渡貫洋介

笹のいえ

堆肥置き場

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笹のいえの畑に、堆肥置き場がある。

日々の排泄物や生ゴミ、刈った草や畑の残渣などを積んでいる。

年に一、二度天地返しをして、分解を促す。発酵しやすくするために、生活で出た米糠や大鋸屑を投入することもある。内部の風通しを良くして微生物を活性させようと、去年から節を抜き、側面に穴を開けた竹を堆肥の間に置いてる。

これだけの手間で、ほとんどのものが土に還ってくれる。

ふるいに掛けると、落花生の殻や栗の皮などの固い物が残る。発芽してる種もある。それらを観察して、「そういえば、こんなもの食べたんだっけ」と思い出すのも楽しい。

ここは微生物や虫たちの住処として居心地が良いらしい。トタンの屋根を取ると、いろんな種類の生き物を見ることができる。モグラの穴もある。長男にカブトムシの幼虫がいるよと教えると、飛んでやって来た。容器に移して飼うらしい。

堆肥は培土として利用することもある。トイレで使ったくん炭は分解されず、そのままでは水保ちが悪いので、畑の土と混ぜる。畑に撒くこともある。自然界で土壌ができるのは長い年月が必要だが、こうすると必要な場所に土を増やせるので嬉しい。

完全に分解された堆肥は、土の良い匂いがする。

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笹のいえ

名づけ

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母親の誕生日と同じ日に、四人目が誕生した。

「無事に生まれてくれれば、性別はどちらでもいい」と言っていたものの、男子がふたり続いた後なので、実は待ってた女の子。名は「月詠(つきよみ)」です。どうぞ宜しくお願いします。

名づけ親はお義父さんで、日本神話に出てくる神様・月読尊(ツキヨミノミコト)が由来だ。

神様の名前だなんて、どうしたって名前負けするしかないけど、「月をよむ子になってほしい」という願いが込められている。

「最近の子の名前は難しくて、よう覚えん(とても覚えられない)」

と言われる昨今。そう言えばうちの子たちの名もその部類に入るかもしれない。

長女・ほの波(わ)の誕生のときは、初めての子と言うこともあり、名付けに気合が入っていた。出産予定だった9月は、田んぼに稲穂が実る季節。風が吹くと波のように揺れる穂波をイメージ、やわらかい印象にしたくて一部をひらがなにした。

次に生まれてきた長男の名前は、玄人(げんと)。僕は玄米好きなので、この文字を使いたかった。音が男らしくて好きだ。「玄」は全ての源と言う意味があると後から知った。彼から名前の由来を聞かれたら、さも知っていた風に教えてやろう。一般にはクロウトと読むってこと、人から指摘されるまで気づかなかった。

ここまでは親としての想いというか、イメージ先行というか、字画による右往左往はあったけど、比較的スムースに命名していた。しかし、三人目が生まれるときは、すでにネタが切れていた。

三人目、次男がやって来た日は、皆既月蝕でしかも満月だった。だから、月に因んだ名前にしようかと考えたが、これが難航した。新生児の名前は出生後14日以内に届け出ないといけない。刻々と迫るタイムリミットに段々焦ることになる。

提出期限まで待ったなしというある晩、集中的に考えた。奥さんのお祖母さんが字画に詳しい方なので、候補を挙げては伺いを立て、却下されては、また考え、の繰り返し。結局その日は決まらずにいつの間にか寝落ち。翌朝、改めてノートを見て笑ってしまった。央丸(まんまる)とか蒔人(まきと)とか、個性的な名前が書き殴られていた。

結局、20ほどの候補の中から、親類友人たちと投票をし、「耕丸(たがまる)」と名が決まった。これで一安心と思っていたが、里帰りしていた千葉から高知に戻って、土佐弁に「ちゃがまる」という言葉があることを知ることになる。「壊れる」という意味だが、地元の知り合いは親しみを込めて「ちゃがまったらいかんぞね〜」と冗談を言われ、しばらく「ちゃがまるくん」と呼んでいた。命名するときは、その字や音が国内外の言葉や言語でどういう意味になるのかリサーチする必要がありそうだ。

変わった名前と言えば、うちの奥さんの名は「子嶺麻」と書いて、シネマと読む。あだ名のような名前だが、本名だ。ご察しの通り、彼女の御両親は映画鑑賞が好き。一度聞いたら忘れないだろうし、海外の方にも覚えやすい名前だ。

 

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笹のいえ

おこげ

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久々にやっちまいました。

もう何年も羽釜で炊飯をしているけど、稀に(本当に稀に)ご飯を焦がして、重度のおこげを作ってしまうことがある。いつもと同じように焚いているつもりなのに、薪の具合とか、浸水の具合とか、気の緩みとか、そんなことが原因なんだろう。

焦げ臭い!と気づいたときはすでに手遅れの場合が多い。

慌てて軍手を着け、速やかにかまどから降ろす。事実から目を背けたいので、しばらく放っておく。願いが叶うのなら「なかったこと」にしたい。だって、この羽釜は二升炊き。大量のお米を無駄にしてしまったかもしれない。普段子どもたちに「お米は一粒たりとも粗末にしないこと!」と躾けてる父ちゃんとしては、立つ瀬がない。

とはいえ、ずっとそのままにもできないので、えいやと蓋を取り、まずは焦げていない部分をしゃもじで保温ジャーに移す。次はおこげの番だ。

しばらく置いておいたので、釜の中が蒸れて、おこげが取れやすくなってるのはせめてもの救いか。

剥がしたのをバットに並べて、天日に干しておく。

そのうち奥さんが気がついて、僕の心情を察し、静かに料理してくれる。

定番は、おこげせんべい。

油でじっくり揚げて、塩や醤油を振りかければ、カリカリで香ばしいせんべいの出来上がり。

「このせんべい、こげてる〜、にが〜い」という子どもたちのツッコミに、「そ、そうかな。おいしいけどな」と小さい声で答えつつ、いつもより食べる速度が速い父ちゃんなのであった。

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笹のいえ

そら豆

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去年までそんなに興味なさそうだったけれど、今年はそら豆が子どもたちに人気。

「おじぎしてるさやが、おいしいそらまめだよ」
と伝えると、ここ数日せっせと畑に行き、採りごろのそら豆を収穫してくれる。

さっそく炭を熾して、さやのまま焦げるまで焼く。
アチチと言いながら、さやを剥いて、ホクホクのそら豆を皮ごと口に入れると、

「あま〜い!」

どんどん減っていくそら豆に危機感を覚えて、父ちゃんの分は?と聞くと、どうぞ、とひとつぶだけ手のひらに載せてくれた。
育てたのは父ちゃんなんだけどと思いつつ、 感謝していただくと、本当に甘い。ちょっとしたお菓子みたいだ。

お辞儀する前の若いさやは上を向いて成長する。「空を向いて生るから、そら豆と言うんだよ」何年も前に誰かに聞いたなあと、毎年この時期が来るたびに思い出す。

作付けが少なかったこともあって、今シーズンは子どもたちの食べる分で終わってしまいそうだけど、来年はたくさん作って自家製豆板醤をつくりたいなあ。

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笹のいえ

春の雨

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この日は午後から雨予報だった。

西の空から灰色の雲が近づくと、湿度が上がりはじめて、ひんやりとした風の中に雨を感じる。

カエルたちがケロケロと鳴きはじめる。

彼らの鳴き声雨予報はかなりの精度なので、聞き逃してはいけない。

「そろそろだな」とお昼ご飯もそこそこに、洗濯物や日干ししてあるものを家の中に取り込んでいると、そのうちにポツポツと来た。

雨が降ると、いろんな匂いが漂ってくる。

水の匂い 山の匂い 土の匂い それから、アスファルトの匂い

仕事の手を休め、深呼吸をひとつして、雨の音に耳を傾ける。

頭の中で、予定していた作業を雨仕様に組み立て直す。

降りはじめのシンプルな雨音が徐々に重なり合い、本降りになってきた。

雨が落ちる音に混じって、別の音がする。何が鳴っているのか考える。

「あ、アレ仕舞い忘れてる」と気が付いて、片付けに走る。

残念ながら雨読晴耕とはいかなくて、雨の日には雨の日の作業がある。でも、雨の音をBGMに普段後回しになりがちなことをするのは良い気分転換だ。

大雨が続くと、山水のパイプが詰まったり、崖が崩れたりして、大ごと(大変なこと)になることがあるので困るけれど、適度の雨は、ひとにも田畑にも心地が良い。

いつの間にか、カエルたちの鳴き声は大合唱になっていた。

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笹のいえ

ショータ君

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本名、川原将太。通称「ショータ君」は、アーティスト。

もともと主に絵を描いていたが、土佐町に住みはじめてから縁がつながり、使われなくなった陶器工房を譲り受けたのがきっかけで、独学で器つくりもはじめた。焼き上げる度に彼の技術は向上し、作風も変化している。

そんなショータ君は、子どもと遊ぶのが大好きだ。

それも、全力で。

「危ない」とか「やっちゃダメ」とかすぐ言う大人たちとは違う。

だから、子どもたちも彼のことが大好きだ。

ショータ君は、「子どもマグネット」だ。

彼の姿を見つけると、子どもたちがどんどん吸い付いていく。

今日はどんなことをして遊ぶのか、新しい遊び道具はどうやって使うのか、みな笑顔になって、歓声をあげて彼と遊ぶ。

笹のいえにもよく遊びに来てくれる。

うちの子たちは彼の軽トラを覚えていて、見つけると一目散に走り寄っていく。次男なんて、親の名前より先に「しょーた」と言えたくらいだ。

ある日彼が「あの場所ちょっと使わせてください」と、山の斜面にある、草と竹だらけの元畑を指差した。「どうぞどうぞ」と言ったら、数日後には草が刈られ、丸太を運び込んでやぐらが立ち、木の枝を利用したブランコができ、アプローチに階段が、あれよあれよと作られていった。

「秘密基地」と名前がついたこの場所は、ショータ君と子どもたちの間で「秘密の」遊び場となっている。

好奇心が服着て歩いてるような彼は、アーティストとしての本業を続けつつ、子どもと遊び、その場をショータランド化している。そして、彼の磁力はいまや大人まで及び、一緒に遊ぶ輪も広がってる。

そして、ショータ君の魅力以上にすごいな、と思うのは、こんな彼を支える地域の気質だ。

一般的にひとの数が少ない地域ほど、彼のような「周りと違うひと」は中に入って来にくい。けれど、住人4000人足らずのこの町で彼が生きていけるのは、地元の懐の深さが大きいと僕は思ってる。

今日も山々に、ショータ君と子どもたちの笑い声が響く。

 

写真提供:中澤ミツル

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笹のいえ

お茶

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僕は珈琲好きだが、実はお茶も好き。正確に言うと、「好きになった」が正しい。
土佐町に住むようになってから、お茶をよく飲むようになった。理由は簡単、美味しいからだ。

お茶と言えば静岡が有名だけど、ここ嶺北土佐町もお茶を栽培してるってこと、引っ越してから知った。
敷地内で茶を栽培してる家庭も珍しくない。
笹でもかつてお茶を栽培していたようだ。田んぼの法面や畑、石垣のあちらこちらに数株残ってる。

当初は茶の木の手入れがよく分からず、また草刈りの度に枝を切り刻んでしまって、収穫することはなかった。
けれど、放置された茶畑再生のイベントに何度か参加し、お茶の美味しさと作り方を教わった。それから、少しずつ茶の木の管理をはじめ、新緑の季節に新茶を収穫するようになった。

土佐町のお茶のつくり方は「炒って揉む」のが主流だ。

うちは釜戸で葉っぱを炒るので、火加減が難しい。強いと焦げるし、弱いといつまで経っても炒りあがらない。それでも、徐々に香ってくるお茶の香りを楽しみながら、この季節の到来を実感する。

時期には直売所などで、いろんな種類の地元茶が手に入る。これもオススメ土産のひとつだ。

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笹のいえ

山の番をするひとたち

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小規模の林業を営む友人ばたやんのお手伝いをしに、土佐町瀬戸地域の山に入った。

笹のいえは周囲を山林に囲まれ、以前から手を入れたいと考えていた。経験のため一緒に作業をさせてもらえないかと連絡をしたところ、心よく受け入れてくれた。後で考えると、花粉症の僕がなぜこの時期の杉山に入ろうとしたのか。人生って不思議、というより単に考えが浅いのだった。

ばたやんは地主さんから山の管理と木の伐採などを頼まれている。

間伐(木を間引くこと)や木の運び出しには、チェーンソーなどの専用道具や重機を使う。使い方を間違えれば大怪我したり最悪の場合死に至ることもある。そんな現場へ素人の僕を迎えてくれたのは、ばたやんにとって、きっと大きな決断だっただろう。事故が起これば、組織の代表である彼の責任が問われるし、信頼や仕事を失うことにもなりかねないからだ。しかし、そんなことはおくびにも出さず、いつでもおいでと言ってくれる男前なヤツなのだ。

初日、作業は僕の描いていたイメージとだいぶ違っていた。

木をダーっと切って、トラックでバーっと運んで、次の山へGO!というように、どんどんこなしていくのか思っていたが、実際はとても地道な作業の連続だった。

木の状態を見極め、運び出すためにどちら側に倒せば効率が良いのか、より安全に行うにはどういう手順を踏むべきか。一本の木を切るごと、運び出すごとに最適な方法を考える。また、刻々と変化する天候に気を配り、費やす人件費や時間的コストなど、流動的な状況を常に理解していないといけない。

切るべき木が何十本とある中で、これは大変な集中力と体力が必要とされる。

作業は二三人で行うことが多い。そして、その人の経験に合わせた役割が決まっている。チェーンソーや重機の騒音で会話はほとんどできず、ホイッスルや身振りで意思の疎通をする。最初は僕の緊張もあってぎこちなかったが、こなすごとにチームの動きにまとまりが出てくる。相手に対して、次第に信頼が生まれていくのが心地よい。

とはいえ、慣れない僕にとって、なかなかハードな体験だった。まず歩き方がわからない。杉の木が生えている急斜面には笹で覆われていて、一歩ごとに足を取られる。手にはチェーンソーやワイヤーを持っているため、体制を変えることもままならない。ほんの数メートル先に移動するだけで時間が過ぎ、息が弾む。しかし焦りは事故につながる。一緒に働く仲間も「急がないでいいよ」「大丈夫?」と声を掛けてくれる。

僕が任された仕事は確認さえしていれば危ないことはなかったが、それでも一日が終わるころにはクタクタになった。とにかく邪魔にならないことを考えて動くだけで精一杯だった。

休憩中、林業にまつわる話をたくさん教えてもらう。

大型林業と小規模(自伐)林業のこと、生業としての林業の現状、山主さんとの関係などなど。

どれも僕の知らない世界だ。

「子どもや孫の時代を見据えて、いま山をどう管理するのか。次世代に繋いていく環境を残したい」と話してくれたばたやん。儲かる儲からないが最優先される経済社会で、自分がいなくなったその後のことまで考える職業がこんな身近にあったことに、はっとさせられた。そして、そんな夢を語る彼と一緒に仕事ができた数日間は、とても豊かな時間だった。

今夜、もう一回、「WOOD JOB!」観よ。

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とさちょうものづくり

着ない服を着る

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「だからさ、ようすけさん、シルクスクリーンやろうと思うんだ」

笹のいえに遊びに来た石川拓也からいつもの口調でこう言われたとき、「は?なんでシルクスクリーン?」って思った。でも「この人、また面白いことやろうとしてるな」とも思った。

話は少し遡って、あるイベントで自給自足の話になり、僕が「衣住食の中で、衣が一番難しい。綿を育てるところから始めたら、服になるまではたくさんの工程がある。一方で世の中には着られずゴミになる服が山のようにある」というようなことを言っていたらしい。当の本人が覚えていないのだから、いい加減なもんであるが、この話に感銘を受けた(?)拓ちゃんの冒頭の発言となる。

衣類やアパレル業界の現状を語るとき、安価な服が環境に与える影響や過酷な条件かつ低賃金で働く労働者や幼い子どもたちの問題が取り上げられる。これに対し、高価だが、環境や労働者から搾取しない会社の服を着ようというキャンペーンを目にする。フェアトレードやエシカルという言葉も聞こえてくる。

「でもさ話が大きくなると難しくなっちゃうから、もっと単純明快に楽しく無理なくアクションしたいよね」なんて話もした。

それが、「たんすに眠っている服にシルクスクリーンして、着ちゃおうぜ!」ってこと。

イベント当日の様子は別記事を読んでもらって、個人的には終わってからもじわじわと余韻の残る経験だった。「買いもしない、捨てもしない」って、超イケてないっすか?

実際、着古した服ってすごくイイ。

・着た瞬間カラダに馴染む

・着ていた当時の記憶が蘇る

そして、どうせ着てなかった服だから、シルクスクリーン失敗しても惜しくない。

この日、笹のいえのロゴを初披露した。同じ町に住むイトウメグミさんのデザインで、文字はアーティスト・ショータ君が描いてくれた。判子のような雰囲気で、笹のいえのイメージにピッタリ。これから眠ってる服を引っ張り出して、どんどんプリントしたい。

高知の小さな町ではじまった「古着を着なおす」というアクションが、服にまつわる世界的な問題を解決することは難しい。けど、シルクスクリーンした人が、楽しい!って思ってくれたら、このイベントは大成功なのだ。

 

シルクスクリーン・イベントについては以下から↓

シルクスクリーンこと次第 2

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笹のいえ

くんくん(後編)

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前編

化学物質過敏症とひとくちに言っても、その症状には個人差がある。ある物質に対して近づけない人がいれば、全然大丈夫な人もいる。そのときの体調によっても許容範囲が変化するらしい。いままで平気だったのに、突然症状が出ることもある。実際に自分がどう感じるか、その場になってみないとわからないことも多い。

ある飲食店に出掛けたとき、彼女だけ建物に入ることができず、ひとり外で食べたことがあった。誘った僕らは申し訳ない気持ちだったが、彼女は慣れた様子で、家族旅行するときも屋外で食べさせてもらうことや自炊、車中泊は珍しくないと話してくれた。

日を追うごとに地域での知り合いが増え、笹ファミリーの一員として周りに認知され、溶け込んでいった。くんくんの症状を知った友人たちは、彼女を理解し、有難いことに、そのままを受け入れてくれた。日々の生活で任せられることも多くなり、家事はもちろん、その合間に長女の宿題をみたり、泣いている末っ子のご機嫌を取ったり、頼もしいお姉ちゃんといった感じだった。

滞在中16歳になった彼女は、原付免許の取得したいと考えた。試験センターに下見に行ったところ、試験会場となる建物内に長時間いるのは難しかった。職員に理由を話し、普段使っていない小さな部屋で窓を開けっ放しにして、扇風機を回す対策を取ってくれることになった。マニュアル通りが当たり前の公的な施設のとしては、人間味のある対応ではないだろうか。同行したご両親の粘り強い交渉も功を奏したのだろう、その行動力も素晴らしい。その後無事免許を取得し、原付バイクに乗れるようになった彼女。さらに行動範囲を広げ、毎日の暮らしを楽しんでいた。

そしてあっという間に11ヶ月が過ぎた。予定より早い期間だったが、里帰り出産するうちの奥さんに合わせた形となった。笹を離れる前日に友人たちを招いて、お別れ会を開いた。たくさんのひとがやって来て、彼女と時間を共有し、別れを惜しんでいた。その様子をみていて、彼女を受け入れて本当に良かったと思った。

彼女のことをよく知らない人は、症状を聞いて「可哀想に」と言う。正直、僕も最初はそう思っていた。でも、彼女と一緒に暮らし、日々を淡々と、そして楽しみながら過ごしている様子を身近に見ているうちに、そんな感情はもうどこかへ行ってしまった。もちろん症状が治ったり軽減することを望む。しかし、自分の在る状態を受け入れ、そのときできることをやる。それは、僕らとなんら変わりない。

くんくんは今後、自分に合った環境や場所、家を探す旅に出るそうだ。

たくさんの可能性を持った若い彼女にエールを送りたい。

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