とさちょうものがたり

メディアとお手紙

鹿の角ガチャ!高知新聞に掲載されました!

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高知新聞 2021年6月11日朝刊

お守りにシカ角ガチャ

「わ!何かおもろいもんあったで〜」

土佐郡土佐町田井のうどん屋さんの店先。カプセル玩具販売機(ガチャガチャ)に子どもが群がっていた。100円玉を5枚入れ、レバーをくるくる。ポンっと出てきたカプセルを開けると…ひもが通されたシカの角。わ!ワイルド〜。

同封されていた土佐和紙の説明書によると、水難よけや豊穣祈願、金運、武運と、一つ一つご利益の違う「お守り」らしい。

手掛けたのは、土佐町の魅力を発信するウェブサイト「とさちょうものがたり」の編集長、石川拓也さん(46)。地域おこし協力隊員として同町に移住。「町の自然を生かしたグッズをガチャにしたら面白そう」と、2919年の任期終了時に販売機を購入していたという。

町の仏像を3Dプリンターでフィギュア化してみたり、河原で拾った石にペイントしてみたり …。カプセルの中身をあれこれ考えたが、しっくりこないまま2年。今年3月「突然ひらめいた」のがシカの角だ。

シカは国内外で神獣とされ、角はお守りとして重宝されているとか。石川さんは「町をPRして開運もできたら最高じゃん」と、住民から以前もらっていた角を裁断、加工した。

販売機は4月にうどん店に置いたほか、5月には高知市の「高知蔦屋書店」にも設置。有害鳥獣の新たな活用策に、他自治体から早速問い合わせがあったそうだ。

「東京とか都会でもうけるかも」と石川さん。住民の声も聞きながら、お守りの改良や新たなグッズ開発にも取り組むという。お守りの製作は、土佐町や長岡郡大豊町の障害者就労支援事業所の利用者にも担ってもらっており、売り上げの一部を還元する。

石川さんは、「みんなで面白がって、少しずつみんながもうける形になれば。ゴールは決めずゆっくり進めていきますよ」。カプセルには、町の温かい人情や夢も詰まっている。

(嶺北支局・竹内将史)

 

また改めて別の記事でもご紹介するつもりでいますが、この記事が出たあとで何人かの方々から編集部にご連絡をいただきました。

「記事を見たけんど、鹿の角が必要やったら、知り合いの猟師さんに聞いてもらってくるぞ」

といったお電話でした。

作業を担当する大豊町ファーストも、大豊町の方々から鹿の角を大量にいただきました。その角は現在とさちょうものがたりの編集部で預かっていて、御守りになるための加工待ちの状態です。

とてもありがたくもあり、背中を押されるような気持ちにもなります。

なかなか皆様に丁寧なお礼を返すことができていない状態ですが、鹿の角のひとつひとつは大切に使わせていただきます。この場を借りて感謝をお伝えしたいと思います。ありがとうございました。

 

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●トゲとキバ

「土佐町オリジナルポロシャツ」の図柄や、「さめうらカヌーテラスロゴ」など、とさちょうものがたりが毎年お世話になっている”絵描き”の下田昌克さんが、2021年6月11日(金)から展覧会を開催します!

以下、その詳細です。

イラストレーター下田昌克が手掛ける
キャンバスの布を縫って作った恐竜の骨たちや
新作絵本とその原画、そして新作初公開の絵など
館内全部が”下田昌克”の展覧会を開催!
▷会期:2021年6月11日(金)~27日(日)
▷時間:11:30-20:00 (SUN-19:00)
▷場所:JINNAN HOUSE内 HAUS STUDIO
▷入場無料 (1オーダー制)
-下田昌克プロフィール-
1967年兵庫県生まれ。絵描き。
1994年から2年間、世界の旅先で出会った人々のポートレイトを色鉛筆で描き始める。
2011年よりプライベートワークでハンドメイドの恐竜の被り物を作り始める。
2018AWのメンズコレクションのショーにて
COMME des GARCONS HOMME PLUSがそのヘッドピースを採用。
著作に「恐竜人間」(パルコ出版)「恐竜がいた」(スイッチ・パブリッシング)など。
■注意事項
*お支払いはキャッシュレスのみです。クレジットカード、交通系IC、paypayがご利用いただけます。
*上記の情報は状況により変更する可能性がございます。
*十分に換気に配慮した空間で提供しますが、混雑防止のため、入場制限を設ける場合があります。
*ご来店時のマスク着用や手指消毒にご協力ください。

 

 

この展覧会で販売するオリジナルのTシャツを、下田さんのリクエストによりとさちょうものがたりで制作することとなりました!光栄です!

 

 

● 展覧会Tシャツ作りました

実際に印刷をするのは(いつもの)どんぐりの寿光くん&きほちゃん。

 

 

 

できた!写真はMサイズ。首から裾までいっぱいいっぱい入ってるのがかわいいです。

 

↑こちらが前面です

↑これが背部

 

このTシャツ、下田さんの展覧会会場以外、もちろん他のどこでも売っていないものです。

皆さまぜひ会場へ足を運んでいただき、館内全部が”下田昌克”の展覧会という「トゲとキバ」を堪能し、そしてその体験の「証」としてTシャツをお買い求めいただければ幸いです!

 

下田昌克さん原画の「土佐町オリジナルポロシャツ2021年Ver.」はこちら↓

土佐町オリジナルポロシャツ2021販売開始です!

↓下田さん著「とさちょうものがたりzine 01」

[創刊号] とさちょうものがたり ZINE 01

 

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2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、製作した動画をご紹介しています。

第6回目は、北川村で作られている郷土料理「田舎寿司」です!

 

土佐田舎寿司とは何ぞや?

「土佐田舎寿司」とは、高知県の山の食材を使った、高知県ならではのお寿司です。

製作した動画のDVDでは、第4回目の津野町の「田舎ずし(土佐田舎寿司)」と、今回ご紹介する、北川村の「土佐田舎寿司」の二つを紹介しています。

実は、「土佐田舎寿司」が作られているのはこの2つの町だけでなく、高知県各地で作られています。リュウキュウやミョウガ、シイタケ、タケノコ…。お母さんたちが暮らすそれぞれの地で採れる、四季折々の食材が使われています。

 

作り方は、さまざま

同じ「土佐田舎寿司」なのだから、作り方は一緒なのでは?と思う方もいるかもしれません。

ところが!これがまた違うのです!

リュウキュウの味付けの仕方、しいたけの飾り切りの仕方、寿司酢の配合などなど…。同じ食材や調味料を使っていても、それぞれの作り方の違いがあって面白い。ひとつひとつの手順に、お母さんたちが大切にしてきたこだわりがあります。

 

柚子酢は調味料

土佐田舎寿司の大きな特徴は、寿司酢などに「柚子酢(ゆのす)」が使われていることです。 「柚子酢」は、柚子を絞った果汁のこと。高知県の家庭では、一升瓶やペットボトルなどに入れて、必ず常備されています。

「柚子酢」にも種類があり、果汁100%のもの、塩入りのものなどさまざま。今回紹介する北川村では、塩入りの柚子酢を使っていました。前回の津野町では果汁100%の柚子酢を使用。こんなところからも、それぞれの地で培われてきたものがあるのだと実感します。

北川村のお母さん・中野和美さんは「柚子酢は北川村の調味料!」と話していました。

北川村にはあちこちに柚子畑が広がっています。北川村は、柚子が育つのに適した土地であり、収穫したその果汁を食卓で生かしてきた。その環境と歴史があるからこそ、今も柚子酢を使う文化が日常にあるのでしょう。

 

 

動画のタイトルは、どんぐりのメンバーさんの手描き文字

タイトル文字を描いてくれたのは、土佐町の障がい者支援施設「どんぐり」のメンバーさんたちです。

描いてくれたこの赤い魚は、動画「高知の食文化」で使わせてもらっています

どんぐりのみなさんに描いてもらった文字は、本当はカラフル!カラーでお見せしたいくらいです。クレパスを重ねた「土佐田舎寿司」の文字、とても力強く、丁寧に描いてくれました。

 

北川村ならではお寿司

北川村には、北川村ならではのお寿司があります。

「金時豆の押し寿司」です。木の押し型に入れた寿司飯の上に、甘く煮た金時豆と季節の花などを飾りつけます。

撮影は、1月。北川村のお母さん・中野さんは、畑で摘んできた菜の花を使っていました。まるで、目の前に春がやって来たよう。食べるのがもったいないほどでした。普段は人参の葉を使うそうですが、「その季節にあるものを使うのよ」と話してくれました。

 

 

美しい盛り付け

盛り付けは、大きな一枚板の上で。この板は四国の形をしています。これもお母さんのこだわりです。作ったお寿司と共に、家の庭で採ってきた南天の葉や椿の花を添えます。盛り付けも創意工夫。どうしたらより美しく、より美味しく見えるのか。お母さんたちの心意気を感じます。

同じ「土佐田舎寿司」と言っても、その地域によって一味も二味も違う。

その違いをぜひ、感じてみてください。

 

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新緑が眩しい5月、土佐町の早明浦ダム最深部・地下100メートルの地点で、ある日本酒の封が開けられました。

この日本酒は、昨年5月から1年間、ダム内部に貯蔵されていた「桂月 相川譽 山廃純米酒58」。土佐町が誇る酒蔵、土佐酒造が作る日本酒です。

1年間という時を経て、どんな味に変化しているのか?

2021年5月21日、その味を確かめるべく、和田守也土佐町長、土佐酒造社長・松本宗己さん、水資源機構所長・林幹男さんがダム最深部に集まりました。ダム内部のコンクリートの回廊には、試飲した人たちの弾む声が響き渡っていました。

 

左:土佐酒造社長・松本宗己さん  中:水資源機構所長・林幹男さん  右:和田守也町長

*1年前、ダムに貯蔵した時の記事はこちら!

土佐町産の純米酒、ダム最深部へ!

早明浦ダム=貯蔵庫?

1973年に完成した早明浦ダムは、土佐町と隣町の本山町にまたがるように位置し、独立行政法人「水資源機構」が日々の管理を行っています。厚いコンクリートに覆われたダム内部はひんやりと肌寒いほどで、年間平均気温が12度前後に保たれています。

その気温はまさに、お酒の熟成に適した気温。

「早明浦ダムを貯蔵庫として、土佐町のお酒を熟成したら、どんな味に変化するだろう?」

和田守也町長の発案に、土佐酒造と水資源機構も賛同。昨年5月、多くの人たちの協力を得て、土佐酒造が作る「相川誉 山廃純米酒58」600本を、ダム内部の地下100メートルの場所へ貯蔵することとなったのです。

 

そのお味は??

ダムで1年間貯蔵されたお酒の味はいかに?

多くの視線が集まる中、グラスに注がれた「相川誉 山廃純米酒58」は、少し琥珀色を帯びていました。

「この色は熟成がゆっくり進んでいる証拠」

土佐酒造の社長・松本宗己さんは、そう言います。

そして、驚いたのはその香り!マスク越しでもわかるほど、甘く、まろやかな香りがあたりに広がっていました。

 

まず、松本さんが一口。

じっくりと味わうように、うん、うん、とうなずき、一言。

「美味しい。バッチリです」

続いて和田町長。

「香りゆたか。熟成されているな、と素人でもわかる。大成功」

皆さん、とても満足顔でした。

 

 

私も試飲させていただきました。

普段店舗で販売されている「相川譽 山廃純米酒58」は、口の中で少しピリリとする印象。でもそのピリリが良い。以前から、私はこのお酒がとても好きでした。

次に、1年間ダムで貯蔵されたものを一口。

「!!!」

その甘さにびっくり。頭の先から足元まで、芳醇な甘味がじんわりと伝わっていくようでした。

体の内側からぽかぽかと温まってくる。日本酒でありながらワインのようでもあり。もう少し、もう少しとお酒が進み、気づいたら一本開けていた、なんてことになりそうでした。

 

相川誉 山廃純米酒58

土佐町が誇る酒蔵・土佐酒造は、1877年(明治10年)に創業。ダムに貯蔵した「相川誉 山廃純米酒58」は、土佐町の米どころ・相川地区の棚田米100%で作られている日本酒で、米「吟の夢」を58%精米、「山廃」と呼ばれる昔ながらの製法で作られています。

土佐酒造ので働く人たちは、いつも口を揃えてこう言います。

「お酒が作れるのは、お米を作ってくれる農家さんのおかげ」

「相川誉 山廃純米酒58」という名は、日々おいしいお米を作ってくれる相川地区の農家さんたちを“誉め讃えたい”、その感謝の気持ちを込めて名付けられています。

 

まずは、土佐町の人に

土佐酒造の松本さんに聞きました。

「ダムに1年間貯蔵された『相川誉 山廃純米酒58』。誰に飲んで欲しいですか?」

松本さんは、迷うことなく言いました。

「相川誉は、土佐町の“おんちゃん”たちが育ててくれたお米で作った日本酒。まずはそのおんちゃんたち、そして土佐町の人たちに飲んでほしい」

「そのためには、飲みたい時に飲めるような値段じゃないと。飲みたい時に飲めなかったら、地域のお酒じゃない」

土佐町の地域の集まりや行事ごとの後に開かれる「おきゃく」のテーブルには、必ずと言っていいほど土佐酒造のお酒が並びます。“おんちゃん”たちが「桂月」で盃を交わし、ガハガハ笑っている。土佐酒造の人たちが作るお酒は、土佐町の人と人をつなぐものとして欠かせないものとなっています。

「飲んでくれる人、お米を作ってくれる人がいるからこそ、お酒を作ることができる。それが、土佐酒造という酒蔵が100年以上続いてきた理由」

松本さんは、そう話してくれました。

今後、土佐酒造で作るお酒の原料のお米は、全て地元産にしていきたいと考えているそうです。

 

Sameura Cave

早明浦ダムで貯蔵された「相川誉 山廃純米酒58」は、「Sameura Cave」(Caveは英語で「洞窟」の意)という名で、今年6月以降に販売が始まります(税込2,750円 720ml)。

「Cave」は英語で「洞窟」という意味です。

昨年貯蔵した600本のうちの120本を「貯蔵庫」から出し、土佐町の道の駅「土佐さめうら」で販売。土佐町のふるさと納税の返礼品にも今後加えられる予定です。

残り480本はさらに熟成するため貯蔵を続け、一年ごとに取り出して販売。そして新たに貯蔵するため、追加もしていくそうです。

今年取り出した瓶のラベルには「1 year old」という文字が描かれています。来年取り出されるものは「2 years old」、再来年は「3 years old」…。

5年後、10年後、そして、100年後。お酒はどんな味となり、世の中はどのような風景となっているでしょうか?

 

オール土佐町で

この取り組みは、ダムの地権者である土佐町、日本酒を作る土佐酒造、ダムを管理する水資源機構、3者の思いと協力があってこそ実現したことです。

「ダムをこのような形で利用してもらえたら、水資源機構としてもとてもありがたい」と所長の林さんは話します。

 

土佐町には、昔からお酒を作ってきた環境がありました。そのお酒を保存できる環境もあった。そして、今回の取り組みを実現するため、たくさんの人たちが走り回った。いつの時代でも、どんなものごとでも、一つのかたちにするためには、それぞれの場所で汗をかいている人たちが必ずいるのです。

「Sameura Cave 」の向こうに、たくさんの人たちの背中を感じます。

まさに、オール土佐町。

 

このお酒が多くの人に愛されていきますように。

ぜひ「Sameura Cave」を多くの人に味わってもらえたらと思います。

 

 

 

 

 

 

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4001プロジェクト

川田昇・礼子 (中村)

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土佐町役場のすぐ近くにある川田ストア。昇さんと礼子さんが作る美味しいお惣菜が並ぶお店は、とさちょうものがたり編集部もたびたびお世話になっています。

お店に少しの時間いるだけで、近所の方々が次々と立ち寄っていくのを目にします。昔から近隣の地域にとってはなくてはならないお店だったのでしょう。

そういえば、とさちょうものがたりのシルクスクリーン事業での、一番初めのお客さんになってくれたのも川田ストアでした。

町の駅伝大会に出場する「川田ストアチーム」のTシャツを(今年はコロナ禍で大会自体がありませんでしたが)毎年のように注文していただいています。さらに言えば、こういった事業が事業になる以前から、背中を押して応援してくれている存在でもあります。

地域にとってもそうですが、とさちょうものがたりにとっても大切なお店で、大切なお二人です。

 

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2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、製作した動画をご紹介しています。

第5回目は、大豊町で作られている郷土料理「半夏だんご」です!

 

「半夏だんご」ってなあに?

半夏だんごは、みょうがの葉でくるんで蒸した団子のこと。大豊町で昔から作られてきた郷土料理です。

田畑の仕事がひと段落した半夏の日(7月2日頃)、その日は農作業を休み、「ごくろうさま」という気持ちを込めて半夏だんごを作ったそうです。みんなでわいわいとお団子を頬張りながら、互いを労ったのでしょう。

高知県では、半夏だんごは大豊町と香美市だけで作られているそうです。大豊町と香美市は山伝に繋がっています。山を超えてお嫁に行ったり来たりなど、人の行き来があり、互いの知っていることを教え合っていたのでしょう。

人の行き来のなかで、文化がつくられる。環境と文化は、密接に繋がっているのだなと思います。

 

みょうがの葉は、山で採る

みょうがの葉は山で収穫します。夏に収穫し、一年中、半夏だんごを作ることができるように冷凍しておきます。撮影したのが2月だったので、冷凍してあった葉を使いました。

撮影のために半夏だんごを作ってくれたのは、大豊地区農漁村女性グループ研究会のお母さんたち。

お母さんによると「やっぱり、生の葉の方が香りも良いね〜」とのこと。冷凍庫などなかった時代、半夏の日に山で葉を収穫し、その葉を使って半夏だんごを作る。それはきっと夏の楽しみでもあったことでしょう。

 

動画タイトル文字は、本山町・りんどうのメンバーさん作

動画のタイトル文字を描いてくれたのは、土佐町の隣町、本山町の障がい者支援施設「りんどう」のメンバーさんたち。

折り紙やクレパスを使って、文字を書いてくださいました。クレパスの「半夏だんご」の文字、とても素敵だと思いませんか?手書きの文字は、味わい深いなあと思います。

 

注目!みょうがの葉の包み方

あんこを包んだ団子は、2枚のみょうがの葉で包みます。「葉の元が外側になるように包むと、後で剥がしやすい」と教えてくれました。「包む」という工程のなかに、細やかな工夫が凝らされています。

お母さんたちの技、ぜひご覧ください!

 

 

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高知蔦屋書店  x  「鹿の角ガチャ」

先日ご紹介した「鹿の角ガチャ」、現在は土佐町の名店「うどん処 繁じ」さんの店頭に設置していただいております。

「鹿の角ガチャ」はじめました!

 

その「鹿の角ガチャ」が、高知蔦屋書店さんに上陸しました!

3F、子どもの絵本売り場の一角に置かせていただいてます。

 

3Fは子どもの階

あ!

子どもの本売り場に馴染んでいるこの佇まい。見つけたらぜひ回してみてくださいね!

 

設置したのが平日の昼間だったので、まだ子どもたちの反応は見れていませんが、近いうち休日に再訪してご報告したいと思っています。

 

制作 in 大豊町ファースト

GW前のことになりますが、大豊町の障がい者支援施設ファーストでも鹿の角ガチャの制作を行いました。

鹿の角お守りに通すヒモを切る作業

ヒモを通す

折った「御守り紙」とカプセルに入れてパチっと閉じて完成です

 

この日の午後で、100個の「鹿の角御守り」がカプセルの中に閉じられました。

地域の方々から、「鹿の角あるぞ〜」といったありがたい声も届いています。(すでに頂いたりもしていますので、この件はまた別の記事にてご報告したいと思います。)

 

自然の造形の結晶とも言える「鹿の角」、御守りになってたくさんの人の手に渡る光景を心待ちにしています!

 

 

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2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、製作した動画をご紹介しています。

第四回目は、津野町で作られている郷土料理「田舎ずし(土佐田舎寿司)」です!

土佐田舎寿司ってなに?

高知県ならではのお寿司「土佐田舎寿司」。“寿司”と聞いたら魚介類を使ったものを思い浮かべる方も多いと思いますが、この「土佐田舎寿司」は、高知の山の幸を使ったお寿司です。

昔、昆布や海苔など海のものが手に入りにくかったころ、高知の山の人たちは、自分たちの土地にあるものを使ってお寿司を作りました。寿司飯には、高知県名産の柚子の果汁(高知県では柚子酢といいます)を効かせます。

寿司はごちそう!

昔から高知県では、人が集まる時には必ず寿司が作られてきました。まさに、寿司はごちそうだったのです。

津野町で「田舎ずし(土佐田舎寿司)」を作ってくれたのは、代表の笹岡三栄さんをはじめとする久保川生活改善グループのお母さんたち。1986年、お母さんたちは「全国ふるさとおにぎり百選」に応募する際に、津野町の山のもので作ったお寿司を出品。タケノコ、しいたけ、リュウキュウ、こんにゃく、みょうが…。自分たちが暮らす山で採れるもので作ったお寿司です。

さて、このお寿司の名前を何にしようか?

「山のもん、田舎のもんでできたお寿司やき、“田舎ずし”はどうやろう?」

こうして誕生した「田舎ずし」は見事、入選!

「次の年には、高知県中の人たちが、“田舎ずし”を販売するようになったんよ」と笹岡さん。

こうして、高知の山のものでできた寿司は「土佐田舎寿司」と呼ばれるようになりました。

 

 

動画タイトル文字は、土佐町のどんぐりのメンバーさん作

動画のタイトル文字を描いてくれたのは、土佐町の障がい者支援施設「どんぐり」のメンバーさんたち。

手描きの文字は、お母さんたちの作る郷土料理と重なって、とてもよい温かみを添えてくれています。今まで、一緒にシルクスクリーンやカレンダーを作ってきたどんぐりのメンバーさんと、こういった形で仕事ができたことをとても嬉しく思っています。

 

土佐田舎寿司は、一日にしてならず

土佐田舎寿司を作るためには、膨大な準備が必要です。

まずは材料の確保から。

寿司を作ることを見込んで、材料の収穫時期を逃さず、一年中食べられるように保存しておく。材料がないことには寿司は作れません。

春は竹やぶでタケノコを収穫。夏には山でみょうがを採り、畑のリュウキュウの茎の皮を剥ぐ。秋には柚子を絞って保存しておかなくてはなりません。他にも、原木しいたけを干す。こんにゃく芋を掘り出し、こんにゃくを作る。高知のお母さんたちは本当に働きものです。

塩漬けや冷凍して保存した材料も、そのままでは使えません。

材料を使うための準備も必要なのです!

塩漬けしてあるタケノコやリュウキュウの塩抜きをする。干し椎茸は水で戻しておく。赤しそを使って紅色に染めたみょうがは冷凍して保存してあるので、解凍しておく。季節の花木を用意する…。ああ、その準備の数たるや!ここには書き切れないほどです。

土佐田舎寿司は、1日にしてならず。まさに、お母さんたちの知恵の結晶です。

 

芸術作品、土佐田舎寿司!

各種のお寿司ができると、彩りを考えながら木のもろぶたに盛りつけていきます。撮影したのは一月だったので、椿の花も添えていました。美しい!まさに芸術作品。

そして、お味ももちろん、とびきり美味しい!撮影後、ご馳走になりましたが、冗談抜きで涙がでるほど美味しかった!お母さんたちの積み重ねてきた時間と経験の尊さを思い知りました。

動画では、ぜひ、お母さんたちの華麗な手さばきとともに、高知の山の多彩な材料にも注目してみてください!

 

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土佐町ストーリーズ

兼山という男

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野中兼山肖像

野中兼山(のなか・けんざん)

土佐町に暮らしているととてもよく聞く名前です。でも実際に何をした人なのかは、あまり知らなかったり。江戸時代の殿様?家老?

今回は、「土佐町史」という分厚い本の中に書いてある「野中兼山」についての記述を元に、少し柔らかくかみ砕いてお送りします。

兼山について知らなかった方はふむふむと、すでに知っていた方はいまいちど復習のつもりで読んでいただければうれしいです。では早速いきましょう!

 

数奇な運命ー幼少期

兼山の父、良明は土佐藩主である山内一豊の甥で、一豊の信頼も得ていた人です。そのままいけば兼山もいわゆるエリート又はぼんぼんとして育ったことでしょう。一豊は良明に対して幡多郡中村2万9千石を与えると約束していました。

しかし、一豊が死去します。藩政は一豊の弟である康豊が仕切ることになりますが、例の約束「幡多郡中村2万9千石を与える」は反故にされました。

それが理由で良明は土佐を無断出国、現在の姫路に移り住み、浪人生活を送ります。兼山が生まれたのはこの頃(1615)です。

浪人生活が祟ったのでしょうか、兼山4歳のときに父・良明が亡くなります。以降、母に連れられ「上方を流寓し」とありますので、この時期の母子は相当な苦労があったように思います。

 

転機

兼山13歳の頃、父のいとこであり土佐藩家老でもあった野中直継の養子になります。直継の娘・市の入り婿となったようですね。町史には「一陽来復であった」とあります。

無断出国した父のおかげで流浪の暮らしを母とともに送っていた兼山ですが、ここでやっと土佐に戻り、世に出る足がかりをつかみます。

 

土佐藩家老に

しばらくは養父・直継とともに出仕していたようです。(父子勤)

1636年、養父・直継が亡くなったことにより家老職を継ぎ、奉行職として勤務。「二代藩主山内忠義の信頼をえて藩政を委任された」とあります。殿さまによほどの信頼をされていたのでしょう。

この時から土佐藩政治がすなわち兼山政治となります。「在籍30年を超える長期間縦横にわたって個性的な施策を打ち出した」つまり兼山無双状態に入ります。

 

兼山がやったこと

これは非常に長くなりそうな部分なので、できるだけ端折った説明にしたいと思います。大ざっぱに言えば、兼山の施策は「後進性の克服」。具体的には‥

  1. 南学(朱子学)の導入
  2. 堰・用水路の建設
  3. 港湾の修築

もちろん上記の3つでおさまるものではないのですが、一旦は理解を進めるためにここまで極端に省略したいと思います。

この3つの柱は、後世にも多大な影響を残すほど目覚しい成果を生み出したわけですが、光が強ければその分影も強くなるようで、兼山政治の「負の影響」も同時に伝えられています。

特に堰や港湾の土木事業に関しては、そこに労働力として駆り出された民たちの扱いは苛烈なものであったようです。

新田を開拓し、せっかく定住したかに見えた農民は、その労働を怖れるがあまり逃亡した。いわゆる「走り者」がとても増えたという記述が土佐町史に見られます。

その苛烈な領民の扱いが、のちに兼山失脚の表向きの理由になっていくのです。

 

兼山辞任劇

 

そんな絶対的な「兼山無双状態」は27年間つづきます。独裁的な権勢が27年もの間継続するというのは、現代の視点から見れば少しギョッとすることではありますが、それだけ兼山が二代藩主山内忠義に信頼されていたということと、実際に目に見える成果も多く出していたということでしょう。

しかし1663年7月、三代藩主山内忠豊が土佐に帰国。ここから一気に旗色が変わります。

おそらく27年間、反兼山派のなかで燻ってきていた不満という火薬が着火してしまったのでしょう。「領民を過度に疲弊させた」という理由で、わずか10日ほどで兼山は辞職に追い込まれたのです。

明らかなクーデターでした。兼山は何の抵抗も示さずこれを受け入れ辞職、同じ年の12月15日に急逝します。

 

兼山死後の家族

 

兼山死後も、反兼山派の粛清の嵐は止みません。1664年3月、野中家は改易。改易というのは「所領、家禄、屋敷の没収および士分の剥奪」を意味しました。

遺された家族は現在の宿毛市に幽閉となり、男女ともに婚姻を禁じられ、子孫を作ることができずお家断絶となります。

ここまでやるかと、現代の視点から見れば非常に苛烈で冷酷な仕打ちに思えますが、町史では「冷酷無情は権力の属性といえる」と喝破しています。

 

婉という女

少し余談になります。土佐町のお隣、本山町に生まれた大原富枝という作家さんは地元ではよく知られた存在です。

この大原富枝さんの1960年発表の作品で「婉という女」というタイトルの名作があります。

この物語の主役が、野中兼山の娘であった野中婉(のなか・えん)という女性。

先述した、兼山が失脚し病死した1663年は婉は4才の子どもでした。それから野中家の長い幽閉生活が始まります。幽閉の目的は「子孫を断絶させるため」、つまり男子が死に絶えるまでが期限でした。

1703年、野中家最後の男子であった四男が自死したため、婉は44歳にして初めて幽閉を解かれます。

長い幽閉生活のあいだに、谷泰山という支援者から文通によって儒学や詩歌、医学の指導を受けていました。

釈放後は土佐郡朝倉に住み、医師として開業、日本初の女医であったと伝えられています。診断法は独特なものであったようで、糸を用いて橈骨動脈を診断するという話が残っています。当時の患者たちはこれを「おえんさんの糸脈」と呼び、名医として多大な敬意を持って接していたということです。

これで野中兼山の人生の大まかなストーリーはおしまいです。次回は、野中兼山が残した現在の土佐町にも続く影響について書きたいと思います。

 

※この記事は「土佐町史」の「野中兼山と土佐町」という一章を元に書かれていますが、文責はとさちょうものがたり編集部にあります。

 

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2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、製作した動画をご紹介しています。

第三回目は、いの町で作られている郷土料理「いたどりの油炒め」です!

 

高知県民のソウルフード・いたどり

高知県民なら誰でも知っている「いたどり」。いたどりは、4月から5月にかけて野山に生える山菜の一種です。コリコリと歯応えがあって、とても美味しい!

撮影した「いたどりの油炒め」は、昔から高知県の家庭で作られているおふくろの味。「高知県民のソウルフード」と言ってもいいでしょう。

 

手描きのタイトル

「いたどりの油炒め」という冒頭のタイトル文字を描いてくれたのは、土佐町の隣町である本山町の障がい者支援施設「りんどう」のメンバーさんです。

職員さんとともに、丁寧に文字を描いてくれました。メンバーの方たちも、郷土料理のDVDの完成を楽しみにしていてくれたとのこと。とてもうれしかったです!

 

料理を作ってくれたのは、いの町のお母さんたち

「いたどりの油炒め」を作ってくれたのは、いの町柳野地区「明るい柳野を創る会」のお母さんたち。とにかくよく働き、パワフル!

お母さんたちが運営する食堂には水車があり、育てたそばを粉にしています。そのそば粉で作った「そばがき」は絶品です!

また、いたどりを栽培し、一年中食べられるように保存。地元で取れた野菜や加工品の販売もしています。

撮影は、水車が凍るほど寒い一月に行いました。

白い息を吐きながらインタビューに答えてくれた代表の筒井さんが、おやつに出してくれた手作りの干し柿とおまんじゅうのおいしかったこと!いくつもおかわりしてしまいました。

 

 

ポイントは歯応え!

「いたどりの油炒め」は、一年中食べられるように塩漬けにしたり、冷凍して保存していたどりを使って撮影しました。本当は春の収穫風景や保存の方法も撮影したかった!

いたどりの美味しさは、その歯応えにあります。皮の剥き方や保存の仕方によって、歯応えも変わってくるそう。炒める時も、さっと炒めて歯応えを残すのがポイントです。

お母さんたちの慣れた素早い手さばき、惚れ惚れしました!

 

 

 

 

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