2021年7月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

川村房子

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「52ヘルツのクジラたち」 町田その子 中央公論新社

52ヘルツのクジラとは、他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く世界で一頭だけのクジラ。

たくさんの仲間がいるはずなのに、何も届かない、何も届けられない。その為、世界で一番孤独だといわれている。

帯に書かれてなかったら、作者も題名にも素通りしていたかもしれない。

生きるのに疲れ、最果ての街にきた貴湖。そこで自分と同じ匂いのするしゃべることのできない少年と出会う。親からの愛情が注がれていない孤独な少年の匂いが、家族から受けた虐待の日々と重なってくる。

貴湖の持つタブレットを通して、クジラの歌声をきく少年。繰り返しの日々の中で少しずつ心を開いていく。

自分の人生を家族に搾取されてきた女性貴湖と、母に虐待された少年。彼らが出会い新たな物語がつむがれていく。

文体の読みやすさもあって一晩で読んでしまうほど。夜中に目もしぱしぱ。長男の嫁さんにすすめると「いっきに読んだよー」と…。

 

 

 

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土佐町ストーリーズ

順太地蔵 (南川)前編

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当時、この部落には至る処に杉檜の大木があった。

全ての物資の運搬に馬さえいなかった当時のこと、この無尽蔵の木材資源も土地の者にとっては、家屋の建築や修理に使う程度でしかなかった。

阿波の国にはこの木材に目をつけた大材木商人が数多くいた。彼等は吉野川の流域の木材を買い集め、大阪の堺港や和歌山に出荷して莫大な利益をあげていた。

阿波屋重兵衛も当時の大木材商人であった。

何千人もの人夫を土佐に送り、秋から春先迄、買入れた木材を伐採造材して川岸に集積する。

そしてやがて夏が来て大洪水が起きた時、集積されている木材を濁流渦巻く河に流す。

一方徳島の河口にはアバが張られて上流から流れて来る木材を集めて、木材に打ち込まれた刻印によってそれそれの木材商に引渡される。

勿論、何十パーセントか の木材は川岸に掛かったが、それでも大きな儲けとなっ ていたことであろう。

 

さて、 この阿波屋の人夫二十名程が南川にも来ていた。彼等は飯場と言う大きい小屋に寝起きして、毎日木材の伐採をしていた。

その人夫頭に順太と呼ぶ若者がいた。

二十五歳の青年であったが、さすが阿波の豪商重兵衛が見込んだだけに、読み書きソロバンは達者であり、 その上立派な体格の美男子であった。

徳島の店では番頭であり、出夫の時は人夫頭であった。当時この部落の古田と言う所に玄安と言う医者がいた。そしてお花という一人娘があった。

現在もそうであるように当時の医者は部落一番のインテリであり、文化人であった。

お花も士族の娘と共に土地の者からは姫様と呼ばれ尊敬され、美人であった。このお花と順太が恋に落ちてもそれは決して偶然の事ではなかった。

 

お花の父玄安夫婦も順太の人柄を見込み結婚を快く許した。

又、順太には父親はなかったが、母親お清も可愛い順太の申し出に異議があろう筈はなかった。

そして二人は家族達の祝福の中に嘉永六年(編集部注:1853年)の秋には晴れて目出度く結婚する事に決まっていた。

順太とお花の二人には嬉しい楽しい毎日が続いた。嘉永六年と言う年は春先からよい天気が続いた。

うっとしい長雨も六月末には早くもからりと晴れ、七月に入って暑い晴天がまた続いた。そして七月十五日の盆を迎えた。

順調な農作物の出来映えに喜んだ村人達は老若男女相集い盛大に盆踊大会が催されたのであった。

順太もお花も多くの村人達と共に楽しい踊りに更けゆくのも忘れていたが、やがて踊り疲れた村人達も三々五々家路につく頃、順太もお花と共に肩をよせ合い楽しく語り合いながら家路を辿る二人の後の木 かげに、嫉妬に狂う若者達がまなこが有ろうとは知るよしもない二人であった。

中編に続くー「土佐町史」より

 

 

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4001プロジェクト

上田義和 (中尾)

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相川・中尾地区の上田義和さん。土佐あか牛の畜産農家さんです。

義和さんとの出会いのきっかけは、鹿の角。

とさちょうものがたりが取り組んでいる「鹿の角ガチャ」が高知新聞に取り上げられた際に、記事を読んだ相川の澤田清敏さんから、「鹿の角をきっと持っている猟師さんに頼んであげる」と紹介がありました。

そうして鹿の角をいただいたご縁で、今度はあか牛の出産に立ち会わせてもらえることに。

母牛が赤ちゃんを産むその瞬間の、その模様はまた別の記事でご紹介するつもりでいますが、上田さんはとさちょうものがたりが一方的にお世話になっている「お師匠」の一人です。

ちなみに背景に写る牛舎全体を、義和さんご本人が自作されたそうで、その技術とバイタリティにもびっくりします。

 

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「季節のおうち寿司」 岡田大介  PHP研究所

「お寿司を作ること」。何だかちょっとハードルが高いな…と思いがちでしたが、この本は「いやいや、そんなことないかも!」と思わせてくれました。

手まり寿司やばら寿司、飾り巻き寿司など、華やかなお寿司たちの材料は馴染みあるものばかり。家にあるものでできる!と思えるのがまず良いです。そして何より良いのは、各材料が「適量」であること。これは、量は好き好き、適当でいいよ〜ということなので、目分量料理専門の私にはぴったりです。

まず作ってみたいのは「笹の葉寿司」。笹の葉に寿司飯をのせ、サケ缶やかぼちゃのペーストをのせて包む。笹の葉はこの辺りでは取り放題、他の具材でも作れそうです。

そしてもう一つは「ゆうれい寿司」。まずこのネーミングが秀逸!

山口県宇部市には「ゆうれい寿司」という名の郷土寿司があるそうで、具材を混ぜたりのせたりしていない真っ白な酢飯だけを型に入れて作るのだそうです。江戸時代の中頃から作られているとか。具材が全くない酢飯だけなのに、これは寿司だと言い切るのが潔い。昔はお米だけでもご馳走だったのでしょう。「ゆうれい寿司」、これだけで宇部市に行ってみたくなります。この本では酢飯に干し椎茸やにんじん、きゅうりなどの具材を重ね、その上に酢飯をのせてサンドイッチのように挟む作り方が紹介されています。

とさちょうものがたり編集部で製作した「高知の郷土料理」の動画に登場する、津野町の「田舎ずし」宿毛市の「きびなごのほおかぶり」も紹介されています。

「家で一緒にごはん食べよう!」と気軽に言える日が来るまで、いくつかお寿司を作れるようになっていたいです。もちろん、目分量で!

 

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2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、製作した動画をご紹介しています。

今回最終回、第10回目は宿毛市で作られている郷土料理「きびなごのほおかぶり」です!

 

タイトルは、土佐町どんぐりのメンバーさん作

動画タイトルの手描き文字は、おなじみ、土佐町の障がい者施設どんぐりのメンバーさん作。「きびなごのほおかぶり」のイメージとぴったりだと思いませんか?

 

きびなごのほおかぶりって?

銀色に光る、ころんとしたかわいらしいお寿司。宿毛市の「土佐ひめいち企業組合」の河原多絵さんが作っている「きびなごのほおかぶり」です。横から見ると、ちょうど人がほおかむりをしているように見えることから、この名前がつけられています。

お寿司と聞いたらお米のお寿司を思い浮かべますが、これはおからを使ったお寿司です。一口でパクッと食べられるほどの大きさで、おからはほんのりと甘い味付け。酢と塩でしめられたきびなごとよく合い、いくつでも食べられます。

 

きびなごのほおかぶりの誕生

「きびなごのほおかぶり」を作り始める前、河原さんは地域のグループで魚のすり身などの加工品を作っていたそうです。しかし、他のグループでも似たものを作っていたため、次第に自分だけのオリジナルなものを作りたいと思うように。そこで注目したのが、漁師であるご主人が捕る「きびなご」でした。

きびなごは、宿毛湾で豊富に捕れる小魚。ご主人が捕った新鮮なきびなごを使って、この地ならではの新しいものを作りたい。そして誰にでも食べてもらえるよう安価で、体に良いものを作りたい。河原さんは知恵を絞りました。

昔から宿毛にはおからを使ったお寿司があったこと、そしてうるめいわしを使った四万十市のおから寿司「ろくやた」からもヒントを得て、「きびなごでおから寿司を作ろう!」と閃いた河原さん。

ボソボソしがちなおからを、どうしたらしっとりと美味しく食べられるか?
広い範囲で販売するために、保存方法はどのような形にしたら良いだろう?

河原さんの幾度にもわたる試行錯誤が始まりました。

手を変え、品を変え、食感や味を確かめる日々。そして、やっと誕生したのが今の「きびなごのほおかぶり」です。

 

空飛ぶ寿司

この「きびなごのほおかぶり」は、JALのファーストクラスの機内食に採用され、また全国各地のホテルなどでも使われるようになりました。

自分が作るものは、胸を張って「これ、美味しいでしょう!」と言えるものでありたい。河原さんは繰り返しそう話していました。

「正直でありたい」

力強い河原さんの言葉が、今も心に残っています。

そして最近、さらに嬉しいことが。河原さんの跡を継ぐため息子さんが帰ってきたのです。娘さんも一緒にやりたいと話しているとのこと。「きびなごのほおかぶり」がビジネスとして成立しているからこそ、跡を継ごうとする人も出てくる。

郷土料理を守り、引き継いでいく一つのかたちを見せてもらった気がしました。

 

美しい宿毛湾

河原さんの仕事場は、目の前が海という場所。エメラルドグリーンの海のなか、魚が気持ちよさそうに泳いでいるのが見えました。エイもいるそうです。豊かな宿毛湾のきびなごはピカピカと銀色に光り、透き通るほどの美しさ。

当初、この動画の撮影は2月末を予定していましたが、思うようにきびなごが捕れない日々が続きました。きびなごの旬は4〜6月、無理もありません。3月上旬、「いいきびなごが捕れたよ〜!」と電話をもらったときは心の底からほっとしました。相手は自然。思うようにいかないことだってあります。

 

河原多絵さんという人

「きびなごのほおかぶり」の撮影のため、打ち合わせの日程を決めたいと、初めて電話をかけた時のこと。

河原さんは「ごはん用意しておくから、お腹ぺこぺこにしてきてね〜!」と言ってくれました。その言葉がどんなに嬉しかったことか!当日、河原さんは、きびなごのほおかぶりはもちろん、「ろくやた」と呼ばれる棒寿司、魚の煮付け、刺身など、海のご馳走を用意して待っていてくれました。

お話するうちに、私(鳥山)は、いつの間にか胸の内をさらけ出していました。河原さんはそれくらい、人間としての魅力に溢れた人でした。

 

土佐ひめいち・河原多絵さんが作る「きびなごのほおかぶり」は通信販売もしています。

宿毛ならではの郷土料理を味わい方はぜひ!

土佐ひめいち

〒788-0274 高知県宿毛市小筑紫町栄喜566-66     090-5914-9174(河原多絵さん)

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「集まれどうぶつの森」みたいなタイトルになってしまいましたが、今回は鹿の角の話です。

以前からお伝えしています「鹿の角ガチャ」、現在は土佐町のうどん処繁じさんと高知市の高知蔦屋書店さんに設置させていただいています。

 

「鹿の角ガチャ」はじめました!

 

おかげさまで売れ行きも好調な今日この頃ですが、こうなってくると問題がひとつ発生。

材料(鹿の角)が足りなくなる?

そう、この「鹿の角御守り」、材料が鹿の角。ホームセンターなどで買えるものではありません。

鹿の角が安定して手に入るという状況が継続のための大きなポイントなのです。鹿の角がなくなってしまったら商品が作れません。

そういった問題の解決策をぼんやり考えていた時期に、高知新聞嶺北支局の竹内記者がこの取り組みを記事にしてくれました。

鹿の角ガチャ!高知新聞に掲載されました!

 

町の方々から連絡が‥

高知新聞の記事が出て数日、編集部は何本かの電話やメールを町の住民の方々からいただきました。

内容は「新聞読んだけど、鹿の角が必要だったらあるよ〜」とか「知り合いの猟師さんがたくさん持ってるはずだから頼んでおこうか?」といったもの。

この展開は編集部としては予期していたものではなく、町の方々の暖かな気持ちがじんわり伝わってくるような出来事となりました。

 

大豊町の方々も‥

そして同時に、一緒にお仕事をしている大豊町のファーストでも、以下のようなチラシを町内で配ったり貼りだしたりしてみたところ‥

「驚くほど大量の鹿の角がファーストに届く(笑)」という、これもまた予想外の展開となりました。

この取り組みに対して、柔らかく背中を押していただいているような感覚を覚えるのと同時に、「どんぐり」や「ファースト」という障がい者施設のメンバーさんを応援する、地域の方々の気持ちも受け取ることができました。

こうしてたくさんの方々に応援・ご協力いただきながら「鹿の角ガチャ」という取り組みは可能になっています。

 

多くの方々からいただいた鹿の角(ほんの一部)

 

 

そもそも町の方々の力を借りっぱなし

この取り組みのスタート以前も、町の職人さんである川田康富さんに力をお借りしています。鹿の角の加工の方法を教えてくれて、一緒に解決法を考えてくれて、工具まで貸してもらって(今もその工具で作っています)、それでこの「鹿の角御守り」を作れるようになりました。

言ってみれば、多くの住民の方々の力でできあがったこの取り組み。今回のこの記事は、これまでちゃんと説明ができていなかった裏側のそんなことをお伝えしたいということと、実際にそうして力をお借りした方々に感謝の気持ちを伝えたいことが目的です。

みなさまが力を貸していただいたおかげでこうした取り組みができています。ありがとうございます!

 

 

ありがとうございます(敬称略)

川田康富 小松エイ子 高橋通世 澤田清敏 上田義和 仁井田亮一郎 こんどうストアー 小松恵子 秋山豊市 森博利 岡崎博臣 田岡一志 山内喜栄 川村勝清

 

 

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4001プロジェクト

西川公明 (石原)

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石原の川を撮影中に出会った西川公明さん。

釣りをしている最中にお邪魔と思いながらも声をかけ、川のことや魚のことを教えていただきました。

石原出身の元新聞記者である窪内隆起さんの文章につける写真を撮影するため、「継ぎ竿(太さの違う竹を組み合わせて分解可能にした釣竿)」を探していたのです。

結論は、継ぎ竿ではなく、継ぎ竿にしていたような竹林をこの写真の対岸に見つけ、公明さんの手をお借りして撮影することができました。

こういう「お師匠」のような方がそこかしこにいらっしゃって、意図せずばったり出会ったりすることも、土佐町で仕事することの面白みになっています。

 

継ぎ竿

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読んでほしい

すもも

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「これ」

差し出された袋を受け取った時、思わずよろめいた。袋をのぞくと、中には溢れんばかりの赤、紅、真紅。目が覚めるような色たちは、今年初めてのすももだった。

袋から一つ手に取るとじんわりと温かく、つい先ほどまで太陽を浴びていたのだとわかる。

「ちょっと、すいーけんど」

「すいー」と言った時の顔が本当に酸っぱそうで笑ってしまった。

 

すももはすぐに傷み始めるので、無傷のものは冷蔵庫へ。日が経つにつれて熟していくので、冷蔵庫を覗き込んでは取り出して、ガブリとするのは最高。少し傷ついているものはそこだけ取って種を除き、冷凍する。ミキサーでガーッとして、はちみつを加えたら即席シャーベット。またはコトコト煮てジャムにして、かき氷にかけるのも、これまた最高だ。

すももは実がなるまでに3〜4年かかるという。「子どもたちが喜ぶように、すももの木を植えた」という話を何人かの人に聞いた。すももを頬張っていた子どもたちは大きくなり、進学や仕事で町を出て行った。それでもすももは、毎年変わらずに実をつける。町を離れたかつての子どもたちは、夢中で食べた紅色のすももを思い出すことがあるのではないだろうか。

いただいたすももは、かぶりつくたびに汁がぽたぽたと滴れ、 Tシャツに赤い染みができるほどみずみずしかった。

 

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私の一冊

山門由佳

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「サザエさん」 長谷川町子 姉妹社

先日、愛宕町にあるあたご劇場で「トキワ荘の青春」という映画を観た。久しぶりの大きなスクリーンに興奮しながら繰り広げられる「トキワ荘の青春」は、手塚治虫はじめ石ノ森章太郎、赤塚不二夫など、日本の漫画界のそうそうたるメンバーがまだ駆け出しの頃に住んでいたトキワ荘というアパートを舞台に、友情やおなじ夢をもった者同士の葛藤や苦悩、そして助け合いを描いた心にじんわりとくる映画だった。

時は昭和30年代。日本は戦後の復興を遂げ、生活は慎ましくも夢と希望に溢れた元気な時代。「サザエさん」もまた同時代に、日常の人間ドラマや世間の時事を風刺した4コマ漫画が朝日新聞で連載されていた。 今ではすっかり日曜日の顔となっているサザエさんだけれど、この4コマ漫画の「サザエさん」はもっとピリッとしている。あの穏やかなマスオさんもちょっぴり怒りん坊なことにもびっくりする。みんなが熱い。そして人情が深い。

『他人に迷惑をかけないように』じゃなくて、人が人をあてにしてお互いに困ったら助け合うのが普通とした雰囲気。 そこに人と人の強い繋がりを感じた。気軽にSOS、近くのひとに助けを求められるあたたかい環境。 醤油がきれたらご近所さんに貸して〜と言える間柄。

いいね!や画面越しのやりとりばかりの令和3年。人と人が面と向かって心を通わせ、話をすることにいいのかな?どうなのかな?といちいち戸惑い、こんなにも手の届かない贅沢品になってしまったとは。

この「サザエさん」を読んでいると、今の風潮、システムは本当にこのまま進みつづけて人類の幸せはあるのか?と思えてくる。

 

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2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、製作した動画をご紹介しています。

第9回目は、香美市で作られている郷土料理「蒸し鯛」です!

 

「蒸し鯛」は、鯛を丸ごと一匹を使った大迫力の郷土料理。鯛のお腹に、葉ニンニクや卵、砂糖などで味付けしたおからを詰めて蒸しあげます。昔から、冠婚葬祭などお祝い事の席で作られてきたそうです。鯛一匹盛られた大皿がドーン!と出てきた時の歓声が聞こえてくるようです。

 

手書きの料理名

郷土料理の動画の冒頭に出てくる料理名は、高知県嶺北地域の障がい者支援施設のメンバーさんに描いていただきました。「蒸し鯛」の文字は、土佐町にある「どんぐり」のメンバーさん作。クレヨンやマジックなどを囲んで、みんなで賑やかに描きました。「蒸し鯛」は、マジックで描かれています。

 

ウロコは大根で取る!

「蒸し鯛」づくりは、鯛のウロコを取るところから。ウロコを取るための道具を使うのかと思いきや、香美市のお母さんが手にしたのはなんと大根!輪切りにした大根を鯛の表面に滑らすと、あら不思議!面白いようにウロコが取れていきます。「大根だとウロコが飛び散らないし、一気に取れる」とお母さん。ウロコ取りでウロコを取ると辺りに飛び散り、数日後、カラカラに乾いたウロコが思いも寄らないところにくっついているのを見つける、ということがありますよね?大根だとその心配はありません!

なるほど〜!

目からウロコのお母さんの知恵でした。

 

おからの名前は「おたまちゃん」

鯛のお腹に詰めるのは味付けしたおからです。刻んだ葉にんにくや木綿豆腐、すりごまなどを混ぜ合わせ、鯛のお腹に詰めていきます。

「蒸し鯛」を作ってくれた香美市生活改善グループの代表、西内さんが「おからはお腹に詰めると、“おたまちゃん”になるんです」と話してくれました。おからに他の材料が加わり、鯛のお腹に収まった時、呼び名が変わる。それが「おたまちゃん」。

まるで、手のひらに大切な宝ものをのせているような手振りで「おたまちゃん」と話す西内さんの姿から、この蒸し鯛の存在を大切に思っていることが伝わってきました。

 

 

お母さんの知恵 その1

鯛を蒸す工程には、お母さんの知恵が詰まっています。

まず一つ目。

鯛を蒸し器に入れるとき、蒸し器に藁を渡します。その上に「はらん」という葉をひいて鯛を載せ、鯛の上で藁を結びます。蒸し器から鯛を出すときに、持ち上げやすいようにするためです。

香美市はお米どころ。お米が身近な土地ならではの知恵なのでしょう。

 

お母さんの知恵 その2

その1で出てきた葉、「はらん」。

「はらん」は、笹の葉を大きくしたような葉のことで、家の庭先などでよく育てられています。根元から切って、皿に載せ、飾りつけに使ったりします。高知では「はらん」は、料理をよくする人の家の庭に必ずあると言われているほど、馴染みがある葉です。

藁の上に「はらん」をひくのは、鯛が蒸し器にくっつかないようにするためです。

 

お母さんの知恵 その3

お母さんの知恵、三つ目。

鯛の蒸し上がりがわかるよう、さつまいもも一緒に蒸します。

「おたまちゃん」をたっぷり詰められて太った鯛は、一体どのくらいの時間、蒸したらいいのでしょう?

「蒸し上がったかな?」と何度も串を突き刺すと、鯛が崩れてしまいます。

そこで登場するのがさつまいも!

さつまいもに串をさし、柔らかく蒸し上がっていたら、鯛も蒸し上がっているという訳です。

 

撮影中、「へえ〜!」と何度つぶやいたことでしょう。郷土料理は、お母さんたちが長年積み重ねてきた、知恵の結晶なのだなと感じます。

 

 

お客さまには一番美味しいところを

蒸し上がった鯛を取り分けるとき、まずはお客さまに「一番美味しいところ」を取り分けるのだそうです。

それは胸びれのうしろ。それから、みんなでわいわいと少しずつ取り分けていく。昔、山に面した香美市は魚が手に入りにくかったので、魚を使った郷土料理「蒸し鯛」は、きっとみんなが楽しみにしているごちそうだったことでしょう。

 

若き後継者

今回の撮影で訪れた高知県各地では、郷土料理の後継者がなかなかいないという声もよく聞きました。この「蒸し鯛」を作ってくれた「香美市生活改善グループ」では30〜 40代の方たちも活躍していました。今回の撮影でも、先輩のお母さんたちが料理をしているところを見守りながら必要なときにサポートしたりと、細やかな気配りをしてくださっていました。作る現場を共にすることで後継者が育っていくのだなあと実感したことでした。

 

編集部も「蒸し鯛」をいただきました。

葉ニンニクが効いていながら優しい味でもあり、今でも「あ〜、もう一度食べたい!!」と記憶の味をかみしめています。

思い出す「蒸し鯛」の向こうに、お世話になった香美市のお母さんたちの姿が見えます。

迫力の「蒸し鯛」、その中には培われてきた知恵と美しさが詰まっています。

ぜひご覧ください!

 

 

 

 

 

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