2021年7月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

古川佳代子

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「水を縫う」 寺地はるな著 集英社

日々のくらしのなかには、たくさんの「なのに」が存在しています。いわく日本人なのに(…)、外国人なのに(…)、高校生なのに(…)、男の子なのに(…)、女の子なのに(…)、親なのに(…)…。

男の子なのに刺繍が好きな高校男子の清澄(きよすみ)。女の子なのにかわいいものが苦手な水(み)青(お)。母親なのに子どもよりも仕事を優先するさつ子。父親なのに子どもっぽく頼りない全(ぜん)…。 お互いを思いやっているのに、うまく伝えられないもどかしさ。家族だからこその、決めつけや見くびり。

「なのに」に傷づけられながらも、自分の生き方を変えることはよしとしない家族の姿が、結婚を決めた水青をキーパーソンに描かれています。

章ごとに語り手(視点)を変えて語られる物語は、いつしか家族にしか織ることのできない複雑なタペストリーとなり、読み手に新しい家族の在り方を見せてくれます。

 

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笹のいえ

反抗期

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次男(6歳)がどうやら反抗期みたいだ。

こちらの小言に返事をしない

頼んでもぐずぐずして動かない

言い訳をする

など。長女長男には反抗期らしい反抗期はなかったと記憶しているので、最初は、どうも最近次男とのコミュニケーションがうまくいかないときがあるなくらいにしか感じていなかったけれど、そうかこれが反抗期というものなのかとしばらくしてから気づくことになった。

兄妹、特に四歳上のお姉ちゃんとよく口喧嘩になる。わたしの机にあるものを勝手に使うな、使ったおもちゃや読んだ本を片付けろ等々。喧嘩、と言うか、姉が弟に一方的にまくしたてることが多く、そのスピードも語彙も持ち合わせていない年下の彼は黙ってしまう。それを無視されたと思った姉がさらに怒るといった感じだ。

四六時中反抗してると言うわけでなく、普段は兄とふざけあったり、妹とごっこして遊んだり楽しくしてる。何かの拍子で「反抗期スイッチ」が入ってしまうのだろう。

ある日、ふたりでお風呂に入るときがあったので、最近の彼の態度について話をした。

次男にも思い当たるふしがあるようで、壁の一点をじっと見つめながら思い出すようにぽつぽつと話はじめた。彼には彼の都合なり、理由があっての行動だった。それがその場その場ではうまく言葉にできなかったり、説明がつかなかったりして、黙ったり言い合いになったりしてしまうのだ。

彼の話を聞き終わって、僕は何か気の利いたアドバイスを、と考えたが、口から出てきたのは「そうか、まあ確かにそう言う時もあるよな。分かるよ」という、彼の何倍も人生を歩んできた先輩としては説得力に欠ける言葉だった。けど、説教めいたことは言いたくなかったし、彼の言動を否定したくもなかった。これまで身に纏っていたものが窮屈になり、新しい服を探している彼に、僕が用意した「誰に似たスタイル」を無理に着せようとするのは気が引けた。何を着るのか、彼は自分自身でそれを選び取ることができる。

話し合いのあと、僕は(そして、たぶん彼も)少しすっきりした気分で浴室を出た。

が、おもちゃの片付けをせずにお風呂に入った彼をお姉ちゃんに指摘され、また叱られていた。

反抗期はもうしばらく続きそうだ。

 

写真:隣町にあるお気に入りの場所で。「何も身につけない」という選択もたまには良いかもしれない。

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私の一冊

澤田みどり

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「季刊高知 夏号」 クリケット

私の唯一、定期購読している冊子です。本の形は正方形で80ぺージ弱の、鞄にすっと入ってしまう大きさの冊子です。中身は…、高知県のエトセトラ。

夏号の特集は、高知のじまん宿。その他の話題も高知県の事だらけで、写真も綺麗だし、いろいろな人の話がどんどん出てくるし、ちょっと他の冊子より文が多いという印象もあるけど、大人の冊子という感じ?高知以外に住んだことの無い私の、高知愛を満足させてくれる一冊です。

どこで手に入るかというと、お馴染みの末広S.C田井店です。何と、発行・編集の代表N氏が高知市から車を走らせて、持ってきて並べている。
ただ今、夏号が出たばかり。表紙は高知の絵本作家イラストレーターの柴田ケイコさん。(夏号は海ガメのイラストが素敵)

お値段は税込440円。高知を愛する人には、ぴったりくると思います。

 

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4001プロジェクト

筒井良一郎・和子 (石原)

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西石原の筒井良一郎さん、和子さんのご夫婦です。

実は編集部は良一郎さんにとてもお世話になっていて、土佐町ベンチプロジェクトのベンチを石原に設置した際だとか、最近では「山峡のおぼろ(著・窪内隆起)」のあるエッセイの写真に、モデルとして登場していただきました。

この写真はその撮影の後に撮った一枚です。

いつお会いしても快活で気持ちの良い方です。

 

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私の一冊

山門由佳

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「ないた」 中川ひろたか作, 長新太絵 金の星社

泣いた。 泣くのがいちばん心の大掃除。 背負っていた気がかりや後悔や不安。 泣いたらすっきり。いい気持ち。 状況はなにも変わっていないのに。 またピカピカになった気持ちで頑張れる。 泣くことは自分が自分に戻る作業。

それにしてもうちの子はよく泣く。 泣かれれば泣かれるほど自分が母親であり大人であるという自覚と役割を押し付けられ、しっかりせねばと気持ちを奮い立たせて泣けなくなってくる。 それもまた悲しいか…泣。

この絵本のなかで、おかあさんが布団の中で泣いているシーン。
一おかあさんの おふとんにはいったとき、おかあさんの めから なみだが でた。 つーっと、まくらに ながれて おちた。 ないてるのって きいたら 「ううん」って、いった。

この情景だけで心が重なって泣きそう。何歳になってもわたしは泣くぞ〜!

でもこっそりひとりでね。

 

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2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、製作した動画をご紹介しています。

第7回目は、東洋町で作られている郷土料理「こけらずし」です!

 

人参、うす焼き卵、しいたけ、人参葉などの具材で飾られた、この彩りゆたかなお寿司の名前は「こけらずし」。高知県の最東端に位置する東洋町で作られてきたお寿司です。

びっくりするほどお米を使うお寿司で、とにかく大きい!まるで四角いケーキのよう。昔から冠婚葬祭などのお祝いごと、親戚や近所の人たちが集まるときに作られてきたそうです。

 

 

「こけら」の意味は?

「こけらずし」の「こけら」。これには「木っ葉」、「木片」という意味があるそうです。「木っ葉」のようなものを重ねた寿司、また「木片」を重ねたこけらぶきの屋根に似ている、など、この名の由来はいくつかあるようです。(諸説あります)

こけらずしは、木型に寿司飯を詰め、具材を並べる。その上にしきり板を置いて押す。それを繰り返していきます。寿司飯や具材を重ねていく様子は「幸せや喜びを重ねていく」という意味にもつながっているそうです。

 

寿司飯の味付け

寿司飯の寿司酢は、お馴染みの柚子酢に加え、焼いた鯖の身をほぐしたものを加えます。これを「酢にごし」といいます。鯖から出るだしが、寿司飯の味に深みを与えてくれているような気がしました。海が近い土地だからこその知恵なのでしょう。

東洋町のお母さんたちは、3枚におろしたさばを新聞紙に包んで焼く、という昔ながらの方法を見せてくれました。「新聞紙を剥がすと、鯖の皮も一緒に剥がれて楽」とのこと。う〜ん、なるほど!

 

人参は、こけらに入れるために植える

こけらずしに欠かせない彩りのひとつ、人参葉。東洋町では、こけらずしに使うために人参を育てている人も多いのだとか。撮影のために、お母さんの自宅の畑を見せていただきましたが、確かに人参が!

その土地で収穫できるものを使って、より美しく、より楽しく。作り方とともにその工夫も引き継がれてきたのでしょう。それはその土地ならではのかけがえのない文化であると思います。

 

「こけらずし」の文字は、どんぐりのメンバーさん

動画の冒頭、料理名「こけらずし」の文字は土佐町の障がい者支援施設「どんぐり」のメンバーさんが描いてくれました。手描きの文字は、動画全体に温かみを添えてくれました。

 

 

たたき切る!!!

なんと言っても見どころは、こけらずしの切り分け方!「たたき切る」という言葉がピッタリ当てはまります。

昔、祝いごとのある日は、こけらずしをたたき切る音が村のあちこちから響いてきたそうです。

軽やかな音を想像していましたが、「トン!トン!」というようなかわいらしい音ではありません!それは地面に響くような重力ある音で、高知という土地の持つ豪快さ、懐の深さを感じた瞬間でもありました。

編集部も切らせてもらいましたが、等間隔にたたき切るのは、なかなか難しい!でもかなりクセになります笑

「たたき切る!」、ぜひご注目ください!

 

 

 

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私の一冊

古川佳代子

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「兄の名は、ジェシカ」 ジョン・ボイン著 原田勝訳 あすなろ書房

ある人の性的指向や性自認が大多数を占める人びとと同じでない場合、その人は差別や虐待の対象とみなされることがよくあります。まだまだ、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の人びとの権利が守られているとは言い難いですが、理解を促す素晴らしい文学が書かれています。今日紹介する物語もそんな作品の一つです。

大好きな自慢の兄ジェイソンが、トランスジェンダーだと告白した。弟のサムはどう受け止めてよいかわからないし、それは両親や周囲も同じこと。サムの目線から語られる告白以降の状況は、なかなか厳しい。

リベラルな政治家である母とその秘書である父は、LGBTやその他もろもろのマイノリティな存在を差別することは愚かしいことだと公言している。しかし、それが自分の息子のことになると、冷静に受け入れ偏見なく対応することは難しい。

その葛藤がリアルに表現されており、読み手にはストレスとなる部分もあるが、そこを逃げずに描いたことで深見のある作品となっている。特に、息子に付き添ってカウンセリングに臨んだ母親の「…私たちがどう思っているかは別にして、この件に関わっていたいのです。関わっていなくてはならないんです」という言葉は印象深い。

今はまだトランスジェンダーだと表明することには勇気が必要ですが、勇気など必要としない日をつくる責任は当事者だけでなく私たちも担っていることが伝わってくる物語です。

 

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ほのぼのと

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私達の子供の頃の遊びのひとつに、同年代の男の子と一緒の時は、探検やチャンバラごっこなど、アクティブな遊びをすることがあった。

最近、従弟と、子供の頃の思い出話をすることがあった。

二人とも、一番に思い出す出来事が同じ体験談だった。

私は小学三年生、妹は一年生、従弟のM君は四年生、近所のS君も四年生で、その弟が一年生でした。

その五人で体験した事です。

ある秋の休日、集まってM君の家の庭で、梶ガラ(こうぞの枝の皮をはいだ物)で、チャンバラ遊びをしていて、もっと丈夫な刀が欲しいという事になり、近くの山へ、刀にする木を取りに行くことになった。

折りタタミ式のノコギリと、ナタを提げて五人は山に入って行った。色々と物色して、刀にちょうど良さそうな太さの、まっすぐな木の枝を見つけた。M君とS君が、人数分の木の枝を切ってくれて、M君の家の庭まで持って帰った。

まず、木の皮を剥ぐため、それぞれが、自分の刀を決めて、生木の皮をナイフで順番に剥いだ。手で持つ部分を二十センチ位残してキレイに、みがいた。汁が出たけど気にせずに夕方までかかって、五人は刀を仕上げた。その刀でチャンバラをして遊んで、それぞれの家に刀を持って帰った。

あくる朝、私の妹は手と顔が、まっ赤にかぶれてかゆくて、学校へ行けずに泣いていた。従弟のM君も体中が、まっ赤にかぶれて、学校を休んだ。私とS君と弟は、何の症状も出ずに学校に行けた。

母に昨日採って来て作った刀を見せたら、それは「うるし」の木で、触ったらかぶれるのに、皮をはいで汁まで付いたので、弱い二人は重症のかぶれになったそうな。

枝ぶりが良すぎるまっすぐな枝は「うるし」かもしれんので、触ったり採ったりしてはいかんと思った。

先日、従弟と、その話をした時も懐かしく想い出話に浸った。

あの時、一緒だった妹とS君は今はもう居ない。想い出を分かち合えるのは三人だけになった。

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笹のいえ

五年目を迎えて

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とさちょうものがたりがスタートしてから、五年目に突入したとの記事がアップされた。

立ち上げからはじまった、笹のいえでの暮らしを綴る僕の散文も同じ時間を経てきたことになる。これまでにアップした記事は、160くらい。はじめての投稿は、2017年6月27日。文字数93の短い文章だった。写真に写っている手の持ち主は、長男の玄人。当時五歳目前だった彼は、今月九歳になる。あれから、僕も四つ歳を取り、家族はふたり増えた。

僕たちの日常を綴った文章を、開始当初は「こんなの興味ある人いるのかなあ」と半信半疑だった。けれど、最近は「読んでるよ」と声掛けられたり、感想をメッセージやコメントでもらうことがあり、励みになっている。自分で書いておいて言うのもなんなんですが、うちでの出来事を他人様が知っているのはなんだか不思議な感じがする。僕の気ままな素人文に、読み手の大切な時間を費やしていただいていると思うと、少し気恥ずかしいような、申し訳ないような、でも有難いことだ。

ネタには事欠かない七人家族暮らしだが、毎日慌ただしく、落ち着いてパソコンに向う時間が取れなかったする。それでも、はじめての運営側とのミーティングで、「締め切りは無し!」の言葉にずっと甘えて、自分のペースでやってきたのも、続けてこれた理由のひとつだろう。

このサイトには、土佐町に多様に関わる人たちが登場し、彼らの物語を語っている。それは昔話だけでなく、現在進行の話題だったり、将来に向けての希望あるメッセージだったりする。そのストーリの積み重なりとともに、コンテンツにも深みが出てきた。四年前には想像もできなかったほど世の中が変わってしまったけど、僕もまた未来に語れる「ものがたり」をここに残せたらなと思っている。

読者の皆さん、いつも温かい目で見守ってくれているスタッフの百合子さんと拓ちゃん、ありがとうございます。これからも引き続き、どうぞ宜しくお願いします。

 

写真:この四年で増えた家族ふたり(と一匹)

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私の一冊

鳥山百合子

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「ふるさと早明浦」 川村千枝子 新日本文芸倶楽部(あどばんす)編集室

とさちょうものがたりで連載中の「さめうらを記す」では、早明浦ダム建設の際、ダムの底へ沈んだ土地で暮らしていた人たちのお話を掲載しています。

土佐町古味地区の川村友信さんにお話を聞いた時のこと。「ダムのことを本にした人がいる。川村千枝子さんという人じゃ」と、ふと思い出したように教えてくれました。

これがその本、川村千枝子さんの著書「ふるさと早明浦」です。図書館で見つけました。

ダムに沈んだ大渕、古味、柿ノ木、早明浦地区の歴史や風習、家系図や地域の取り決めなど、とても細かく丁寧に書かれています。集落内の地図は手描きされ、川村さんが集落の道を辿り歩いた姿が見えるようでした。本当によく調べたなあ…と脱帽しながらページをめくりました。この情熱はどこからきているのだろうか、ぜひお会いして聞いてみたいと思いましたが、残念ながら千枝子さんは亡くなられていました。

けれども、千枝子さんのご主人である川村雅史さんにお会いすることができました。雅史さんはダムに沈んだ柿ノ木集落の出身です。先日、ダムの見える場所でお話を伺いました。かつて柿ノ木集落があった湖面を指差しながら、「この話はもう、僕だけしか知らないでしょう」と多くのお話を語ってくれました。

人と出会い、話に耳を傾けることで、「今、ここ」がより鮮明に見えてくる。それは机上では得られない体感です。

過去を知り、学び、自らの内側に問いかける。

今、何が必要なのか?何をするべきなのか?

人から学び、歴史から学ぶことは、とても大切なことだと思います。

川村雅史さんから聞いたお話は、後日「さめうらを記す」に掲載予定です。どうぞお楽しみに!

 

川村友信さんの場合

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