とさちょうものがたり

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

石川拓也

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「デザイナーは喧嘩師であれ」 川崎和男 アスキー出版局

僕が下手に紹介文を書くよりも、この本の前書きにあたる「デザイナーは、喧嘩師でなければならない」という文章を、ここに全文引用したいと思ったのです。

ですがそれはこの項の趣旨ではないので、一部のみそのまま引用します。

子どもにとっては、喧嘩ほど、激している感情から知性的な自己中心性を取り戻すはっきりとした学習のチャンスなのではないかと私は思う。喧嘩こそ、自我の確立を助け、もともと肉体的に多少なりとも暴力性を秘めている人間の原初的行動を抑制して、話し合いや討論に変革させる動機付けになるはずだ。

ところが「暴力」ということばは拡大解釈され、「悪」という概念に単純に結びつき、喧嘩を抑制することにのみ使われるようになってしまった。結果は「話し合い」が正しいとかいうわけだ。

強要される話し合いというのは形式でしかない。現代の民主主義はこの形式が強要されている暴力と言ってもいい。

(中略)現代では、喧嘩のできない子どもが「いい子」として扱われる。この「いい子」を摩擦回避世代と呼ぶらしい。

そしてこの前書きの最後は、上の写真にあるように、

若者よ。喧嘩を恐れるな。

摩擦回避世代の者たちよ。一発殴ってやろうじゃないか。

という文で締められます。ストロングスタイル。すごい。

川崎和男は、日本を代表するプロダクトデザイナー。その美意識を結晶化するような仕事の数々と、クライアント相手でも喧嘩上等、場合によっては完成したデザインを引き上げてギャラも突き返すという姿勢で知られています。

現代の社会における暴力への嫌悪感、これはもちろん悪いことではない。むしろ戦争を筆頭にした数多くの暴力を経験してきた人類の叡智というものでもあるでしょう。その中には例えばガンジーの言う「非暴力主義」として現実社会において具現化した例も実際にあるわけです。キング牧師も然りですね。

 ただ、これを社会のすべてにおいて当てはめたときに、そこはかとない違和感を感じるのは、これを書いている私一人だけではないように思います。

例えばこの本の前書きに触れられているような子ども同士の喧嘩。または頑固じいさんが近所の悪ガキに落とすゲンコツ。こういったことも全て「許されざる暴力」でしょうか?その見極めはとても難しいものに思いますが、一つだけ言えることは「非暴力」と「摩擦回避」は似て非なるもの。

ガンジーもキング牧師も、「非暴力」を掲げながら、最大級の摩擦・インパクトを社会に与えた指導者たちです。言論・思想のぶつかり合いは辞さない、しかし手段としての暴力は否定する。

「暴力は悪いもの」という考え方が行き過ぎた末に、川崎和男が書いたように「とにかくぶつかることを避ける」という摩擦回避世代の出現がくるとしたら、「一発殴ってやろうじゃないか」という心意気には拍手を送ります。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

A4 48p フルカラー

 

とさちょうものがたり ZINE06

とさちょうものがたりの雑誌、「とさちょうものがたり ZINE」の6号が7月20日に発刊です!

今回は「とさちょうものづくり」と題した一冊。

・シルクスクリーン物語 ・土佐町ベンチプロジェクト ・中島観音堂クラウドファンディング

の3つの特集です。

 

・シルクスクリーン物語

2017年からとさちょうものがたりが取り組んでいる、シルクスクリーン印刷を使ったものづくり。

 

p6-7 とさちょうものがたり作業場の風景

 

この号では、これまで3年間作業場で製作してきた様々なTシャツやポロシャツのご紹介、それから土佐町の障がい者就労支援施設どんぐりの参加や大豊町のファーストの参加など、シルクスクリーン事業が現在のような形になったストーリーを可能な限り丁寧に誌面にしました。

 

・土佐町ベンチプロジェクト

土佐町の方々により豊かな時間を過ごしてほしい!と始まった「土佐町ベンチプロジェクト」。その経緯と顛末をご紹介しています。

p32-33  左:ベンチ製作後の土佐町の7人の職人さん 右:最初の設計をした川田康富さんとご家族

 

誌面では、最初のモデルを作って(2018年3月)から、40個のベンチを町のあちこちに設置する(2020年3月)までのストーリーを掲載しています。

末ページには「土佐町ベンチプロジェクト地図」。実際に設置した場所で、実際に町の方々に座っていただいている写真で町に設置した場所をお伝えしています。

 

・中島観音堂クラウドファンディング

06号のトリを飾るのは、つい先日実施された「中島観音堂クラウドファンディング(以下、CF)」のストーリー。

 

CFのページにも使った写真。中島地区の方々を観音堂の前で。

 

観音堂に対する地域の方々の思い、実際に挑戦した実行委員会メンバーの思い、それからもちろんCFの結果も。

リターンのひとつでもありました、ご支援いただいた方々のお名前を記載したページも設けました。

 

土佐町の方々には、7/20以降随時全戸配布される予定です。

ぜひ誌面で直接ご確認ください!

 

 

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

仏ヶ森とボウドウ寺床(芥川)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

芥川から吾北村川窪に越える峠である。三宝荒神の最初の鎮座地(神の霊がその地にしずまること)である。

この地方の豪族が、この峠にあった河内神社に集まって会談しようとしたが、定刻を過ぎてもなかなか集まらない。立腹した土佐町側の豪族が、河内神社の御神体を奪い分けて帰ってしまった。だから土佐町側には河内神社が多いと伝えるところである。

三宝山由来記によると、土佐市宇佐浦の海中に光を発するものがあって、貞友という強力の武士が弓矢を構えると、それは龍神となって玉を舞い上げ、玉は仏ヶ森まで飛行して来たと言う。

仏ヶ森に至る道筋近く、仏ヶ森から約1500メートル芥川寄りにボウドウ谷があり、そこに寺床と称する所がある。谷川に沿うて石垣を設けて平坦地として、山手には石像を据えていたような形跡がある。仏ヶ森に飛来した玉体を追うてやって来た貞友なる武士が弓矢を構えると、それはたちまちに大神の姿となり、我を射れば返し矢でお前を殺そうと告げる。

それを聞いた貞友は大神に矢を放ったことを侘びて出家し貞友法師と名乗り、大神を祭るべく寺一宇を建立、これを宝峠寺と称したという。

その後、寺は消失し本尊などは吾北村清水の寺堂に移されたと言われている。一説にその寺堂は十王寺であると言われるが定かなことは分からない。

町史

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
4001プロジェクト

岡林光・花奈・高石瞳・鳳雅 (平石)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

岡林光さんと高石瞳さんは平石地区の若いお母さんのお二人。

同じ年のお子さん、花奈ちゃんと鳳雅くんと一緒に4人で撮影させてもらいました。

撮影場所は平石の消防団屯所前です。

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

土佐町にはトキワ苑という特別養護老人ホームがあります。

「生涯、自分らしく」をモットーに、約80名の利用者さんが日々この施設で過ごしています。知り合いの利用者さんを訪ねると、職員の皆さんがいつも温かく迎えてくれます。高齢者が多い土佐町のような中山間の町にとって、とても重要な役割を担っている施設です。

このトキワ苑から、一昨年、昨年に引き続き、今年も職員さんが着るユニホームとしてポロシャツのご注文をいただきました。

今年の「土佐町オリジナルポロシャツ」である地蔵堂・阿吽の龍のデザインのものと、昨年、トキワ苑を利用されている当時81歳の小川和子さんが描いたアジサイのデザインのもの。

 

早速製作に入りました!

どんぐりの石川寿光さんと川井希保さんが一枚ずつ、手で印刷しています。

先日、近所のスーパーでアジサイのポロシャツを着ている人を見かけました。トキワ苑の職員さんから、トキワ苑を利用している方やご家族の方にも好評だと聞いて、とても嬉しく思っています。

 

また、昨年に引き続き、本山町の障がい者就労支援施設である「しゃくなげ荘」の職員さんからも、ポロシャツやTシャツ、そして「Caffeレストしゃくなげ」のポロシャツも先日ご注文をいただきました。完成するのを今か今かと待ちわびてくださっているとのこと。とても励みになっています。

一度作った版は作業場に保管してあるので、いつでも作ることができます。必要な時に再度注文をしてくださることは、とても嬉しいことです。

 

とさちょうものがたりのシルクスクリーン事業は「自分たちで作れるものは自分たちで作った方が良いのではないか?」という思いから始まりました。地域の人が作ったものを地域の人たちが使う。その風景を近くで見ることができるのは、仕事をする人たちにとって大きなモチベーションとなっています。

とさちょうものがたりでは、その小さな循環をとても大切に考えています。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

弁才天(高須)その2

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

むかしむかしあったげな。

樫山の小栗さまと言うてのう。そばじり谷から水を引いて、田を掘ったり、むらづくりに、しっかりやって下さったえらいお方じゃったげな。

この小栗さまにお姫さまがありなされた。ある時わらびを取りに山に登らしゃったが、その晩から熱を出して寝込んでしまわれた。

夜中になると、笑ったりこそばがったり、うれしがったり、ボソボソ独り言を言うようになった。どういうものかと、かもんさま(お父さん)もおなんさま(お母さん)もえろう心配、年ごろの娘が夜中に、寝床で独り笑いしだいた言うて人にも話せん。よわっておいでたら、ちょうど、大峰山で修行されて高知へ帰る真如寺のお坊さんがお泊まりなされた。ご相談なさると、お坊さんが祈っておいでて、さて、寝床をのぞくと、誰の目にも見えざったのに、赤い錦のふとんの上に、金色の小んまい蛇が、トグロまいて、お姫さんの顔の方へ、ペロペロ、ペロペロ舌を出していると。お姫さんはそれと話でもしよるかのように、うれしがっていたそうな。

坊さんは、この札を貼っちょきなされと、おまじないの札をくれなさったそうな。そこで次の日、それを日のあるうちに門に貼っちょいた。

それからお姫さんの夜中の独り物語はぴったりやまったが、その次の晩から、夜半に、お姫さんが出かけるようになった。後をつけても、じきに、スーッと消えてしまうようで、さっぱり見定めがつかん。朝は着物のスソがべったりぬれちょったとぉ。

そこでおなんさんが、こっそり、着て行かっしゃるお姫さんの着物のタモトの底に、ハタおりのカセ糸をしっかりぬいつけておいたと。

夜半にそっとぬけ出すお姫さまに、おなんさまがカセ糸玉のおゴケ(糸を入れる物)を持ってついて行かしゃった。

ところが一うね超えて、引地の弁才天さまの池の方へぬけちょったげな。

やんがて大きなとちの木にかこまれた黒い穴のように見える池の端が、ボーっと明るく、そこにお姫さまがしゃがんでのう、じいっと池を見つめて、話しておられるそうな。

おんなさまが「姫おまんは、」と言うと、なんとお姫さまが、すっと立てって、両手を合わせて、おなんさまの方をおがむと、池にひょいっと入り、水の上をすうっと、とっとの奥の方へ、ボーッとうす明かり持って消えてしもうた。

さあ、おなんさまはびっくりおくれなされてすぐひっかえして、ゼエゼエ山を登って帰られたそうなが途中、山の神の森の所で目がまわって、とうとう亡くなられたそうな。

昔、血おり場というたが、けがれを忌む(きらう)と言うことで、このはえを「しおればえ」と言い、池は「住吉池」という。

小栗さまの家のあった所が「かもんの屋敷」谷から用水を取ったのを「小栗ゆ」と今に名前が残っているんじゃと。

むかしまっこうたきまったこう、サルのつべきんがり

和田久勝(町史)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

中島観音堂クラウドファンディング、終了しました。応援ありがとうございました!

クラウドファンディング、始まります!

昨年9月に土佐町を襲った台風17号の強風により、土佐町にある中島観音堂の樹齢1200年の金木犀が倒れ、近くの通夜堂と石灯籠を直撃、石階段の手すりも大きな被害を受けました。

観音堂でのお祭りはもうできないかもしれない…」

地域の人たちの声を聞いた土佐町役場の若手職員が、それならば「クラウドファンディングに挑戦しよう!」と仲間を募り、修復のための資金を集めることにしました。

観音堂のある中島地区は土佐町の中でも人口が多い地区ですが、地域のお祭りや行事を担う若い後継者がいないという問題を抱えてきました。彼らはこのCFを成功させ、その問題を解決するきっかけにしたいという思いも持っていました。

 

5月30日をもって、中島観音堂クラウドファンディング(以下CF)は終了しました。寄付してくださった皆さま、応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました。

CFがスタートした4月15日から5月30日までの間、中島地区長である山中泉夫さんや土佐町役場若手職員は新聞やテレビ取材を受け、寄付を募るため地域内を回りました。

この期間は、コロナウィルスの感染拡大を防ぐため政府から緊急事態宣言が出された時期とも重なっていました。

「外出もままならず、これからの先行きも見えない、世界中が大変な時期に寄付を募っても良いものだろうか…、果たして寄付してくれる人はいるのだろうか…という思いもあった。大変な状況の中、寄付してくださった皆さんに本当に感謝しています」

中島地区長の山中泉夫さんはそう話していました。

インターネット上のCFサイトから寄付してくださった方だけではなく、中島地区や町内外の方からの直接の寄付もいただきました。役場の担当者へ直接寄付金を持ってきてくださった方、現金書留で送ってくれた方…。泉夫さんも土佐町役場の若手職員たちも、多くの方からのお気持ちに心が震えるような思いだったと思います。

 

クラウドファンディングの結果

・インターネット上のCFサイトから… 3,006,000円
・中島地区の方・町内外の方から…1,587,100円

計411人の方から、総額4,593,100円のご寄付をいただきました。

いただいた寄付は通夜堂や石灯籠、石階段の手すりの修繕費やCF手数料に使わせていただき、先日、修繕が無事に完了しました。本当にありがとうございました。予想を上回る金額をご寄付いただいたため、修繕費や手数料を引いた残りの金額は、今度の修繕などための基金として大切に貯蓄させていただきたいと考えています。

 

■応援のメッセージ

寄付とともにたくさんのメッセージやお手紙、お電話をいただきました。

皆さま一人ひとりのお気持ちが原動力でした。

ここに一部ご紹介します。

南国市で細勝寺という寺の住職をしております。当山も土佐西国三十三観音霊場の第14番札所として聖観音をお祀りしております。同じ高知で観音さまにお守りいただいてる者として他人事とは思えず寄付させていただくことと致しました。些少ではありますが、復興の一助となれば幸いです。いつの日かお参りさせていただきたいと思います。

 

土佐町出身です。小さい頃から馴染みのあった金木犀と中島観音堂がこのような状態になっていることはショックでしたが、修復に向けて沢山の人々が動き始めているのを知って勇気を与えられました。応援しております。

 

中島地区に住んでいました。少しでも足しにしてください。応援しています!頑張ってください!

 

「同じ“中島”だから人ごとだと思えない」と、高知市内の中島工務店の方がわざわざ寄付を届けてくださったこともとてもうれしいことでした。

 

 

今回の「中島観音堂クラウドファンディング」は、世代や暮らしている場所の距離を超えて、人と人との繋がりをもう一度結び直すようなことだったように感じています。
一つの場所に心を寄せ、次の世代へも引き継いでいきたいという思いは先人たちが持ち続けてきた願いでもあったでしょう。その願いは時代を超え、私たち人間の心の深いところに在るものに響き、互いに共鳴し合うものなのかもしれません。

 

今年の中島観音堂の夏の大祭は、コロナウィルス感染拡大を防ぐため、残念ながら中止が決定しました。来年の夏の大祭は開催することができますように。その時には、ぜひ多くの方に中島観音堂に足を運んでいただけたらと思っています。

心を寄せてくださった皆さま、応援してくださった皆さまに心から感謝しています。本当にありがとうございました。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
4001プロジェクト

町田健太・早百合・碧峰 (田井)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

町田健太、a.k.a マチケン。先日とさちょうものがたりでもお伝えした「中島観音堂クラウドファンディング」ではリーダーとしての務めを全うしました。

みなさまのおかげでクラウドファンディングも無事終了、現在は中島観音堂の通夜堂・石灯篭・階段の手すりもすでに修復済み。改めてお礼申し上げます。

クラウドファンディングの記事を作る際に、ある小春日和の午後、みんなで中島観音堂に集まった際に撮影した一枚です。

奥さんの早百合さん、見るたびに日々大きくなる息子の碧峰くん。中島観音堂を背景に3人で撮った家族写真です。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
4001プロジェクト

西村卓士 (地蔵寺)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

地蔵寺の西村卓士さん。言うまでもなく、土佐町の前町長です。

西村さんは2015年まで土佐町長を務められました。

この写真で西村さんが座られている机はお孫さんのものです。町の職人さんが作り、土佐町小学校の新一年生に毎年贈られる机と椅子。子供たちはこれを6年間使ったら卒業とともに持ち帰ります。

その仕組みを作ったのは西村さんが町長だった時代の町の方々。

その時のお話しを聞きたくて、お家にお邪魔した際に撮らせていただいた写真です。

1年生への贈り物

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
みんなのアルバム

地蔵寺の徳亀知さんと福蔵さん

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

地蔵寺西村家系譜(復刻版)からの一枚です。

地蔵寺西村家系譜(復刻版)は、タイトル通りなのですが地蔵寺の西村家の方々が編んだ西村家のヒストリー。一冊の本となって記録されています。

その冒頭に掲載されている一枚の写真。地蔵寺の、おそらく集会所で撮影されたものと思われます。

今年、とさちょうものがたりは地蔵寺の地蔵堂の阿吽の龍の木像をモデルに「土佐町オリジナルポロシャツ」を作っていますが、もしかしたら地蔵堂の改築のときの一枚かもしれません。

というのも、写っている方々の最後列右から2人目が徳亀知さん、左下が弟子時代の福蔵さん。どちらも地蔵寺の大工さんです。地蔵堂をとても大切にしていた、実際に地蔵堂の改築に携わった大工さんたちなのです。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone