2020年6月

笹のいえ

てうえのたうえ

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去年に引き続き、今年の田植えも手植えすることにした。

苗は種まきから35日くらい経ったときが植えごろと言われる。田植えに向けて、代かきや水の管理などを調整し、田を整えて、その日を迎える。

田植えは5月下旬からスタートした。とてもひとりでは間に合わないので、友人数名に声を掛けて手伝ってもらう。

まず植える苗を用意しなくてはいけないのだが、その作業がとても大変だった。

水を張った苗床に手を突っ込み、一本一本引き抜いて、カゴに入れていく。引き抜くときの力加減が難しく、がいに(強く)引っ張ると必要以上に根や葉を切ってしまう。稲に紛れて、雑草も生えているから、それらを取り除くために集中力もいる。座っている椅子は半分田んぼに沈み、お尻は濡れる。長時間同じ姿勢なので、腰が痛い。そのうち全身泥だらけ。「オレは、なんでこんなことしてるんだろう」と疑問が何度も頭を過ぎりつつ、ひたすら苗を取っていく。

ある程度苗をまとめたら、今度は田植えだ。

去年は苗を一本ずつ植えていったが、苗の成長や気候の影響もあって、あまり良い収量ではなかった。地域の方たちのアドバイスから、今年は「三本植え」を基本とした。単純計算で苗の量が三倍になったから、採れる米の量も三倍!と言いたいところだけれど、そうはならないのが米つくりの難しいところ。

線を引いた田面に苗を一か所一か所、手で植えていく。苗を選び、腰を曲げ、苗を刺し、一歩進んでは、また苗を選び、、、

永遠とも思える単純作業だが、友人と四方山噺をしながらだと気も紛れる。苗を取っては植え、植えては苗を取る日々が一週間ほど続き、二反半の田植えをなんとか終えることができた。

苗が整然と並び、水を張った田んぼは美しい。手で植えているので、苗の列が曲がっているところもあるが、苦労をした分、それすら愛おしい。

余情を味わいながら、田んぼを見ていると、すでにちらほら草が見えはじめている。ほっとする間もなく、除草作業に取り掛かることになりそうだ。

 

 

写真:田植え前にお供え物をして、田んぼの神様に豊作をお願いする。

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私の一冊

川村房子

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「愛の領分」 藤田宜永 文藝春秋

この本を読んで数日後に、高知新聞のメモリアル欄に藤田氏の訃報が掲載されていた。

冒険・恋愛小説の名手で直木賞作家。はじめての作家でしたが、直木賞受賞作品につられて読み始めた小説でした。

待望の恋愛小説と書かれていた。不倫でもないのに秘密のにおいがする。愛を信じられない男と女。それでも出会ってしまった彼らの運命。交差する心と身体、複雑に絡み合う男女4人。すべてをかなぐり捨てた中年男女がゆきつく果ては…。

新聞に、常に完璧さを求める母親から愛情を感じられずに育ったという。そのためか「女の人へのこだわり」が人一倍強かった。作風はひろいが共通するのは主人公が皆どこか寂しげであることだと書かれていた。本当にその通りで、恋愛小説を読んだあとの幸せ感ではなく、寂しさやせつなさを感じた。

川村房子

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私の一冊

古川佳代子

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「家守綺譚 」 梨木香歩 新潮文庫

「影との戦い」(アーシュラ・K.  ル=グィン)のゲドに出会ってから今に至るまで、私の理想はゲドですが、もう一人愛してやまない男性が綿貫征四郎さん。不慮の事故で亡くなった大学時代の友人・高堂の家を守りながら、文筆業で何とか糊口をしのいでいる、新米のちょっと頼りない精神労働者です。

本書では、100年ほど昔の“あわい”に生きるものと征四郎の生活が少しだけ重なったときにおこる出来事が端正な日本語で綴られています。 庭のサルスベリに恋心を抱かれてしまいからかわれると「木に惚れられたときにどうするべきか、またどうしたいのか、まるで思いもしないことだった」と真剣に考え込む征四郎さん。

けれども黄泉の人々に何も思い悩むことのない理想の生活に誘われた際には「そういう生活は、私の精神を養わない」とキッパリ断ります。

世間と少しずれてはいても、人間としては決してぶれない自分がある綿貫征四郎さんは、ゲドに負けず劣らず素敵です。

古川佳代子

 

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4001プロジェクト

西村卓士 (地蔵寺)

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地蔵寺の西村卓士さん。言うまでもなく、土佐町の前町長です。

西村さんは2015年まで土佐町長を務められました。

この写真で西村さんが座られている机はお孫さんのものです。町の職人さんが作り、土佐町小学校の新一年生に毎年贈られる机と椅子。子供たちはこれを6年間使ったら卒業とともに持ち帰ります。

その仕組みを作ったのは西村さんが町長だった時代の町の方々。

その時のお話しを聞きたくて、お家にお邪魔した際に撮らせていただいた写真です。

1年生への贈り物

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山の手しごと

ドクダミ仕事

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5月から7月にかけて、庭や道端に咲いている白い花。きっと多くの人が一度は見かけたことがあると思います。

花は可愛らしいけれど、摘んだ時の匂いは強烈。子どもたちが「くさい〜」と顔をしかめるその花は「ドクダミ」です。このドクダミは、日本の三大民間薬草の一つに数えられ、「十薬」と呼ばれているほど幅広い薬効あるそうです。

土佐町のあちこちで白い花を咲かせているドクダミは、とさちょうものがたり作業場の庭にもたくさん生えています。

これ幸いと、色々と作ってみることにしました。この時期だけにできる手仕事です。

 

■ドクダミ茶

まずは、おばあちゃんがよく飲んでいた「ドクダミ茶」。「体にいいのよ〜」と言いながら、食事やおやつの後によく飲んでいました。

【作り方】

1:ドクダミを根っこごと摘み取る

2:汚れが気になる場合はさっと洗って、水気をとる

3:まとめて縛り、逆さまにして風通しの良い日陰に干す

4:カラカラになったら出来上がり。茎ごと細かく切って、お茶にする

 

カラカラに乾いたドクダミ

ドクダミ茶には、解毒作用、利尿作用などがあるそうです。

「お茶の葉を小さな布袋などに入れてお風呂に入れるとあせもに効果があるよ」と近所の方が教えてくれました。

体の調子を見ながら、試してみてくださいね。

 

■ドクダミエキス

他にも「ドクダミエキス」を作ってみました。このドクダミエキスは色々使い道があるのです。

・水で薄めて化粧水に(美白効果があるそうです)
・お風呂に入れて入浴剤に
・虫に刺された時に脱脂綿などに浸して湿布する

作り方はこちらも簡単。

【作り方】

摘んだドクダミのつぼみと葉を瓶に入れ、ホワイトリカーを注ぐだけ。

1ヶ月くらいしたら使えます。

 

ホワイトリカーを注ぎ込みました。瓶は時々振ってください。

調べてみると、うがい薬としても使えるようです。

ドクダミは江戸時代から薬草としての効能が知られていたそうです。昔の人の知恵に頭が下がります。

 

どちらも簡単に作れるので、ぜひ試してみてください。
*効果には個人差があります。肌が弱い方や小さなお子さんは様子を見ながら、少しずつ使ってみてください。

 

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私の一冊

西野内小代

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「自分のことは話すな」 幻冬舎新書 吉原珠央

オリジナルのメソッドで企業向け研修や講演活動を全国で実施されている方なので、仕事関係における話術に重きを置いている内容ですが、日々の会話の中でも活かされるポイントはあるように思いました。

例えば「褒め殺し」という言葉がありますが、「相手を褒める」は上から目線になりがちなので、相手への感謝・尊敬できる点等を素直に伝えればいい…。

相手の話を横取りするが如く相手の話題を自分の話へとすり替えない。相手の話をじっくりと聞く姿勢が大切…。

相手の気持ちを察する・汲み取る・共感する大切さも強調されています。

 

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私の一冊

川村房子

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「それぞれの終楽章」 安部牧郎 講談社

本棚にあった一冊で、昭和62年発行だから、30年以上前になります。作者紹介をみても、何も書いておらずスマホで調べてみた。85歳で死去。

推理小説、官能小説、野球小説等、多岐にわたって書いていて直木賞候補には何度もあがっていたらしい。「直木賞受賞」にひかれて読みました。でもなんで読んでなかったろう?

主人公は矢部宏、小説家、50歳。親友だった森山が自殺した。通夜に出るため故郷に帰った。友人の借金の保証人になっていたのだ。1億円以上の負債をかかえていたのだ。その上愛人と子どもまでいるという。通夜の席で同級生たちに会い、中学、高校の頃が苦い思い出とともによみがえってくる。

森山とは音楽も一緒によく聞いた。シンフォニーの弟三楽章で幕を閉じてしまった。矢部は終楽章を聞くことができる。もうそれははじまっていると。

私も楽しい思い出とともに苦い思い出もいっぱいある。終楽章がとっくにはじまっている身としては、今を大事に生きていきたいと思う。

 

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みんなのアルバム

地蔵寺の徳亀知さんと福蔵さん

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地蔵寺西村家系譜(復刻版)からの一枚です。

地蔵寺西村家系譜(復刻版)は、タイトル通りなのですが地蔵寺の西村家の方々が編んだ西村家のヒストリー。一冊の本となって記録されています。

その冒頭に掲載されている一枚の写真。地蔵寺の、おそらく集会所で撮影されたものと思われます。

今年、とさちょうものがたりは地蔵寺の地蔵堂の阿吽の龍の木像をモデルに「土佐町オリジナルポロシャツ」を作っていますが、もしかしたら地蔵堂の改築のときの一枚かもしれません。

というのも、写っている方々の最後列右から2人目が徳亀知さん、左下が弟子時代の福蔵さん。どちらも地蔵寺の大工さんです。地蔵堂をとても大切にしていた、実際に地蔵堂の改築に携わった大工さんたちなのです。

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私の一冊

鳥山百合子

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「THE  PASTRY  COLLECTION」 郷土菓子研究社・林周作 KADOKAWA

世界の郷土菓子を知るために世界各国を旅した林さんが、旅先で味わったお菓子の数々を紹介しています。

ポルトガルのページを開いた瞬間、たまらなく懐かしい気持ちになりました。私が20代の頃、ポルトガルを旅したことがありました。節約旅だったので町の中は歩いて移動が基本、店先に美味しそうなものがあったら(お財布の中身に少し余裕があって、お菓子が高くなかったら)まず食べてみる。観光名所に行くよりも、町で生活している人たちの姿を見たり、市場に行ってパンにチーズとウィンナーを挟んでもらってお昼ごはんにしたり、自由気ままに行きたいところへ行く旅が好きでした。

あれは多分、ポルトという町に滞在していた時だったと思います。町の大通りから細い裏通りに入ると、路地に向かい合うように建っている家々の窓からロープが張られていて、洗濯物の白いシーツが風ではためいていました。その道の途中にあった小さな食堂。その前には小さなガラスのショーケースがあって、白いお皿の上に丸い黄金色の焼きプリンが置かれていました。「このプリンを食べなかったら絶対に後悔する!」そう思って、食堂に入りました。

そこからです。私の一番好きな食べ物がプリンになったのは。

ポルトの町の雑踏、あの道を吹き抜けていた風、とにかくプリンが美味しかった!ということをはっきりと思い出しました。

 

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土佐町のsanchikara

原田さんの極太スナップエンドウ

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原田正という男

今回は土佐町で、新たに農業を始めた若手農家さん・原田さんを紹介したいと思います。

原田正さん、出身は神奈川県の横浜。私の移住とほぼ同じタイミングで6年前に移住をしてきました。

20代、30代は、農業とは関係のない職業についていましたが東北の大震災を契機に農業や食について興味をもちだし、40歳も近づいたころから、農業を実際にする事を考えだして全国各地を回りながら農業をする場所を探していました。

全国の産地を巡る中で縁あって高知県の土佐町にも訪れ、この場所で農業を始めたいと思い、移住する事になります。

3年間は地元の農業法人で栽培や農業経営の勉強をして、2017年より晴れて独立しました。

農業法人では同僚であり、独立後もsanchikaraで原田さんの作った農産物を取り扱う等、6年間近くで原田さんを見てきましたが、原田さんの農業に対する情熱は半端なものではなく、農業で本気で食っていこうという覚悟がにじみ出ています。

生活の一部といっていいほど農業が暮らしの中心で、作物に対しても常々研究をしており、農業の可能性を常に追求し続けています。

この6年、地元横浜に帰郷するどころか土佐町をほとんど出ていません(笑)

その真剣な農業に対する想いには常に私自身も刺激をうけています。

こんな本気で農作物を作っているんだったら、しっかりとした価値で売りたい、もっと多くの人に知ってもらいたい。一方原田さんももっと良い売り方はないかと、会えば常に農業について話をしています。

時には私も原田さんも、農業に対して頑固な部分も多く、意見が食い違うこともあり、喧嘩のように言い合う事もありますが、それはお互い本気で農業に関わっているからこそ。本気で作って、本気で売る。そこにお互いが足りてないと思えば率直に言い合える関係は、終わって解決してみればいい刺激となって次のモチベーションに繋がっています。

 

違いを生み出す生産者の想い

普段野菜を販売する上で、やはり生産者さんの想いは野菜に色濃く反映されると思っています。

しっかりとした想いをもって、農業に対して勉強をして、食べてもらう消費者の事を考えている農家さんは、間違いなく野菜に違いを与えてくれています。

農業歴こそ多くの地元の農家さんに比べて浅い原田さんではありますが、原田さんの想いは作る野菜にその違いがはっきりと出ています。

原田さんの現在の農業スタイルは、夏に土佐甘長とうがらしという大ぶりのししとうを栽培をしており、冬から春先にかけてスナップエンドウを栽培しています。

土佐町でもスナップエンドウの栽培はずっと行われてきましたが、原田さんのスナップエンドウはまた一味違います。

写真で見て頂いてもわかるように、さやが大きく豆を限界まで太らせます。

さやが大きいことにより、食べた時のシャキッとした食感とみずみずしさ、豆を大きくすることにより豆の甘味を限界まで引き出しています。出荷や梱包に関しても、一つ一つ丁寧に行い、納得がいかない場合は出荷もしないほど。そんな最高のスナップエンドウに、熱い原田さんの想いがのるのです。

私たちが全国のお客さんに販売するとき、取引が始まる前に現地に視察に来られることが多いです。

原田さんの圃場にも年間何十件と視察がやってきます。

視察現場でこだわった野菜と出会い、原田さんと出会いコミュニケーションをとる事で、多くのお客さんはとても気に入ってくださります。

そうやってどんどん扱ってくれる県外のお客さんは毎年毎年増えており、現在では原田さんのスナップはミシェランに載るような一流のレストランや都市圏の百貨店でも取り扱われています。

また地元にもファンがどんどん増えてきており、圃場までわざわざ買いに来る人もいるとのこと。

原田さんは今後もよりいいものを栽培していくでしょうし、より多くの人に食べてもらうように生産量も増やしていくと思います。

私も負けじと、そんな若手の熱い農家が土佐町で生まれてきているんだよという事を一人でも多くの人に知ってもらい、県内県外問わず皆様にも原田さんの野菜を食べてもらえる機会をどんどん提供していきたいと思っています。

 

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