆の粒が散らばっていた。
全部叩き終えると、ゴザを半分にたたんで真ん中に小豆を集め、ざあっとざるに移す。そして、ざるを振りながら小さな葉クズを落とし、小豆だけを残す。
小さな粒々は、一人前の顔をして艶々としていた。
おばあちゃんは、この小豆であんこを作った。そして、自家製のもち米でおはぎやお餅を作ってよく届けてくれた。これがまた得も言われぬ美味しさで、おばあちゃんのおはぎが届いた日には、子どもたちは嬉々として頬張っていた。
小豆は全部使わずに、来年の種として一部取っておく。毎年毎年、何十年も、おばあちゃんは、そうやって種を取り継いでいるのだ。
先日、「ぜんざいでもしたら美味しいよ」と小豆をいただいた。小豆はあんなに小さいのに、集まると案外重い。
ぜんざいもいいし、お赤飯もいい。少し取っておいて、来年、裏の小さな畑で育ててみようか。
目の前の小豆の向こうに、果てしない数の先祖たちの存在を感じる。そんなことを思いながら、この小豆をどうやって使おうか考えている。
『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』 松岡正剛 講談社
この国の”深い魅力”は本当に理解されているのだろうか?
日本人の文化や心や精神性が、なぜ今のような形になっているのか。そういうことがずっと気になっています。
なぜ古代(や中世)から長く続く行事や習俗がこのような様式になっているのか? 紐解いていくとそこには起源や理由が、もちろんですがあるわけです。
そういったことを知ることは即ち「我々はどこから来たのか」という疑問に対しての答えを求めることであり、ひいては「我々はどこへいくのか」という問いに対しての答えを考えることでもあると思うのです。
博覧強記で知られる松岡正剛氏のこの著書は、タイトル通り「日本文化の核心」に深く潜っていきながら、驚異的にわかりやすい。
例えば日本文化を語る上で重要な「わび」。これはもともとは文字通り「詫び」、謝ることから来ていると喝破しています。
客を迎える主人が、「このような粗末なもてなししかできなくてごめんなさいね」と詫びる。
その主人の客を慮る気持ちこそが美しい、そう考えた中世の日本人の精神性が結晶化した言葉であり概念なのだということです。こんなにわかりやすい「わび」の説明は初めて読みました。
そんな例が最初から最後まで続々と出てくる一冊です。
「サンナカ」 me(歌う旅芸人 う〜み) う〜みの世界社
高知県観光特使であるう〜みさんが、今年9月に出版した本「サンナカ」。三人兄弟の真ん中「サンナカ」であるう〜みさんの幼い頃の思い出や家族への思い、サンナカであるがゆえの悩みや理不尽さ…。う〜みさんがこれまで感じてきた笑いあり涙ありの出来事を描いています。
この本の校正と編集を、とさちょうものがたり編集部の鳥山が担当させていただきました。
う〜みさんと初めてお会いしたとき、なんて温かい、気持ちのよい人だろうと感じたことをよく覚えています。不思議なことに、初めて会ったのに昨日も会っていたような気持ちになりました。う〜みさんが語る言葉に共感し、涙し、また明日も頑張ってみようと素直に思えたのでした。
う〜みさんからメールで送られてくる原稿にペンを入れ、お返しする。それを受けて、う〜みさんが書き直す。いつの間にか、やりとりした原稿の束は机の上に山積み重なっていました。原稿のやりとりの合間にZOOMを使って打ち合わせ。仕事以外の話に飛んで、あっという間に時間がたっていたこともしばしばでした。
原稿が完成したのちの製本作業は、高知大学教育学部付属特別支援学校の生徒さんが行いました。う〜みさんはこの学校の校歌を作ったのだそうです。作業をする日に、私も同行させていただきましたが、う〜みさんが人とのご縁を何よりも大切にしてきた人なんだということが伝わってきました。う〜みさんが「誰だったか覚えてるー?」と尋ねると「あ!う〜みさん!」と笑顔で答える生徒さんたち。お互いが再会した喜びに溢れていました。
出会えたことに感謝する。共にここにいることを喜ぶ。う〜みさんのその姿勢は「愛」そのものです。
全国各地の学校などで行ってきたコンサートでは、う〜みさんが子どもたちに必ず伝えてきたという言葉があるそうです。
「大丈夫、あなたはちゃんと愛されてる」
その一言があることで救われる人がいるかもしれない。その思いを胸にメッセージを伝え続けているう〜みさん。
う〜みさんとの出会いは、私にとって、とても大きなものとなりました。
う〜みさんの愛情詰まった一冊、とさちょうものがたりのネットショップでも販売しています。ぜひ!
食欲の秋です。私は特に揚げ物が好き!
今でこそスーパーに行けば、色々な油を売っていて、予算や用途に応じて選べる…。便利になったものです。
私が小学生の頃は、スーパー等は無くて、揚げ油を買うのには、空の一升びんを提げて川向いの地区の東側の北泉にあった店屋(てんや)の曽我部商店まで、てくてくと歩いて買いに行くのだった。
ある日のお使いで、私と妹二人は、その北泉まで一升びんを持って油を買いに行くことになった。今夜のおかずは、天ぷら!そう思うと重い油も、なんのその。歩いて十五分位かかるその道を、お店で油を一升びんに入れてもらって帰るのだった。
持つのは姉の私。ところが、帰る途中で雨が降り出した。傘は持って来なかった。二人の妹は、手に何も持ってないので、早足で帰り始めた。私は妹たちが急いで帰るのを目で追いながら、重い油の入った一升びんを両手で抱えて(今みたいに強いポリ袋やエコバッグは無かったし、買い物かごに一升びんは入らなかったので、手で持つしかなかった)、雨の中をゆっくり急いで帰っていく。
一升びんの口の廻りには、油を入れた時に付いた油分が残っていて、時々「ぬるっ」と滑る。私はトキワ橋を渡った所で、一升びんを持つ手を変えようとして「つるっ」とすべらして落としてしまった。
油の入ったびんは、雨の降る中、「ガシャン」と割れた!油は、ジャリ道に吸い込まれていった。割れた瓶の破片が散らばった。
雨は降っている。妹達は、どんどん遠ざかる。
私は涙が出た。何もかも私の責任。今晩のおかずはどうなる。
私は、一人雨の中を歩いた。
妹達は、油がなくなったのを知らない。おかずが天ぷらじゃなくなるのも知らない。
長女って損だ!
心からそう思った。
先日、土佐町の青木幹勇記念館にて「草あそび三人展」と題してリース展を開催したお三方です。
山中さんご夫妻のお宅は奇しくもとさちょうものがたり編集部の建物のお隣。準備の段階からリースのあれやこれやを拝見させていただいていました。
「草あそび三人展」の記事でもご紹介しましたが、いつもとても楽しそうなお三方。
土佐町のような自然豊かな環境での遊び方として、その姿勢は学ぶことのとても多いものだと思います。
「(田舎には)これがない、あれが足りない」と無いものを数えるよりも、「(田舎だから)こんなものもある、あんな遊びもある」と、あるものを数えたほうが楽しいですよね。お三方は達人です。