とさちょうものがたり

メディアとお手紙

おたよりの紹介

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「とさちょうものがたり」が始まってから、お手紙やはがき、メールなど、編集部へたくさんのお便りをいただいています。今まで届いたお便りはすべて大切に読ませていただいています。なかには文通のようにはがきでのやりとりが続いている方も。心を寄せてくださっている方がいるということは、私たち編集部にとって大きな励みとなっています。

 

3月のある日、編集部に一通の手紙が届きました。高知市のHさんという方からでした。

Hさんは「とさちょうものがたり ZINE09」を手にした感想を綴ってくださっていました。09号は、とさちょうものがたり編集部の鳥山が、土佐町の5組の方たちの生き方を描いたエッセイ集。その中に、16歳で志願して海兵になり、従軍した筒井政利さんのお話があります。Hさんは、ご自身のお父さまと筒井さんの姿を重ね「もっと父から話を聞いておけばよかった」と感じたそうです。

 

【高知市 Hさんより】

とさちょうものがたり編集部のみなさま

先日、大学生の二男と初めて土佐町に行きました。 以前は幡多に住んでいましたので、土佐町はほんと縁のない地域でした。

先日の高知新聞で三樽権現の滝を見て、 春休みに帰省してごろごろしていた息子を誘って行ってみることにしました。

水の綺麗さに感動して心が 洗われたような気持ちになり、来て良かったと心底思ったことです。

数日後、 とさちょうものがたりという冊子を目にして、 あっ土佐町だと思い手に取ってみました。

まず、 編集長の石川さんのはじめのことばに魅かれ、素晴らしい取り組みだと思い読み進 めることができました。

「地図の記憶」 筒井政利さんの記事を読ませて頂いている時、自然と涙が流れてきました。父に聞けなかったことを筒井さんが話して下さっているように思えたのでしょう。

読みながら、つらい経験を語り伝えて来てくださった筒井さんに感謝の気持ちでいっぱいになりました。それと同時に筒井さんにどうかこれからもお元気でいてくださいとお伝えしたい気持ちになりました。お伝え頂けたら嬉しく思います。

私の父は、生きていたら96歳になります。 53歳の時闘病の末亡くなってしまいました。私はその時17歳でした。

父が10代で志願して戦争に行ったことは聞かされていました。その時は、どうして自分 から志願したのだろう、まだ戦争に行かなくてもいい年なのにと思ったことでした。けれど 父と深くそんな話をすることもありませんでした。

父が亡くなってから、いっぱい話を聞いておけばよかったと思うことがたびたびありました。ですから、今回筒井さんの記事を読ませていただきその思いが通じた気がしたのです。

父も海軍に所属していて、まさに筒井さんと同じ戦争体験をしてきたのだと思います。筒井さんのお言葉の一つひとつが胸にささります。 聞かせて頂きほんとうにありがとうございます。

今の世界情勢に筒井さんも胸を痛められている事と思います。 一日でも早くウクライナ に平和が戻ってくることを祈ります。世界中に戦争がなくなることを願ってやみません。

編集者の石川さん鳥山さん素晴らしい取り組みをありがとうございました。

これからもどうぞ多くの人たちに言葉のたねを。

 

編集部は、Hさんから届いたお手紙を筒井さんの元へもお届けしました。筒井さんは目を細め、本当に喜んでくださいました。

一冊の本を通して、筒井さんの歩んできた人生とHさんの人生が重なる不思議を感じます。

人間には、その人生を歩んできた人だけが語れる「言葉のたね」が詰まっています。筒井さんが語ってくれた「たね」が、Hさんの元へ届き、Hさんの懐でちいさな芽を出した。人間のことばは、人間に届く。このお手紙は、そのことをあらためて実感させてくれました。

 

Hさんのお手紙にあった、「今の世界情勢に筒井さんも胸を痛められている事と思います。 一日でも早くウクライナに平和が戻ってくることを祈ります。世界中に戦争がなくなることを願ってやみません。」。

きっと世界中の多くの人たちが同じ思いを共有していると思います。少しでも早く誰もが安心して暮らせる世界を取り戻せますように。

そして、もう二度と、Hさんのお父さまや筒井さんが経験した戦争を繰り返してはならない。そう強く感じています。

 

Hさん、お手紙をありがとうございました。とさちょうものがたり編集部は、Hさんからの「言葉のたね」をしっかり受け取りました。

 

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鹿の角ガチャは「まるごと高知」の出口に設置されています。(撮影  上堂薗純高)

2022年1月末より、東京・銀座にある高知のアンテナショップ「まるごと高知」に鹿の角ガチャを置いていただいています。嬉しいことによく売れているとのこと、1月から今まで、何回か追加注文をいただいています!

先日、まるごと高知の店長さんから電話をいただきました。

「今、残りが4個しかなくて。どんどん売れて、僕自身びっくりしてます。今、まるごと高知にあるガチャで一番売れてます!」

まるごと高知のスタッフの方の観察によると、若い男性がよく買っていくのだそう。

「とりあえず、今ある在庫を全部ください!」と店長さん。

急いで、編集部にあるガチャを全部送りました。

箱いっぱいに詰め込んだ鹿の角ガチャ

 

ガチャの制作

在庫ゼロになった編集部。すぐに作らなければ!ということで、大豊町の障がい者施設ファーストさんにガチャの制作を依頼しました。

笹のいえの洋介さんが切ってくれた169個の鹿の角

この鹿の角に紐を通し、御守り紙と一緒にカプセルに入れて、鹿の角ガチャは完成します。

鹿の角ガチャは土佐町や大豊町、本山町の猟師さんからいただいた鹿の角でできています。この取り組みを知り、「よかったら使って」と角を届けてくれた方、連絡をくれた方がたくさんいます。

「まるごと高知」へ鹿の角ガチャを届けることができるのも、猟師さんや作業してくれる方たちの存在のおかげです。

 

鹿の角、ください。

編集部は鹿の角を探しています!

手元にあるけど使い道がないなあと思っているもの、片方だけでも大歓迎です。割れていたり小さくても大丈夫です!こちらからお引き取りに伺いますので、ぜひご一報いただけたらと思います。

ご連絡は電話でもメールでも。以下の画像に掲載している連絡先にお願いいたします。

 

 

 

 

 

鹿の角ガチャ、東京の「まるごと高知」へ!

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土佐町の人々が座って豊かな時を過ごすために。第2回土佐町ベンチプロジェクト、その顛末。

 

●土佐町ベンチプロジェクト

⓪ 目的は「土佐町の人々が座って豊かな時を過ごすため

① 材料は嶺北地元産のスギとヒノキを使用

② 土佐町の職人さんがチームになり製作

③ 高知県「木の香るまちづくり推進事業費補助金」を使用

 

2019年に行った「土佐町ベンチプロジェクト」を今年度(2021年度)も行いました!この記事はその最終報告記事です。

 

 

●第1回目の反省

2019年度に行った「第1回」の反省として「住民の方々から、十分な意見を汲み取れなかった」ことがありました。特にベンチの設置場所についてのことです。

その反省を踏まえて、今回はプロジェクトの初動時点から、地区長会での報告と地域の意見の汲み上げを行いました。「地元の方々が置いてほしい場所を教えてください」ということを聞いたわけです。

そして地域の方々の意見が戻ってきた結果、今回の設置場所が決まりました。その一部を写真と共にご紹介します。

 

栗木・三樽権現の滝

峯石原薬師堂

上ノ土居

相川・ふれあい牧場交流館

溜井

上野上観音様

南泉橋近くの広場

 

今回製作したベンチは27台です。上の写真でご紹介できたのはほんの一部で、全容は下のマップにてご確認ください。

今回のベンチを設置して回った時期は2月中旬のまだ寒いとき。ですので写真は晩冬の寒々しさが若干残っているかもしれないですが、3月も半ばの今は春の陽射しが暖かい場所ばかりです。

町の材を使って町の職人さんが作ったこのベンチに、町の住民の方々が座って豊かな時間を過ごしているような姿が見れた時には、関係者一同とてもうれしく感じると思います。

皆さまぜひどんどん(?)座ってくださいね!

 

 

 

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とさちょうものがたりには、土佐町の昔の写真を紹介する「みんなのアルバム」のコーナーがあります。

先日、土佐町小学校3年生の社会科の授業で「みんなのアルバム」の記事が使われました。

 

古い写真、ありませんか?

1月初旬、土佐町小学校3年生の担任の大利先生から土佐町教育委員会に連絡がありました。

「昔の町の写真はありませんか?」

ちょうど、土佐町の絵本を作るために昔の町の様子がわかる写真を集めていた編集部。そのことを知る教育委員会からお話をもらい、編集部は、すぐ先生に連絡をしました。

 

3年生の社会科

3年生は、社会科で自分の町の様子を勉強します。スーパーや消防署などの施設の見学や、稲村ダム、湖畔りんご園などを訪れ、一年かけて町のあちこちで話を聞いてきたそうです。「昔の土佐町の暮らしの様子を子供たちに伝えるために、写真があればいいなあと思って」と、大利先生。編集部が「みんなのアルバム」の話をすると、先生はすぐに記事を見てくださり、「わ!いいですね!子供たちに見せます!」ととても喜んでくださいました。

1月31日、先生に許可を得て、社会の授業を見学させていただきました。

 

教室には大型テレビがあり、そこにパソコン画面が映し出されるようになっています。

画面に映っているのは、「みんなのアルバム」の「山中百貨店」の記事。記事には店の昔の写真と現在の様子がわかる写真の両方が掲載されているので、子供たちは現在の写真を見て、この店が町のどの辺りにあるのか、すぐわかっていました。

昔の写真に今もある道や山の形、川や橋など、今の子供たちが見ている風景と重なる箇所があれば、今と昔が繋がりやすい。繋がると、教科書上のことでなく現実となり、自分ごとになります。

「あ、ここ、知っちゅう!」

「えー!こんなやったが?」

他にも「冨士見館」の写真を見て、「旅館の前の道が土の道や!」などなど、思うところを話す子供たち。素直な反応が微笑ましかったです。

 

 

教室にはグループに分かれて作った地図が掲示されています

 

「僕たち!」

授業の最後に、先生は子供たちに問いかけました。

「昔の人たちが一生懸命働いて、店や場所、土佐町をつくってきました。これからの土佐町をつくっていくのは、誰ですか?」

その問いに子供たちは即答していました。

「僕たち!」

 

その声がどんなに頼もしかったことか。そして同時に、今の大人に託されている責任も強く感じました。

 

いかなる時も「今」は昔と一続きです。昔があるから今があり、「今」を積み重ねた先に未来があります。子供たちは未来であり、希望そのものです。

今自分が立っている場所は、昔にも未来にも繋がっている。そのことを子供たちが少しでも感じてくれたら嬉しいです。

そして、「一続きだからこそ、今何をするのか?何を積み重ねていくのか?」。

一人の大人として、その問いを心に刻み続けたいと思います。

 

 

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私の一冊

山門由佳

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「わんぱくだんのゆきまつり」 ゆきのゆみこ,上野与志作 末崎茂樹絵 ひさかたチャイルド

小学生の頃、那須正幹さん著「ズッコケ三人組シリーズ」の本が流行っていた。モーちゃん、ハカセ、ハチベエというそれぞれ個性豊かな小学生男子3人組が、力を合わせて事件を解決していく物語にドキドキしたものだ。2人ではなく3人。4人でもなく3人。「3人」というのはグループにおいてそれぞれの個性・役回りが際立ち、なにかやるにもまとまりがよく勢いも感じる人数に思う。

この平成にうまれた「わんぱくだん」シリーズでは、けん・ひろし・くみの女子1名含む3人組で、物語のなかに大人達はいっさい出てこない。 文中に母親の存在を感じさせる一文はあれど、あくまでも子どもたちだけの冒険世界。 最初から最後まで3人は仲良く手を取り合いながら、ファンタジーのような世界、夢のような時間を過ごす。 3人だけのとっておきの秘密の冒険物語。

「ズッコケ三人組」を読むにはまだ早い幼い子たちにも、普段の生活のなかにドキドキやワクワクとしたドラマが潜んでいるかもしれない想像を掻き立て、なにより仲間がいることの心強さを伝えられるすてきな絵本だと思う。

 

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購入してくださった皆さま、ありがとうございました!

「2022年カレンダーTAIBOKUHEN」は、昨年秋、高知県嶺北地域の3つの障がい者施設(土佐町どんぐり・本山町しゃくなげ・大豊町ファースト)と、とさちょうものがたり編集部が一緒に製作したカレンダーで、今回2年目の取り組みでした。

編集部が取り組むシルクスクリーン事業でご縁のできた3施設のメンバーさんに、カレンダーの数字や文字を描いてもらいました。

カレンダーは1部1500円、そのうち200円を寄付として3施設に分配。それに加え、カレンダーを1部販売したら1割(130円)がその施設に入る仕組みです。

カレンダー完成後、各施設のメンバーさんは友人知人、近隣の店舗に声をかけたり、自ら足を運んで販売。「〜部売れましたよ!」という声に編集部も大きな刺激を受けました。とさちょうものがたりZINEを販売していただいている県内外の様々な店舗や土佐町内の店舗にも置いていただきました。「よかったら、うちのお店に置くよ〜」と自ら声をかけてくださったお店もありました。

1月を過ぎても「買いたいと思っていたから」と購入してくださった方も。皆さま、本当にありがとうございました!

皆さまのおかげで、233部を販売することができました。

 

けれども・・・赤字でした(泣)

ですが、昨年よりも販売部数が50部少なかったため、残念ながら今年は赤字になってしまいました。

売上から、数字や文字を描いてもらった原稿料や寄付分、印刷費や店舗やネットショップの手数料、送料などを引くと…、「 2,445円」の赤字でした。あぁ〜〜(泣)。

原因は、昨年に比べて販売開始が遅くなってしまったこと、編集部が11月12月と目の回る忙しさで販売に向けて十分な準備ができなかったことなど、思い当たることがいくつかあります。

でも、もう終わったことは仕方ありません!販売方法など見直し、知恵を絞り、また来年リベンジ!次に活かしたいと思います。

 

お支払いについて

文字や数字を描いてくれた「どんぐり」「ファースト」「しゃくなげ」の3施設へ、以下のような形でお支払いをしました。

 

・カレンダー販売数 233部
売上金額:¥349,500-

【①について】
¥15,533-が各施設に支払われました。

233部×¥200(寄付分)=¥46,600-
¥46,600÷3施設=¥15,533-

 

【②について】
3施設が販売したカレンダーは、合計129部。
「販売部数×130円」が各施設に支払われました。

*①②とは別に、原稿料として20,000円を各施設にお支払いしています。

【③について】
印刷費や店舗・ネットショップでの販売手数料、送料を除き、残った金額は-2,445円。

 

購入してくださった皆さん、販売をしてくださったお店の皆さん、温かい声を寄せてくださった皆さん、本当にありがとうございました!

カレンダーのページをめくり「今日」の数字を見るたびに、少しでも楽しく、ハッピーな気持ちになってもらえたら嬉しいです!

 

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みんなのアルバム

1956年の田井

  • 日時1956(昭和31)年

  • 場所土佐町田井

  • 撮影者

  • 投稿者

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山々の麓に田畑が広がる一枚の写真。さて、ここはどこでしょう?

山の形にご注目。よくよく見れば、どこかで見たような…。

そう、この場所は、1956年(昭和31年)の土佐町田井地区です。右に吉野川が流れています。

土佐町で畳店を営む、谷さんが写真を見せてくれました。

以前「みんなのアルバム」で紹介した、「清水屋旅館」「冨士見館」「山中百貨店」は、写真中央左側の道沿いにあります。ここがかつての土佐町のメインストリートでした。

 

こちらは現在の田井地区。右には1973年(昭和48年)に完成した早明浦ダムの堰堤が見えます。広がっていた田畑の真ん中に国道439号線が走り、両側に店や家々が並んでいます。

この国道ができたことで、人の流れも生活も大きく変わりました。

変わらないのは、町を見守り続けてきた山々です。土佐町の山々は、65年後の今の町の姿をどんな風に見ているのでしょう。

 

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みんなのアルバム

古味地区の楮はぎ

  • 日時1966(昭和41)年

  • 場所古味

  • 撮影者

  • 投稿者

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さめうらダム建設の際に、ダムの底に沈んだ古味地区。この写真は、古味地区出身の濱口幸弘さんが見せてくれた一枚です。

写真の裏には「昭和41年.3.12. 楮(こうぞ)はぎ」とメモされています。

楮は「カジ」とも呼ばれ、紙の原料になるものです。山で育てた楮を切り出し、蒸して、皮を剥いで出荷します。この一連の作業「カジ蒸し」は、山の貴重な収入源でもありました。

写真の大人たちは、蒸し上がった楮の皮をせっせと剥いていますね。写真手前の白い枝は皮を剥いだ後の「かじがら」。よく燃えるので今もお風呂の焚き付けなどに使われています。

土佐町の人たちは「子供の頃、よく手伝ったよ。一緒に蒸すお芋を食べるのが楽しみやった」と話す人も多くいます。

皮を剥いでいる大人たちの周りで、子供たちは手伝っているのか、それとも「遊ぼうよ〜」と駄々をこねているのか。どちらにせよ、その幼い眼にこの風景が焼き付いていることは間違いありません。

 

昭和41年の楮はぎ

「早明浦ダム」という本によると、「昭和42年12月15日 」にダムの基礎掘削が開始されたとのこと。

だから「昭和41年の楮はぎ」は、ダムに沈む直前の楮はぎだったのでしょう。

昭和23年生まれの濱口さんは、子供の頃から「古味地区はダムに沈む」と聞いて育ったと言います。「昭和41年の楮はぎ」の時も、もちろん人々は自分達の暮らしている家や土地がダムに沈むことは分かっていたでしょう。それでも、人々は今まで繰り返してきた営みをやめることなく、最後まで自分達の暮らしを続けていたことをこの写真は教えてくれます。

 

 

*「カジ蒸し」は、現在も土佐町の南川地区で行われています。

南川のカジ蒸し(前編)

 

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鹿の角で作った御守りをガチャガチャに入れた「鹿の角ガチャ」。

昨年4月から販売開始し、土佐町の「うどん処繁じ」さんや、高知市の「高知蔦屋書店」さんに設置させていただいています。

10月からは高知市の日曜市にも出店、小さなお子さんから80代の方まで、たくさんの人たちにガチャガチャを回していただいてきました。

その「鹿の角ガチャ」に新たな進展が!

 

まるごと高知へ!

2022年1月末より、この鹿の角ガチャが、東京・銀座にある高知のアンテナショップ「まるごと高知」に置いていただけることになりました!

「まるごと高知」は、『高知の情報発信拠点として、物産品の販売のみならず、文化、観光情報など、高知の魅力をまるごと発信』している場所で、店内には高知ならではの商品や食材が並び、連日、多くの高知ファンの方たちが訪れます。

実は昨年秋、編集部は「まるごと高知」の商談会に参加、今回の設置が決まったのでした。

お店の入り口に置いてくださっているようです

先日、まるごと高知の方が写真を送ってくださいました。

売れ行きは、なかなか好評!とのことで、先日追加の注文をいただきました。

 

高知ならではの御守り

高知ならではの御守り「鹿の角ガチャ」。

以前もお伝えしたように、材料の鹿の角は、土佐町や大豊町、本山町の猟師さんからいただいたものです。

その角を切り、穴を開ける作業は「笹のいえ」の洋介さんが担当してくれています。

その角にひもを通し、御守り紙を切って折って、カプセルに入れる作業を担うのは、大豊町の障がい者支援施設「ファースト」と土佐町の「どんぐり」のメンバーさんたち。作業する方々には、その収益から作業代がお支払いされる仕組みになっています。

 

たくさんの人の存在があって、この「鹿の角ガチャ」はできています。

東京近郊の皆さん、ぜひ、ガチャを回してみてくださいね!

高知という土地の懐の深さ、そのゆたかさが少しでも伝わりますように。

 

*高知県アンテナショップ まるごと高知

 

鹿の角、ください

というわけで、編集部は近隣の方々に不要な鹿の角をいただけませんか?というお願いを常時しています。

あくまで「不要なもの」をいただけたら大変ありがたく思います。左右揃っていてなくても、立派でカッコの良いものは手元に置いておいていただいて、割れていたり小さくて使い道のないものとか大歓迎です。

もし「あるよ〜」という方がいらっしゃったら、こちらからお引き取りに伺いますので、ぜひご一報いただけたら大変ありがたいです!

ご連絡は電話でもメールでも。以下の画像に掲載している連絡先にお願いいたします。

 

 

 

 

 

*高知新聞の記事です

鹿の角ガチャ!高知新聞に掲載されました!

シカのシンカ 高知新聞に掲載されました!

 

 

 

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みんなのアルバム

田井地区の曲がり角

  • 日時1960年代後半(昭和40年代後半)頃

  • 場所土佐町田井地区

  • 撮影者西森五明

  • 投稿者

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これは、土佐町田井地区にある西森理髪店の西森五明さんが見せてくれた写真です。

ときは昭和40年代後半から昭和50年代初めの頃。
 
 

曲がり角の左側

写真左側のお店の店先をよーく見てください。並んでいるのは…、三輪車やボール、多分ビニール製の人形(鹿?)や浮き輪。そう、ここはおもちゃ屋さんです。

お店の名は「岡本菓子店」。お菓子屋さんですがおもちゃも売っていて、毎日子供たちがおこづかいを握りしめ、群がるように来ていたそうです。現在40代の人たちには懐かしい、任天堂のゲーム機「ファミリーコンピューター」も売っていたとのこと。

「窓際のガラスのケースにはプラモデルとか、めっちゃ並んでた。よく行ったわ〜」

当時、岡本菓子店に通ったという人が懐かしそうに話していました。

 

右側は…

右側は、高知県交通の営業所。現在は嶺北観光の営業所になっています。当時、県交通のバスには車掌さんが乗っていて、営業所の二階に寝泊まりしていたそう。かなりの人数の従業員がいて、賑わっていたそうです。

当時は大川村や本川村への路線が走っていて、その路線が廃止されることに。公共交通路線がなくなるのは困るということで、現在の嶺北観光ができたそうです。時代と共に、自家用車を持つ人が増えていった頃だったのでしょう。

 

現在の曲がり角

現在の様子はこちらです。

写真左側、かつてあった岡本菓子店はもうありません。右側の県交通のあった場所は、嶺北観光の営業所があります。

この曲がり角で多くの人たちが行き交い、話し、遊び…。時には旅に出たり、帰ってきた人を迎えたりしていたのでしょう。この場所は、人の思いや人生の交わる交差点でもあったのです。

 

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