渡貫洋介

笹のいえ

おこめ

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「おこめ」はうちの飼い猫の名前で、もちろん「お米」が名の由来だ。

千葉に住んでいたとき、路端にひょっこり現れたところを保護。
生後二ヶ月ほどだったが、周りに母猫がいる様子もなかったので、そのまま放置もできず、以来家族となった。

笹での生活が落ち着いた頃、預かってもらっていた家から彼女を連れてくることになった。
車とフェリーを乗り継ぎ、二日掛けて高知に引っ越してくるときは、ずっと不安そうに鳴いていた。
人間の都合で申し訳ないことをしたなと思う。
猫は家につくというから、新しい環境に慣れてくれるのか心配したが、笹のいえを気にいってくれたみたいだった。

彼女を迎えるまで、家はネズミ天国。天井を走り回るわ、台所の野菜を齧られるわ、困った状態だった。
おこめを飼いはじめると、ネズミたちはどこかへ引っ越してくれたのか被害は一切なくなった。

朝起きたとき、狩ってきたばかりのネズミやトカゲが枕元に置いてあって、ドキッとさせられる。
横にドヤ顔の彼女が座っているので、褒めてやって、亡骸に手を合わせる。

千葉でも高知でもひとの出入りが多いところで暮らしているので、人懐っこくて甘え上手。
猫好きのヒトが分かるようで、足元に絡んできて喉を鳴らす。
でも、実は子どもが苦手で、特に人数が多いとぷいとどこかに行ってしまう。

作業に追われ忙しい時間を過ごしているとき、陽だまりのある縁側で優雅に毛繕いをしている彼女が目に入ると、
「まあそんなに急がなくてもいいか」と思わせてくれる。

拾い猫ゆえ正確な歳は不明だが、大体七歳くらい。うちの子どもたちよりも長い付き合いだ。

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笹のいえ

建具萌え

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秋の長雨が続くこの日、思い立って障子の張り替えをすることにした。

建具を雨に当て、古い障子を剥がす。
桟を束子で擦って、埃や古い糊を水で洗い流す。
その後乾かして、新しい障子を貼る。

ピシッと障子紙が張れたときは生きる希望が湧くけど、シワが寄ってどうにもならなくなると、
この世の終わりみたいな気持になる。

僕は、なぜだか骨だけになった建具が好きだ。

直角に交わった桟、寸分違わぬ臍や切り込み。とても自作できない。
建具職人たちによる知恵と技術が代々伝承され、この障子が今ここにあると思うと、胸がざわざわする。

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笹のいえ

Mr. Evel

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草刈りは好きだ。

刈り払い機で地面をトリムするように刈っていくと、草に隠れていた地面の曲線が現れて、気分が良い。
刈った草を堆肥にすれば土が肥えるし、一石二鳥だ。

 

でも、草刈りは嫌いだ。

草を刈っていると、そこにいる生き物たちが、棲む場所を追われるからだ。

慌てて逃げる虫たちを見ていると、いつもある場面が頭に浮かんでくる。なぜがアメコミ風で。

 

生き物たち「Oh, no! Here comes Mr. Evel again! Run, Everybody, RUN!」

僕「ふふふ、虫ケラども、逃げ惑うがいい!」

Boom, Boom!(機械の音)

生き物たち「Oh my god! He destroies everything!」

僕「ふはははは!どうだどうだ!」

Boom, Boom, Booooooom!

 

悪魔となった僕は、すまぬすまぬと心で謝りつつ、今日も草を刈る。

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笹のいえ

玄関に届くもの

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笹のいえのご近所さんは、農業を営んでいなくとも野菜を作っている方がほとんどで、よくお裾分けをいただく。

引っ越し当初、田畑をはじめる前は、いただくばかりでお返しするものがなく、申し訳ない気持ちだった。
あれから数年、今はお米も野菜も作っているが、うちで採れるものは他の家でも採れるわけで、相変わらずお返しに悩む。
それでも、いただいた食材を加工したり、自家製の味噌や醤油をお渡しすると喜ばれる。

さて、「帰宅したら、玄関に野菜が置いてあった」は、田舎あるあるとしてよく聞く話。
置き手紙やメモもない場合が多く、一体「誰」なのか、玄関先でしばし焦ることになる。

いただきもので一番驚いたのは、杵と臼だ。
お餅つきをしたかった僕は、ある日の消防の集まりでぽつりと「どこかに不要の杵と臼がないか」と話をした。
そのときは「うーん、どうかねえ、どこかにはあるんだろうけんど」くらいで話が終わったから、
まあ気長に探すかと考えていた。

しかし、翌日外出から家に帰ると、玄関に木製の杵と臼がどーんと置いてあるではないか。

 

キタ━━━(゚∀゚)━━━!!

 

このときもメモなどなかったのだけれど、臼に作成者の名前が書いてあって、そこから持ち主が判明。
すぐにお礼の連絡ができた。

大人ひとりではとても抱えられない重さの臼を運ぶだけでも一苦労だったはずなのに、
このときばかりは感謝を通り越して「安易に臼ほしいとか言ってごめんなさい」と謝りたい気分だった。

でも、杵搗きのお餅はサイコーに美味なのだ。

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笹のいえ

稲刈り

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集落に続く道に面した五畝ほどの田んぼを、今年から借りている。
もともと田んぼだったが、二年間畑として使われたあと、あとを継ぐ人がおらず、僕に声が掛かった。
もう少し米の作付けを増やしたかったので、やらせてもらうことにした。

一年でも米つくりを止めてしまうと、田んぼを元に戻すのに手間が掛かる。
この田んぼもそこここに穴が空き、水を溜めるのに苦労したが、
その後の田植えや草取りは順調で、実りも良く、いよいよ収穫の時期が近づいていた。

夕方から雨になるというこの日、稲刈りをした。

稲を刈り結束するバインダーという機械で作業していると、地主さんがやって来て「はで」の材を出してくれる。

はでとは稲束を乾燥させる物干しのようなもので、地域によって呼び名や構造が違う。
この地域では、木の支柱を立て、竹で数段の干し竿を縛っていくのが一般的だ。
コンバインと呼ばれる大型の機械で刈って、乾燥機を使う方法が主流の昨今だが、
棚田の多い山間では、はで干しもよく見かける。

道沿いにあるので、前を通る人たちが声を掛けてくれる。

「そこはこうやったほうがえい(良い)ぞ」

「こらよう実った」

「えらい(大変な)のに頑張るねえ」

みなさん、田植えからずっとこの田んぼの様子を見ていてくれたみたいだ。
わざわざ車から降りてきて、話をしてくれる人もいる。
そのうち地域の人同士で世間話がはじまる。僕も手を動かしながら、会話に参加する。

予報通り天気は下り坂。空は暗く、雨雲も増えてきた。
いよいよ降るぞ、というころに、はでが完成。
ほとんど休憩も取らず慣れない作業をしたので、疲れた。が、満足だ。

最後まで付き合ってくださった地主さんにお礼を言い、後片付けをする。
その間にも立ち寄ってくれる人が「よくできたねえ」と目を細めてくれる。
まるで、この田んぼが田んぼとして復活するのを待ちわびてくれていたみたいに。

田畑は、お米や野菜を作るだけの場所じゃない。
人が集う交流の場として存在し、地域の中で生きているのだ。

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笹のいえ

チャーテ

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今年もチャーテの季節がやって来た!

一般に「ハヤトウリ」と呼ばれるウリ科の野菜です。

ここ土佐町では、粕漬けにしてお土産として販売されていますが、実は万能選手。

漬物にしても良し、煮ても良し、炒めても良し。
すりおろして団子を揚げたり、チャーテの味噌汁は子どもたちの大好物。
わずかに甘みもあるので、玉ねぎ代わりとしても重宝します。

夏の間に蔓がぐんぐん伸びて、秋の気配がするころ花が咲きはじめ、小さな実がつきます。
小さくてもちゃんとチャーテ型なのがチャーミング。

大きくなりすぎなければ、皮を剥く必要がなく、種も食べられる。捨てるところのない、ありがたい野菜です。

採れはじめると、どんどんできるので、どんどん食べます。最盛期には一日バケツ一杯採れることも。
工夫して調理し毎日毎食食べます。おかげでレシピもずいぶんと増えました。

生りはじめの時期ならお裾分けしても喜んでもらえるので、柔らかい小さめの実をせっせと取っています。

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笹のいえ

たねとり

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笹の母屋の前には、田畑合わせて一反くらいある。そこでお米や野菜を育て収穫、季節の恵みをいただいている。

種はなるべく自家採種している。
うまく採れなかったときは知り合いから分けてもらったり、どうしてもというときは購入することもある。
千葉から持ってきた落花生やキュウリなどは五年以上、
高知で出会ったモチキビや里芋などは三シーズンくらい種を採っている。

昔は、育った野菜などを選抜し、種を採り、次の年にまた栽培することが当たり前だった。
同じ場所で何年も種を採っていくと、その地域の気候に適した野菜や米が育つようになる。
また病気などにも強くなると言われる。

しかし種を採るためには長い時間が掛かったり、交雑しないような工夫が必要で、一手間も二手間も掛かる。
稼働率を考えれば、種を購入したほうが効率的だ。

それでも近所にはいまだに自家採種を続ける方々が多い。

種を購入しなくて良いという経済的な理由よりも、
昔から継いできた種を絶やしたくない次に繋げたいという気持ちが大きいのかなと想像する。
いや、もっと本能的な行動なのかもしれない。

土佐町にやって来て最初の年、地元在来の大豆をつくりたくて、近所のおばあちゃんに種を分けてもらった。
「品種はなんですか?」と聞くと、「名前は知らん。大豆は大豆よ」と言う。
その答えに心の底が温かくなったのと、なんだか仲間に入れてもらったような気がして嬉しかったのを覚えてる。

 

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笹のいえ

笹の夏休み(後編)

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僕たちの暮らしで大切に思っているのは、「食」。

イベント中の食材は基本的に、目の前の田畑から採ってきたものや地元産野菜、それと自家製常備菜や発酵調味料だ。
魚が釣れれば、それをさばいていただくこともある。

身体と環境は一体であると考える「身土不二」をベースに、より身近で栽培されたもの採れたものを摂り入れる。
カレールーやそうめんなど、市販の商品を購入するときは、シンプルな原材料で生産された商品を選んでいる。

調理するときは、食材を可能な限り丸ごと利用する。
「一物全体」は、全てのものは全体でバランスが取れている、という考え方だ。
だから、皮も根っこも工夫して食べる。結果、生ゴミはほとんど出ない。

出来上がった料理は自分が食べられる分だけ、食器によそう。
嫌いな野菜は無理に食べなくてもいい。食べたい、美味しい、と感じるものを食べる。
いのちに、作ってくれた人に、感謝していただく。

近くで採れた野菜を料理し、食べて、消化し、それが身体の栄養となる。
トイレで出したものは堆肥として土に還し、それがまた野菜を育てる。
そんな循環を「食べること」で体感していく。

子どもたちは、遊んでいるとき以外ほとんど家事をしている。
そして、食事に費やす時間が一番多い。
準備から調理、片付けまで、一日三食食べることがこんなに大変だなんて!
あれ?普段家では誰がしてるんだっけ?

そんなことも、笹の日々で見えてくるかもしれない。

最終日。笹の暮らしはどうだった?と聞くと、
「川遊びが楽しかった」「食事が美味しかったけど大変だった」「トイレ掃除が嫌だった」
などなど、いろんな答えが返ってくる。
そして、どの顔も笑ってる。その表情を見て、あぁ今年もやって良かったなとホッとする。

あんなことを経験させたい、こんなことさせてあげたい、と僕の足りない頭でいろいろ考えるけど、
その枠を超えて子どもは体験し理解していく。
ごちゃごちゃ言葉を並べるより、彼らの好奇心を思う存分発揮出来る環境を作り見守っていればいい、そう思いはじめてる。

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笹のいえ

笹の夏休み(前編)

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夏休みに合宿型の子ども向けイベントを開催している。

数日間笹のいえに泊まりながら、日中は自然豊かなフィールドで遊び、
調理や掃除洗濯、お風呂焚きなどの家事も子どもたちがこなしていく。

このイベントの約束はひとつ。
「自分たちで決める」こと。

イベント初日。
スケジュール表とアクティビティ名や料理名の書いてある駒を用意し、子どもたちに選んでもらう。
いつ何をして遊ぶのか、何を食べるのかを子どもたちが考え、想像し、決めていく。
スタッフたちは最低限のアドバイスでサポートする。
「朝食にパンを食べるなら、前の日の晩に生地を捏ねておこう」「この日は一日中川遊びだからお昼はお弁当にしようか?」
など、子どもたちの意向を第一に、時間を有効に使えるよう調整する。

二日目以降、日中はひたすら遊ぶ。

泳いだり、釣りをしたり。地元の遊びのプロたちが講師として参加することもある。
ラフティングやSUPは毎年子どもたちに人気のアクティビティだ。またアートワークなど物つくりの時間もある。

遊び以外では、笹の暮らしを実体験する。

釜戸や五右衛門風呂で火を起こしたり、トイレはコンポスト、洗濯機は二層式、、、
自分の家とは違う、笹の「むかし暮らし」だ。

朝夕にはタスクと呼ばれる家事がある。掃除や食事作りなどをグループに分かれて行う。
最初は緊張気味の子どもたちだが、すぐに慣れる。
火起こしは好きな子が多く、お手伝いを頼むとすぐに手が挙がる。
積極的に行動する子、嫌嫌やる子、集中力も子どもによっていろいろ。
スタッフは声掛けはするが、あまりうるさく言わないように気をつけている。

たぶん、家で言われていることだろうから、高知の山奥に来てまで同じこと言われたくはない、
僕が子どもならそう思う。それより、それぞれのやりたいことをやればいい。
もし誰も料理をしなければご飯が食べられない、洗濯をしなければ明日着るものがない、
ただそういうことだ。
でも、みなお腹が空くから包丁を握るし、きれいなトイレを使いたいから掃除をする。

夜は花火や肝試しなど、キャーキャーワイワイ言いながら、あっという間に就寝の時間。

初日は、たいてい興奮していてすぐには寝ない。
夜通し起きている子もいるし、夜明け前から動き出す子も。

そうやって、子どもたちが主役の「笹の夏休み」を過ごしていく。

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笹のいえ

同じ釜の飯

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うちの保温ジャーにはいつもご飯が入ってる。

突然お腹すかせた人がやって来ても、ご飯と漬物くらいはすぐ出せる。
畑から野菜を採ってくれば、温かいお味噌汁も作れる。

笹のいえに興味があるという人に、僕は「ご飯食べにおいで」と誘う。
うちは羽釜でご飯を炊くから、正真正銘「同じ釜の飯」を食べてもらう。
出てくる食事やその雰囲気、一緒に食べ、話をすることで僕らの暮らしを理解してもらえると思うから。

友人知人が来るとき、仕事の打ち合わせのときも、食事の時間に合わせてもらうことが多い。
うちの子どもたちはまだ小さいから、大人だけで落ち着いて話し込んだり、長時間ミーティングすることはまだできない。
でも、いろんな人が来て、子どもたちも一緒にご飯を食べ、おしゃべりすると、笹のいえに気持ちの良い風が吹く。

だから、うちのジャーにはいつもご飯が入ってる。

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