2019年7月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

石川拓也

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「武器になる哲学」 山口周 KADOKAWA

著者の山口周さんは、最近とても面白いと思っている方。

前作の「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 」が世界規模で起こる(起きつつある)価値観の変化を捉えていて大変面白い内容でしたが、この一冊も一気に読んでしまうほど面白いものでした。

「哲学」と言った時に自分の中でも湧き上がる拒否反応。これはいくつか理由はあるのですが、古代ギリシアから時系列的に「勉強する」ことだったり、ただでさえ抽象的でわかりにくい書き方に加え、その思想の時代的背景がわかっていないのに言葉の字面だけを理解しようとすることが原因だったり。

この本は、そういった哲学本の書き方を避け、タイトル通り「武器になる」哲学の考え方にフォーカスを当てています。今、この時代に「武器として使う哲学」。

この意味で言えば、哲学とは「根本から問うこと」。現代社会において、自分の人生や仕事の質をより良いものにするために「根本から問う」ために必要なヒントが散りばめられています。

 

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ほのぼのと

ハイヒール

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昭和40年頃、私の小学生の頃の放課後の楽しみといえば、近所のみいちゃんと遊ぶ事でした。

 

ある日私は、家の土間の奥にある箱の中から、赤と白の2足のハイヒールを見つけました。

幼い私にとってその靴は、シンデレラの物語りでしか知らず、手にとって見るのも初めてでした。

うす暗い土間から見つけ出したハイヒールは、魔法の靴の様で、ドキドキ、ワクワク…。内緒で私の宝物にしました。

いつも手にとり眺めるだけで、倖せな気分になりました。

 

ある日、下校途中、ふと靴の事を思い出した私は、

「みいちゃん、家でハイヒールを見つけたき、一緒に履いてみん?」

と誘いました。

みいちゃんは、ランドセルを家に置いて走ってきました。

私が赤、みいちゃんが白。2人は少し大きいハイヒールを履いて庭を行ったり来たり…。

その頃の庭は石ころがゴロゴロで、ハイヒールの踵は傷だらけで所々ハゲていました。

それでも時々足をくじきながら、お出かけするマダムのように2人は夕暮れまで、その靴の虜になりました。

 

みいちゃんは6時の鐘がなったら帰らなくてはなりません。

まるで12時になったシンデレラのようです。

汚れたズックにはき替えた2人は現実の世界に引き戻されました。

残されたハイヒールは傷つきボロボロに…。

 

後日、ハイヒールが母に見つかったけど、母は笑うだけで、少しも叱りませんでした。

きっと母の靴ではなかったのでしょう。

一体、あの赤と白のハイヒールは誰の物だったのだろう・・・。

 

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私の一冊

藤田英輔

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「かまきりすいこまれた」 細田傳造 思潮社

今回はアルコール類を嗜みながら読んでみました。(ビール類は立ち座りが忙しくなるので×。氷や湯などの準備が面倒なものも今回は避けます。いつものワインにしました。桂月も可だと思います)

【結果】素面〜爽快期よりも、微酔〜酩酊初期がベストです。
酩酊後期や泥酔期、いわんや昏睡期に至っては話になりません。

 

微酔〜酩酊初期の中でも「〜」の時間に、『メリーズとパンパース』『三年寝太郎』『しんせつ』が、すーっと心に(目・頭だけでなく)入ってきました。

この感覚は人それぞれだと思われますので、是非お試しあれ…!(楽しかった)

藤田英輔

 

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みなさまいつもありがとうございます。

とさちょうものがたり x どんぐりのシルクスクリーン事業、町内外のみなさまにはいつも温かく応援していただきありがとうございます。

事業開始から2年目の現在、特に嶺北地方の多くの方々に知っていただいていることを日々感じる毎日。「うちのスタッフポロシャツ作ってほしい」「以前作っていたあのTシャツがほしい」などなど、嬉しいお言葉をいただけることが増えました。

町を歩いている時やスーパーで買い物している時も、私たちが製作したポロシャツやトートバッグを目にする機会も多くなりました。

とても心踊る瞬間になると同時に、印刷を担当するどんぐりのメンバーさんたちにとって大きな自信につながることだと思います。

 

自分たちの仕事から生み出されたモノを、町の人たちが使ってくれている。

ものづくりの現場にとって、これほどやりがいを感じられる瞬間はありません。

新しいデザインができるたびに興味を持って接していただくみなさまのおかげです。ありがとうございます。

 

次のステップへ

さて、今回の記事はいつもの「〇〇作りました!」ではありません。

とさちょうものがたり x どんぐりで昨年スタートしたシルクスクリーン事業が、次のステップに進むことになりましたのでそのご報告をいたします。

具体的に言うと、事業の形態が新しくなりました。

これまで、とさちょうものがたりからどんぐりに印刷のお仕事を発注する形で進んできたこの事業ですが、昨年1年間やってきたことで、さらに一歩ステップを前に踏むことにしました。新たな形は、どんぐりからとさちょうものがたりへの「企業研修」という形を取ることになりました。

関わるメンバーさんは変わりません。どんぐりのメンバーさんが、とさちょうものがたり(任意団体 風)に企業研修としてお仕事に来る、という形になります。

具体的に何が変わるかというと、メンバーさんがとさちょうものがたりの作業場に仕事に来る場合、これまではどんぐりの職員さんの付き添いが必須だったのですが、これからはメンバーさんが自分で作業場に来て、仕事をして、自分で帰宅するという形になります。

メンバーさん自身がやりたかったり、発注が溜まっている時期などは、どんぐりの就業時間に関わらず仕事をすることになります。

同時に賃金も枚数を作れば作るほど稼げる仕組みに移行しました。シンプルでわかりやすい仕組みのもと、このシルクスクリーン事業に関わってくれる全ての方々がやりがいを感じて仕事をしていただけたらうれしいし、そんな仕組みを可能な限り良いものにしていくことが「とさちょうものがたり」の仕事であると考えています。

このシルクスクリーン事業の最終的な目的はスタートした当初から全く変化ありません。

それを一言でいえば、土佐町・嶺北の障がい者さんたちの笑顔。さらには様々な特性を持った異なった人々が集って共に生きていくための場づくり。あ、ぜんぜん一言で言えてないですね。。。とにかく、そこにたどり着くための道路整備を少ししましたよ、というのがこの記事の趣旨であって、目的地は終始変わっていません。

 

今後の「〇〇作りました!」や「XX作ります!」などの記事に、「障がい者就労支援施設 どんぐり」の表記が減ったり無くなったりする場合が想定されますが、シルクスクリーンでの製作現場において、上記のような前向きな変更があったことがその大きな理由です。

いつも「とさちょうものがたり」を訪れていただいているみなさま、シルクスクリーン事業に興味を持って見ていただいているみなさまにはその旨ご理解いただきたく、日頃の感謝とともにこのような形でご報告させていただきました。

今後ともよろしくお願いいたします。

とさちょうものがたり編集部

 

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「星のような物語」 星野道夫 NHKプロモーション

写真家 星野道夫さんは1996年、取材先のカムチャッカ半島で事故により亡くなりました。

星野さんがもし生きていたら、お会いしたかった。星野さんの本を手に取るたびにそう思います。

星野さんのまなざしが伝わってくる写真と、星野さん自身の「軸」が隣に感じられるような文章がとても心に響きます。

「あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。」

「人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり勇気を与えられたりすることが、きっとあるような気がする。」

「これからどんな旅が待っているのか、自分自身にもわかりません。が、どれだけ長い時間をひとつの土地で過ごそうとまだすべて見ていないという心の白地図だけはいつまでも持ち続けたいものです。」

星野さんが暮らしたアラスカの空も、この場所の空も繋がっているんだということを思い出させてくれます。

 

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土佐町のものさし

土佐町幸福度調査アンケートにご協力ありがとうございました。

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土佐町のみなさま。土佐町幸福度調査アンケートにご協力ありがとうございました。

土佐町の幸せな未来を作っていくためのこのアンケート、2019年5月中に町民のみなさまのご協力のおかげで、無事集計を完了しました。

現在は集計結果を元に、高知大学による分析報告の段階へと移っています。そしてその後はもちろん町の人々の幸せにつながるひとつひとつの施策や行動が続きます。

今回は、分析報告の前の暫定的なものですが、単純集計・クロス集計を元にしたご報告を感謝とともにお伝えしたいと思います。

 

●最終集計数 604

2019年6月時点での土佐町の人口が3,844人です。このうちの604人の方々からアンケートの回答をいただきました。全住民の16%。これは統計的に土佐町の傾向を知るためには十分な数字ということです。

604人のうちの44.5%が男性、55.5%が女性です。

高知大学の廣瀬淳一先生によると、通常こういったアンケートでは男性の回答率がもっと低くなるそうで(なんとなくわかる気がします)、今回は土佐町の男性の方のご協力が予想以上でした。

繰り返しになりますが、お忙しい中ご協力いただきましてありがとうございました。

 

●幸福+普通と答えた人が92.7%

詳細な分析結果が出る前の素人分析は慎みますが、単純集計としては以下の円グラフのような結果が出ています。

「幸福」と答えた人 49.7%  (300人)

「普通」と答えた人 43%    (260人)

ある大学関係者の方と幸福度の話をしていた際に、「幸福度アンケートは、町の人が『何に不幸を感じるか』『何に不満を持っているか』という調査をした方が良いのではないか?」と言っていたことがあります。

「92.7%が普通以上」という結果に一旦の安堵はしつつ、「不幸」と答えた6.5%の方のその原因を、もちろん安易に踏み込んで良いものではないと思いますが、もし可能なら知りたいと個人的には感じました。

その原因を丁寧に見つめて向き合っていくことは、もしかしたら土佐町が今後進むべき道を示し得ることなのかもしれません。

 

以下は個人的に気になったものからいくつか簡単なご報告します。

 

●地元のもの、自作のものを食べている頻度

Q27  過去12ヵ月間で、あなたの家庭の食卓では、土佐町産のもの、自作のもの(米、野菜など) ご自身で採ったもの(山菜や野生動物など)を食べる頻度はどのぐらいになりますか?

 

上の質問と、「どのくらい幸福ですか?」という質問をクロスした結果が以下の表です。

全体に対する「毎日」と答えた方の割合はとても高く(n=293)、それは町の方々の暮らしぶりを拝見しても頷けるように思えます。

そして幸福度とクロスしたデータは、ほぼ正比例する形で「地産のものを食べている人ほど幸福度が高い」という結果を示しました。なんとなくわかる気がします。

 

個人的な経験からも、例えば町の方に「これ採れたばかりのキュウリ、食べてみいや〜」と手渡されて口にした時、体内の瞬間最大幸福量が一気に最大まで上がることがあります。

その体験を、例えば田んぼや畑をご自身でされている方は毎日毎晩の食卓でされている。「これ食ってみいや」と勧めてくるみなさんの顔がとても良い笑顔なのも不思議ではありませんね。

 

●本を読む人ほど幸福と回答

 

Q10  過去1ヶ月に何冊の本を読みましたか?

 

上の質問と、「どのくらい幸福ですか?」という質問をクロスした結果が以下の表。

とても明快に「本を読む人ほど幸福度が高い傾向がある」という結果が出ています。

あくまで「その傾向がある」ということですが、この結果を持って、土佐町役場としては何をするか?何ができるか?

一過性の施策ではなく、長い目で見た具体的な行動・施策を考え日々実践する。そのことが現実に町の住人の幸福に直接的に結びついていることを明確に意識しながら仕事をする。

そうした時に、この「幸福度調査アンケート」を実施した本当の意味が出てくるのではないでしょうか。

 

 

今回のご報告はあくまで暫定的なもの。もう間もなく高知大学が行った分析報告が完成する予定です。詳細なご報告はその時まで待ちたいと思います。

 

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私の一冊

石川拓也

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「エンデの遺言」 河邑厚徳  講談社

事前の情報もなくなんとなく手に取った本だったのですが、予想外に深くすごい内容でした。ナメてすみません。

現代のほぼ誰もが無関係ではいられない「お金」というものの正体について、ミヒャエル・エンデがナビゲーターになり探っていく一冊です。

企画の途中でエンデが亡くなられ、 彼自身の言葉は比較的少ないのですが、本書はエンデが生前ずっと著書を側に置いていたという二人の思想家のお金や経済に対する考察に踏み入っていきます。

その二人とはルドルフ・シュタイナーとシルビオ・ゲゼル

どちらもそれぞれ表現は違えど「人間社会の多くの問題の根本的な原因は、『お金』というものが自然の摂理に則っていない事にある」と主張しました。

自然物や人間が作るものは、そのどれもが時間とともにダメになったり腐ったり価値を下げていく。それが自然の摂理なはずなのに、「お金」だけが永遠性を与えられているだけでなく、利子というものにより時間とともに増えていく。

ここに問題の根本があるという考えです。

特にゲゼルの考えはゲゼル理論と呼ばれ、1930年代のドイツやオーストリアで地域通貨に適用されます。つまり、時間とともに価値が減じていく貨幣。

これを導入した小さな町(例えばオーストリアのヴェルクル)では、町の中を猛烈な勢いで地域通貨が循環するようになり、疲弊していく近隣の町を尻目に経済は大回復したということです。

ただこの話には続きがあって、この地域通貨は中央銀行に目をつけられ、効果を誰もが実感していたにも関わらず、わずか一年で廃止。当時の町長は国家反逆罪で逮捕されたそうです。

その当時、もしも人類全体が「自然の摂理に適った貨幣」の方へ舵を切っていたなら‥明らかに歴史は変わっていたでしょうし、その道を見てみたかったようにも思います。いや、もしかしたら今からでも遅くないのかもしれません。

 

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山峡のおぼろ

めんこい小馬

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石原小学校(当時は国民学校)の4年生だった昭和17年(1942)の春、太平洋戦争中だった。

1頭の小馬が家に来た。軍から預かって飼育し、大きくなったら返すというのである。

農耕や運搬に使う牛は飼っていたが、馬は初めてなのでとても嬉しかった。

その日、学校から走って帰ると、2つある牛舎の空いている方に小馬が居た。のぞき込むと近寄ってきて、閂の間から鼻を突き出して私を見詰めた。目が黒々と丸かった。

閂を乗り越えて中に入ると、小馬は私ぐらいの背で、私に驚いて牛舎の中を走り回った。その背中に抱きついて、私も一緒に回った。

「名は“栄神号”というそうじゃ」

見ていた祖父がそう言った。

それからは私のする仕事が出来た。

朝起きるとすぐ、栄神を引いて運動させ、学校から帰るとまた引いた。引きながら、当時のヒット曲「めんこい小馬」を歌った。

 

ぬれた小馬のたてがみを
なでりゃ両手に朝の露
呼べばこたえてめんこいぞ オーラ
かけて行こかよ丘の道
ハイドハイドウ丘の道

 

父は戦地に行って、家族は祖父母と母と私の4人だった。その中で接触の多い私に、栄神は一番なついていった。

引いて歩いていると、鼻で私の背中をつついてきた。またある時は、道ばたの草むらに寝ころんでいると、私の顔の上で鼻をぶるぶると震わせ、鼻水が顔に散りかかってくることもあった。

 

わらの上から育ててよ
いまじゃ毛並みも光ってる
お腹こわすな風邪ひくな オーラ
元気に高くないてみろ
ハイドハイドウないてみろ

 

栄神はぐんぐん大きくなった。私が6年生になると祖父が、蔵から馬の鞍を出してきて

「乗ってみるか」

と言った。興味は覚えたが、少しびびった。

「こればあ馴れたきに大丈夫。乗ってみ」

と言われて、まず鞍を栄神の背につけることから始まり、祖父についてもらって庭で乗り、半月ほど練習した。

そして家の近くの道に出ると、栄神はほんとにおとなしく歩いてくれた。思い切って馬腹を軽く蹴ると、軽快に走った。

走りながら「めんこい小馬」を歌うと、気のせいか栄神の脚のリズムが軽くなったような気がした。朝霧の中を走るのは、何とも言えず気分がよかった。たてがみを撫でながら走った。

しかし、栄神を軍に返す日が近づいていた。“もっと居て”と思いながら走った。

 

西のお空は夕やけだ
小馬かえろうおうちには
お前の母さん待っている オーラ
うたってやろかよ山の唄
ハイドハイドウ山の唄

 

6年生の終わり頃、栄神は軍に帰った。
その日学校から帰って、空の牛舎を見た時のさびしさは、ほんとに長く抜けなかった。

戦時中のヒット曲であったので「めんこい小馬」には、時代を反映させた、次のような歌詞が追加されたりした。

 

明日は市場かお別れか
泣いちゃいけない泣かないで
軍馬になって行く日には オーラ
みんなでバンザイしてやるぞ
ハイドハイドウしてやるぞ

紅い着物(べべ)より大好きな
お馬にお話してやろか
遠い戦地でお仲間が オーラ
手柄をたてたお話を
ハイドハイドウお話を

 

内地で、或いは戦地で、生き残ったのか戦死したのか。栄神はどのような生涯を送ったのであろうか。

 

編集部注 : 写真撮影にあたり、式地営志朗さんとモナカにご協力いただきました。ありがとうございました。

 

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私の一冊

藤田純子

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「セレンゲティ大接近」 アヌップ・シャー 日経ナショナルジオグラフィック社

「これは何ですかねェ アニキ」

「そんなこと俺が知るかよ…」

「な、なんか変な音がしましたぜ」

地面に置かれたカメラを見つけて、および腰のヒヒたちが小者のチンピラに見えてくる(笑)

アフリカ・セレンゲティ生態系に生きる野生動物の写真集。図鑑的な写真集とは異なる。

動物たちの顔の表情や群れの内部を間近でとらえ、野生の王国の「街頭スナップ」らしい雰囲気を醸し出すためのカメラの設置の仕方、接近の仕方に相当の努力があり、大移動中のヌーやシマウマに5台のカメラを踏みつぶされることもあったようだ。

弱肉強食や超アップの大迫力を存分に楽しめます。

藤田純子

 

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山の手しごと

エンドウの収穫

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土佐町早明浦ダムのほとり、上津川地区で暮らす高橋通世さん。猟師であり山師であり、山暮らしの達人です。敷地内には季節ごとの花が咲き、いつも楽しげに最近の出来事を話してくれます。

4月にワラビを収穫させてもらった時に「5月の終わりにはエンドウがなるき、また取りにきたらえいよ」と言ってくれていました。

そろそろ連絡がある頃だろうかと思っていた6月初旬、通世さんは電話をかけてきてくれました。

「エンドウ、取りにきいや」

 

張り切って上津川へ向かいました。

なんと、想像を超える一面のエンドウ畑!これは気合いが入りました。

 

 

エンドウとつるが繋がっているところに親指と人差し指を重ね、親指に、きゅ、と力を入れて採るといいとのこと。

 

 

おしゃべりをしながら収穫すること1時間、こんなに取れました!ずっしり、なかなかの重量。「さ、帰って(さやを)はごうか!」

 

ここは標高600メートル。気持ちの良い風が吹いていました。

 

道の途中には、山水が流れ出ています。谷から引いている山の水は、絶えることがありません。なんてゆたかなのでしょう。冷たくて甘い水をゴクゴク飲むと体がシャキッとします。

 

山イチゴも見つけました。イチゴのつぶつぶの中に、時々「あり」が隠れているので注意!
甘酸っぱくて美味しいです。たくさん集めてジャムにしたい。

 

座る場所を用意して、さやをはぎます。
時々コロコロ飛び出していく豆たち。井戸端会議をしながら、忘れずに手もせっせと動かします。

 

 

一つのさやに行儀よく、くっついて収まっている豆たち。どうしていつも、こんなにきれいに並んでいるのでしょう。
この一粒ずつがまた来年の種になるのですから、自然は不思議で偉大です。

 

収穫したエンドウはまず、豆ごはんにしていただきました。ホクホクしていてとても美味しい!
普通に水加減をして、お酒と塩、豆を冷凍のまま加えて炊くだけです。

他にも、煮物に一緒に入れたり、ちょっと緑色がほしいなという時に重宝します。

この季節しか収穫できないエンドウは、さやから出してジップロックなどに入れてそのまま冷凍しておくことができます。

 

 


 

きっと通世さんは、また次の季節の仕事の準備をしていることでしょう。

あの山に通世さんがいると思うだけで、何だか励まされるような、元気が出てくるような気がするのです。

 

 

 

 

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