鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「小さな家のローラ」 ローラ・インガルス・ワイルダー作 安野光雅絵,監訳 朝日出版社

子どもの頃楽しみに見ていたテレビ「大草原の小さな家」。

他社から出版されている「大草原の小さな家」をいくつか読んできましたが、挿絵の美しさに思わず手に取りました。

この本には毎ページと言っていいほど安野光雅さんの美しい挿絵がたくさん入っています。

どうしてこんなに挿絵が入っているのかなと思いながら読み進めていましたが、あとがきを読んで合点がいきました。

(その理由はぜひ「あとがき」をお読みください。)

「文学は、挿絵とは無関係に成り立っています」と安野さんは書いています。

文章を読むことは、描かれている情景や作者の心のあり方を感じとるのが面白さでもあり魅力です。

挿絵は想像を助けてくれるものでもありながら、時には読者が絵の印象に引っ張られてしまうこともあるように思います。しかしこの本の安野さんの挿絵は、文章と呼吸を合わせてゆっくりと伴走するかのようにそこにありました。

作者ワイルダーが生きた時代に吹いていただろう風が感じられるような気がします。

この本の訳者も安野さんです。安野さんの「窓」からワイルダーの世界を味わえる一冊です。

鳥山百合子

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山の手しごと

わらびの収穫

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土佐町早明浦ダムのほとり、上津川地区の高橋通世さんが「わらび採りにきいや」と声をかけてくれました。

カゴを背負い手袋をして、いざ、わらび取りへ!

枯れたかや(ススキ)の間を縫うように生えているわらび。わらびは根っこで増えるのだそう。
「どこでも好きなところ取って!」と通世さん。子どもの頃からこの場所で、わらびの収穫の手伝いをしていたのだそうです。
「雨が降ったらようけ太るね。ようけ出だしたらね、3日置かずに取らんと」

 

茎を折ると、ぽきん、ぽきん、とみずみずしい音がします。収穫したわらびは束にして輪ゴムでとめておきます。こうしておけば湯がく時にバラバラになりません。
「お湯からあげる時、楽やきね!」と通世さん。なるほど!

 

「おーい、これ見てみいや!」とみせてくれた小さな黒い粒。
これは、鹿のフン!よく見るとあちこちに落ちています。

通世さん曰く、フンの形でオスかメスかわかるのだそうです。「片っぽがケンなのは(とんがってるのは)メス」なのだそう。(左下が確かにとんがっていますね!)

フンのそばには大抵、鹿が通る“獣道”があるそうです。
その獣道を見つけ、罠を仕掛ける。
足跡はないか、“獣道”はないか、猟師でもある通世さんの目は常にその手がかりを探しているのです。

 

 

 

 

さあ、わらびを湯がきます。

たらいに水を入れて沸かします。

 

奥は私と友人、手前は通世さんが収穫したワラビ。

通世さんが収穫したわらびの茎の先は、まるでハサミで切りそろえたかのよう!それにひきかえ、私と友人のわらびの茎はあっちにいったりこっちにいったり…。

 

たらいの底から小さな水の泡がプクプクと上がり始めました。

「母に習うたんやけどね、温度が75度になった時にわらびを素早く入れる。前に80度でやったら柔らかくなりすぎた。高温でゆがいたら溶けるきね」
「わらびを入れたら温度が60度ばあに下がっちゅうきね。元の75度になったらお湯からあげるんよ」 

時々わらびをひっくり返しながら、湯がきます。

 

なんてきれいな色なのでしょう!あたりは、わらびのいい香りでいっぱいに。

たくさん収穫したので何回かに分けて湯がきました。そのつどお湯からあげ、冷ましながら灰をまぶします。この灰はこんにゃくを作るときにも使う紅葉樹の灰で、ひとつかみ握り、まんべんなくかけておきます。

 

全部を湯がいた後、わらびと灰を優しくこすり合わせるように、灰をなじませます。
この後、お風呂のぬるま湯くらいの温度の湯にひたひたにつけ、一晩置きます。(山水がある場合は流水につけておく)

「一晩ではまだ苦味がある時があるき、その時はまた水につける。様子を見て、噛んでみて」。

 

試しにその日の晩、味はどうかと噛んでみたら、あまりの苦さにゴホゴホ咳き込むほど!一日に何度か水を変え、食べられるようになったのはその2日後でした。

 

お弁当のおかずにぴったりの一品ができました。

わらびの煮つけ

【材料】あく抜きしたわらび・油揚げ・砂糖・しょうゆ・白だし

①わらびを食べやすい大きさに切る。

②わらびを油でさっと炒め、油揚げを加えてさらに炒める。

③砂糖、しょうゆ、白だしを加え好みに味付けをし、コトコト煮る。

 

帰り際、友人が言いました。

「昔の人にとって、灰はこんにゃくを作ったり山菜のあくを抜いたり、とても大切なものだったんやないかな。昔話に“花咲かじいさん”の話があるでしょう?桜の枝に灰をまいて花が咲く。あのお話が生まれた意味がわかるような気がする」と。

通世さんも蓋つきの入れ物に入れ、大切に保存していました。木を燃やすときに、紅葉樹以外のものが混じらないよう気をつけているそうです。

そのままでは食べられないものを、灰の力を借りることによって美味しく食べられるようにする。なんて素晴らしい知恵!

昔の人にとって、灰は、暮らしに花を咲かせるような存在だったのかもしれないですね。

 

*あく抜きの方法は人それぞれ。その人ならではの方法があります。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「旅をする木」 星野道夫 文藝春秋

 

「ああ、その気持ち、私も感じたことがある」と星野さんの本を読むたびに思います。まだ輪郭しか見えずはっきりと言葉にできないような思いを、星野さんは決して難しくない言葉で目に見えるかたちにしてくれていて「ああ、こういう言い方があったのか」と新しい発見をしたような、懐かしい誰かに再会したようなそんな気持ちでページをめくります。

『人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出会う限りない不思議さに通じている』

同じ地球上で今同じ時間を生きている人たちは気が遠くなるほどたくさんいて、すれ違うことも出会うこともなく、お互いの存在さえ知らないままお互いの一生を終えることがほとんどなのかもしれません。でもそんな中でもなぜだか出会って、怒ったり笑ったり泣いたり、悩んだり喜んだり苦しんだりしながら時を重ねる。目の前のその人とのやりとりや重ねてきた時間は、出会えたからこそのこと。やっぱりとてもかけがえのないことなのです。

星野さんはいつもそのことを思い出させてくれます。

 

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読んでほしい

高峯神社への道 その7

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これは高峯神社の守り人、筒井賀恒さんと高峯神社への道しるべを辿った記録です。
今日は地図上の「7」の場所にある石碑についてのお話です。

 

さらに道を進むと、左側に「安吉」と書かれた看板が見えてくる。そこを左に曲がり、道沿いに進む。

そして、道の右側をよーく見ていてほしい。

木に見え隠れしながら現れる、この常夜灯。
天保6年(1835年)からここに立っている。昔はろうそくを入れ、火を灯していたそうだ。常夜灯の隣に立つと土佐町の山並みが見える。

 

そして細い山道を少し登ると、最後の石碑がある。

「御神前 ヨリ 五丁」

 

今までの石碑に刻まれていた「三宝山」の文字が「御神前」に変わった。
ここから約500mで高峯神社へ着く。

きっと昔の人もこの場所で「もう少し!」と思いながら、汗を拭きふき、励まされるように坂道を登ったのではないだろうか。

 

賀恒さんは言っていた。

「道路の開発をしたら昔の道は使われなくなる。昔の人の道すじを追って来ると、昔の人たちがどんなことをやっちょったかよくわかる。昔の道がなかったように新しい道を通ってしまっているけれど、昔の道がまだちゃんとあるのよ」

昔の人の足跡が、まだかろうじて残っていた。

賀恒さんに教えてもらわなかったら私も知らないままだった。

 

さあ、いよいよ、高峯神社は目前!

(「高峯神社への道 その8」に続く)

 

 

*石碑を案内してくれた賀恒さんのことを書いた記事はこちらです。

高峯神社の守り人 その1

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私の一冊

鳥山百合子

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「かわ」 加古里子作,絵 福音館書店

絵巻じたてになっているこの本。蛇腹折りになっている絵をぱたぱたと広げて伸ばしていくと、その長さ7メートル40センチ!(巻尺で測ってみました。)

山から流れ出る水が『たかいやまにつもったゆきがとけてながれます。やまにふったあめもながれます。みんなあつまってきて、ちいさいながれをつくります』。
そして谷間を通り、畑や田んぼに水を満たし、川沿いの牧草を食べる牛たちの喉を潤す。この風景はまるで高知県嶺北地方を流れる吉野川のようです。
そしてさらに大きな流れになり、港を抜け、海に出ます。『ひろいひろいうみ。ふかいふかいうみ。おおきいおおきいうみ。どこまでもどこまでもみずのつづくうみ。うみをこえていこう。ひろいせかいへ』。

その一連の流れが一枚の絵になっています。

山登りをしている人たちや田畑で仕事をする人たち、河原でお弁当を食べている人たち、海の近くの工場。川と共にある生活の様子が細かく描かれていて、見るたびに新しい発見があります。

作者である加古里子さんがこの本の向こうにいるだろう子どもたちの姿を思い浮かべながら絵を描き、お話を作っただろうことがしみじみと伝わってきます。

鳥山百合子

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「谷川俊太郎質問箱」 谷川俊太郎 東京糸井重里事務所

詩人の谷川俊太郎さんが寄せられた質問に答えていくこの本は、時々クスッと笑えたり、なるほど〜と思えたり。うん、肩ひじ張らなくてもいいよね、と思えます。

2枚目の写真の質問「大人になるということは、どういうことなんでしょう。谷川さんの「大人」を教えてください」。

その答えは「自分のうちにひそんでいる子どもを怖れずに自覚して、いつでもそこからエネルギーを汲み取れるようになれば大人になれるんじゃないかな。最低限の大人のルールは守らなきゃいけないけど、ときにそのルールから外れることができるのも、大人の証拠」と谷川さん。

なるほど!

これはいいなあ、と思った質問をもうひとつ。

質問:「車、飛行機、そのあとに続く乗りものって、まだないと思うんです。ぼくたちはこれからいったい何に乗ればいいんでしょうか。」

答え:「雲に乗るのもいいし、風に乗るのもいいし、音に乗るのもいいし、気持ちに乗るのもいいんじゃないかなあ。機械じゃない乗りもの、手でさわれない乗りものが未来の乗りものです」

 

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賀恒さんはお正月用の飾りを作るところを見せてくれた。

地面にゴザと座布団を敷き、母屋の隣の小屋から藁の束を出して来た。秋にお米を収穫した時に、きれいな藁を取っておいたのだという。その藁でお正月飾りを作ったり、しめ縄を綯ったりする。
藁の束を片手でひょいと持ち、ホースからちょろちょろと流れ出る山水で濡らす。そうすることで藁がしんなりし、手で綯いやすくなるのだ。ぽたぽたと山水の雫を伝う藁を揃え、座って静かに藁を綯い始めた。

夕方の橙色の光に照らされながら「高峯神社の鳥居のしめ縄もこうやって綯っちゅうのよ」と話しながら綯われた飾りは、それはそれは美しいものだった。高峯神社の手洗石や鳥居、本殿に上がる階段につけられていたいくつものしめ縄は、賀恒さんが作ったものだったのだ。

 

目の前に迫る山を指差しながら「この山の尾根伝いに行ったら高峯神社に着くよ」と教えてくれた。山道をくねくねと行ったり来たりしながらたどり着いたこの場所に立つと、方向感覚なんていうものはなくなってしまう。賀恒さんが指差した方向は、私が思っていた方向と真逆だった。

 

高峯神社には、拝殿へ向かう階段のところどころにコンクリート製のブロックが置いてある。段差がきつい箇所に置いてあるので石段を上りやすいようにしていることはわかった。でもいつも不思議で仕方なかった。きっと歴史ある特別なこの場所なのになぜ「コンクリート」を使うのだろう、他に方法はなかったのだろうかと残念にさえ思っていた。

ある日突然、その謎はとけた。賀恒さんと一緒に階段を上っている時だった。

「このブロックがあると、先輩たちが上りやすいろう。ホームセンターのブロックを買ってきて置いたんで」
賀恒さんはさらりと言った。地域の先輩に相談してホームセンターで1つ100円のブロックを買い、軽トラックで神社のそばまで載せて来て、賀恒さんが一つずつ運びあげたのだという。

まさか賀恒さんだったとは!
心底驚き、そして爽快だった。

これは、70年間この場所へ通い続けた賀恒さんがした仕事なのだ。

「ブロック」は、この地では日常的に使われているものだ。賀恒さんにとって、きっとこの場所は日常であり、生活の一部でもあるのだ。この場所に毎日のように通い、小さな変化に気づき、その時の自分にできることをしてきたのだ。ブロックを抱え、ひとり階段を上る賀恒さんの姿を思うと「なぜブロック?」と、そんな風に思ってしまった自分が恥ずかしかった。

「大変だったでしょうね」と言うと、賀恒さんは「いやいや、そんなことない。やらしてもろうて」と首を振るのだった。

 

そして、ぼそっと言った。
「高峯神社の縁の下の力持ちになれたらと思うちょります」

 

 

賀恒さんの背中を見ていて思う。

 

どうしてなのだろう。
誰に言われるでもなく、誰に褒められるわけでも認められるわけでもなく、自らひけらかすこともなく、自分のやるべきことを淡々と積み重ねる。自分のしたことが誰にも気づかれないこともあるかもしれない。

でもきっと、大切なことはそんなことではないのだ。
この地で生きる人たちの一見さりげない仕事の数々が、気持ちの良い風を吹かせる。小さなひとつひとつが目の前の現実を昨日よりもよりよく、より美しくしているのだと思う。その変化は見ようとしないと見えないかもしれないし、ふとした時に初めて気付くのかもしれない。世の中を動かし支えているのは、世界中のこういった市井の人たちなのだとあらためて思う。

 

 

高峯神社に初めて一緒に行った日のことだった。賀恒さんを家まで送り、挨拶をしてふと見上げた時に目に入った。賀恒さんの家の2階の窓際に小さな机があって、机の上に土佐町史が置かれていた。
ああ、あの場所で賀恒さんは土佐町史のページを開いているのだ。
あの場所に座り、自分の生まれ故郷や暮らしている土佐町の姿を思い描いてきたのだ。
賀恒さんが自分の知っていることや学んだことをいつも熱心に話してくれるのは、会ったことのない祖先たちから受け取った何かを次の世代に手渡したいという賀恒さんの願いのあらわれなのではないだろうか。

 

重ねてきた日々の尊さを思う。

今まで通りすぎてきた道のあちらこちらに、いつのまにか手のひらからこぼれ落ちてしまったこの町の輪郭があることを賀恒さんは教えてくれた。毎日通る道の風景や頰に感じる風を、昨日とはまた少し違うものに感じるようになった。

次の世代に手渡すということは、こういうことなのかもしれない。

 

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賀恒さんは土佐町の隣、いの町で生まれた。

「昔からの血縁関係で、叔母に子供がなかったから土佐町に連れて来られて。兄弟10人もおったもんじゃき、戦争が終わって食料のない時で、口減らしによ。中学校を卒業するのを待ちかねちょって、世話せいと言われて連れて来られてよ。15歳の時よ」

賀恒さんはその時からこの芥川の家で暮らし始めた。

「最初は電気もないところでよ。叔父と叔母と3人だけの生活じゃったけ、なんでこんなところに養子に来たんじゃろうと考えてみたり…。炭を焼いたり、三椏をとったり、そんな生活をしてた。1日がかりで歩いて高峯、陣ヶ森を超えて石原へ買い物に行った。石原へ行くのに高峯の参道を超えていくのが一番近道で。高峯への道は、自分が若い時の生活道よ」

「今、自分は85歳。今となって初めて考えることがあってよ、先祖は60代、70代で亡くなっちゅうけど、自分は85歳。ここまでどうして生かしてくれたろうと感謝しよります」
賀恒さんはそっと笑うのだった。

 

親戚とはいえ、自分の実親ではない人に育てられたことを賀恒さんは今まで何度も私に話した。そしていつも「叔父も叔母もとてもよくしてくれたのよ」と言い添えた。

 

「土佐町史」という深緑色をした布張りの厚い本がある。この本には土佐町の地域ごとの歴史や文化、言い伝えなどが詳しく書かれている。賀恒さんはこの町史を読み込んでいて、高峯神社のことはもちろん、神社の境内にある手洗い石のこと、高峯神社への道しるべの存在、山や峠、峰の名前…、たくさんのことを教えてくれた。

隣の家の蔵にあった昔の出生届。高峯神社の神官さんが木の札に書いていたのだそうだ。

 

出会ったばかりの頃、私は賀恒さんのことを歴史が好きな人なのだなと思っていたが、一緒に高峯神社を歩くうちにそれだけではないのでは、と感じるようになった。

これは想像だが、町史を読み、実際にその場所を訪れ、ひとつ一つの史実や事実を知っていくことは、実の親元を離れて土佐町に来たこと、この場所で生きていく現実を自分自身に納得させていくような作業だったのではないか。そんな風に思うようになった。

 

 

「あそこにお墓があるろう?よく見てみたんじゃけんどよ、15代前の人のもあった。不思議に思うんじゃけんどよ、もし誰か一人でも欠けていたら自分はいなかったんだなと思うのよ。そう思うと今ここにいるのが不思議だなあって」

 

ひとつひとつの石に刻まれた名前。
この石が、この地で生きていた人たちがいたことを教えてくれている。

会ったことのない先祖たちがいたこと、そのうちの誰か一人でもいなかったら今の自分は存在しなかったこと…。そのことを初めて理解したのは、確か小学生の頃だったと思う。自分とつながる人たちが手をつなぐように、絡むように、深く延々と、まるで螺旋のように迫ってくるような気持ちがしたものだった。人は皆、誰でも体の内にその螺旋を持っている。人はいつも必ず誰かと繋がっているのだ。

(「高峯神社の守り人 その4」に続く)

 

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賀恒さんは高峯神社の守り人。

70年間ずっと高峯神社のお世話をしている。高峯神社のことを知りたかったら賀恒さんに聞いたらいいと黒丸地区の仁井田亮一郎さんが教えてくれた。そのことがきっかけで賀恒さんを初めて訪ね、それから何度も一緒に高峯神社へ行った。
そのたびに賀恒さんは、芥川の家に毎日のように通って仕事をしているのだ、と話してくれた。

 

今、賀恒さんは土佐町の石原地区に住んでいる。

今から40年前、賀恒さんのお子さんが保育園に入る年になり、芥川から保育園へ通うには遠すぎるので石原の家に引越した。当時、石原地区には保育園はもちろん、学校や宿、色々なお店があり、人の行き交う賑やかな場所だった。賀恒さんは石原に「いつのまにか住み着いてしまった」のだという。

それから40年間、石原から車で30分くらいかかる芥川のこの家に賀恒さんは毎日のように通って、家の周りや畑の世話をしている。雨が降っても日が照っても、来れるときは大抵芥川の家に来ている。
「正月から大晦日まで休みなしですけ。アホのすることよ」
賀恒さんはそういうのだった。

 

賀恒さんは「まあまあ、そこに座りなさいよ」とぽかぽかと日の当たる縁側に案内してくれた。

静かに並ぶ先祖のお墓、きちんと剪定されたお茶の木やしいたけのホダ木が置いてある栗の木の周り…。とにかく視界に入るところ全て、賀恒さんの手が細やかに入っていることがわかる。

なんて美しいところなのだろう。
日向ぼっこをしながら、ぼんやりと目の前に広がる風景を眺める。

賀恒さんはポットに入ったお茶を湯飲みにそっと注いでくれた。白い湯気がゆらゆらと影になり、縁側を照らす光と重なった。それは賀恒さんが5月に摘んで炒ったお茶で、野山の味がするとても美味しいお茶だった。

 

同じ敷地内のすぐそばに、もう一軒家が建っていた。「ここにはもう誰も住んどらんよ。ゼンマイを採らせてもらってるき、草を刈らしてもらいゆう」と賀恒さんは話してくれた。

 

今まで誰かが住んでいた家に人がいなくなり空き家になると、草は伸び放題、家はあっという間に朽ちていく。そんな家を今まで何軒も見てきた。
でも時々、誰も住んでいない家なのに人の気配を感じる家に出あうことがある。そういった家は大抵、家の周りの草が刈られていたり、家に向かう道々に花が咲き、今も誰かがこの家に来ているということを教えてくれる。住んではいないけれどこの家を大切にしている人がいるということは、不思議なことにじんわりと伝わってくるものだ。
賀恒さんは、遠くに住むこの家の大家さんに、この山の栗や山菜を送っているのだという。

 

40年前、芥川には家が3軒あったそうだが、今はこの賀恒さんの家と少し離れたところにあるもう一軒だけになっている。賀恒さんは毎日通うことで、自分が育った家と芥川という地域を守っているのだ。

(「高峯神社の守り人 その3」へ続く)

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「シロナガスクジラより大きいものっているの?」 ロバート・E・ウェルズ 評論社

地球上の生き物の中で一番大きいのはシロナガスクジラ、なのだそうです。

その事実を元に「シロナガスクジラが100匹入るビン」を積み上げたり、「エベレストを100個」重ねたりなど、私たちが想像できる(?)「でっかい」ものたちを使って、地球や宇宙がどんなに「でっかい」のか教えてくれます。

土佐町には「お話ボランティア」さんという人たちがいて、毎週水曜日の朝、小学校の各学年の教室に行って本を読む活動を続けています。

私もそのうちの一人なのですが、この絵本を今までに何度か読んだことがあります。高学年の子どもたちは「シロナガスクジラ」や「エベレスト」はもちろん、どうやら宇宙は想像がつかないほど広いらしいということもすでに知っているのですが、「太陽」や「赤い星アンタレス」や「銀河」の大きさを自分たちが知っているものと比べて考えると「わあ〜〜〜〜…」という顔に。想像が想像を超えていく、そんな表情になっていきます。

先日、ブラックホールの姿をとらえた写真が新聞の一面に大きく掲載されていましたが、広い宇宙の中にある地球という惑星に住んでいる私たち人間は、宇宙から見たらとても小さな存在なのでしょう。想像力を働かせ、空を抜け、地球を飛び出し、宇宙から今立っている場所を俯瞰的に見つめてみると、力んでいた肩の力がふわっと抜けるような、そんな気持ちになります。

宇宙は広い。その宇宙も自分が立っている地面とつながっているんだよ、ということを思い出させてくれる一冊です。

鳥山百合子

 

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