鳥山百合子

メディアとお手紙

下田さん新聞記事

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  下田昌克さんが土佐町に滞在したことが高知新聞の記事に掲載されました。

下田さんが土佐町へ来たきっかけは、とさちょうものがたり編集長の石川と下田さんが旧来の友人であり、そのご縁で実現したことでした。

下田さんに土佐町の人たちの絵や風景の絵を描いてもらい、土佐町にある「当たり前のような」ものごとをまた違った角度で見つめることで、町のよさを再確認することができたらと考えました。

下田昌克さんは2017年10月2日から9日、土佐町に滞在し、土佐町の人たちや風景の絵をたくさん描いてくれました。

 

その前後を通じ、高知新聞嶺北支局の森本敦士さんが3回にわたって記事を書いてくれました。

 

・1回目  2017年9月29日

「絵描き」下田昌克さん 土佐町を描く

【嶺北】
土佐郡土佐町教委は10月2~8日、谷川俊太郎さんの絵本で絵を担当するなど「絵描き」として活躍する下田昌克さん(50)
=東京在住=を招き、住民や風景をモチーフに制作してもらうイベントを行う。
写真家で町地域おこし協力隊員の石川拓也さん(43)が下田さんと一緒に仕事をしたことがあり、その縁で実現。下田さんは世界各地を旅しながら描きためた肖像画を日本の雑誌で連載したり、布で恐竜の骨格標本を作って話題を呼んだり、多彩に活躍している。
下田さんは土佐町に滞在中、各地区に出向いて絵筆を振るう予定で、4日はみつば保育園の年長26人、5日に土佐町小学校2年生24人と一緒に絵を描く。
最終日の8日午後1時から同町土居の青木幹勇記念館で、下田さんと町民が制作した作品を展示し、午後3時からトークショーも予定。入場無料。町教委は、今回の作品を基にしたグッズ製作も計画している。

 

 

・2回目 2017年10月11日

土佐町 笑顔輝く肖像画 下田さん町歩き描く

【嶺北】
「絵描き」の下田昌克さん(50)=東京都=が1~9日、スケッチブックとクレヨンを手に土佐郡土佐町を訪れ、保育園や街角、棚田など町内を回って住民の絵を描いた。下田さんが人懐っこく「にっ」と笑うと向かい合った人もつられて「にこっ」。仕上がった肖像画はみなカラフルに笑っている。下田さんは「楽しかったよ。また来たいね〜」と言い残して町を後にした。描きためた絵の展覧会が、土佐町土居の青木幹勇記念館で29日まで開かれている。

下田さんは神戸市出身。26歳から中国やチベット、ヨーロッパなどを訪問し、旅先で出会った人の肖像画を帰国後、雑誌で連載。また、谷川俊太郎さんの絵本の絵を担当したほか、布で恐竜の骨格標本を作って話題を呼んだり、舞台芸術を手掛けたりと、多方面で活躍している。写真家で町地域おこし協力隊の石川拓也さん(43)と仕事をしたことがある縁で町教委が招いた。

下田さんは滞在中、町内のみつば保育園と土佐町小学校に出向き、子どもたちと共に高さ2.7メートル、幅5.5メートルの紙いっぱいにクジラや怪獣など、思い思いの絵を描いた。保育士の山下志保さん(48)は「下田さんの色使いをまねて、子どもの絵が変わった」と話す。

下田さんが肖像画を描く姿は圧巻。対面するとすぐにクレヨンを取り、笑顔で相手をさっと見てはどんどん手を動かす。描きながら話もする。「僕、ほんとはサラリーマンになりたかったんだあ。チベット人に絵を褒められてなかったらやってなかったかもー」。黄色で輪郭をつくり、ピンクを重ねると絵の表情は一気に立体感を帯びる。緑も紫も使う。

「調子いいときは、色が粒になって見えるんだよな」。肖像画は15分ほどで出来上がり、隠された色が、表情が、下田さんの手によって浮かび上がる。

展覧会は8日に開幕し、約30人の肖像画や滞在中の様子を収めた写真や動画が並んだ。訪れた人は見知った顔を見つけては「いい表情」などと感心しきり。下田さんが描いたアケビやシイタケの絵をTシャツとバッグにプリントした町オリジナルの品も完成した。                                          (森本敦士)

 

 

・3回目  2017年10月26日

魅力再発見

なぜ笑顔の絵ばかりなのか。

先日、土佐町で町民の肖像画を描いた画家の下田昌克さん(50)=東京都=に問うた。
すると、「みんな笑顔なんだもん」。

自分も描いてもらって理由が分かった。それは下田さんの無邪気な笑顔が目の前にあったから。恐らく誰もが頰を緩めてしまうのだろう。出来上がった自分は自分でも気付かない新鮮な表情だった。

下田さんが製作した肖像画は町内で29日まで展示されている。初対面で描くのは得意ではないそうだが、今回「(人との距離が)壁がなくて近い。超楽しかった」とモデルの魅力を存分に引き出していた。

下田さんを招いたのは、町の魅力を発信するプロジェクト「とさちょうものがたり」を立ち上げた地域おこし協力隊の石川拓也さん(43)。写真家として世界を旅し、レディー・ガガさんらを撮影した華やかな経歴もあるが、「生きていくための全てが土佐町にある」と昨夏移住した。

石川さんは町民性や文化もブランド化できると信じる。下田さんらプロの感性を通じ、住民が町の魅力を再確認するきっかけにしてほしいと願う。当たり前を誇りや強みに変える“再発見”の取り組み。必ず発信できるものが見つかるはずだ。

(嶺北・森本敦士)

 

下田さんが描いた絵とその時の出来事の様子は、土佐町のフリーペーパー「とさちょうものがたり ZINE 01   下田昌克、土佐町を描く」に詳しく掲載されています。ぜひ多くの人に読んでいただけたらと願っています。

 

[創刊号] とさちょうものがたり ZINE 01

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読んでほしい

下田昌克さんのこと 7

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DAY 7 10月8日(日)

 

いよいよ「下田昌克とさちょうアート展」当日。
下田さんが描いた絵、子どもたちと一緒に描いた絵、下田さんの著書、シルクスクリーンでプリントしたTシャツが並んだ

前日深夜までパンフレットの印刷、写真の印刷、下田さんが土佐町で過ごした1週間のスライドショーの作成を行い、その準備もできた。

 

展覧会一番最初のお客さまは、立割地区の筒井博太郎さんだった。

切ったばかりの柿の木の枝、吊るせるようにひもをつけたあけびを軽トラックの荷台に積んで「おーーい」と笑顔で来てくれた。

「博太郎さん!」下田さんが駆け寄る。
「わあ!うれしいなあ……

 

 

博太郎さんは枝をかつぎ、絵が展示してある部屋へ運んでくれた。
素敵なお土産を手に来てくれた博太郎さんの気持ちが何よりありがたかった。
博太郎さんは飾ってある絵を1枚1枚よく見ていき、そして自分の絵の前でしばらくじっと立っていた。

この日も博太郎さんの胸ポケットにはハーモニカ。
展示室のベンチに腰掛けながら『里の秋』を演奏する博太郎さんの隣に、下田さんも座る。
博太郎さんの隣で演奏を聴いている下田さんはとても幸せそうだった。

 

 

澤田弥生さんの絵の前でじっと立っている人がいた。
しばらくすると弥生さんの絵の写真を撮り始めた。
声をかけてみると弥生さんの娘さんだった。その時、娘さんは一人で来ていた。


しばらくしてからふと気づくと、絵の展示室のベンチに弥生さんが座っていた。
103歳の弥生さんが絵を見に来てくれた。自分で仕立てただろう素敵なジャケットを着て。

下田さんは「とてもうれしい。来てくれてありがとうございます。」と耳元で言った。
弥生さんは「いえいえ。」と笑って答えた。

そばには娘さんがいた。

「さっき絵を見に来たあと父の家に寄ったら、父が展覧会に出かける準備をして玄関先で待っていたんです。」

そしてこの場所にまた一緒に来てくれただった。

弥生さんと下田さん。
並んで座る二人の背中が「出会った」ことを教えてくれていた。

 

 

保育園や小学校の子どもたち、下田さんが絵を描いた人たち…。みんなが何だか懐かしい友達に会ったような表情で下田さんと話していた。
お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、保育園の先生、地域の方たち…。この日だけで100人以上のお客様が来てくれた。

みんなが笑顔になっていた。

「絵を描いたかっこいい人生の先輩たち、みんなが展覧会に来てくれたことがうれしかった。」下田さんもとてもうれしそうだった。

 

 

下田さんは土佐町でたくさんの人と出会って、笑って、絵を描いた。
真っ白だったスケッチブックに土佐町の人たちを映し出した。
下田さんの描いた絵はその人そのものだった。

 

 

絵を目の前にして誰もが笑顔になったのは、胸の中にぽっとちいさなあかりが灯るように、今を生きている喜びに気がついたから。そんな風に思う。

この場所にあなたがいること。私がいること。
ひとりひとりが自分の場所で自分の人生を積み重ねていること。
このことは決して当たり前ではなく、実はとても味わい深くかけがえのないことなんだと下田さんの絵は教えてくれた。

本当に大切なことはどこか遠いところにあるのではなく、きっとすぐそばにある。

下田さんはそのことに気づく種を土佐町に蒔いてくれた。

 

 

飛行場へ向かっている時、下田さんは言った。

「土佐町の人たちは最初から懐深く、初めて会った時から受けとめてくれた。ここでしかできないこと、土佐町でしかできないことがあると思う。」

 

下田さんの著書『PRIVATE WORLD』の最後に、こんな言葉がある。

「いろんな人に会った。いろんなことがあった。僕がいろんなところでおっことしたうんこから、芽がでて花が咲いていたらうれしいと思う。」

 

 

下田昌克 1967年生まれ。 兵庫県立明石高校美術科、桑沢デザイン研究所卒業。 1994年から2年間、中国、チベット、ネパール、インド、そしてヨーロッパを旅行。 その2年間に 会った人々のポートレイトを描き続け、1997年、日本に持ち帰った絵で週刊誌での連載を開始し、 本格的に絵の仕事を始め、現在に至る。

 

 

おわり

[動画]下田昌克さんが土佐町にやってきた!

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読んでほしい

下田昌克さんのこと 6

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DAY 6 10月7日(土)

 

 

爽やかな朝の空気を呼吸しながら、瀬戸川渓谷を仁井田亮一郎さんと一緒に散歩する。

亮一郎さんの飼い犬2頭、ジリとソラも一緒だ。 昨晩の宴会は黒丸の地元の方々がたくさん参加して、間違いなく楽しい時間だった。

酔っぱらった下田さんはこれまた酔っぱらった亮一郎さんのハゲ頭にクレヨンでカラフルで大きな顔を描いた。頭頂部に輝くその笑顔を見て、普段は夜更かしをしない黒丸のお母さん方もワッハッハと笑いながら夜を過ごしたのだ。

 

 

明け方までの雨で山も道も空気もしっとりと濡れている。緑が鮮やかに光っている。

瀬戸川渓谷の集落、黒丸は土佐町で最も山深い地域だけあって、朝の空気は清浄そのもの。亮一郎さんは黒丸の地区長であり、林業のエキスパートでもある。この辺りの山のことは隅々まで知り尽くしている。 ジリとソラの後を追うように、ゆっくりと蛇行する山道を歩く。このときこの場所だけ時間の流れ方が違うようだ。

途中、展望台に立ち寄る。

「正面に見えるあれが剣ケ岳、その奥には剣ケ滝という滝がある。右手にずっと上がっていくと稲叢山…。」 自分の庭のことを話しているような亮一郎さんの言葉を聞きながら、下田さんはゆっくり歩く。

もうすぐ紅葉が始まるだろう。

「またゆっくり来たいなあ。」と下田さん。 「またすぐ来るやろう。」亮一郎さんが予言めいたことを言う。

まだまだ散歩したい様子のジリとソラをなだめながら瀬戸コミュニティセンターに戻ってから、黒丸と亮一郎さんに別れを告げ、再び町に降りるため車を走らせた。

 

 

 

宿泊した黒丸地区から田井地区のころろ広場へ向かう。
下田さんに駆け寄ってくる子どもたちや「下田さんですか?」と声をかけてくる人が何人もいた。

 

青木幹勇記念館で明日の展覧会の準備をする。
この日も記念館の田岡三代さんがにこにこと迎えてくれた。

土佐町で描いてきた絵をスケッチブックから切り離す。

下田さんは脚立を使って麻ひもを部屋の壁と壁の間に渡した。
渡したひもにさらにひもを結び、その先にクリップをつけ、絵を吊りさげる。
絵は壁に貼るものだと思い込んでいたから、こんな展示の仕方もあるんだと驚いた。

 

 

子どもたちと一緒に描いた絵は体育館に飾った。絵は大きくて重い。
絵の裏側にガムテープを2重にして貼り付け、竹の棒を支えにして画びょうでとめていく。
竹の棒にひもを結び、体育館の2階から5人がかりで引っ張りあげる。

2つの大きな絵が並ぶと迫力があった。

 

 

土佐町の人たちの絵が並んでいる風景は壮観だった。

絵のそばに滞在中の写真が並ぶと、一人ひとりの人を描いた時のこと、これまで過ごした6日間のことが心に浮かび、これ以上ないというくらいよき出会い、よき時間だったのだということが胸に迫ってくるようだった。

 

下田さんはこれからも土佐町の人たちと出会ったことを心のどこかで覚えているだろうし、土佐町の人たちも下田さんとの出会いを心のどこかに置いて、時々思い出したりするのだろう。

出会うことでお互いの人生の中の登場人物になるんだなと思う。

出会って、同じ時間を過ごして、一緒にいて、話したり笑ったり泣いたり怒ったり…。「出会った」という事実はずっと消えない。その事実を重ねながら、人は自分の場所で生きるのだなと思う。

 

 

この日は夕方まで作業し、Aコープでバナナアイスを買って一緒に食べた。

滞在中、下田さんは白くま印のクボタのアイスが美味しいと気に入って、色々な味のアイスを毎日のように食べていた。バナナ味、サイダー味、コーヒー味、あずき味…ほとんど制覇したのではないかと思ったけれど、東京へ帰る日「黒糖アイスを食べ損ねた…。」と本当に残念そうだった。(東京へ戻る時、高知竜馬空港でもクボタのアイスを食べた。)


展覧会はいよいよ明日。できることは全てやった。

 

つづく

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読んでほしい

下田昌克さんのこと 5

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DAY 5 10月6日(金)

この日は朝から雨が降っていた。

石原地区の近藤國一さんの家へ向かう。
土佐町社会福祉協議会の筒井由美さん、上田大さんは「國一さんはたまらない笑顔の人だ」と言っていた。

会ってみると本当にその通り。とても素敵な笑顔の人だった。

 

 

國一さんはあかうしを育て、お米を作っている。「農家は一年中忙しい。畜産飼いよったらね、休む暇がない。」体は小柄だけど手はとても大きい。

この日はテレビの取材が入ったこともあって、いつもはおしゃべりだという國一さんがとても静かだった。
土佐町教育委員会の町田さんが合いの手を入れると笑顔になるけれど、すぐに緊張した顔に戻ってしまう。

描き終わると「ふ〜」とため息をついてほっとした顔になった。

「どうかな?」とスケッチブックを見せる下田さん。

「大丈夫です!初めてじゃけ緊張した。絵描きさんじゃなあと思いました。すごい!よかったと思う。恥ずかしいけ言えんけど、歳がいったなあと思った。」

下田さんは言った。
「かっこよかったです。かなわないです…。」

絵には、國一さんその人そのものがにじみ出ていた。

 

 

 

次は窪内久代さんの家へ。

久代さんは長い間、石原地区の食に携わった方で保存食の名人。家に到着すると早速、自分で作ったりゅうきゅうの塩漬け、にんにくの酢づけ、らっきょう漬け、ハブ茶を次々と見せてくれた。

 

 

「もうこの頃は“めくらへびにおじず”でねえ。」と久代さんは笑って言った。
“めくらへびにおじず”は『怖いもの知らず、物怖じしない』という意味で、久代さん小さい頃から使ってきた言葉だそうだ。

下田さんは「めくらへびにおじず、…初めて聞いた!」と言って忘れないようにスケッチブックに書いていた。

 

 

「百姓も一人前にやったで。お父さんに負けんばあ。」と久代さんが言うと「あんなにいっぱい色々作ってたら大忙しでしょう。」と下田さん。

「忙しいですけど、私、仕事してても楽しい。友達と話してても楽しい。いやなことはいつのまにか忘れてしまう。ワイワイいうてニコニコしもって、笑って笑いぬくんやね。」久代さんはそう言って笑った。

 

土佐町には季節の手仕事がたくさんある。
その季節にしか収穫できないものを1年中食べられるように、塩漬けにしたり茹でて干したり、さまざまな方法で保存する。

「イタドリは春に700㎏くらい収穫する。忙しい時は夜、毎日残業しますろ。しんどうない?って言われるけど楽しい。秋の今の時期は白ぶき。通り名はりゅうきゅう、くわずイモともいうね。塩漬けしたり漬けものにしたり

この地で暮らしてきた人たちがずっと昔から引き継いできた仕事は、この地の素晴らしい文化のひとつ。私もその技を身に付け、次の世代にバトンタッチしていきたいと思う。

 

絵を描き終わった後、久代さんが作ってくれたおはぎと、石原地区のお母さんたちが作ってくれた山菜寿司を一緒に食べた。

「田舎寿司、美味しいよね。田舎の人は『こんな田舎のもの…』と言って恥ずかしがるけどそんなことない。都会の人は絶対喜ぶし、東京で食べられたら嬉しい。」と下田さんは言った

久代さんの台所には薪ストーブがあって、部屋はぽかぽかじんわりと暖かかった。

ストーブの上の小窓からしとしとと降る雨がえる。

コンクリートでできた水場や、大きな鍋がいくつも置かれた棚…。この台所で久代さんはどれだけの時間を過ごしてきたのだろう。

久代さんのおはぎは絶品だった。柔らかくてもちっとしていて、お世辞ではなくこんなに美味しいおはぎは初めてだった。

 

「体が動くうちは頑張る。」

久代さんのおはぎ、保存食…。また作り方を教えてもらいたいなと思いながら久代さんの家をあとにした。

 

 

 

次は平石地区の西村尚さんの家へ向かった

この日は雨だったので、もしかしたら家にいるかもしれないと電話をかけてみると快く「いいですよ、来てください。」と言ってくれた。

尚さんが作った作業小屋に入った。尚さんはハウスでピーマンを育てている。お米の蔵に続くように屋根を作り、雨の日でも作業ができるようにしたそうだ。

 

尚さんは本当にきれいな目をしている。

 

野菜を入れるカゴを逆さまにし机がわりにして、下田さんは絵を描いた。

この小さな空間に尚さんがいて、下田さんがいる。ああ、こんな風に人は出会ったりするのだなと思う。

 

 

あとから下田さんが「面と向かった人がちゃんと受けとめてくれる感じがいいね。温かい。初対面なのにこんなに絵を描かせてもらえるとは思ってなかった。」と話していた

 

受けとめること
それは
この地で暮らしてきた人たちがずっと昔から培ってきたことなのだろうか。
人間
はどうすることもできない自然の力を目の前にし、まず受けとめないとやってこれなかったということもあっただろう。そも関係するのだろうか。
その「受けとめる力」はこの地で感じる人の温かさでもあると思う。

 

 

平石小学校で開かれている背みの教室へ行った。
背みのの材料である「スゲ」を収穫したり、作り方を学ぶ場所。土佐町では背みのは現役の道具。

暑い日、田んぼや畑で背みのを背負って仕事をしている人を見た時、これが日常の風景なのかと心底びっくりした。

 

 

下田さんはこの教室に来ていた川田絹子さんの絵を描いた。
絹子さんはススキの葉でバッタを作って見せてくれた。
下田さんはそれを見て、昔バリ島に行った時
に、葉でを作ったことを思い出し、絹子さんと作り始めた。

 

ひとつの出会いが昔の記憶を連れてくる。

絹子さんはとても嬉しそうに「また作ってみるね」と話していた。

 

 

 

この日の宿泊は瀬戸コミュニティーセンター。
今年の7月に行った「パクチーフェス」でお世話になった黒丸地区の方たち、野菜を提供してくれたお母さんたちが来てくれた。

こうやってご縁がつながっていくんだと思えてうれしかった。

 

 

下田さんは絵を描き始めた時のことを話してくれた。

「20代の頃、どうやって生きていったらいいかわからなくて色々な仕事をした。デザインの仕事、飲食店やビルの警備員…。どうしていいかわからなくなって働くことから離れようと、自転車にテントを積んで東京を出た。畑の収穫の手伝いをして、泊まって食べさせてもらったり…。その間にお金が貯まってた。生まれて初めての貯金だった。そのお金を持って海外に旅に出た。」

「神戸港から船で上海に行く時、スケッチブックと色鉛筆を持って行った。チベット人が僕の描いた絵をすごく褒めてくれた。彼らがほめてくれるから絵を見せたくてずっと絵を描いていた。2年間旅行しながら絵を描いて日本に帰ってきて、週刊誌で連載をやらせてもらえることになった。」

「嬉しかったけどそれだけじゃ食えないし仕事は探してた。30歳になったら急にアルバイトの求人がなくなった。まだ何をしていいかわからなかった。ちょっとだけ絵の仕事をもらってたから、一回絵でやってみようと思って仕事をやめた。すげえ貧乏だったけど、どうにか今まで続いてきた。もっと若い頃から早くやっとけばよかった、と思って。」

「早くからやってたら、ここに来てないやろう。」と黒丸地区の亮一郎さんは言った。

絵はずっと好きだったけど続けてても仕事と結びつくとは思ってなかった。僕は偶然やりたい仕事をやらせてもらってるけど、必ずしも正しいことをしているとは思ってない。正しいからいいという訳でもないし…。食べ物を作るとか命に関わる仕事、生きていく上で絶対的に必要な仕事、確実に誰かの役に立っている仕事はやっぱりすごいし憧れる。僕はそういうところからだいぶ外れてると思う。僕の仕事はみんなの感覚に支えられている。自分がやってこれているのはみんなのおかげ。」

 

下田さんがしてきた選択は、絵を描くことが仕事になるとは思わずに選んできたことだったのかもしれない。

でもこれまでの選択ひとつひとつが今につながっている。
自分の選択が自分の道を作っている。

それは全ての人にとっても同じ
何につながっていくのか今はまだ見えないけれど、
振り返った時「自分で選んできた」と思えるようでありたい

つづく

[動画]下田昌克さんが土佐町にやってきた!

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読んでほしい

下田昌克さんのこと 4

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DAY 4 10月5日(木)

この日は土佐町小学校2年生と絵を描く日。
大きな紙を目の前にして「何を描こうか?」と下田さんが聞くと「恐竜がいい!」という声があがる。「恐竜!いいね!」下田さんはクレヨン一本で大きな恐竜を描いていく。

「裸足になろうか!大きいものを描いてもいいし小さいものを描いてもいい。上から描いてもいいし下から描いてもいいよ。」子どもたちは軽やかに画用紙の上に飛び乗ってクレヨンの箱を開く。
「自由に描いていいよ、となかなか言ってあげられないから…子どもたち、すごく楽しそうです。」と担任の先生が話していた。

 

真っ白だった大きな紙がどんどん色づいて、にぎやかに楽しげになっていく。

よいしょ!と寝っころがって子どもたちの間に飛び込んでいく下田さん。
絵を描きながら一人ひとりに声をかける。
下田さんと子どもたちの足と手は、たくさんの色で染まっていった。

 

 

完成した絵を持ち上げて、壁に貼った。
「なかなかめちゃめちゃだね!いいね!大人に好きにやっていいって言うと全然まとまんないけど、子どもに好きにやっていいって言うと、みんな好き勝手にやるんだけど、何となくまとまるんだよね。何でかわかんないけど。」 と下田さん。

 

下田さんにサインを求める行列ができた。中には色紙を持参している子も。
リクエストに応える下田さん。 みんな大切そうにサインをぎゅ、と抱えて持ち帰っていた。

 

下田さんは言った。
「こうやって一緒に絵を描くことで、常識だと思っていたことが別の角度から見たら違ったりするのかもしれないなあ…と。そんなことをちょっとでも感じてもらえたらと思う。」

 

 

 

下田さんは子どもたちに囲まれながら給食を食べた。
40年ぶりに小学生になった下田さんは、この日の日直さんに「姿勢のいい人を言います。……下田さんです!」と褒められました(笑)

 

2年生から手紙のプレゼントがあった。
うれしかった、楽しかったという気持ちがたくさんつまっていた。

『ぼくも大きくなったら絵かきさんになりたいと思いました』
『下田さんといっしょにかける日をまだかなとまっていました』
『またいっぱいきれいな絵をたくさんかこうね。やくそくできるならやくそくしましょうね。またやりましょうね』

 

「子どもたちはこれから何度もこの日のことを思い出すやろうね。」と言った人がいた。
本当にその通りだと思う。

 

 

 

夜は、役場近くの川田ストアへ。

川田昇さん・礼子さんと雑談しながら夕ご飯をご馳走になり、ゆっくりとした時を過ごした。

そうして1時間ほど経ったあと、下田さんは「じゃあ描いちゃおっかなぁ」とスケッチブックを取り出した。
まずはお父さん(昇さん)が前に座るが、すぐに「あ、Tシャツ着ようか」と一度店を出て、川田ストアオリジナルのTシャツに着替えて戻ってくる。

スケッチブックにはたちまち紺色の川田ストアTシャツを着て、焼酎のグラスを持ったお父さんの姿が現れる。

 

「うわあ似てるねえ」と横から覗いたお母さん(礼子さん)の感嘆の声。

「そういえばポスターで見たのと感じが違うねえ」とお母さん。
実はこれは土佐町の色々な場所でたくさんの人から言われた言葉。このイベントのポスターに掲載している下田さんは丸坊主。実際に土佐町を訪れた下田さんはオレンジ色のモヒカンになっていた。

「ここに来る前の日に散髪に行ったら、『今日の朝なに食べた?』って話になって、『バナナと、、、沖縄でもらったパイナッ  プル』って言ったら、『じゃあパイナップルみたいにしようか?』ってこうなっちゃった。」

 

 

わっはっは、とみんなで笑いながらも下田さんの手は着々と動いている。

昇さんの絵が完成したら、すぐさま礼子さん。
どうやら礼子さんは下田さんと面と向かって座るのがだいぶ照れくさいようで、下田さんの顔を見てはなんども笑いをこらえていた。

 

 

テレビからは夜のニュースの「今年35才になった広末涼子さんが、、、」とナレーションが聞こえる。
下田さんが「もう35才?」お父さんは「まだ35か?」
見解の相違にまたみんなで笑ったのだが、「時の経つのは早いもんやね。」という言葉にはみな頷くしかなかったのであった。

川田ストアのごはんで満腹になったお腹を抱え、「またいつでもいらっしゃい。」と笑顔で見送ってくれる二人に手を振りながら帰り道を歩いた。

 

つづく

[動画]下田昌克さんが土佐町にやってきた!

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読んでほしい

下田昌克さんのこと 3

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DAY 3 10月4日(水)

今日は、みつば保育園のそらぐみの子どもたち絵を描く日。

昨日、下田さんと一緒に過ごしていたこともあって子どもたちは本当にうれしそうに迎えてくれた。ホールに広げられ紙は大きさ2.72m×5.5m。

下田さんが紙の上に膝をついて、這うようにクジラの絵を描き始めると「すごい!」「クジラや!」「似いちゅう!」子どもたちから歓声があがる。

子どもたちも一緒に描き始める。
カニや小さな魚、大きな魚、うさぎ、木、星、お花、かめのお誕生日会

昨日、下田さんに絵を描いてもらった澪くん。
何色も色を使って力強く池のような形を描、黙々と色を重ねて塗っていた。

その姿を見ながら先生言った。

「普段は自分から手を挙げたりすることはあまりないけれど、下田さんに『絵を描いてほしい人!』と聞かれて手を挙げている姿を見た時はびっくりして…とても嬉しかった。自分の絵を描いてもらって、今日は下田さんのようにたくさんの色を使って描いて…下田さんと過ごした2日間は、もしかしたらこの子にとって転換期になるのかもしれないです

 

 

ひとりの大人との出会いが子どものこれからに何かのきっかけを与えるかもしれない。
そう思うと、色々な大人がいること、色々な生き方があること、色々なあり方があっていいんだと思えるような機会を作ってあげたいと思う。

 

下田さんは絵を描き終わると聞いた。
「僕、みんなに声をかけられていたかな?誰か忘れたりしてなかったかな?」
園長先生が「大丈夫ですよ。」と言うと安心したように「よかった。」とつぶやいた。
下田さんのそういうところをとても素敵だなと思う。

 

 

下田さんが東京へ戻った2日後のこと。
朝、保育園に行くと、そらぐみの女の子が目を丸くしながらお母さんのところへ飛び跳ねるようにしてやって来た。

 「お母さん!下田さんの本、借りられたよ!」

保育園では下田さんの絵本を購入し、貸し出しできるようにしていた。誰かが絵本を返したら、子どもたちは我先にと借りていくのだそうだ。

やっと下田さんの本を借りれたことがジャンプするくらいうれしいんだ!なんて素敵なんだろう!

 

 

 

和田守也土佐町長の絵も描いた。

 

そのあと、明日一緒に絵を描く2年生と顔合わせのために土佐町小学校へ向かった。

担任の先生の話によると、子どもたちにとって下田さんは憧れの存在で、会える日を指折り数えて楽しみにしていたそうだ。実はこの時、約束の時間より30分ほど遅れてしまった。教室に入ると「やっと会えた!待ってました!」というエネルギーで溢れそうになっていた。

近藤稜真くんの絵を描くことになり、子どもたちが下田さんと稜真くんを取り囲む。
絵を描く下田さんと子どもたちは、まるで昨日も会っていたかのように話
をしている。

子どもたちと下田さんの間には「壁」なんてなかった。
会えてよかった!という気持ち
のままぶつかっていく子どもたちと、その気持ちをそのまま受け取る下田さんの姿がとてもいいなと思った。

 

 

 

田井地区の澤田弥生さんを訪ねた。
土佐町社会福祉協議会の長野通世さんが一緒に付き添ってくれた。

弥生さんは洋服を仕立てる仕事をしていただけあってとてもおしゃれだった。
土佐町の「すみれ楽団」をつくった人であり、カメラにも詳しい。
103歳の現在一人暮らしで自分で買い物へ行き食事も作っているのだそうだ。

 

家の玄関先で弥生さんと下田さんが向き合う。

しん、と静かな空間。

弥生さんのまばたきの音も聞こえそうなほどだった。

 

 

103歳。

「103年」という時間を積み重ねて来た弥生さんの姿。

ここに自分いるのだという気配があった。

積み重ねてきたものは、その人の存在そのものに現れる。

下田さんが絵を描く姿を見つめる弥生さんのまなざしは、強く、優しかった。

絵が完成した時、優しく笑って「よう似いちゅう。」ととても喜んでいた。

 

 

家の玄関先に立ち、手を振りながら見えなくなるまで見送ってくれた。

 

 

弥生さんが立っている向こうから金色の夕焼けの光がさしていた。
その風景を私はずっと忘れないと思う。

下田さんはあとから、弥生さんは「たたかっている人の気配がした。」と言った。

 

 

夜は笹のいえで美味しい夕ごはんをいただいた。ここはいつ来ても気持ちがいい場所。
下田さんは子どもたちに画用紙を渡し、自分の絵を描いてもらった。

 

つづく

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読んでほしい

下田昌克さんのこと 2

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DAY 2 10月3日(火)

2日目、朝からみつば保育園へ向かう。
明日、子どもたちと一緒に絵を描くために顔合わせをすることになっていた。

「絵、描こうかなあ。」という下田さんの声に「描いて描いて!」と子どもたちの手が次々と挙がる。
下田さんが「目がぱっちり合った」という明坂美音ちゃんと和田澪くん。
床に座ってクレヨンのふたを開き絵を描き始めると「そっくりや!」「似いちゅう!」子どもたちの歓声があがった。

 

「明日、一緒に絵を描こうね!」と約束してみつば保育園を後にする。

 

土佐町社会福祉協議会の上田大さんの案内で、相川地区の川井一穂さん・信枝さん家を訪ね
何日か前に伺った時、一穂さんはユンボに乗って家の敷地を掘り返していた。道を作っているのだという。

都会では自分のユンボを持っている人はまずいないだろう。木を切り倒し、ユンボを乗りこなし、自分の敷地に道を作るなんて本当に驚かされる。

地に足をつけ自分の生活は自分で作る。一穂さんをはじめ、土佐町にはそうやって暮らしている人がたくさんいる。

 

 

一穂さん信枝さんは縁側に並んで座った。それだけで仲の良さが伝わってくる。おふたりは気づいていなかったけれど、同じ色のストライプのシャツを着ていた。

「お揃いですねえ、ペアルック。」と下田さんに言われると「え?あら〜、そんなこと思いよらんかった。」と恥ずかしそうにしていたのが微笑ましかった。

「どうかな?大丈夫かな?」と描きあがった絵を見せると拍手が起きた。

「すごいね。クレヨンでそんなに描けるなんて。」と一穂さん。「一穂さん、男前になった。」と信枝さん。

絵をしみじみと眺めながら一穂さんは「どうもどうも、ありがとう!」と目を細めた。

 

 

 

 

黄金色の稲穂についた水滴ひとつひとつがきらきらと輝いている。

立割地区の筒井博太郎さん・苗子さん家へ向かった。

裏山急な斜面を歩いているあかうしがいた。
山で放牧する育て方をしているのは、土佐町ではもう博太郎さんの家だけなのだそうだ。

「こーい、こいこい!」と山へ向かって苗子さんが呼びかけると、山の上からあかうしがゆっくりと降りてくる。
「こうやって呼ばれると何かもらえる
と思ってるんよ。」と苗子さんが教えてくれた。

「すごい!インドみたい!」と下田さん

「林内放牧いうてね、高知県でも初めてでね韓国や中国から何回も視察に来たで。柵に有刺鉄線を引いて出んようにしてある。夏のぬくい日はちゃんと上へがって、風通しのええところに行って涼んでる。山の上の小屋水を飲んだり、雨降りには雨宿りして、また天気になったら外へ行く」と博太郎さんは教えてくれた。

 

 

あかうしの牛舎の前博太郎さんと苗子さんの絵を描いた。
何日か前に話した時はとても陽気でユーモアたっぷりだったのに、今日は緊張しているのか言葉少ない博太郎さん。

 

白い紙にその人が現れてくるこの瞬間はいつもゾクゾクする。
絵を描きながら下田さんは「うわ!でっかい手!」と言った。
「仕事しちゅう証拠よ
」と博太郎さん。
指はゴツゴツとしていて子どものグローブ
みたいだ。指の爪ももちろん大きい。働き者の手。
下田さんも手を広げて
指を見せ合う。下田さんはクレヨンやペンを持ち続けて右手の中指にタコができている。手にも働き方が現れる。

 

 

「どうかな?」と下田さんが絵を見せる。
「すごい!若い時の顔みたいに男前になった!」と苗子さんが言うと「もっと色が白いんじゃが、(絵の顔には)色がいっぱいついたわ(笑)」と博太郎さん。

苗子さんが「元気そうやね。血色がええね。おんちゃん、ええ帽子きちゅうけ。」と言うと「クボタの帽子きてたら、宣伝になって宣伝費もらえるかもと(笑)」と博太郎さん。「色々考えゆうんやね(笑)」と大さんは笑うのだった。

ユーモアたっぷりの博太郎さんとお話しするのは楽しい。

 

 

博太郎さんがハーモニカを披露してくれた。
ふるさと』『南国土佐を後にして』『青い山脈』博太郎さんの心意気に泣きそうになった。

「ギターも弾かんといかんやろうか?」軽トラックの助手席のドアを開けるとちゃんとギターが積んである。
「遠路はるばる来てくれちゅうんやけ、ギターでも弾いちゃろうかと思って。」

同じ立割地区に住む大さんが「博太郎さんのギターは初めて聴いた。」と言っていたから、やっぱり今日は特別だったのだ。

 

「これ、今朝採ったんよ。食べや。」苗子さんが栗をどっさり、そして柿やあけびも持ってきてくれた。

ユーモアたっぷりでサービス精神に溢れた博太郎さん。
博太郎さんに絶妙の間で合いの手を入れる苗子さん。ふたりの息はぴったりだった。

 

 

美味しいお昼ごはんを高須地区の近藤泰之さん・久野兆佳さんの家でいただいた。
土佐町の野菜をたっぷり使ったお昼ごはん

【メニュー】
・チラシ寿司
・レンコンとなすの天ぷら
・りゅうきゅうの柚子醤油和え
・さつまいものフライドポテト
・大根菜の煮浸し(しらす入り)
・人参とごぼうの鶏肉巻き
・ベーコンとバジルのパスタ
・柿とアボカドのサラダ
・よもぎもち

いつも温かく迎えてくれて本当にありがたいなあと思う。

あかうしに食べさせる草を軽トラックの荷台にたくさん載せて、家に遊びに来た沢田清敏さんが縁側に座った。作業着姿に麦わら帽子をかぶった清敏さん。

絵を描くことになって、少し照れくさそうにしながら下田さんの手元を見つめていた。

 

色を重ねていくごとに清敏さんが浮かびあがる。

「どうですか?」と絵を見せる下田さん。
周りで見ていた人たちから歓声があがる。

「最初の一色で描いた時から清敏くんやったわ。よかったねえ!」と泰之さん。兆佳さんは、カメラが絵を顔認識していたことにびっくりしていた。

 

 

霧雨がやんで晴れ間が出てきた。雲と雲のすき間から白く輝く光が長く長く、黄金色の棚田に差し込んだ。
みんなが「わあ!」と思わず声をあげ外に出て、
目の前のその風景を見つめる。

 

 

帰り道「こういう町だったら人間関係がちゃんと作れそうだね。」と下田さんは話していた。

(清敏さんがかぶっていた麦わら帽子をいいなと思ったのか、次の日、下田さんはAコープで麦わら帽子を買った

 

 

 

棚田の間の道を抜けて伊勢川地区へ。

澤田誠一郎さんの家へ向かう。

誠一郎さんが作った「やまなみ雲海展望台」、標高500メートル。
展望台ではラジオが聴ける。誠一郎さんが電気を引いたのだ。
誠一郎さんは早明浦ダムを作る時溶接の仕事をしていた。仕事の関係でたくさん廃材が集まるためそれらを溶接し、たくさんのものを作ってきた。

 

展望台の上には誠一郎さんの作ったバーベキューハウスがある。もちろんバーベキュー台も机も手作り。3300個のお酒の蓋で、カウンター上の暖簾まで作っている。

棚に雲海や子どもたちの写真が飾ってある。ここで多くの人たちとよき時間を過ごしただろうその余韻が、あちこちに残っていた。

 

母屋の敷地にはスナック山小屋。こちらも誠一郎さんの手作りで、作ってもう50年になるという。

「100人役(ひゃくにんやく)かかった。」と誠一郎さん。(1人役は大人1人が1日にやる仕事量。「100人役」は1人で仕事をして100日かかったということ。)

入り口の階段を登ると180度以上の棚田の大パノラマ。山小屋の中にはカウンター、泊まることのできる部屋もあり、外には露天風呂まである。
「ここで夜がふけるまでやったものよ。」
お酒や食べ物を持ち寄り、食事係や掃除係など当番制にしてみんなで寝泊まりしたそうだ。

 

いつのまにか外はもう夕暮れ。山の向こうに沈もうとしている太陽が見える。
その場所だけ空はオレンジ色とピンクを混ぜたような色に染まっている。

山小屋のオレンジ色の灯りの下、下田さんは誠一郎さんの絵を描き始めた。

 

誠一郎さんは言った。

「このままの格好で構わん?わしの制服は“つなぎ”やき。つなぎをざっと50年着てきたきね。」

昨年、誠一郎さんは脳梗塞で倒れた。山で仕事をしている時に異変を感じ、家まで自分で歩いて戻って来た。何十回も転びながらやっと家にたどり着いた時には全身血だらけだったそうだ。

その誠一郎さんが今ここに座って話をしている。誠一郎さんが元気でいてくれて、下田さんが誠一郎さんの絵を描いている。

 

実はこの日の2日前に電話した時「何だか頭がふらふらするけ、家に来てもらうのはやめておこうと思う。」と誠一郎さんは言っていた。でも娘さんから「大丈夫だと思うから」と聞、調子はどうか伺うくらいのつもりでこの日は来たのだった。

 

この日、誠一郎さんは待っていてくれた。

 

慈しみとどこか余裕のあるまなざしで下田さんを見つめている誠一郎さんを見て、泣いた。

今まで誠一郎さんが積み重ねてきたものを下田さんがとらえている。この絵が誠一郎さんの生きてきた道のりを伝えてくれる。

変な言い方かもしれないけれど「間に合った」と思った。

そのことが、ただただうれしかった。

 

 

外に出るともう暗くなり始めていた。名残惜しくてなかなか帰れない。

「お身体を大切に。」と言うと「仕事しすぎんかったらええのよ。しすぎたら明くる日いかんのよ。この病気は治るわけがないがやき。」と誠一郎さん。

下田さんは言った。「でも、きっとうまく(病気と)付き合っていけるから。」

「こればあ付き合っとったら上等よ。90(歳)近いけ。」誠一郎さんは笑って見送ってくれた。

「誠一郎さんおやすみなさい。ありがとうございます!」

 

この日、誠一郎さんがいるこの場所へ来ることができて本当によかった。

人が出会って同じ時間を重ねる。それぞれの人の心の中にこの日の記憶が紡がれる。
そのことはなんてかけがえのないことなんだろう。

 

 

つづく

下田昌克さんのこと 1

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下田昌克WEEK!!

あっという間にもう2ヶ月前になりますが、「絵描き」の下田昌克さんが土佐町を訪れ、土佐町の人々と風景をたくさんの絵に描いてくれました。下田さんがいた1週間、そこではなにがあったのか。今回、鳥山百合子の文章でお伝えしたいと思います。

それから、満を持して。

土佐町のフリーペーパー「とさちょうものがたり ZINE」の新創刊をお知らせします!

土佐町の魅力を町の内外にお伝えするZINE(ジンはマガジンのジンです)、12月20日に発刊します。創刊号は「下田昌克、土佐町を描く。」です。ご期待ください!

 

 

下田昌克さん。

仕事は絵を描くこと。絵描きさん。

下田さんは10月2日〜8日の1週間、土佐町に滞在した。

 

「絵を描いててよかったなあと思うのは、どんな時ですか?」と下田さんに聞いた。
「いつもだよ!一枚一枚。だって、絵を描いてなかったら会えない人、起きないことばっかりだもんね。スケッチブックがいろんなところに連れて行ってくれる。」

 

下田さんは、雨の日も晴れの日も、土佐町の人たちに出会って、笑って、たくさんの絵を描いた。
絵を描く時は楽しくて仕方ないようだった。そして、いつも目の前にいる人と心から向き合っていた。

下田さんが東京へ帰った後、保育園の先生、子どもたちのお父さんやお母さん、絵を描いてもらった人の娘さん、小学校の先生、展覧会の日に来てくれた人…。本当にたくさんの人が下田さんのことをうれしそうに、本当にうれしそうに話した。

下田さんは、土佐町の人たちに強烈な印象を残した。
それでいて思い出すと、ふと笑顔になってしまうような記憶。

DAY 1 10月2日(月)

土佐町役場町長と教育長に挨拶した後、まずは土佐町をぐるりと回ってみようということに。
雨の中、霧の中、山道を進み、大渕地区へ向かう。

途中、手のひらにはとても乗らない大きさのヒキガエルが道の真ん中を散歩していた。これも土佐町の風景のひとつ。

 

澤田泰年さん・静子さんの家へ向かった。

連絡はしていなかったけれど、いつものように「いらっしゃい。」と温かく迎えてくれた。
泰年さん手作りの小屋の中から早明浦ダムを見下ろす。
ねずみ色と藍色を混ぜたような色の空の下、山々はいつものように静かにそこにあって、
白い雲が谷と谷の間に橋をかけているように見える。

下田さんはその風景をしばらく眺めながら、ふと言った。
「定住って何だかかっこいい
と思う。自分は落ち着かなくて。その場所に行きたいと思うのは、その場所にいるべき人がそこにいるから。自分はその場所にいるその人に会いにいくのに、自分はずっと根がつかなくて“そこにいるべき人”になれない。そのズレがうまくいかないもんだなあ、って。」

 

何十色もあるクレヨンの中から一色を手にとる。最初は一色だったに次々と色と線が重なるにつれ、その人の輪郭が現れる。

泰年さんだ…。

目の前にいる「その人」が姿を現す。

1週間、下田さんが絵を描く姿を見ていて不思議で仕方なかった。下田さんはその人と会うのが初めてなのに、どうしてその人のことが「わかる」のか。白い画用紙に浮かびあがってくるその人は、私から見ればその人そのものだったのだ。

私はその人の全てを知っているわけではないし、全てを知るなんて不可能なことは知っている。私は自分のことだってよくわかっていないのだから。

でも少なくとも、その人のことを下田さんよりは知っているつもりだった。下田さんが絵を描いている姿を見ていたら、私は今までその人のどこを見てきたのだろうと感じずにはいられなかった。

 

描きあげて「どうかな?」とスケッチブックを泰年さんに向ける。
「似いちゅうなあ!」と泰年さん。

 

静子さんが淹れてくれたコーヒーを飲みながら下田さんは言った。
「家族とはどれくらいの距離感
がいいんだろう。家族って思ったより難しいな、って。家族って一番近いのにその辺がよくわからない。」

「限界集落ってどうなるやろう。うちのどちらか一人がいかんなって、子どもが高知市へ帰ってこいって言ったら帰らないといかんし。25年かけて一生懸命作った場所なのにね。そしたら大渕は一軒だけになる。」と静子さん。

 

下田さんは静子さんの髪の毛を描きながら、紫や水色を加えていた。
「色は直感で選んでいるんですか?」と聞くと「見える色で選んでるつもりなんだけど、ちょっと気分が入る。その人が発してる色ってあるよね。空気とか気配と言ったらいいのかな。」と下田さんは話した。

静子さんは最後に言った。
「いい出会いでした。幸せになってね。」

雨の中、泰年さんと静子さんが笑顔で見送ってくれた。

 

 

次は上津川地区の高橋通世さんのところへ向かった。
通世さんにも連絡はしていなかったけれど「ちょうど今帰って来たところよ。」と言って迎えてくれた。

「まあとりあえず、みつを食べるかよ?」と小皿に金色のはちみつを入れてくれた。すくうと、とろとろとろ…とスプーンから溢れ落ちる。

通世さんは毎年8月にはちみつを収穫している。「蜂の巣箱は大きすぎてもいかんし小さすぎてもいかん。蜂は、春は桜菜種、今はセイタカアワダチソウそばの花から、みつを集めるんよ。」

通世さんは山の人。山の仕事をたくさん知っている。
「今の時期は稲刈りを順にせないかんのと、こんにゃくの炊きもん(薪のこと)をこしらえんといかん。こんにゃくを煮る時もお風呂を沸かす時にもいる。広葉樹じゃないといかんがよ。こんにゃくは、昔からの木灰汁が一番えい。それやとよく固まるきね。」

「うちのおじいちゃんもおばあちゃんもこんにゃくを作ってた。」と下田さん。
下田さんは小さい時に兵庫県の山の中にあるおばあちゃんの家によく行ったのだそうだ。お風呂は五右衛門風呂だったこと、山のあけびがパカッと開いているのは、たくさんの口が笑っているように見えて怖かったと話した。

下田さんは絵を描きあげて「どう?」と通世さんに見せた。
「すごい特徴つかむねえ!これは記念になるわ。さすがや!」
通世さんは声を弾ませ、目を細めた。

帰り際、通世さんは自分でさばいたしし肉を下田さんに渡しながら言った。
「高知県を思い出してください。」

 

黒丸地区のアメガエリの滝からの帰り道、まるで水墨画のような風景が目の前に広がっていた。
軽やかな白い雲が重なり合って形を変えながら、まるで竜のように山の谷間を立ちのぼっていく。
今までずっとこの地は曇りの日も美しいと思ってきたけれど、この日は何だか特別だった。

 

 

 

合わせてご覧ください。

[動画]下田昌克さんが土佐町にやってきた!

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土佐町ストーリーズ

娘のおみやげ

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「かーさん、おみやげ!」

保育園にお迎えに行ったら手渡された一枚の葉っぱ。

お庭で見つけたとのこと。

落ちているのを見つけて手にとって、じっと眺めたのだろう。

その姿が目に浮かぶ。

この葉を「おみやげにしよう」と思った娘を、とてもいいなと思う。

春、夏、秋、冬。この町のめぐりめぐってゆく季節が娘の感性を育ててくれている。

 

 

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土佐町ストーリーズ

栗とお天道さま

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「栗いるかね?」

近所のおばあちゃんが栗をくれた。

エプロンのポケットから、これも、これも、と5個ほど手のひらにのせてくれた。

もうそれだけで、手のひらからこぼれそうなほど大きな栗だった。

栗はほんのりと温かかった。

「茹でてあるんですか?」と聞くと

「茹ででないのよ。お天道さまのぬくさよ。」

 

じん、とした。

 

帰り道、お天道さまは山の向こうへ沈み、もう夜を迎えつつあった。

ふと空を見上げると、銀色をしたお月さまが静かに光っている。

まるでひとつのおはなしの中にいるみたい。

栗、お天道さま、月、おばあちゃん。

この地で暮らす人たち、いつもそばにあるものたちが、毎日をちょっと特別な日にしてくれている。

 

 

 

 

 

 

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